WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

キャノンボール・アダレイのキャノンボールズ・ボサノヴァ

2006年08月03日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 23●

Cannonball Adderley  

Cannonball 's Bossa Nova

Scan10009_2  わが東北地方もやっと梅雨があけた。朝だ。外は光に溢れている。家々の屋根に朝日が反射してまぶしい。今日も暑くなりそうだ。そうだ、ボサノヴァを聴こう。そう思って取り出した今日の一枚は、キャノンボール・アダレイの1962年録音作品、キャノンボールズ・ボサノヴァだ。

 アルトサックスの音色はどこまでも艶やかで、よどみのないメロディーラインだ。キャノンボールは嬉しそうだ。アルバム全体が陽気な明るさに溢れ、音楽の喜びに満ちている。思えば、マイルス・ディヴィス・グループ時代のキャノンボールは苦しかったに違いない。モード奏法とか何とか、キャノンボールの手に余る音楽をやらされ、疲れ気味だったのではないだろうか。彼はそういうプレーヤーではないのだ。彼はいわゆる「呪われた部分」の音楽家ではない、けれども彼は、美しい音楽を美しいままに吹ききるナチュラルさをもっている。

 村上春樹の次の言はなかなかよく的をついているように思う。

《 キャノンボールという人は、最後にいたるまで、真にデーモニッシュな音楽を創り出すことはなかった。彼は自然児として地上に生まれ、そして自然児として生き抜いて、おおらかなままで消えていった。推敲や省察は、裏切りや解体や韜晦や眠れぬ夜は、この人の音楽の得意とするところではなかった。    しかし、、おそらくそれ故に、そのアポロン的に広大な哀しみは、ときとして、ほかの誰にもまねできないようなとくべつなやり方で、予期もせぬ場所で、我々の心を打つことになる。優しく赦し、そして静かに打つ。 》 (和田誠・村上春樹『ポートレート・イン・ジャズ』新潮文庫)

 キャノンボールはいつだって陽気だ。彼の吹くサックスの音色は、いつだって温かい。


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