WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

いとしのレイラ

2006年07月01日 | ノスタルジー

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 これも先日実家の倉庫の中から発見されたシングルレコード群の中の一枚である。「いとしのレイラ」のシングル。こんなのあったのですね。デレク・アンド・ドミノスではなく、エリック・クラプトンとクレジットされている。不思議だ。どうもこれは再発売されたもののようだ。曲も最後の変奏の部分がカットされており、アルバムlayla and other assorted love songs収録の同曲を聞きなれた耳には、唐突に終わる印象をうける。

 しかし、「いとしのレイラ」はそんなにいい曲だろうか。私のような元ギター少年にはとても印象的な曲である。コピーすると、あのリフが気持ちいいのである。しかし、ギター少年という立場から離れて純粋に音楽を聴いた場合、そんなに特別の曲なのであろうか。今回変奏部のないシングルレコードを聴いて、正直感動はなかった。

 確かに、「いとしのレイラ」がジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドへの激しい恋から生まれたものであることは、クラプトンを語るとき重要なことではあろう。また、デュアン・オールマンの空を駆け回るようなスライドギターは、印象的であり、すばらしいものである。けれども曲全体としてはイマイチかなと思ってしまう。

 「いとしのレイラ」が収録されているアルバムlayla and other assorted love songsは、クリームでインプロビゼーションをしていたクラプトンの音楽が、ブラインド・フェイスでサザンロックの影響を受けたものに変貌をとげ、それを発展させたものという意味で重要である。確かに秀作だと思うし、完成度も高いと思う。私も高校生の頃よく聞いたものだ。しかし、「いとしのレイラ」一曲だけ取り出して聴いてみると、正直これがそんなにいい作品だろうかと思ってしまう。しかも、あの感動的な変奏部がないのだ。

 クラプトンは、今では、ギターの神様という形容をしなくても、それだけでビックネームである。「いとしのレイラ」はその代表曲として取り上げられることが多く、反論が許されない雰囲気すらあるが、シングル「いとしのレイラ」に関してはあえて「王様は裸だ」といいたい。

 アルバムlayla and other assorted love songsについても、大変すぐれたアルバムだとは思うが、私としては代表作と冠するなら、461 ocean boulevard there's one every crowdあたりを推したい。

 高校3,年の夏休み、受験勉強もせずに、私は 461 ocean boulevard を何十回聞いたことだろう。何度聞いても聞き飽きない。サザンロックの名作である。


二葉百合子の「岸壁の母」(加筆)

2006年07月01日 | ノスタルジー

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 爆発的にヒットした一枚である。もちろん、先日実家の倉庫から発見されたシングルレコード群の中の一枚だ。講談師・二葉百合子による「岸壁の母」。私は好きである。涙なくしては聞けない。もちろん、ふざけているわけではない。この曲が流行した頃、私はまだ子どもだった。人々の中に戦争の傷跡へ思いが確かにあった。語りつがれてもいた。思えば、戦争の悲劇に対する感受性が正常に機能していたのは、この時代が最後だったのではないだろうか。

 戦争で行方知れずになり帰ってこない息子を、引き上げ船が来るたびに港へ探しに出向く母の姿。まっとうな日本人のまっとうな感受性、そしてまっとうな平和への願いだ。

 現代の若者たちは、そして大人たちは、この「岸壁の母」をどのように聞くだろうか。涙して聞く感受性を持ち合わせているだろうか。それともやはりパロディーでしかないのだろうか。

 いつの間にか、時代は大きくかわった。アフガン戦争、イラク戦争、日本の戦争へのかかわり。自衛隊の海外派兵は普通のことになった。世の中は、右傾化したといわれる。インターネットの掲示板をみると、確かに国家主義的な言説が渦巻いている。自らの考えにあわない相容れない言説を「サヨ」ときって捨てる硬直的な思考が渦巻いている。

 しかし思えば、こうした時代を準備したのは、「自由な」戦後民主主義だったのだろう。大正デモクラシーの風潮が昭和のファシズムを生み出す母体だったようにだ。けれども再び思う、政治理念や人々の考え方の変化は、理念や政治状況の変化以前に、歴史の根底にあるもの、すなわち戦争や他者の生へのまっとうな感受性が後退したことに起因するのではなかろうか。

 だから問題は難しい。理念や理論であれば議論することもできよう。けれども、「気分」や「感性」的な事象は自己充足的なことが多い。閉じられているのだ。インターネットの掲示板の不毛なことばたちをみるとそう思ってしまう。

 80年代に影響力をもった浅田彰は「時代の感受性を信じる」といった。彼はいまでもそう考えているだろうか。