萩原朔太郎の詩を読もう(2)
小林稔
浜辺 萩原朔太郎
若ければその瞳も悲しげに
ひとりはなれて砂丘を降りてゆく
傾斜をすべるわが足の指に
くづれし砂はしんしんと落ちきたる。
なにゆゑの若さぞや
この身の影に咲きいづる時無草もうちふるへ
若き日の嘆きは貝殻をもてすくふよしもなし。
ひるすぎてそらはさあをにすみわたり
海はなみだにしめりたり
しめりたる浪のうちかへす
かの遠き渚に光るはなにの魚ならむ。
若ければひとり浜辺にうち出でて
音もたてず洋紙を切りてもてあそぶ
このやるせなき日のたはむれに
かもめどり涯なき地平をすぎ行けり。
「浜辺」
第一詩集『月に吠える』出版前の、朔太郎初期詩篇である。短歌的な表白を残しながら、次のイマジスチック・ヴジョンに向かう実存的心情が見える。河村政敏氏は「悔恨人の抒情」という論考で、この詩の中間部「なにゆゑの若さぞや」以下三行に、「異常なほど深く突きつめられた孤独な自意識」を読み取り、「時間の重みを感じる最初の経験ではなかろうか」という。「わが身の悲哀が、その影に見つめられていることに注意すべき」と指摘する。「見つめられた生の孤独感が、「外部世界からの疎隔の意識」「自己乖離した自意識」「被虐的な自意識」となって、遠い遥かな世界に対する浪漫的なあこがれを誘っていた」と解釈しています。