ヒーメロス通信


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斉藤征義「三陸鉄道北リアス線」・橋本征子「柘榴」、詩誌「極光」17号。2012年1月31日発行。

2012年02月25日 | 同人雑誌評

贈られてきた同人雑誌より(1)

斉藤征義「三陸鉄道北リアス線」、橋本征子「柘榴」
詩誌『極光』第17号20012年1月31日発行

 

 長年詩を書きついてきたであろう、北海道に在住する実力のある16名の同人が、
それぞれ一家をなすような詩作品を掲載している。今回特に心に残ったのが、去
年の3・11の東北大震災に訴えかける斉藤征義氏の「三陸鉄道北リアス線」と、橋
本征子氏の「柘榴」であった。まず前者は関東地方にまで放射線を運んできて下
水処理場を汚染した出来事を描いている。

 3月15日の雨が 北西方向へ泥の帯をくねらせ
 だれがそんなに急がせたのか
 だれの眼にも見えない胞子を吐き
 紺青色キラキラ青く
 だれの眼にも逆さまに映った
 モササウルスの骨にからまり
 ねらいどおりに
 都市をねらったのだ
               「三陸鉄道北リアス線」第二連

 モササウルス(海の王者とも言われる白亜紀に生存した大型動物)の形状を借
りて雲を表現している。都市まで運ばれた雲(放射線ブルーム)に降る雨が放射
線を撒き散らした。実際、3月15日に関東地方を襲った事件であった。

 ブドリよ
 でてこい
 ねらいどおりに
 トーキョーをふるえあがらせたぞ
               「同」第四連

 ブドリとは、宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」のブドリであろう。地
熱発電を開発した科学者で、フクシマ原発と科学者のあるべき姿を重ねて呼びか
けているのだろうか。もう一度この童話を読んでみようと思った。その後の連で
は震災で破壊された鉄路が描写されている。

 このさざなみの重さ
 重く 重く ふるえる青い光の重量が
 わたしをわたし自身であろうとする根拠を
 ぐらぐらさせる
           「同」第六連最終行

 ここから詩人の心情の吐露が始まっている。今回の震災と原発事故で日本人の
多くが自分自身の根拠を危くさせられたのではないか。

 ここまできたら もう滅びることはかいまみえているのに
                        「同」第七連の部分
 
 なんという絶望感だ。わたしたちはついにここまできてしまった。深く沈んだ
沿岸を思うにつれ、どうすればいいかなど想をえることなど愚かしくさえなるの
だ。わたしたち皆が持ってしまった無力感であろう。

 見えない敵に引張られて
 もう ファンタジーは何も救ってはくれない
 線量計の数字が
 ふるえている
                        「同」最終連

 このような現況から今後、文学は詩は何を語ることができるのか。一人ひとり
の自己がいかに生きていくべきか、自分に問いただす創作行為に向かうだろうと
私は思えてならない。斉藤氏の「三陸鉄道北リアス線」という作品は、無駄のな
い言葉で創造力を駆使して私たちに今一度、今回の震災の意味を脳裡に焼き付け
てくれる秀作であった。

 もう一つの作品。橋本征子「柘榴」は、果実の存在感を周囲にまつわる人間と
その事象を置きながら鮮やかに描き出している。現在時から始まり、過去時にさ
かのぼるが。その境界はいっそう不分別になっていく。二連目はルアンダの少年
から渡された柘榴を裂き、食む行為を描いているのであろう。そうしているうち
に、次の連ではルアンダの内戦の追憶の場面で、赤ん坊に乳をあげる少女の乳房
の形状に柘榴を見ている。つまりここでは柘榴を主役に立てながら、人事を(そ
れは刻々と移りゆく!)、背景に印象深く映像のように流しながら、いつも変わ
らない柘榴の姿を私たちの眼前に克明に描写しているように思う。

 喰らいつく 甘くて酸っぱい血のに凝り
 強く吸いとった果汁が粘つくように わ
 たしの喉を通る がりがりと噛んだ種子
  舌を刺激し 苦さを残す 吐き出され
 た種子の累積 固く紅い果皮の不規則な
 炸裂 食いちぎられた皿の上の柘榴は空
 気に触れて 赤黒く変色し 小動物の臓
 物にも見える 柘榴がフランス語で榴弾
を意味することを知ったのは何時の頃だ
ったろうか
               「柘榴」第二連後半部

 これらに作品のほかにも、巻頭の、岩木誠一郎氏の『遠い空』や、原子修氏の
『叙事詩「原郷創造」第一楽章 祖霊巡歴 水の祖霊、天津波』の連作を興味深
く読んだ。