緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

不思議な漢方薬

2006年03月24日 22時43分16秒 | 詩論私論
 祖父はかつて漢方医であった。時に僕は薬草の倉に行ったことがある。その匂いが好きである。沢山の木製箱にさまざまな薬草が静かに置いてあった。僕には不思議な発見があった。

 たくさんの薬草が日常生活でよく見えるものなんである。蜜柑の皮、柳の若葉、菜の花。祖父がよく僕に漢方医や薬草について教えてくれた。漢方医によれば、日常生活の中にある沢山のものが薬として使える。露をも使える。リサイクルという言葉はなんとなく西洋のものや仕方なので、中国の漢方医によって、たぶんこの地球に存在するものは全部薬として使えるであろう。

 だからこそ、菜の花や柳の若葉などのどこでも見えるものをよく利用して、人を救うだけではなく、地球をも救うかもしれない。不思議な薬草で、不思議な奇跡ができるかもしれない。露も薬であるからだ。


2006年03月24日 13時21分58秒 | 青色思出
 三年生の時の出来事であった。その日、図書館で資料を調べてから帰宅しようとした時、雨が降ってきた。一階のホールの前で雨が止むのを待っていた間、一人の女子学生が日本語で「先輩、友達が傘を持っていますから。私の傘を使ってください」と言った。知り合いではなかったが、とても親切に言ってくれた。僕はその素敵な婦人用傘を差して寮に帰った。

 その後、僕は色々考えた。それ以前、自分が傘を持っていても、雨が止むのを待つ他の人に傘を貸したことはない。男女二人で一本の傘を差したことはなおさら。なぜかというと、相合傘というのは恋のシンボルであるからだ。しかし今、その女子学生の「私の傘を使ってください」という声が頭に浮かんで、すごく恥ずかしいと思う。

これから、僕も雨の日に傘を忘れた人に自分の傘を差してあげたい。相合傘の意味を気にしないほうが良かろう。 そうすれば、僕が人生の風雨に足止めをくらった時、誰かがきっと傘をさしかけてくれるだろう。

 川端康成の作品<傘>を一度読んだことがある。恋物語のような感じで抽象かつ難しい。分からなかった。今日僕も<傘>について文章を書き、簡単にする。
 作文の先生がメールでいろいろ教えてくれた。とても嬉しいです。

私のデビュー詩

2006年03月24日 13時13分37秒 | 詩論私論
アパートの下に
青いゴミ箱が立ってる
大きな口を開けて
静かに立ってる

汚いもの
だめなもの
なんでも食べる
青い体が太くなってる

青いゴミ箱は
黙々と
なんでも食べる
大きな顔に
いつも大きな口

でんどう三輪車さんからのコメント:何と言っても着眼点が素晴らしいね。普通は花とか月とか美しいものに囚われるものですが、ゴミ箱に思いをかけたところが素晴らしいね、中学の時に学校の図書室でアポリネールの詩を読んで感動したことがあります。それは小便をしている詩でした。驚きましたね。詩は何処にでも感動があれば生まれるのですね。頑張ってね。

南方少年

2006年03月24日 13時05分55秒 | 若い詩歌
午後の長い路地

日差しが見えない一瞬



南方は依然──菊の秋

無邪気な少年が

黒い髪を結び 

後姿が消えた遠方

──濃霧のない所



君の微笑

夕焼けのごとし

木戸のそば──

一人の南方少年



果樹園にも

川浜にも

君の笑い声が

枝に掛けた秋と

一緒に実った



今の君

変わりがあろうか



たくさんの思い出が

──流れ雲の隙に

隠見した┄


神様の耳

2006年03月24日 12時57分03秒 | 詩論私論
食堂で昼ごはんを食べている。向こうの席に座っている二人の女子学生が食べながら話し合っている。中の一人は日本語で、「ね、あの男、阿呆みたい」と小さな声で言った。隣に座っている仲間はご飯を口から出すほど笑い出した。僕は後ろを見ると、その言われる阿呆さんは美味しそうに食べている。

僕は黙って何も話さなかった。たぶんその女子学生は自分が日本語で言ったから、他人は分からないだろうと思うが、不幸なことには、向こうのこの耳が分かる。僕も陰で他人の悪口を言ったことがあるから、今考えればとても悪い。きっとこの世のどこかで神様が耳を立てて、人間の声を聞いているだろう。

神様はすごい。小さい声でも外国語でも分かる。気をつけて、君のそばに座っている方は神様かもしれない

平凡な肉体

2006年03月24日 12時49分49秒 | 時事雑感
 今日は朝日新聞で「皇太子ご一家、上野動物園に」と言う記事を読んだ。なぜ敬宮愛子さまはワニが水しぶきを上げる様子に歓声をあげたりしていたのか。僕はとても不思議だと思う。

 多分皇族があまりこういう自然に接触しないだろう。だから、水しぶきを上げる様子にそんな大げさな歓声をあげるのか。

 いつもテレビの表敬訪問などを見ている時、画面の中の外賓を保護する警備員がいる。みんなは外賓のような偉い人になりたがるだろう。が、彼らが自由なのか。ぼくは疑問を持っている。やはり皇族やリーダーなどには自由性がないね。

 だから、僕は平凡な人間になりたい。この平凡な肉体が大好きだ.