休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

今出川通界隈① ~後二条天皇陵と進々堂~

2013-05-28 01:31:15 | 史跡を歩く
 久しぶりの京都である。京都らしいところということで、今出川通を歩いて京都大学の近くにある「進々堂」に行ってみることにした。京都には、「さてん」文化があった。僕が学生だった頃は、友達とだべりに行くところはさてんだったし、一人でゆっくり読書を楽しむところもさてんだった。京都には、そういったさてんが多くあった。進々堂もその一つで、戦前からある老舗と言ってもよいお店である。
 
 

 レンガ造りのお店に入ると、年季の入った長机と長椅子が並んでいる。ここで何冊でも本を持ち込んで、ゆっくりとした時間を過ごしてくださいと言わんがばかりのお店の雰囲気がいい。何時間でも店内に居れそうな、実に落ち着いたたたづまいである。
 そして、中庭では、グループで昼食会が行われていた。談笑をされていたが、ランチをする、コーヒーを飲むだけではもったいない時間が流れている。

 カレーのいい匂いがしていたのだが、その時はお腹が一体だったので食べれず。新福菜館を見つけたのでそっちの方につい入ってしまった。残念。代わりに修学旅行の学生がおいしそうに食べていた。

 お店の周りは、京都大学。やっぱりなんか違うなあ。

 理学部、農学部の前を横切る。京大のアメフト部のグラウンドはここにあるのかなどと思う。

 そうしていると、京都大学の建物の間に、ちょっとこんもりとした塚が見える。後二条天皇北白川陵である。

 

 後二条天皇については、鎌倉時代末期の天皇である。皇室が大覚寺統と持明院統に分裂し、それぞれの皇統が交互に皇位につく両統迭立の時代である。後伏見天皇の後を受けて、1301年に即位。1308年に死去。在位期間は7年であった。即位の年、1301年について調べると、ハレーすい星が現れた年であり、著名な人物では、南朝に使えた新田義貞が生まれた年であった。
 
 後二条天皇の死去の後は、持明院統の花園天皇が即位、そして後二条天皇の皇子、邦良親王が幼かったため、皇太子になったのが後の後醍醐天皇となった尊治親王であった。邦良親王は、後醍醐天皇の即位の後、皇太子となるも早逝している。しかし、後醍醐天皇の位置づけは、あくまで後二条天皇の系列に皇位をつなぐための中継ぎの天皇であったため、自分の子孫に皇位を伝えるためには、両統迭立をバックアップしていた鎌倉幕府を倒さなければならなく、これが後醍醐天皇の挙兵の一因であったといわれている。

 そういう視点で見ると何とも不思議な気持ちになる。しかも後二条天皇陵の横には、邦良親王の墓所もある。

 

 しかし、考えてみると、中世の天皇陵ってどれだけ信憑性があるのだろうか。後二条天皇は、死後火葬に付され、北白川殿に埋葬されたと伝える。少なくとも古墳ではないのだが、こういう塚を指定している。これは寺院か何かの基壇なんだろうか?古代の天皇陵は何かと議論がなされているが、中世の天皇陵はいかがなものなんだろう???

 興味のあるところだね。

 

 後二条天皇陵から今出川通に出ると、真東に大文字山が綺麗に見えた。銀閣寺まではもう少しだ。
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