休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

幻の大仏鉄道を歩く ① ~JR奈良駅から黒髪山トンネル跡~

2016-11-06 00:51:11 | 史跡を歩く
 かねてからずっと歩いてみたいなあと思っていた大仏鉄道の遺構めぐり。全行程で約13km、所要時間約3~4時間。これならひざを痛めて医者通いをしている私のリハビリにちょうどいいかなということで実行に移してみることにした。まずは、JR奈良駅へ。たいていは加茂駅が出発地点になっているのだが、加茂駅へ行く電車が少なく、かなり待つことになるので、それなら奈良駅から歩いて歩き切って加茂駅で電車を待っている方がよかろうということでJR奈良駅から出発することにした。

 

 写真は、旧の奈良駅舎、JR奈良駅の高架に伴い、約18m動かして保存された。現在は観光案内所になっている。JR奈良駅から、北へ向かい、船橋通り商店街の中を歩いていく。周りの景色が平成から昭和に移り変わっていく。どこかノスタルジックな雰囲気をもったまちである。残念なことに最近の地方の商店街と同じくあまり人がいる雰囲気がない。
 この船橋通り商店街を抜けると正面に大仏鉄道記念公園に出る。

 

 この公園は、大仏駅の跡地に平成4年に作られたのだとのこと。公園内には、汽車の動輪のモニュメントが置かれている。大仏鉄道は、加茂駅からこの大仏駅、そして奈良駅を結ぶ路線として1898年に開業している。開通した当時は、この大仏駅から奈良の大仏を見に行っていたらしい。しかし、この大仏鉄道も1907年には廃業されている。わずか9年の命であった。

 

 この公園を右折して歩いていると途中に万葉歌碑があった。

 

 碑に刻まれている歌は「我が背子が 見らむ佐保道の 青柳を 手折りてだにも 見むよしもがも」坂上大伴郎女の詠んだものである。今歩いている道はおそらく一条通であろうなあ。しばらく歩くと県道にあたり、今度は県道に沿って北上することになる。
 県道をしばらく歩くと、鉄の塀に囲まれた遊園地跡を見ることができる。これがドリームランドの跡地である。

 

 ドリームランドは1961年に開園された。私も小さい時から知ってはいたのだが、結構、交通の便が悪いため、あんまりいった記憶はない。ただ、子どもが幼稚園に入るぐらいの時、一度だけ行った。閉園は2006年である。この時期は、あやめ池遊園地など関西の郊外にある遊園地は軒並み閉園になっている。
 小さい時からなじみのある遊園地などがどんどん閉園されていくのは何となく寂しい気がする。このドリームランドの跡地については、どう活用されるのか未定みたいである。

 ドリームランドからしばらく行くと、黒髪山トンネルの跡地を通る。

 

 もともとはここにトンネルがあったらしいが、道路の拡張により取り壊されたとのこと。当時の様子をしのばせるものはないが、道の上に架かる跨道橋がトンネルがあったことを想像させてくれる。黒髪山という地名は、珍しいが、古事記や日本書紀に書かれている沙穂姫に由来するものであるらしい。また万葉集にも黒髪山を詠んだ歌が収録されている。

 

 黒髪山トンネル跡を過ぎ、おそらくこの道の両側に奈良時代の女帝である元明天皇と元正天皇の陵がある筈だなと思いながら歩いていく。てくてく歩いているうちに、左手に国境食堂が見える。ちょうどお昼時にもなったことであるし、ここで昼食をとることにした。

 

 国境食堂というぐらいだから、ここらあたりが大和の国と山城の国の境目なんだろうか。お昼ご飯はおススメのカツ丼注文する。いやー、値段の割に量の多いこと。お客さんが多いのもわかるわあ。

 パート②へ続きます。
  
 

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