ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

それでも、ニコラ・サルコジしか、いない。

2011-02-28 21:21:07 | 政治
世論調査と言われるものに、疑いの眼差しを向ける人がいます。対象者はコンピューターによる無作為抽出とは言うものの、本当に偏りがないのかどうか。サンプル数は、客観性が保たれるほどに十分なのか。結果に意図的な操作が加えられてはいないのか・・・さまざまな憶測、あるいは危惧を抱くことさえあり得ますが、されとて現状ではほかにデータがないため、少なくとも参考にするほかはありません。

日本ではメディアが実施している場合が多いですが、フランスでは、調査専門会社が調査設計やら実査、結果の集計までを行っています。その結果をメディアが公表する場合には、実施した調査会社名を明記しますし、依頼主(お金の出どころ、メディアが一般的)も明示することになっています。また、調査方法、サンプル数、年齢・性別・支持政党ごとの割り当て(le quota)なども同時に公表する場合も多くあります。日本よりは信憑性が高いような気がします。

そのフランスでも、大統領府(l’Elysée)が匿名で調査を依頼していたことが会計監査院の調査で分かってしまい、2009年7月、大きな問題になったことがあります。ある世論調査の結果が『ル・フィガロ』紙などに掲載されました。その調査は“OpinionWay”という調査会社が実施したのですが、スポンサー、つまりお金の出所がメディアではなく実は大統領府だった。しかも支払った額が、約40万ユーロ(現行レートでおよそ4,500万円)。その世論調査、結果に何らかの操作が加えられていたのではないか。そう思われても仕方ありません。しかも、メディアによって伝えられる内容が、国民をミスリードしてしまう場合もありますから・・・日本の戦前を振り返っても、頷けることです。

こうしたいろいろな問題をはらんでいるとはいえ、最初に述べたように、他に頼れる客観的なデータがないので、やはり世論調査はそれなりに参考することになります。来年の大統領選挙、誰が勝利を収めそうなのか。24日の『ル・モンド』(電子版)が最新の世論調査の結果を伝えています。

2012年の大統領選挙、59%の国民が再選を望んでいないにもかかわらず、サルコジ大統領は右派陣営の中では最も有力な候補者になっている。メディアグループ“BFM・RMC・20 Minutes”の依頼で調査会社“CSA”が行った世論調査の結果は、このような逆説的なものとなった。それはなぜか。右派陣営では唯一、第1回投票で極右・国民戦線(le Front national)のマリーヌ・ルペン党首(Marine Le Pen)を上回れることができるからだ(第1回投票には、多くの政党から候補者が出そろい、誰も過半数を上回れない場合、上位2名の決選投票になります。現時点での調査結果では、社会党候補としてIMF専務理事のドミニク・ストロス=カンが立候補した場合、トップになるのは間違いありません。従って、もし与党候補がマリーヌ・ルペン候補の後塵を拝するとなると、決選投票に進めない大敗北になってしまいます)。

サルコジ大統領に2期目を目指してほしくないと答えた調査対象者が59%、目指してほしいが33%、どちらとも言えないが8%だった。右派支持者に限っては、69%が再選へ向けた出馬を支持し、29%が反対、どちらとも言えないが2%だった。

もし与党候補がニコラ・サルコジでないとしたら、替わりになりうるのは誰か、という質問に対しては、フィヨン首相(François Fillon)が62%でトップ。続いて18%で与党・UMP(国民運動連合)のコペ幹事長(Jean-François Copé)、13%のボルロー前環境相(Jean-Louis Borloo)、2%は他の誰か、1%は誰もいない、となっている。

もし与党候補がサルコジ現大統領、社会党候補がドミニク・ストロス=カン(Dominique Strauss-Kahn)IMF専務理事だとした場合、第1回投票で誰に投票するか、という質問に対しては、ドミニク・ストロス=カンが28%でサルコジ大統領を抑えてトップ。2位がサルコジ大統領で23%、続いて国民戦線のマリーヌ・ルペン党首で18%、さらには反資本主義新党(le Nouveau Parti anticapitaliste)のスポークスパーソン、オリヴィエ・ブザンスノ(Olivier Besancenot)が8%、左翼党のジャン=リュック・メランション党首(Jean-Luc Mélenchon)が6%、中道・MoDemのフランソワ・バイルー党首(François Bayrou)が5.5%、新党を立ち上げた前首相のドミニク・ドヴィルパン(Dominique de Villepin)が5%、緑の党の欧州議員、エヴァ・ジョリー(Eva Joly)が4%、サルコジ支持の元国防相で新中道のエルヴェ・モラン党首(Hervé Morin)が1%、極左政党・労働者の戦い(Lutte ouvrière)のスポークスパーソン、ナタリー・アルト(Nathalie Arthaud)が1%。

また、もし与党候補がサルコジ大統領でない場合、与党候補と国民戦線のマリーヌ・ルペン党首との戦いは・・・UMPのコペ幹事長なら12%、ボルロー前環境相でも同じく12%で、18%のマリーヌ・ルペン党首に敗れてしまう。フィヨン首相がようやく同じ18%でマリーヌ・ルペンに並ぶことができる程度だ。この3人の与党候補に対しては、ストロス=カン社会党候補はその差を大きく広げて、楽勝が期待できる。

・・・ということで、与党・UMPはかなり追い込まれています。国民の人気が就任時から大きく下落してしまったサルコジ大統領。もし社会党候補としてストロス=カンIMF専務理事が立った場合、大統領に勝ち目はないようです。しかし、他に強い候補がいない。サルコジ大統領以外では、第1回投票で早くも消えてしまうかもしれない。消去法的に、サルコジ大統領を押すしかない、という結果になっているようです。

一方、ストロス=カン支持者は多く、しかも社会党支持者だけには限らないような気がします。その国際的な活躍がメディアによって頻繁に報道されていますから、その影響もあって中道や右派陣営からも支持者を集めているのではないでしょうか。自分は社会主義者だというストロス=カン氏ですが、経済学博士にしてIMF専務理事を務めた後での国家運営、はたして伝統的な社会主義者としての道を歩むのかどうか・・・

また、ヨーロッパ全体を覆い始めている外国人排斥の機運、国家主義、あるいは民族主義の台頭、そうしたトレンドに乗って支持率を伸ばす極右・国民戦線のマリーヌ・ルペン代表。極右とはいえ、女性ならではの視点もあり、今までの極右とは一味異なるようにも思われ、支持の裾野を広げているのではないでしょうか。

あと1年少々、大統領選へ向けて、報道も過熱していきます。結果として、どの世論調査が正しかったのか・・・2012年以降の調査会社の信用度、ひいては経営を大きく左右するのかもしれません。

農業見本市でサルコジ大統領が提起したことは・・・?

2011-02-27 20:59:21 | 政治
毎年この季節になると行われる農業見本市(le Salon de l’agriculture)。パリ15区、ポルト・ド・ヴェルサイユ(Porte de Versailles)にある見本市会場(Parc des expositions)で開催されますが、会場内には多くの家畜がひしめき合い、農産品、加工品から農業従事者が喜びそうな日用品までが販売され、もちろん、試飲・試食、そして多くのカフェテリアが店開きをします。

フランスが農業大国であることを実感させてくれるイベントなのですが、ここで人気があるのが、シラク前大統領。農業従事者や畜産業者と気さくに話をし、歩きながら様々な食品を頬張る姿は、いかにも農業大国の家長的な雰囲気があります。今年も訪問しましたが、大きな花束を抱え、ジャック・シラクの到来を待ち構えている農民もいて、その人気、今だ衰えず、といったところです。

一方、逆に、農業見本市が鬼門のようになっているのが、サルコジ大統領。2008年に訪問した際には、見学者と握手をして愛嬌をふりまいていましたが、ある男性から「触るな」と拒否されてしまいました。何だと、俺を誰様だと心得る、共和国大統領だぞ、と一気に頭に血が上った大統領、「お前こそ、さっさと失せやがれ」(Casse toi alors pauvre con.)と大統領の品位もあらばこそ、絶叫してしまい、大問題になりました。高級住宅街・ヌイイー(Neuilly)育ちで、派手好きの大統領に、農業は合わないのかもしれません。

しかし、大統領たるもの、農業見本市に行かないわけにはいかない。今年も出向きましたが、そこで語ったことは、農業に直接関係のないこと・・・「イスラム」についてでした。どう語ったのでしょうか。19日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

19日、農業見本市の開会式で、サルコジ大統領は、左派と右派の溝を深めるだけでなく、極右・国民戦線(le Front national)を喜ばせるようなテーマを喚起した。すなわち、フランスにおけるイスラム教の居場所だ。

人々を分断し、お互いに反目させようとする試みがよくなされるが、私はすべての人々を統合させようと努めている。開会式に押しかけた農業従事者や畜産業者を前に、サルコジ大統領は、こう語った。

国民を分断させて、いがみ合わせることは、間違っており、唾棄すべきことだ。誠実に、そして極端に走らないことが大切だ。私は「イスラム教」の問題と我々の同胞である「イスラム教徒」との間に橋をかけようと思っている。我らが同胞のイスラム教徒を問題視することには反対だが、同時に、共和国の価値観や政教分離と相容れないイスラム教にもまた反対する。大統領は、このように言葉を継いだ。

国民戦線のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen:現党首)が、イスラム教徒たちが街頭で礼拝を行ったのをナチの占領にたとえてから数週間、大統領は先週、イスラム教のいくつかの宗教行事はフランスにおいて明らかに問題になると述べた。しかし、イスラム教を中心とした宗教活動についての是非を大統領が語ることについては、与党内からも反対の声が上がった。

前国防相のエルヴェ・モラン(Hervé Morin)は、右派の議員たちに極右の領域に入り込まないようにと呼び掛けた。中道のリーダーであるモランは18日、嫌悪を掻きたてたり、スケープゴートを見つけたり、恐怖を弄んだりするようなことは慎むべきだ、とコミュニケで述べている。

また、12年の大統領選出馬をめざすエコロジストのエヴァ・ジョリー(Eva Joly)は、サルコジ大統領は、支持率回復を狙うあまり、フランス第2位の信者数を持つイスラム教を公然と批判してしまっていると述べている。欧州議会議員であるエヴァ・ジョリーは19日、テレビ番組で、すべては支持率回復のための議論であり、ヨーロッパの多くの国で勢力を拡大している人種差別主義者を喜ばすだけだと、大統領を批判している。

19日に発表になった二つの世論調査によると、極右・国民戦線は大統領選における投票先で、かつてない高い支持を集めた。マリーヌ・ルペンへ投票するという調査対象者の割合は、それぞれ17%と20%だった。

与党・UMP(国民運動連合)の2012年大統領選挙対策担当者でもあるブルーノ・ルメール農相(Bruno Le Maire)は18日、次のように述べている。イスラムを中心とした宗教の問題にわれわれ与党は取り組むべきだ。さもなければ、有権者は国民戦線の方を向いてしまうだろう。現在、共和国の原則を逸脱したいくつかの問題やイスラムに関する国民の不安感が指摘されている。その影響で、国民戦線への支持は拡大している。そして、もし失業や劣悪な住環境といった他の深刻な社会問題にわれわれがきちんとした解決を提示できなければ、人々はストレスを発散させるべく、次のような投票行動を取るだろう。現政権は俺たちの要求を聞き入れてくれなかったんだ。それなら、極右に投票しようぜ。

・・・ということで、イスラム教が大きな問題になっているようです。以前は、イスラム教徒という人々が問題の対象でしたが、今日では「人」ではなく「イスラム教」が批判の対象になっています。たぶん、「人」の問題にしてしまうと外国人排斥を訴える極右政党への支持に繋がってしまう。しかし、この問題に触れないと、街頭での礼拝、モスク建設、ブルカ、ニカブなど全身を覆う服の着用、一夫多妻の実行などで目立つ存在になってきているイスラム教に不安を抱く国民がそっぽを向いてしまう。フランスの現政権は、危ない綱渡りを強いられているようです。

そうした状況だけに、「アラブの春」に続く、津波のように押し寄せる北アフリカからの新たな渡航者たちの動向にメディアの関心が集まっています。チュニジアからイタリアのランペドゥーザ島(Lampedusa)に。そこからイタリアを列車で北上。そしてついに、フランスへ。チュニジアは旧フランス領だっただけに、フランスを目指す人が多いようです。列車内でも、新聞などで顔を隠してとにかく目立たないようにして、なんとか無事フランス領内へ。そうしたチュニジア人に同行取材したルポルタージュが、France2でも放送されていました。

「アラブの春」がモロッコにも広がると、チュニジア人どころではない数のイスラム教徒がフランスに逃れてくることになるものと思われます。イスラムの宗教行事を頑なに守りとおす人々への反感、嫌悪感がヨーロッパを覆うとしているタイミングで、急激に増えるイスラム教徒。「アラブの春」は思わぬ形で、西欧に重い課題を与えようとしています。

外国人への参政権、フランスでも賛否両論。

2011-02-25 21:16:29 | 社会
日本でもときどき物議を醸す、外国人への参政権の付与。フランスでも、思い出したように話題になるようです。フランスの現状は、EU加盟国出身者に限り、地方レベルでの選挙権と被選挙権を認めるというもの。ただし、6カ月以上の居住または5年以上にわたって直接地方税を納入していることという条件が付いています。

外国人の参政権についての最近の動きを、15日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

左派陣営が、地方選挙レベルにおいて外国人居住者へ選挙権、被選挙権を与えるべきだという提案を行っている。27市の市長たちが、ほとんどが社会党所属だが、15日、上院において、彼らの民主的な要請に対して行政、および国民の間での議論を喚起した。

運動をリードしたのはストラスブール市だ。ヨーロッパ議会(ストラスブールにあります)の支援を得て、昨年10月、外国人居住者による議員集会を行った。この動きは、パリ、トゥールーズ、ナント、リール、グルノーブル、メッツ、カーン、ブザンソンなど他の大都市や、サンドニ、オーベルヴィルなどパリ首都圏の都市に広がった。それらの都市では、居住外国人の議会や行政の垣根を越えた委員会などがつくられている。

ストラスブール市長のローラン・リ(Roland Ries)は、もう一段、新たなステップへ踏み出すべき時に来ていると述べている。市長は、また、地方参政権の付与により、居住外国人はその町での暮らしにいっそう溶け込むことができ、共生にともに参加することができるようになる。そしてそのことを地域住民の多くも理解していると考えている。

1992年のマーストリヒト条約の成立以降、地方レベルでの参政権がEU加盟国出身者に限り認められるようになった。27人の市長たちの提案は、地方選挙における参政権を出身国に関わらず、すべての居住外国人に拡大しようというものだ。

こうした提案は、実は1981年の大統領選挙において、フランソワ・ミッテラン(François Mitterrand)が掲げた101の提案(les 101 propositions)に含まれていたのだが、当選後、2期14年の間、何ら前進を見なかった。

また2000年5月、コアビタシオン(la cohabitation:所属勢力の異なる大統領と首相が共存する状態、2000年当時は右派のシラク大統領と社会党のジョスパン首相)の時代、同じ提案がいったんは下院で多数派を占める左派陣営(社会党・緑の党・共産党)の賛成で可決されたのだが、ジョスパン首相(Lionel Jospin)は上院へ送ることを拒んだ。

右派陣営はこうした提案に反対なのだが、その理由は、選挙権は市民権と密接に結びついているからだ、というもの。フィヨン現首相も2000年当時、社会党議員によって提案された法案について、市民権との結びつきを根拠に反対をしていた。

サルコジ大統領は、内相だった2005年当時、居住外国人への参政権付与について、厳格で思慮深い議論を始めるべきだと述べていたが、2007年に大統領選に立候補した際には、こうした考えはどこかに消えてしまっていた。

・・・ということで、政治的立場の違いを超えて、政治家の約束は、フランスにおいても、単なる口約束に終わることが多いようです。しかも、口約束をいかにも実現しそうに思わせる術、当選してしまえばすっかり忘れてしまえる技に長けた政治家ほど、権力の階段を上まで登っていけるようです。これもひとつの不条理、と言えばいいのでしょうか・・・

ところで、外国人に選挙権を与えている国はいくつくらいあるのでしょうか。自分の国ではどうすべきか、という事を自分の頭でしっかり熟慮する前に、すぐ外国の例を見ようとするのは、つねにキャッチアップをしてきた日本人の性で仕方がないこと、と自己批判、そして自己弁護しつつ、ウィキペディアで調べてみました。

以下は、いずれも滞在期間・在留資格・年収などの要件で一定の制限を課す。
・居住する外国人に対し、地方レベルの投票権を、国内の全域で、国籍を問わず、付与している国家の数は、24ヶ国。
・これらに超国家的グループ(スープラナショナリズム)の加盟国が相互に限って投票権を認めている国家を合わせると、39ヶ国。
・地方レベルに加え、国政レベルの投票権まで認める国家の数は、11ヶ国(その内の7ヶ国は、国籍を制限している)。
・地方レベルの投票権に加え、被選挙権まで認める国家の数は、26ヶ国(その内の12ヶ国は、国籍を制限している)。
・「先進国クラブ」と言われる経済協力開発機構(OECD)の加盟34ヶ国の内で外国人参政権を地方レベルで認めている国家の数は、30ヶ国で、国政レベルに限れば7カ国である。(以上、ウィキペディアの外国人参政権の項目より)

超国家的グループとは「EU」や旧英領の国々による「コモンウェルス・オブ・ネイションズ」などを指しています。OECD加盟34カ国中30カ国で地方選挙での参政権を居住外国人に認めている・・・日本は残された少数派。しかし、日本がこれで良いと心底思うのであれば、最後の1カ国になっても、方針を変える必要はないと思います。ただし、熟慮に熟慮を重ねた結果なのか、心情的な思い込みによるものかは、はっきりと検討すべきものだと思います。

因みに、お隣の韓国は、地方レベルでの選挙権のみ居住外国人に認めています(被選挙権は認めていません)。ただし、永住資格取得後3年以上経過した19歳以上の外国人、という条件をつけているそうです。華僑からの要求を受け入れての法整備だそうですが、永住外国人に選挙権を認めているのは事実です。

国際化に伴い、ヒト・モノ・カネが国境を越える、と言われ始めて20年、あるいはそれ以上になるのではないでしょうか。実際、貿易額や海外への投資も増え、海外に旅行に行く人はもちろん、駐在などで海外に暮らす日本人も増えています。当然日本に来る、あるいは暮らす外国人も増えています。そうした動きに、法整備や行政が機敏に対応できているのでしょうか。

ただし、ここで言う果断な対応とは、何が何でもすべてを他国に合わせればよいというものではなく、日本が直面している課題と日本の将来像をしっかりと認識し、十分に(ただし時間をかけずに)熟慮・議論をし、一度決められたものは間違いなく実行するということです。外国人への参政権も、そうした課題の一つなのかもしれません。政治家の大きな声に惑わされない、しっかりとした国民的検討が今一度、必要なのではないでしょうか。

パリのDSK、メディアを走らす。

2011-02-24 21:01:26 | 政治
IFM(仏語ではFMI;le Fonds monétaire international)の専務理事を務めているドミニク・ストロス=カン(Dominique Strauss-Kahn)。フランスではよくDSKという略語で、ある種の愛着をもって呼ばれています。経済学博士号を持っており、母校のパリ政治学院で経済学の教授も務めていました。また、ENAやスタンフォードの客員教授も務め、社会党の国会議員としても経済・財政のエキスパートとして活躍してきました。下院の財務委員長をはじめ、産業・通商大臣、経済・財政・産業大臣などの役職もこなしてきました。

そして、3年少し前、サルコジ大統領の推挙でIMFの専務理事に。社会党員でありながら、右派・UMP(国民運動連合)のサルコジ大統領の誘いに乗ったと、一部では非難されましたが、IMF専務理事としての活躍で、今や社会党のみならず、多くのフランス国民にとって、次の大統領選へ向けての期待の星になっています。世論調査では、次期大統領にふさわしい政治家のトップに推されています。

IMFの本部はワシントンにありますので、DSKは妻のアンヌ・サンクレア(Anne Sinclair:ジャーナリスト、元TF1の看板キャスター、特に1984~97年に担当した政治番組“Sept sur sept”で好評を博しました)とともにアメリカ暮らしを続けていますが、G20がパリで開催されたため、先週後半、パリに戻ってきました。そこで待ち構えているフランス・メディアが聞き出そうとしたのは、IMF専務理事としての世界経済の舵取りではなく、12年の大統領選に立候補する意思があるのかどうか。

『パリのアメリカ人』ならぬパリのDSK、仲達ならぬメディアをどう走らせたのでしょうか。20日(日)の『ル・モンド』(電子版:午後3時公開)が伝えています。

DSKは先週末、明らかに12年大統領選の仮想候補だった。パリに滞在した3日間、多くのメディアが彼の大統領選出馬に関する言質を取ろうと必死に食い下がったが、いずれも巧みにかわした。

日曜日、France2の夜8時のニュースが今回のフランス滞在、最後のメディアへ登場となる。そこで、IMF専務理事の2期目は続投しないという大統領選出馬へ向けたシグナルをフランス国民へ送ることができるはずだ、と日曜紙“Journal du Dimanche”はパリ滞在の有終の美を飾る発言を期待している。

DSKのIMF専務理事としての任期は、2012年11月までであり、もし大統領選に立候補するのであれば、任期途中で辞任する必要がある。IMF専務理事はヨーロッパ人、世界銀行総裁はアメリカ人という、ワシントンの妥協(le compromis de Washington)があるが、最近、DSKはいく度となく将来、IMF専務理事のポストには新興国出身者が就くべきだと、あたかも自分の後継者を暗示しているかのような発言をしており、いよいよ早期辞任かという憶測を呼んでいた。

しかし、IMF専務理事のポストは、加盟国の内政に口をはさむことを禁じられており、DSKもその周辺もこの3年半で、いかにメディアの質問を巧みにはぐらかすかということを体得している。妻のアンヌ・サンクレアは、早いフランスへの帰国を望んでいるという発言で、2期目は望んでいないというニュアンスを伝えている。そこで、France2の番組で妻の望みをかなえるような発言があるのではないかと、“Journal du Dimanche”は期待しているわけだ。そこで、紙面で「2012年は、始まった」と言う見出しを掲げたのだが、同じ見出しを掲げたのが週刊誌の“Nouvel Observateur”で、DSKはついに決断を下した、彼は候補になる、という記事を載せている。

日刊紙“le Parisien”とのインタビューでは、多くの海外居住者と同じようにフランスが懐かしい、というコメントを発している(メディアの憶測が確信に近づく根拠の一つになっているのかもしれません)。

CNNとのインタビューでは、遠く離れていると、人々からまるでサンタクロースのように見られるが、自分はけっしてサンタクロースではないと、発言している(プレゼント、つまり大統領選出馬をお土産に戻ってくることはない、という意味なのでしょうか?)。

19日、G20閉会後の記者会見では、国際機関らしい穏健な言い回しで、自分の将来に関する質問を巧みにかわし、発展の遅れた国々へより積極的な支援を行いたいという新たなIMFの役割を擁護するにとどめた。食い下がるメディアに対しても、今念頭にあるのはIMFだけだと答えている。

一方、立候補するのかしないのか、はっきりさせないDSKの態度にいら立つ政治家は多い。中道“MoDem”党首のフランソワ・バイルー(François Bayrou)はこうした騒ぎをばかげていると批判し、政治家もメディアも情報に振り回されず、もう少し賢さとユーモアを持つべきだと発言している。緑の党(le Vert)のノエル・マメール(Noël Mamère)は、DSK周辺は騒ぎを作り出すのがうまいが、表面的なものにすぎないと語っている。社会党の議員たちは、France2での発言を待つとしている。社会党報道官のブノワ・アモン(Benoît Hamon)も、DSKが2012年への立候補を表明することはないと確信しているとは言いながらも、ブルターニュ地方での休暇を一時中断して、France2のニュース番組を見ることにすると述べている。

・・・ということなのですが、この記事は、冒頭に記しておいたように午後3時に公開されたもので、いかに多くの人が夜8時からのFrance2のニュース番組を待っていたかがよく分かります。いよいよ、あのDSKが大統領選出馬を表明する・・・実際730万人とも言われる人々がこの番組を視聴し、20分ほどのDSKのライブ・インタビューにくぎ付けになったようです。しかし、実際には、明確な出馬表明はありませんでした。のらりくらりと実にうまく言い逃れをしていましたが、自分の基盤が社会党にあることや、失業や低賃金労働により電気代も払えず困窮しているフランス人が増えている中で、派手な人気取りに終始しているサルコジ大統領への批判に言及するなど、やはりフランス政治への関心は薄れていない、きっと近いうちに・・・という期待を十分に与えるようなインタビューでした。

はたして、DSKは出馬するのでしょうか。社会党だけでも、DSK、マルチーヌ・オブリー第一書記、フランソワ・オランド前第一書記、セゴレーヌ・ロワイヤル2007年大統領選社会党候補と4人も有力候補がおり、このうちの誰が社会党候補になったとしてもサルコジ大統領に勝てるという世論調査も出ています。また、与野党の間隙を縫うように、極右・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首の人気が急上昇してきています。2012年、し烈な戦いになりそうです。

そして、2012年は、アメリカ大統領選挙の年でもあります。オバマ再選なるか。熱い政治の年になりそうですが、2012年を前に今、日本の政治は混乱の最中にあります。日本再生への胎動であってほしいと思っています。

アラブの春、そこからアメリカが学ぶことは・・・?

2011-02-23 20:55:24 | 政治
チュニジアから始まった北アフリカや中近東での政権打倒の動き。チュニジアの場合は、チュニジアを代表する花・ジャスミンに因んで「ジャスミン革命」と命名されましたが、他の国々への広がりに伴い、一連の民衆蜂起をフランスのメディアは「アラブの春」(Printemps arabe)と総称するようになっているようです。

「アラブの春」と言えば思い出されるのが、「プラハの春」。1968年に起きた、チェコスロバキア(当時)での、共産党による共産党体制の改革運動。ドゥプチェク第一書記が陣頭に立ち、検閲の廃止など、自由を希求する国民の声に応える改革を行いましたが、結局ワルシャワ条約機構軍の軍事介入により、ひと夜の夢のように潰え去ってしまいました。

しかし、40年以上経って、舞台をアラブ諸国に移した「春」は、チュニジアからベンアリ前大統領を追いだし、エジプトではムバラク体制を倒し、リビアでもカダフィ大佐を窮地に追い込んでいます。「2011年の春」に世界の大国・アメリカはどのような対応をし、そこから何を学んでいるのか・・・14日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

どう対応すべきか。このゲームは非常に難しい。あまりに有無を言わせぬ方法で、あるいは早すぎるタイミングでムバラク退陣を要求したら、エジプト国民の蜂起にもかかわらず、ムバラク大統領の運命が外国の手の中にあると明かしてしまうことになっただろう。逆に傍観を決め込んでいたなら、一方では民主化を支持しながら、他方では同盟関係にあるムバラク政権を支援するという、アメリカの偽善者ぶりを露呈させることになっていただろう。結局、アメリカの自制は、国民による運動であるというエジプト革命の最も大切な価値を守ることになった。

ムバラク政権の崩壊は、アメリカ外交のスケジュールには全く入っていなかったようで、「アラブの春」に不意打ちを受けたアメリカは、長らく同盟関係にある為政者への慎重な対応と民主化運動への支持の間で、数日、綱渡りのような状況にあった。今やアメリカは、今後のエジプト国内での動きや民衆運動の他の国々への拡大を必死になって推測しようとしている。

『ニューヨーク・タイムズ』が指摘しているように、アメリカはCIAをはじめ、ムバラク大統領退陣のリスクを過小評価していた。ベンアリ政権終焉の直後、ムバラク大統領が同じ道をたどる可能性は20%だと予想していた。民衆運動の広がりを最も確信していたのは、他でもないオバマ大統領だった。ムバラク大統領の政権返上に関しても、先手を打ったのはオバマ大統領だった。

また、『ワシントン・ポスト』によれば、ここ数日、アメリカはヨルダンやサウジアラビアの政権担当者とコンタクトを取っている。これらの国々は、景気停滞、若者の失業、潜在的な政権への不満などチュニジアやエジプトと似た状況にあり、いつ運動の導火線に火がつくか分からず、好戦的で反西欧の運動によって長年の同盟政権が自らを守るためにアメリカと距離を取ってしまう可能性が否定できない。

抵抗運動の側に立ったというアメリカの最終的な態度は、アラブの指導階級にとって大きな不満となった。サウジアラビアや他の国々はアメリカがムバラクを見捨てたと決めつけているようであり、それらの国々との関係修復が必要だと、ブッシュ政権で国家安全保障会議の中近東政策トップを務めたエリオット・アブラムズ(Elliott Abrams)は語っている。

専門家たちは、アメリカ外交の秘められた争点をよく心得ている。イスラエルをめぐる状況だ。イスラエルは、中近東において唯一自国に敵対しない稀な政権であったムバラク体制が崩壊するのを心配のまなざしで見つめていた。しかし、それでもエジプト革命からアメリカが学んだのは、ある種の謙虚さだ。アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』(Foreign Policy)が言うように、アメリカは結局決定的な役割を果たすことはなかった。国務省に勤めていたアーロン・デイビッド・ミラー記者(Aaron David Miller)は、アメリカはエジプト革命からあることを再認識すべきだと述べている。そのこととは、アメリカは名ばかりの役割を演じる羽目になることはないが、かといって世界をコントロールできるわけではなく、実際コントロールしてきてはいなかった、ということだ。

今後の動きに備えて、アメリカはかつて民衆運動によって政権が倒れた事例のケース・スタディを行っている。『ワシントン・ポスト』によると、特に大きな注意を払っているのが、1998年に、イスラム教徒が多数を占めるインドネシアで起きた民衆による民主化運動だ。この国で幼少期を過ごしたオバマ大統領にとっては、よく見知った国だ。このインドネシアのケースが、アメリカの今のような対応が続けば、イランのようなイスラム共和国が中近東の国々で誕生するのではないかと言う保守派からの批判に対する反論の根拠となる。

・・・ということで、「世界の保安官」とも言われるアメリカが、実は世界をコントロールしていたわけではない、という意見があるのですね。しかし、一方では、アメリカにより政権の座を追われた為政者たちが多くいるという意見もあります。命さえ奪われた権力者たちがアフリカや他の地域にいた、とも言われています。命までは奪われないにせよ、アメリカの巧みなリークや世論操作によって、政権の座から降りざるを得なかった政治家は、多くの国にいるという意見もあります。日本でもその犠牲者に違いないと言われる元首相も一人や二人ではありません。

しかし、アメリカから見ると、アメリカが世界をコントロールしてきたわけではない、という意見になる。それは、どこまで思い通りにできればコントロールしたと言えるのか、という程度問題になってしまうのかもしれません。また世界中を支配下に置かないと、世界をコントロールできたとは言えないのでしょうか。全世界ではないものの、かなりの地域を抑えていたようにも思えますが。

ただ、世界のいかなる動きにもコミットしようというアメリカの姿勢は変わらないのでしょうし、その意気込みがアメリカのダイナミズムの源泉になっているのかもしれません。そして、アメリカほど表立ってはいませんが、イギリスやフランスの情報収集力と、水面下での動きはしたたかです。

日本にとっては、アフリカや中近東での民衆運動や政権転覆は、遠い世界での出来事かもしれません。メディアはそれなりに報道していますが、政界からは状況を注意深く見守るといったコメントしか発せられません。しかし、原油価格の上昇や円高、株安などの影響を受けつつあります。国際化、グローバル化・・・世界はより狭く、より複雑に絡み合ってきています。傍観していていい出来事はないのかもしれません。

フランス外交にとって、チュニジアは鬼門か?

2011-02-22 21:10:25 | 政治
政治の世界にも、鬼門とでもいうべきところはあるようです。例えば、日本では農水相のポスト。一時期、辞任が相次ぎました。政治資金収支報告書、不正経理、汚染米の処理・・・理由は異なりますが、相次いで辞任に追い込まれました。それ以前にも、何かといわくつきのポストではあったようです。

今年のフランス、特に外務省にとってはチュニジアが、方角が悪いのか、まるで鬼門になっているようです。外相自身のベンアリ前政権との癒着問題、ベンアリ政権の崩壊を見抜けなかったことによる駐チュニジア大使の更迭、そして後任大使の着任早々の失言問題・・・ここ1月半の間にこれだけ続いています。

上記の最後の問題にスポットを当てて、20日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

16日に着任したばかりの駐チュニジア仏大使、ボリス・ボワイオン(Boris Boillon)は数日来、多くのチュニジア国民の怒りを買っている。原因は着任早々、17日の記者会見で、アリオ=マリ外相(Michèle Alliot-Marie)に関する質問を、こんなくだらない質問には答えられないと言い放ち、席を立ってしまったことだが、あまりの抗議の激しさに、19日夜、自分の態度は居丈高であったと反省していると、テレビの全国放送を通してチュニジア国民に謝罪した。

その弁明より先、19日の昼には数千人のチュニジア人がチュニスにあるフランス大使館の前に集まり、ボワイオン大使の更迭を求めた。大使はベンアリ政権の崩壊後、新たに駐チュニジア大使に任命されたばかりだが、チュニジア国民は“Boris Boillon, dégage”(ボリス・ボワイオン、さっさと失せろ)とベンアリ前大統領へ向けた抗議よりも強い口調で不満を表明した。

大使への抗議にも、ネットが活躍した。18日以降、フェイスブックには次々と怒りのメッセージが書き込まれ、それに対しボワイオン大使も鎮静化を図るべくツイッターで釈明のメッセージを発信した。

一方、パリでは、アリオ=マリ外相が問題の拡大を必死に防いでいる。外務省の報道官も、これは特殊な出来事であり、落ち着いて客観的に見る必要がある。ボワイオン大使はチュニジアですでに多くのジャーナリストや政府高官に会っているが、彼らは新大使への支援を表明し、励ましているのだから、と述べている。

ボワイオン大使は、41歳で前任地はバグダッド(駐イラク大使)。アラビア語に堪能な、中近東のスペシャリストだ。チュニジアのジャスミン革命の際の判断ミスにより詰め腹を切らされたメナ前大使(Pierre Ménat:60歳)の後任として着任している。

・・・と言うことなのですが、前駐チュニジア大使の判断ミスとは、抗議のデモが拡大し、鎮圧のため実弾が使用されている時期にも、ベンアリ政権が崩壊するようなことはないと判断し、その判断に基づきアリオ=マリ外相がクリスマス休暇をチュニジアで過ごした。しかも、ベンアリ大統領に近い実業家からの申し出でプライベート・ジェットを利用し、さらには外相の両親(90代の高齢)も同行し、ビジネスの話をしたと言われ、非難の矢面に立たされることになりました。即、更迭されたようです。

さて、後任のボワイオン大使ですが、駐チュニジア大使の前に、39歳で駐イラク大使になっています。かなり早いような気がしますが、どのような経歴なのでしょうか。

ボリス・ボワイオン、1969年12月9日生まれ。両親は“pieds rouges”(赤い脚)と呼ばれる、独立を果たしたアルジェリアを支援するために移り住んだ左翼の人々の仲間で、父親は英語の教授、母親も教員でした。なお、アルジェリアが植民地だった時代に、ヨーロッパから植民した人々は、“pieds noires”(黒い脚)と呼ばれています。ボリス少年も幼少期をアルジェリアで過ごしています。この経験がアラビア語につながっているのでしょうね。

フランスに戻り、グランゼコールのパリ政治学院(l’Institut d’études politiques de Paris)と国立東洋言語文化研究所(INALCO:l’Institute national des langues et civilisations orientales)を卒業。1998年に外交官に。駐アルジェリア大使補佐官や駐イスラエル公使代理などを務めた後、2007年には当時内務・海外領土相であったニコラ・サルコジの外交顧問に。サルコジ大統領誕生後は、大統領の北アフリカ・中近東担当補佐官に。2007年12月には、リビアのカダフィ大佐のフランス訪問をアレンジ。カダフィ大佐はかつてはテロリストだったかもしれないが、今や自己批判を経てもはやテロリストではない、とカダフィ大佐への支持を表明しています。余談ですが、パリでもカダフィ大佐はテントを設営して、そこに滞在していました。

2009年7月に駐イラク大使に。その指名には、驚きと危惧の声が上がったそうです。実際、イラクは中東に民主主義が根付くかどうかの実験室だとか、いろいろ物議をかもす発言も多くしていたようです。

そして、今回の対応。エリートではありますが、早い出世にはサルコジ大統領の後ろ盾が効いているのではないでしょうか。しかしその後ろ盾が、横柄、居丈高、言いたい放題と取れるような言動に繋がっているのかもしれません。

チュニジアで、エジプトで、リビアで・・・権力者とその一族、および繋がりのある一部の人々が、程度の差はあれ、富を一人占めしてきました。しかし、民主主義の国と言われる欧米でも、権力にある人とのコネクション、つまりコネは強いようです。政治がどうであれ、人間の性として、知己を贔屓するということが息づいているのかもしれませんね。言うまでもなく、日本も例外ではありません。その結果は、吉と出る場合もあれば、凶と出る場合もある。どちらかと言えば後者の方が多いような気もしますが、それはコネのない人間の僻みに過ぎないのかもしれません。

数より質だ、という発言の質が問題だ!

2011-02-21 20:46:43 | 社会
人数などを減らしたいときに、人はよく、数より質が大切だという言い方をします。一方、減らされたくない場合には、質はもちろん大切だが、その質を支えるためにも十分な数が必要だといった言い方をします。質と数、どちらが大切だとは言いきれない、微妙な問題です。どちらも大切だ、というのがご都合主義的言い方かもしれないですが、正しいような気もします。要は、両者のバランス・・・

この質と数とをめぐって揉めているのが、フランスの政界と教育界。公務員削減の典型的な対象とされ、急激に減少する教員数。政府側は数より質だと言い、一方、組合を中心とした教師や生徒たちは、教員の数が減れば教育の質も悪化すると訴えています。そこに、サルコジ大統領の発言が、火に油を注いだ・・・14日の『ル・モンド』(電子版)です。

政府と法曹界との対立に続いて、次は教育界。フランスの教員数が国際的に見て著しく少ないことが明らかになった。首相府直轄のCAS(le Centre d’analyse stratégique:戦略的分析センター)によれば、生徒100人当たりの教員数でフランスはOECD(仏語表記では、OCDE)加盟34カ国中最も少ないそうだ。

初等教育(小学校)から高等教育(大学等)までの平均で、児童・生徒100人当たりの教員数、フランスは6.1人。公務員の数の多さで有名なスウェーデンとは比較にならないほどであり、9.0人のギリシャやポルトガルよりも少ない(財政危機も相俟って、この両国に対しては完全に上から目線ですね)。

細かく見てみると、中等教育(中学校・le collègeと高校・le lycée)では7.1人で平均的なのだが、初等教育(小学校)と高等教育(大学等)では児童生徒100人当たり5.0人の教師しかいない。

2003年から2008年までの期間、文部科学関連の公務員は、定年退職した文官の三分の二を占めている。退職者の補充は、文部科学関連の公務員では2003年の110%が2008年には63%に激減している。教員だけに絞れば、2003年の122%が2008年には71%に減少している(ということは、2003年当時は、辞める人よりも採用した人数が多かったということですね。児童・生徒数が増えていたのでしょうか。それが一転、2008年には急減しています。極端な政策転換なのでしょうね)。

実際、2007年から2009年にかけて、初等・中等教育において5万人の教員が削減された。2013年までに、同程度減少されることになっている。しかし、CASはレポートの中で、初等教育と高等教育において他のOECD加盟国よりも教員数が少ない現状を見れば、教員削減は一律に行うべきでなく、初等・高等教育においては削減幅を調整すべきだ、と述べている(政府直轄の機関でも、言うべきは言う。決して、御用機関ではない。いかにもフランスらしいですね)。CASはまた、教員の給与が国際レベルより低いことも指摘している。

一方、サルコジ大統領は、1月19日、教育界へ向けた年頭のメッセージで、教員削減を擁護し、次のようにその根拠を説明している。フランス社会において、われわれは数よりも質を考えるべきだ。1990年代初頭と比べ、生徒数は60万人減っているが、教員は45,000人増えている。教員数ではなく、教育の質と給与の質で対応したい。

しかし、2月11日にテレビ局・TF1のインタビューに答えた際に、サルコジ大統領は、ここ20年で生徒数は50万人減り、教師は34,000人増えていると述べている(1月と2月に語った生徒数、教員数の増減の数字が異なっています。どちらが正しいのか、あるいはどちらもいい加減なのか)。大統領は、数の問題だけにとらわれるのは止めにして、質の問題に取り組もう、と言うに留めている。しかし、来年秋の新学期には、16,000人分のポストが補充されないことがすでに決まっている。

・・・ということで、政府は数より質だと言って教員数を減らし続け、それでいて質の向上についての具体的な政策は語っていない。しかも、教員削減の根拠となる数字が、発言の度に異なっている。単に国の財政赤字の削減のために公務員である教員を減らしているだけではないか、と見られても仕方がないのではないでしょうか。2人退職したら補充は1人だけ、という方法で公務員を削減しているフランス。その結果が教育の質の低下につながっては、禍根を将来に残すことになりかねない。大きな問題ですね。

ただし、国家財政の破たんを救うためには例外なく公務員を削減すると明言し、実行しているフランス。その決断力と実行力は、たいしたものです。称賛に値するのではないでしょうか。公務員削減、無駄の削減による予算捻出と大見得を切っておきながら、結局なにも実現できていない我等が現政権より、ずっと頼り甲斐がありそうです。

ところで、教員の数、日本はどのくらいなのでしょうか。2005年のOECD調査を見てみましょう。『ル・モンド』の記事とは逆で、教員1人当たりの児童・生徒数に関するデータです。数字の小さい方が、数的には恵まれていることになります。

(左=初等教育、中=中等教育(中学・高校)、右=高等教育)
・日本     :19.4  13.9  11.0
・フランス   :19.4  12.2  17.3
・ドイツ    :18.8  15.1  12.2
・アメリカ   :14.9  15.5  15.7
・韓国     :28.0  18.2  ―
・イギリス   :20.7  14.1  18.2
・フィンランド :15.9  13.9  12.5
・スウェーデン :12.2  13.0   8.9
・ギリシャ   :11.1   8.3  30.2
・イタリア   :10.6  10.7  21.4
・メキシコ   :28.3  30.6  14.9

教育においてもそれぞれのお国柄が出ていますね。世界は広い。日本は小学校での教員数が少ないのに対し、中学、高校、大学と進級するに従い学生にとって恵まれた環境になっているようです。日本と同じような傾向にあるのが、ドイツ。さすがエマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)によって同じ直系家族(la famille souche)に分類された国同士です。こんなところまで似ているのですね。

大きな変化ではないですが、日本やドイツと逆の傾向にあるのが、アメリカ。小学校ほど教員数では恵まれています。一方、小学校の教員数が少ないのは、韓国とメキシコ。基本を学ぶ小学校で、はたして児童の指導が十分に行えるのかどうか。それとも、韓国においては、この環境が国民の競争力の源なのでしょうか。メキシコは中学・高校でさらにひどい状況になる。それが大学では恵まれた教員数に。進学者数が少ないのでしょうか。

面白いのは、やはり南欧。小学校から高校までは、多くの教員がいるのに、大学へ行くや一人の教員が多くの学生の指導をすることになる。若年層の失業率が高いために、卒業せず長年大学に籍を置いている学生が多いと、イタリア関連の記事が紹介していたのを記憶しています。そのために数字的にはこのようになってしまうのかもしれません。

教員数と児童・生徒数のかねあい、教育の質、教育に振り向けられる予算額・・・「人」が国の礎なのですから、教育についてはしっかり検討されるべきですね。特に天然資源に恵まれないと言われる日本においては。

全仏は、やっぱり、ローラン・ギャロスでなくちゃね!?

2011-02-18 20:54:49 | スポーツ
テニスのグランド・スラム(le Grand Chelem)のひとつ、全仏オープン(les Internationaux de France, le Tournoi de Roland-Garros)は、毎年5月末から6月初めにかけて、パリ16区、ブローニュの森にあるローラン・ギャロス(le stade de Roland-Garros)で行われています。4大トーナメントでは唯一のクレー・コート。24面あり、センターコートは1万人収容のスタジアム。1928年からここが世界のトップ・プレーヤーが栄冠をめざして死闘を繰り広げる舞台になっています。

ローラン・ギャロスの名は、1913年に初めて地中海横断飛行に成功した飛行家にして第一次大戦の名だたるパイロットだったローラン・ギャロに因んでいます。30歳の誕生日を翌日に控えた日に戦死したこの稀代な飛行機乗りに因んだ名前のせいか、手に汗握る接戦や、大番狂わせがよく起き、その赤いクレー・コートの印象も相俟って、「赤土には気まぐれな神が棲んでいる」と言われるようですが、「赤土」を「フランス」に置き換えるべきなのではないか・・・などと余計なことを考えてしまいます。

さて、そのローラン・ギャロス競技場ですが、4大大会の中で最も狭い会場で、さまざまな場所で混雑が見られ、不評を買っていました。そこで、より広い場所での開催を、という声が上がり、2016年大会以降の会場の移転、あるいはローラン・ギャロスの拡張、という方向で立候補とプレゼンテーション、投票が行われました。まるでサッカーのワールドカップ開催国を決めるようなプロセスですが、結果は日本でも報道されていたように、ローラン・ギャロスを拡充することになり、2016年以降も今まで通り全仏オープンはブローニュの森で開催されることになりました。

この決定の舞台裏を、13日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

2016年からも全仏オープンはローラン・ギャロスで行われることになった、という13日朝の発表を受けて、さまざまな反応が伝わっている。立候補した4都市のうち、ゴネス市(Gonesse)が最も落胆したようだ。市長の代理人は、憤懣やるかたないといった風情で、次のように語っている。ゴネス市はパリの北郊にあり、近隣のサン・ドニ市がスタッド・ドゥ・フランス(le Stade de France:サッカーのフランス代表の試合などが行われる競技場)の誘致に成功したように、全仏オープンの会場を誘致したかったのだが、そうはいかなかった。フランスのテニス界は、いまだに貴族主義、エリート主義で会場を選んだのだ。

さらに続けて・・・ローラン・ギャロスはグランド・スラムでは相変わらず最も狭い会場のままで、フランス・テニス界にとっても、パリ首都圏(パリ市周辺)にとっても、21世紀のふさわしい会場を手にする機会を逸した。しかし私は、今回の決定に驚きはしないし、がっかりもしていない。なぜなら、ゴネス市が会場に選ばれるだろとは思っていなかったからだ。1年前、パリ市(ローラン・ギャロス)の提案はフランス・テニス連盟(FFT:la Fédération française de tennis)を満足させることができなかった。しかし、われわれの立候補を受けて、テニス連盟はパリ市にプレッシャーをかけ、最終段階でパリ市が譲歩し、テニス協会の納得できる案を提示したことにより、パリ市(ローラン・ギャロス)が選ばれたのだ。

一方、フランス・テニス連盟のジャン・ガシャサン会長(Jean Gachassin)は、テニス連盟の委員たちは勇敢な、そして立派な選択を行ったと自画自賛。ローラン・ギャロスを支持しつつ、次のように述べている。とても勇気のいる、決断力に富んだ、立派な決定だ。ローラン・ギャロスは、今回の決定により、これからも大会の巨大化という世界の流れの中で、他のグランド・スラムとは異なる、輝かしい大会として存続することになる。

フランス・テニス連盟の195名の委員が、パリ(ローラン・ギャロス)、ヴェルサイユ(Versailles:パリの南西郊外)、マルヌ・ラ・ヴァレ(Marne-la-Vallée:パリの東郊外)、ゴネス(Gonesse:パリの北郊外)の4候補地の中からローラン・ギャロスを選んだわけだが、ガシャサン会長はさらに続けて、フランス・テニス連盟は他のグランド・スラムと一線を画する個性ある大会というプロジェクトを選んだのだ。将来を見据えながらも、われわれの価値を守るという、画期的な選択だった。

拡充された後でも、ローラン・ギャロスは8.5ヘクタールが13.5ヘクタールに広がるだけで、4大大会で最も狭い会場であることに変わりはない。しかし、ローラン・ギャロスを選んだことについて、ガシャサン会長は、説明を続ける。全仏オープンの強烈な印象、世界的な輝きは、この大会がパリで行われているからだ。もしこのことを考慮に入れなければ、より広い会場を選んでいたかもしれない。実際、いったんはヴェルサイユに心動かされたのだが、最終的には、パリの提案が4候補地の中で最も素晴らしいものだった。

政界からも、賛否両論の声が上がっている。与党・UMP(国民連合)からは、Jean-François Lamour(下院議員兼パリ市議会議員・市議会UMP幹事長)とClaude Goasguen(下院議員兼パリ16区区長)の両名が、ローラン・ギャロスを支持したフランス・テニス連盟の決定を歓迎している。パリ市、16区とともに今回の決定を喜びたい。世界規模の全仏オープンが行われることにより、スポーツの世界でも、また経済的にも恩恵に浴することになる。こう述べるとともに、パリ市での開催を守るために、数週間前から、力添えしたことを明らかにしている。特に、ローラン・ギャロス周辺でのスポーツ施設の整備、例えば、ポルト・ドトゥーイユ(la Porte d’Auteuil)での体育館の建設、エベール(Hébert)での学生用陸上トラックの維持などによって、スポーツ環境を整備し、ローラン・ギャロスにスポーツの中心としての価値を与えた。

一方、欧州環境緑の党(l’Europe-écologie les Verts)のYves Contassot(パリ市会議員)は、フランス・テニス連盟はオトゥーイユの植物園(le jardin des serres d’Auteuil)を潰すかもしれないというパリ市のローラン・ギャロス拡充案に屈したのだ。その決定は、一部には嘘が混じる保守的な考えによるものだ。ローラン・ギャロスはパリ市の一部であり、全仏オープンの恩恵を周辺のイル・ド・フランス地方と分かち合うことを拒否したようなものだ。法的にしろ、財政的にしろ、環境面からも、パリを選んだことにより、多くの困難な障害が待ち構えていることを思い知ることになるであろう。

・・・ということなのですが、ゴネス市の言う通り、テニス界はまだ貴族趣味、エリート意識が強いのかもしれないですね。テニスは生活にある程度ゆとりのある人のスポーツというわけです。従って、パリ16区のローラン・ギャロス、次に心動かされたのがヴェルサイユ。どちらも富裕層が住むシックな地域。一方、パリ北郊は移民が多く住む地域。サッカーは庶民のスポーツなので、スタッド・ドゥ・フランスはサン・ドニで良かったのでしょうが、テニスはそうはいかない。パリの北郊はどう見てもおしゃれなカルティエではないですからね。そうした地域をテニス界が大きく変えてみせる・・・というふうには考えないようです。確かに、犯罪とかを考えれば、来場者のためにもより安全でおしゃれな地域で、となるのは否めません。

そして、スポーツとカネと政治。どうも、いつも三点セットになっているようですね。全仏オープンでも。選挙区の利益のために、政治家が動く。選挙民への利益誘導。そこでは、当然、お金も動いていることでしょう。良い悪いは別に、これが現実。これが現代人の姿なのでしょうね。

せめて、勝負の世界では、真剣勝負を期待したいものですが、八百長や買収が多くの国で問題視されています。日本の相撲界は言うに及ばず、中国のサッカー界、イタリアのカルチョ(サッカー:あのユベントスが数年前、2部落ちしました)・・・また、選手たちのドーピング(ツール・ド・フランスでもいつも問題になっています)。

古代ローマ時代から、「パンとサーカス」と言われてきました。食糧と娯楽さえ与えておけば、市民は政治から目をそらし、抵抗することもない。愚民化政策ですね。しかし、いまや、需要の拡大と投機マネーの流入で食糧が値上がりしている(コーヒーの値上げが大きく報道されていますが、小麦や綿花をはじめ多くの農産品が値上がりしています)。そして、娯楽は金まみれで、無心になって楽しめなくなってきている。これでは、いくら「愚民」でも、政治に関心を持たざるを得なくなるのではないでしょうか。

それとも、まだ我慢の範囲なのでしょうか。

文化の懸け橋になれるか、ソルボンヌ・アブダビ校。

2011-02-17 20:51:44 | 文化
昨年末のクリスマス休暇をエジプトで過ごし、直後に退陣することになったムバラク大統領の厚遇に浴したのが問題視され批判されたフィヨン首相(François Fillon)。北アフリカでの強権政治打倒の民衆運動がアラビア半島や湾岸地域にも波及するのを見通していたかのように、12日からサウジアラビア、アブダビへと公式訪問に出かけました。

13日に訪問したアブダビで出席したのが、ソルボンヌ・アブダビ校(la Sorbonne-Abou Dhabi)の新校舎落成式。ソルボンヌ自体は、1253年に創設された大学で、その歴史的建造物であるパリ中心部の校舎は、1635年にリシュリュー枢機卿(Cardinal Richelieu)の依頼で建設されたもの。今日では、パリ第4大学とも呼ばれ、要人の輩出ではエナ(ENA:l’Ecole nationale d’administration:国立行政学院)をはじめとするグラン・ゼコールにその座を譲っていますが、伝統と格式が今に息づいています。

そのソルボンヌがアラブ首長国連邦を形成する首長国・アブダビに分校を建設することを決めたのは2006年で、その調印式には、当時ソルボンヌ文明講座のディレクターを務めていた教授も出席していました。3度ほど直接話をする機会があった教授でしたので、テレビのニュース番組でその顔にすぐ気付いたことを、それこそ昨日のように覚えています。

さて、フィヨン首相ですが、その新校舎落成式でスピーチをしたそうです。どのような内容だったのでしょうか。13日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

13日、フィヨン首相はソルボンヌ・アブダビ校の、豪華な新校舎の落成式に出席したが、その建設費はすべてアブダビ側によって負担された(2,000~3,000万ドルと言われていましたから、今のレートで換算すると約16億6,000万~24億9,000万円の負担になります)。

アラブ諸国での暴動に刺激されて他の国々でもイスラム主義が台頭するのではないかと西欧諸国の当局が心配している折、フィヨン首相はスピーチを断行した。その中で首相は、文明の衝突という命題は、フランスの知的伝統に属さないものであり、危険な考えであり何ら価値を持たないものだ。世界の秩序にいかなるビジョンも提示せず、結果として破壊とニヒリズムしか持ちえない。もたらすものは、恐怖と無知のみだ。こう述べ、最後にソルボンヌ・アブダビ校のスローガンを繰り返した。それは、文明に懸ける橋(Un pont entre les civilisations)。

アブダビ校の校舎建設は、サルコジ大統領が礎石を置いた2008年に始められ、計画では2,000人の学生が学ぶことになっていた。しかし、現在600人の学生しかおらず、そのうち100人ほどは現地に暮らすフランス人の子弟たちだ。

このアブダビ校については、昨年8月、皮肉的な論調でお馴染みの週刊紙『カナル・アンシェネ』(le Canard enchaîné)が噛み付いていた。ソルボンヌ・アブダビ校は、まさに桃源郷の大学だ。教授たちは大金持ちであり、学生たちは試験にシステマティックに合格していくことになる。

『カナール・アンシェネ』のこうした批判に、フィヨン首相は、次のように反論した。金儲けに走り、知の評判を危うくするような人が大学にいると批判する人々がフランスにいたとは、驚きだ。重要なことは別にある。アブダビというパートナーと共に、文明の対話に貢献できる教育機関を創ったことをフランスは誇りに思うべきだ。

しかし、フィヨン首相のサウジアラビア、アブダビ訪問には、別の目的もある。フランス企業のビジネス上の契約を支援するというものだ。

・・・ということなのですが、一説には「中東のパリ」をめざすとも言われるアブダビ。ソルボンヌの新校舎が完成した。後は学生を増やすだけ。ルーブル美術館のアブダビ別館も、2013年には完成する。「ルーブル」の名に恥じないだけの入場者数をいかにして達成するか。ソルボンヌにしろ、ルーブルにしろ、器はできる。後は、中身をどう充実させるか、ですね。果たしてうまくいくものでしょうか。国民がどこまで付いてくるかでしょうか。ソルボンヌの学生数からは、王族がいくら笛吹けど、国民踊らず、となりそうな気もします。金はいくらでもある。文化だって、買ってくればいい。そんな気持ちがあるのではないかと、推測してしまいます。

そうした、「大金持ち」のアブダビから金を巻き上げるがうまいのが、これまたフランス。ソルボンヌの建設維持費はすべてアブダビ持ち。お陰で、湾岸諸国にいるフランス人子弟を受け入れる教育機関が完備した。ルーブルは、開館後15年間作品を貸し出すことにより10億ユーロ(約1,120億円)を手にすると言われています。サルコジ大統領によって削減された文化予算をルーブルとしては補えることができる。実にうまいものです。

金ならあり余るほどある国、知略に長けた国・・・企業はもちろんですが、「国」としても国際大競争の時代。見渡せば、強敵だらけです。がんばれ、日本!

フランスから見た、日本経済の降格。

2011-02-16 20:49:47 | 社会
ついに来るべきときが来た・・・一年前から喧伝されていたGDPランキングでの2位から3位へのランクダウン。2010年の名目GDPでついに日本は中国に追い越され、3位に。事業仕分けでは、2番じゃどうしていけないんですか、という名台詞がありましたが、GDPに関しては、3番じゃどうしていけないんですか、という声はあまり聞こえてきません。勢いの差はいかんともしがたい。しかし、国民一人当たりのGDPではまだ中国の10倍もある(日本は39,758ドル、中国は3,744ドル)、と別の数字を出して安心する向きもありますが・・・

経済力に関する日の出の勢い、その日本から中国への交代を、フランスはどう見ているのでしょうか。“La Cine est devenue la deuxième éonomie mondiale”(中国が世界で第2位の経済国になった)。『ル・モンド』(電子版)、14日の記事です。

2010年、日本は第4四半期の消費・輸出の低迷にもかかわらず、一年を通しては再び経済成長の足音が聞こえ始めたのだが、それにもかかわらず、経済力世界第2位の座を中国に明け渡すことになった。2010年の名目GDP(仏語ではPIB:le produit intérieur brut)は、14日に日本政府が発表した数字によれば、日本が5兆4,742億ドル(約454兆円)だったのに対し、中国は5兆8,786億ドル(約488兆円)。

この結果、1968年以降保ち続けてきた世界第2位の経済大国の座を明け渡した。新たに第2位の経済大国となった中国は、世界銀行や他の金融機関の予測によれば、2025年までにアメリカを抜いて世界最大の経済国になるようだ。しかし、IMF(仏語ではFMI)による国民一人当たりのGDP調査によれば、日本は中国の10倍を保っている。

中国は数年前から(実際には10数年前から)10%前後の経済成長を続けてきており、2010年の実質GDPも10.3%を達成した模様だ。日本は、経済危機以降のリセッションにより、2008年にはマイナス1.2%、2009年はマイナス6.3%という景気後退局面を迎えたが、2010年にはようやく立ち直りプラス成長(1.2%)に転じた。しかし、この程度の回復では、経済危機以前のレベルを回復することはできず、2位の座を失った。

2010年の日本経済は、第3四半期までは新興国、特に最大の貿易相手国である中国への輸出および消費を喚起した政府の補助金により牽引されて成長を遂げた。しかし、第4四半期には、エコカー減税の終了と家電製品へのエコ減税の縮小により消費が冷え込み、経済成長率は年換算でマイナス1.1%へと減速してしまった。また、GDPの200%に達するという巨額な財政赤字に歯止めをかけようと財政投資の引き締めを行ったことも、景気減速の原因となった。

日本経済の牽引役である輸出も、対ドルでは15年ぶり、対ユーロでは9年ぶりという円高局面のため、第4四半期に減速を余儀なくされた。しかし2011年は、アメリカ経済の順調な回復に助けられて、第1四半期から回復基調に乗るようだ。また昨年末に中道左派の与党によって提出され可決された6兆円の景気追加対策によって、ここ2年程のデフレ傾向に対処することができるかもしれない。

・・・ということなのですが、民主党はフランスから見ると、明確に「中道左派」(centre-gauche)なんですね。また、日本の今後については、直接法未来形ではなく条件法で書かれています。『ル・モンド』も自信を持って日本経済が2011年に回復するとは思っていないのでしょうね。回復するかもしれない、あるいは回復するようだ、といった程度の書き方です。

中国がGDPでは世界2位になっても、国民一人当たりのGDPでは、まだまだ途上国並みということは、先日のFrance2のニュースでも、トルコより低いと強調されていました。西欧に出稼ぎに来るあのトルコより低い、といったニュアンスが感じられる報道ぶりでした。また同じニュース番組で、GDPランキングを見せる際には、フランスが5位に入っているということを強調していました。フランスはまだまだ頑張っている、捨てたものではない、さすがフランスだ、といった言い方に聞こえました。自国愛はつねに強く・・・

日本は経済力第3位へ。しかし、ジャック・アタリ(Jacques Attali)が『21世紀の歴史』(“Une brève hositoire de l’avenir”)で述べている予測によれば・・・

「日本は世界でも有数の経済力を維持し続けるが、人口の高齢化に歯止めがかからず、国の相対的価値は低下し続ける。一〇〇〇万人以上の移民を受け入れるか、出生率を再び上昇させなければ、すでに減少しつつある人口は、さらに減少し続ける。日本がロボットやナノテクノロジーをはじめとする将来的なテクノロジーに関して抜きん出ているとしても、個人の自由を日本の主要な価値観にすることはできないであろう。また、日本を取り巻く状況は、ますます複雑化する。例えば、北朝鮮の軍事問題、韓国製品の台頭、中国の直接投資の拡大などである。こうした状況に対し、日本はさらに自衛的・保護主義的路線をとり、核兵器を含めた軍備を増強させながら、必ず軍事的な解決手段に頼るようになる。こうした戦略は、経済的に多大なコストがかかる。ニ〇ニ五年、日本の経済力は、世界第五位ですらないかもしれない。」

2025年に中国は世界最大の経済大国になる一方、日本は5位ですらないかもしれない。どうして5位ではいけないんですか、6位だっていいじゃないですか。こう言いきれるでしょうか。さまざまな不満が嵩じて、ジャック・アタリの言うように、軍事的な解決手段に頼るようになるのでしょうか。いつか来た道・・・

ジャック・アタリは、日本の課題も上げています。これら10の課題を解決できれば、経済力は回復するかもしれない・・・

(『21世紀の歴史』より)
最後に、ニ一世紀日本の課題を一〇ほど列挙しておきたい。
1 中国からベトナムにかけての東アジア地域に、調和を重視した環境を作り出すこと
2 日本国内に共同体意識を呼び起こすこと
3 自由な独創性を育成すること
4 巨大な港湾や金融市場を整備すること
5 日本企業の収益性を大幅に改善すること
6 労働市場の柔軟性をうながすこと
7 人口の高齢化を補うために移民を受け入れること
8 市民に対して新しい知識を公平に授けること
9 未来のテクノロジーをさらに習得していくこと
10 地政学的思考を念入りに構築し、必要となる同盟関係を構築すること

しかし、経済回復だけではなく、安寧な日々をぜひ送りたいと思うのですが、それはすべて私たち日本人の肩にかかっています。望むべき21世紀の日本像を自ら明確に描きだし、その実現へ向けた課題と処方箋を提示し、国民的合意を得ることが必要です。それは政治の手の中にあることが多いのではないでしょうか。政治へ向ける私たちの眼差し、もっと厳しくて良いのではないかと思います。