ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

ムスリムは、イスラム嫌いによって作られる・・・疎外される人間に共通する背景。

2011-05-05 20:13:25 | 社会
アンドレ・シュヴァルツ=バルト(André Schwarz-Bart)。1928年メッスに生まれ、2006年グアドループで死す。名前から分かる通り、ユダヤ人です。1959年に出版した『最後の正しき人』(Le dernier des Justes)でゴンクール賞(Prix Goncourt)を受賞。その後グアドループ人の女性と結婚し、グアドループのポアン・タ・ピートル(Point-à-Pitre)で過ごす。この寡作な作家に関する評論(フランシーヌ・コフマン『アンドレ・シュヴァルツ=バルト―どこにも居場所をもたないユダヤ人―』田所光男訳)に、次のような一節があります。

「彼は黒人やムラートの生活を共有することを断固選び取っていた。西欧によってアフリカから強制連行され、隷従させられ、間化された黒人奴隷の苦しみと迫害に、彼は自らの苦しみと迫害の経験から開かれていったのである。」

また、同じ評論に、彼の妻となったシモーヌ・シュヴァルツ=バルト(黒人女性)とのインタビューの抜粋が引用されています。その中にある一節です。

「私は人間が、白人であれ黒人であれ他の人間を屈従させることができること、それは人間の本性の中にあり、唯一黒人だけがある種の敵意の犠牲者となってきたわけではないことを理解しました。」

「劣悪な人間と見なされ」、「スケープゴート」にされてきたのは黒人だけだと思っていたが、実はほかにもいた。ユダヤ人もそうだったのだ、ということをユダヤ人との結婚を通して理解したようです。

そして今、ヨーロッパ、特にフランス社会で、黒人・ユダヤ人の列に加わるのが、ムスリムです。イスラム教徒たちは、自らの境遇やその背景について、どのように考えているのでしょうか。3月31日の『ル・モンド』(電子版)が、映画監督、カリム・ミスケ(Karim Miské)の一文を掲載しています。

カリム・ミスケは、南北問題、東西関係、生命倫理などに関する作品を手掛ける映画監督、ドキュメンタリー作家。ルーツは西アフリカのモーリタニア(モーリタニア・イスラム共和国)。1988年の“Economie de la débrouille à Nouakchott”で監督デビュー。2009年には、France3で放送されたドキュメンタリー・シリーズの監督も務めましたが、この作品は、1904年にアルジェリアからカビリア人(Kabyle)がフランスに移住し、北部の炭鉱、マルセイユの石鹸工場、リヨンの工場で働き始めてから、2007年にラシダ・ダチ(Rachida Dati)、ファデラ・アマラ(Fadela Amara:NPNSの創設者)、ラマ・ヤドゥ(Rama Yade)というイスラム教徒の女性3人が内閣に名を連ねるまでを描いたドキュメンタリー作品です。カリム・ミスケの興味の対象を物語っていると思います。さて、彼は、どのような文章を『ル・モンド』に寄稿したのでしょうか・・・

与党UMP(国民運動連合)の幹事長と共和国大統領が公言したように、フランスは再びイスラムについて国民的議論を行うことになるようだ。先のアイデンティティやブルカに関する論争と同じように、我々イスラム教徒は、庶民階級から知識層や指導者層にまで広がるさまざまな階層に散在するある種の国民によって何ら自制されることなく投げかけられる偏見の対象となる心の準備をすることが必要だ。イスラム嫌いと呼べる、イスラムに関するものはすべて拒否するこの病的な態度は、信者であろうと、不可知論者であろうと、無神論者であろうと、ムスリムと見なされるすべての人々に一様に向けられる。このことにより、今日のムスリムは、サルトル(Jean-Paul Sartre)がその立場を再定義したような19・20世紀の反ユダヤ主義の時代を生きたユダヤ人と同じ立場にいるのではないかと思える。1944年にこの実存主義の哲学者は、「ユダヤ人は、反ユダヤ主義によって作られる」(C’est l’antisémite qui fait le juif.)と書いていたが、2011年の今日、次のように言うことができる。「ムスリムは、イスラム嫌いによって作られる」(C’est l’islamophobe qui fait le musulman.)。

今日のフランス社会において、敬虔なイスラム教徒である労働者と、退職したアルジェリア人、モーリタニア人で無神論者の映画監督(私のことだが)、マント・ラ・ジョリ(Mantes-la-jolie:パリ西方57kmにある町)に住む西アフリカ・大西洋岸で話されるフルフルデ語話者であり、スーフィー(アッラーとの合一を目指し、清貧行などの修業に励む人々)でもある銀行員、イスラムに改宗したブルゴーニュの女性教師、祖父母の出身地であるウジュダ(Oujda:アルジェリアとの国境に近いモロッコの町)に一度も足を踏み入れたことのない不可知論者の看護婦を一体いかなるものが結び付けているのだろうか。我々をムスリムと見なす社会に暮らしているということ以外に何が我々をひとくくりにすることができるのであろうか。コーヒーの自販機の前でおしゃべりをする、ニュースを見る、雑誌を読むといった日常の中で、何が我々に次のようなことを思い出させるのだろうか、ブルカや路上での礼拝と同じようにフランス人の将来に根本的な影響をもたらす現象に関して我々がその責任の一端を負っているということを。共和国憲章がうまく適用されていないのは、フランスのアイデンティティが危機に瀕しているのは、あるいは、アフガニスタンで少女たちが学校に通わないのは、サウジアラビアにキリスト教の教会が建てられないのは、それはすべて我々イスラム教徒の所為と見なされる恐れがある。それは、我々が明らかにムスリムと分かる皮膚の色や名前をもっているからであり、あるいは我々がイスラム教に帰依しようなどという突拍子もない考えをもったからだ。

もちろんこうした事柄に無関心でいる振りをしたり、自分の故郷とフランスにだけ愛着を持ち、ライック(laïque)で共和国主義者(républicain)であるフランス人のようにふるまうことは容易だ。しかし、常にイスラム教徒(Musulmans)というレッテルを貼られながら、フランス人としての立場をいつまで取り続けることができるだろうか(ここで私はイスラム教徒を大文字の“M”で書き始めたが、それは各自の信仰する宗教とは無関係に社会の目によって決められる新しいタイプのアイデンティティ・カテゴリーだからだ)。

サルトルはその著『ユダヤ人問題についての考察』(Réflexions sur la question juive)の中で、ユダヤ人を「真正ユダヤ人」と「非真正ユダヤ人」に区別した。真正ユダヤ人は自らに向けられる社会の目を考慮に入れる(ユダヤ人として自分を選択する)ユダヤ人であり、非真正ユダヤ人はそうした態度を取らないユダヤ人だ。フランスのムスリム、西洋のムスリムとして、我々は今日、ユダヤ人と同じく、真正か非真正かという存在の根幹にかかわる選択を迫られる立場にいる。その選択は各自の宗教的帰属や歴史的関係、文化的指向などとは関係がない。それは、我々の卑小な存在を最終的に受け入れるために考え行動することなのだが、言われているように、もはや使い古された嘘でしかない共和国の普遍性という鋳型に我々を流し込むことによってではなく、今我々が存在している立場で考え行動することだ。ムスリムとしての我々の立場は、歴史の中では、プロテスタントや、ユダヤ人、黒人、ロマの立場と重ね合わせることができる。すなわち、「他人」(Autre)の立場であり、社会の多数派が自らを規定しようとする立場と対比される居場所だ。差異が消え失せようとすると、自らのアイデンティティがぐらついてしまうような立場だ。

今日フランスにおいて真正ムスリムになることは、まさに、社会の中で他人として生きるというパラドキシカルな立場を受け入れることだ。そこでは、我々を疎外する目とぶつかることになる。我々の日常体験を支えに、社会の変化に最も抵抗する層から発せられるその目と戦うことになる。信仰が篤かろうが不信心であろうが、ルーツの文化に愛着があろうとなかろうと、フランスでムスリムとして存在することとはそういうことなのだということを我々は知っている。しかし我々はもはや、我々を統治する側の人間からムスリムだからと侮蔑されることを受け入れることはできない。我々への共感を欠いたジャーナリストが視聴率を上げるために、不健全な考えをもったオピニオン・リーダーが評判を上げるために、策略を弄する政治家が得票を増やすために、我々ムスリムを利用することを拒否する。我々はもはや衒学的なコメンテーターが我々に替わって、ムスリムは生きている、感じている、考えていると語る声を聞きたくない。

我々はもはや我々ムスリムに与えられた立場を意識してしっかりと受け入れるしかない。そこから我々を解放し、ひいてはあなた方フランス人を解放しよう、アメリカの黒人が、世界中の女性が、ホモセクシャルがやってきたように。また、今後、社会から疎外され、監視のもとに不十分な市民としての立場で生きていかざるを得ないすべての人々がするであろうように。

・・・ということで、少数派はその社会から疎外され、不当な扱いを受ける。さまざまな差別、蔑視、憎悪。それは肌の色による違いであることもあれば、民族、性別などの差異によることもあり、多くのカテゴリーに及んでいます。多数が少数を疎外する。世界のどこでも行われているようです。

お互いの出方をうかがいながら生きていくような閉じられた社会では、なおのこと。堀紘一氏がかつて語っていたように、「日本は異質を排除する社会」。しかし、異質であっても、西洋人、いわゆる白人は名誉多数派として受け入れているようです。そこには、逆の人種差別があるのではないでしょうか。日本人=バナナ、という批判もありました。黄色い皮膚をもっているが、中身は白人。白人のつもりで、他のアジアを見下している。また、かつて、南アフリカで名誉白人と言われ喜んでいた時代もありました。しかし、日の丸でもつけていない限り、どこに行ってもアジア人の一人として見られることに変わりはありません。白人社会では、程度の差こそあれ、差別される側の人間です。外見上で分かる少数派(minorités visibles)。

士農工商に倣ったようなランク付けをやめ、お互い違うだけでそこには優劣はない、と考えられないものでしょうか。そうした差異への権利を認めたうえで、そうした差異を超越する道を進むことが大切なのだと思います。異質を排除する社会だからこそ、まず最初に差異を乗り越える努力を始めたいものです。もちろん、どう超越するのか、が課題ですが、そこに我々の知恵が発揮されるのだと思います。

1 コメント

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悩めるイスラーム (MGB)
2014-07-01 23:30:36
フランスのイスラーム問題は根深いですね。わたしも含め、周囲のフランス人も「関わりを持ち嫌いになった口」です。気質や習慣があまりにもフランス社会と馴染まないものも多く、けれど、自らがそれを理解することなく、他者が変わるのが当然だと思い込みが強いと感じます。

移民学校でもそうでしたが、勉強はしたくない。でも、勉強をしている人が気に入らず邪魔をしてきます。集合住宅では、綺麗に住んでいる家に対して、汚くしろと。理由は単純で、綺麗に住んでいる家が標準とされてしまうと、自分の自宅の汚さが目立ち、市役所から景観に関するクレームがつき迷惑と。イスラームの家族が三組住んでいますが、洗濯ものは外壁に直接干す、子供たちは通行人に向かって物を投げる。たまたまこの三組が例外だと言いたいところですが、残念ながら関わりを持ったイスラームはどこも似たような感じでした。あっ、ひと家族だけ親しくしているアルジェリアと移民二世のカップルがいますが、こちらの方々は珍しいタイプだとわたしはカテゴライズしています。

最終的にイスラームというよりも相性なのだと思うのですが、趣味趣向が合わない人たち、それが治安や情勢、財政に直接影響を受けるとなると、そうそう優しい眼差しにはなれません。
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