映画の都と言えば、ハリウッド。では、映画の父は・・・ご存知の方が多いと思いますが、フランス人のリュミエール兄弟、Auguste-Marie-Louis LumièreとLouis-Jean Lumière。1894年にシネマトグラフ・リュミエールを開発し、世界最初の実写映画『工場の出口』(La Sortie de l’usine, Lumière à Lyon)を翌1895年、パリで公開しました。50秒ほどの実写映画で、製作は弟のルイ・リュミエール。リヨンにあるリュミエール兄弟の工場を出てくる労働者たちを映したものです。
リュミエール兄弟が開発したシネマトグラフ映写機は、さっそく多くの国々に輸出されましたが、日本でも1897年2月20日、大阪の南地演舞場でリュミエール兄弟の製作したフィルムが公開されたそうです。当時から、関西には芸術や新しいものを受け入れる土壌があったのかもしれないですね。
「映画の父」、リュミエール兄弟が実写映画を上映してからわずか34年後、1929年5月16日に始まったのが、アカデミー賞の授賞式。今では、オスカー像を手にすることが、映画人にとって最高の栄誉と言われています。
24もの部門賞がありますが、その中でも最高の賞は、やはり作品賞。映画界最高の栄誉とは言われるものの、やはり「映画芸術科学アカデミー」(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)というアメリカの映画人の団体が選定する賞だけに、外国映画の受賞は難しいようで、その分、外国語映画賞という一部門を創設しています。
だから、というわけでもないのかもしれませんが、今までフランス映画が作品賞を受賞したことがありませんでした。それが、ついに、今年、受賞!!! それも先祖返りではないですが、モノクロのサイレント映画での受賞となりました。「映画の父」がフランス人だったことを思い出させたのでしょうか。
いや、作品のレベルが高かったのだ・・・27日の『ル・モンド』(電子版)がフランス映画のアカデミー賞・作品賞受賞を伝えています。
ミシェル・アザナヴィシウス(Michel Hazanavicius)のフランス映画、『アーティスト』(The Artist)は、26日夜、ロサンジェルスで5つのオスカーを受賞し、伝説の仲間入りをした。作品賞とジャン・デュジャルダン(Jean Dujardin)が受賞した最優秀男優賞は、それぞれフランス映画初の受賞となった。すでに世界中で多くの賞を受賞したこの作品が、アカデミー賞を受賞するとの呼び声は高かった。何しろ、セザール賞6部門(フランスのアカデミー賞で、1976年から受賞が始まっています)、英国アカデミー賞7部門(英国映画テレビ芸術アカデミーが選定する賞で、British Academy of Film and Televison Artsの略“Bafta”で知られています)、ゴールデン・グローブ賞3部門(ハリウッド外国人映画記者協会が選定する賞で、1944年から授与されています)、インディペンデント・スピリット賞4部門(独立系映画のアカデミー賞とも言われています)を受賞していたのだから。
アメリカにおける映画の年間授賞式で、フランス映画がこれほどのオスカーを手にしたことはなかった。アカデミー賞の歴史で、初めてアングロ=サクソン以外の国の映画に作品賞が授与されたわけだが、その『アーティスト』は作品賞以外にも最優秀男優賞、監督賞、作曲賞、衣裳デザイン賞を受賞した。
しかし、『アーティスト』も期待されていた他の部門では、惜しくも受賞を逃している。助演女優賞は、セザール賞で最優秀女優賞を受賞していたベレニス・ベジョ(Bérénice Bejo)ではなく、『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(La Couleur des sentiments:テイト・テイラー監督)のオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)、撮影賞はマーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』(Hugo Cabret)、美術賞も『ヒューゴの不思議な発明』、編集賞はデヴィッド・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』(Millenium : les hommes qui n’aimaient pas les femmes)、脚本賞はウッディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』(Minute à Paris)が受賞した。
『アーティスト』のプロデューサー、トマ・ラングマン(Thomas Langmann)は主催者の「映画芸術科学アカデミー」(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)が彼に誰もが希う賞を授けてくれたことに感謝の言葉を述べた。また、父親である、監督・プロデューサーのクロード・ベリ(Claude Berri:『愛人 / ラマン』のプロデューサー)、そしてミロス・フォアマン(Milos Forman:『カッコーの巣の上で』や『アマデウス』の監督)、ペドロ・アルモドヴァル(外国語映画賞を受賞した『オール・アバウト・マイ・マザー』の監督)など著名な映画人たちへ敬意を表した。
監督のミシェル・アザナヴィシウスは、妻の女優、べレニス・ベジョ(アルゼンチン生まれ、両親とともに3歳の時に軍事政権を逃れてフランスへ。アザナヴィシウスとの間には3歳の男の子と1歳の女の子がいます)に感謝の言葉を掛けるとともに、3人のアメリカ人監督に謝辞を述べた。3人とは、「ビリー・ワイルダー、ビリー・ワイルダー、そしてビリー・ワイルダー」(Billy Wilder:『麗しのサブリナ』、『七年目の浮気』、『昼下がりの情事』、『アパートの鍵貸します』などの監督)だ。
作品賞を受賞する少し前、監督賞を受賞した際、アザナヴィシウスはとても感動し、「今、世界で最も幸福な監督です」と述べるとともに、「あまりの興奮にスピーチを忘れてしまいました」と告白し、「時として人生は素晴らしい。今日がその日です」と語っていた。
フランス人俳優として初めて主演男優賞を受賞したジャン・デュジャルダンは、微笑みながら、彼の演じたジョルジュ・ヴァランタン(George Vlentin:『アーティスト』はサイレント映画です)が話すことができるなら、きっと“Oh, putain, merci ! Génial ! Formidable ! Merci beaucoup ! I love you”と言うだろう、と述べた。彼はまた、役作りの参考となったサイレント映画時代の大スター、ダグラス・フェアバンクス(Douglas Fairbanks:1915年から34年に、多くの作品に出演するとともに、監督・プロデューサーとしても活躍。「映画芸術科学アカデミー」の初代会長です)、そして妻で女優のアレクサンドラ・ラミー(Alexandra Lamy)に敬意を表した。
他のフランス映画も候補に挙がっていたが、長編アニメーション賞ではジャン=ルー・フェリシオリとアラン・ガニョルの『パリ猫の生き方』(Une vie de chat)が、ジョニー・デップが声優を務めた、虚言癖のあるカメレオンの話『ランゴ』(Rango)に屈した。
マーティン・スコセッシが監督をした、はじめての子ども向け3D作品、『ヒューゴの不思議な発明』(Hugo Cabret)も前評判が高かった。そして実際、5つのオスカーを受賞した。録音賞、美術賞、音響編集賞、視覚効果賞、撮影賞という技術関係の賞だ。
俳優部門では、メリル・ストリープ(Meryl Streep)がフィリダ・ロイド監督(Phyllida Lloyd)の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(La Dame en fer)で主演女優賞を獲得し、3つ目のオスカーを手にした。オスカー像よりもきらびやかな衣装に身を包んだ62歳の彼女は自らの説明し難いほどの素晴らしい経歴に対し列席者に謝辞を述べた。
今年の受賞シーズンに多くの賞を獲得していたオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)は、当然の結果として助演女優賞を受賞した。「このような素晴らしい恋人を賜りありがとうございます」と、小さく、筋肉質で、頭のつるつるしたオスカー像を恋人に譬え、涙にくれた。
カナダ人俳優のクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)は、82歳にして助演男優賞のオスカーを手にした。マイク・ミルズ監督の『人生はビギナーズ』(Beginners)で、人生の黄昏にゲイであることをカミングアウトする役を演じた彼は、スピーチで「私より2歳しか年長でないのに、今までどこにいたんだい」と、ユーモアを交えてオスカー像に語りかけた。会場は総立ちで彼に喝采を送った。オスカーが誕生したのは1927年で、クリストファー・プラマーの生まれる2年前だった。(註:英語版の「ウィキペディア」によるとアカデミー賞の受賞式が始まったのは1929年5月16日です。これでは、クリストファー・プラマーと同じ年齢になってしまいますが、第1回授賞式の選考対象になったのが1927 / 28年のシーズンに公開された作品だったため、1927年に誕生したオスカーというプラマーのスピーチになったものと思われます。)
前評判の高かったもう一作、アレクサンダー・ペイン(Alexander Payne)監督の『ファミリー・ツリー』(The Descendants)は脚色賞を受賞。脚本賞は『ミッドナイト・イン・パリ』(Minute à Paris)の脚本を担当したウディ・アレンに授与された。彼にとって4つ目のオスカーだが、賞の授与式に反対するウッディ・アレンは従前と同じく欠席した。
外国語映画賞はイラン映画『別離』(Une séparation)が受賞した。2月24日に受賞したセザール賞をはじめ、すでに世界中で多くの賞を受賞しているこの作品を監督したアスガー・ファルハディ(Asghar Farhadi)は、「イラン国民にこの賞をもたらすことができて誇りに思う。イラン人はすべての文化・文明への敬意を忘れず、敵意や恨みを軽蔑する人々です」と語った。
アカデミー賞授賞式の模様は世界中にテレビ中継された。会場は「ハリウッド&ハイランド・センター」(Hollywood and Highland Center)。フィルム・メーカーのコダックがチャプター11(破産法)適用を申請したため、「コダック・シアター」から名前が変更になっている。なお、ビリー・クリスタルが9回目の司会を務めた。
・・・ということで、フランス映画が初めてアカデミー賞作品賞を受賞し、主演男優賞もはじめて手にしました。これで、映画発祥の地としても、やっと溜飲を下げることができたのではないでしょうか。しかも、授賞作が、第1回の「つばさ」以来、83年ぶりというサイレント映画。まさに祖先帰りですね。
しかし、同時に、3D作品が技術部門で5つのオスカーを受賞。新旧織り交ぜ、今後の映画の進むべき道を模索しているのが現状ということなのではないでしょうか。
ところで、映画のタイトル。原題、フランス語のタイトル、日本でのタイトル・・・確認が大変でした。同じ、あるいは直訳なら苦労も少ないのですが。しかし、タイトルで観客動員数が増減することもあるのでしょう。宣伝マンが知恵を絞って付けているタイトルですね。
そういえば、かつて淀川長治さんが、ユナイト映画の宣伝部に勤めていた時、苦労してタイトルを考えていたという思い出話をしていたのを記憶しています。しかし、残念ながらどの作品だったか、思い出せません。淀川さんを偲んで、今日は、この辺で。サヨサラ、サヨナラ。
リュミエール兄弟が開発したシネマトグラフ映写機は、さっそく多くの国々に輸出されましたが、日本でも1897年2月20日、大阪の南地演舞場でリュミエール兄弟の製作したフィルムが公開されたそうです。当時から、関西には芸術や新しいものを受け入れる土壌があったのかもしれないですね。
「映画の父」、リュミエール兄弟が実写映画を上映してからわずか34年後、1929年5月16日に始まったのが、アカデミー賞の授賞式。今では、オスカー像を手にすることが、映画人にとって最高の栄誉と言われています。
24もの部門賞がありますが、その中でも最高の賞は、やはり作品賞。映画界最高の栄誉とは言われるものの、やはり「映画芸術科学アカデミー」(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)というアメリカの映画人の団体が選定する賞だけに、外国映画の受賞は難しいようで、その分、外国語映画賞という一部門を創設しています。
だから、というわけでもないのかもしれませんが、今までフランス映画が作品賞を受賞したことがありませんでした。それが、ついに、今年、受賞!!! それも先祖返りではないですが、モノクロのサイレント映画での受賞となりました。「映画の父」がフランス人だったことを思い出させたのでしょうか。
いや、作品のレベルが高かったのだ・・・27日の『ル・モンド』(電子版)がフランス映画のアカデミー賞・作品賞受賞を伝えています。
ミシェル・アザナヴィシウス(Michel Hazanavicius)のフランス映画、『アーティスト』(The Artist)は、26日夜、ロサンジェルスで5つのオスカーを受賞し、伝説の仲間入りをした。作品賞とジャン・デュジャルダン(Jean Dujardin)が受賞した最優秀男優賞は、それぞれフランス映画初の受賞となった。すでに世界中で多くの賞を受賞したこの作品が、アカデミー賞を受賞するとの呼び声は高かった。何しろ、セザール賞6部門(フランスのアカデミー賞で、1976年から受賞が始まっています)、英国アカデミー賞7部門(英国映画テレビ芸術アカデミーが選定する賞で、British Academy of Film and Televison Artsの略“Bafta”で知られています)、ゴールデン・グローブ賞3部門(ハリウッド外国人映画記者協会が選定する賞で、1944年から授与されています)、インディペンデント・スピリット賞4部門(独立系映画のアカデミー賞とも言われています)を受賞していたのだから。
アメリカにおける映画の年間授賞式で、フランス映画がこれほどのオスカーを手にしたことはなかった。アカデミー賞の歴史で、初めてアングロ=サクソン以外の国の映画に作品賞が授与されたわけだが、その『アーティスト』は作品賞以外にも最優秀男優賞、監督賞、作曲賞、衣裳デザイン賞を受賞した。
しかし、『アーティスト』も期待されていた他の部門では、惜しくも受賞を逃している。助演女優賞は、セザール賞で最優秀女優賞を受賞していたベレニス・ベジョ(Bérénice Bejo)ではなく、『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(La Couleur des sentiments:テイト・テイラー監督)のオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)、撮影賞はマーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』(Hugo Cabret)、美術賞も『ヒューゴの不思議な発明』、編集賞はデヴィッド・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』(Millenium : les hommes qui n’aimaient pas les femmes)、脚本賞はウッディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』(Minute à Paris)が受賞した。
『アーティスト』のプロデューサー、トマ・ラングマン(Thomas Langmann)は主催者の「映画芸術科学アカデミー」(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)が彼に誰もが希う賞を授けてくれたことに感謝の言葉を述べた。また、父親である、監督・プロデューサーのクロード・ベリ(Claude Berri:『愛人 / ラマン』のプロデューサー)、そしてミロス・フォアマン(Milos Forman:『カッコーの巣の上で』や『アマデウス』の監督)、ペドロ・アルモドヴァル(外国語映画賞を受賞した『オール・アバウト・マイ・マザー』の監督)など著名な映画人たちへ敬意を表した。
監督のミシェル・アザナヴィシウスは、妻の女優、べレニス・ベジョ(アルゼンチン生まれ、両親とともに3歳の時に軍事政権を逃れてフランスへ。アザナヴィシウスとの間には3歳の男の子と1歳の女の子がいます)に感謝の言葉を掛けるとともに、3人のアメリカ人監督に謝辞を述べた。3人とは、「ビリー・ワイルダー、ビリー・ワイルダー、そしてビリー・ワイルダー」(Billy Wilder:『麗しのサブリナ』、『七年目の浮気』、『昼下がりの情事』、『アパートの鍵貸します』などの監督)だ。
作品賞を受賞する少し前、監督賞を受賞した際、アザナヴィシウスはとても感動し、「今、世界で最も幸福な監督です」と述べるとともに、「あまりの興奮にスピーチを忘れてしまいました」と告白し、「時として人生は素晴らしい。今日がその日です」と語っていた。
フランス人俳優として初めて主演男優賞を受賞したジャン・デュジャルダンは、微笑みながら、彼の演じたジョルジュ・ヴァランタン(George Vlentin:『アーティスト』はサイレント映画です)が話すことができるなら、きっと“Oh, putain, merci ! Génial ! Formidable ! Merci beaucoup ! I love you”と言うだろう、と述べた。彼はまた、役作りの参考となったサイレント映画時代の大スター、ダグラス・フェアバンクス(Douglas Fairbanks:1915年から34年に、多くの作品に出演するとともに、監督・プロデューサーとしても活躍。「映画芸術科学アカデミー」の初代会長です)、そして妻で女優のアレクサンドラ・ラミー(Alexandra Lamy)に敬意を表した。
他のフランス映画も候補に挙がっていたが、長編アニメーション賞ではジャン=ルー・フェリシオリとアラン・ガニョルの『パリ猫の生き方』(Une vie de chat)が、ジョニー・デップが声優を務めた、虚言癖のあるカメレオンの話『ランゴ』(Rango)に屈した。
マーティン・スコセッシが監督をした、はじめての子ども向け3D作品、『ヒューゴの不思議な発明』(Hugo Cabret)も前評判が高かった。そして実際、5つのオスカーを受賞した。録音賞、美術賞、音響編集賞、視覚効果賞、撮影賞という技術関係の賞だ。
俳優部門では、メリル・ストリープ(Meryl Streep)がフィリダ・ロイド監督(Phyllida Lloyd)の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(La Dame en fer)で主演女優賞を獲得し、3つ目のオスカーを手にした。オスカー像よりもきらびやかな衣装に身を包んだ62歳の彼女は自らの説明し難いほどの素晴らしい経歴に対し列席者に謝辞を述べた。
今年の受賞シーズンに多くの賞を獲得していたオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)は、当然の結果として助演女優賞を受賞した。「このような素晴らしい恋人を賜りありがとうございます」と、小さく、筋肉質で、頭のつるつるしたオスカー像を恋人に譬え、涙にくれた。
カナダ人俳優のクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)は、82歳にして助演男優賞のオスカーを手にした。マイク・ミルズ監督の『人生はビギナーズ』(Beginners)で、人生の黄昏にゲイであることをカミングアウトする役を演じた彼は、スピーチで「私より2歳しか年長でないのに、今までどこにいたんだい」と、ユーモアを交えてオスカー像に語りかけた。会場は総立ちで彼に喝采を送った。オスカーが誕生したのは1927年で、クリストファー・プラマーの生まれる2年前だった。(註:英語版の「ウィキペディア」によるとアカデミー賞の受賞式が始まったのは1929年5月16日です。これでは、クリストファー・プラマーと同じ年齢になってしまいますが、第1回授賞式の選考対象になったのが1927 / 28年のシーズンに公開された作品だったため、1927年に誕生したオスカーというプラマーのスピーチになったものと思われます。)
前評判の高かったもう一作、アレクサンダー・ペイン(Alexander Payne)監督の『ファミリー・ツリー』(The Descendants)は脚色賞を受賞。脚本賞は『ミッドナイト・イン・パリ』(Minute à Paris)の脚本を担当したウディ・アレンに授与された。彼にとって4つ目のオスカーだが、賞の授与式に反対するウッディ・アレンは従前と同じく欠席した。
外国語映画賞はイラン映画『別離』(Une séparation)が受賞した。2月24日に受賞したセザール賞をはじめ、すでに世界中で多くの賞を受賞しているこの作品を監督したアスガー・ファルハディ(Asghar Farhadi)は、「イラン国民にこの賞をもたらすことができて誇りに思う。イラン人はすべての文化・文明への敬意を忘れず、敵意や恨みを軽蔑する人々です」と語った。
アカデミー賞授賞式の模様は世界中にテレビ中継された。会場は「ハリウッド&ハイランド・センター」(Hollywood and Highland Center)。フィルム・メーカーのコダックがチャプター11(破産法)適用を申請したため、「コダック・シアター」から名前が変更になっている。なお、ビリー・クリスタルが9回目の司会を務めた。
・・・ということで、フランス映画が初めてアカデミー賞作品賞を受賞し、主演男優賞もはじめて手にしました。これで、映画発祥の地としても、やっと溜飲を下げることができたのではないでしょうか。しかも、授賞作が、第1回の「つばさ」以来、83年ぶりというサイレント映画。まさに祖先帰りですね。
しかし、同時に、3D作品が技術部門で5つのオスカーを受賞。新旧織り交ぜ、今後の映画の進むべき道を模索しているのが現状ということなのではないでしょうか。
ところで、映画のタイトル。原題、フランス語のタイトル、日本でのタイトル・・・確認が大変でした。同じ、あるいは直訳なら苦労も少ないのですが。しかし、タイトルで観客動員数が増減することもあるのでしょう。宣伝マンが知恵を絞って付けているタイトルですね。
そういえば、かつて淀川長治さんが、ユナイト映画の宣伝部に勤めていた時、苦労してタイトルを考えていたという思い出話をしていたのを記憶しています。しかし、残念ながらどの作品だったか、思い出せません。淀川さんを偲んで、今日は、この辺で。サヨサラ、サヨナラ。