ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

平和のハトは、銃で守られている。

2011-02-15 20:54:53 | 社会
「イタリアはボルジア家の圧政下にあった30年間、殺戮、テロ、戦争が横行した。しかし、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ等が活躍するルネッサンスを生み出した。一方、友愛精神のスイスは、その500年にわたる平和と民主主義で、いったい何を産んだのか? 鳩時計だよ」

映画『第三の男』(1949年制作、キャロル・リード監督)の中で、オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムが語る台詞です。グレアム・グリーンの脚本にはなかった台詞で、オーソン・ウェルズの提案によるものだそうですが、永世中立の非生産性を語っている言葉だと言われています。

その永世中立国のスイスで、家庭での銃の保持をめぐる国民投票が行われました。美しい自然と永世中立国という言葉から、銃などとは縁遠い国というイメージを持ちやすいのですが、実際には武装中立国であり、国民皆兵を国是としています。つまり、徴兵制がある。森の中にはトーチカが隠され、食糧備蓄も怠りなく、学校には避難用シェルターが造られ、各家庭に『民間防衛』という小冊子が配布されている。自らの身は自ら守る・・・

徴兵制度を廃止しようという提案が今までに三度、国民投票で否決されたスイス。今回の「家庭での銃保持を認めるな!」という提案も否決されました。詳しくは、13日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

13日に行われた国民投票で、スイスは、左派と平和団体が提案した、軍人と予備役が軍役についているときを除いて家庭で銃を保持することを禁止する、という提案を反対53.6%で否決した。

スイス民主主義の特徴でもある国民による直接提案。今回の銃規制に関する提案についての国民投票は、伝統的価値観にこだわる農村部では、大差で否決された。州別の賛否でも、提案が可決されたのは全26州のうち、ジュネーブ(Genève)、ジュラ(le Jura、中心都市はDelémont)、ヴォー(Vaud、中心都市はLausanne)、ヌーシャテル(Neuchâtel)、チューリッヒ(Zurich)、バル・ヴィル(Bâle-ville、ドイツ語表記ではBasel)というフランス語圏4州を中心とした6州のみだった。

提案の中心になったのは、スイス社会党と武器のないスイスをめざすグループで、今後、すべての銃は武器庫で保管し、銃の登録センターを連邦政府に設けることを要求した。提案自体は否決されたものの、銃をめぐる問題が国民の関心を呼んだことを社会党は評価している。

一方、右派政党“UDC”(l’Union démocratique du centre:中道民主連合:保守主義・リベラル派)は、次のように投票結果を喜んで受け止めている。今回の否決は、スイス国民が中立と民兵の銃保持を認めたことを意味し、個人の責任、自由といったスイスの価値観が、武器への恐怖感に基づく単純化された議論に勝ったことを示している。

銃保持をめぐる国民投票は、スイス国民の間に大きな論争を引き起こした。反対派にとっては、今回の提案は1874年以来のスイスの伝統に異を唱えるものだ。なぜなら、銃を家庭の引出しにしまっておくことは、スイス国防の根幹をなすものだからだ。スイスの軍人は20万人を数えるが、数千の予備役をすぐ招集できることによって補強されている。しかも、法律によって、18歳以上のすべてのスイス人が、若干の条件付きだが、銃を保持することを認められている。

国防省によると200万丁ほどの銃がスイス国内にあるが、これは3人強に1丁の割合であり、しかも24万丁は登録されていない・・・

ということなのですが・・・銃大国、スイス。あの素晴らしい自然の中に、200万丁の銃。14日の時事通信の記事によると、人口100人当たりの銃保有者の割合は46人で、アメリカ(89人)、イエメン(55人)に次ぐ第3位の銃大国になっている、というデータもあるそうです。

500年におよぶ平和が作り出したのは鳩時計だけかもしれない。しかし、その平和を守るためには、武器と国民皆兵をはじめさまざまな対策が講じられてきたわけです。平和は誰も与えてくれはしない。自らが獲得するべきもの。自ら守りぬくべきもの。スイスはそう語っているようです。

さて、日本の平和はいかに守るべきなのでしょうか・・・
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公務か、プライベートか。外交活動か、利益享受か。

2011-02-14 21:11:35 | 政治
閣僚が外国政府の招待を受けて海外へ。それは、外交活動に当たるのか、それとも、閣僚という地位への利益提供を享受したことになるのか。「法の精神」の国でも、このあたりはグレーゾーンで、意見が分かれるようですが、昨年末のクリスマス休暇での閣僚の海外旅行に関しては、非難が殺到しています。こんなタイミングで、こんな国へ行くなんて、どうかしている・・・8日、9日の『ル・モンド』(電子版)に掲載されていた数点の報道を基に、まとめてみましょう。

最初にやり玉に挙がったのは、アリオ=マリ外相(Michelle Alliot-Marie:略してMAM)。行った先はチュニジア。昨年末のチュニジアと言えば、すでに反政府デモが起きており、当局が実弾を発射して抑圧しようとしていた時期です。そうした時期に、事もあろうに旧宗主国の現職外相がバカンスを過ごしに出かけた。それだけでも「?」マークがつきますが、最終的には反政府の波に押されて海外(サウジアラビア)へ亡命したベンアリ前大統領に近い実業家からプライベート・ジェットの提供を受けて、首都・チュニスと観光地・カルタゴ(象に乗ったハンニバルの故郷ですね)を往復していた。

ベンアリ前大統領の正式招待ではなかったようですが、政府と反政府デモ隊の間を実弾が飛んでいるときに、その国でフランス外交のトップが権力側から利益提供を受けながら私生活でのパートナーと一緒にバカンスを楽しんでいた・・・これは政治的不手際と言われてもしようがないのでしょうね。野党・社会党は、外相のチュニジアでのバカンスはフランス外交にとって大きな汚点になったと非難して、辞任を求めています。

そこに、サルコジ大統領(Nicolas Sarkozy)が、今月初めにブリュッセルで開かれたEU首脳会議の後の週末、5日、6日の二日間、お忍びでニューヨークを訪問したことが明るみに。ニューヨークには末の息子・ルイ(Louis)が暮らしている。会いに行ったのでしょう。プライベートで行くなら、問題はないのでしょうが、パリ―ブリュッセル―ニューヨーク―パリと政府専用機を使っての移動。

ブリュッセルはパリからTGV(Thalys)で1時間半。飛行機で移動するより簡単じゃないか、という声に対して大統領府は、サルコジ大統領は就任以来、鉄道を使っての移動を差し控えている。それは安全面での理由と、多くの随行員ともどもの移動となるので、他の乗客へ迷惑がかかるのを避けるためである、と答えています。

しかし、チュニジア、そしてエジプト、さらにはアルジェリアと、地中海をはさんだ北アフリカで政権打倒のうねりが高まっているときに、いくら週末とはいえ、大統領が息子に会いにニューヨークへ行っていていいのか、という非難は当然起こりえますね。

そこに、追い打ちをかけるように、フィヨン首相(François Fillon)のクリスマス休暇問題が。外相がチュニジアなら、首相はその隣国・エジプトに。ただし、こちらはエジプト政府の招待だったようですが、しかしタイミングが悪すぎた。

エジプト滞在中の宿泊、そしてアスワン(アスワン・ハイ・ダムで知られていますが、アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆した場所であり、その舞台となった「オールド・カタラクト」ホテルも有名ですね)とアブ・シンベル(アブ・シンベル宮殿で有名な観光地)間の往復フライトをムバラク前大統領から提供してもらった。ムバラク前大統領にも会っているので、外交の一環と取れなくもないのですが、それでも家族そろっての旅行で、クリスマス休暇期間ということですから、どうなんだろうと首をかしげる向きも多いことでしょう。しかも、そのムバラク政権への国民の怒りが高まったとなれば、やはり問題視されても仕方がない。今ではそのムバラク政権が倒れた訳ですから、タイミングと行く場所が悪かった、と言わざるをえません。

しかし、クリスマス休暇の時点では、エジプトでは大規模な反政府運動はまだ起きていなかったわけですから、さすがの社会党も、フィヨン首相のエジプト行きをアリオ=マリ外相のチュニジアでのバカンスと同列には扱っていません。中近東の要であるエジプトの大統領との良好な関係を示すことで、自分のイメージを高めようとして、運悪く失敗したと見做しているようです。

日本語でも「外遊」というように、政治家の外国行きはプライベートなのか外交活動なのか、判然としないところがありますが、非難の三連発を受けては、サルコジ大統領も何らかの対応をしないといけないと思ったのでしょう、9日に新たなルールを閣議で発表しました。今後、閣僚のバカンスはフランス国内を優先すること。外国政府からの招待があった場合には、フランス外交にプラスになるかどうかを勘案して首相が認可することとする。さらに、宿泊費や交通費に関しても、賄賂性がないかどうか、官房がチェックをすることとする。

サルコジ大統領はさらに続けて、公共道徳に関する今日の国民の目は、以前とは比べ物にならないくらい厳しくなっており、政治家はそのことを理解し、自らの行動に責任を持つべきだ。国民の要求は当然のことであり、その要求に合致するようコントロールしなくてはならない。

確かに、アスワンの「オールド・カタラクト」ホテルにしばしば滞在したミッテラン元大統領(François Mitterrand)や、モロッコ政府から厚遇を頻繁に受けていたシラク前大統領(Jacques Chirac)のような例もありますが、当時は問題視されなかった。それが、サルコジ大統領の就任以降、2008年に大統領府での私的夕食会に出席するため、帰国用にプライベート・ジェットをチャーターし、138,000ユーロ(現在のレートで、約1,550万円)の公費を使ったエストロジ議員(下院議員兼ニース市長、産業大臣などを歴任)や、2010年初め、地震に見舞われたハイチで開かれる復興支援会議に出席するために同じくプライベート・ジェットを公費(116,500ユーロ:約1,300万円)で利用したジョワイアンデ議員の例などが非難の対象となり、批判をかわすためにフィヨン首相が昨年、ルールを制定しています。フランス国内の出張の際には鉄道か飛行機の定期便を利用すること、海外へ公務で出かける場合は政府専用機を使うこと、というものです。

『ル・モンド』は、この政府専用機についても、今回、追及しています。

現在フランス政府が政府専用機として利用しているのは、ジェット機が7機、プロペラ機7機、ヘリコプター3機となっています。

まずは、アメリカの大統領専用機「エア・フォース・ワン」に因んだ「エア・サルコ・ワン」(Air Sarko One)。首相や閣僚も利用できるとは言うものの、あくまで大統領に利用優先権があります。機種はエアバスA330-200で、カリブ航空から1億8,000万ユーロ(約200億円)で購入した中古機だそうです。給油することなく世界中どこまでも飛べる航続距離の長さが自慢です。

続いて、ファルコン(Falcon)7Xで2機保有しています。16人乗りの小型機ですが、パリ―ニューヨーク間を十分に飛べ、サルコジ大統領が息子に会いに行った際に利用したのもこのタイプです。2機のうちの1機はカーラ夫人のためにキープされていることが多いので、「カーラ・ワン」と渾名されています。

また、閣僚たちが主に利用するのが、ファルコン50で、老朽化した4機を保有しています。航続距離もあまり長くないそうです。さらには、プロペラ機、TBM700を7機、ヘリコプター、Super Pumaを3機保有しています。これら以外に、老朽化したエアバスA319を2機、ファルコン900を2機保有していますが、これらは売却の対象になっているそうです。

これらの機体を運行するのは、ETEC(l’Escadron de transport, d’entraînement et de calibration:運輸訓練計測航空中隊)に所属する168名の軍人で、国防省の管轄です。こうした人たちの人件費に加え、運行コストも当然発生します。ファルコン900を飛ばすのに1時間9,000ユーロ(約100万円)、ヘリコプターは1時間7,000ユーロ(約78万円)、エアバス330の場合は1時間当たり2万ユーロ(約220万円)かかるそうです。政府専用機の利用は、サルコジ大統領が38%、フィヨン首相が20%、国防相が5%、その他が37%となっています。

また、大統領と首相が政府専用機を利用する場合、故障によるスケジュールへの影響を考慮し、予備機が必ず1機、同行することになっています。コストが大きく膨らみますね。

財政危機の最中、こうしたコストが妥当なものかどうか、『ル・モンド』は他の国々のケースを調べています。

アメリカ大統領の場合は、安全第一で、コストに糸目はつけていないとか。ドイツのメルケル首相はエアバスA310、ブラジルのルラ前大統領は自国製の小型ジェット機エンブラエル190、中国の胡錦濤主席は「エア・フォース・ワン」と同じボーイング747-400機を利用しています。エアバスは英仏共同事業ですし、ブラジルはエンブラエルと自国機のセールスを兼ねているのでしょうね。中国の場合は、アメリカに肩を並べることが、特に国内向けに重要なメッセージになっているのではないかと思います。

では、日本の場合は・・・『ル・モンド』は言及していませんので、別に調べてみると、やはりアメリカに倣えで、ボーイング747-400を2機保有し、首相が利用する場合には「空飛ぶホワイトハウス」に因んで「空飛ぶ総理官邸」と呼んでいるそうです。

さて、フランスですが、外国からの便宜提供に乗りやすいのは、国のトップに公共道徳心が欠けているからだ、と社会党はサルコジ政権を批判しています。サルコジ大統領の“bling bling”(派手派手、成金趣味)が政権の隅から隅まで影響を及ぼしている・・・2012年の大統領選は、どうなるのでしょうか。ブリン・ブリンの継続となるのか、他の政党へ政権が移行するのか。どうなる事でしょう、目が離せません。
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笑うエリアと、泣くエリア・・・地域格差の大きい、フランスの失業率。

2011-02-11 21:03:28 | 社会
いろいろな統計数字を見る際、ついつい平均値で理解したつもりになったりすることって、よくありますね。平均寿命はどこの国が長いとか、国民一人あたりのGDPはどうとか。でも、格差の大きな国では、本当の問題が平均値に隠れて見えないこともある。地域ごとに、あるいは集団ごとに、さらには少数単位ごとに見て行かないと、問題を見過ごしてしまうことがありますね。そのためにも草の根の取り組みが必要になっているのですが。

そうした地域格差の例を、フランスの失業率が示しています。伝えているのは、7日の『ル・モンド』(電子版)です。

2010年末のフランスの失業率は、全国平均で9.3%。しかし、こうした平均値は、失業が大きな問題にはならず、経済危機もうまくかわしている地域と、社会問題の中の沈み、苦悩にあえいでいる地域、というフランスのふたつの顔を隠し、その格差に目が届かないようにしている。

失業率を雇用局の管轄エリアごとにマップに落として見れば、そこには大きな格差が浮かび上がり、その差は実に3倍にも達している事がわかる。INSEE(l’Institut national de la statistique et des études économiques:国立統計経済研究所)がフランス本土にある348の雇用局の事務所ごとにまとめたデータを、初めて『ル・モンド』が公表する。

今フランスは不景気と失業問題に意気消沈し、将来への心配から苛立っているが、それでも、失業問題に大きく影響されていない地域は存在している。イル・ド・フランス地方(l’Ile-de-France)、アルザス地方(l’Alsace)、リムザン地方(le Limousin)、ペイ・ド・ラ・ロワール地方(les Pays de la Loire)などだ。これらの地域では、失業率は7%以下で、さらに細かい区分ごとに見れば、完全雇用に近い数字の地域すらある。

失業率の最も低いところは、オルセー(Orsay:パリの南西22kmにある市)とロゼール(Lozère:南部、ラングドック・ルシヨンとオーヴェルニュの間にある県)で、失業率はわずか4.9%。また、ヴェルサイユ(Versailles:ヴェルサイユ宮殿でお馴染み、パリの南西にある市)、ロデーズ(Rodez:南西部、ミディ・ピレネー地方にある市)、モーリアック(Mauriac:中南部、オーヴェルニュ地方にある市)、ヴィトレ(Vitré:西部、ブルターニュ地方にある市)、サン・フルール(Saint-Flour:オーヴェルニュ地方にある市)、ロワシー・アン・フランス(Roissy-en-France:パリ北方、シャルル・ド・ゴール空港のある市)での失業率は5%をわずかに超える程度で、全国平均9.3%の半分程度の低さになっている。

INSEEの担当者は、次のように述べている。フランスの失業率を地理的に見てみると、そこには大きな構造的差異が見られる。リーマン・ショックによる経済危機にもかかわらず、その傾向は基本的には変わっていない。失業問題を他の地域よりうまく処理している地域は厳として存在している。

上記エリアが笑顔のフランスだとすれば、逆に泣くフランス、つまり、失業問題にあえいでいる地域は、主にノール地方(le Nord)、ピカルディ地方(la Picardie)やシャンパーニュ・アルデンヌ地方(la Champagne-Ardennes)の農村部、ラングドック・ルシヨン地方(le Languedoc-Roussillon)やPACA地方(Provence-Alpes-Côte d’Azur)の平均的市町村だ。

特に失業率の高い自治体は、ノール地方のサンブル・アヴェノワ市(Sambre-Avesnois)で、17.1%に達している。次いで、カレ(Calais:北部、ノール・パ・ド・カレ地方にある市)で16.2%、サン・カンタン(Saint-Quentin:北部、ピカルディ地方にある市)が15.0% 、ルベ(Roubaix:ノール・パ・ド・カレ地方にある市)とツゥールコワン(Tourcoing:ノール・パ・ド・カレ地方の市)が14.9%、ランス(Lens:ノール・パ・ド・カレ地方の市)で14.8%となっている。

失業は、あまり目立たず、よく知られていないような地方都市で、より深刻になっている。ベジエ(Béziers:南部、ラングドック・ルシヨン地方にある市)で14.9%、アレス・ラ・グラン・コンブ(Alès-La Grand Comb:ラングドック・ルシヨン地方にある郡)で14.5%、ガンジュ・ル・ヴィガン(Ganges-Le Vigan:ラングドック・ルシヨン地方の市)は14.2%。こうした地域は、金属鉱業や繊維産業といった近代化の遅れた産業に依存した地域であり、不況の影響をもろに受けている。以前から斜陽産業による影響を受けていたところに経済危機が押し寄せ、不況が長引いている地域だ。

・・・ということで、地理の勉強のようになってしまいましたが、美食と文化の国・フランスと言っても、地域による格差は大きい。パリにはもう飽きたから、地方へエコツーリズムに、と言っても、観光地の隣町では高い失業率に悩んでいるかもしれない。モザイク模様のように、さまざまなエリアが組み合わさってできているフランス。奥は、深い、ということですが、なにもフランスに限った話ではありません。

たとえば、タイ。観光客たちは、こんな笑顔の素敵な国はない。食事もおいしいし、ゴルフも安い。言うことなし。そんな感想を持つかもしれませんが、光が強ければそれだけ、影は濃い。数万円で人殺しを引き受ける人たちがいる。事故にあって死んだ人の無残な死骸をおかしがる人たちがいる。でも、こうしたことは、なにもタイに限った話ではありません。光と影。どこの国にもあります。

世界は、広い。しかも、その国一つ一つを知るには、奥が深い。大変ですけれど、だから面白いと思いたい。そう思わなきゃ、世界を少しでも知りたいなんて、やってられませんよね。
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司法官、怒る・・・サルコジを許さないぞ! 公判もストップだ!

2011-02-10 21:21:38 | 社会
21世紀の今日でも組合が強く、ストだ、デモだと、その活動も活発なフランス。労働者天国とでも言えそうなこの国でも、司法当局の組合には、さすがにスト権はないそうですが、その法曹界で今、多くの検事・裁判官も参加した、公判の停止という抗議行動が行われています。抗議する相手は、騒ぎが起こればいつもその中心にいる、サルコジ大統領。司法官(検察官と裁判官)たちはどんな経緯で大統領に怒っているのでしょうか。7日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

2月7日、この日はフランス法曹界において歴史的な一日となった。数百人の司法官たちが集まり、サルコジ大統領への怒りを表明するとともに、15か所ほどの裁判所での公判を延期することを決めた。長年に及ぶ大統領と法曹界との緊張関係がピークに達したわけで、その抗議活動はかつてない広がりを見せている。

法曹界の反乱、その背景は・・・18歳の女性、レティシア(Laëtitia Perrais)が性犯罪者に殺された事件に関し、法曹界にもその責任の一端があるとサルコジ大統領が批判したことだ。(事件の現場は、ポルニック(Pornic)というナントに近い人口15,000人ほどの町。容疑者は、トニー・メイヨン(Tony Meilhon)という31歳の男性で、16歳でクルマの盗難で捕まって以来、強姦、傷害などで13回も有罪判決を受けている常習犯。昨年2月に出所したばかり。1年もしないうちに、強姦致死という犯罪を起こしたようです。)

大統領は、常習犯の出所後の足取りをきちんとフォローしていなかった警察と司法に重大な責任があると糾弾。その批判に対し、法曹界が怒りの声を上げた訳だが、フィヨン首相(François Fillon)が7日の午後、メルシエ法相(Michel Mercier)とオルトフー内相(Brice Hortefeux)を首相官邸(Matignon)に呼んで協議を行ったほどその影響は大きなものになっている。フィヨン首相は、司法官たちの対応を過剰反応だとし、責任ある行動を呼びかけた。

レティシア事件を管轄するナントの裁判所は、大統領の批判を聞くや否や、すべての公判をストップ。16か所の裁判所が同調して、その運動の輪に加わった。最大規模の司法官組合連合(l’Union syndicale des magistrats:USM)は、全国で抗議運動を行う10日までフランス中ですべての公判を中断するよう訴え、また左派の司法官組合(le Syndicat de la magistrature:SM)は10日以降、職を遂行することを中断するよう呼びかけている。

7日、今後の活動方針を決めるため40か所ほどの裁判所で職員集会が開かれたが、いくつかの裁判所では逆に活動が後退した。しかし、11日までに100ほどの裁判所で集会が行われることになっている。まさに前例のない事態になっている。

破棄院(la Cour de cassation:日本の最高裁)の著名な司法官までが、参加しようとしている。4日には、ふたつの組合が、ラマンダ破棄院長官(Vincent Lamanda)に緊急協議会を開催するよう依頼した。司法当局者によると、裁判官、検察官ともに、長官への手紙の中で、司法官や司法官僚への最近の攻撃に対して法曹界全体で立ち上がり、抗議活動に加わることを要請した。

メルシエ法相は、サルコジ大統領は司法官全体を批判しているのではないと述べ、抗議活動を鎮静化しようとしているが、司法官たちはもううんざりしている。国民の関心を呼ぶ社会的事件が起きると、対応に厳しさが足りないと司法官を非難することで責任を転嫁しようとするのが大統領の常だからだ。

司法官たちは、法曹界へ配分される予算が少なく、人員も削減されており、しかも司法の自治への侵害があることを非難している。実際、住民一人当たりの司法予算はヨーロッパ内で最も少ない国のひとつになっている。メイヨン容疑者に関しても、司法当局には落ち度がないと主張する。メイヨン容疑者は司法官が勝手に出所させた訳ではなく、刑期をしっかり終えて出所したのであり、出所後の追跡ができていなかったのは、人員不足が原因で、ナントの裁判所には刑の適用を監督する判事は3人しかおらず、3,300人の元受刑者のその後を17人の保護観察官で追跡しているのが現状だ。

7日、テロリスト担当の予審判事であり、予審判事協会(l’Association française des magistrats instructeurs:AFMI)の会長でもあるトレヴィディック氏(Marc Trévidic)は、サルコジ大統領を次のように非難した。司法制度に対する大統領の批判には政治的策略があり、そうした批判は憲法に定められた大統領の役割を逸脱しており、その司法政策は詭弁に満ちたものになっている、と。

トレヴィディック氏は、ラジオ局の取材に答えて、サルコジ大統領は司法に十分な予算を配分することなく、次々と新しい法律を制定している。そこには長期的視点に立った政策はなく、国民に向けた派手な自己顕示でしかない。今や彼に十分な刑罰を与えるタイミングだ、なにしろ常習犯には一層厳しく対処すべきなのだから、と皮肉を交えて批判を展開している。さらに、司法活動を立派に行うのに十分な予算が保障されないのは以前からであり、なにもサルコジ大統領が始めた訳ではない。しかし、以前との違いは、すべて司法の責任にすることだ。こう続けている。

・・・ということで、公判の停止という抗議活動を行っているフランスの司法。9日夜のFrance2のニュースによると、公判・審議のストップは195ある裁判所のうち170か所にまで拡大しているそうです。

相手が大統領であろうと、言うべきことは言う、戦う時には戦う。しかも、連帯をする。自分だけいい子になろうと抜け駆けする人は非常に少ない。一方、日本では、階段を外されることが多い。おだてられ、先頭になって抗議を行うと、ふり返れば自分だけ。誰も付いて来ていないどころか、非難のまなざしが。そんなことがよくありますね。だから、おかしいと思っても、抗議したり、反対の意思表示をすることが少ない。せいぜい、陰で愚痴るのが関の山。あるいは、不満が嵩じて、一人、暴発してしまう。

これまた、彼我の差ですが、もちろんどちらが良いとか、正しいということではありません。それぞれの社会で、長い年月かけて形作られてきた生活の知恵。それぞれの社会で生まれた処世術です。ただし、さまざまなツールで、異なった社会を知ることができるようになった今日、もしちょっと変えたほうが良いのではと思えることがあれば、少しずつ変えて行った方がより幸せになれるのではないでしょうか。この点、日本はキャッチアップのうまい国。よその良い制度、良い方法はうまく取り入れたいものです。

しかし、誰が始めるかが、やはり問題だ!
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教師、休む。代用教員、いない。父兄、怒る。

2011-02-09 21:26:05 | 社会
以前にも登場しましたセーヌ・サン・ドニ県(Seine-Saint-Denis)。パリの北東から北にかけてすぐ隣接する地域です。郵便番号に因んで“93”とも言われていますが、移民が多く住み、失業率や事件発生件数の多い地域(le quartier sensible)。問題を抱える大都市郊外の典型です。95年の騒乱(les émeutes de 2005)も、この地域で始まりました。

このセーヌ・サン・ドニ県で、新たな問題が持ち上がっています。舞台は、Epinay-sur-Seine(エピネイ・シュル・セーヌ)という町です。パリから北へ12km、セーヌ右岸に広がる人口5万人余りの町ですが、セーヌ・サン・ドニ県の中でも犯罪発生率の高い地域です。2005年の資料ですが、人口1,000人当たりの年間犯罪発生件数が113.70件。住民9人に一人が犯罪に巻き込まれていることになります。セーヌ・サン・ドニ県全体では95.67、全国平均が83.00ですから、その犯罪件数の多さが分かろうというものですね。

この町が今抱えている問題は、幼稚園で休む教員が多く、代用教員も手当てがつかず、朝せっかく子供を幼稚園に送り届けた父兄が、そのまま連れ帰るということが頻繁に起きているということです。同じことの繰り返しに、ついに堪忍袋の緒が切れた父兄たちが幼稚園を占拠。対策を急ぐよう、行政側にプレッシャーをかけ始めました。・・・6日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

2月7日、エピネイ・シュル・セーヌにある28の保育所のうち20校が、怒れる父兄によって占拠された。近くのサン・トゥアン(Saint-Ouen)の町でも14校、同じくセーヌ・サン・ドニ県内の他の町でもさらに数校が、同じく父兄によって占拠された。

父兄たちは、教師が休みのため、子どもをまた連れ帰ることに、もういい加減うんざりしてしまった。例えば、エピネイ・シュル・セーヌにあるジャン・ジョレス(Jean-Jaurès)幼稚園のあるクラスでは、昨秋の新学期からで既に58回も教師が休んでおり、そのうち50日は代用教員も来ず、子どもを連れ帰らざるを得なかった。うんざりした父兄たちは、1月中旬に教室占拠を始めた。当初、町の関係部署は、セーヌ・サン・ドニ県の他の地域よりも代用教員の割り当てが少ないためだと説明していた。

しかし、県内の代用教員の割り当ては子どもの数ごとに均等に配分されている。県内にある7,100クラスに700人の代用教員がおり、およそ10クラスに一人のバックアップ教員がいることになる。しかし、それでも休む教員をカバーできないのには他に理由がある。

パリから12km離れており、交通の便が良くない。しかも、犯罪が多い。従って、エピネイ・シュル・セーヌへの転勤を希望する教員が非常に少ない。この町への転勤辞令を受け取った教員たちも、ほとんどがここへ引っ越さずに、以前からの居住地から通おうとする。冬には、教員の欠席率が16%にも達するが、それはインフルエンザの影響なのか、あるいは長距離通勤に起因する疲労からなのか。他の町から通う若い教員に見られる休みが多いという特徴は、代用教員を割り当てる際、考慮に入れられたのだろうか。

この問題が解決されるとして、それまでの間、教員が休めば子供たちを世話する人間がおらず、子供を連れ帰らざるを得ない父兄たち。苛立ち、怒りに燃えている。文部大臣のリュック・シャテル(Luc Chatel)は以前、パリ市内や他のエリアから代用教員を派遣すると言っていたが、何と美しい約束であろうか。エピネイ・シュル・セーヌの父兄たちは、隣の県、ヴァル・ドワーズ(Val d’oise)から追加の代用教員がやって来るのではと期待しているのだが、今だ誰ひとりとして現れていない・・・

ということなのですが、エリアによっては、教員から見捨てられているところもあるようです。転勤したくない、できるだけ多く休んでしまいたい、問題に巻き込まれたくない・・・教員とはいえ、自らの考えや主張を優先する。その結果、子供をきちんと預かってもらえない幼稚園が存在することになる。幼稚園の先には、小学校、中学校。当然、そうした地域では教育のレベルも下がる。だから、教育に熱心な親の家庭は、そうしたエリアには決して移り住まない。従って、エリアによって、教育レベルに大きな開きができてしまう。

教員の欠席率が高いという点を除けば、何もフランスだけの話ではありませんね。日本でも、他の国々でも。しかも、遥か彼方の昔から。孟母三遷。パリでは、やはり6区、7区の教育レベルが高いようで、ソルボンヌ文明講座の教師も、子供の教育を考えて、7区に引っ越したと言っていました。

また、バカロレア(le baccalauréat:大学入学検定試験)の合格率も、高校ごとに発表になり、親としては当然、合格率の高い高校へ進学させたい。そこへ入るためには、どの中学校が良いのか、小学校は・・・ただ、フランスの場合は、高校の職業コースを卒業して実社会に出るという生徒も多いので、エリート校への進学は日本よりは少数精鋭の競争になっているようです。

移民の多く住む大都市郊外。そこで起きている問題をどう解決していくのか。フランスに突き付けられている大きな課題です。
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タバコの生産・販売・消費を禁止すべし・・・ジャック・アタリのご託宣。

2011-02-08 20:43:39 | 社会
先日、『国家債務危機』(“Tous ruinés dans dix ans ? Dette publique : la dernière chance”)の出版を機に来日、多くのメディアで紹介されたジャック・アタリ(Jacques Attali)。現代フランス、最高の知性の一人とも言われています。ミッテラン大統領の側近中の側近で、補佐官も務めました。欧州復興開発銀行の初代総裁、21世紀の新しいフランス国家像を検討する「アタリ委員会」(Commission Attali:正式名称は、Commission pour la libération de la croissance française)の委員長などの任にあたった経済学博士であるとともに、グルノーブル大学交響楽団の共同指揮者やオルセー美術館の理事になるなど、幅広い分野で活躍しています。

この知性の塊、その発言が今、ちょっとした物議を醸しています。タバコの生産も、販売も、購入も、禁止すべきだ・・・7日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

ニューヨークでは公園や浜辺をはじめ戸外の公共スペースでも喫煙が禁止され、ハンガリーのブダペストではバス停での喫煙も禁止され、違反者には185ユーロ(約20,500円)の罰金が科されるというヨーロッパで最も厳しい反喫煙法のひとつが施行された。そのタイミングで、ジャック・アタリがタバコの生産・販売・消費を禁止すべきだと発言。議論を呼んでいる。

ジャック・アタリによれば、タバコの生産から消費までの全面禁止により、当初は税収面でマイナスになるが、やがてプラスの影響が出てくるということだ。彼は自分のブログで次のように述べている。問題になっている薬のメディアトール(Médiator)以上に大きな問題、それはタバコだ(メディアトールは太り過ぎの人や、太り過ぎが原因の糖尿病患者に用いられた薬ですが、心臓や血圧に副作用を及ぼし、死に至る場合もあるとして多くの国々では1990年代後半に使用が禁止されました。しかしフランスでは2009年11月まで使用が認められており、その結果、500~2,000人が副作用で死亡したのではと言われています。しかも、その薬の製造元のオーナーがサルコジ大統領と近い関係にあるため、政界を巻き込んだスキャンダルになっています)。

ジャック・アタリ、続けて曰く。この明らかに有害で、世界中で毎日13億人が吸い、毎年エイズとマラリアによる死亡を合わせた数よりも多い500万人を死に至らせているタバコに、どうしてメディアトールに対するのと同じ厳しさで対処しようとしないのか。その寛容さ、意識のなさには唖然とするばかりだ。

だが、タバコが国家に収入をもたらすのも事実だ。2009年、100億ユーロ(約1兆1,200億円)の税と60億ユーロ(約6,700億円)の付加価値税を国庫にもたらした。

しかし、もはや、言を左右する時ではない。タバコの生産・販売・消費を禁止すべきだ。この禁止により、職を失う人が出ることや、税収の落ち込みがあること、しばらくブラック・マーケットが活性化してしまうことなどは理解しているが、それらはニコチン中毒を治すために必要な出費と考えるべきだ。

長期的に見れば、国民は生活の質を高め、より一層の長寿を享受できる。経済・財政も含めて、ポジティブな結果を得ることができるのだ。この禁止策について、2012年の大統領選挙の候補者たちがどう答えるのか、興味津々で見守ってゆきたい。

・・・ということなのですが、禁止したとしても、長期的には財政的に問題とならないのはなぜなのか。詳しくは紹介されていませんので分かりませんが、ジャック・アタリのことですから、それなりの数字と分析・予測に基づいて言っているのだと思います。タバコに関する税収と、喫煙・受動喫煙に起因する医療費などの社会保障費、その兼ね合いなのでしょうね。

ジャック・アタリのご託宣に従えば、タバコは全面禁止できる。後は、政治家の決断次第。やはり、最後は、政治家の判断になってしまいますね。薬のメディアトールに関するスキャンダルでも窺い知れるように、フランスでもロビー活動に弱い政治家が多い。どこまで一般国民の利益を第一に考えた施策を採用できるのか。政治家の人間性が問われるのでしょうね。日本でも、禁煙への動き、永田町では、どう考えているのでしょうか。

因みに、主要国の喫煙率は・・・(2007年、OECD)
(左:男)      (右:女)
01位 トルコ:51.1%     オーストリア:32.2%
02位 韓国:46.6%      ギリシャ:31.3%
03位 ギリシャ:46.0%    アイルランド:26.0%
04位 日本:41.3%      オランダ:26.0%
05位 オーストリア:40.7%  ハンガリー:24.6%

26位 アイスランド:21.3%  カナダ:15.5%
27位 カナダ:19.1%     アメリカ:14.9%
28位 アメリカ:19.1%    日本:12.4%
29位 オーストラリア:18.9% ポルトガル:9.0%
30位 スウェーデン:13.9%  韓国:4.5%

北米や北欧で喫煙率は低くなっており、ヨーロッパの他の国々で高くなっていますね。面白いのが、日本と韓国。男性の喫煙率はトップクラスですが、女性の喫煙者は少ない。女だてらに、タバコなんか吸って・・・という名残りなのでしょうね。紫煙の彼方に男女差別が見える。

因みにフランス人の喫煙率は、2002年のデータで、男性が約40%で、全体で34%程度と言われていますから、女性は28%程度なのだと思います。しかし、2007年2月から屋内の公共の場を禁煙にしましたから、その後はかなり減少しているものと思われます。

タバコの煙のないフランス映画なんて・・・という気もしますが、健康のためです。ぜひとも、禁煙へ。ジャック・アタリの提言に拍手です。
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フランスでも広がる政治不信。これも、ひとつのグローバル化!

2011-02-07 20:20:27 | 政治
首長政党vs既成政党とも言われた名古屋市長と愛知県知事選挙。結果としては、首長政党が勝利したわけですが、中央の既成政党の中には、異質な名古屋での選挙結果であり、中央の政治には影響しないと、本音なのか負け惜しみなのか、そんなふうに言っている国会議員もいましたが、首長政党が大阪、名古屋だけでなく、多くの自治体で誕生しているのを聞くにつけ、国民の既成政党離れ、そしてその底にある政治不信、あるいは政治家不信は爆発寸前まで膨らんでいるのではないかと思えてしまいます。

そうした「政治」への不信感、この分野においてもグローバル化が見られるようで、フランスでも議員やその公約に期待を抱かない国民が増えているそうです。1月31日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

多くの問題を抱え、沈鬱な表情を見せているフランス国民は、問題解決を政治家に委ねることに次第に信を置かなくなってきている。こうした傾向は目新しいものではないが、その程度が年々ひどくなって来ている。「政治における信頼」をテーマに、パリ政治学院の政治研究センターとピエール・マンデス・フランス研究所(l’Institut Pierre-Mandès-France)の依頼で調査会社“Opinion Way”が昨年12月の7日から22日にかけて、18歳以上の1,501人を対象に行った調査結果がこうした傾向を裏書きしている。

その調査結果からは、大きく3つのポイントが指摘できる。まずは、政治不信がひどくなっているということ。制度疲労という意味では、特に既成政党への不信感が大きい。大統領選まで15カ月、既存の政党はこうした国民の不信感を真剣に受け止めるべきだ。フランス国民二人に一人以上が、右翼であろうと左翼であろうと、今の政治は国民が抱える問題を解決できないと思っている。

二つ目のポイントは、特に地方議会議員への不信感だ。現職の大統領や首相の支持率よりはまだましだとは言うものの、地方議員への信頼感は目立って下落している。

三つ目の指摘は、保護を求める国民が増えているということだ。格下げ、あるいは下の社会的階層へと落ちることを非常に恐れるフランス社会において、国民は政治家による保護を一層求めるようになっている。こうした保護主義は、経済面でも文化面でも見られる(国民の生活を守れ、フランス文化を守れ!)。フランスには移民が多すぎると考える国民は59%に達し、前年より10ポイントも増えている。この傾向は特に学位を持ち、宗教に興味を持たない若年層に顕著だ。こうした層は、伝統的に左翼支持層と重なるだけに、社会党にとって特に留意すべき調査結果となっている。

・・・ということなのですが、フランスでも、地方議会議員への不信が増大! 議員の活動が、一部の身近な支援者以外には見えにくい。それでいて、議員報酬が多い。フランスでも、こうした日本の現状と似ている状況なのかもしれません。

たとえば、名古屋市の場合。年間実働80日で、年収約1,630万円。本会議や委員会への出席の際に必要となる交通費などの費用弁償は廃止になったそうですが、長年適応されていました。また、政務調査費が一人月50万円。これは会派に支給され、支出されなかった場合は市へ返還される、ということですが、どれくらい返還されているのでしょうか。多いとは、思えません。それどころか、ないのかもしれないと勘ぐってしまいます。

実働80日・・・では他の日はどうしているのでしょうか。昨年、ある市議会議員がインタビューに答えて、立派に政治活動をしているんだと言っていましたが、そこで紹介された政治活動とは、取り巻きの支持者をバス旅行に連れて行く際の、バスの席順決めなどでした。要は、票固め。選挙対策だけであり、どれほど政策の勉強をしているのか、どれほど政策立案をしているのか・・・いちど議員になれば、あとはいかにして既得権益を守るか、そのことに汲々としている姿が窺い知れました。

こうした状況は、なにも名古屋市に限った話ではなく、私たちの身近な「政治」の世界でも行われているのではないでしょうか。そして地方議会が手本とする国政。国会議員が手にするのは、歳費に文書通信交通滞在費などを加えると、年間約4,400万円と言われています。これに三人の公設秘書の費用、約2,000万円が加わりますから、およそ6,400万円。政治とはまったくかけ離れた世界から突然政治家となった新人議員でもこれだけの額が支給されるそうです。一度なったら、止められない。

もちろん、国や国民、自治体とその住民のために自分の能力、時間のすべてを捧げたい、という立派な志を持った議員もいるのでしょう。しかし、活字や映像から伝わる姿は、どう見てもその歳費や報酬にふさわしくない議員が多いように思えてなりません。国会議員の積極的な自己変革が求められているのではないでしょうか。さもなければ、第二、第三の名古屋市が次々と起こってくるのではないでしょうか。

グローバル化する「政治への不信」から、日本がまず最初に抜け出すことを、強く願っています。
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フランスの不動産価格、2011年も上昇か?

2011-02-05 20:01:14 | 社会
ときどき話題になる、フランスの不動産価格。フランス人に限らず、投資先としてフランスの不動産を選んでいる外国人も多いようで、その中には日本の個人投資家もそれなりにいるようです。数年前からは、特に中近東からの投資が急増。それ以前はロンドンへ流れていたオイル・マネーが、パリを中心としたフランスの不動産価格の割安感から、一気に流れ込んできました。そして、その後を追うように、中国からの投資が。

では、昨年、大きく上昇したフランスの不動産価格。今年はどうなのでしょう。2010年の流れを引き継ぐのか、それとも一服感が漂うのか。2月2日の『ル・フィガロ』(電子版)によると・・・

パリおよび地方中核都市の中心街にある既存の居住物件は、引き続き価格上昇を続けるが、その伸び率は2010年ほどではない。それでも前年比、二桁の伸びにはなるだろう。“Un début d’année 2011 dynamique mais après ?”(2011年初頭にはダイナミックな動きがあるが、その後は?)というタイトルの付いたフランス公証人協会の不動産景気判断が、このような予想をしている。

パリ市内およびリヨン、ナント、ボルドー、モンペリエといった活気ある都市の歴史的建造物の多い地域では、10%以上の価格上昇になるだろう。パリ首都圏、パリ大都市圏でも価格は上昇を続けるだろうが、しかし年間では一桁の上昇に収まりそうだ。

上記以外の地域では、昨年よりも低い上昇率で、3~5%の上昇になりそうだ。全国不動産協会(la Fédération nationale de l’immobilier)によると、全国の中古物件の価格上昇は、平均して3~6%ほどが見込まれている。因みに、2010年には全国平均が1.5%だったが、パリでは15.7%という記録的上昇を記録した。

昨年の取引物件数は、2009年の59万戸から80万戸に急増。不動産への投資は、金融市場での投資よりも安全だと見做されていることが原因だろうと、公証人たちは述べている。

しかし、今年2011年の中古物件の取引戸数は前年を下回りそうだ。それには、政府の財政改革が影響を及ぼしている。税務改革の一環として、サルコジ大統領は1月中旬、現在のところ非課税となっている主な住居用中古物件の売買益部分への課税(l’idée de taxer les plus-values réalisées lors de la vente d’une résidenace principale, jusqu’ice défiscaliéees)を提起した。こうした改革の影響で、しばらく売るタイミングを見極めようとする物件保有者が多くなるからだ。その結果、短期的には市場へ供給される物件が減少し、価格押し上げの要因となるだろう。

今年の第一4半期には、不動産価格は前年の流れを受けて上昇を続けるだろうと予想されている。契約書などに基づく昨年末の予測によると、パリのアパルトマンの平均価格は、今年第一4半期に1㎡あたり8,000ユーロ(約90万円)を超えるだろうとのことだ。地方都市でも上昇を続け、市街地全体の平均でボルドーやレンヌでは15%、ナントとリヨンでは5~10%。一方、リールやトゥールーズでは0~5%の上昇と、比較的安定した推移となるだろう。

・・ということなのですが、株式市場へ流れていた投資マネーが、安全性を求めて不動産市場へ流れ込んだ結果、不動産価格が上昇している。その投資で儲かる人は良いのですが、投資としてではなく、自分の住居用として不動産を探している人にとっては、いい迷惑ですね。France2だったかTF1だったか、先日のニュース番組でも、劣悪な住居に住まわざるを得ない人々が非常に多くなっていると報道されていました。住居物件の価格が上昇すれば、賃貸価格も上昇する。その結果、住めるのは、狭く、古い住居、あるいは住居とはもはや言えないようなスペース。そうしたところに暮らしている人たちも多い。あるいは、手頃な物件が都心から遠ざかり、結果として長距離通勤を余儀なくされる人たちも多い。その一方で、マネーゲームの一環として不動産の売り買いをしている人たちがいる。

しかも、最近よく指摘されるように、アメリカの金融緩和策により、余った資金がコモディティ市場や不動産市場に流れ込み、価格を上昇させている。FRB(Federal Reserve Board:連邦準備制度理事会)のバーナンキ議長は強い口調で、こうした指摘を否定していましたが、実際はどうなのでしょう。資源や農産物を中心に、さまざまな「モノ」の価格が上昇しているのは事実です。コーヒーももうすぐ値上げされますね。私たちの台所を直撃するのも時間の問題。

その波が不動産にも。チャイナ・マネーやインディアン・マネーの流入も相俟って、不動産価格も上昇。日本も例外ではなくなるかもしれないですね。しかし、上がったものは下落する。中国の不動産バブルがはじけるという不安も指摘されています。マネーゲームで、私たちのささやかな夢、マイホームを絵に描いた餅で終わらせないでほしいものです。

現実の人生と、デジタル化された数字の世界・・・どう調和を図っていくのか。大きな課題ですね。
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緩和医療と尊厳死に関する、フィヨン首相からの手紙。

2011-02-04 21:13:38 | 政治
フィヨン首相からの寄稿文が、1月24日の『ル・モンド』(電子版)に掲載されていました。テーマは、緩和ケアと尊厳死。重いテーマですが、どう語っているのでしょうか・・・

個人的には、回復の見込みがなく、ただ耐え難い苦しみの中にいる、そうした親しい人の終末期ケアの現場に立ち会ったことはないのだが、息子の死ぬ権利を求めたマリー・アンベール(Marie Humbert)の苦悩に大きな衝撃を受けたことを思い出す(若き消防士Vincent Humbertは2000年9月、交通事故により、視覚障害・聴覚障害・四肢麻痺に。しかし、意識は正常で、その苦痛から脱するためにシラク大統領に尊厳死を求める書簡を送りました。そうした息子の願いを、2003年9月、ついに母であるマリーは医師の協力の下、叶えてあげました。しかし、尊厳死は違法・・・この事件が、フランスにおける緩和医療、尊厳死をめぐる大きな議論のスタートになりました)。

苦しむ家族を看取った人々が、苦しみを終わらせるために人生を短くすることがあってもよいのではないかと自問することは十分に理解できる。しかし、問題は、尊厳死の権利を法律で認めることをフランス社会が受け入れるかどうかだ。私は、この一線を越えてはいけないと思っている。しかし、議論の中では、どのような信念も排除されるべきでないことは理解している。

数年前、緩和医療と苦しみに対する取り組みに関して熱心な議論が行われたが、今日では、今までの取り組みの成果も踏まえての議論が行われるべきだ。

2008年6月、サルコジ大統領は、終末期ケアへの取り組みを最優先課題とした。この決断により、緩和医療の第一人者、オーブリー医師(Régis Aubry)を長とする緩和医療発展プログラムが始められた。オーブリー博士は2008年以降の4年間で、終末期ケアの患者数が10万人から20万人に増加し、緩和医療の病床1,200がさらに必要になると予想した。政府も、2008年12月に出された終末期ケアに関するレオネッティ(Jean Leonetti)の報告書にある助言を受け入れることを約束した(与党の下院議員であるとともに観光地としても名高いAntibes:アンチーブの市長を務めるJean Leonettiは、2004年秋からMission parlementaire sur l’accompanement de la fin de vie:終末期ケアに関する議会委員会をリードし、2005年には、La Loi relative aux droits des malades et à la fin de vie:患者の権利と終末期に関する法律を成立させています)。

上記の約束を、政府はしっかりと守っている。その例を二つ、紹介したい。

まず、医師の職業倫理規定を修正した。終末期ケアの中止を決める集団合議制の手続き、苦痛に耐えられない患者への緩和鎮痛剤の投与を行う手順を明確にするためである。

また、終末期ケアを受ける患者に付き添う家族への手当を、2010年3月2日の法律で制定した。一日53ユーロ(約6,000円)、最長21日まで支給されるこの手当は、家族連帯休暇を取得しているサラリーマンや一時的にパート勤務に移行した勤労者にも適応される。

こうした例からも明らかなように、私たちの基本的考えは、緩和医療を発展させること、どこまでも治療を続けるという態度を拒むこと、ということである。ただし、こうした考えは、緩和医療と看取りの権利を認めた、ジョスパン内閣が成立させた1999年6月9日の法律の流れをくむものであることを認めないわけにはいかない(ジョスパン内閣は、現在の野党、社会党政権です)。

尊厳死に関する法案を上院の社会委員会で採決するのを機に、尊厳死を法律で認めることに関する国民的議論が湧きあがって来ている。上院はこの件について、来週採決することになっている。その前に、誤解を解いておこう。「死ぬための積極的な手助け」、「死ぬための医療支援」・・・こうした声の背後にあるのは、尊厳死の問題だ。つまり、人の人生を終わらせる行為に関する問題であり、その結果はその行為に関わった一人一人が背負うことになる問題だ。

上院で採決されることになっている法案には、必要とされる保証が含まれていない。人生の終末をどう定義するのか、手続きをどうするのかといったことについて、曖昧な点が多く、法的に不備な点となっている。尊厳死の実施に関しても、明確でない条件が多い。法案は、医師の診断に関しても、家族からの情報に関しても明確な義務規則を整備していない。

なかんずく、この制度が危険なものだと思われるのは、法案では、尊厳死は委員会の経験のみに基づいて実施されるとなっている点だ。こうした仕組みでは、地域やその他の条件により、不均衡が生じるからだ。人生の終末を迎えている本人のみならず、その治療を担当する人にとっても危険なものとなる可能性がある。医師たちが誤った尊厳死を行ったとしてその責任を問われる可能性すらある。従って、全国医師会は、この法案に反対を表明している。

こうした大きなリスクに直面し、政府は責任を発揮すべきである。生きたいという生への希求、あるいは死を選びたいという意思、こうした人生の本質に関わるような問題に関しては、いかなる議論も排除されるべきではない。それは、生死にかかわる議論はまさに最も高貴な意味における「政治」にとって本質的な議論であるからだ。個人的には、死に至る積極的手助けを法律で容認することには反対だ。人間の生への尊厳、私たちの社会を創っている価値の尊重という自分の考えに反するからだ。しかし、終末期ケアにおける苦痛がどれほどのものであるのか、簡単に片づけられるようなものではないことは理解しているつもりだ。賛成、反対の両陣営で、非難し合ったり、タブーや困難な点で委縮すべきではない。お互いの意見に真摯に耳を傾け、誠実に議論を積み重ねていくべき問題だ。しかし厳に慎むべきことが一つある、それは、急いではいけないということだ。

我々は全力でこの問題に取り組むべきだ。国立終末研究センター(l’Observatoire national de la fin de vie)が2010年2月に設立されたが、死の認定とそれに関わる医療行為に関する認識を広めることを目的としている。この研究センターの仕事は、安楽死が認められている諸外国の事例から学ぶことが多い。注意深く分析すべきことが必要だが、たとえば、ベルギーでは安楽死が2002年の24件から2009年には822件に増えている。ベルギーで実施されている安楽死に関する法律よりも曖昧な部分が多い法案をフランスで採択する際には、各人がその結果が引き起こすリスクを推し量るべきである。

病人の権利と終末期に関する2005年4月22日の法律が、終末期の状況に適応した答えを導き出す大枠となりうる。この法律は、治療行為をどこまでも継続すべきという頑迷さを禁じ、また治療や緩和鎮痛剤の使用の停止、あるいは制限を認めている。この法律はまた、患者に延命治療の停止あるいは制限を求める権利を認めている。患者が意識不明の場合は、信頼のおける人物、あるいは家族、近親者の前で、患者自身が事前に表明したそうした意志に基く。

急いで法制化するよりも、本質的な問題を軽率に、深く顧みることもなく決めてしまうよりも、フランスおける緩和医療を強化し、その発展プログラムを綿密に行い、終末期ケアに関する議論を深めるべきだ。こうした議論は、この先、国立終末研究センターで行われることになっている。こうした議論を通して、終末に関する有意義で難しい議論に答えを出すことになる。

・・・ということなのですが、英米では戦後すでに、こうした終末期ケアや尊厳死に対しての議論を始めていました。フランスではカトリックであることも影響したのか、その対応は遅くなりましたが、それでもここ20年ほどで大きく進展しました。一方、われらが日本では、ときどき尊厳死についての問題提起がなされますが、国民的議論までにはなっていません。

フィヨン首相と同じく、苦しみに満ちた終末期ケアに立ち会った経験がないため、実体が正確には分からないのですが、日本では法制化されるまでもなく、患者、家族、医療従事者の間で、それこそ「あうん」の呼吸で尊厳死が行われているのでしょうか。

しかし、医療従事者や看取った家族が責任を問われずに済むよう、しっかりとした法制度が必要なのではとも思うのですが、そこは生死に関わる問題、倫理に関わる問題ですから、まさに慎重に国民的議論を行う必要があるのでしょうね。しかも、それぞれの国でその歴史、倫理観、価値観などが異なるわけですから、どこかほかの国と全く同じようにすればそれで済むという問題でもないのでしょう。それぞれのやり方があってしかるべきとも思います。

個人的には、個人の意思をあくまで尊重すべきだと思います。尊厳死を求める意思が以前に表明されていれば、それを尊重すべきだと思います。脳梗塞等、突然の意識障害に備えて、さっそく、尊厳死を求める文書を作成しようと思います。直筆でないといけないのかどうか分かりませんが、とりあえず、サインだけ直筆のものを。そして、直葬、自然葬のお願いも。人生の最終章、自分の望むピリオドを打ちたいと思っています、我がままと思われるかもしれませんが。
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デモ大国、フランス。妊娠中絶反対のデモに、4万人!

2011-02-02 20:41:42 | 社会
いつになっても「フランス革命」の興奮が忘れられず、何かというとすぐ街頭に繰り出す、といかに他の国々から揶揄されようと、フランス人はデモにより自らの意思表示を堂々と行います。顔を隠すこともなく、こそこそと陰で不満を述べるでもなく、堂々と。

そのため、繁華街を中心に、しばしばデモに遭遇することがあります。しかし、デモと言っても、横断幕を先頭に、主張を書いたパネルやバルーンを持ったり、仮装したり、時には歌ったりしながらの行進で、暴力沙汰に発展することは非常に稀です。

もちろん、デモ参加者が要求する事柄は、さまざまです。1月24日の『ル・モンド』(電子版)が伝えているのは、妊娠中絶に反対するデモ行進・・・

1月23日、警察発表で6,500人、主催者発表で4万人が参加して、妊娠中絶に反対するデモがパリで行われた。“grande marche nationale pour le respect de la vie”(生命の尊厳を訴える全国大行進)と銘打ったデモで、今回が7回目。前年は警察発表で3,100人、主催者発表で2万人。いずれの数字でも今年は参加者が倍増したことになる。

レピュブリック広場を出発したデモ行進の先頭には、“Unis pour défendre la vie”(生命を守るための大同団結)という横断幕が掲げられ、午後にはオペラ広場に到着した。親子で参加している家族も多く、子どもたちは赤と白のバルーンを持って歩いている。そのバルーンには、“En marche pour la vie”(生命を守るための行進)と書かれている。

参加者の中には、当然、カトリックの神父、プロテスタントの牧師も多く、フランス中から集まって来ている。妊娠中絶を合法化した法律(ヴェイユ法)の制定から今年で36年になるが、この法律を廃止することを目的として行われているデモで、列の中には外国からの参加者も混じっている。毎年、フランスでは、80万人の出生件数に対し、20万件の妊娠中絶が報告されている。

*ここで、各国の妊娠中絶の件数を。女性人口千人当たりの合法的中絶件数です(国により、2001年から2006年のデータ)。
  (左側:女性全体)(右側:20歳以下の女性)
ドイツ    :  6.2   6.7
イタリア   :  9.0   7.1
フィンランド :  9.1  14.1
日本     :  9.9   8.7
カナダ    : 11.8  15.6
イギリス   : 14.0  23.2
フランス   : 14.7  15.3
スウェーデン : 17.7  25.4
ロシア    : 40.3  28.9

*特に日本での中絶件数の推移を。
1955年=約117万件
1965年=約84万件
1980年=約60万件
2000年=約34万件
2008年=242,292件
日本では、1948年に衛生保護法、1996年に母体保護法が成立し、母体の健康を著しく害する恐れのある場合などで中絶が認められています。世代別では10代、40代に多く、既婚者に多いのが日本の特徴になっているそうです。

さて、再び、『ル・モンド』の記事に戻ると・・・

デモ行進に参加した団体は、「妊娠と同時に胎児に人間としての尊厳を認めること」、「妊娠出産に対する援助、生活苦を抱えた妊婦の受け入れ態勢の改善などを含む、生命と家族への支援策」を求めている。

デモを行う前に、ローマ法王・ベネディクト16世(Benoît XVI)から主催者側に支援のメッセージが届いた。真実と愛の果実である生命に対する新たな認識を確立しようと、たゆまぬ努力と勇気を持って真摯に取り組んでいるすべての人々を支援する、という内容のメッセージだ。8回目のデモが来年1月に行われることが、主催者から発表されている。

・・・ということなのですが、フランスにおける妊娠中絶。そこにも、歴史があります。
1556年 アンリ2世により、妊娠中絶と嬰児殺しが禁止される
1810年 刑法により、中絶を行ったものは死刑
1923年 中絶が重罪(le crime)から軽罪(le délit)へ
1975年 ヴェイユ法により、条件付きでの中絶が認められる
1979年 妊娠10週までの中絶が合法化
2001年 中絶可能期間が、妊娠12週目までに拡大

上記のヴェイユ法は、時のシモーヌ・ヴェーイユ(Simone Veil)保健相の尽力により成立した法律です。ヴェイユ女史は、アウシュヴィッツを生き延びたという人生経験を持っており、女性の保護、女性の権利拡張に積極的に取り組んできました。その金字塔のひとつが、妊娠中絶を認める法律の成立です。しかし、同じユダヤの民である、正統派ラビ協会からは、中絶の合法化とその推進は大量虐殺に匹敵すると批判を受けています。

現在でも妊娠中絶が非合法の国々は、東南アジア、中近東、アフリカ、中南米にまだ多くあります。その一方で、グレーなものも含めて年間20万件以上もの中絶が行われている国々もあります。母性の保護、女性の産む権利、闇中絶による死・・・女性と生まれてくる命のことを第一に考えるべきだと思うのですが、その両者の利害がぶつかり合ってしまう場合もある。そこに、伝統、価値観、宗教が重なってくると、収拾がつかなくなる。そうした状況で妊娠中絶を認める法律を成立させたヴェイユ女史の活躍は特筆すべきことだと思います。

死線を超える経験を持った人間の気力、執念は素晴らしい。ありきたりですが、そう思ってしまいます。せめて爪の垢を煎じて飲んでみたいものです。
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