ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

違いがわかる男、サブレ。

2011-03-23 20:30:36 | 読書
コーヒーの違いがわかる男はCMの世界にいますが、今日のテーマは、違いのわかる男、サブレ。お菓子の「サブレ」、でしょうか。残念、サブレとは「サブレさん」のこと。ムッシュー・サブレ。フランス人のジャン=フランソワ・サブレ氏(Jean-François Sabouret)です。

1946年、フランス中央部ベリー地方(Berry)生まれ。国立科学研究所(Centre national de la recherche scientifique:CNRS)の研究員。北海道、そして東京・神楽坂の伝統的日本家屋に長年住む。日本に関する著書、多数。

なぜこの方をご紹介するかというと・・・文化や風習に違いはあっても優劣はない。他の国を鏡に自国を見ると、見えなかったことがよく見えてくる。このブログ、そしてフランス滞在中のブログ(50歳のフランス滞在記)で、たびたび記していることを、ものの見事にまとめてくれている文章に出会いました。その著者がムッシュー・サブレ。作品のタイトルは、『日本、ぼくが愛するその理由は』(“Besoin de Japon”)。2004年にフランスで出版され、その日本語版(訳:鎌田愛)が2007年に七つ森書館から出ています。

思わず膝を打った文章は、その「日本語版に寄せて」。下記に引用させてもらいます。


 ふたつの山があった。住人はそれぞれ「おらが山がいちばん」と思い暮らしている。いったい、誰が好き好んで自分の山を下りて他人の山を登るというのか。
 しかし、故郷を出た先人もいた。ぼくも、もうひとつの山がどんなところなのか知りたくなり、山を下りることにした。もうひとつの山を登る道は険しく曲がりくねっていた。しかしそこで暮らし始めると、意外や居心地はよく、そこで学んだ文化や言語は大きな収穫となった。
 その山からは故郷の山を見渡すことができた。ほかの山の頂に立つと、自分の山のことが――良い面も悪い面も――よく見えるようになる。これもまた大きな収穫。それから、いろいろな山に登るようになった。文化も違えばそれぞれ興味深く、優劣をつけることはできない。
 歳とともに日本、フランスという山を登り下りするぼくの足腰も弱ってきた。いつ道端で倒れてしまうかもしれない。しかし、これだけは言える。道中での発見こそが本物で、さらなる収穫となる。それは、「違う」ということについて考える行為そのもの。未知を探して彷徨い、さまざまな人と出会う旅路でこそ、自分自身の問いに答えを見出すことができるのではないだろうか。


まったく、同感です。何も付け足すことすらできません。その通り! またサブレ氏は、他国との違いを知り、自国に対する考察を深めるには、できれば観光よりも滞在を勧めています。下に、「プロローグ~文化の違いを超えて」から引用します。


 旅をすると誰もが悟るのだろうが、外国の人々もぼくと同じく喜びや悩みを抱えて生きている、とわかった。裏返せばどこでも人はそれぞれの人生を歩んでいる。それがやっとわかった。“普遍”という名の織布があるとしたら、それは名もなき民が紡ぐ日常の細い糸でできているに違いない。
 それだけのことがわかるために、こんなに遠くまで旅して来なければならなかったのかって? そうさ、「ウィ」と言おう。旅などしなくても、ただひたすら籠りつづけて同じ結論を導き出す修道士もいるだろう。しかし、ぼくはそこに辿り着くまでの道のりを、自分の足で歩いて納得したい。
 それでも、見知らぬ土地を観光で訪れたいとは思わない。観光ではわずかな時間に娯楽を求めるがため、じっくり考えることもなく、彩られた上辺だけを見て「この国は、こう」と決めつけがちではないか。次つぎと打ち上げられる花火を眺めるように、旅行者は楽しいお祭り気分に酔いしれる。ぼくにはひとつところでじっくりと時間をかける必要がある。日本はそんなぼくに、ぼくなりのリズムで暮らすことを許してくれた。毎晩、その日耳にした言葉や触れ合った人びとの顔を頭に浮かべる。覚えたての諺を反芻しては、いずれ示唆を与えてくれるだろう出会いを思い返す。ぼくは何かをするのに時間をかけすぎなのかもしれない。でもそれでいいのだ。
 知らぬ土地へ行ってみたい。地方出のぼくが見知らぬ土地に居を構え、糧を探し、その土地の人びとと苦楽を共にする。何の変哲もない日々の営み。それがいいのだ。


これまた同感です。急ぎ足の観光で出会った、例えば通訳や買い物の際に対応してくれた店員の印象からその国全体、あるいは国民性について断定的に語っているケースをよく目にしますが、どんな国にも歴史があり、懐は深い。自戒を込めて、そう思います。また、さまざまな理由で、どうしても外国に暮らすことが難しい方もいるでしょう。そうした場合、文章を読んだり、映像を見たりする際に、それぞれの国に「進んだ」、「遅れた」ではなく、「違い」があるということを念頭においてみてはいかがでしょうか。

また、自分をいちばん分かっていないのが自分であるように、祖国について知ることも容易ではありません。千里の道も一歩から。毎日少しずつ登って行くしかないようですね。自分の山も、他の山も。


*なお、ジャン=フランソワ・サブレ氏への『ル・モンド』のインタビュー記事を、弊ブログ1月17日にご紹介しています。