ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

“L’hypersexualisation des jeunes filles”・・・少女たちの性的早熟は何の影響か?

2012-03-08 21:50:27 | 社会
例によって、『世界の日本人ジョーク集』からの一節。

 会社からいつもより少し早めに帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの上で抱き合っていた。こんな場合、各国の人々はいったいどうするだろうか?
 アメリカ人は、男を射殺した。
 ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらうと言った。
 フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。
 日本人? 彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。

日本人はともかく、フランス人は3Pも厭わぬ好き者、と見られているようなのですが、そのフランス人にして、最近の少女たちの性的早熟ぶりはちょっと度を越しているのではないか、という意見が出ているようです。

どのような分野にそうした状況が見て取れるのか、その背景は、そして社会はどう対応すべきなのか・・・6日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

UMP(国民運動連合)所属の上院議員、シャンタル・ジュアノ(Chantal Jouanno:元環境担当相、元スポーツ相、2011年9月からパリ選出の上院議員、女性の空手家で多くの国内タイトルを獲得しています)は5日、“L’hypersexualisation des jeunes filles”(少女たちの性的早熟)に関するレポートを公開した。このレポートに関し、二人の社会学者が分析を行った。リシャール・プーラン(Richard Poulin)はポルノの影響を指摘し、フレデリック・モネロン(Frédéric Monneyron)はモードの世界に早熟さを見ている。2人の社会学者はジュアノ・レポートに関してもそれぞれ見解を述べているが、そのジュアノ・レポートは、子ども憲章の採用、子どもを性的に表現する映像の販売禁止、外見だけで評価する子ども対象のミスコンテスト(les concours de mini-miss)の廃止を訴えている。

リシャール・プーランはオタワ大学(カナダ)の社会学教授で、“Sexualisation précoce et pornographie”(性的早熟とポルノ)という本を2009年に出版している。

・“L’hypersexualisation”は新しい風潮なのか、それとも従前からあったものなのか?

・むしろ最近の傾向だと言える。1970年代にはフェミニスト運動の隆盛やユニセックス・ファッションの普及など、男女平等についての新しい風が吹いていたが、今や退潮の時代にいる。女性も少女たちも、好かれるためには女性的でなければならないと思い込んでいるからだ。1990年代に誕生したこうしたカラダに関する新たな基準は、ポルノ産業の影響について考えさせることになる。私は最近の少女たち、つまりポルノの氾濫した時代に生まれ育った世代に対して危機感を抱いている。彼女たちにとってポルノが性教育の主な教材となっている。カナダでの研究によれば、ポルノとの接触は13歳頃から始まるという。将来、その影響は大きなものになるのではないか。

・どうしてポルノと性的早熟が結びつくのか?

・ポルノは非常に女性化した少女たちの映像をこれでもかと投げかけてくるが、その影響は社会の深い所にまで達している。その影響は、欲望、妄想に留まらず、性交渉にまで及んでいる。今や、少女たちはいっそう「女性」になり、同時に大人の女性たちは子どもっぽくなっている。一般的に、女性は美しくあるためには若々しくなければならないと思うようになっている。こうした新しい風潮は女性たちの内面に影響を及ぼしている。例えば、少女たちの間では脱毛が一般化している。オタワでは、87%の女子学生が脱毛を行っている。こうした風潮は何もカナダに限った事ではない。雑誌“20 ans”のある号が脱毛を特集しているのを見て驚いた記憶があるが、この雑誌は1994年以降、すべてのむだ毛の処理を紹介している。さらに驚くべきは、“nymphoplastie”手術の再流行、つまり、女性器を若返らせるための外陰唇の整形手術が増えていることだ。今日、カナダでは、美容整形手術のほぼ10%がこの“nymphoplastie”手術だ。

・ジュアノ・レポートの提案をどう思うか?

・法律で規制するのはいいことだと思うが、レポートは性的な早熟の現状にしか言及しておらず、その原因を語っていない。性教育の改善など、カナダですでに提出されているのと同じようなジュアノ提案には全面的に賛成だが、最も大切なことは、ポルノと取り組む事だと思う。だが、その点には触れていない。そこには触れないようにしているようだ。なぜなら、多くの人にとって、ポルノは表現の自由と同化しているからだ。1990年代のポルノの一大普及は新自由主義的価値(la valeur néolibérale)の勝利と時を同じくしている。それ以降、ポルノを規制することなど問題外となってしまった。

フレデリック・モネロンは、モードと性的特徴に関する専門家で、ファッション専門学校“l’école Mod’Art International de Paris”で社会学を教えている。

・少女たちの性的早熟は、モードの世界での風潮か?

・オートクチュールやモードの世界では、特に新しいことではない。ロリータが登場したのは10年前だ。ファッション・モデルの年齢を見れば、さらに明らかだ。10年前、カーラ・ブルーニ(Carla Bruni:ご存知サルコジ夫人で、元トップ・モデルですね)の世代では、モデルたちは20代で活躍した。それが今日では、14~15歳の少女たちがステージ上でキャット・ウォークをしている。こうした状況に政治家たちが気付くのに10年もかかったということの方が、滑稽だ。

・ジュアノ・レポートの提案をどう思うか?

・いくつかの分野、例えば性的な少女の映像を販売することを禁じることなどは効果があると思う。メディアや広告の影響を考えれば、子どもらしさを侵害するような映像を放送することを止めさせることは良いことだ。しかし、子どものミスコンテストの禁止については賛成しかねる。ごく一部の子どもたちが対象であり、影響は瑣末なものだからだ。

・こうした風潮は今後も続くと思うか?

・もう慣れっこになっている。今後もモードの世界では続くだろう。しかし、ファッションの世界は、成り行きまかせで、絶えず変化しており、常に新しい美を追い求めている。新しい美は時に伝統的な物差しとはかけ離れてしまう。例えば10年前、ファッション誌“The face”は身障者を登場させて物議をかもした。デザイナーたちはつねに新しいものを、衝撃のあるものを、ショックを与えるものを追い求めているが、そのイメージは性的に早熟なものというわけではない。社会と同じ程度だ。

・・・ということで、少女たちは一日も早く大人の女性になりたい。一方、大人の女性たちはいつまでも若々しくありたい。そのために、少女たちは化粧どころか脱毛もし、大人の女性は見えるところ、見えないところ、できるところはすべて美容整形で若返らせる。しかも、ビジネスの世界が、大人びた少女、いつまでも若い女性を、利用しようとする。

なにも、カナダだけのことではなく、もちろん、フランスだけのことでもありません。我らが日本社会にも、背伸びをした少女、大人びた少女がいる一方で、「魔女」と言われる若々しい女性たちがいて、それぞれにスポットを浴びています。共通しているのは、「女性」を売りにしていること。決して悪いことだとは言いません。But、女性解放、男女同権を勝ち取ってきた先人たちはどう思うでしょうか。これも時の流れ、仕方のないことなのでしょうか。時代は繰り返す。決して一本調子ではなく、行きつ戻りつ、進んでいく。今は、ただ、一時的に逆戻りしている時期であって、また再び時計の針は進みだすだろう。そう、考えるべきなのでしょうか。それとも、船の針路は異なる方向へ向いてしまったと考えるべきなのでしょうか。さて・・・

今や、「冨すれば鈍す」・・・富とモラルの関係。

2012-03-01 21:12:02 | 社会
「貧すれば鈍す」という言い回しがあります。『広辞苑』には、「貧乏になると頭のはたらきがにぶくなる、また、品性もさもしくなる」とあります。

はたしてそうなのかどうか、坂の上の雲をいちずに目指していたときには、こうも言えたのかもしれないのですが、今や、どうなのでしょうか。一方、以前には、「清貧」という言葉もありました。同じく『広辞苑』によれば、「行いが清らかで私欲がなく、そのために貧しく暮らしていること」という意味です。

貧しくなると、品格も失うのか、それとも、私欲がないからこそ、結果として貧しいのか・・・どうお考えになりますか。

リーマン・ショック以降、「強欲」というレッテルを張られている業界があります。しかし、給与が良いせいか、学生の就職したい企業の上位に相変わらず名を連ねています。品格よりも、給与が大事、私利私欲が重視されている。清貧など、もはや死語同然、なのでしょうか。

このようなことを考えてしまったきっかけは、2月29日の『ル・モンド』(電子版)の記事。そのタイトルは、“Plus on est riche, moins on a de morale, c’est prouvé”(人は豊かであればある程、モラルを失う。そのことが証明された)・・・どのような内容なのでしょうか。

政界では、「エリート」と「庶民」が対立する問題となっているが、このことはさらに議論を呼ぶべき研究テーマだ。というのも、雑誌“Proceeding of the National Academy of Sciences”(PNAS:アメリカ国立科学アカデミー紀要)の2月27日号に、アメリカとカナダの研究者が論文を発表したが、その論文は、社会階層と行動の倫理観との間に反比例する関係があることを明らかにしているからだ。つまり、端的に言えば、豊かであればある程、情けないモラルで行動する傾向が強い、ということだ。

カリフォルニア州立大学バークレー校のポール・ピッフ(Paul Piff)に率いられたアメリカとカナダの研究者グループは、いくつかの論拠を提示している。研究者たちは7つ以上の異なる実験手法を取ったが、その結果は同じ傾向を示した。

まず、簡単な実験から。交差点に立って、優先道路を無視して現行犯で罰則を受けるクルマを観察することだ。もう一つの観察も似たものだが、通路を塞いで歩行者の邪魔となるクルマを調べることだ。この二つの観察において、研究者たちはクルマを5段階に分類した。廃車寸前のクルマ(グループ1)から高級セダンタイプ(グループ5)までだ。その結果は、グループ5に属するクルマのほぼ30%が優先道路を走っている他のクルマに道を譲らせている。この割合は、グループ1と2に属するクルマの4倍、グループ3と4のクルマの3倍になっている。歩行者優先に関してもほぼ同じような相関関係がみられた。

ここで、高級車に乗っていることが必ずしも富裕であることと一致しないのではないかとおっしゃるかもしれないが、ほぼ一致しているのだ。研究者たちは研究室で別の実験を行って、上記二つの観察結果をより確かなものにしている。それぞれ百人ほどを被験者として集め、まずは異なる状況・行為を説明した。モラルに反しても目的を達しようとする、第三者を犠牲にしても不当な方法で富を得る、交渉において嘘をつく、職業上の過ちを容認する、などだ。その後に、こうしたことを自分でも行うとどの程度思うかという質問に答えてもらった。すると、被験者の属する社会階層とモラルに反する行為を行う可能性の間に明確な相関関係が示された(つまり、社会階層が上の人に、モラルに反する行為を容認する割合が高い、という結果ですね)。

別の実験では、200人ほどの被験者に「さいころ」を振るゲームを行ってもらった。5回さいころを振って、一定以上のスコアになった場合、賞金を出すと事前に説明しておいた。もちろん、細工が施してあり、5回の合計が12以上にならないようになっていた。従って、12以上になったという報告をした被験者は嘘をついたことになる。民族、性別、年齢、宗教、政治思想といったプロフィールを考慮に入れても、共通項は見いだせなかった。だが、社会階級が嘘をついた人たちの共通項として浮かび上がったのだ。では、社会階層の高さとモラルの低さに見られる関係は、何に起因しているのだろうか。研究者たちによれば、部分的にしろ、強欲さを是認する傾向が強いということに起因しているようだ。

・・・ということで、社会的階層が上の人ほど、モラルに反した行為を行う、あるいは容認する傾向が強い。それは、強欲を是認する傾向が強いことが一因となっている。つまり、欲しい物を手にする意思の強さ、行動力が、時として他人に迷惑を掛けたり、ルールを破ったりすることに繋がりかねない、ということなのでしょうね。

まあ、その通りですね。決断力、意思の強さ、行動力、つまり上昇志向があってこそ、階段を上ることができるのでしょう。しかし、時として、目的のためには手段を選ばずになってしまう。そこが問題だ、となるのでしょうね。「貧すれば鈍す」ではなく、「冨すれば鈍す」・・・

一方、他人との競争を否定する人がいます。ひたすら、平和に、共存共栄を。しかし、逆の立場の人からは、ぬるま湯だ、切磋琢磨しないと進歩もない、共存共栄ではなく、共倒れになるだけだ、という批判が出ます。

自分の掲げた目標、あるいは夢に向かって、最大限の努力をする。しかし、人事を尽くして天命を待つ、ルールを破ったり、他人に迷惑を掛けるようなことは一切しない・・・そのような聖人君子が多いほど、その国の「品格」も高くなるのでしょうが、現実には、さて。

皆さんの周りに、こうした立派な人たちは、たくさんいますか。それとも、上記の研究結果を裏付ける人たちが多くいますか。日本の品格は、日本人一人ひとりの品格が形作っている。そう思えば思うほど、頬を染めずにはいられません。鏡を見れば、そこに映っているのは、社会的階層もモラルも高くない50男の姿・・・慙愧に堪えません!

UFO、OVNI、未確認飛行物体・・・70周年を祝う!?

2012-02-27 21:17:36 | 社会
“UFO”と言えば、ピンクレディー。

♪♪それでもいいわ 近頃少し
  地球の男に あきたところよ
  でも私は確かめたいわ
  その素顔を一度は見たい

あるいは、カップ麺を思い出したりしますが、“UFO”が“OVNI”となると、パリで発行されている情報誌。

大学に入る前後だったとかと思いますが、パリで日本語の情報誌『いりふね・でふね』が刊行されたという情報に、これはすごいなと思った記憶があります。「ウィキペディア」によると、創刊は1974年。当初は有料だったようです。1979年に『OVNI』と誌名を替え、無料配布(広告料収入で運営)されるようになったようです。

1981年には「エスパス・ジャポン」を開設。イベントや図書の貸し出しを行っています。個人的にも、パリ滞在中は、たいへんお世話になりました。『50歳のフランス滞在記』で「先人たちの知恵」としてご紹介した本は、この「エスパス・ジャポン」でお借りしたものが大半です。日本人によって書かれたフランス関連の図書、特に年代物が充実しており、日本では手に入れにくい作品も読むことができます。

また、各種イベントも。作品展示、講演会、演奏会など、狭いスペースですが、熱気あふれるイベントを行っています。手作り感のある、草の根的な日仏交流の場となっています。

さて、その“OVNI”。“objet volant non identifié”の略ですね。日本語では、未確認飛行物体。UFOやOVNIに関する情報は昔からあるのだろうと思いがちですが、少なくとも私はそう思っていたのですが、実は公式な報告がなされてから、今年で70年なんだそうです。

情報誌『OVNI』は創刊38年。その倍ほどの70周年を迎えた“OVNI”。フランスでは、どのような状況にあるのでしょうか。信じられているのでしょうか、科学的な研究が行われているのでしょうか・・・26日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

空飛ぶ円盤(les soucoupes)とその乗組員である宇宙人(leurs occupants extraterrestres)は、26日、70周年を祝った。奇妙な飛行物体が昔から存在するにせよ、“ovni”が公式に誕生したのは1942年2月26日のこと。第二次大戦中のその日、ロサンジェルス上空で不審な飛行物体が確認された。飛び立ったアメリカ空軍のパイロットはその物体へ攻撃を行った。アメリカ軍は日本軍の攻撃だと思ったのだ。何しろ、パール・ハーバーから3カ月も経っていなかったのだから。

翌日、軍は単純な誤認によるスクランブルだったと説明した。しかし、1974年になって、その未確認飛行物体をある将軍が当時のルーズベルト大統領(Franklin Roosevelt)に報告していたという事実が公になり、UFOの存在を信じる人々に確信を与えることになった。

この「ロサンジェルスの攻撃」の記念日を翌日に控えて、グザヴィエ・パッソ(Xavier Passot)は58歳の誕生日を迎えた。「運命づけられているとしか思えない」と、彼は笑って述べている。このエンジニアは、2011年から“Geipan”という至って真面目な団体の代表になっている。“Geipan”とは、“le Groupe d’études et d’information sur les phénomènes aérospatiaux non identifiés”(未確認航空宇宙物体に関する研究情報グループ)の略で、国立宇宙研究センター(le Centre national d’études spatiales:CNES)の一部門となっている。ovniに関する研究機関としては世界で唯一の政府の支援を受ける民間団体なのだ。

“Geipan”は、緑や灰色の小人に関する神話ではなく、観察によって未確認物体の厳格で科学的な存在証明を行おうとしている。グザヴィエ・パッソは「ovniは科学的な手法によって分析されるべきだと常に考えている」と語っているが、彼やそのグループが調査を行うには、その情報はあらかじめ文書によって警察に通報されなければならない。突飛な証言や作り話を排除するためのフィルターとなっているのだ。

“Geipan”が注意を払うケースは、4つのカテゴリーに分類されている。37%の目撃証言は完全に、あるいは間違いなく確認される情報で、41%が確認されそうもなく、22%は確認できない情報だ。ほとんど確認できない情報を排除すると、本当に不思議な出来事に関する情報は少ししか残らない。グザヴィエ・パッソもこうした困惑にぶち当たっている。

では、説明しえないケースは地球外物体(une existance extraterrestre)の存在証明になるのだろうか。“Geipan”の代表者だったジャン=ジャック・ヴラスコ(Jean-Jacques Velasco)をはじめとする一定の人々は、「ウイ」へとその一歩を踏み出している。ヴラスコによれば、いくつかの目撃証言はプロのパイロットから寄せられたもので、疑いようのないものだ。彼らは空での勤務に慣れており、判断に影響を与えるような社会的事情からは距離を取っているからだ。またヴラスコはレーダーに捉えられた未確認物体についても言及している。最もありえる科学的仮定は、ovniは存在するというものだ。

この種の信用のおける証言にもかかわらず、“Geipan”の現代表はそこまで言い切ることはしない。「パイロットたちは自然現象を見誤った可能性がある。またパイロットたちが社会的影響から隔絶されていると言いきることもできない。パイロットたちの中には、ovni信者もおり、信仰が判断をゆがめることもありえる」と語っている。

グザヴィエ・パッソにとって、ovniの存在をめぐる論争は、しばしば宗教論争でしかなくなってしまう。「ovniの存在を信じる気持ちは、神を信じる宗教心に近いと思う。こうした場合、すべてのものが科学的に説明しうるという考えは、一種の宗教と言えないだろか」と、語っている。

そして、「異常に懐疑的な人たちの判断もまた歪んでいる。宇宙人が存在するという仮定よりもさらにばかげた仮定を提案するほどだ。実際、我々人間は、自分には分からない、と言う勇気を持つことが必要だ」と述べている。

・・・ということで、“ovni”つまり“UFO”の存在を調べる組織が、フランスでは国立の組織にあるそうです。合理主義的なフランス人のこと、未確認物体であろうと、単に夢見るのではなく、科学的に究明しよう、分析しようとしているのでしょうね。

「合理的」と「情緒的」。対極的であるようですが、もちろん、どちらかが優れているというわけではありません。違う、ということですね。

いつもご紹介する『世界の日本人ジョーク集』にも、対極的行動を取るとして紹介される日本人とフランス人。しかし、もちろん、すべてが対極的なのではなく、同じ部分、似た部分もありますね。

同じ人間と言えども、異なる点がある。されど、似ている部分もある。どこがどう違うのか、どう似ているのか・・・「ヒューマン・ウォッチング」の面白さでもあります。

マドモアゼルが消える。パリジェンヌは残る。

2012-02-25 21:38:39 | 社会
Vienne la nuit sonne l’heure
Les jours s’en vont je demeure

ご存知、アポリネール(Guillaume Apollinaire)の『ミラボー橋』(Le pont Mirabeau)の一節ですが、この詩に倣って言えば、

男性中心主義の時代よ暮れよ、女性の時代の鐘よ鳴れ。
「マドモアゼル」は過ぎ去り、「パリジェンヌ」は残る

と言ったところでしょうか、ずいぶんと字余りですが。

そうです、フランスの行政書類から“Mademoiselle”が消えることになりました。英語では、かなり前、25年前か30年前頃に、“Miss”と“Mrs.”の別がなくなり、“Ms.”に統一されましたが、“machisme”の強いフランスでは、“Mademoiselle”と“Madame”の使い分けが執拗に続いてきました。しかし、時代の流れに抗することは、さすがのフランス男にも難しいのか、今年から行政上の書類では未婚・既婚の別なく“Madame”に統一されることになりました。

ついでに名詞の男性形、女性形もなくなってくれれば、フランス語の勉強がどれほど楽になることか、と思いますが、それではフランス語でなくなってしまうというご批判も受けそうで・・・それに、英語にしても“Mr.”と“Ms.”という敬称の男女差はあり、フランス語にも“Monsieur”と“Madame”という差があっても特に問題とはならないのでしょう。その点、「さん」、「様」など敬称に男女の別がない日本語は、実は進んだ男女同権社会なのではないか・・・などと言えば、何を寝ぼけていると、これまたお叱りを受けそうです。

というわけで、今後も“Monsieur”と“Madame”や“Parisien”と“Parisienne”は引き続き存在します。そして、消えゆく“Mademoiselle”・・・詳しくは21日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

“Les mademoiselles”は、生きてきた。しかし、旧姓や配偶者の姓と同様に、この「マドモアゼル」という言葉は、行政書類から消え去ることになると、21日の首相通達が述べている。「以前にも、いくつかの通達が未婚か既婚かを示す呼称の使用を止めるよう役所に呼びかけていた」ことを再確認した上で、「今回の首相通達は法改正が行われるまで継続して実施される」ことを強調している。

首相府は関係閣僚と知事たちを集め、行政上の文書や通達からできる限り“mademoiselle”(未婚女性)や“nom de jeune fille”(旧姓)、“nom patronymique”(父の名)、“nom d’ épouse”・“nom d’époux”(配偶者の姓)という言葉を削除するよう指示をした。その内“mademoiselle”は、未婚・既婚に関わりなく男性に付けられる敬称“monsieur”と同じように“madame”という敬称に、それ以外も、2002年から民法で規定している“nom de famille”(家族の姓)、そして“nom d’usage”(通称名)に取って代わられることになる。特に「配偶者の姓」では、配偶者に先立たれた寡婦や離婚してもそれ以前の配偶者の姓を名乗っている人たちを考慮に入れることができないためだ。

また通達は、“madame”や“mademoiselle”は戸籍に記載されることはなく、他の敬称を法律や規則が求めることもないと述べている。なお、すでに印刷されている書類はストックがなくなるまでは使用することができると明記してある。

昨年9月、性差別と戦う二つの団体、“Osez le féminisme”(2009年に設立)と“les Chiennes de garde”(1999年から活動を始め、略語CGDで一般的に知られています)は、公的書類から“mademoiselle”の欄を削除するよう訴えるキャンペーンを行った。“mademoiselle”は女性に対する差別であり、婚姻状況について語ることを余儀なくさせていると、二団体は説明している。

11月、連帯大臣で女性の権利担当でもあるロズリーヌ・バシュロ(Roselyne Bachelot)は、フィヨン(François Fillon)首相に“mademoiselle”という語を削除するよう頼んだことを明かしている。21日、バシュロ連帯相は、男女差別の一つのカタチの終焉を示す通達を歓迎した。その喜びを示すコミュニケで大臣は、家族手当基金(la Caisse nationale des allocations familiales)から家族の姓と通称名を混同しないように受給者に連絡が入ることを紹介している。

21日に公開した談話で、上記の二団体は今回の首相通達を歓迎し、具体的な成果を示すよう求めている。二団体はまた、企業や民間団体もすべての書類から「マドモアゼル」という語を削除する運動に加わるよう強く勧めている。

・・・ということで、“mademoiselle”が少なくとも公式文書から消えて、女性はすべて“madame”に。こうした措置が一般化すれば、微妙な年齢の女性に、「マダム」と呼びかけようか、「マドモアゼル」と言おうか、悩む必要がなくなります。個人的には、女性差別がまた一つなくなるとういう大義以上に、瑣末な点で大歓迎です。

ところで、敬称と言えば、中国語。男性には「先生」、女性には「小姐」。未婚、既婚の別なく、このような敬称を付けますが、少なくとも10年や15年くらい前までは、中国人から「先生」と呼ばれて、嬉しさのあまりすべての警戒を解いてしまう日本人ビジネスマンや観光客が多くいました。最近でもいるのでしょうか。単なる敬称、「さん」と同じなのですが・・・同じ漢字文化圏でありながら、微妙な違いがある東アジアの国々。それだけに、違いをしっかりと理解したうえで、付き合いたいものです。

その点、ユーラシア大陸の西の端の国々とは、違うことが当たり前と思われていますから、違いをことさら強調することもないのですが、遠いだけに憧れが見る目を曇らせてしまうこともあり、この点は注意ですね。

フランス人の平均月収は1,605ユーロ。そこには、格差が・・・

2012-02-23 20:24:46 | 社会
隣の芝生が青く見えるのかどうか・・・まずは、自らの現状を知ることから始めましょう。

「年収ラボ」というサイトがあります。年収に関する各種データを公開しています。その情報源は、国税庁の『民間給与実態統計調査』と、厚生労働省の『賃金構造基本統計調査』だそうです。

まずは、サラリーマンの年収。
平成9年 :467万円(頂点)
  21年:406万円(底)
  22年:412万円(回復)

業種別のトップ3は、
総合商社  :1,115万円
テレビ・放送:909万円
石油    :840万円
ビール   :840万円

年齢別・性別の年収は、
50~54歳:男=649万円、女=283万円
40~44歳:男=577万円、女=286万円
30~34歳:男=432万円、女=299万円
男性は50代前半が頂点。一方、女性は20代後半から30代後半までが他の年代より多くなっています。男女格差は非常に大きい!

年収300万円以下の割合(平成22年)は、
男性=23.4% 女性=66.2%
男性は徐々に増えつつあり、女性は高止まりしています。

また、公務員のケース。
国家公務員全職員=663万円
(最も高い職種は、税務署職員で740万円)
地方公務員全職員=729万円
(最も高い職種は、警察官で814万円)

さて、では、フランス人の懐具合はどうなのでしょうか。22日の『ル・フィガロ』(電子版)が伝えています。

給与の男女格差はなかなか縮まらない。管理職ではその差はさらに大きくなっている。男性給与所得者の平均月給は1,605ユーロ(約17万円)に増加している。

男女格差はなかなか手強い。Insee(Institut national de la statistique et des études économiques:国立統計経済研究所)が22日に発表した最新の雇用給与統計(2009年)によると、給与については、女性の収入は男性より相変わらず20%少なくなっている。1954年には35%もの格差があり、その後かなり解消されてきたとはいえ、1990年代初頭からは給与における男女格差はほぼ同じレベルで推移している。

この格差は同じ労働時間に基づいて算出されており、実際の年間労働時間を考慮に入れれば、格差はさらに顕著なものとなる。というのも、パートタイムで働いている女性の割合が多いからだ。パートタイムで働いている女性の収入は男性の手にする給与より30%低くなっている。しかしポジティブな面もあり、25歳以下の年齢層では給与の男女格差が縮まる傾向にある。

Inseeはこの解消されにくい格差の原因を男女の地位の違い(une structure de qualification différente de chaque sexe)に求めている。例えば、管理職の割合は、男性では19%だが、女性で管理職に登用されているのは12%に過ぎない。しかし、同じ地位でも、男女格差は見られる。いや、むしろ、拡大傾向にある。民間企業の女性管理職の収入は男性管理職より23%少なくなっている。

背景のひとつとして、女性が責任ある地位に就くのを妨げている有名な「ガラスの天井」(plafond de verre:性別や人種により昇進がブロックされている状態)が指摘される。また、Inseeによれば、教育や業種の選択、積み重ねたキャリアなどの結果でもあるという。例えば、女性の多くは、健康や社会活動といった給与の低い業種へ進んでいる。

パートタイムで働いている女性のかなりの部分は、自らそれを選んだというより、家庭の事情でそうした状況を選んでいる。しかし、子どものいない女性に限っても、パートタイムで働いている女性の割合は、男性よりも17%多くなっている。パートタイムが多い第三次産業で働いている女性が多いことが、このデータを裏付けている。

2009年における全就労者の平均年収は19,270ユーロ(約205万円)であり、月収では1,605ユーロになる。当然のことながら、管理職の方が高収入だ。管理職の年収は、工員や従業員より3倍多く、38,430ユーロ(約407万円)となっている。しかし、就労者の中で経済危機の影響を最も受けたのも彼ら、管理職だ。2009年の収入は前年より1.5%減少している。製造業、金融、IT通信が最も給与の高い業種だそうだ。

・・・ということで、“machisme”(男性優位の考え)の影響か、フランスにおける男女格差、特に給与格差、昇進格差はしばしば指摘されていますが、2009年の給与でもまだ大きな格差が残っているようです。

耳元でフランス語を囁かれると思わずうっとり、という大和撫子も多くいらっしゃるのかもしれませんが、いざ結婚してしまえば(あるいはPACSを申請してしまうと)、財布は別々。いつまでも白馬にまたがった王子様ではないようです。ドメスティック・バイオレンスも多く報告されています。なんだ~、がっかり・・・する必要もないのかもしれません。

何しろ、給与の男女格差、我らが日本の現状はフランスどころではないのですから。大きな差ですね。管理職についている女性の割合も、フランスより少ないものと思われます。やはり、フランスの方がいい・・・

と思うか、財布のひもをしっかりと握れる日本の方がいい、あるいは「亭主、元気で、留守がいい」と堂々と言える日本が良いに決まっているなどと思うか、それは、女性の皆さんの判断次第、ですね。

なお、円ユーロの換算は、1ユーロ=106円で計算しています。物価や社会保障を勘案しないと単純には比較できないのですが、平均年収205万円・・・フランスで多くの女性が働いている背景も分かるような気がします。

パリ、1962年2月8日。誰が、9人を殺したのか。

2012-02-09 21:30:15 | 社会
1962年2月8日、その時、あなたは・・・ま~だ、生まれてな~い! という方が多いのではないかと思いますが、中には、よちよち歩きだったとか、小学校生だった、あるいは中学でクラブに熱中していたとか、そうした記憶をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんね。

かく言う私は、小学校入学を直前に控えた、病弱な幼稚園児でした。病弱と言っても、風邪をひきやすいとか、すぐ熱を出すとか、お腹をこわすとか、そういった程度でしたが。それから50年。半世紀ですね。もう歴史の一部なのかもしれませんが、決して風化させてはいけない事柄もあります。

あの日に殺された9人を忘れてはいけないと、50周年に当たる2月8日にデモ行進を行ったのは、フランスの労働組合。そこには、左派の政治家も加わりました。

9人は、なぜ、誰によって、どのように、殺されたのでしょうか・・・8日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

平和裏に行われたデモをパリ警視庁が暴力で排除してから50年、この2月8日に労組・CGTは(Confédération générale du travail:1895年に設立されたフランスの主要労組、組合員数70万人、委員長はメディアによく登場するBernard Thibault)、メトロの「シャロン」駅(Charonne:9号線、Nationの近く)で警棒によって命を落とした9人の組合員を偲んでデモ行進を行った。

OAS(Organisation de l’armée secrète:反独立、特にアルジェリアの独立に反対するナショナリスト団体)によってパリで行われた新たな一連の攻撃の翌日、すなわち1962年2月8日、労組のCGT、CFTC(Confédération française des travailleurs chrétiens)、FEN(Fédération de l’éducation nationale)、SNI(Syndicat national des instituteurs)、UNEF(Union nationale des étudiants de France)は合同で反ファシズムとアルジェリアの平和を願うデモを組織した。しかし、パリには非常事態宣言(état durgence)が出されることとなった。

時の政府はデモを禁止した。「デモが禁止されていることはよく知っていたが、いつものように殴られる程度だろうという気持ちでみんな参加した。まさか殺されるとは考えてもいなかった」と、当時、高校生だった社会学者のマリーズ・トゥリピエ(Maryse Tripier)は事件を振り返っている。

大急ぎで組織されたそのデモは、いくつかの行進に分かれて進行したが、合計で2万人から3万人が参加した。そのうちのいくつかの行進はナシオン広場(place de la Nation)へと向かうヴォルテール大通り(boulevard Voltaire)で合流した。しかし、目的地のナシオン広場は、バリケードでブロックされていた。夜の帳が落ち始めた頃、労組側はデモの終結を発表した。参加者たちが解散を始めたその時、メトロのシャロン駅の近くで、警察が群衆に襲いかかった。

警棒を振り回し、メトロ駅の換気扇の蓋や街路樹の柵を投げつけてきた警察によって、駅へ降りる階段へ、出口へと殺到したデモ参加者たちは、折り重なるように押しつぶされた。その中で、女性3人を含む9人が死亡した。負傷者も多数出た。

警察に命令を出したのは、誰だったのか。時の大統領、ド・ゴール将軍(général Charles de Gaulle:大統領在職は1959-1969)なのか、首相のミシェル・ドゥブレ(Michel Debré:首相在任は1959-1962、その後財務相、外相、国防相を歴任)なのか、あるいは内相のロジェ・フレイ(Roger Frey:内相在任は1961-1967)か、それともパリ警視総監のモーリス・パポン(Maurice Papon:予算相だった1981年、ナチス占領下、ジロンド県でユダヤ人を強制収容所送りしたことが暴露され、1983年に人道に対する罪で起訴、1998年に有罪の判決を受ける。いわゆる、パポン事件・l’affaire Papon)だったのか。いまだ解明されていない。いずれにせよ、時の権力は、挑発と見做される行為に屈したくはなかったのだ。

歴史家のアラン・ドゥヴェルプ(Alain Dewerpe)は、2006年に自ら著した“Charonne, 8 février 1962, Anthropologie d’un massacre d’Etat”(シャロン、1962年2月8日、国家による虐殺にみる人類学)のタイトルにある「国家による虐殺」(massacre d’Etat)について、学際的季刊誌“Vacarme”(『ヴァカルム』)とのインタビューで、「内戦一歩手前の状況で起きたのだ」と語っている。FLNが(Front de libération nationale:民族解放戦線、アルジェリアの独立を求めて戦った政党で、現在の党首は、ブーテフリカ大統領・Abdelaziz Bouteflika)警察に対して行った活動で死者が出、一方、OAS(前出)によるテロが連続するという状況下、「政権側は共産党が力を誇示することには大きな関心を払わなかった」と、歴史家のオリヴィエ・ル=クール=グランメゾン(Olivier Le Cour Grandmason)は分析している。そして、こうした対応は完全な失敗となる。1962年2月13日、犠牲者たちの葬儀に、数十万人が参列したのだ。

それから50年後、労組・CGTは、フランス共産党書記長のピエール・ローラン(Pierre Laurent)、パリ市長のベルトラン・ドラノエ(Bertrand Delanoë:社会党)の参加も得て、長年国家が無視してきたこの歴史的事件を風化させないために、悲劇の舞台となったシャロン駅でデモ行使を行った。

・・・ということで、荒れる60年代の一端を垣間見ることになりました。フランスは内戦一歩手前の状況。パポン警視総監のもと、言ってみれば「弾圧」が繰り返され、68年には「五月革命」が。

その時、日本では・・・60年安保でデモ参加者側に死者が出、岸首相が重傷を負い、浅沼社会党委員長が暗殺されました。70年安保では、新左翼が台頭。東大紛争で、1968年度の東大入試が中止になりました。

しかし、その一方で、『鉄腕アトム』、東海道新幹線、東京オリンピック、霞が関ビル、川端康成のノーベル文学賞受賞、そして高度成長。ビートルズの来日、ミニスカートの流行もありました。荒れることもありましたが、明日が見えていました。明日は、今日より豊かになる・・・

そんな時代がありました。もう、半世紀も昔のこと。両手に掬った砂が落ちていくように、記憶の中から消え去っていくものも多いのですが、それでも、忘れていけないことはある。風化させてはいけないことがある。

はたして、語り継ぐべき相手は、いるのか。語り継ぐ勇気はあるのか。かく言う、お前はどうなのか・・・い~え、世間に負けた。唇に浮かぶのが、『昭和枯れすすき』だけでは、哀しいものがあります。

今や、戦闘機の輸出が、フランスの誇りだ!

2012-02-02 23:12:00 | 社会
ワイン、チョコレート、フレンチ料理、スイーツ・・・「フランス」と言ってすぐ脳裏に浮かぶのは、今日では、こうした食文化。日本では変わらぬ人気を誇っていますが、、どうもこうした食の文化だけで終わってしまっているような気がしてなりません。昔は・・・そう、歳を取ると、すぐ「昔は」という話になってしまい、また始まった、と言われてしまいそうですが、それでも、敢えて・・・昔は映画、文学、演劇、美術など、さまざまなフランス文化が脚光を浴びていたのですが、今やどうしてしまったのでしょう。

グルメも立派な文化ですから、味覚を批判するつもりは毛頭ありません。何しろ、サヴァラン(Jean Anthelem Brillat-Savarin:1755 - 1826)の『美味礼讃』(“Physiologie du Goût, ou Méditations de Gastronomie Transcendante ; ouvrage théorique, historique et à l'ordre du jour, dédié aux Gastronomes parisiens, par un Professeur, membre de plusieurs sociétés littéraires et savantes”:味覚の生理学、あるいは、超越的美食学に関する瞑想録;文学・教養学界の会員である教授によりパリの美食家たちに捧げられた理論的、歴史的、トレンディな著述)という立派な学問書もあるくらいなのですから。

ただ、残念に思うのは、フランスへの関心が、ちょっと偏ってしまっていることです。もう少し広い分野でフランスを捉えると、いっそう「フランス」に近づけるのではないかと、浅学の身ながら、思ってしまうわけです。

それなら、なにも文化に限ることはない、経済、政治、社会・・・いっそう間口を広げれば、さらにフランスの実相が見えてくるのではないか、とご指摘をいただいてしまいそうです。

そうなんですね、フランスは文化だけで生きているわけではない! そうした思いをさらに強くするニュースが伝わってきました。フランスがインドへ戦闘機を輸出することになりました! その機種は何か、どれくらいの商談なのか、どことの競合だったのか、フランス国内の反応は・・・そうした事柄について、1月31日の『ル・モンド』(電子版)が紹介しています。

インド政府による戦闘機126機という巨額な入札において、ダッソー・グループ(le groupe Dassault)が選定されたと、31日、通信社“Trust of India”が伝えた。120億ドル(91億1,000万ユーロ:約9,100億円)と見積もられているこの契約により、インド政府は18機の戦闘機を購入し、108機をインドにおいて現地生産することになる。ダッソー・グループにとって戦闘機の輸出は初めてであり、快挙と言える。

ボーイング(Boeing)、ロッキード・マーチン(Lockeed Martin)というアメリカの有力メーカーやスウェーデンのサーブ・グリペン(Saab Gripen)、ロシアのミグ(MiG)を競合から蹴落とし、ダッソー社の“Rafale”とユーロファイター社(EADS ; European Aeronautic Defence and Space Company・オランダ、BAE Systems ; British Aerospace・イギリス、Finmeccanica・イタリアの合弁企業)の“Typhoon”が最終選考に残っていた。そして、31日、インド政府の情報筋は「ラファール」が最低価格で応札したことを明らかにした。

今回の入札は2007年に始められたが、アジア第3の経済大国・インドが行った最も巨額な入札の一つであり、航空軍事産業にとっても当時最も重要な入札の一つであった。

ダッソー社とそのパートナーであるタレス社(エレクトロニクス担当)とサフラン社(エンジン担当)は、インド政府の決定に謝意を表すとともに、インドの防衛に長きにわたって貢献することができる誇りを表明した。この情報が公になるや、ダッソー・グループの株価は20%も急上昇した。

サルコジ大統領も今回の発表を喜んだ。「126機のラファールがインドでの入札の最終段階にある。このことは、直接担当するメーカーや航空産業だけでなく、フランス経済全体に対する信頼の証だと言える」と述べている。同じ31日、大統領府はコミュニケを発表し、契約の最終交渉は間もなく始まるが、フランス政府はそれを全面的に支援する。また、フランスによって認められた重要な技術移転も含まれる」と述べている。

フィヨン(Françcois Fillon)首相は下院議会で、「今回の決定はダッソー社にとっても、フランスにとっても、フランス産業界にとっても、実に良い知らせだ」と述べるとともに、この入札はサルコジ大統領の望んだ戦略的パートナーシップの一環であることを強調した。そして、「非常に困難な競合を経ての今回の勝利によって、フランス航空産業のクオリティ、産業界、政府両者の粘り強い対応が報われたことになる」と付け加えた。

「インドからの30~40年にわたる長期契約だと言える。古くからの信頼関係が確認され、フランス産業界に対する信頼の証となった」と、ロンゲ(Gérard Longuet)国防相は述べている。発注はおそらく12年以上にわたって分割されることになるだろう。当然、業務提携と技術移転が行われるが、ダッソー社はインド側にパートナー企業をすでに持っている。

貿易担当大臣、ピエール・ルルーシュ(Pierre Lellouche)は、「入札を勝ち得たが、最終交渉がまだ必要だ。独占交渉の段階にいるということだ」と語り、慎重であろうとしている。

フランスの戦闘機は、これまで1機も輸出されたことがない。1980年代末にラファール計画が始められ、2006年にフランス空軍に配備されたが、ダッソー社は国際市場では失望しか味わってこなかった。2001年にはオランダ、2002年に韓国、2005年にはシンガポール、2007年はモロッコ、2009年にはブラジルと、肘鉄を食わされ続け、昨年11月にはアラブ首長国連邦、直近ではスイスから拒絶されている。

しかし、フランスはラファールを今でもブラジルに売り込もうとしている。ブラジルはラファールか、ボーイング、サーブ・グリペン連合のF / A-18 Super Hornetのいずれかを選定することになっており、アラブ首長国連邦も同じ状況だ。国防相によれば、クウェートやカタールもラファールに興味を示しており、ダッソー社はマレーシアに対しプレゼンテーションを行った。

・・・ということで、文化の国、人権の国、フランスが商談に成功したのは戦闘機、苦難の末の、126機。しかし、決して意外な状況ではありません。フランスは世界有数の武器輸出大国なのですから。

しかも、武器輸出に絡む政治スキャンダルにも事欠きません。台湾へのフリゲート艦輸出に端を発するクリアストリーム事件、アフリカの旧植民地への武器輸出に絡む疑惑・・・今回のインドへの戦闘機輸出、裏で何らかの利権が動いているのでしょうか。

また、アフリカなどで、内戦や紛争が絶えないのは、武器輸出先が必要な欧米の軍需産業が裏で暗躍しているという説も、一部にはあります。さもありなんとは思いますが、確証する術を持っていないのが残念です。

他国の人権侵害を批判する一方で、軍需産業を育成し、武器を輸出している。さらには、武器を買い求める国や部族などを絶やさないために、紛争を生み出すことも厭わない・・・こうした国々がうごめく国際社会。とても“naive”、仏語で“naïf”、つまり世間知らずのお人好しでは、生き抜いていけないと思います。

「(中東を中心とする)現在の状況について、資源や領土、影響力をめぐって各国が争っていた19-20世紀をほうふつさせる」という指摘(2月2日:ロイター電子版)もあります。知力、姦計、陰謀術数の渦巻く国際政治の荒海を、日本外交はどう航海して行くのでしょうか・・・頑張れ、日本外交、とエールを送りたいと思います。応援しかできないのが、残念ですが。

フランスの「ジェネレーションY」は、マイ・ウェイだ!

2012-01-31 21:43:49 | 社会
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

こう始まる詩は中原中也の『サーカス』ですが、「時代」があれば、そこに生きる人々がいる。異なる時代に生きれば、価値観や行動様式などに、どうしても違いが出てきてしまいます。そこで、注目されるのが、「世代」。

世代・・・さまざまな世代がありました。アメリカでの命名に従うと、古くは、ロスト・ジェネレーション。1920年代・30年代に活躍した作家や芸術家がこう呼ばれており、生まれは1883年から1899年頃。20世紀に入ると、1950年代・60年代に活躍した作家たち。ビート・ジェネレーションと呼ばれ、生まれは1914年から29年ごろに当たります。

戦後になれば、ベビー・ブーマー世代。圧倒的人口の多さで、常に時代を作ってきました。広義では1946年から59年生まれを言うそうですが、日本では、1947年から49年生まれを団塊の世代と言っていますね。その次に登場したのが、ジェネレーションX。1960年から74年に生まれた世代で、日本では、しらけ世代、新人類とも呼ばれています。

そして、ベビー・ブーマーの子どもたち。ベビー・ブーマー・ジュニアとも呼ばれるのが今日のテーマ、「ジェネレーションY」です。1975年から89年に生まれた世代。つまり、ベトナム戦争終結からベルリンの壁崩壊までの間に生まれた世代で、子どもの頃からデジタル製品に囲まれて育ち、ネットや携帯を使いこなす世代と言われています。

このジェネレーションY、フランスでは1980年から99年生まれを指すそうで、今日の20代、10代を占めています。その内、20代は社会に出て働き始めています。社会には、当然、他の世代もいて、新たに労働の場に加わった世代をさまざまに評価しています。どのように判断されているかと言うと・・・16日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

30歳以下の「ジェネレーションY」(la génération Y)は、先輩社員たちにあまり良くは思われていない。他の世代よりも野心的、個人主義的ではあるが、効率的、意欲的ではないと見做されている。日刊紙『ル・フィガロ』(Le Figaro)とテレビ局“BFM”とともに教育訓練機関“CESI”が調査会社“Ipsos”に依頼して行った調査によると、30歳以上のサラリーマンの55%が20代の同僚を野心的、58%が個人主義的と見做しており、同時に48%が効率的でない、46%があまり意欲的でない、44%が熱意が感じられない、器用ではないと判断している。

一方、ジェネレーションY自身は(このYは英語のwhyに由来しているのだが)、先輩社員よりも器用で、意欲的、効率的で熱意もあると自己評価しているが、同時に個人主義的で野心的であることも認めている。このように世代間には大きな相違があるが、それでも仕事の維持、給与のレベル、労働条件を常に気にかけている点では、先輩世代と何ら変わりがない。

調査は経済状況についても聞いている。その結果によると、企業経営者の29%が、この先6カ月、企業活動は悪化すると考えているが、2010年の下半期には19%しかいなかった。一方、働く側も24%が企業業績は悪化すると考えており、2010年の14%より大きく増加している。経営者たちは、一般に、ここ2年以内に経済状況が改善するとは思っていないようだ。

こうした状況にもかかわらず、経営者、労働者併せて70%の人がこの先6カ月の雇用に関しては楽観的である。しかし、労働者側の53%は、もし自分が働く企業で労働運動が起きたなら参加すると答えている。

実査は昨年11月18日から12月6日にかけて行われ、408社の経営者には電話で、サラリーマン1,014人にはネット上で、それぞれ質問に答えてもらった。

・・・ということで、フランスの「ジェネレーションY」は野心的だが、個人主義的なんだそうです。よく、個人主義的だと言われるフランス人。その中でも、いっそう個人主義的な訳ですから、究極の個人主義者、なのかもしれないですね。常に、“going my way”なのでしょうか。

“going my way”と言えば、あの有名な『マイ・ウェイ』。カタカナ表記されると、布施明や尾崎紀世彦の熱唱を思い出しますが、“My Way”と英語になれば、やはり、フランク・シナトラでしょうか。

♪♪信じたこの道を私は行くだけ
  すべては心の決めたままに

死が近づいた男が自分の過去を肯定して、朗々と歌い上げる歌ですね。作詞は『ダイアナ』などで有名な歌手、ポール・アンカ(Paul Anka)ですが、この曲のオリジナルは、実はフランスの曲。ご存知の方も多いと思います。浅学の身も、そのことは知っていたのですが、遅ればせながら、はじめてオリジナルを聞きました。歌っているのは、作曲も手がけたクロード・フランソワ(Claude François)。タイトルは“Comme d’habitude”で、その歌詞はポール・アンカの作詞とはまったく異なっています。どこをどう転んでも、似たところはまったくありません。それでいて、後半の熱唱ぶりは似てくるから、不思議です。

Je me lève
Et je te bouscule
Tu ne te réveilles pas
Comme d’habitude
Sur toi je remonte le drap
J’ai peur que tu aies froid
Comme d’habitude
Ma main caresse tes cheveux
Presque malgré moi
Comme d’habitude
Mais toi tu me tournes le dos
Comme d’habitude

Alors je m’habille très vite
Je sors de la chambre
Comme d’habitude
Tout seul je bois mon café
Je suis en retard
Comme d’habitude
Sans bruit je quitte la maison
Tout est gris dehors
Comme d’habitude
J’ai froid je relève mon col
Comme d’habitude

Comme d’habitude
Toute la journée
Je vais jouer à faire semblent
Comme d’habitude
Je vais sourire
Comme d’habitude
Je vais même rire
Comme d’habitude
Enfin je vais vivre
Comme d’habitude

Et puis le jour s’en ira
Moi je reviendrai
Comme d’habitude
Toi tu seras sortie
Pas encore rentrée
Comme d’habitude
Tout seul j’irai me coucher
Dans ce grand lit froid
Comme d’habitude
Mes larmes je les cacherai
Comme d’habitude

Comme d’habitude
Même la nuit
Je vais jouer çfaire semblant
Comme d’habitude
Tu rentreras
Comme d’habitude
Je t’attendrai
Comme d’habitude
Tu me souriras
Comme d’habitude

Comme d’habitude
Tu te déshabilleras
Comme d’habitude
Tu te coucheras
Comme d’habitude
On s’embrassera
Comme d’habitude

Comme d’habitude
On fera semblant
Comme d’habitude
On fera l’amour
Comme d’habitude
On fera semblant
Comme d’habitude

という歌詞なのですが・・・どこか身につまされる、男の哀しさ、なのですが、どうやったら熱唱できるのかと、不思議です。Claude François Comme d’habitudeで文字検索すると、YouTubeにアップされている映像がすぐに見つかります。まずは、一見にしかず・・・

中近東は遠い・・・第三次オイル・ショック、日本の備えは?

2012-01-27 21:44:49 | 社会
フランス語では、“Proche-Orient”と“Moyen-Orien”になりますが、これは言うまでもなく、ヨーロッパ中心の見方。日本から見れば、「遠西」と「中西」、併せれば、「遠中西」でしょうか。そうすると、ヨーロッパは当然、極西、“Extrème Occident”になりますね。

昔、あまりに日本を「ファー・イースト」、「ファー・イースト」と呼ぶイギリス人がいたので、イギリスを“Far West”と呼んだら、嫌~な顔をしていました。ヨーロッパ中心主義が抜けないのでしょうね。

これは、なにも、西東だけではなく、南北にも言えます。日本にいると地図上では北が上と思い込んでいますが、南半球のオーストラリアに行くと、南が上の地図があります。そこに描かれている我らが日本は・・・カタチも位置も、変だな~と、思わずうなってしまいます。

慣れは恐ろしいというか、思い込みはいけないな~と思ったりするわけで、ときには視点を換えてみる必要があると思うわけです。

ということで、今日のテーマは「遠中西」、ではなく、「中近東」です。中近東と言えば、石油。輸入原油に依存する我らが日本にとって、中近東からの輸入が減少すれば、一大事。昔のトイレット・ペーパー買占めが思い出されますね。そう、オイル・ショックです。

第一次、第二次のオイル・ショックを経て、原油の供給が安定しているように思えていたのですが、ここにきて、ペルシャ湾の波高し。核開発を進めるイランへの制裁措置として、原油の禁輸を求める動きになっています。

日本もアメリカの要請を受け、検討せざるを得ない状況ですが、なかなか明快には答えにくい状況です・・・では、ヨーロッパンは? と言うわけで、23日にアップされた『ル・モンド』(電子版)の記事がEUの決定とその背景を伝えています。

イランへの圧力はさらに強まった。EU加盟27カ国の外相は23日、世界市場の混乱を防ぐため、イラン中央銀行の資産凍結、イラン産原油の禁輸という制裁措置を決めることになっている(実際、決定されました)。この決定はすでに実施されている、長い制裁リストに新たに付け加えられるものだ。433のイラン企業及び113人のイラン人の資産凍結、兵器などの輸出制限、豊富なガス田の開発などを含むプロジェクトへの投資禁止などがすでに講じられている。

EUは、はじめてイランの主要な収入源である原油、一日260万バレルという原油の輸出を制裁のターゲットとした。制裁の背景にはイランの核兵器開発があるのだが、それは国際原子力機関(IAEA、仏語ではl’Agence internationale de l’énergie atomique)の専門家にとってはもはや疑いえない事実となっている。原油禁輸が7月1日以前に発効することはないが、それは原油輸入国、特にアジアの国々に代替供給源を確保する時間的余裕を与えるためだ。

アメリカは今回の禁輸の影響を受けない。と言うのも、イランからはもはや一滴の原油も輸入していないからだ。EU諸国も、イラン産原油のわずか5.8%に相当する量しか輸入していないため、ほとんど影響を受けない。しかしその中にあってイタリア、スペイン、ギリシャは例外的にイラン原油にかなり依存しているため、同調するよう説得するのは容易ではない。一方、インド、中国、日本、韓国はイラン産原油に大きく依存している。

日本はかなり及び腰で、前例のない今回の制裁措置への同調に反対するメッセージを発している。インドは慎重な態度を崩さず、中国に至っては欧米に一切の希望を与えてくれない。「イランと通商を行っているのは中国一国だけではなく、また世界の貿易は守られるべきだ」と、湾岸諸国を訪問中の温家宝(Wen Jiabao)首相は述べている。

イラン原油の禁輸分を増産で補うという約束をサウジアラビアが守るなら、禁輸による原油価格の上昇は限定的なものになるだろう。そしてイランにとっては痛手となる。「外国企業との契約がなければ、イランの原油生産量はゆっくりとだが減少する」と、雑誌“Pétrostratégies”の編集長、ピエール・テルジアン(Pierre Terzian)は述べている。

一方、もしイランがホルムズ海峡(le détroit d’Ormuz)を封鎖すると、海運によって輸送される世界の原油の35%がそこを通過しているだけに、状況は非常に深刻なものとなるだろう。その結果、原油価格は高騰するに違いない。こうした不安は、1月初め、ユーロ安と産油国であるナイジェリアの社会的宗教的対立による混乱によって原油価格が急上昇したことで、すでに起こりうるものとして確認されている。

サルコジ大統領は、外務省に次のような意向を伝えた。軍事介入を防ぐためにあらゆる手立てを講じなければならない。もし軍事介入が現実のものとなれば、中東にとって大混乱(le chaos)となるだろう。そして、また次のように付け加えた。時間は限られている、制裁のさらなる強化によって平和は維持される、と。サルコジ大統領がそう述べる前日、アメリカのパネッタ(Leon Panetta)国防長官は、アメリカはこうした状況に対応できうる準備をしている、と述べていた。つまり、ホルムズ海峡を通過するタンカーの安全を確保するために、軍事的行動を取るということだ。

原油価格は2011年、ブレント価格(原油価格の指標)の年平均が110ドルという記録的上昇を示した。フランス石油新エネルギー研究所(l’Institut français du pétrole – Energies nouvelles)のオリヴィエ・アペール(Olivier Appert)理事長は、「世界は第三次オイル・ショックに直面している。過去の2回のオイル・ショック(1974年と1980年)と同じように、貿易収支は原油輸入と密接に結びついているだけに赤字に転落することになる」と強調している。

2012年の原油価格の上昇は、その需要の停滞により和らげられるかもしれない。1月、国際エネルギー機関(IEA、仏語ではl’Agence internationale de l’ énergie)は、今年の原油消費量の予想を5カ月連続で引き下げ、1日当たり9,000万バレルとした。

・・・ということで、「第三次オイル・ショック」と言うショッキングな表現も飛び出しています。日本ではそれほど深刻な報道にはなっていませんが、それはイラン原油の禁輸措置が実施されるのが7月以降だからでしょうか。その間に、代替供給地の確保ができる見込みがあるのでしょうか。それとも、アメリカとうまく交渉して、日本の禁輸を一部に限定できる目算があるのでしょうか。

しかし、アメリカやEUの決定、そして関係国への足並みをそろえるようにという要求ですが、実体を知れば、呆れてしまいますね。アメリカはイランから原油を輸入していない、EU諸国も一部の例外国を除いて、輸入量は非常に限られている。自国に影響のない制裁策で、イランに圧力をかけようとしている、とも解釈できます。その措置の影響を蒙るのは、アジア諸国とEUの例外国、つまり、イタリア、スペイン、ギリシャ・・・見事に信用不安の渦中にある国々ですね。いっそうの混乱に巻き込まれることはないのでしょうか。

今回の制裁措置においても、アメリカ、イギリスとその旧植民地(オーストラリア、カナダなど)、つまりアングロ・サクソンが中心的に、言いかえれば、自分たちの都合のいいように世界を動かそうとしているのでしょうか。イラン原油の禁輸措置により、もし原油価格が上昇した場合、北海油田を持つイギリス、国内に油田を持つアメリカ、しかも石油メジャーを抱える両国は、得することはあれ、損をすることはない。しかもアジアを中心とした新興国の経済にはマイナスの影響を与えることができ、自国産業の後押しにすらなる・・・素人には、こう読めてしまいます、ど素人の邪推でしかないとは思いつつ・・・

イタリアは、いつも「イタリア」。イタリア人も、いつも「イタリア人」だね~。

2012-01-22 21:40:15 | 社会
国民性は、なかなか簡単には変わらないようですね。しかも、外から見た方が、その特徴が良く分かる。というわけで、各国の国民性をネタにしたジョークが世界中にあるようです。

以前にもご紹介したことがありますが、『世界の日本人ジョーク集』(早坂隆著:2006年刊)から、若干引用させてもらいます。

●それぞれの幸福
 イタリア人の幸福とは、愛人とパスタを食べながらサッカーを見ている時。
 イギリス人の幸福とは、うまいブラックジョークが決まった時。
 ドイツ人の幸福とは、計画通りに物事が運んだ時。
 スペイン人の幸福とは、美味い物を食べてのんびり昼寝している時。
 日本人の幸福とは、食事をさっさと終えて再び働き始めた時。
 ソ連人の幸福とは、部屋に踏み込んできた秘密警察が人違いに気付いて帰って行った時。

●遅刻の対処法
国際的な学界の場で遅刻してしまったため、発表の持ち時間が半分になってしまった場合、各国の人々はどうするのだろうか?
 アメリカ人・・・内容を薄めて時間内に収める。
 イギリス人・・・普段通りのペースで喋り、途中で止める。
 フランス人・・・普段通りのペースで喋り、次の発言者の時間に食い込んでも止めない。
 ドイツ人・・・普段の二倍のペースで喋る。
 イタリア人・・・普段の雑談をカットすれば、時間内に収まる。
 日本人・・・遅刻はあり得ない。

●軍隊比較
世界最強の軍隊とは?
 アメリカ人の将軍
 ドイツ人の参謀
 日本人の兵
では世界最弱の軍隊とは?
 中国人の将軍
 日本人の参謀
 イタリア人の兵

●早く飛び込め!
 ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示しなければならなかった。船長は、それぞれの外国人乗客にこう言った。
 アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
 イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
 ドイツ人には「飛びこむのがこの船の規則となっています」
 イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」
 フランス人には「飛び込まないでください」
 日本人には「みんな飛び込んでますよ」

先週のフランスにおけるトップ・ニュースは、豪華客船の座礁事件でした。60数カ国からの乗客・乗員がいたというイタリアの豪華客船、コスタ・コンコルディア号。スポットが当てられたのは、乗客がどう対応したかではなく、船長がどう振る舞ったか、でした。

少なくとも11人が死亡し、21人が行方不明となっている大惨事。ご冥福をお祈りするばかりですが、問題視されているのは、イタリア人船長が取った行動。フランス人犠牲者も少なくとも4人出ています。この悲劇をフランス・メディアがどう伝えていたか、その一端を19日の『ル・モンド』(電子版)に見てみることにしましょう。

イタリア沿岸で座礁した豪華客船「コスタ・コンコルディア」号(“Costa-Concordia”)の残骸から生存者を探す捜索が、19日も行われた。現状での犠牲数は11人に上っている。そのうち8人の身元が確認された。乗客はフランス人が4人、イタリア人1人、スペイン人1人、乗員はペルー人が1人と船内のオーケストラでヴァイオリンを弾いていたハンガリー人が1人だ。

17日に発見された犠牲者のうち、フランス東部出身の二人の遺体が19日、家族によって確認されたと、トスカーナ州ゴッセート(Gosseto)市の警察が公表した。「コスタ・コンコルディア号の座礁で失われたフランス人の命は4人となった。行方不明となっている2人のフランス人に関する情報はまだない」と、仏外務省の報道官、ベルナール・ヴァルロ(Bernard Valero)は語っている。

座礁から6日、まだ24人の行方が不明なままだ(『ル・モンド』は24人と伝えています)。行方不明者の家族は船長への怒りを露わにしているが、滞在先を割り当てられ、不安の中で捜索の結果を待っている。

「昨晩行ったテストは上手く行った。潜水夫たちがすでに潜って救援活動を行っている。極小の爆発物を使って、船内へのアクセス通路を広げたので、船内に入り、生存者を探すことが可能になった」と、沿岸警備隊の広報、フィリッポ・マリーニ(Filippo Marini)が19日早朝、述べている。

しかし、潜水夫の作業は困難を極めている。井戸と化した廊下を進まねばならず、船内は鍵の掛けられたドアや家具の山、カーペットの切れ端などによって寸断されているからだ。しかも、島の近くで座礁した巨大な船体がわずかに動いただけで、18日はほぼ丸一日、捜索活動は中断を余儀なくされた。

19日、さらなる情報が、過失致死をはじめ船を座礁させたこと、座礁後に船を見捨てたことなどにより訴えられている船長、フランチェスコ・スケッティーノ(Francesco Schettino)をいっそう窮地に追い込んだ。今、船長はナポリの南、メタ・ディ・ソレント(Meta di Sorrento:『帰れソレントへ』で有名な地域ですね)にある自宅に軟禁されているが、検察によると、船長は「離船後、ジリオ島(Giglio)の岩礁の上でじっとしたまま、船が沈んでいくのを見ていた」そうだ。

起訴は、船長の行動に関する5人の乗組員の証言に基づいている。乗組員たちは、ジリオ島へ近づくためにスケッティーノ船長がルートを変更するように決めたと検察に語っており、判事(Valerio Montesarchio)は、慎重さと思慮に著しく欠ける行動だと批判している。

判事はまた、「船長の行動、特に責任を持つべき4,000人以上もの人命をないがしろにし、状況の深刻さを信じられない程に軽く見た判断が甚大な被害の原因であり、許されるものではない。船長は損害の大きさを過小評価し、沿岸警備隊に事故を速やかに知らせることを怠ったため、結果として緊急対応と救援活動を遅らせてしまった」と非難した。

取り調べを受けた際、スケッティーノ船長は自分は優れた船長だと自慢していたと言われるが、現地の報道によると、14日の事故直後、憲兵隊に「人生を変えるつもりだ。船には二度と足を踏み入れたくない」と語っていたそうだ。

捜索と並行して、燃料の流出を防ぎ、ジリオ島の環境を守るために、2,380トンにおよぶ燃料油の抜き取り作業が19日に始められることになっている。数週間かかることになるこの作業は、燃料油にいっそうの流動性を持たせるために加熱する必要があるだけに、非常に困難なものだ。

・・・ということで、『ル・モンド』はあくまで客観的に報道しているだけですが、通信社などの報道によると、船長は座礁の後にも拘らず、恋人だか愛人だかの女性との食事のためにオーダーをしたとか、乗客よりも先に救援ボート上にいたのは、混乱の中で転んだところ、たまたまボートの上に転がり落ちただけだと語ったとか、ジリオ島に近づいたのは、そこに先任の船長が住んでいるから、あるいは給仕長の家族が住んでいるので挨拶のために近づいたとか、さまざまな情報が飛び交っています。船長と一緒に食事をしようとしていた女性が外国メディアの取材を受けた映像もネットに流されていました。また、沿岸警備隊との通話記録も公開されましたが、船に戻るよう厳しく言われたにも拘わらず、なんだかんだと言って戻らなかったようです。

「さすが、イタリア人」と、変な感心をしてしまうのですが、一方、「さすが、イタリア」と感心させてくれるニュースを、同じく19日の『ル・モンド』(電子版)が伝えていました。

イタリア警察は19日、ミラノにあるスタンダード&プアーズ(S&P)イタリア法人の本社を家宅捜査した。この捜査は市場操作の疑いで2010年にムーディーズ(Moody’s)に対して始められたもので、その後S&Pに捜査対象が広げられた。

コミュニケの中で、S&Pは格付けの独立性をめぐる捜査に驚き、嘆いていると語っている。また、今回の捜査は根拠を欠いており、目的もないものだと批判。そして、自らの行動、評判、自社アナリストたちの評価を全力で守ると述べている。

トラーニ(Trani:イタリア南東部にある市)の地検は2010年末、同年5月に出されたムーディーズのレポートに対する消費者団体からの訴えに基づき、捜査を開始した。その文書はイタリア金融機関の市場における取引にマイナスの影響を与えた。その報告書において、ムーディーズはイタリアなどEUの国々の格付けを引き下げることがギリシャの場合と同じように、金融システムに影響を与えるリスクについて警戒を促していたからだ。

2011年の春から夏にかけてS&Pがイタリアに関するコメントを発表して以降、捜査対象にS&Pも含まれるようになった。検察は、S&Pの発表したコメントはイタリアに関する根拠のない判断を含んでおり、市場にネガティブな影響を与えたと判断している。5月に、S&Pはイタリアの格付けを引き下げる可能性にはじめて言及し、7月には、新たな緊縮策にもかかわらず、財政赤字削減目標にはリスクが伴うと強調していた。

それ以降、S&Pは9月にイタリアの格付けを1段階、そして今年1月13日には2段階引き下げ、BBB+とした。格付け会社は重要な時期にEU諸国の格付けを引き下げ、ユーロ危機を助長させたと批判されている。

・・・ということで、背景はいろいろあるにせよ、格付けを引き下げられた途端、S&Pオフィスの家宅捜査を行ったイタリア。良くもここまで見え透いたことを、と感心してしまいました。さすがは、イタリア!

情熱の国、イタリア。そこにあるのは、愛人、パスタ、カルチョ、責任逃れの詭弁、ずる賢さ、やられたらやり返すずうずうしさ・・・それでも、愛すべき人々なのかもしれません。周遊旅行で、フランスからイタリアに入った途端、なぜかホッとしたという人も多くいるのですから。それに、歴史の遺産。観光地としては、素晴らしいものがあります。しかし、住むとなると、愛すべき人たちとも言っていられなくなるのではないかと思ったりするのですが・・・

そして、ブーメランは、我らが日本へ。上記のジョーク集にあるように、勤勉、規律、まじめ。しかし、リーダー・シップがない。戦略がない。そう、リーダーたる人物をなかなか輩出できない社会ではあるようです。どうしてなのでしょうか。

日本を支えるのは、現場。現場の力です。トップはお飾り、神輿に乗るのは軽いほどいいと、政界でも言います。トップダウンではなく、ボトムアップの社会。だからでしょうか、社長の就任あいさつでも、聞こえてくるのは、現場に最も近い社長でありたい、現場が明るく楽しく働くことができる会社にしたい・・・決して経営戦略ではありません。現場が頑張れる環境整備が社長の役目であったりします。しかし、それで、この国は成長してきたわけで、なにも無理に変える必要はないと思います。

もし、今日本が国際競争などで困難な時期にあるとすれば、それは自らの強みである現場の力を自ら削いでしまったからではないでしょうか。現場の人件費をコストとして削減した、つまり非正規や派遣を増加させ、プロとしての誇りを失わせてしまった。また、転職を奨励することにより愛社精神を薄れさせ、仕事、ひいては会社の成長のために全力を尽くすことを忘れさせてしまった。自分のことしか考えないサラリーマンや労働者。しかも、ゆとり教育のせいか、基礎学力等に若干のハンデを抱えた労働力が増えている。さらには、ともだち親子の影響か、叱られ慣れていない、打たれ弱い人材が現場の主力になってきている。日本が沈みつつあるとすれば、それは自ら招いた結果なのではないでしょうか。

今、リーダーを希求する声が大きいですが、望むべくもないことを夢見るよりは、現場の力をもう一度取り戻すことの方が日本に合っているのではないでしょうか。現場が強くなってこそ、「さすが、日本」なのだと思います。日本人は優秀な兵ではあっても、優秀な参謀ではないようですから。もう一度、原点、日本人の良さを取り戻そうではありませんか、一人一人が、身近なところから。そう思っています。