イギリスのブレア元首相。第三の道、あるいはニュー・レイバーの旗手として、1997年に43歳の若さで首相に就任。2007年に退陣するまで、10年間、イギリス政治の舵取りをしてきたことは、ご存知の通り。鮮やかな弁舌と甘いマスクで、人気を博しました。そのトニー・ブレアに譬えられる日本の政治家とは・・・21日のル・モンド(電子版)が紹介しています。“Le “Tony Blair du Japon” chargé de gérer la crise avec la Chine”(中国との危機管理の任に当たる日本のトニー・ブレア)。
日本のトニー・ブレアとは・・・1993年に31歳の若さで衆議院議員に初当選。12年後には、民主党の党首を務めた・・・そう、前原誠司氏です。政界で若くして頭角を現し、階段を一気に登って行ったスピード、そしてその弁舌の巧みさで「日本のトニー・ブレア」と呼ばれている・・・確かに、民主党の党首に選出されたころ、朝日新聞が「目指せ、日本のブレア」という見出しを使ったようです。因みに、別の新聞では、「永田町の郷ひろみ」・・・
その前原氏について、ル・モンドは、17日の内閣改造でセンセーショナルだったのは、前原外相の誕生だった、と伝えています。
時あたかも、微妙な時期。言うまでもなく、7日、尖閣諸島沖の日本の領海で、海上保安庁の巡視船と中国のトロール漁船が衝突。その後の中国漁船に対する臨検と船長の逮捕という一連の対応で、日本と中国の対立が公然となっていた時期に、前原氏が外相に就任。
この件は、緊張が和らいでいた日中両国関係を悪化させることになる。中国政府は断固たる対抗措置を明言し、日本の若者1,000人の上海万博訪問や、同じく上海万博でのSMAPの公演を延期した。こうした中国側の対応に対し、前原外相は何ら臆することなく、日本の主権に対するいかなる脅威にも断固たる対応で臨むと述べている。こうした対応を示す前原外相が、日本外交の舵をどう取るのだろうか・・・
1962年4月30日に京都で生まれた前原誠司氏。父親の自殺後、母親の女手一つで育てられる。写真と野球が趣味・・・写真は特にSLの写真で、野球は阪神ファン。それ以外に、プロレスのファンとしても有名。なお、フランスではプロレス(le catch)が子供たちの間で人気で、その技をまねて遊ぶため事故が増えていると、ごく最近、テレビ局France2がニュース番組で伝えていました。
さて、前原氏は京都大学を卒業後、松下政経塾で学び、京都府議に。1993年、衆議院選挙に新党日本から立候補し、当選。新党さきがけを経て、1998年に旧民主党の結党に参加。2005年9月から翌6年4月まで、党首も務める。2009年、民主党政権になると、国土交通大臣として、公共事業の無駄削減に取り組む・・・ご存知の通りです。
安全保障の論客でもあり、民主党のネクスト内閣(le cabinet fantôme)では防衛大臣に。日米同盟を擁護する立場で、2007年にはアフガニスタンでのテロとの戦いに日本もさらなる貢献をするよう党執行部に要請したほどだ。
改憲派であり、中国に対してはタカ派(un faucon)と見られている。中国のミサイル配備や中国海軍の日本近海における海上訓練に懸念を表明。外相に就任すると、18日には中国の防衛費の伸びにさらなる懸念を表明。
中国の圧力に決して屈しないタイプですが、しかし同時に緊張を必要以上に激化させようとするタイプでもない。18日、反日のデモをコントロールした中国政府の対応を評価し、翌19日には、巡視船と漁船の衝突は残念な偶発的な事故だったと事件の鎮静化に努めた。悪天候が嵐に変わるかもしれない時期に、どのように外交の舵を取るのか、前原外相の手腕に注目していきたい・・・21日時点で、ル・モンドはこのように伝えていました。
フランスのメディアが、日本の政治家個人を取り上げることは、首相就任時以外では、めったにありません。日中の緊張高まる中での外相就任というタイミングもあるのでしょうが、前原氏の経歴・政治信条を要領よくまとめて紹介しています。日中の対立は、経済面でフランスにも何らかの影響があるとみているのか、あるいは影の薄い、個性の乏しい日本の政治家たちの中にあって、前原氏が個性的で、フランスのメディアにとっても興味の対象になっているのか、あるいは2017年のフランス大統領選挙の目玉の一人がコペ氏(Jean-François Copé)と見られているように、前原氏を民主党の次の世代の有力な首相候補と見做しているのか・・・ル・モンドならずとも、前原外相の今後の政治活動が注目されますね。
日本のトニー・ブレアとは・・・1993年に31歳の若さで衆議院議員に初当選。12年後には、民主党の党首を務めた・・・そう、前原誠司氏です。政界で若くして頭角を現し、階段を一気に登って行ったスピード、そしてその弁舌の巧みさで「日本のトニー・ブレア」と呼ばれている・・・確かに、民主党の党首に選出されたころ、朝日新聞が「目指せ、日本のブレア」という見出しを使ったようです。因みに、別の新聞では、「永田町の郷ひろみ」・・・
その前原氏について、ル・モンドは、17日の内閣改造でセンセーショナルだったのは、前原外相の誕生だった、と伝えています。
時あたかも、微妙な時期。言うまでもなく、7日、尖閣諸島沖の日本の領海で、海上保安庁の巡視船と中国のトロール漁船が衝突。その後の中国漁船に対する臨検と船長の逮捕という一連の対応で、日本と中国の対立が公然となっていた時期に、前原氏が外相に就任。
この件は、緊張が和らいでいた日中両国関係を悪化させることになる。中国政府は断固たる対抗措置を明言し、日本の若者1,000人の上海万博訪問や、同じく上海万博でのSMAPの公演を延期した。こうした中国側の対応に対し、前原外相は何ら臆することなく、日本の主権に対するいかなる脅威にも断固たる対応で臨むと述べている。こうした対応を示す前原外相が、日本外交の舵をどう取るのだろうか・・・
1962年4月30日に京都で生まれた前原誠司氏。父親の自殺後、母親の女手一つで育てられる。写真と野球が趣味・・・写真は特にSLの写真で、野球は阪神ファン。それ以外に、プロレスのファンとしても有名。なお、フランスではプロレス(le catch)が子供たちの間で人気で、その技をまねて遊ぶため事故が増えていると、ごく最近、テレビ局France2がニュース番組で伝えていました。
さて、前原氏は京都大学を卒業後、松下政経塾で学び、京都府議に。1993年、衆議院選挙に新党日本から立候補し、当選。新党さきがけを経て、1998年に旧民主党の結党に参加。2005年9月から翌6年4月まで、党首も務める。2009年、民主党政権になると、国土交通大臣として、公共事業の無駄削減に取り組む・・・ご存知の通りです。
安全保障の論客でもあり、民主党のネクスト内閣(le cabinet fantôme)では防衛大臣に。日米同盟を擁護する立場で、2007年にはアフガニスタンでのテロとの戦いに日本もさらなる貢献をするよう党執行部に要請したほどだ。
改憲派であり、中国に対してはタカ派(un faucon)と見られている。中国のミサイル配備や中国海軍の日本近海における海上訓練に懸念を表明。外相に就任すると、18日には中国の防衛費の伸びにさらなる懸念を表明。
中国の圧力に決して屈しないタイプですが、しかし同時に緊張を必要以上に激化させようとするタイプでもない。18日、反日のデモをコントロールした中国政府の対応を評価し、翌19日には、巡視船と漁船の衝突は残念な偶発的な事故だったと事件の鎮静化に努めた。悪天候が嵐に変わるかもしれない時期に、どのように外交の舵を取るのか、前原外相の手腕に注目していきたい・・・21日時点で、ル・モンドはこのように伝えていました。
フランスのメディアが、日本の政治家個人を取り上げることは、首相就任時以外では、めったにありません。日中の緊張高まる中での外相就任というタイミングもあるのでしょうが、前原氏の経歴・政治信条を要領よくまとめて紹介しています。日中の対立は、経済面でフランスにも何らかの影響があるとみているのか、あるいは影の薄い、個性の乏しい日本の政治家たちの中にあって、前原氏が個性的で、フランスのメディアにとっても興味の対象になっているのか、あるいは2017年のフランス大統領選挙の目玉の一人がコペ氏(Jean-François Copé)と見られているように、前原氏を民主党の次の世代の有力な首相候補と見做しているのか・・・ル・モンドならずとも、前原外相の今後の政治活動が注目されますね。