ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

BDの国におけるマンガの評価・・・アングレーム国際漫画祭

2011-01-31 22:01:04 | 文化
マンガが“manga”で通用し、マンガ喫茶もあるフランス。しかし、もちろんBD(bande dessinée)というフランス語もきちんとあり、マンガに関しても長い歴史を持っています。日本でもお馴染みの「タンタンの冒険旅行シリーズ」(Les Aventures de Tintin)も、作者はベルギー人のエルジェ(Hergé)ですがフランス語で書かれており、フランス語圏のBDとみなされています。

そして、何事につけ、権威づけのうまいフランスは、マンガでも国際的な賞を創設しています。1974年から始まった「アングレーム国際漫画祭」(Festival international de la bande dessinée d’Angoulême)がそれで、マンガ界におけるカンヌとも言われています。

フランス西部、ポワトゥー=シャラント(Poitou-Charentes)地域圏にあるアングレーム市が開催しているマンガ祭です。因みに、この地域圏のトップは、2007年大統領選挙の社会党候補だったロワイヤル女史(Ségolène Royal)が務めています。

毎年1月に開催されるアングレーム国際漫画祭。前年に出版された作品が対象ですが、例外があります。最も権威ある賞であるグランプリがそれ。長年マンガの発展に寄与したマンガ家を毎年1名選出し、選ばれた作家はマンガ・アカデミー会員となり、翌年の審査委員長を務めることになります。この新たなアカデミー会員、つまりグランプリの受賞者は、会員の投票によって決められています。

アカデミー会員などと言うとたいそう重々しくなりますが、映画が第七芸術と言われるように、マンガは第九芸術と言われているフランスですから、奇異に思われることもなく、その価値はしっかり認められているようです。

マンガのアカデミー会員になる、つまりマンガの殿堂入りした漫画家たちですが、あくまでフランス国内で出版された漫画の作者が対象ですから、ほとんどがフランス人。外国人受賞者はごく一部です(ベルギー人4名、アメリカ人2名、イタリア人1名、スイス人1名、ユーゴスラビア人1名、アルゼンチン人1名)。不公平な気もしますが、このあたりが、権威づけとその中心に鎮座ましますことの上手なフランス人ならでは。私たちは指をくわえて羨ましがるしかありません。

「マンガ」がそのままフランス語の言葉として通用し、マンガをきっかけに日本語を学ぶフランス人学生が多いとはいえ、アカデミー会員になった日本のマンガ家はまだ一人もいません。しかし、部門賞受賞者はいます。

<過去の日本人受賞リスト~ウィキペディアより>
谷口ジロー『遥かな町へ』(2002年、最優秀脚本賞、優秀書店賞)
浦沢直樹『20世紀少年』(2004年、最優秀長編賞)
谷口ジロー『神々の山嶺』(2005年、最優秀美術賞)
辰巳ヨシヒロ(2005年、特別賞)
水木しげる『のんのんばあとオレ』(2007年、最優秀作品賞)

水木しげる氏の作品は、1991年にマンガ作品として日本で出版されていますが、フランスでは2006年に出版されたのでしょうね、2007年の受賞になっています。

上記のように、日本人漫画家の受賞者はわずか4名です。しかも谷口ジロー氏と浦沢直樹氏はフランス人漫画家メビウス(Moebius:本名はJean Giraud:ジャン・ジロー)の影響を強く受けており(谷口氏のペンネームはジャン・ジローに因むのでしょうか)、フランス人の好みが反映されているのかもしれませんね。もちろん、上記4名の方々の作品が十分に素晴らしいことは、敢えて言うまでもありません。

さて、今年のアングレーム国際漫画祭の受賞作品を、30日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

1月30日、第38回のアングレーム国際漫画祭のグランプリ(Grand Prix de la Ville d'Angoulême)が、『マウス』(“Maus”)の作者であるアメリカ人作家、アート・スピーゲルマン(Art Spiegelman)に授与された。数年前からスピーゲルマンの名はグランプリ候補に取り沙汰されていたが、ついに受賞。『マウス』一作だけの作家だとか、優れた作品だが、もう古いとか言われていたが、こうした批判にもかかわらず、マンガ・アカデミー会員たちはスピーゲルマンを仲間に迎え入れることにした。なお、今年の審査委員長は、フランス人漫画家・バル(本名はHervé Barula)が務めていた。

自分の出版社“Raw”から、1981年~1991年にかけて出版された『マウス』は大きな衝撃を与え、マンガ作品としては初めての、そして今日でも唯一のピューリッツァー賞受賞作品(1992年)となった。ユダヤ系ポーランド人として、アウシュビッツを生き延びた実父の経験を題材とした作品。ユダヤ人はネズミ、ナチは猫、ドイツ人は犬と擬人化されている。ショアーに関する寓話であるこの作品は、今日では30カ国語に訳され、学者の研究対象にもなっている。

風刺雑誌“Mad”の愛読者だったスピーゲルマンは、『マウス』の成功の後、1993年に雑誌『ザ・ニューヨーカー』に入社。2001年、9・11直後の号の表紙に、一見まっ黒に見えるが、よく見るとワールド・トレードセンターが描かれているというイラストを描き、評判を取る。しかし、その1年後、『ザ・ニューヨーカー』の編集がブッシュ政権へおもねっているという理由で退社してしまう。なお、夫人のフランソワーズ・ムーリー(Françoise Mouly:フランス人)は、『ザ・ニューヨーカー』のアート・ディレクターである(夫人がフランス人ということが今回の選考に影響したのではないかと思えないこともありません、なにしろ自国愛の強烈なフランス人ですから)。

その後、個人的にもトラウマともなった9・11とその影響を描いた『消えたタワーの影のなかで』(A l’ombre des tours mortes)を発表。今回の受賞に際しては、フランス・マンガの支援を、前にグランプリを受賞したアメリカ人作家、ロバート・クラム(Robert Crumb)に負けないようしっかり行っていきたいと述べている。

最優秀作品賞(Fauve d'or du meilleur album)は、パリに住むイタリア人漫画家、フィオ-ル(Emanuele Fior)の“Cinq mille kilomètres par seconde”(秒速5,000km)に贈られた。遠距離恋愛の物語で、新しい科学技術が重要な役割を演じている。非の打ちどころのない洗練さが特徴となっている。

審査員特別賞(Prix spécial du jury)は、フランス生まれのアメリカ人漫画家、マッツッケッリ(David Mazzucchelli)の“Asterios Polyp”に、最優秀シリーズ賞(Prix de la série)は、フランス人作家のヴァレー(Sylvain Valée:画)とニュリー(Fabien Nury:作)による4巻シリーズ“Il était une fois en France”にそれぞれ贈られた。ニュリーは現代最高の漫画作家と言われている。

最後になるが、「manga」の国、日本から唯一、最終候補58点の中に入っていた浦沢直樹の“Pluto”(『プルートウ』)は世代間賞(Prix Intergénérations)を受賞した。

・・・ということなのですが、『プルートウ』は、あの手塚治虫の『鉄腕アトム』、その「地上最大のロボット」をリメイクした作品。傑作は時代を超える、の一例ですね。

それにしても、アメリカで、ヨーロッパで、アジアで、多くのマンガが描かれ、多くの読者を獲得している。さすが、「第九芸術」です。その中で“manga”で通用するのですから、日本のマンガは大したもの。日本の文化戦略にとって大きな財産ですね。頑張れ、マンガ。そして、漫画家たちの創作意欲を減退させないような国の支援も、ぜひ。

世界の若者たちは、何を夢見ているのか――②

2011-01-28 20:08:50 | 社会
21日の『ル・モンド』(電子版)が紹介している政治改革財団(la Fondation pour l’nnovation politique)の行った世界の若者の意識調査、一覧表で明示していない部分もあるようで、『ル・モンド』の記事は文章でまとめています。

自分の現実の生活全般について、83%のフランス人は満足しており、ヨーロッパの平均(78%)より高い数字になっている。項目ごとでは、家族(85%)、健康(83%)、友人(79%)、自由な時間(73%)に関する満足度が高い。また、自分の人生を満足させる要素としては、家族を持つことが47%で最も高くなっており、逆に、お金を稼ぐこと(14%)や自由を実感すること(18%)は低くなっている。

「自分の国に自信」を持っているのは、何と言っても、中国だ。将来自分の国がより重要な役割を果たすだろうと思っている中国の若者は84%に達し(アメリカ人は76%)、自国の富に信頼を寄せるのは57%(アメリカは31%)。「個人的に今後15年で成し遂げたいこと」は、お金を稼ぐことが64%(アメリカは53%)、家を持つことが63%(アメリカは55%)、起業することが40%(アメリカは17%)・・・起業して金持ちになることが夢! そうなんですね、鶏口となるも牛後となるなかれ。中国でも、タイでも、地元のスタッフから言われました、どうして日本人は一生、人に使われる立場で満足できるんだ? 大して給料も上がらないのに、どうしてそんなに一所懸命に働くんだ? 自分の会社を持てば、自分の全てを活かすことができるし、その報酬もより大きくなるのに・・・みんな起業することが夢なんですね。その夢に賭けるか、失敗を恐れて小さな安心で満足するか。ある程度のノウハウを習得すると、別の会社のノウハウを求めて転職する。そして自分なりのビジネス・ノウハウが身に就いたと思うと、起業。そして、サクセス・ストリー。すでに中国には多くの起業して成功した富裕層が登場していますね。

「就職」に関しては、みな楽観している。全体の70%が将来いい職につけると思っている。例外が一カ国。日本だ。いい職につけるだろうと思っている日本の若者は、わずか32%。25カ国平均の半分以下・・・就職氷河期とか言われているわけで、当然と言えば当然の結果なのですが、これじゃ、明るい未来なんか持てないですよね。一に雇用、二に雇用、三に雇用、というスローガンは、どこへ行ってしまったのでしょう。なお、「いい職」かどうかを判断する際には、給料の良し悪しが最も大きなファクターになるそうです。

どんな「集団への帰属」が大切かという質問には、全体では人類(81%)、国籍(70%)、民族(53%)、宗教(43%)という順になっている。そのうち、国・国籍へのこだわりは、モロッコ(87%)、イスラエル(85%)で高く、ヨーロッパ平均(66%)、フランス(63%)、日本(54%)で低くなっている・・・今の日本では、スポーツの国際大会とかの時にしか、祖国愛も高揚しないのかもしれないですね。そう言えば、竹島、尖閣諸島に関しても、そう事を荒だてないで、そんなにほしいならあげれば良いのに、という意見の人も結構いたりしますものね。

「家族」の価値については、高く評価する若者が多い。インドでは98%が家族と過ごす時間が大切だと述べている。最も低い数字は、日本で79%。現実の家族に関しても、高い評価が多い。インド人は90%、アメリカは87%、ヨーロッパ平均で85%が実際の家族に満足している。満足度の最も低いのも日本で、69%だ・・・家族と過ごす時間を大切にする気持ちが少なく、実際の家族関係にも満足していない。気持ちが先か、実体が先か。ニワトリと卵のようですが、少なくとも「家族」がうまく機能していないことは事実なのでしょうね。

現実の社会で、「精神的価値」を大切にすべきかどうか。ヨーロッパの平均は44%にすぎないが、中国では89%、ロシアで88%、モロッコは84%、トルコで81%が精神的価値は大切だと答えている。ただし、ヨーロッパの中での乖離が大きい。フランスとドイツが精神的価値を認める層が最も少なく、わずか31%・・・フランス人は精神文化が好きだと思っていましたが、実際はこんな程度なんですね。一方、人生、お金を稼ぐことだという中国人が、精神的価値を最も大切にしている。一見矛盾しているようですが、精神性を大切にするという伝統的価値観(これに惹かれる日本人が多いですね)と、拝金主義とも言うべき現代の価値観が、きっと一人の中国人の中でうまく同居できているのでしょうね。そして、その中国人に現れる、伝統的価値と現代的価値、どちらを見るかで好き嫌いが決まることも多いのではないかと思います。

政治や政治家への信は大きく揺らいでいるが、「民主主義」への信頼はまだ揺らいでいない。全体で81%の若者が、投票は義務であると認識している。また、「市民としての義務」を果たすべきと考えているインド人は94%に上り、トルコで92%、メキシコで90%と高くなっている。

一方で「軍隊」を容認する層も多い。一カ国を除いて、各国40%以上の若者が軍隊への信を表明している。その例外は日本で、36%と低い数字。他に低いのは、ロシアで41%、ドイツが43%だ。逆に高い数字は、インド(93%)、中国(84%)、イスラエル(80%)などで、ヨーロッパではフィンランドとイギリスが67%で最も高くなっている・・・現実を直視すれば、武力は必要なのでしょうか。日本が平和ボケをしているのでしょうか。そう言えば、徒手空拳でキャンキャン騒ぐよりも、武器を片手に、低い声で静かに一言言う方が、外交上効果があると、確かあるアメリカ人が言っていたと思います。武器を持たぬ平和外交は可能なのでしょうか。日本独自の平和外交を編み出してほしいものだと思うのですが、はたして・・・

「移民」受け入れについては、移民といえども自らの伝統・文化を大切にすべきだという意見が最も強いのは中国で85%。次いで、メキシコとブラジルの75%、ポーランド71%、インド68%などとなっている。一方、ヨーロッパの多くの国では、受け入れ先に同化すべきだという声が強い・・・どこへ移民してもチャイナ・タウンを作り、中国の伝統を大切にしている中国人。上記の数字はその反映なのでしょうが、欧米では逆の意見が強い。移民する側と受け入れる側、その間にある同化問題。簡単には解決しそうもありませんね。将来、社会の活性化のために移民受け入れが避けられないと言われる日本は、どう考えるのでしょうか・・・

「イスラム」に対しては、否定的な意見がヨーロッパで増えている。スペインの42%を筆頭に、ドイツとフランスの37%、スウェーデンでは35%、イギリスの32%がイスラム教徒に対してネガティブな意見を持っている。しかし、9・11にもかかわらず、アメリカの若者では24%、コーカサス地方での問題を抱えているにもかかわらず、ロシアでは19%と、反イスラム的意見は多くない。

「年金」問題について。今の高齢者のために自分たち若者が年金を支払うことに反対かどうか。最も反対意見が多いのはギリシャで52%、次いで日本の50%。先進国では高い数字になっているが、一方、新興国では支払うべきだという容認派が多い。インドでは83%、中国77%、モロッコ76%、ロシア73%が支払うべきと答えている・・・先進国と言われるようになるにつれ、個人主義となり、長幼の序などどこかへ行ってしまうようです。

「経済政策」については、アングロ=サクソンの国々がリベラルな考えになっている。少ない税金を取るか、手厚い社会保障を取るか。アメリカの72%、カナダの62%、オーストラリアの52%が、社会保障よりも少ない税を選ぶと答えている。フランスではわずか38%にすぎない・・・エマニュエル・トッドの言うように、アングロ=サクソンは徹底した自由の追求者で、個人主義。一方、イギリスを除く西欧では自由と共に連帯に重きを置いています。その差が出るのでしょうね。日本はいずれへ向かっているのでしょうか。

「男女平等」に関しては、西洋の国々では、男女平等は理想的な社会の姿として当然あるべきものという意識が強い。アメリカとフランスでは94%、カナダとスペインで93%、ドイツ、フィンランド、オーストラリア、イギリスで91%が男女平等の大切さを認識している。一方、男女平等は理想の社会に必要なものだという意識の低い国は、モロッコ(大切だ、が50%)、日本(70%)、イスラエル(76%)、トルコ(80%)となっている・・・日本女性の皆さん、ごめんなさい、と言うしかないですね。

「美」について。美人であること、イケメンであることは大切だという割合は、16~29歳では83%に達しており、30~50歳の77%より高い。流行を追う層も多く、16~29歳では49%、30~50歳では42%となっている。特にインドの若者たちは、自分の美しさへの関心が高く、94%が美人・イケメンであることが大切だと述べ、80%が流行を追うことが大切だと言っている。

そのインドの若者、27%が有名になりたいと思っている。しかし25カ国平均では6%に過ぎない・・・インド映画を見ていると、有名になりたインド人、というイメージも容易に理解できますね。

戦争で死ぬことへの反対が、ヨーロッパでは強い。特に、スペイン(反対が75%)、イタリア(72%)、ドイツ(65%)でその傾向が強い。逆に、戦争で死ぬことを受け入れる人が多いのは、インド(許容するが76%)、トルコ(71%)、中国(71%)だ。

トルコのEU加盟について、トルコの若者の62%が悲観的に思っている。

・・・その国、その国で、歴史・伝統・価値観が異なれば、直面している問題も異なります。従って、若者たちが大切にしたいこと、夢として持っていることも異なりますね。しかし、どれが良いとか悪いとかではなく、異なっているということ。そのことを受け入れるべきなのでしょうね。順位付けをするのではなく、どこがどう違うのかを理解したうえで付き合うことが大切なのではないかと思います。世界は広い。いろいろな国があります。いろいろな人々がいます。だから、面白い。そして、だから、容易じゃない。

世界の若者たちは、何を夢見ているのか――①

2011-01-27 20:24:41 | 社会
夢見る力・・・昔むかし、どこかの小さな小屋で『夢見る力』という芝居を見た記憶があるのですが、どこだったのか、思い出せません。内容は言うまでもなくまったく思い出せないのですが、「夢見る力」という言葉はなぜか記憶の片隅で生き続けています。また最近では、『泥の河』でお馴染みの小栗康平監督の評論文『夢見る力』が高校生の現代文の教科書に載っているそうです。小栗監督とは、『伽倻子のために』が公開された頃、どこかの飲み屋さんで少しだけ話したことがあるのですが、何を話したのか、すっかり忘れてしまっています。砂時計の砂のように、時の流れの中を落ち続ける記憶・・・

そんな五十男の繰り言ではなく、将来ある若者たちの「夢見る力」が今日のテーマです。新たな千年期のはじまりに生きる若者たちは、世界の国々で、どんな夢を描き、どんな気持ちで日々を過ごしているのでしょうか。国際化の時代、日本の若者だけでなく、世界の若者たちがどんな価値観を持ち、どんな夢を未来に託しているのか、気になるところですね。

21日の『ル・モンド』(電子版)がお誂え向きのデータを紹介してくれていますので、その6つのデータを日本の若者中心にまとめてみます。

調査は有名な政治学者・レニエ教授(Dominique Reynié:パリ政治学院教授)の監督の下、政治改革財団(la Fondation pour l’innovation politique:2004年にUMP・国民運動が設立)の研究者たちが質問を設計し、実査は調査会社のTNS Opinionが行いました。対象者は、世界25カ国の16歳から29歳までの若者で、総数32,700人。調査方法は、ネット上で質問に答えるものだけに、ある程度富裕な層に属しており、世界の動きに敏感な人々の回答であることは考慮に入れておく必要があります。対象国は、アジアからは日本・中国・インドの3カ国、アフリカからは南アフリカ・モロッコの2カ国、北米はアメリカ・カナダ、中南米はメキシコ・ブラジル、中近東はイスラエル・トルコ、オセアニアはオーストラリア、残りの13カ国がヨーロッパという構成です。

まずは、「自分の将来に希望が持てるか、また自分の国の将来は明るいか」。自分の将来が明るいとする割合の多い順に列挙すると・・・

(左:自分の将来は明るい)(右:国の将来は明るい)
インド    : 90%   83%
ブラジル   : 87%   72%
アメリカ   : 81%   37%
メキシコ   : 81%   23%
ロシア    : 81%   59%
イスラエル  : 81%   49%
南アフリカ  : 81%   43%
カナダ    : 79%   65%
オーストラリア: 78%   63%
モロッコ   : 77%   67%
フィンランド : 75%   61%
ポーランド  : 75%   37%
スウェーデン : 75%   63%
イギリス   : 74%   34%
トルコ    : 74%   43%
中国     : 73%   82%
ルーマニア  : 70%   25%
エストニア  : 69%   39%
ドイツ    : 56%   25%
フランス   : 53%   17%
スペイン   : 50%   20%
イタリア   : 50%   22%
ハンガリー  : 49%   25%
ギリシャ   : 43%   17%
日本     : 43%   24%

さすが“BRICs”ですね、自信にあふれています。インド、ブラジルでは、自分の将来も国の未来もバラ色! ロシアは国の未来への自信はちょっと低下しますが、自分の将来は明るい。一方、中国の若者は、国はどんどん豊かになると思っていますが、自分の人生となると、ちょっと弱気になります。格差社会、上手くやった人間だけが良い思いをする社会だけに、国の将来ほどには自信が持てないようです。拡大するままに放置されている格差がチャイナ・リスクのひとつだと言われていますが、このデータからも窺い知ることができますね。

アメリカン・ドリームも個人レベルでは、まだまだ健在のようです。頑張れば、のし上がることができる。IT関連企業の若き創業者たちを見れば、誰だってそう思いますよね。しかし、国の将来となると、そうはいかない。世界の保安官としての自信は大きく揺らいでいるようです。

一方、西欧、そしてわれらが日本となると、これはもう悲観主義に毒されているのではないかと思えるほどです。個人レベルでは、日本は最下位。就職氷河期、派遣労働、膨大な財政赤字、破綻する社会保障・・・豊かな未来を思い描けと言う方が間違いなのかもしれません。国への信頼では、フランスとギリシャが最も悲観的。ギリシャはIMFの支援を仰いだくらいですから、明るい未来を国として持てるとは思いにくいのでしょうね。ではフランスは・・・フランス人特有のペシミズムの現れでしょうか。

次の質問は、「国際化は脅威か、よい機会か」。良い機会だと思う人の多い順に列挙します(トップ3・ボトム3と主要国のみ)。

中国     : 91%
インド    : 87%
ブラジル   : 81%
南アフリカ  : 77%
日本     : 75%
メキシコ   : 73%
オーストラリア: 73%
アメリカ   : 71%
ロシア    : 71%
イタリア   : 68%
イスラエル  : 66%
イギリス   : 65%
フランス   : 52%
トルコ    : 49%
モロッコ   : 49%
ギリシャ   : 49%

ここでも“BRICs”の自信はすごいですね。国際化はチャンスだ、あるいは国際化のお蔭で自分の国は大きく成長できた。特に中国では、チャンスだと思う人が90%を超えています。確かに外国資本の流入によって、人々の暮らしが豊かになりましたものね。そうした中で、ロシアだけが国際化は脅威だと思う人が少し増えて28%。自国内での他民族との紛争などが影響しているのでしょうか。

日本の若者は、将来には明るい絵を描いていないにもかかわらず、国際化はチャンスだという人が6番目に多い。4人に3人の割合。内向きだとか、留学が極端に減少しているとか言われているにもかかわらず、この数字。国際化=良いことだ、あるいはカッコいい、という図式が出来上がっているのかもしれません。それとも、単に回答者の特性が強く出ているだけなのでしょうか。

国際化でも、フランスとギリシャは下位。フランスでは、チャンスだ(52%)が脅威だ(47%)を少し上回っていますが、ギリシャに至っては脅威だという人が50%と過半数に達しています。国際化のお蔭で国がこんな財政状態になってしまった、という認識なのでしょうか。西欧、北アフリカ、中近東では、いわゆる「国際化」への懐疑が強いようです。国際化=アメリカ化という認識が広まっているのではないかという気がします。

3番目のデータは、「宗教」について。宗教が自分のアイデンティティにとって重要だと思うか、宗教に自分の時間を割いているか、という質問です。

宗教に最も熱心なのはモロッコ。次いで、南アフリカ、トルコ、インド。これだけイスラム教の影響が強いと、トルコのEU加盟も容易ではないですね。特に、EU側が極右の伸長に見られるように、反アラブ人という意識から反イスラムという意識に変わってきているだけに、難しそうです。南アフリカはキリスト教徒が多いようですが、これほど宗教の影響が強いとは知りませんでした。

キリスト教保守派、あるいはキリスト教原理主義とも言える人々が政治にも影響を及ぼしているアメリカは、ブラジル、イスラエル、ルーマニアと2番手グループを形成しています。自分のアイデンティティにとって重要な位置を占めていると言う人が55%前後、宗教活動に時間を割いている人もほぼ半数になっています。

逆に宗教色の薄い若者と言えば、言うまでもなく日本。ダントツの少なさ。自分の人生に宗教が大切だというのは20%ほど、宗教に時間を割いているのは10%もいません。この傾向は日本人全体に見られるわけで、今の若者に限った話ではありませんね。何しろ、八百万の神々のいる国、一神教の世界とは一線を画しています。

日本に次いで宗教の影響の少ない国は、フランス。他の西欧諸国も同程度で、自分の人生に宗教が重要だという人は20~25%、宗教活動に時間を割いているのは、10~20%。カトリック教徒ではあるが、“pratiquant”(教会へ通っている熱心な信者)ではない、という人が増えています。

ただし、カトリックの総本山・バチカンのあるイタリアとギリシャ正教の国・ギリシャは、ヨーロッパの中では宗教が人生や生活にまだ息づいているようで、ほぼ半数の人たちが宗教は自分のアイデンティティに重要な位置を占めていると答えています。ただし、宗教活動に時間を割いているのは30%程度の人たちに過ぎません。時系列的傾向は分かりませんが、イタリアやギリシャもやがてフランス、スペイン、ドイツなどの後を追うのかもしれませんね。

次の質問は、「政治への信頼」。政府への信頼と議会への信頼を分けて質問しています。政府への信頼の多い順に、トップ3・ボトム3・主要国を列挙してみます。

(左:政府への信頼度)(右:議会への信頼度)
中国   : 71%   68%
インド  : 71%   66%
イスラエル: 60%   54%
モロッコ : 60%   49%
トルコ  : 45%   41%
ブラジル : 35%   27%
ロシア  : 33%   29%
ドイツ  : 30%   31%
アメリカ : 30%   24%
イギリス : 29%   28%
日本   : 26%   20%
南アフリカ: 22%   22%
ギリシャ : 21%   18%
スペイン : 20%   17%
イタリア : 20%   17%
フランス : 17%   17%
メキシコ : 14%   16%

ここでも中国、インドのポジティブな回答が目立ちます。政府も議会もよくやっている(中国の場合は、全人代が議会にあたるのでしょう)。そのお蔭で今の成長がある、ということなのでしょうね。経済が成長し、暮らしが良くなれば、すべて良し。日本も高度成長時代は同じようだったのではないでしょうか。しかし、成長の陰に隠れた問題を見過ごすと、問題の先送りになってしまうことは肝に銘じておかないといけないのでしょうね。日本がいい例です。

その日本ですが、政府への信頼感が26%、議会へは20%。25カ国中、下から9番目の低さです。内閣がコロコロと変わり、政治不信とも言われていますが、その日本より政治不信の強い国がある。下には下がある、ということですね。

財政破綻したギリシャ、しそうなスペイン、イタリア、麻薬取引に絡む汚職や殺人が後を絶たないメキシコ・・・これらの国々での政治不信は目を覆うばかりですが、その中にフランスも。悲観主義のなせる技なのか、政治への関心の強さゆえに辛辣な批判になるのか、それともサルコジ政権への不満の表れなのか。

5番目の質問は、「環境汚染」です。環境汚染は社会にとって大きな脅威となっているかどうか・・・

中国    : 51%
カナダ   : 49%
インド   : 46%
スウェーデン: 46%
ブラジル  : 45%
イタリア  : 45%
フランス  : 40%
メキシコ  : 38%
ロシア   : 36%
アメリカ  : 29%
南アフリカ : 28%
日本    : 22%
イギリス  : 22%
ポーランド : 18%
トルコ   : 16%

ここでも成長著しい中国、インドが上位に来ています。工場からの廃液の垂れ流し、大気汚染、農薬被害・・・急成長に追い付かない環境保護。法制度もですが、国民の意識も追い付いていないのではと思っていたのですが、この調査の対象者は半数とはいえ、それなりに汚染被害の深刻さを認識しているようです。この2カ国の間に、カナダ。雄大な自然が観光のセールスポイントでもある国なのですが・・・実際にひどい環境汚染があるというよりは、環境への関心が強いということなのでしょうね。

環境への関心の高い西欧はイギリスを除いて、30数%から40%ほどの人が脅威になっていると答えています。日本は22%。環境問題への取り組みがすでに十分行われているのか、喉元過ぎればで、関心が薄らいでいるのか。両方なのではないかと思います。

炭鉱の多いポーランドや大気汚染の指摘されたトルコで、環境汚染への不安が少ない。改善されたのか、意識がまだ十分ではないのか・・・

最後は「性に関するモラル」です。婚外の性的関係は認められるべきかどうか・・・性的関係は婚姻関係だけに限定されるべきだという人の多い順に並べると・・・

モロッコ : 85%
インド  : 74%
南アフリカ: 60%
トルコ  : 55%
日本   : 52%
中国   : 45%
アメリカ : 40%
ブラジル : 34%
ロシア  : 22%
EU平均  : 20%

モロッコの1位は宗教色を考えれば頷けますが、2位がインド。『カーマ・スートラ』をはじめ古代3大性典のある国ですが、今日では保守的な国になっているようです。日本の52%は実体に合っているのか、建前優先なのか・・・中国の45%は、そうだと思います。駐在時代ですからもう10年以上も前ですが、朝からバス停で抱き合い、キスをしているカップルもよく目にしました。すでに日本のラブホテル的なものもありましたし、かなり開放的なのかもしれません。

アメリカの40%はどうでしょう。イメージとはちょっと違うような気がしますが、宗教色の強い地域もあるでしょうし、意外とこんなところなのかもしれませんね。EU内では、フランスの10%、エストニアの12%が特に低いそうです。それだけ開放的というか、やはり、フランス人は、というべきか・・・

イメージ通りで、やっぱりという項目もありますし、逆に、へ~、そうだったのという新鮮な発見もあります。ネット上での調査だけに、調査対象者のプロフィールに若干の偏りがあるとはいうものの、それでも、それぞれの国のイメージの強化や修正ができるのは、ありがたいものです。その調査結果はともかく、次の時代を担う若者たちには、ぜひ大きな夢見る力を持ち続けてほしいと思います。そして、先の世代は、若者たちが夢見る力を持ち続けられるよう、社会環境の整備に努めるべきなのではないでしょうか。そう思います。

欠席の多い生徒の家庭手当支給停止、ついに始まる。

2011-01-26 20:14:16 | 社会
長期欠席、あるいは消えた児童・生徒。日本ではこうした問題が話題になっていますが、フランスでは無断欠席を繰り返す生徒が問題になっています。無断欠席を繰り返すうちに、悪の道へ。あるいは何ら資格を持たないまま社会に出るため、就職のあてがない人生になってしまう。

そうした子どもたちを減らすには、もう、親の責任に訴えるしかない。ということで、無断欠席を繰り返す子どもの家庭手当を停止してしまおうという法案が、昨年、与党・UMP(国民運動)のシオッティ議員(Eric Ciotti)により提案されました。審議の結果、6月29日に下院で、9月15日に上院で可決されました。その法案が23日(日)、官報(le Journal officiel)に掲載され、政令として発効しました。

発効した23日、『ル・モンド』(電子版)がその法律の内容および発効に対する反響を紹介しています。

児童・生徒が、ひと月に半日以上の無断欠席を4回以上繰り返した場合、学校長は視学官へ連絡。視学官はその児童・生徒の家族に連絡を取り、支援が必要な場合は手立てを講じるとともに、自治体に父兄の責任に関する契約書を用意してもらう。もし翌月も同じ児童・生徒が4回以上理由なく欠席をした場合には、視学官は家庭手当の支給を担当する部署に連絡を取り、支給を停止してもらうことができる。しかし、もしその児童・生徒が少なくともひと月、無断欠席をせずきちんと登校すれば、家庭手当の支給は再開される。

これが今回成立した政令の内容だが、無断欠席の多い児童・生徒のいる家庭への連絡・指導は以前から行われていた。しかし、家庭とのコンタクトを認めるのは各県の県議会議長の権限だった。政治家がこうした教育現場の内容まで把握しているわけはなく、教育現場により近い視学官の判断でできるようになったことが今回の政令におけるもう一つの大きな変更点だ。

この法律は、無断欠席をなくしたいと言うサルコジ大統領の強い思いもあって成立したものだが、当然、反対する人々もいる。左派陣営、主要な教員組合、最大のPTA連合会である“FCPE”(Fédération des conseils de parents d’élèves)などは強硬に反対してきた。

一方、推進派で、自らの所管でもあるシャテル文相(Luc Chatel:連日のご登場です)とバシュロ連帯相(Roselyne Bachelot)は共同でコミュニケを発表し、次のように述べている。今回の政令の発効は、教育における父兄の責任の自覚、親子関係の強化をめざす政府の継続した取り組みを物語るものである。30万人もいると言われる無断欠席児童・生徒の問題を学校だけではもはや解決できず、家庭手当の支給停止という究極の手段に訴えざるを得ない状況になっているのだ。

シャテル文相はまた、ラジオ番組で次のようにも語っている。今回の政令は以前からある方策を改善したものであり、無断欠席に対する政府の政策は包括的でバランスの取れたものだ。いろいろと政府の方針を批判する向きもあるであろうが、私は無断欠席の場合の家庭手当支給の停止を歓迎する。

サルコジ大統領は、昨年4月、治安に関するスピーチの際、児童・生徒が正当な理由なく欠席した場合、家庭手当の支給が自動的に停止されることになると語っていた。

・・・ということなのですが、無断欠席を繰り返す子どもたちという問題を、罰則付きで家庭に丸投げしてしまった。本当に解決する気があるのかどうか。時節柄、本当の狙いは、社会保障費の削減なのではないかと思えてしまいます。

しかし、確かに無断欠席を繰り返す児童・生徒の場合、家族との絆が弱まっている、最悪の場合は断たれていることが一因となっていることが多いのだと思います。父兄にしっかり自覚してもらい、家庭から子どもの無断欠席を改善していく。なるほど、それはそれで大切なことだと思います。

とはいうものの、学校だけでは解決できないように、家庭だけでも解決できないことも多いのではないでしょうか。子どもは家庭と学校、社会の作り上げる製品だと思います。製品が不良品だった場合、責められるべきは製品ではなく、製造元。問題を抱えた子どもの場合は、家庭、学校、社会が共同で解決にあたることが大切なのではないでしょうか。

その中でも、特に今日の日本で求められているのは、社会のより積極的な参加なのではないでしょうか。子どもたちが何をしようが、見て見ぬ振りの大人たち。しかし、先日テレビ番組が紹介していた大阪のように、夜の繁華街で子どもたちへの声かけ運動を行っている地域もあります。こうした社会からのアプローチが、特に日本では求められているのではないでしょうか。子どもたちは、社会の宝でもあります。ぜひ、無断欠席から始まる、社会からのドロップアウトを防ぎたいものです、製造元の責任として。

フランスでは、「英語は3歳から」!?

2011-01-25 20:38:05 | 社会
私が学生の頃、フランス語に英語が侵入してきた、問題だ、という声をよく聞きました。非難の的になった英単語、例えば、ウィーク・エンド(weekend)。今では誰もが、当たり前のように、“Bon week-end !”(よい週末を!)と言っていますが、使われ始めた頃は、不愉快だと非難するフランス人も多くいたようです。

しかし、ウィーク・エンド以降、かなりの英語がフランス人の日常に入り込んできています。それでも、“logiciel”(ソフトウェア)とか“materiel”(ハードウェア)、“fournisseur”(プロバイダー)などアメリカ発の技術が多いIT関連用語でも、フランス語を登用して英語化に抵抗してはいます。

とは言うものの、メトロに乗れば、“Change your life with English !”など英会話学校の広告も多く掲出されており、文化中華思想の強いフランス人も英語化の波に浸食されつつある、あるいはその波に乗ろうという人も増えているようです。

そうした状況下、シャテル文相(Luc Chatel)の新たな提案が話題になっています。その提案とは・・・23日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

23日、シャテル文相は、ラジオ局“Europe 1”の番組で次のように語った。外国語教育に関する戦略委員会を近々、設置しようと思う。3歳からの外国語教育を検討するためだが、すでに多くの場所で実験を行っており、良い結果を得ている。

この発言に、外国語教師やネイティブの会話補助教員から熱烈な賛同が寄せられるだろうと思われたが、大きな反応にはなっていない。その理由は、文相が、新しい技術の導入を考えており、CNED(le Centre National d’enseignement à distance:国立遠隔教育センター)にインターネットを活用した英語の遠隔教育に必要な機材の開発を依頼するつもりだ、と語ったからだ(ポストの増加には、簡単には結び付かないようです)。また文相は、18歳の高校生全員が、外国滞在を経験できるようにもしたい、と述べている。

こうした発言の背景には、現代の生きた外国語に関し、フランスは必ずしもトップレベルではないという事実認識がある(ラテン語や古代ギリシャ語に関しては抜きん出ているという自負心が言外に感じられます)。2008年末、TOEFL(Test of English as a Foreign Language:フランス語でも一般的にはTOEFLと表記されますが、ル・モンドの記事はToefflと表記)を受験した2万人のフランス人の平均点は120点満点で88点だった。このスコアは、ブルガリア、ベラルーシ、リトアニアと同じレベルであり、一方ドイツやオランダの平均は108点であった。

英語教育に改善の余地は大きいとはいえ、間接的な教育方法でいいのかどうか考える余地は残る。来年度には、教育費の削減により、1,000人のネイティブ・スピーカーの補助教員がいなくなる。英語補助教員のほぼ全員に匹敵するほどの削減幅だ。例えば最も大きな学区であるヴェルサイユ学区の初等教育では120名の教員を削減することになっているが、そのうちの75名は外国語の補助教員だ。外国語の会話クラスが必ずしも無くなるわけではないので、一見すごい変化には思えないが、実は大変な削減だ。

今回の文相の発言に、もちろん反対の声も上がっている。教員組合(le Syndicat des enseignants:SE-Unsa)のシュヴァリエ書記長(Christian Chevalier)は、3歳児をコンピューターの前に座らせるというのだろうか。新教材の開発に反対するつもりはないが、教育は人間によって行われるべきではないか。また英語を話せるから、初等教育で英語を教えられるというものでもない(英語を流暢に話せなくても、文法や読解力があれば立派な英語教師だ、という認識のようです)。文相は3歳児への英語教育がよい結果を示していると言うが、そのデータを見たいものだ。何しろ、その実験は4か月前に始まったばかりなのだから。文相の今回の発言は、閉鎖されるクラスや、削減されるオプション、教員削減などにより1クラス当たりの生徒数が増えることなどに対する父兄の批判をよそへ向けさせるためのものなのではないか。

文相の発言は、初等教育最大の教員組合(SNU-ipp)のシール書記長(Sébastien Sihr)からも非難されている。文相は新たな提案をする前に、外国語教育が小学校の2年生(CE1)から行われることになっているが、そのことを確認すべきだった。2007年の教育改革により、2年生から5年生(CM2)まで、年間54時間の外国語授業を行うことになっている。3歳児からの英語教育導入により、現在のプログラムを変えるつもりなのだろうか。現状を理解していないのではないか。幼稚園での英語教育についても、不信感を持たざるを得ない。SNU-ippは初級クラスにおいては集団生活に慣れることとフランス語教育を大切にしており、小学校教育の本質を変えるつもりはない。

このように、文相の発言をめぐって、さまざまな思惑が浮かび上がってきている。

・・・ということなのですが、外国語が苦手、ということでは、フランスと日本、似ていますね。片や文化中華思想にして文化大国ゆえ、自らが外国語を学ぶ必要がなかった。一方は、四方を海に囲まれ、異なる言語を話す人々との交流の機会がなかった。それゆえに、モノ、カネと共にヒトも国境を越えて頻繁に行き交う国際化の時代にあって、外国語で苦労をしている。両国とも、英語を中心に文法や読み書きはできるものの、会話となると、自信がない。しかも、会話を教育の現場にどう取り入れていくべきなのか、ネイティブ・スピーカーを採用はしたものの、さまざまな意見や予算的背景などもあり、なかなかうまく機能していない。そんなところまで、似ているようです。とは言うものの、傾向は似ていますが、TOEFLのスコアとなると、日本はフランスにも全くかないません。2007年の日本人受験者の平均スコアは、65点。アジア30カ国中29位、下から2番目です。

自国のアイデンティティのひとつでもある母国語を大切にしつつ、実質的には国際語となっている英語にどう取り組むべきなのか。英語が必要なのは分かっており、勉強している人も多いが、なかなか実際に使える人ばかりではない・・・若干レベルに差はありますが、思わぬところで、両国共通の課題が見つかりました。

フランスの死に急ぐ子どもたち・・・その背景。

2011-01-24 20:21:30 | 社会
先日、リヨンで9歳の女の子が自殺しました。ショッキングな話題で、広く知れ渡りましたが、さて、フランスで子どもたちの自殺は増えているのかどうか、またその背景は・・・小児精神科医で、子どもを持つ親や家族向けの著名な月刊誌“Allée de l’enfance”にも寄稿しているステファーヌ・クレルジェ(Stéphane Clerget)さんが、『ル・フィガロ』のインタビューに答えています(『ル・フィガロ』(電子版)・19日)。

(子どもの自殺は頻発しているのだろうか?)
子どもの自殺はそう多くはない。稀だと言っていい。正確な数字がないのだが、それは自殺か事故か判断するのが難しいからだ。リヨンの件では、少女が自殺する旨を記した手紙を残していたので、自殺と認定できた。遺書がなければ、事故と認定していたかもしれない。子どもがテラスから身を乗り出し過ぎれば、起こりうる事故だ。

(子どもの自殺は以前より増えているのだろうか?)
どちらとも言える。子どもたちが以前より困難な状況に置かれ、また対策がしっかりと講じられていないため、子どもの自殺が増えているとも言えるが、一方、子どもの自殺について以前より頻繁に報道されたり語られるため、増えているような印象を持ってしまっているだけだとも言える。昔なら親によって事故とされていたことでも、今日では自殺と申し立てられる場合が増えている。従って自殺数が増えているとは言い切れないが、自殺について語られることが増えているのは事実だ。

(子どもからの自殺のサインは親に届いているのだろうか?)
子どもの自殺は、若者の場合と異なり、それほど衝動的なものではない。自己否定してしまう、うつ状態を病んでいる子どもの場合が多い。困窮した家庭で育つ子どもや、家族の誰かが自殺した家庭で育つ子どもの場合が多く、また子どもたちは閉じこもりがちか、あるいは逆に落ち着きを極端になくしている場合が多い。

(病気の影響は考えられるのだろうか?)
リヨンの件では、少女は糖尿病を病んでいた。慢性病は明らかに自尊心を弱め、うつを引き起こす要因になる。また病気の治療が副作用として感情に影響を及ぼす場合も考慮しなくてはいけない。

(子どもたちは死というものをどう認識しているのだろうか?)
5歳以下の子にとっては、死は人が一時的にいなくなり、再び戻ってくることと同じ程度のことでしかない。5歳から8歳の子にとっては、感覚的にしろ情緒的にしろ揺り動かされるようなものではない。8歳くらいなって初めて、死はもはや取り返しのつかないことだと認識されるようになる。もちろん子どもによっては、もう少し早くこう認識されることもある。

(子どもは実際、事の重大性を理解しているのだろうか?)
8歳くらいになれば理解できるだろうと思うが、同じ8歳でも今の子は以前より成長が遅いようだ。死への理解も遅れているような気がする。以前は、子どもたちも家庭で営まれる祖父母などの葬儀に参列していたし、地方では動物の死に立ち会う機会も多かった。つまり、肉体的、具体的な死というものに立ち会う機会があったのだが、今日では死が抽象的なものになってしまっている。死に出会うのは、テレビの中であったり、テレビゲームの上であったりする。従って、死が取り返しのつかないものだと頭では分かっていても、その観念はとても曖昧なものでしかない。

(では、窓から身を投げる行為をどう解釈しているのか?)
窓から身を投じる(la défenestration)という言葉はまず、何ものかから逃げ出す、飛び去る、自由になるというイメージをもたらす。しかし、地上に押しつぶされるというイメージは必ずしも持たれていない。苦しめているものから逃れたいという意思であり、死としてきちんと認識されているわけではない。

・・・ということなのですが、核家族化、自然との乖離、現実感の希薄化、成長の遅れ、そして何よりも子どもを取り巻く環境の悪化、こうした事柄が、自殺の低年齢化を、フランスに限らず日本でも、そしてたぶん世界の多くの国々で引き起こしているのではないでしょうか。

こうした状況に、異常気象なども相まって、人類滅亡への一歩なのではないかと思ったりするのですが、そこで思い出すのが、レミング(lemming)。鼠のような小動物で、北極やツンドラ地域に住んでいますが、個体が増え過ぎると集団自殺すると言われていました。しかし実際には、集団自殺はしないそうです。集団移住する際に、誤って崖から落ちてしまうレミングが結構いるため、集団自殺だと誤解されていたそうです。自殺の増加や低年齢化が、人類滅亡へ向けた人類自身による一歩だという思い込みも、同じように誤解であってほしいと思います。自らを危機から救い出す知恵が人類にはあるはずですから。

電子書籍の普及は、印刷本にとっても追い風だ!

2011-01-23 20:00:25 | 文化
電子書籍専用端末の登場などにより、電子書籍の普及が進んでいますが、では、その普及に反比例して、印刷された書籍は衰退の一途をたどるのでしょうか。いや、そんなことはない、少なくともそれなりの期間、電子書籍が読まれれば読まれるほど、印刷された書籍も多く読まれるようになる・・・化石の世界に片足を踏み込んだような印刷書籍愛好家に、こう嬉しい言説を述べてくれているのが、ハーヴァード大学図書館長のロバート・ダーントン(Robert Darnton)氏。

16日の『ル・モンド』(電子版)の記事に若干の情報を付け加えてみると・・・

ダーントン氏は、本の歴史という分野におけるパイオニア。1939年生まれですから、71歳。ハーヴァードに学んだ後、オックスフォードに留学し、歴史学で博士号を取得。専門は革命と啓蒙主義を中心としたフランス18世紀。帰国後、プリンストンで長らく教鞭をとり、2007年から母校の図書館(1638年に400冊の書籍で産声を上げ、今日では1,700万冊の書籍と4億点の手稿、その他資料を保管する世界随一の図書館)の館長になっています。

18世紀フランスの実態を描いた著作も多く、日本でも『猫の大虐殺』、『禁じられたベストセラー~革命前のフランス人は何を読んでいたのか』、『革命前夜の地下出版』、『パリのメスマー~大革命と動物磁気睡眠術』などの作品が出版されています。

こうした経歴だけを見てしまうと、本の虫で、電子書籍を目の敵にしている人物のように思えてしまいますが、いたって開明な知識人で、1999年には早くも電子書籍の普及、特にアカデミズムの世界での普及拡大をめざす“Gutenberg-e program”(グーテンベルグ e プログラム)をメロン財団(Andrew W. Mellon Foundation)の支援の下で始めています。

そしてインターネットの普及は、さらに大きな希望をダーントン氏にもたらしました。専門分野である18世紀の知識人たちが夢見ていた「文芸共和国」(République des Lettres)の実現。「文芸共和国」とは、古くからヨーロッパの知識人たちが夢想してきた、彼らの共通言語であるラテン語によって書かれた書簡を中心に、国境や宗教の違いを超えて知的に交流し合う場のことです。そうした「場」をネット上に構築できるのではないか・・・フランス革命ならぬ、「デジタル革命」です。誰でもが無料で活用できる図書館をネット上に構築できれば、知識をより広く普及することにもつながる。ダーントン氏は夢中になりました。

しかし、ダーントン氏は書籍のデジタル革命に大きな影を投げかける問題点も、きちんと指摘しています。それは、株主に大きな利益を還元するよう宿命づけられた私企業であるグーグル(Google)が、世界中の書籍のデジタル化を主導し、電子書籍へのアクセスを独占することへの危惧です。

そこで、ダーントン氏は、私企業ではなく国によるネット上の施設、「アメリカ国立電子書籍図書館」の設立をめざすプロジェクトを立ち上げました。このプロジェクトは、昨年10月、国会図書館、国立アーカイブ図書館、大学関係者、司法当局、IT技術者、財団法人らが集まった会議で認められたそうで、実施にあたっては、いくつかの財団が財政面での支援をメセナとして行うことも決まったそうです。国立電子書籍図書館がネット上に開館するにはまだ20年近くかかるだろうが、それでもやってみるだけの価値はある、何しろこの歴史的転換点を茫然と見逃すべきではないのだから、と氏は述べています。

ダーントン氏はまた、ネット時代における図書館の役割について、次のように指摘しています。情報や知識を保存すること(ただし、ブログやメール、研究成果のPDF版資料などをどうするかという問題は残っています)、学生をデジタル空間の知識の花園に誘うこと、世界中にあるできるだけ多くの情報へのアクセスを無料で提供すること。今日の図書館は、文明の記憶を確かな形で残し、すべての人々に知識への扉をあけるという、かつてないほど重要な役割を担っている。

デジタル革命の時代に、世界随一の図書館館長を務めるダーントン氏。デジタル化への取り組みを急いでいますが、しかし、印刷本への愛着はやはり強いようです。氏曰く、書籍におけるデジタル革命はすでに間違いなく始まっている。2010年、アメリカにおける書籍売り上げの10%を電子書籍が占めており、この勢いで15%や20%までは進捗するだろう。しかし、電子書籍の登場は、必ずしも印刷書籍を市場から追い出すわけではなく、逆に売れ上げを増加させている。電子書籍が読まれれば読まれるほど、印刷書籍が多く売れていることを出版業界も確認している。読書欲はいや増すばかりだ。今年、世界中で発売される新刊本が100万冊を超えないと誰が言えよう。印刷書籍は死んだという声を聞くたびに次のように答えることにしている。印刷書籍の死、それは何と美しい死なのだろう・・・

ということで、印刷書籍もまだまだ生き残れるようです。しかし、それも、ここしばらくは、ということですので、やがては電子書籍の世界になり、印刷書籍はそれこそ「図書館」の書庫の中に生き残ることになるのでしょう。ただ、そうなるのには、もう少し時間がかかるようですから、私たちは印刷書籍と電子書籍の2足の草鞋を履いて行くことになるのでしょうね。

同性婚訴訟をたらい回し――フランスの司法。

2011-01-21 21:11:45 | 社会
日本は同性愛に関しては、長い歴史を持っています。平安朝には貴族同士、南北朝から室町時代にかけては僧侶と稚児、戦国時代から江戸時代には武士と小姓・・・織田信長と森蘭丸はとくに有名ですね。

しかし、同性の結婚となると話は別で、今日においても憲法第24条1項に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し・・・」と書かれており、男女でなければ結婚は認められていません。この項目は、本人同士の合意があれば結婚できるという意味なのではないかと私のような素人は思ってしまいますが、文字どおりに解釈され、同性婚は認められない根拠になっているようです。

一方、同性の結婚が認められている国々があります。オランダが2001年に、ベルギーは2003年、スペイン2005年、ノルウェー2009年、スウェーデン2009年など、すでに同性婚を認める法律が施行されている国々。またポルトガルなど法律は成立し、施行を待つだけの国々もあります。

愛の国・フランスはどうかというと、認められていません。カトリックの影響かとも思えますが、スペインやポルトガルで同性婚を認める法律が成立しているわけで、必ずしもその所為とも思えません。しかも毎日曜日に教会に行くような信心深い(pratiquant)フランス人は激減しているわけですから。

毎年6月に「ゲイ・パレード」が盛大に行われるフランスで、どうして同性婚が認められないのでしょうか。同性、異性を問わず、共同生活を営むカップルに実質的な法的権利を認める“PACS”(Pact civil de solidarité:民事連帯契約法)があるため、「結婚」にこだわらないのではないかと思います。異性同士でも、結婚せず、PACS関係の人たちも多いのですから。

しかし、同性カップルの中には、「結婚」にこだわる人たちもいます。法的に認められた結婚を求めるカップルの悪戦苦闘を18日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

コリーヌ(Corinne)とソフィー(Sophie)の同性婚を認めさせる戦い。コリーヌは小児科医、ソフィーは英語の教師。シャンパンの生産地にして、歴代フランス国王の戴冠式が行われたノートルダム大聖堂でもお馴染みのランス(Reims)の近くに住む、アラフォーの女性同士のカップルだ。共同生活を始めて13年、PACSを申請して10年になる。

子どもを産み、一緒に育てたい二人は、ベルギーで人工受精により子どもを産むことにした。今では6歳から10歳まで、3人の男の子を育てている。コリーヌかソフィー、いずれかが二人を、もう一人が一人の男の子を生んでいる。しかもいずれかが前のパートナーとの生活でもうけた16歳の女の子もおり、子ども4人との6人家族を営んでいる。

二人が法的に結婚を認めてもらおうとしたのは、これらの子どもたちのためだ。二人はラジオ番組で次のように語っている。自分たちが死んだら、子どもたちを誰が守ってくれるのか(PACSでは相続権は認められていません)。子どもたちはママと呼んでくれているが、自分は子どもたちにとって法的には何物でもない。自分たちは、不妊症のカップルと同じように、体外受精で子どもを産んだのに、現状はあまりに違いすぎる。

そこで、同性婚を認めてもらおうと、法的手続きに訴えた。担当する弁護士によれば、二人の家族は、静かに、秩序正しく、控え目に暮らしており、周囲から受け入れられている。また二人を知る人たちは、同性婚に賛成をしている。

しかし、世論や政治家の間では同性婚への逆風が強い。二人は6年前に住んでいる町の市長に結婚を申請したが却下されてしまった。そこで去年の5月、ランス地裁(le tribunal de grande instance de Reims)に提訴。しかし地裁は判決を下さず、最高裁(la cour de cassation)に判断をゆだねた。すると、最高裁は、同性婚の合憲性を判断するのは憲法裁判所(le Conseil constitutionnel)だとして、訴状を憲法裁判所に送った(どう判断しても、賛否両論、かまびすしくなりそうな件だけに、渦中に巻き込まれないよう、上級審に送ってしまったようです。君子危うきに近寄らず、というよりは、責任逃れ、ですね)。

同性婚に関する事件として、広く知られたケースがある。ベーグルの結婚カップル(les mariés de Bègles)だ。(2004年6月5日に)男性同士のカップルの結婚を、ジロンド県ベーグル市(Bègles)のマメール市長(Noël Mamère:緑の党所属で下院議員を兼職)が祝福したのだが、後に司法判断により取り消されしまった(しかも、マメール市長は停職1カ月を内務省から命じられてしまいました)。

コリーヌとソフィーの弁護士は、ベーグルの悲劇を繰り返さないようにと戦術を考えているのだが、訴状は憲法裁判所へ送られてしまった。今月18日に行われた憲法裁判所での公判で、二人は個人的な理由からの提訴で、決して政治的、あるいは組織的な背景があってのものではないと強調している。しかし、“SOS Homophobie”(SOS反ホモセクシュアル)や“APGL”(Association des parents et futures parents gays et lesbians:現在形および未来形で子どもを育てるゲイとレズの協会)などが二人の応援に駆け付け、却って若干、ありがた迷惑になっている。

こうした状況に、関係者は、今月28日に憲法裁判所が判断を下す予定になっているが、憲法裁判所はボールを内閣に投げてしまうのではないか、と心配している・・・

ということで、結婚を法的に認めてもらおうとするものの、困難な判断を下すことを回避したい司法によって、訴状がたらい回しにされているコリーヌとソフィーの同性カップル。最後は政治が判断することになるのでしょうか。

それにしても、憲法や法律を守る司法の保守的態度はどこの国でも同じようなのですね。「守る=守旧派」となってしまうのでしょうね。スポーツなど勝負の世界でも、守るものがないのは強みだと言われますから、守りに入るとどうしても事なかれ主義に陥ってしまうのでしょう。しかし、守るものはしっかり守り、その上で理性的な判断をしたい・・・そう思うのですが、なかなか、そうはうまくいかないのが、人間であり、その社会ですね。人間は感情の動物とも言いますし、何しろ損得勘定が働いてしまう。まずは自分と自分が守らなければならないものが損害を被らないように・・・弱きものよ、汝の名は「人間」、なのでしょうか。そう思うのは、私だけなのかもしれませんが。

3年で10万人の公務員を削減する!・・・フランスでの話。

2011-01-20 21:03:28 | 社会
永田町では、消費税率アップが喧伝されています。わずか1年半前に民主党は今後4年間、消費税率に関しては議論さえ始めないと言っていたのですが、次の総選挙直後に税率アップできるように準備を進めるそうです。こうした動きはマニフェスト破りではなく、国民の信を得た政策を進化させ、成熟させることで、何ら間違ってはいないとか。納得できますか?

900兆円にも上る国家債務を抱える日本。その解消が急がれる。負債を国民が平等に分担するには、消費税率を上げるしかない。この点、納得する人も多いのではないでしょうか。しかし、その前提として政治家が行うべきことがある。自らも歳費を削減し、定数を削減することです。お手盛りの収入がいろいろあるのを見直し、削れるべきは削るべし。そして次には、役所の無駄の根絶。まだまだあるのではないでしょうか。その上での消費税率アップなら、受け入れるにやぶさかではありません。なお、その際にも、生きていく上で必要な食料品などの税率は据え置くとかいったきめ細かな対応があってしかるべきだと思います。

こうした消費税率アップという菅内閣の政策に、援軍がフランスから現れました。『21世紀の歴史』(“Une brève histoire de l’avenir”)などでお馴染みのジャック・アタリ氏(Jacques Attali:経済学者・作家・高級官僚、1943年生まれ)が、新著『国家債務危機―ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?』(“Tous réunis dans dix ans ? Dette publique : la dernière chance”)の日本語版の出版を機に来日。インタビューや講演、菅首相との対談などをこなしました。

“アタリ氏は「財政不安が起きている欧州よりも日本の方が財政赤字は深刻。世界を危機に巻き込むこともあり得る」と指摘。「日本は高齢化の進展で歳入よりも歳出の伸びが早い。10~15年後には日本人の貯蓄の100%が、公的債務をまかなうためのものになる」と警告した。
 アタリ氏は、日本が財政再建を果たすには、(1)経済成長力の回復(2)人口増加政策(3)歳出削減(4)増税などによる歳入の拡大--を同時に進める必要があると指摘し、特に歳出削減と歳入増は「緊急性がある」と述べた。
 一方、日本の財政赤字は国民の貯蓄でまかなえるので危機的ではないとの議論については「何もしないことも(国民の)選択肢の一つだが、成功した例は歴史上ない。最も悲惨なシナリオだ」と語った。”
(1月14日:毎日新聞・電子版)

このようにメディアとのインタビューで語っていたアタリ氏ですが、菅首相との対談では、

 “菅首相は18日、ジャック・アタリ元欧州復興開発銀行総裁と首相官邸で会談し、アタリ氏から「国民に努力を呼びかけるには、10年後の国のあり方を示すことが最善だ」と助言を受けた。
 アタリ氏は「政治力を発揮すれば、国家債務や少子高齢化の問題は解決できる」として有識者委員会の設置を提案し、首相も「よいアイデアだ」と応じた。”
(1月18日:読売新聞・電子版)

ということで、日本の組織・政治に欠如しているとよく言われる「戦略」、「将来的ビジョン」を提示するよう助言したようですが、それを受けて菅首相が取った行動は・・・

“首相は会談後、副大臣会議のあいさつでアタリ氏の発言に触れ、「それぞれの立場で将来の展望を語ることもお願いしたい」と指示した。”
(1月18日:読売新聞・電子版)

Oh,my God !、Mon Dieu !、なんてこったい! 各省庁がそれぞれに勝手な方向に進んでしまっては、国はどうなるのか。まずは首相が10年後の日本の姿を提示し、その大枠の中で各省庁が具体的な政策を考えるべきなのではないですか。良い話を聞いた、みんな10年後を考えて仕事に励むように・・・相変わらず現場への丸投げで、戦略の欠如を呈しています。権力中枢の意向を無視して(あれば、ですが)各出先が勝手な行動を取る「満州事変モデル」のままですね。日本は不滅にして、不変です。

と、前置きが長くなりましたが、今日のテーマは歳出削減にとって大きなテーマとなる公務員の削減。17日の『ル・モンド』(電子版)が、バロワン(François Baroin)予算・公会計・公務員・国家改革大臣の会見内容を伝えています。タイトルは、「2013年までに公務員10万人を削減」。

前置きが長くなったついでに、もう一つ前置きを。公務員って、どのくらいの人数いるのでしょう。(株)野村総合研究所が平成17年にまとめた「公務員数の国際比較に関する調査」という資料があります。そのデータ(国により2004年・2005年など)によると、

・国家公務員:(日)160万人(仏)315万人(米)290万人(英)254万人(独)184万人
・地方公務員:(日)378万人(仏)253万人(米)1,876万人(英)215万人(独)390万人
・合計   :(日)538万人(仏)568万人(米)2,166万人(英)469万人(独)574万人

・人口千人当たりの公務員数:(日)42人(仏)96人(米)74人(英)78人(独)70人

フランスとアメリカが好対照ですね。多くの国家公務員を抱えるフランスに、少ない国家公務員と膨大な地方公務員のいるアメリカ。アメリカと言えば、民営化、民でできることは民へ、というふうに日本ではよく報道されますが、公務員数からは、アメリカの実体は民営化というより徹底した地方分権であることが分かりますね。小さな中央政府と巨大な州政府と自治体。一方、中央集権国家のフランスは、当然のことながら、大きな中央政府。軍人を含む数字もありますから、断定はできませんが、フランスとアメリカの対比は新鮮な発見でした。

さて、さて、そのフランスの公務員ですが、今年からの3年間で10万人削減するとか。組合が強く、労働者もその権利を強硬に主張する国で、そのようなことができるのでしょうか・・・フランスが採用している政策は、退職者2名につき採用は1人だけ。ベビー・ブーマー以降の人口が多い世代が退職していく。その補充を半分だけにすれば、当然公務員の数は漸減していく。新規採用が増えず、若年層の失業率は改善されないのでしょうが、こうすれば、デモやストもなしに人員削減できるわけですね。その他の施策に関して、バロワン大臣は次のように語っています。

人員削減だけではなく、組織の統廃合も行っている。例えば、財務局と税務署を統合した国家財政総局(la direction générale des finances publiques:DGFIP)の新設。また、備品をはじめ様々なものの共同購入も進めている。縦割り行政で別々に購入していたものを共同購入に切り替えることによって、50億ユーロの購入費のうち7億1,200万ユーロを削減することができた。

また、民営化へ向けた取り組みも進めている。昨年12月には、気象台や営林署など500ほどの出先機関で働く職員の85%以上と業務雇用契約を結ぶことができた。大学と保健所を除くこれら出先機関では235,000人が働き、国家からの支出は290億ユーロに上っている。

今年からは、生産性の向上、会計監査、2013年までを目標とした費用の10%削減、1年以上にわたる借入の禁止といった予算管理システムを出先機関にも援用するようにようにしたい。もちろん、同時に、現在組合側と協議中の法律などにより、公務員の暮らしが不安定にならないよう、しっかり取り組んでいく。

・・・ということで、人員削減、組織の統廃合、民営化、共同購入などによって公務員関連支出をカットしようとしているフランス。財政赤字に対して、多くの国々で同じような対策が講じられているようですが、公務員天国のようなフランスまでもが。それだけ、今までの財政政策がいい加減だった国が多いということなのでしょうが、そのつけを払わされる世代は、気の毒です。しかし、もう先送りはできない状態になってしまった・・・大変な時代ですが、一人一人、くじけず、頑張りたいものです、としか言えないのが残念です。

ジャスミン革命をめぐるフランス与党の自己批判。

2011-01-19 20:52:11 | 政治
最近のフランスのニュース番組は、チュニジアの政権転覆の話題一色。何しろ旧植民地であり、フランスに移住したチュニジア人も多い。またその逆にチュニジアに住むフランス人も多い。地理的距離にしても、地中海を一跨ぎ。まさに指呼の間。France2、夜8時のニュースのキャスターもチュニスから生中継し、翌日にはまたパリから放送していました。

それほど、地理的にも、歴史的にも、そして今日の社会においても密接な関係にあるフランスとチュニジア。しかし、今回の政権転覆、いわゆる「ジャスミン革命」に関しては、フランス政府の対応は後手に回り、ほとんど介入らしい介入もできませんでした。ベンアリ(Ben Ali)前大統領が亡命を求めた際、拒否したと言われているのが唯一の対応と言ってもいいほど。その動きのなさはどうしてだったのでしょうか。政権与党の自己批判、あるいは自己弁護を聞いてみましょう。17日の『ル・フィガロ』(電子版)が伝えています。

ジャスミン革命(la Révolution du jasmin)に対する支援が遅く生半可なものだったと厳しい批判を受け、政府は17日、チュニジア国民の怒りを過小評価していたことを認めた。

数日前まで、政府はチュニジア国民を支援することを拒否していた。彼らの抵抗を過小評価していたのだ。それが本日(17日)、方針転換し、前政権が転覆する最後の瞬間まで、政治的・経済的理由からベンアリ前大統領を支持していたことに関する自己批判を始めた。

先週、アリヨ=マリ(Michèle Alliot-Marie)外相は、チュニジアで起きているのは労使紛争であり、参加者を鎮圧するためにフランスの治安部隊を派遣したいと提案、野党から一斉に非難の集中攻撃を浴びた。特に社会党のモスコヴィチ議員(Pierre Moscovici:2012年大統領選挙の社会党候補を決める予備選挙への立候補を公言しています)と緑の党のデュフロ女史(Cècile Duflot:欧州議会・緑の党の書記を務めています)は外相の辞任を要求したほどだ。

アリヨ=マリ外相は17日夜、France2、8時のニュースでのインタビューで、自分の発言が曲解されてしまったと弁明。言いたかったのは、フランスは騒動を大規模な武力を行使せずに収めることができる経験とノウハウをチュニジアに提供する用意がある。そうすれば、デモを継続させつつ、過激に走らないよう上手にコントロールできるのだから。こう言いたかったのだ。

一方、ジュペ(Alain Juppé)国防相は、チュニジア国民の怒りがこれほどのものだということを見落としていたと認めた。アメリカの同盟国である欧州の国々は、チュニジアの体制を支持してきた。ベンアリ政権の下、政治は安定し、経済も成長していたからだ。女性の地位向上など社会変革も行われ、教育の水準も向上した。こうした状況を見るにつけ、警察による強権的な体制の下で暮らすチュニジア国民の激しいいらだちを過小評価してしまったのだ。

また、サルコジ大統領の特別顧問、ゲノ氏(Henri Guaino)は、政権の不手際と理解不足は認めたが、フランスが明らかな介入をしたり、大規模な鎮圧作戦を行うことはできないという理由から、フランス政府の対応を擁護した。そして、次のように述べた。フランスが何をすべきだったのか、ということが問題になっているのだが、フランスが旧植民地の内政に干渉したら、何と言われただろうか。野党であろうと与党であろうと、専門家であろうと、そしてチュニジア人自身、事態がこれほど急速に、大きく、ドラマティックに変化するとは予想できなかったはずだ。しかも、フランスが地中海の保安官であるべきだと決まっているわけでもない。

最近、チュニジア人女性と結婚したばかりのベソン(Eric Besson)産業担当大臣は、アメリカの手先のようなフランスの立場を皮肉った。チュニジアに住むアメリカ人も、逆にアメリカに移住したチュニジア人もそれほど多くない。だから、アメリカはチュニジアにいるアメリカ人の安全を心配する必要がない。しかし、チュニジアには22,000人ものフランス人が住んでいるのだ。オバマ大統領はチュニジアの政変に際して、“bravo, good luck”と言えば済むのだろうが、フランスは在外国民の安全を確保するためにも、用心を欠かさないようにすべきなのだ。

・・・ということなのですが、確かに、フランス政府の対応には問題があったようです。メディアは早くから、フランス政府の動きのなさを批判していました。10日にはすでに、「チュニジアの悲劇にフランスは沈黙を守る」という政府批判が掲載され、14日には、「ビロード革命が、ついにアラブ世界で起きている」と、単なる抗議活動ではなく、もはや「革命」と呼ぶべきものだという記事を出していました。そして16日、「ベンアリ一族は1.5トンの金塊と共にチュニジアを脱出した模様だ」と報道。

さすが「フランス革命」の伝統を持つ国、「革命」という言葉が好きなようですし、それ以上に「革命」の匂いを見事にかぎ出すことができるようです。しかし、こうしたメディアの声にもかかわらず、ベンアリ政権との関係、他の国々との連携などを重視したのか、フランス政府の対応は非常に遅かったようです。

一方、われらの日本にとっては、チュニジアはアラブ世界への大きな窓口。昨年12月には、前原外相や大畠経済産業省(当時)も出席し、「日本・アラブ経済フォーラム」の第2回会合がチュニスで行われ、日本とアラブ諸国の経済関係強化をうたった「チュニジア宣言」も採択されました。そのチュニジアで、政変が起きてしまった・・・新政権の下、国内が安定した後には、また再び関係強化に取り組む必要に迫られます。アフリカやアラブ世界で、その存在感を急速に高めている中国の後を追いかけなくてはなりませんから。

まだ後継政府づくりがうまくいかず、ベンアリ政権の残党との武力衝突もあるようです。流血騒ぎにならずに、政権移行が平和裡に行えるといいのですが。そう願っています、しかし同時に、関心は、本当に1.5トンもの金塊を持ちだしたのだろうか、もしそうだとすれば今の価格でいくらくらいになるのだろうか、という下世話な方向へと向かってしまいます。これではいけない。いくら普段あまり情報に触れる機会がない国の政変とはいえど、「世界の今」の動き。真摯に見つめなくてはいけないと、フランス政府よろしく、自己批判です。