ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

スペイン人を批判するヤニック・ノアを非難するマリーヌ・ルペン。

2011-11-23 21:04:44 | スポーツ
ヤニック・ノア。ご存知の方も多いかと思いますが、まずは、ご紹介から。

ヤニック・ノア(Yannick Noah)
 テニス・プレーヤー、歌手。1960年5月18日、ベルギーと国境を接するアルデンヌ(Ardennes)県のスダン(Sedan)市生まれ。父はカメルーン出身のプロ・サッカー選手で1961年にフランス杯で優勝したスダン・チームの一員。母はアルデンヌ出身の教師。
 テニス・プレーヤーとして、全仏オープン(Roland-Garros)を1983年にシングルスで、1984年に男子ダブルスで制覇。1986年にはATPランキングで男子シングルス3位にランクされ、今日でもフランス人プレーヤーの最高位。また、デビス・カップにフランス・チームのキャプテンとして出場し、1991年と1996年に優勝。2005年に、テニスの殿堂(International Tennis Hall of Fame)入りを果たす。
 1991年から歌手としての活動を始め、2002年からは歌手活動に専念。今までに8枚のアルバムを発表し、いずれも大ヒット。2010年9月25日にフランス競技場(Stade de France)で行ったコンサートには、8万人ものファンが押しかけた。
 最初の結婚相手は、1978年のミス・スウェーデンで、二人の間にできた息子はプロ・バスケットボールの選手で、シカゴ・ブルズ所属。二度目の相手はモデル。現在のパートナーは、シルビー・バルタンやバルバラなどのプロデュースを手掛けたジャン=クロード・カミュの娘、イザベル・カミュ。
 政治的には、反UMP(国民運動連合)で、2007年の大統領選挙では、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal)を支持。

このヤニック・ノアが『ル・モンド』に寄稿した文章がちょっとした物議を醸しています。そこでヤニック・ノアはスペインのスポーツ界を批判しています。

その批判紹介の前に、現在のスペイン・スポーツ界の状況を少々。

サッカー
 ナショナル・チームとしては、無敵艦隊などと言われながらも優勝に縁遠かったが、2010年のW杯南ア大会での初優勝が記憶に新しい。欧州選手権は、1964年と2008年の二度優勝。FIFAランキングでは、2011年11月時点で堂々の第1位。
 世界最高峰のリーグの一つと言われる「リーガ・エスパニョール」では、特にレアル・マドリードとFCバルセロナが強豪として知られ、UEFAチャンピオンリーグ(チャンピオンズカップを含む)でレアルは9回、バルサは4回の優勝を誇る。2010-2011年の大会を制したバルセロナは12月に開かれるトヨタカップ(FIFAクラブ・ワールドカップ)にヨーロッパ代表として出場する。

テニス
 国別対抗のデビス・カップでは、2000年、2004年、2008年、2009年と4度の優勝を誇る。
 個人プレーヤーとしては、まずは、ラファエル・ナダル。全豪1回、全仏6回、全英2回、全米1回と、2005年以降にグランド・スラムで10度の優勝。北京オリンピックでもシングルス優勝。ATPランキングでは2008年8月に1位。現在は2位。次いで、2003年に全仏を制したフアン・カルロス・フェレーロ。2003年9月にランキング1位。現在は5位。そして、同じく全仏を1998年に制したカルロス・モヤ。1999年3月にランキング1位。

自転車競技
 特筆すべきは、ツール・ド・フランス。ミゲル・インドゥラインが1991年から95年まで5連覇。2000年代になると、オスカル・ペレイロが2006年、アルベルト・コンタドールが2007年・09年・10年、カルロス・サストレが2008年とスペイン勢が5連覇。これまでのツール・ド・フランスの歴史で、スペイン人選手が13回優勝している。

これら以外の種目でも、スペイン人の活躍は増えています。1990年代から、特に2000年以降、スペイン選手が脚光を浴びることが多くなっています。どうしてなのでしょうか。

経済の発展によるスポーツ振興もあるのでしょうが、団体競技においては、郷土の代表から国の代表へと意識が変化したことが大きいのではないかと、これは個人的憶測ですが、そう思っています。昔は、例えばサッカーのように無敵艦隊などと呼ばれるほど下馬評は高いものの、いざ本番になると、あっという間に消えていました。それは、カタルーニャ、バスク、アンダルシア、マドリーなど、地域色が強いお国柄ゆえ、代表チーム内に対立が起き、チームとしてのまとまりが悪いから、とよく言われていました。それが、スペイン人選手が外国でプレーするようになると、カタルーニャでもバスクでもなく、みんなスペイン人。しかも、プレーは上手くても、どこか見下される感じがする。そうした経験から、地域対立を捨て、「スペイン」として好成績を上げようという意識になったのではないかと、独り善がりながら、考えています。

さて、そうした思い込みは置いておいて、脚光を浴びるスペイン・スポーツ界を、テニスの名プレーヤーだったヤニック・ノアが批判しています。スペイン人選手が強くなったのには、別の理由がある・・・19日の『ル・モンド』(電子版)です。

節税対策でスイスに居を移して以降、フランスの税務当局とのトラブルを抱えているヤニック・ノアだが、彼は『ル・モンド』へ寄せた文章の中で、スペイン人選手の成績に疑いの眼差しを投げかけている。「今日では、スポーツはオリンピックに出場するアステリックス(Astérix)のような状況にある。魔法の恩恵にあずかれないなら、勝つことは難しい。そうした状況において、オベリクス(Obélix)のように、スペイン人選手は鍋に落ちた、つまり幸運な奴らだという印象を持っている」と、書いているのだ。

*アステリックス:René Goscinny(作)とAlbert Uderzo(画)によるマンガ(bande dessinée:BD)シリーズ“Astérix”の主人公。1959年の第一作以降、大人気を博し、アニメ化されたり、テーマ・パークがパリ近郊に作られています。舞台は紀元前50年、古代ローマの攻撃に苦しむガリアのある村。アステリックスをはじめとする村人たちは、魔法の飲み物を飲むと超人的な力を発揮し、敵を撃退するというストーリーです。
*オベリクス:アステリックスの親友で、子どもの頃、魔法の液体の中に落ちたため、その超人的な力を常に発揮することができます。

ヤニック・ノアは、結論として次のように述べている。「偽善者ぶるのは止めよう。推定無罪は尊重されるべきではあるが、もはや誰も騙されてはいない。取るべき最上の態度は、ドーピングを認めることだ。そうすれば、誰もが魔法の液体を手にすることができるのだ。」

この意見に対し、スポーツ相のダヴィッド・ドゥイエ(David Douillet)は、ヤニック・ノアの意見は重大な過ちであり、無責任であると述べている。柔道で二度オリンピック・チャンピオンになっているダヴィッド・ドゥイエは、「私こそ、ドーピングなしで優勝できることを示す、生ける証人だ」とテレビ局・France 2の番組で語っている。

一方、スペインでは、ヤニック・ノアの意見に怒ったスペイン・オリンピック委員会委員長のアレハンドロ・ブランコ(Alejandro Blanco)が日刊スポーツ紙『マルカ』(“Marca”)の電子版で、「知らない人には、スペインにおけるスポーツ熱のすごさを理解することは難しいだろう。そのブームこそが成功のカギを握っていたのだ」と語っている。さらに、ドーピングについて、「スペインでは毎年11,200件のドーピング検査を実施している。スペインがドーピングを防いでいることを示す何よりの証拠だ」と述べている。

同じく日刊スポーツ紙“AS”は、スペインのスポーツ省にあたる“Conseil Supérieur du Sport”(CSD)の、「スペインの反ドーピング法が非常によく整備されていることは、国際的に広く知られている。スペインにおけるドーピング行為は、他の国々と大差ないものだ」という意見を紹介している。

“AS”はまた、スペイン・バスケットボール協会会長のホセ・ルイス・サエス(José Luis Saez)がヤニック・ノアを無責任で、嫉妬深い男だと見做していると、伝えている。サエスはまた、「ドーピングのような微妙な問題について語る場合、不要な疑いを撒きちらすのではなく、確かな証拠を提示することが大切だ」と述べている。

・・・ということで、かつての名プレーヤー、ヤニック・ノアは、どうも確たる証拠も提示しないまま、スペイン人選手の活躍をドーピングのお陰だと批判してしまったようです。自分のスポーツ、テニスで、そして、父親のスポーツ、サッカーで、スペイン人選手の活躍は凄まじい。しかも、スペイン人選手の独壇場のようなツール・ド・フランスでは最近、毎年のようにドーピングで失格になる選手が出ています。そこから、悔しさ紛れに、スペイン人選手をドーピングしていると揶揄してしまったのかもしれません。しかし、やはり、証拠が必要なのでしょうね。

スペイン人選手の活躍をドーピングのお陰と決めつけたヤニック・ノアへ批判の矛先を向けているのは、スペイン人だけではありません。同じフランス人からも。それも、スポーツ界からではなく、政界から。極右・国民戦線(FN)党首のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)です。実は、同じ記事の中で、それも、冒頭で紹介されています。順番が逆になってしまいましたが、彼女の非難とは・・・

マリーヌ・ルペンはヤニック・ノアが持ち出したドーピングに関する論争について、次のような見解を述べている。「ヤニック・ノアにドーピングなどについて言及する資格はない。何しろ、フランスに住んですらいないのだから。」

・・・ということで、つまり、節税対策でスイスに住んでいるような人間に、スポーツ界の不正について語る資格はない、ということですね。ドーピングについて批判したいなら、フランスできちんと納税してからにせよ、という非難です。確かに、スポーツ選手や芸能人には、節税対策でスイスに住所を移している人もかなりいます。しかし、活動の中心はフランス。それなら、きちんと納税しろ、フランス人なのだから。という批判ですね。ヤニック・ノアについては、税務当局ともめてさえいるわけですから、スペイン人選手のルール違反を批判するなど、傍ら痛い。隗より始めよ・・・率先して、襟を正すべき人は、多くの国々、さまざまな社会にいるようです。

テディ・リネール、柔道の生ける伝説となる。

2011-08-28 22:51:30 | スポーツ
時差の関係か、日本勢があまり振るわないせいか、はたまた「なでしこフィーバー」の割を食ってしまったのか、今年の柔道世界選手権に日本ではあまりスポットが当たっていないような気がします。

開催地は、パリ。会場は、スポーツ大会の会場としてお馴染みのベルシー(Palais omnisports de Paris-Bercy)。12区、セーヌに面しています。

日本勢の戦績は、団体戦を除いて、男子は金2個、銀2個、銅1個。女子は、金3個、銀4個、銅3個でした。メダル数では1位の座を守りましたが、男子の中重量級では金がゼロ。66kg以下級と、73kg以下級での2個だけでした。しかも、100kg以下級と100kg超級では、メダルゼロ。来年のロンドン・オリンピックに向けて、抜本的対策が必要になっているようです。

メダル獲得数2位の座は、フランスが占めています。男子が金1個、銅1個。女子が金3個。地元開催ということもあり、メダルの獲得は、夜8時のニュースでも大きく報じられていました。女子の63kg以下級、70kg以下級、78kg以下級と続けて金メダルを取ったのは、まさにゴールドラッシュといった感がありました。そして、女子選手の活躍以上にフランスの柔道ファンを熱狂させたのが、男子100kg超級で優勝したテディ・リネール(Teddy Riner)選手。2007年、リオデジャネイロの世界選手権で優勝して以来、多くの優勝を果たしてきている、フランス柔道界のヒーローです。

テディ・リネール・・・1989年4月7日生まれ。まだ22歳。カリブ海にあるグアドループ(Guadeloupe)出身。パリで柔道の修業を積む。204cm、138kg。2007年のリオデジャネイロ、2008年のルヴァロワ・ペレ(Levallois-Perret:パリのすぐ北西の郊外)、2009年のロッテルダム、2010年の東京、そして2011年のパリと世界選手権重量級で5度の優勝(08年のみ無差別級、他の大会は100kg超級での優勝)。今まで世界大会で負けたのは2度だけ。2008年の北京オリンピックでは銅メダルに終わり、昨年の世界選手権東京大会では、100kg超級では優勝したものの、無差別級では上川大樹選手に決勝で敗れ、銀メダル。今までのキャリアで世界の大会では2敗だけと、圧倒的強さを誇っている。

この、テディ・リネール選手が地元開催の世界選手権100kg超級で優勝した時の喜びの声と関係者の興奮ぶりを27日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。誰がどのようなことを語っているのでしょうか・・・

表彰式の壇上で、テディ・リネールに金メダルをかけてあげながら、ダヴィッド・ドゥイエ(David Douillet:柔道家、後、政治家。オリンピックで金2個、銅1個、世界選手権で金4個。2009年から今年7月まで与党・UMP所属の国会議員。今年6月からは、在外フランス人担当特命大臣)は、テディ・リネールに「オリンピック、あと3回頑張れよ」とささやいた。歴史上、最強の柔道家と優勝記録保持者との間でのシンボリックなバトンの受け渡しだ。柔道界において、この二人くらいしか並び立つ者はいない。

27日、テディ・リネールは優勝回数を積み重ねる上で、大きな一歩を踏みしめた。2007年のリオ、2008年のルヴァロワ、2009年のロッテルダム、そして2010年の東京と同じように、グアドループ出身の柔道家は今本拠としているパリでの世界選手権で5度目の優勝を勝ち取った。メダルの色はいつも同じだが、彼にとって今年の大会は今までとは大きく異なっていた。2007年と今年の彼の柔道を比べれば、この柔道の巨人がいかに長足の進歩を成し遂げたかは一般観客にも一目瞭然だった。

今年の大会で、決勝まで勝ち進むのにわずか7分しか要さなかった。まったく危なげなく、テディ・リネールは観客に、そして対戦相手にさえ柔道とはなにかを見せつけたのだった。「もし自分が子どもたちに柔道を教えるなら、今日のテディの試合を見せればそれで済む」と、ダヴィッド・ドゥイエは語っている。それというのも、防御、移動、時宜を得た攻撃と、テディは完璧だった。「それは、猛烈な練習の成果だ。2010年の東京大会では、無差別級決勝で敗れたが、その敗戦以降、以前にも増して厳しい練習を自らに課すようになった。二度と繰り返したくないことは、勝負を審判の判定に委ねることだ。そのためには、文句の付けようのない一本で勝つことが必要なのだ」と、テディ・リネールは述べている。

すでに今年の2月、パリ国際でテディは技の上での成長を見せていた。ロンドン・オリンピックが近づくにつれ、新しい技を見せてくれたのだが、今日のレベルまで上手く、強くなるとは誰も思っていなかった。以前の得意技と言えば、大外刈りと払い腰だけだったが、これに内股、絞技、大内刈りを加えた。今大会の決勝でドイツのAndres Toelzerを破ったのも、この大内刈りだ。ダヴィッド・ドゥイエでさえ口をぽかんとあけたままで、「このようなレベルにまで達していたかった」とため息をついたほどだ。

テディの見事な柔道に感動して、73kg以下級で銅メダルを取ったウーゴ・ルグラン(Ugo Legrand)も、INSEP(l’Institut national du sport, de l’expertise et de l’éducation physique:国立スポーツ体育研究所)の同僚の優勝を祝福せずには居られなかった。「彼は生ける伝説だ。けた外れに強いチャンピオンがいることは、われわれの誇りであり、別次元にいる彼の存在が、我々を一歩でも上のレベルへと導いてくれる」と語っている。

・・・ということで、ダヴィッド・ドゥイエといい、テディ・リネールといい、すごい実績ですね。今や、柔道の競技人口では、日本をしのぐフランス。名選手が出てくるはずです。

日本柔道は、「本家の威信にかけて」というプレッシャーも背負いながらの戦い。勝って当たり前、という空気の中での試合ですから、たいへんなプレッシャーなのでしょうね。その中で優勝してきた選手たちは、すごいと思います。

オリンピックの時は、当然金メダル、という気持ちで勝手に応援してしまいますが、「柔道」から“Judo”になって久しく、さまざまな国から強豪が生まれています。そう簡単に勝てるわけではないのでしょうね。それでも、日本語で行われる競技だけに、どうしても期待してしまいます。

期待するなら、応援も4年に1度ではなく、毎年の世界選手権でもしっかり応援したいものですね。頑張れ、ニッポン柔道!

カネと汚職まみれのサッカー界から身を引く、スペインの選手。

2011-08-10 23:04:56 | スポーツ
今日は、ロンドン五輪アジア最終予選へ向けたU-22の強化試合・「日本vsエジプト」と、ブラジルW杯アジア三次予選へ向けたA代表の強化試合・「日本vs韓国」という2試合が行われました。

試合の結果はご存知のように、2戦とも日本代表の勝利!

A代表の試合は、これだけ楽しく見ることができた日韓戦は初めてではないかと思えるほど。何しろ、3-0。香川、本田が別次元でプレーしていましたし、遠藤、長谷部が欠かすことのできない選手であることが改めてはっきりしましたね。次のW杯までケガがないようにと、早くも願ってしまいます。

U-22の試合は、まずマッチ・メイキングの問題あり、ですね。イスラム教徒は今、ラマダン。日の出から日没まで、飲食ができません。中東勢への対策としてエジプトを選んだのでしょうが、日の出から飲食をしていない選手たちとの夕方の試合。ハンデがありますよね。それで2対1・・・ゴール前での精度、バックス同士の連携、最終ラインでの危険な横パスなど、日本サッカーにつきものの課題がありましたが、とにかく勝利したのはよかったですね。最終予選に自信をもって臨んでほしいものです。

今、日本サッカーは急成長していると、世界で注目されています。南アW杯でベスト16入り。アジア大会で男女優勝。アジア・カップで優勝。U-17W杯でベスト8進出。そして、なでしこジャパンによる世界制覇、W杯の優勝です。

選手個人としても、長友がインテルへ、宮市はついにイギリスの労働ビザを取得し、アーセナルの一員に、そして、宇佐美がバイエルン・ミュンヘン。香川はドイツ・チャンピオンのドルトムントですし、選手の所属チーム名で決して引けを取らないような状況になりつつあります。

なでしこジャパンでも、熊谷はドイツへ、鮫島がフランスへ。すでに戦いの場をヨーロッパに移している選手も安藤、永里、宇津木とおり、個人としても世界で大きな花を咲かそうとしています。

と、日本・サッカーは順風満帆なのですが、世界のサッカー界は必ずしも順調とは言えないようです。

FIFA会長選に際し、ブラッター会長の対抗馬として立候補したアジア・サッカー連盟のハマム会長(カタール)が買収により永久活動停止処分を科されました。また、八百長騒動に巻き込まれているのが、中国のスーパーリーグと韓国のKリーグ。

もちろん、アジアだけではなく、ヨーロッパでも、ドイツ、イタリア、ギリシャが八百長問題に揺れています。

その裏には、サッカーの試合が賭けの対象になっているということもありますが、それ以外に、放映権料、スポンサー・フィー、マーケティング活動による収入など、大きなおカネが動く現状があります。選手の移籍金にしても、数十億円から百億円近くまでに高騰していますし、選手の年俸も十億円を遥かに超えています。こういう世界にいると、金銭感覚も狂ってくるのかもしれません。

そこで、こんな世界にいていいのだろうか、という疑念を抱く選手も出てきています。その一人、リーガ・エスパニョーラ(スペイン)のプリメーラ・ディビシオン(1部)所属のプロ選手でありながら、24歳でチームとの契約を解除して引退した選手を9日の『ル・モンド』(電子版)が紹介しています。

サッカーの世界にうんざりした、スポルティング・ヒホン(Sporting Gijon)のディフェンダー、ハビ・ポベス(Javi Poves)が契約を一方的に解除したことを、クラブの広報が9日、発表した。スペインの日刊紙“El Pais”(エル・パイス)によれば、24歳になるプロ・サッカー選手のハビ・ポベスは、「サッカーを知れば知るほど、すべてがカネ、という腐った世界であり、幻滅するばかりであることがよく分かってくる」と、語っている。

クラブを去る前に、ポべスは変な疑惑をもたれないように、口座に給与を振り込まないよう頼んでいった。また、クラブのスポンサー企業からクルマ提供を打診されていたが、必要ないからと断っていた。ポべスは、クラブの監督や経営陣に、金銭と汚職にまみれたプロ・サッカー界を受け入れることができないので、プロの選手としてのキャリアを終えようと思うと、引退理由を説明している。「それが資本主義なのだが、しかし資本主義は死を意味している。南米やアフリカ、アジアの人々の死の上で人びとがカネを稼ぐというシステムの一部になりたくはないのだ」と、明言している。

ハビ・ポベスは、2008年以来スポルティング・ヒホンに所属し、2シーズンをリザーブ・チームで過ごした後、ようやくトップ・チームに昇格した(2010-2011シーズンの背番号は25)。彼は、銀行を燃やしに行くことに賛成すると言いながら、歴史の勉強を再開するためにスパイクを脱ぐことにしたのだと語っている。「人は私を現状の社会システムが嫌いな人間なのだと見做すが、それは私をひとつの枠にはめてしまうことになる。私は自分が何者かが分からないのだが」と、言っている。もはや元サッカー選手となったハビ・ポベスは、“Indignados”(憤慨する人々)の抗議運動と連帯していることは否定している。この抗議運動は、5月中旬にマドリッドのプエルタ・デル・ソル広場(la Puerta del Sol)に集まった若者や失業者、サラリーマン、退職者によって始められた穏健な市民運動だ(「15M(5月15日)の市民運動」とも呼ばれ、参加型の民主主義を求めています)。「この運動はメディアによって意図的に創り出されたもので、社会的不満を感じている人たちにガス抜きの場を提供し、今の社会システムにとって危険で制御不能な状況にならないようにするためのものだ」と、ハビ・ポベスは説明している。

・・・ということで、多くの人が憧れるスペイン・サッカー界からの、「さらば、カネまみれのサッカー」宣言。そして、反資本主義宣言でもあります。弱肉強食、儲けることのできる人間だけが儲けていい思いをすればいい。貧乏人は貧乏なままでいればいい。それがその人間の生きてきた人生の結果なのだ。自己責任・・・それでいいのか、社会的弱者には、それなりの理由もあるはずだ。社会的連帯が必要だ。

反資本主義の声を挙げる人が増えて来ています。「15Mの市民運動」はヨーロッパ各国に広がってきているようです。アングロ=サクソン流の弱肉強食でいいのか、それとも連帯の心を持ち続けるべきなのか。財政危機とともに、現状の社会システムに対する検討を求める声が、暴動も含め、様々なカタチで現れてきているようです。

負け続けるフランス・・・オリンピックとの関係は?

2011-07-07 21:07:24 | スポーツ
2018年の冬季オリンピック開催地が、韓国のピョンチャン(平昌)に決定しました。南アフリカ・ダーバンで行われた第123回IOC総会において立候補していた3都市の中から選ばれたわけですが、第1回投票で63票と過半数を獲得する圧勝でした。因みに、ミュンヘンが25票、アヌシーが7票でした。

「2回の失敗を教訓にして準備を徹底した平昌は、冬季スポーツが深く根付いたドイツのミュンヘン、フランスのアヌシーとの激しい競争を勝ち抜いた。最後のプレゼンテーションは白眉だった。李明博(イ・ミョンバク)大統領が直接ステージに上がり、IOC委員らに平昌招致を訴えた。バンクーバー冬季五輪女子フィギュア金メダリストのキム・ヨナ選手は投票者らの心を溶かし感性を濡らした。
 これで韓国は2018年冬季五輪、1988年夏季五輪、2002年サッカー・ワールドカップ、2011年世界陸上の4大国際スポーツ大会をすべて招致した5番目の国になった。これまでこの記録を持つ国はフランス・ドイツ・イタリア・日本の4カ国だけだ。」
(中央日報・日本語・電子版)

感動的な文章からも、韓国での欣喜雀躍ぶりがよく伝わってきます。

ところで、あっさりと敗れてしまった、フランスのアヌシー(Annecy)。以前から招致委員会の問題などが指摘されており、難しいのではないかという声も上がっていましたが、わずか7票の惨敗。これほどまでに支持が少なかった原因はどこにあるのでしょうか。

敗退するのは既定の事実とばかりに、IOC総会での投票を前に、アヌシーが敗れたとしたら、どこに敗因があるのか、というインタビュー記事を6日の『ル・モンド』(電子版)が載せていました。日本にも共通するような原因が挙げられています・・・

7日17時に、IOC(仏語ではCIO:le comité international olympique)は2018年冬季オリンピックの開催都市を発表する。フランスからアヌシーが立候補しているが、ミュンヘン、ピョンチャンという競争相手に対して不利な状況にある。アルマン・ド・ランダンジェ(Armand de Rendinger)は、国際スポーツ・コンサルタントとして30年ほどの経験があり、オリンピックの立候補にも数十回、携わってきた。また、2006年には“Jeux perdus”(『敗れたゲーム』)という本も出版し、2012年を目指したものの敗れ去ったパリの敗因を分析している。

アヌシーの誘致活動はエドガー・グロスピロン(Edgar Grospiron)が委員長を辞任し、数週間後にシャルル・ベグブデール(Charles Beigbeder)が後任として就任した頃が、最悪な状態だった。ド・ランダンジェは、組織力の弱さとロビー活動の少なさを問題点として指摘していた。今回、改めて、アヌシーの問題とたぶん開催都市に選ばれるであろうピョンチャンの成功要因を語ってもらった。

(あと数時間で開催都市が決定されるが、アヌシーは選ばれないだろうと大方が予想している。驚きの結果は期待できるだろうか?)

人生が続く限り、希望はある。意外な結果になる可能性もあるが、もしアヌシーが選ばれたなら、それは前代未聞といったくらいのサプライズになるだろう。

(シャルル・ベグブデールに代わっても、不利な状況は大きくは変わらなかったが・・・)

今年1月の大きな変革、特にベグブデールが招致委員長についた後、オリンピックを歓迎する新しい風が吹き始めた。ベグブデールは3つの目標を掲げた。より良いロビー活動でIOC委員を説得すること、予算をまかなうため、民間の資金を活用すること、より多くのスポーツ関係者との関係構築、という3点だ。

しかし、2点目と3点目は達成できなかった。スポーツ大臣は、追加された予算は国からの支援だけだと不満を示していた。また3点目に関しては、ジャン=クロード・キリー(Jean-Claude Killy:1968年のグルノーブル・オリンピックで、滑降、回転、大回転の3冠を達成、IOC委員)やギー・ドリュ(Guy Drut:1976年モントリオール・オリンピック、110mハードルで優勝、後に下院議員、市長、IOC委員などを歴任)など影響力のあるIOC関係者からも批判が出されていた。IOC評価委員による調査はうまく切り抜けたものの、その後の活動は停滞してしまった。地域住民との関係も、常にぎくしゃくしており、ベグブデールはその独断的な振る舞いが非難されていた。第一の目標については、結果が示してくれるだろう。

(ここ数週間、アヌシーは自分たちこそオリンピック本来の価値のある大会を開催することができる。他の2都市はあまりにビジネスライクだと言っていたが・・・)

アヌシーがオリンピック本来の価値を守ることができると言うことは、他の2都市はできないと言っているようなもので、競争相手を中傷することは効果的だとは思わない。アヌシーの問題は、立候補よりも前の時点で、なぜアヌシーがオリンピックを開催するのか、どのような点を評価してIOC委員はアヌシーに投票するのか、という問いに明確な答えを用意できなかったことだ。こうした肝心な点を抑えずして、勝利することは不可能だ。

(フランスの繰り返される敗退から学ぶべきことは?)

もしアヌシーが落選した場合、肝心なのはその得票数だ。第1回投票であれ、第2回投票であれ、もし20票以下の得票数で敗退した場合、それは明確な敗北だ。パリが1992年、2008年、2012年を目指して敗れ、リールが2004年を狙ったが残念な結果に終わった。アヌシーは、それに引き続く敗北となる。これまでの落選においても、2008年を除いてはまずまずの好印象を与えることに成功はしていた。アヌシーは過去の失敗に学ぶことができると思われていたし、30票ほどの基礎票に頼ることができるものと思われていた。もし得票が基礎票に届かない場合、それは深刻な問題になる。フランスとIOCとの関係を見直さねばならないだろうし、それほどの大敗北の原因を解明する必要に迫られる。

(ミュンヘンとピョンチャン、どちらが有利か?)

ピョンチャンが選ばれなかったら、それこそ驚きだ。何しろ、プレゼンテーション、プロモーション、ロビー活動と、どれをとっても当初から完璧な対応をしてきたのだから。

(ピョンチャンの強みは何か?)

まず、3回連続の立候補ということだ。前の2回はいずれも第1回投票でトップにありながら、第2回目以降の投票で敗れていた。こうしたことから、ピョンチャンはIOC委員の間で知名度が高く、しかも、敗退後、その結果に怒らず、原因をしっかり学んでいたことが、IOC委員たちから高く評価されている。韓国とオリンピック関係者の間にしっかりした絆が結ばれているのだ。

もうひとつの理由は、サムソンだ。サムソンはIOCをはじめとするスポーツ界の主要スポンサーであり、ピョンチャン誘致活動に主要な役割を担っている。サムソンのお陰で1憶2,000万から1億3,000万ユーロ(約150億円)の活動資金があり、この予算はミュンヘンの2倍、アヌシーの4~5倍に達している。

また、冬季オリンピックの開催地選定には、経済的、地政学的背景が色濃く表れる。2018年の韓国開催はアジアでウィンター・スポーツを盛んにするのに絶好の機会であり、韓国自身、とても有望なマーケットだ。

(ということは、FIFAがカタールを選んだのと同じ背景があるのか?)

その通りだ。FIFA(国際サッカー連盟)にせよIOCにせよ、立候補や開催により新たな市場を開拓したいという意思を持っている。韓国が1981年の夏季オリンピック開催国に選ばれた際には、この国の政治体制を理由に反対する意見もあったが、この大会によってアジアにスポーツを振興させる絶好の機会となった。30年後、同じ課題とテーマだ。

・・・ということで、ピョンチャンの勝因としては、サムソンのサポート、ウィンター・スポーツのアジア・マーケット開拓に関する突破口、3回連続の立候補、IOC委員などオリンピック関係者との良好な関係、積極的・効果的なロビー活動、周到な準備などが挙げられるようです。

一方、アヌシーの敗因は、組織力の欠如、民間資金の活用ができなかったこと、スポーツ関係者の支援を得られなかったこと、そして何よりも、なぜアヌシーなのか、という問いへの答えを見いだせなかったことが挙げられています。

前回、東京が落選した際、確かに、今なぜ東京なのか、というアピールが弱かったのが、大きな敗因だったのではないかと思います。「南米初のオリンピック」には勝てません。ビジネスの面でも、南米初、そしてブラジルで開催されるオリンピックというのは、強いメッセージになっていたのではないでしょうか。

東京は2020年を目指して、再び立候補するようですが、ピョンチャンの例のように、継続は力、なのかもしれないですが、「なぜ東京か」への確かな答えは用意できたのでしょうか。震災からの復興の象徴と言っているようですが、9年後ではちょっと遠すぎやしないでしょうか。しかも、被災地から東京はちょっと距離がある。一部競技を被災地で、と言っても、取ってつけたような配慮にしか受け取られないかもしれません。要は、首長が自らの名を歴史に刻みたいと言う、個人的な理由が、「忍ぶれど、色に出にけり」になっているのではないでしょうか。

歴史に名を残したい・・・首相も都知事も、想いは同じようです。日本の政治、これでいいのでしょうか。でも、選んだのは国民、都民です・・・

「レ・ブルー」はフランス代表。だから、もっと白人選手を!?

2011-05-01 20:43:47 | スポーツ
サッカー・・・ワールド・カップ、欧州選手権、アジア・カップ、チャンピオンズ・リーグ、アジア・チャンピオンズ・リーグ、Jリーグなど各国のリーグ戦。それこそ世界中で愛され、楽しまれているスポーツですね。

イギリスでは、サッカーは庶民のスポーツ。上流階級が楽しむのはラグビー。そんなふうに言われています。そうした階級による違いがほとんどない日本とはいえ、庶民の私は、言うまでもなく、サッカー・ファン。小学生の頃、より正確には東京オリンピックからのサッカー・ファンです。釜本、杉山、松本、八重樫、横山といった選手のプレーぶりを覚えていますし、テレビでは「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組で、世界のプレーを見ることができました。ワールド・カップも1970年のメキシコ大会からテレビで観ています。ペレ、トスタン、ジャンニ・リベラ、マッツォーラ、ファケッティ、ベッケンバウアーなど記憶に残る選手は枚挙にいとまがありません。スタジアムで観戦したのも、エウゼビオ、ジーコ、ソクラテス・・・ワールド・カップではトゥールーズでの日本vsアルゼンチン、大阪での日本vsチュニジア。

しかし、こうした個人的懐旧にふけることが、今日のテーマではありません。ご紹介するのは、フランス・サッカー界のみならずフランス社会に衝撃を与えているニュース・・・フランス・サッカー連盟が育成選手に人種別の人数制限を設けようとしているという、ある情報サイトのスクープです。すわっ、人種差別だ! と、大騒ぎ。

ユニフォームの色から、「レ・ブルー」と呼ばれるフランス代表。しかし、フランス滞在時、「もはやフランス代表はない。あれではアフリカ代表だ。肌の色を見てごらん」という声をしばしば耳にしました。確かに、イレブンの中に白人選手は数人。ゴールキーパー(当時は、リヨンのクぺ選手)だけが白人、といった試合もありました。多くの選手は、サハラ以南のアフリカ、マグレブ諸国、カリブ海の海外県などからの移民・移住者やその子どもたちがほとんどでした。中には、ニューカレドニア出身者やインド系もいました。

フランス代表なら、その名にふさわしくもっと多くの白人選手に活躍してほしい。そこで、サッカーの上手な子どもたちを集め、将来の代表選手を育てようという施設やチームに、人種別の人数制限を設け、白人選手を増やしてはどうか・・・そんな決定がサッカー連盟でなされたらしいということで、大きなニュースになっています。4月29日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

そのニュースにサッカー界は揺れている。4月28日夜、ニュースサイトの“Mediapart”(メディアパート)が、フランス・サッカー連盟(FFF:la Fédération française de football)の首脳陣が各年代における代表チームに人種別の人数制限を設けようとしているようだ、と報道した。

フランス・サッカー界の最高意思決定機関であるFFFが、チームに黒人選手が多すぎる、アラブ人選手が多すぎる、白人選手が少ない、と言っているようなものだ、とメディアパートは非難している。代表チームのブラン監督(Laurent Blanc)を含め、サッカー界の上層部は、今年初め、育成組織や学校において人種別の人数制限導入を公式に決めたようだ。

FFFの複数の情報源によれば、FFFからの人種別人数制限というスキャンダラスな指示は、数週間前、若手選手のトレーニングセンター、特に将来の代表チームを担う可能性のある若手選手を集めた「クレールフォンテーヌ」(Clairefontaineという町にある育成センターの通称で、正式にはl’Institut national français。アンリ、アネルカ、ギャラスらを輩出。JFAアカデミー福島のモデルとなった施設)に伝えられた。その指示はFFFの技術委員会から出されたもので、エリート育成される有望な若手選手に占めるアフリカやマグレブ諸国出身者の割合を30%に抑えるというものだ。

クレールフォンテーヌの前センター長、アンドレ・ムレル氏(André Merelle)はラジオ局“RMC”の番組で、このテーマは以前からあったことを認めつつ、「ジェラール・ウリエ(Gérard Houllier:1988-92に代表チームの助監督、1992-93に代表監督、1994-96に18歳以下代表監督、1996-97に20歳以下代表監督。現在はイングランド・プレミア・リーグ、アストン・ヴィラの監督)が監督だった頃だ。人数制限について明確に話されたわけではないが、代表を選ぶ際に選手の出自が考慮された。フランソワ・ブラカール(François Blaquart:センターの技術委員長)など指導部にとっては、アフリカ出身の選手が多すぎると思えたのだろう。私自身は、非力な白人選手に比べ、なぜアフリカ系の選手が代表チームに多くいるのか、それは良く分からない。しかし、明らかな現実は受け入れざるを得ない。優れた選手は、郊外出身者に多いのだ」と述べている。

メディアパートの非難に対し、FFFはすかさず反応した。フェルナン・デュショソワ(Fernand Duchaussoy)会長は、この情報に驚き、ショックを受けていると語るとともに、「こうしたことが話されるのを聞いたことがない。本当に驚いている。こうしたことが起きるとはまったく異常なことだ。自分が知っていたら、決して認めはしないだろう。事実は事実としてあるが、人数制限など考えてもいない」と述べている。

代表監督のロラン・ブランもこうした措置を認めたという報道を否定し、メディアパートの批判は非難されるべきものだと語っている。ブラン監督の広報担当、フィリップ・トゥルノン(Philippe Tournon)は、「人種や肌の色に基づく選手選考を認めたという報道を、ブラン監督は公式に否定した。こうした考えは彼の人生哲学に反するものであり、ロラン・ブランはいかなる人種差別にも反対している」と述べている。

フィリップ・トゥルノンによれば、「ブラン監督は二重国籍の選手に関する問題に取り組んでいる。二重国籍の選手は、若いころフランスの育成システムで鍛えられるが、その後自らのルーツのある国の代表選手になってしまう。こうした事実を『黒人選手が多すぎる、アラブ人選手が多すぎる』という見出しの記事と重ねれば、めまいを起こしてしまうほどだ」ということになる。20歳以下代表チームのフランシス・スメレッキ監督(Francis Smerecki)も同じく二重国籍選手の問題を取り上げ、「この問題は目新しいものではない。FFFでも検討されてきた課題で、若手選手を育成しても、その中の一定部分の選手はフランス代表の一員になろうとしない」と語っている。

スポーツ大臣のシャンタル・ジュアノ(Chantal Jouanno)は『ル・モンド』のインタビューに答えて、「人種に基づく選手制限など信じたくはない。現在は、まだ噂の段階であり、詳細な情報を入手するまではFFFへの処分は検討できない。この事件に関わるすべての事を明白にするため、青少年とスポーツに関する調査を命じた。事実が明白になれば、処分が科されることもありえる」と述べた。メディアパートが伝えた内容は4月29日に行われるFFF評議会の議題に加えられ、会議の後、フランソワ・ブラカールが記者会見を行うことになっている。

・・・ということなのですが、真相はどういう形で白日の下にさらされることになるのでしょうか。人種別人数制限を主導したといわれるフランソワ・ブラカールが停職処分になったという報道もあります。

「フランス代表ではなく、アフリカ代表だ」というファンの声。アフリカ、中近東、アジア出身の選手への心ないファンのヤジやチャント・・・サッカー界ではしばしば人種差別が問題になっています。しかも今や、極右台頭の時代。サッカー・スタジアムから外国人選手を排斥する気運を後押ししています。

移民と接することの多い庶民階級ゆえ、反移民感情も高ぶるのでしょうか。それとも、上流階級ほどに感情を上手に隠せないだけなのでしょうか。いずれにせよ、庶民階級のスポーツ、サッカーで人種差別的動きが目立っています。明日の世界を予言しているのでなければよいのですが・・・

全仏は、やっぱり、ローラン・ギャロスでなくちゃね!?

2011-02-18 20:54:49 | スポーツ
テニスのグランド・スラム(le Grand Chelem)のひとつ、全仏オープン(les Internationaux de France, le Tournoi de Roland-Garros)は、毎年5月末から6月初めにかけて、パリ16区、ブローニュの森にあるローラン・ギャロス(le stade de Roland-Garros)で行われています。4大トーナメントでは唯一のクレー・コート。24面あり、センターコートは1万人収容のスタジアム。1928年からここが世界のトップ・プレーヤーが栄冠をめざして死闘を繰り広げる舞台になっています。

ローラン・ギャロスの名は、1913年に初めて地中海横断飛行に成功した飛行家にして第一次大戦の名だたるパイロットだったローラン・ギャロに因んでいます。30歳の誕生日を翌日に控えた日に戦死したこの稀代な飛行機乗りに因んだ名前のせいか、手に汗握る接戦や、大番狂わせがよく起き、その赤いクレー・コートの印象も相俟って、「赤土には気まぐれな神が棲んでいる」と言われるようですが、「赤土」を「フランス」に置き換えるべきなのではないか・・・などと余計なことを考えてしまいます。

さて、そのローラン・ギャロス競技場ですが、4大大会の中で最も狭い会場で、さまざまな場所で混雑が見られ、不評を買っていました。そこで、より広い場所での開催を、という声が上がり、2016年大会以降の会場の移転、あるいはローラン・ギャロスの拡張、という方向で立候補とプレゼンテーション、投票が行われました。まるでサッカーのワールドカップ開催国を決めるようなプロセスですが、結果は日本でも報道されていたように、ローラン・ギャロスを拡充することになり、2016年以降も今まで通り全仏オープンはブローニュの森で開催されることになりました。

この決定の舞台裏を、13日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

2016年からも全仏オープンはローラン・ギャロスで行われることになった、という13日朝の発表を受けて、さまざまな反応が伝わっている。立候補した4都市のうち、ゴネス市(Gonesse)が最も落胆したようだ。市長の代理人は、憤懣やるかたないといった風情で、次のように語っている。ゴネス市はパリの北郊にあり、近隣のサン・ドニ市がスタッド・ドゥ・フランス(le Stade de France:サッカーのフランス代表の試合などが行われる競技場)の誘致に成功したように、全仏オープンの会場を誘致したかったのだが、そうはいかなかった。フランスのテニス界は、いまだに貴族主義、エリート主義で会場を選んだのだ。

さらに続けて・・・ローラン・ギャロスはグランド・スラムでは相変わらず最も狭い会場のままで、フランス・テニス界にとっても、パリ首都圏(パリ市周辺)にとっても、21世紀のふさわしい会場を手にする機会を逸した。しかし私は、今回の決定に驚きはしないし、がっかりもしていない。なぜなら、ゴネス市が会場に選ばれるだろとは思っていなかったからだ。1年前、パリ市(ローラン・ギャロス)の提案はフランス・テニス連盟(FFT:la Fédération française de tennis)を満足させることができなかった。しかし、われわれの立候補を受けて、テニス連盟はパリ市にプレッシャーをかけ、最終段階でパリ市が譲歩し、テニス協会の納得できる案を提示したことにより、パリ市(ローラン・ギャロス)が選ばれたのだ。

一方、フランス・テニス連盟のジャン・ガシャサン会長(Jean Gachassin)は、テニス連盟の委員たちは勇敢な、そして立派な選択を行ったと自画自賛。ローラン・ギャロスを支持しつつ、次のように述べている。とても勇気のいる、決断力に富んだ、立派な決定だ。ローラン・ギャロスは、今回の決定により、これからも大会の巨大化という世界の流れの中で、他のグランド・スラムとは異なる、輝かしい大会として存続することになる。

フランス・テニス連盟の195名の委員が、パリ(ローラン・ギャロス)、ヴェルサイユ(Versailles:パリの南西郊外)、マルヌ・ラ・ヴァレ(Marne-la-Vallée:パリの東郊外)、ゴネス(Gonesse:パリの北郊外)の4候補地の中からローラン・ギャロスを選んだわけだが、ガシャサン会長はさらに続けて、フランス・テニス連盟は他のグランド・スラムと一線を画する個性ある大会というプロジェクトを選んだのだ。将来を見据えながらも、われわれの価値を守るという、画期的な選択だった。

拡充された後でも、ローラン・ギャロスは8.5ヘクタールが13.5ヘクタールに広がるだけで、4大大会で最も狭い会場であることに変わりはない。しかし、ローラン・ギャロスを選んだことについて、ガシャサン会長は、説明を続ける。全仏オープンの強烈な印象、世界的な輝きは、この大会がパリで行われているからだ。もしこのことを考慮に入れなければ、より広い会場を選んでいたかもしれない。実際、いったんはヴェルサイユに心動かされたのだが、最終的には、パリの提案が4候補地の中で最も素晴らしいものだった。

政界からも、賛否両論の声が上がっている。与党・UMP(国民連合)からは、Jean-François Lamour(下院議員兼パリ市議会議員・市議会UMP幹事長)とClaude Goasguen(下院議員兼パリ16区区長)の両名が、ローラン・ギャロスを支持したフランス・テニス連盟の決定を歓迎している。パリ市、16区とともに今回の決定を喜びたい。世界規模の全仏オープンが行われることにより、スポーツの世界でも、また経済的にも恩恵に浴することになる。こう述べるとともに、パリ市での開催を守るために、数週間前から、力添えしたことを明らかにしている。特に、ローラン・ギャロス周辺でのスポーツ施設の整備、例えば、ポルト・ドトゥーイユ(la Porte d’Auteuil)での体育館の建設、エベール(Hébert)での学生用陸上トラックの維持などによって、スポーツ環境を整備し、ローラン・ギャロスにスポーツの中心としての価値を与えた。

一方、欧州環境緑の党(l’Europe-écologie les Verts)のYves Contassot(パリ市会議員)は、フランス・テニス連盟はオトゥーイユの植物園(le jardin des serres d’Auteuil)を潰すかもしれないというパリ市のローラン・ギャロス拡充案に屈したのだ。その決定は、一部には嘘が混じる保守的な考えによるものだ。ローラン・ギャロスはパリ市の一部であり、全仏オープンの恩恵を周辺のイル・ド・フランス地方と分かち合うことを拒否したようなものだ。法的にしろ、財政的にしろ、環境面からも、パリを選んだことにより、多くの困難な障害が待ち構えていることを思い知ることになるであろう。

・・・ということなのですが、ゴネス市の言う通り、テニス界はまだ貴族趣味、エリート意識が強いのかもしれないですね。テニスは生活にある程度ゆとりのある人のスポーツというわけです。従って、パリ16区のローラン・ギャロス、次に心動かされたのがヴェルサイユ。どちらも富裕層が住むシックな地域。一方、パリ北郊は移民が多く住む地域。サッカーは庶民のスポーツなので、スタッド・ドゥ・フランスはサン・ドニで良かったのでしょうが、テニスはそうはいかない。パリの北郊はどう見てもおしゃれなカルティエではないですからね。そうした地域をテニス界が大きく変えてみせる・・・というふうには考えないようです。確かに、犯罪とかを考えれば、来場者のためにもより安全でおしゃれな地域で、となるのは否めません。

そして、スポーツとカネと政治。どうも、いつも三点セットになっているようですね。全仏オープンでも。選挙区の利益のために、政治家が動く。選挙民への利益誘導。そこでは、当然、お金も動いていることでしょう。良い悪いは別に、これが現実。これが現代人の姿なのでしょうね。

せめて、勝負の世界では、真剣勝負を期待したいものですが、八百長や買収が多くの国で問題視されています。日本の相撲界は言うに及ばず、中国のサッカー界、イタリアのカルチョ(サッカー:あのユベントスが数年前、2部落ちしました)・・・また、選手たちのドーピング(ツール・ド・フランスでもいつも問題になっています)。

古代ローマ時代から、「パンとサーカス」と言われてきました。食糧と娯楽さえ与えておけば、市民は政治から目をそらし、抵抗することもない。愚民化政策ですね。しかし、いまや、需要の拡大と投機マネーの流入で食糧が値上がりしている(コーヒーの値上げが大きく報道されていますが、小麦や綿花をはじめ多くの農産品が値上がりしています)。そして、娯楽は金まみれで、無心になって楽しめなくなってきている。これでは、いくら「愚民」でも、政治に関心を持たざるを得なくなるのではないでしょうか。

それとも、まだ我慢の範囲なのでしょうか。

ワールドカップ開催国決定、その泣き笑い。

2010-12-03 21:22:27 | スポーツ
2018年と2022年のFIFAワールドカップの開催国が2日(日本時間3日)、決定されました。ご存知のように、2018年はロシア、2022年の開催はカタールに。日本も当初は2018年と2022年、最終的には2022年のホスト国に立候補していた当事国ですから、結果は多くのメディアが伝えています。

当事国ではないものの、サッカー・ファンの多いフランスは結果をどう伝えているのでしょうか。2日の『ル・モンド』(電子版)によると・・・

まずは概略を紹介する記事。2日、チューリッヒにおけるFIFA理事会で、22人の理事による無記名投票により2大会の開催国が決まった。18年のロシアは2回目の投票で簡単に決まったが、22年のカタールは4回目、アメリカとの決戦投票にもつれ込む接戦となった。

FIFAは両大会とも初めてホスト国となる国を選んだが、両国ともに政府主導のもと、各種のスポーツ・イベントに力を入れている。ロシアは、2014年のソチ・オリンピックを誘致した時と同じように、プーチン首相がかなり深く関わった。一方のカタールは、リオデジャネイロに敗れはしたものの2016年のオリンピックに立候補するなど、国際的な知名度アップのために潤沢なオイル・マネーを注ぎ込んでいる。今回の提案も実現すれば750億ユーロ(約8兆2,500億円)以上の予算規模となっている。

勝者の陰には敗者がいる。2018年大会では、イングランド、ポルトガル・スペイン(共催)、ベルギー・オランダ(共催)、2022年大会はアメリカ、オーストラリア、韓国、日本がそれぞれ涙をのんだ。韓国と日本は開催したばかり(2002年)であり、ベルギー・オランダは提案が十分なものではなく、事前の予想では優勢と見られていたイングランドとアメリカは何が欠けていたのか自問しなくてはならない。

今回、FIFAは初めて2大会の開催国を同時に決めたが、さまざまな疑惑に囲まれての投票となった。サンデー・タイムス(Sunday Times)によるおとり捜査によって、二人の理事(一人は副会長)が投票と引き換えに賄賂を受け取ろうとしたことが発覚。それ以降、BBCなど多くのメディアによってその金まみれの体質が追及されてきた。

サンデー・タイムズもBBCもイギリスのメディア。FIFAの暗部をえぐろうとするこうした報道がイングランドへの投票を阻害しなかったとは言い切れない。その提案の素晴らしさにもかかわらず、イングランドは1回目の投票でわずか2票しか得られず、敗退。まさに屈辱である・・・

そうなんですね、サッカーの母国、サッカー発祥の地・イングランドが、1966年大会以来52年ぶり2回目の開催へ満を持して立候補。早くから有力視され、最終プレゼンテーションにもキャメロン首相、ウィリアム王子、ベッカムなど錚々たる顔ぶれが並びました。それでも、自国出身の理事を含めて2票しか得られなかった。イギリス・メディアによるFIFAの金権体質追求が影響しなかったとは決して言えないと思います。

逆に言えば、ここまで露骨に自分たちの既得権益を守ろうとするFIFAの理事たち! やはり、金まみれ体質は事実だったのだということを自ら証明しているようなものなのではないでしょうか。表面上は、サッカーのさらなる発展のために、旧ソ連・東欧、中近東へ新たにワールドカップの扉を開いた、ということなのでしょうが、実際には、豊富なオイル・マネー、天然ガス・マネーを活用した2カ国に決定。その資金が単に開催費用としてだけ使われ、投票権を持つFIFA理事たちへの個人的アプローチには使われなかったとは断言できないのではないでしょうか。以前ご紹介した『黒い輪―権力・金・クスリ オリンピックの内幕』という本でも、IOC、国際陸連と並んでFIFAもその金権体質が批判されていました。“first come, first served”ではなく、“more paid, first served”・・・

もう一つの記事は、カタールにスポットを当てています。ペルシャ湾岸のこの小さな国は、最も特徴ある提案をした。自然環境の不利を解決する野心的なものだった。

実際、カタールはサッカーの強国ではないし、国際的なスポーツ・イベントも、2006年のアジア大会程度しか開催した経験がない。しかも、夏には45度を超えるほどの酷暑になる。この暑さの中で、どうやってサッカーをやるのか・・・カタールは、太陽光発電による電気で、スタジアム全体、そしてその周辺も含めて快適な環境を作り出すと確約。またスポーツ・イベントの実績づくりとしては、2011年にサッカーのアジア・カップを開催することになっている。

4~5万人収容するスタジアムを12造ることになるが、大会終了後には解体して競技施設の不足する国々へ移設できる構造にするという。また、狭い国土ゆえ、会場から会場への移動は1時間以内で済むという利点もある。

競技場だけでなく、交通機関や宿泊施設の建設にも巨額な予算が必要になるが、カタールの場合、全く心配はない。潤沢なオイル・マネーがあり、目が眩むようなことがいとも簡単に行える国なのだ。スポーツにおいても自らのステイタスを上げるため、その豊富な資金を惜しみなく使っている。オリンピック誘致の失敗を繰り返さないために、ワールドカップ誘致では招致大使にあのジダン(Zinedine Zidane)を起用するなど周到な準備をした。もちろん、ジダンには巨額な報酬が払われることになる。100万ユーロ(約1億1,000万円)と言われている・・・

実際、ジダンに支払われる成功報酬は、上記の10倍という噂があります。ジダンは両親がアルジェリア出身のイスラム教徒。その縁からカタールの招致大使になったのでしょうが、見事成功。資金と有名人がそろえば、怖いものなし、でしょうか。

一方、日本はどうして立候補したのでしょうか。初めは2018年と2022年両方に立候補していました。韓国との共催とはいえ、2002年に開催したばかり。なかなかそう簡単に順番が回ってこないことは容易に分かりそうなものなのに、どうして16年後に再びと急いだのでしょうか・・・自分の生きているうちに、どうしてももう一度、日本で開催されるワールドカップを見たい、それも次は共催ではなく単独開催で。そんな声が蹴球協会の上の方から聞こえてきたのでしょうか。それとも単純にアジアの順番になりそうだということで、立候補しただけなのでしょうか。

日本の立候補を聞いて、韓国もすぐに手を上げました。こちらはあわよくば開催国に、悪くても日本に単独開催で先んじられることを防ごう、ということだったのではないかと思います。そういえば、フランス政界でも、ド・ヴィルパン氏が自分の党を立ち上げ、サルコジ批判を強めているのは、12年の大統領選挙に立候補し、あわよくば当選を、最低でもサルコジ大統領の再選を妨げようとしているからだとも言われています。似た状況だったのかもしれないですね。

テレビ視聴者数ではオリンピックを超えるという、スポーツ界最大のイベント、FIFAワールドカップ。それだけに、その舞台裏ではさまざまなドラマが繰り広げられているようです。

ワールド・カップは、マネー・カップだった。

2010-10-20 19:44:07 | スポーツ
華麗なパスサッカーで魅せたスペインが優勝し、しかも日本代表がベスト16に進出したため、大いに盛り上がったワールドカップ南アフリカ大会。次回は2014年のブラジル大会。ザック・ジャパンがどんな戦いを見せるのか、今から楽しみですが、日本はその先、2022年大会の誘致に乗り出しています。

もちろん、競合相手がいて、韓国、カタール、オーストラリアという同じAFC(アジアサッカー連盟)所属の3カ国と、アメリカ。初めての開催を目指すオーストラリアが、国際的なスポーツ大会開催の実績、競技レベル、インフラなどの点も含めて優位かと思われますが、南アフリカ、ブラジルと南半球での開催が続くことがどう影響するか、またカタールのオイル・マネーも侮れず、日本も含めて5カ国の激戦が予想されます。12月2日にスイスのチューリッヒで行われる理事会で決定される予定ですが、この日には、2018年大会のホスト国も決定されます。こちらには、イングランド、ロシア、スペイン・ポルトガルの共催、ベルギー・オランダの共催、というUEFA(欧州サッカー連盟)所属の4候補があり、こちらも大激戦。

2018年、2022年ともに激戦だけに事前運動が活発に。「夏には豪州協会関係者がFIFAの幹部に真珠やネックレスなど高価な品物を贈った問題が地元紙に報じられた。イングランドでは、スペインが招致からの撤退を取引材料にW杯南アフリカ大会での審判員買収をロシアに持ちかけたと発言し、招致委会長が辞任に追い込まれてもいる」(18日:産経)といった騒動がありましたが、ついに、やはり、というべき「マネー」絡みの事件が起きてしまいました。

日本のマスコミも伝えていますが、『ル・モンド』も17日、18日、二日連続で詳細を伝えています。

事の発端は、英紙『サンデー・タイムス』が「ワールド・カップ、その票売り出し中」(仏語訳:Coupe du monde : des votes à vendre)というタイトルの記事を掲載したこと。その内容は・・・

『サンデー・タイムス』紙の記者が、アメリカの誘致活動を支援するロビイストになりすまし、FIFAの委員に接触したところ、理事一人と副会長一人が、アメリカへの投票と引き換えに金銭を要求した。証拠としてその映像まである!

おとり取材に引っかかって金銭を要求したという二人は、ナイジェリア出身のアダム理事(Amos Adamu)とタヒチ出身のテマリイ(Reynald Temarii)副会長。アダム理事は57万ユーロ(約6,500万円)を要求。FIFAの副会長であり、OCF(オセアニアサッカー連盟)の会長でもあるテマリイ氏は、160万ユーロ(約1億8,000万円)をスポーツ・アカデミー建設のために要求するとともに、すでに2候補がOCFに何らかの金銭を支払い済みであると漏らしたそうです。

この記事が出るや否や、FIFAのゼップ・ブラッター会長(Sepp Blatter)は、この好ましからざる状況に際し、徹底した調査を命じるとともに、委員たちにこの件に関しては意見を公にしないよう要請しました。

記事で指摘された2委員に関しては、倫理委員会が取りうるすべての手段を講じて事実を明らかにするとともに、おとり取材のターゲットになったと言われる他の委員に対しても調査を開始。また、今回の件に関連した委員を輩出している各連盟とそこに所属する18年・22年大会への候補国に対しても、不正な活動がなかったか調べることになりました。

莫大なマネーが動くと言われているワールドカップとFIFA。ベールに包まれてきた闇の部分をどこまで明らかにすることができるのでしょうか。どこまでの自浄作用が期待できるのでしょうか・・・

かつて『黒い輪 権力・金・クスリ―オリンピックの内幕』(原題:The Lords of the Rings)という本が出版されていました。タイトルから分かるように、オリンピックの五つの輪は、権力、金、ドーピングにまみれた黒い輪だ、という内容の本なのですが、国際オリンピック委員会(IOC)のみならず、国際サッカー連盟(FIFA)、国際陸上競技連盟(IAAF)も同じような状況にあると書かれていたと記憶しています。出版された1992年当時、IOCはサマランチ(スペイン)、FIFAはアヴェランジェ(ブラジル)、IAAFはネビオロ(イタリア)という会長がトップの座に長く君臨し、ラテンの三悪人とも呼ばれていました。スポーツ・マーケティングをめぐる「マネー」。日本の「政治とカネ」以上に規模も大きく、根が深いのかもしれません。せめて選手たちがこうした動きに巻き込まれず、素晴らしいプレーで「金メダル」・「優勝」を目指してほしいと願っています。

レ・ブルー、確かな一歩。監督、確かな手腕。

2010-10-11 20:19:09 | スポーツ
先のワールドカップ南アフリカ大会では、散々な結果に終わったサッカー・フランス代表“Les Bleus”(レ・ブルー:ユニフォームの色に由来)。大会後、監督を交代し、新たなチーム作りに着手しました。その結果は・・・

クラブの監督が“entarîneurs”(訓練者)と呼ばれるのに対し、代表チームの監督は“sélectionneurs”(選択者)。この違いが明確にしているように、選手をしっかり鍛えるのは各クラブ。代表チームでは選手が集まって練習する時間が限られていますから、監督の戦術にあった選手、調子のいい選手を選んで戦うことになります。従って、新監督の選手選び、戦術の徹底には少し時間がかかります。その期間は、ファンも辛抱が必要なのですが、分かっていてもなかなか難しい。ブーイングのひとつも、浴びせたくなってしまうのがファン心理。

新たにレ・ブルーの監督になったロラン・ブラン(Laurent Blanc)にとっても、出だしはいわば五里霧中。選手起用もまだ手探り状態でした。練習試合に負け、ユーロ2012(欧州選手権)予選の初戦、対ベラルーシ戦でも黒星。しかも、ホーム、スタッド・ド・フランス(Stade de France)での敗戦。ファンからはブーイングを浴び、ドメネク前監督時代からの流れで、スタッド・ド・フランスではレ・ブルーは勝てないというジンクスがささやかれ始めました。

しかし、ここからブラン監督の手腕が発揮されだします。現役時代は、1998年ワールドカップ優勝、2000年ユーロ優勝という輝かしい実績を持つ代表チームの中心選手の一人。ディフェンスの選手でしたが、もともと中盤の選手だったため、攻撃参加にも積極的で、得点もディフェンダーとしては多くあげています。所属チームも、モンペリエ、マルセイユといった国内チームだけではなく、ナポリ、インテル、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドという各国の名門チームで活躍。さまざまなサッカー・スタイル、戦術を身をもって学んだのでしょう。引退後、ボルドーの監督になるや、いきなりチームを国内リーグで2位に導き、2年目にはついに優勝。チャンピオンズ・リーグでもベスト8に。名将の誉れ高い監督になり、チームを3年率いた後、レ・ブルーの監督に。

ユーロ予選・初戦の黒星から4日後、アウェーでのボスニア・ヘルツェゴビナ戦を2―0で勝利。そして、1カ月後の今月9日、3戦目は、スタッド・ド・フランスでのルーマニア戦。ホームでは勝てないというジンクスを打ち破れるか・・・見事2―0で勝利。6カ国がホーム&アウェーで戦う予選、3試合終了時点で、グループの首位に。その試合後のブラン監督のインタビューが、10日の『ル・モンド』(電子版)で紹介されています。

「今週の練習と今日の結果、そして選んだ23人の選手には満足している。レ・ブルーで何かが生まれようとしている。今のチーム・スピリットを大切にしたい。今後も困難な時期を迎えるかもしれないが、今は勝利の余韻に浸りたい。」

代表に選んだ選手は23人。そのうち試合当日ベンチに入れるのは、18人。そして先発は11人。途中交代が3人まで。選手たちについては、「誰もが今週の練習に真剣に取り組んだ。そのプレーのクオリティを見れば、誰が先発してもおかしくはなかった。従って、ベンチ入りから外す5人を決めるのは非常に難しかった。また、試合は14人で行うものだ。途中交代で退場した選手もよくやったし、そのプレーは交代で入った選手にもいい影響を与えた。」

確かに、2得点は、後半途中で交代出場したレミー(Rémy)、グルキュフ(Gourcuff)の2選手が最後の10分に決めたもの。しかも、グルキュフの得点をアシストしたのも、途中交代で入ったパイエット(Payet)。選手交代が見事に的中。試合は14人でやるんだということ、そしてなにより、ローラン・ブランの監督としての手腕を見事に立証しました。

キャプテンを務めたディアラ(Alou Diarra)は、「みんなが長い間この勝利を待っていた。ようやくクオリティを発揮し始めたところだ。だが、まだ何も成し遂げてはいない。今日のような規律と真摯さをこれからも維持していかなければならない。世界の強豪に再び加わるには、そうすることが必要だ。勝利を積み重ねていくことが大切で、過去の栄光に胡坐をかいていてはいけない。予選2試合を連勝したことで、モラルも順位も上がった。チーム精神のお蔭だ」と言っています。

新聞各紙も、これでようやく最近のごたごたに背を向けて、レ・ブルーが新たな一歩を踏み出した。これもローラン・ブランの監督としての手腕のなせるところだ。勝利の方程式を手に入れたようなもので、これからの活躍が楽しみだ、とこぞって絶賛。過去数年のふがいない成績やチーム状態を忘れ、ようやく溜飲を下げたようです。

次の試合は、12日のルクセンブルク戦。この試合で勝ち点3をあげれば、予選の次の試合は、来年3月26日。それまでの長い間、グループ首位の座に間違いなく座り続けられる。サッカー・ファンは熱い心で、この冬を過ごすことができる・・・

そして、我らが日本代表も確かな一歩を踏み出しましたね。ザック・ジャパン。久々にサッカーらしいサッカーを見せてくれました。サッカーは点を多く取ったチームが勝つスポーツ、横パスやバックパスをどれだけ繋いでも、点が入らなければ勝てない、ということを改めて証明してくれました。12日の韓国戦でも、ぜひ攻撃的なサッカーを見せてほしいものです。そして、サッカーでは監督の手腕がいかに大きな影響力をもつか、ということをフランス代表、日本代表が改めて物語ってくれているようです。

アヌシーの夢、アヌシ―の抗議。

2010-10-05 19:50:35 | スポーツ
ローヌ・アルプ地方、オート・サヴォワ県の中心地、アヌシ―(Annecy)。フランス東南部、アルプスに近く、ジュネーブとシャンベリーの間にある、人口5万ほどの歴史ある都市です。パリからはTGVで3時間半ほど。風光明美な自然、そしてウィンター・スポーツを存分に楽しめる施設、ということで、語学留学先としても人気がありますね。

この町が抱いて夢とは・・・2018年の冬季オリンピック(Jeux Olympiques d’hiver)を誘致することです。今まで、フランスは冬季オリンピックを3度、開催しています。1924年のシャモニー、68年のグルノーブル、そして92年のアルベールビル。特にグルノーブル・オリンピックは、その記録映画『白い恋人たち』(“13 jours en France”)で、今も多くの方の記憶に残っているのではないでしょうか。監督は『男と女』でも有名なクロード・ルルーシュ。そして、すぐ蘇ってくるフランシス・レイ作曲のテーマ曲。

しかも、競技面でも、ジャン=クロード・キリー(Jean-Claude Killy)がアルペンの3冠王に。フランス国内はもちろん、世界中で大きな話題となりました。

あの興奮を再び・・・という夢を抱いて、アヌシーが18年の開催地に立候補したのですが、もちろん、競争相手がいます。ドイツのミュンヘン、そして韓国の平昌(Pyeongchang)。アヌシーは選ばれるでしょうか。競争相手は、それぞれ手ごわいですね。

今までの開催した回数と獲得したメダルの数を国ごとに見てみると、面白い結果になります。

<冬季オリンピックの開催回数>
・4回:アメリカ
・3回:フランス
・2回:日本、イタリア、スイス、オーストリア、ノルウェー、カナダ
・1回:ドイツ、ユーゴスラビア、ロシア(2014年の次回大会)

<冬季オリンピックで獲得したメダル数>
・ノルウェー(303)・アメリカ(253)・オーストリア(201)・ソ連(194)・ドイツ(190)・・フィンランド(156)・カナダ(145)・スウェーデン(129)・スイス(127)・イタリア(106)

これら10カ国だけが100個以上のメダルを獲得しています。フランスは・・・94個でこれら10カ国に次いでいます。メダル獲得数では11位ですが、開催回数ではすでに3度の2位。4度目の開催、どうでしょうか・・・

その点、ドイツのミュンヘンは有利。ドイツは戦前(1936年)に1度開催しただけですが、競技面では実績十分。ぜひ、戦後初の冬季オリンピックを、という立候補理由は、説得力を持ちますよね。

また韓国は、アジアで2カ国目の開催を! スケートのショート・トラックを中心に、すでに45個のメダルを獲得し、アジアではトップの座に(2位は中国で44個、日本は3位で37個)。しかも、キム・ヨナ選手のフィギュアの金も記憶に新しいですね。さらに、日本以外のアジアの国々にも、スケート以外のウィンター・スポーツを広めたいというIOC側のマーケティング上の目論見もあるでしょう。

というわけで、アヌシーの夢実現には、強敵が立ちはだかっているのですが、今度はなんと、足元にも障壁が・・・9月25日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

600人を集めた開催反対のデモが行われた! デモを呼び掛けたのは、反オリンピック委員会(le comité anti-olympique:CAO)。環境保護団体、左派の政治グループ、農業団体などを中心とした委員会で、40台のトラクターを先頭に、600名が続くデモを実施したそうです。

反対理由は、オリンピック競技施設の新設・拡充により、ただでさえ減少している貴重な自然が破壊されてしまう! 山のリゾート地にこれ以上の設備は要らない! そして、横断幕に曰く、「コンクリートか、農民の生活か」・・・

コンクリートから人へ、という我が国・民主党の政策は、どうなってしまったのでしょうね。

さて、さて、オリンピック開催にあたっては、近年つねに環境保護との両立が大きな課題となっていますが、アヌシーも例外ではないようです。環境を守るべきか、オリンピック開催による経済の活性化や雇用の改善を選ぶべきか・・・日本でなら、どこかの研究所が経済波及効果はどれくらい、とすぐ算盤をはじいているところでしょうが、フランスでは公表されているのかどうか、この記事には出ていません。短期的には経済効果も大きいのでしょうが、長期的に見た場合はどうなのか。オリンピック開催を自分の実績として歴史に残したいとか、自分の任期中だけでも経済が活性すればそれでいい、というような首長でしたら、何が何でも開催へ向けて努力をするでしょうが、環境にも目配せできるような人なら、どうでしょうか、開催にこだわるでしょうか・・・

提案書の修正をIOCから指示されたアヌシー。冬季オリンピック開催という夢は、実現するのでしょうか。決定は、来年7月6日のIOC総会でなされます。