ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

首相 vs 幹事長、与党分裂へのプレリュードか?

2011-03-31 21:04:21 | 政治
音楽でプレリュード(le prélude)と言えば、フランスの作曲家ならラヴェルやドビュッシーなどの名曲が耳元に甦ってきますが、政治の世界ではまさに嵐の前触れです。今、フランス政界で政党分裂の始まりではないかとさえ言われているのが、与党・UMP(l’Union pour un mouvement populaire:国民運動連合)の党内対立。それも、幹事長と首相の対立です。

政権与党と言っても、その中には、保守主義、保守自由主義、自由主義、ゴーリズム(シャルル・ド・ゴール元大統領の体現していたフランスの独自性・いわゆる大きな政府という政治姿勢を受け継ぐ派)、中道右派などさまざまなグループがあり、意見の違いは出やすいのでしょうが、今回は何しろ「幹事長」対「首相」ですから、大きな騒ぎとなっています。

幹事長はジャン=フランソワ・コペ(Jean-François Copé)。外見上は、政策通というより、政局に強そうな政治家に見えますが、パリ政治学院とENAを卒業したエリート。2012年にはサルコジ大統領に再選してもらい、その次の2017年を狙っていると、もっぱらの評判です。一方、首相は言うまでもなく、フランソワ・フィヨン(François Fillon)。大統領選への立候補準備からサルコジ大統領を支え、首相として4年。その温厚な人柄・態度から、大統領をしのぐ支持率で、最近の調査では、右派支持層から次期大統領選に出馬してほしい政治家のトップに推されています。ただし、本人にそこまでの野望があるのか、ないのか・・・

対立の種は、サルコジ大統領の提案。ブルカなど全身を覆う衣装の公共の場で着用禁止が実施に移される4月11日を前に、フランスの国是のひとつでもある政教分離(la laïcité)とイスラムの問題について、具体的な方策を論じる討論を喚起しようというものです。しかし、フィヨン首相は、こうしたテーマでの国民的議論は極右の国民戦線を利することになるだけではないかと、積極的ではありません。一方、サルコジ大統領の跡目を狙うコペ幹事長は大統領の意を汲んで、それ行けどんどん。対立の始まりです。

テレビ番組で幹事長が首相の態度を批判。それに対して、首相側近たちが反撃に出て、与党内で非難の応酬。サルコジ大統領も、冷静になるよう呼びかけましたが・・・さて、どうなっているのでしょうか。29日の『ル・モンド』(電子版)です。

29日朝に行われた与党の朝食会でホットな話題となったのは、前日の夜、コペ幹事長がフィヨン首相の態度を批判したことだ。4月5日に予定されている政教分離(la laïcité)に関する討論を前に、首相の対応が大統領や党の方針に沿っていないという批判だ。

予想されたように、朝食会の席上では、フィヨン首相が幹事長の意見に合わせたようだが、それでも、首相との争いごとをテレビで公表するようなことは慎むべきだ、と首相は述べたようだ。それに対しコペ幹事長は、自説を曲げず、フィヨン首相とはいろいろ話し合ったが、意見の食い違いも埋まってきた。言いたいことを言おうと思っただけだ。小郡選挙(県議会議員選挙)が終わった後であればこそ、忌憚なく言い合えるはずだ。フィヨン首相も、自分に落ち度があったことを認めている。

首相は、同じ29日、非公開の与党議員の集まりで、コペ幹事長との問題は終了した。意見の違いが政教分離での討論に尾を引くことはない、と語っていたと、参加した議員が語っている(内容がマスコミに筒抜けになるようでは、非公開の意味がないですね。どこの国の政界にもスピーカーはいるようです)。

実体がどのようなものであれ、与党にとって党内緊張が高まっている証しだ。サルコジ大統領も29日の朝、朝食会への出席者に冷静になるよう呼びかけた。しかもその前日にも同じように呼びかけていたのだが、ほとんど効き目がない。

職業教育担当大臣であるナディーヌ・モラノ(Nadine Morano)は、29日の昼、テレビ番組で、党分裂に言及しているパント議員やほかのUMP所属議員たちには、あなたたちがやっていることは分裂ごっこでしかない、と言いたいと述べ、平静さを呼び掛けた。

同じ日の朝、フィヨン首相に近いエティエンヌ・パント議員(Etienne Pinte)は、政教分離に関する討論に対し首相と意見を異にするなら、コペ幹事長は辞任すべきだ。早ければ早いほどいい。第五共和制において、党幹事長がこのように激しく野卑な態度で首相を攻撃したことはかつて一度もなかったと、テレビ番組で語っている。

パント議員によれば、責任を取るべきはコペ幹事長だ。なぜなら、こうした状況は、党の制度そのものの問題になるからだ。首相は共和国大統領によって指名されており、もしそうした首相に異を唱えるなら、与党幹事長の職を辞すべきであり、UMPの幕引きにならないためにも、早く辞任すべきだ。イヴリン(Yvelines)選出のパント議員はこう述べている。

ヨーロッパ問題担当大臣のローラン・ヴォキエ(Laurent Wauquiez)は、大統領選を1年後に控える今日、与党の分裂などあってはいけない。特にコペ幹事長は冷静になる必要があると、テレビ取材に答えて述べている。

担当大臣は続けて、連帯を強めなければいけないときに、幹事長が首相を非難するなど、責任放棄に等しい。コペ幹事長は、もともと組織で働くタイプだ。少しでも早く、チーム・スピリットを思い出してほしい。私の知っている限り、首相は政教分離に関する討論を止めようなどとは一度も言っていないと、語っている。

こうした間、元環境相で、党首を務める“Parti radical”(中道右派の政党)所属の議員ともども連立政権から離脱するのではないかと言われているジャン=ルイ・ボルロー(Jean-Louis Borloo)も、ちょっとしたメッセージを発している。ただしコペ幹事長を批判するものではない。コペ幹事長は実直な人間だ。ここ数週間、大統領、首相とともに、微妙な問題に関し党内合意を取り付けなくてはいけないと思っていたはずだ。しかし、何人かの議員たちの態度、必ずしも首相ではなく、その取り巻きたちの態度にうんざりしてしまったのだろう。与党はもう一度しっかりまとまるべきであり、最も大切なことは政府が冷静さを取り戻し、首相は率先して失業問題、雇用の創出、購買力の向上に取り組むべきだ。

・・・ということで、どうも党分裂含みの情勢にあるようです。そういえば、小郡選挙の第1回投票の後も、コペ幹事長とベルトラン労働雇用厚生相(Xavier Bertrand、前UMP総裁)は第2回投票が社会党と国民戦線の戦いになる選挙区では自由投票を呼びかけ、極右への投票も黙認する態度でしたが、フィヨン首相は国民戦線の台頭を抑えるべきだと述べ、社会党への投票も辞さない構えでした。2012年へ向けて極右も抱きこんで右翼票を統合したいという思惑で動くグループと、あくまで共和国精神を守ろうとするグループの戦いがあるようです。

政権与党内での政争・・・日本の場合は、自民党がそうでしたが、どんなに意見が食い違おうと、最終的には「権力の座」が求心力を発揮して、何とか一つにまとまることが多いようです。どうしても与党の立場でいたい。政権与党としての権力や権益を失いたくない。そのためなら、妥協だろうが謝罪だろが、何でもやる。

しかし、フランスの場合は、どうなのでしょうか。自分の主義主張に殉じる覚悟なのでしょうか。それとも、やはり、権力闘争を潜り抜けようやく手にした政権与党の中枢の座、少々のことには目をつむってでも、党分裂は回避するのでしょうか。

UMPが今後どう動くのか、まさに生きた教材になりそうです。

左翼が伸長、極右は議席獲得。さて、2012年は・・・

2011-03-30 20:06:38 | 政治
27日(日曜日)に、小郡選挙(Cantonales)の決選投票が行われました。県議会議員を小郡(le canton)ごとに選出する地方選挙ですが、2012年の大統領選挙の前に行われる最後の選挙であり、国民の投票傾向を見るにはうってつけ。決して過小評価はできませんし、実際フランスのメディアの扱いも大きなものになっています。過小評価の挙句、すべてを「想定外」にしてしまうのは、残念ながら、私たちの社会の得意技なのかもしれません。今までは得意技であった、と過去形になる日が早く来てほしいものです。

さて、その選挙の結果やいかに・・・27日20時55分に書かれた『ル・モンド』の記事が紹介しています。投票が終了したのが20時ですから、終了後1時間も経っていません。何だ、大まかな予想だろうと思うと、大間違い。フランスの選挙結果の予想は実にすばらしい。例えば大統領選挙の決選投票など、夜8時の投票終了と同時に、どちらの候補が得票率○○%で勝ったとテレビ画面に大写しになりますが、当落のみならず、得票率までがほぼその通りになります。片や、開票作業途中での当落予測が外れることさえある、われらが日本。フランスにも嫌な点、おかしな点がたくさんあることは重々承知しているつもりですが、それでもこの選挙結果の予測の精度は素晴らしいと脱帽するしかありません。では、その27日の『ル・モンド』(電子版)です。

左翼陣営は第1回投票での追い風をさらに強いものとした。第2回投票の結果、社会党は58の県で第1党となり、ジュラ県(le Jura)とピレネー・アトランティック県(les Pyrénées-Atlantiques)でもたぶん与党となりそうだ。また、海外のマイヨット県(Mayotte)でも左翼陣営が勝利するようだ。

社会党はさらにロワール県(la Loire)とサヴォワ県(la Savoie)でも勝利を得るかもしれない。この2県に関しては、最終的な帰趨は数名の無所属議員の動向にかかっている。彼らが3月31日の県議会役員選挙でどのような投票を行うか、待たねばならない。

右翼陣営は、IMF専務理事でなおかつ2012年の大統領選挙へ向けて高い支持率を得ている社会党のDSK(Dominique Strauss-Kahn:ドミニク・ストロス=カン)の選挙区、サルセル(Sarcelles)のあるヴァル・ドワーズ県(le Val-d’Oise)を押さえたのが特筆される。全体的に見れば、与党・UMP(国民運動連合)は、フィヨン首相の選挙区、サルト(la Sarthe)など苦戦が予想されていた県で第1党を維持するなど、善戦したと言える。右翼に対しても左翼に対しても、選挙民は現職へ厳しい結果を与えたようだ。

海外県(Guadeloupe、Guyane、Martinique、Mayotte)を除く97の県における数字としては、104の小郡(県議会議員の議席)が左翼から右翼に移り、126議席が右から左に替わった。左翼の10議席が無所属に、右翼の14議席が無所属に、無所属の4議席が左翼に、無所属の11議席が右翼に、無所属の3議席が別の無所属候補へ、左翼の2議席が極右の国民戦線(FN)へ。

投票率は第1回投票同様、低いままだった。棄権率が53%に達した。全国平均の得票率は、内務省の速報によれば、社会党が36%でトップ。続いてUMPが18.6%、国民戦線が11.1%となっている。この数字に関しては、国民戦線が406の小郡にしか候補者を立てなかったということを考慮に入れておく必要がある。

国民戦線の候補者が当選したのは、南東部、地中海に面したヴァール県(Var)のブリニョール(Brignolles)選挙区と、その近くにあるヴォクリューズ県(Vaucluse)のカルパントラス(Carpentras)選挙区。一方、第1回投票の結果から、党首のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)が期待していた他の2選挙区(Hénin-BeaumontとPerpignan)では議席獲得はならなかった(Perpignanで落選したのは、マリーヌ・ルペンの現在のパートナーであり、副党首でもあるLouis Aliotです)。また党として大きな期待を寄せていたマルセイユでは、残念ながら議席を得ることはできなかった。しかし、マリーヌ・ルペンによれば、国民戦線は候補者を立てた選挙区では平均して40%の得票率を得たそうだ。

社会党第一書記のマルティーヌ・オブリー(Martine Aubry)は、「フランスを立て直し、ひとつにまとめていくための全てが、今夜始まる。フランスのために、そしてフランス国民のために、2012年の大統領選挙で我々が勝利を収めるべきだと改めて自覚した」と述べている。彼女は、しかし同時に、投票率の低さや極右への支持が増大したことを考慮に入れ、社会党は謙虚であらねばならないとも語っている。

一方、UMPのコペ幹事長(Jean-François Copé)は、与党にとって少しばかり残念な結果になったことを認めながらも、社会党も期待したほどのけ結果を得ていないと述べている。「社会党は、従来よりも10多い県議会でトップの座を得るという、かつてない大勝利を期待していたようだが、目標をかなり下回っている」と語っている。

政府報道官のフランソワ・バロワン(François Baroin)も、結果に失望している旨を語るとともに、政権へ向けられた国民の声を過小評価すべきではないと述べている。だが、同時に、2012年の大統領選にサルコジ大統領以外の候補者を立てるべきだという常軌を逸した妄想の結果なのかもしれないと述べている。

国民戦線のマリーヌ・ルペン党首は、今回の選挙で国民戦線にかなりの基礎票があることが分かったと述べ、第2回投票では第1回投票よりもさらに得票が伸びたことから、次の大統領選挙や国会議員選挙において国民戦線の候補者が勝利を収めることも十分期待できると、力強く語っている。

主な政治家の選挙結果は、社会党前第一書記のフランソワ・オランド(François Hollande)が中央部、リムザン地域圏のコレーズ県(Corrèze)で第一党の地位を守ったが、大統領側近のUMP、イザベル・バルカニー(Isabelle Balkany)はパリ近郊のルヴァロワ(Levallois)選挙区で敗れ去った。

・・・ということなのですが、28日夜8時のFrance2のニュースによると、左翼陣営全体の得票率が50.23%、右翼陣営が35.56%、極右・国民戦線が11.64%だったそうです。また“Wikipédia”によれば、獲得議席数は、社会党が808議席、左翼合計で1,169議席、UMPが356議席、右翼合計で731議席、国民戦線2議席、中道のModem16議席、その他34議席となっています。

獲得議席は2議席でしたが、得票率で大躍進した極右の国民戦線。UMP(国民運動連合)と社会党という既存の2大政党に飽き足らない国民の一部の票が流れたという分析もありますが、昨年来、サルコジ大統領が喚起してきたフランスのアイデンティティや政教分離(laïcité)に関する論争、そしてロマなど不法滞在外国人の国外追放、ブルカ、ニカブなど全身を覆う衣装の公共の場での着用禁止などといった右翼支持固めの政策が、結果として極右へ流れてしまったとも言われています。過ぎたるは及ばざるがごとし、でしょうか。

既存政党への不満、批判は、どうも多くの国々で見られる現象のようです。閉塞感・・・新たな展望を待ち望んでいる国民の声を、政治家はどう受け止めるのでしょうか。日本では地域政党の躍進が目立っています。4月の統一地方選ではどのような風が吹くのでしょうか。単なる投票率の低さだけで終わってほしくないと思っています。

『ル・モンド』、再び東京電力を叱る。

2011-03-29 20:41:00 | 社会
福島第一原発の事故収束に向けて、ついにフランスに支援を要請したとか、サルコジ大統領が緊急来日するようだとか、原子力に関して日仏間の連携が急に進展し始めています。

フランス側では、ベソン(Eric Besson)産業・エネルギー・デジタル担当大臣が明かしたと報道されており、フランス電力(Eléctricité de France:EDF)、原子力産業複合企業のアレヴァ(Areva)、原子力庁(Commissariat à l’énergie atomique:CEA)などが東電からの要請にこたえて支援に乗り出すものと思われます。

こうした状況を、日本のスポーツ紙などは、「東電“白旗”、仏に泣きついた」と煽っているようですが、東電の今までの対応に関して日本在住のフランス人ジャーナリストはどう見ているのでしょうか。先日、東電の初動対応を叱責していたフィリップ・メスメール氏(Philippe Mesmer)がフィリップ・ポン氏(Philippe Pons)とともに、改めて東電および日本の原子力産業、そして原子力産業を管轄する経済産業省、更には選挙支援の見返りに問題点にメスを入れることのできない民主党政権を糾弾しています。26日の『ル・モンド』(電子版)の記事です。

政府当局はあくまでその影響を過小評価しているが、国民の多くは自らが巻き込まれつつある事の重大さがどの程度になるのか明確には推し量れないものの、次第次第にその危険度に気づき始めている。しかも新聞記事やテレビ番組で紹介される専門家の証言のお陰でぞっとするような背景が隠されていることも分かってきただけに、なおさら日本の国民は不安に駆られている。その背景にあるものとは、原子力に関するロビー団体(le lobby nucléaire)とでも呼ぶべき、強大な権力だ。

財力も権力もあるこのロビー団体の中央に君臨し、原子力行政を司っているのが経済産業省で、その下に、電気事業連合体、原子力安全保安院、東芝・日立を筆頭に原子力発電所建設に携わる民間企業グループ、そして原子力発電所の運用会社などが連なっている。

こうしたいわば運命共同体の民間部門には経済産業省やその外郭団体からの天下り(天下るという動詞:pantoufler)が多く、情報を隠すことにかけては名人級だ。原子力発電はまったく安全だというメッセージを、多くの新聞広告やテレビCMで浸透させてきた。

2009年に政権の座についた民主党は、こうした状況に手を加えることをしなかった。それは、民主党の主要支援団体である「連合」に加盟する労連のひとつが原子力発電に関連する企業の従業員で構成されている電力総連だからだ。

中央官庁、監視機関、原子力発電所の建設企業・運用企業にまたがるこの巨大な共謀組織は、反対意見を黙らせるだけでなく、原子力に関するすべての疑念を排除してきた。しかもそこには、きちんとしたデータによる裏付け、怠慢、真実を語らないことによる結果としての嘘、事実の歪曲などがない訳ではない。この組織のいわば不正行為は、2002年、電力10社が日本における原子力発電の黎明期である1970年以降、事故という事故を隠していたことが露見することにより明らかになった。福島原発を所有する東京電力が最も激しい非難の矢面に立たされた。

今回の事故に関し、元東京電力社員の声が過去を検証し将来を見据えるために集められた。しかし、事故が収束していない現時点で聞くその直截な表現は、背筋をぞっとさせるものがある。それらの証言が真実ならば、東京電力や他の原子力発電所を持つ電力会社は、長期的な安全対策よりも、短期的な利益を重視してきたようだ。最も用意周到に練られた対策でも、強い地震や津波へのリスクを十分には考慮に入れていなかった。

福島原発は1956年にチリを襲った津波を参考に5.5メートルの津波に耐えうるように造られていた。原子炉は地震に耐用性があり、激しい揺れの際には自動的に運転中止になるよう設計されている。しかし、冷却装置は保護が不十分で、機能不全に陥ってしまった。福島原発の設計建設に携わった東芝の技術者二人は、東京新聞によれば、構造計算などの際に根拠とされた基準はかなり低いものだった、と述べている。

海江田経済産業大臣は、危機的状況が収束したなら、東京電力の管理体制を調査すべきだと、とりあえず述べている。当然のことだが、しかし収束するまでにどれほどの犠牲者が出るのだろうか。

東芝の元技術者は、匿名を条件にさらにストレートな発言をしている。今日本が直面している福島原発事故は、自然災害ではなく、人災だ。また、『ウォール・ストリート・ジャーナル』誌の記事は、元原子力技術者である、共産党の吉井英勝衆議院議員(京大工学部原子核工学科卒の専門家)によって公表されたデータを掲載している。原子力安全保安院の資料に基づくそのデータは2010年に発刊された本の中に記載されており、その文章によれば、福島原発は日本の原発の中で最も事故の多い施設で、2005年から2009年までの間だけでも15件もの事故を起こしている。しかも、ここ10年の間を見てもそこの従業員たちは最も放射線を浴びて作業していたということだ。さらには、原発のメンテナンスは下請け企業のほとんど経験のない従業員に任されており、今回の惨事でも最前線で作業にあたっているのはそうした作業員たちだ。

東電の遅い対応も問題視される。共同通信の管理職は、東電は危機に対する認識が甘い、と語っている。地震と津波に襲われた直後の二日間、東電が自社の社員を守ろうとしたことは、国民への影響を認識していたのではないかとさえ思えてくる。

地震が発生した時、世界最大の原子力産業複合企業体であるフランスのアレヴァ(Areva)から8人の技術者が福島原発に派遣されていたが、危機を素早く察知し、最初に現場を離れた。しかし、アレヴァは顧客である東京電力の原発施設におけるリスクに関してはまったく懸念を表明していない。

・・・ということなのですが、確かに日本のメディアでも、以前から地震や津波に対するもっとしっかりした対策を求めていたが、そのような過剰投資はできないと拒否されていた、といった有識者の声が紹介されています。リスクを過小評価して、投資を抑え、利益を優先する。その結果は・・・しかも、そうした企業の行為を政府、官庁、監視すべき機関が一体となって隠してきた。その結果は・・・更には、原子力ビジネスへの悪影響を恐れて、世界のトップ企業もだんまりを決め込んでいる。

みんなで問題点を隠蔽し、お互いの利益誘導を最優先する「もたれ合い体質」・・・選挙の票をもらう代わりに目をつぶる政権、天下り先を確保するためにお目こぼしをする官庁、そして利益最優先の企業、組合員の雇用・待遇最優先の組合。その結果は・・・

しかし、原子力産業だけに限らなければ、私たちもどこかでこうした「黒い輪」に組み込まれているのではないでしょうか。直接的にひとつの小さなリングになっていなくとも、関心をよせないために、発言する勇気を持たないために、立ち上がる覚悟がないために、結局は政官業組合による「黒い輪」を永らえさせてきてしまったのではないでしょうか。

大震災から必死に立ち上がろうとする被災者の皆さんを応援するとき、私たち一人一人も新たな日本を創るべく、立ち上がるべきなのではないでしょうか。頑張れ、東北。頑張れ、日本。

ネット上の表現の自由が危ない。それも、フランスで。

2011-03-28 21:21:17 | 社会
クシュネル元外相(Bernard Kouchner)が創設者のひとりであった「国境なき医師団」(Médecins Sans Frontières)。紛争地や被災地で、人命救助にあたっていますが、同じような名前の「国境なき記者団」(Reporters Sans Frontières:RSF)という組織があります。

別に「国境なき医師団」のパロディではなく、1985年にフランス人の元ラジオ局記者、ロベール・メナール(Robert Ménard)によって創設されたNGO。報道の自由を守るため、さまざまな脅威にさらされているジャーナリストへの支援やメディア規制に関する監視・警告活動を行っています。2002年からは「世界報道自由ランキング」を発表しています。

このRSFが、その設立の地・フランスを報道の自由に対する抑圧の恐れのある監視対象国に位置付けました。他国の「表現の自由」、「報道の自由」のために戦う国、というイメージのあるフランスが、何と今や、報道や表現の自由を抑圧しようとしている・・・14日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

RSFが12日に発表したネット上での表現の自由に関する監視対象国のリストに、フランスが書き加えられてしまった。RSFのニューメディア担当責任者のリュシー・モリヨン(Lucie Morillon)は次のように語っている。「表現の自由は民主主義にとって大切なことであり、それに圧力をかける国を監視することは欠かすことができない。この点においてフランスの現状に危機感を抱かざるを得ない」。

モリヨンはさらに続けて、「フランスが中国やイランとは異なっていることは明らかだが、現状から目を逸らすわけにはいかない。フランスを監視対象国に加えるべきかどうか、我々は数ヶ月前から検討してきた」、と述べている。結局、フランスは監視対象16カ国の仲間入りを果たした。他に、「インターネットの敵」10カ国が発表されたが、そのリストには中国、イラン、キューバなどが名を連ねている。

RSFの主な懸念の対象は、“Hadopi”(Haute Autorité pour la diffusion des oeuvres et la protection des droits sur Internet)という違法なダウンロードを取り締まる法律と、“Loppsi 2”(la loi d’orientation et de programmation pour la performance de la sécurité intérieure)といわれる治安維持のために有害サイトへのアクセスにフィルタリングをかける法律だ。モリヨン曰くは、児童ポルノサイトへのアクセス対策といった、まったく合法的な目的の陰に隠れて、上記の2法律はネット上での表現の自由を脅かすことになりうるメカニズムを実施に移そうとしている。

RSFは、ネットへのアクセスは基本的な権利であり、度重なる違法ダウンロードの際にそのアクセスを遮断してしまう「アドピ法」は受け入れられない、と考えている。「ロプシ2」法に対しては、法的判断のないままサイトへのフィルタリングをかけることを問題視している。「ひとたびフィルタリングをかけることへの心理的抵抗を乗り越えてしまえば、他の理由によってサイトへのアクセスをいくらでも遮断できてしまう」と、RSFは危惧している。

またRSFは、2010年はフランスのジャーナリスト、特にネット上に記事を発表する記者とその取材源にとってとても困難な年だった、と分析している。それというのも、ロレアルの遺産相続人、リリアン・ベタンクール(Liliane Bettencourt)の脱税、そこにヴェルト元労相(Eric Woerth)も巻き込んだ、べタンクール女史からサルコジ大統領への違法献金などが絡むという、いわゆるヴェルト・べタンクール事件を追及していた情報サイト“Mediapart”と“Rue89”の記者の自宅に何者かが侵入したり、記者のパソコンのハードディスクが盗まれるといった事件が起きたからだ。RSFのモリヨンは、「犯人や黒幕を確定することは難しいが、微妙な問題を追及するジャーナリストにとって2010年はとても厄介な年となった。情報源に対するかなりの圧力があり、そのことがネット上で活躍するフランスの記者たちを不安に陥れている。ウィキリークスの暴露記事が出た際にも、アクセスを遮断しようかという意見が政府の一部から出たが、こうした反応自体、とても残念なことだ」、と述べている。

フランスが監視対象国になったことは驚くべきことではない。ここ数年来、フランスが危険な方向へ向かっていることは分かっていたことであり、報道や表現の自由への大きな圧力がかかっている。政府与党は、あたかもインターネットに対抗する十字軍気取りだ、と“La Quadrature du Net”というネット上での市民と自由を擁護することを目的とした団体の報道官であるジェレミ・ジンマーマン(Jeremie Zimmermann)は語っている。

・・・ということで、違法なダウンロードを続けるパソコンからネットへのアクセスを遮断することや児童ポルノなど有害サイトへのフィルタリングをかけることを、フランスでは法律として認めているが、このことがネット上での報道・表現の自由への脅威となっている、ということのようです。そして、こうした法律を成立させている現政権は、まるでネット社会に抵抗する十字軍のようだと見られているようです。

報道にとって情報源を守ることは言うまでもなく大切なことなのですが、日本でも「西山事件」に見られるように、報道の自由、取材活動、情報源をめぐってはさまざまな意見・判断があります。「自由」と「責任」。なかなか明確な答えが見つかりません。報道する自由、そして、報道する責任・・・ただ、事実を事実として報道する「勇気」は、ジャーナリストに持ち続けてほしいと願っています。そして、私たち情報を受け取る側は、ジャーナリストの勇気を検証しつつ、情報の送り手であるジャーナリストたちへの支持・連帯を表明しようではありませんか、私たちの「知る権利」を守るためにも。

フランス自らフランス語を捨てる!?

2011-03-25 21:26:01 | 文化
世界の多様な文化を守るためという大義名分を掲げ、フランス語の普及に努めるフランス。語学学校も多くの国で運営しています。日本にも、日仏学院やアリアンス・フランセーズなど、多くのフランス語学校があります。

確かに目的は世界の多様性を守るためですが、実際はフランスの栄光、世界語としてのフランス語の輝きを守るための自国中心主義ではないかとも、一部では言われていますが、それでも政府予算をかなり割いてフランス語教育を推し進めています。

そのフランスで、それも大学の学長を務めている大学人が、フランスの高等教育は英語で行うべしという提言をしています。どうしちゃったの、という感じですが、どのような背景でそう言っているのでしょうか。24日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

3月1日の『ル・モンド』に掲載された記事の中で、大学人であるピエール・タピ(Pierre Tapie:グランゼコールのひとつである、経営大学院“ESSEC”(Ecole supérieure des sciences économiques et commerciales)の学長を2002年から務めており、また2009年からはグランゼコール協議会の会長も兼務しています。ご本人は、理工科大学校(Ecole Polytechnique)の出身で、博士号とMBAを持っています)は、外国人学生を惹き付けているフランスの魅力について語っていた。特に、フランスは今や世界第3位の留学生受け入れ国であり、英語圏以外ではトップの地位にいる、と読む方にとってうれしい内容を紹介していたが、読者は現状に至った努力を今後も続ける必要性についても理解したことだろう。

しかし、奇妙なことにタピ氏はまったく逆のことも提言している。フランスも英語圏のひとつとしてより多くの学生を惹き付けていくことを願っていると述べている。そのためには、授業のかなりの部分を英語で行うべきであり、当然「ツーボン法」(la loi Toubon:1994年に成立した法律で、フランス語の使用を義務付けている)は高等教育機関において廃止されるべきだと語っている。3月9日の教育関連別冊“Le Monde Education”(ル・モンド教育)にも寄稿し、大学の自治確立はもちろんだが、英語による授業の推進を繰り返し述べている。

しかし、タピ氏の文章には矛盾が認められる。ヨーロッパは文明と科学の地であり、多言語の地だと述べている。それでいながら、フランスのような国において大学の授業が英語によって行われることが一般化すれば、大学などの高等教育機関での主要言語のひとつが消滅してしまうことになる。多言語のヨーロッパということをないがしろにすることであり、他のヨーロッパ諸国も追随するかもしれない。

タピ氏の提言にはいくつかの「放棄」が読み取れる。

まずは、学術界での主要言語としてのフランス語の立場を放棄しようとしている。世界的に見れば、学術分野で使用される言語としてはフランス語は第2位の地位にいる。それをタピ氏は放擲しようとしている。

また、フランス語圏を見捨てようともしている。フランスで学ぶ留学生の62%がモロッコ、アルジェリア、チュニジア、カメルーン、セネガルという義務教育でフランス語が教えられている旧フランス植民地の国々出身の学生で占められるというのに、大学での授業を英語で行おうと提言している!

更には、平等の概念を捨て去ろうとしている。しかも、学生に対してのみならず、成人のフランス国民に対してもだ。学生にとっては、英語の使用が世界的に広がれば、ヨーロッパの大学においても英語を母国語とする学生にとって何かと有利になる。一般国民にとっても、給与や生活レベルで恵まれた英語のできるエリート層が誕生することは、フランス語だけを話す人たちとの格差を急激に拡大させることになる。

極右政党の国民戦線にとって、何というプレゼントだろう。タピ氏の提言に反し、ツーボン法を維持し、この法律に背くことの多い大学において、しっかりとこの法律を適用するよう要求すべきだ!

・・・こう述べているのは、国立科学研究センター(CNRS:Centre national de la recherche scientifique)の研究員、ベルナール・セルジャン氏(Bernard Sergent)です。

セルジャン氏に批判されているタピ氏は、ESSECの学長。この経営大学院はすでに英語による授業を始めており、その影響でより幅広い国々から留学生を集めています。日本からの留学生が増えたのも、英語による授業開始以降だと言われています。今では、早慶、大阪大と提携をしているようです。パリに留学して、英語の授業に出席する!

しかし、日本でも英語の授業を行っている高等教育機関はそれなりにありますね。日本に留学して、英語の授業に出席する!

英語の世界共通語化には、歯止めがかからないようです。私がパリにいた頃、メトロには“Change your life with Wall Street English !”といった広告がたくさん掲出されていました。英語ができれば、エリートの仲間入り!

日本でも入社条件にTOEICのスコア何点以上という条件をつける企業もあります。英語ができることで就職氷河期も少しは暖かくなる!

こうした状況で、まだフランス語の勉強を続けますか?

実際には、まだフランス語の必要性は失われていないようで、国際機関では、英語+フランス語が少なくとも求められているようです。バン・キムン国連事務総長もちょっとしたスピーチをフランス語でしていますし、日本人の中にもOECD副事務総長を務めた重原氏をはじめ英語・フランス語に堪能が方々もいらっしゃいます。

国際機関で主要ポストを得ようとするなら英・仏語が必須・・・とは言うものの、日本の一般企業ではまず英語。社内の共通語を英語にした企業もあるほどです。そして最近ではプラスアルファとして管理職に二つ目の外国語習得を求める企業が出始めています。しかし、必要とされるのは、たぶん、中国語、韓国語、タイ語、インドネシア語、ベトナム語、スペイン語などで、フランス語はどうなのでしょうか。

それでも、人生はビジネスだけではない。他人に迷惑をかけない範囲でなら、好きなこと、関心の向くことをやってもいいはず・・・とは思うものの、フランス自体が英語化しては、痩せ我慢にしか聞こえなくなるようで、困った!

「国民戦線」と「共和国戦線」の間で揺れるフランス与党。

2011-03-24 21:29:16 | 政治
“Front national”は先の小郡選挙(小郡ごとを選挙区とする県議会議員選挙)で躍進した極右政党・国民戦線ですが、ここ数日メディアの見出しを飾っているのが“Front républicain”。共和国戦線といった意味でしょうか。要は、小郡選挙の決選投票の際に、国民戦線のこれ以上の躍進を阻止し、共和国精神を守るために他のすべて政党で大同団結しようという動きです。

しかし、こうした気運に対し、肝心の与党・UMP(国民運動)内で意見が集約できず、賛成、反対の不協和音が聞こえてきているようです。誰が、どのような発言をしているのでしょうか・・・21日の『ル・モンド』(電子版)です。

フィヨン首相(François Fillon)はついに、サルコジ大統領(Nicolas Sarkozy)とコペ(Jean-François Copé)UMP幹事長の提唱する「共和国戦線でもなく、国民戦線でもなく」(ni front républicain, ni Front national)という方針に従わない決断をしたようだ。21日、下院(国民議会:l’Assemblé)での与党の会議の席上、小郡選挙の第2回投票では、国民戦線へ反対票を投ずるべく最善を尽くすべきだ、と表明した。出席者によれば、首相はよりはっきりと「社会党と国民戦線による決選投票の選挙区では、国民戦線に反対票を投じるべきだ」と語ったそうだ。

フィヨン首相自らも、「社会党と国民戦線との決選投票の場合、われわれUMPはまずわれわれの価値観が国民戦線のそれとは相容れないことを思い出すべきだ。選挙民に対しては、選挙区運営を託せるに足る政党に責任をもって投票するよう呼びかけよう。国民戦線への反対を表明するために全力を傾けるべきだ」と述べている。

反響は大きい。サルコジ大統領の戦略が与党をどれほど混乱させているかを物語っている。まずは、先の内閣改造まで環境大臣の職にあった、急進党(Parti radical:名前は急進ですが、中道やや右寄りで、与党の一翼)党首のジャン=ルイ・ボルロー(Jean-Louis Borloo)はさっそく次のように語っている。今や政権与党には二つの意見がある。社会党に投票しようが、国民戦線に投票しようが、どちらでも構わないというグループと、共和国の価値を守るべく国民戦線には反対すべきだと訴えているグループだ。

大統領と幹事長による“ni-ni”(どちらでもなく)戦略には、あからさまな反対意見が出ている。しかし、UMPの前幹事長で、現在は労働・雇用・厚生大臣のグザヴィエ・ベルトラン(Xavier Bertrand)はこの方針に賛成で、社会党と国民戦線の決選投票の場合は白票を投じるよう与党支持者に訴えている。この方針は、政権与党内の連立政党をどれもこれも同じだ(blanc bonnet-bonnet blanc)と言い放った国民戦線への返答であるが、同時に将来ありえるかもしれない国民戦線との和解に備えて与党支持者を国民戦線寄りに動かしておく策略が見てとれる。だが、こうした策略は与党内での反発を次第に大きなものにしている。

閣僚たちでさえ、例えばペクレス高等教育・研究大臣(Valérie Pécresse)やコシウスコ=モリゼ環境・持続可能開発・運輸・住宅大臣(Nathalie Kosciusko-Morizet)、あるいはラルシェ上院議長(Gérard Larcher)なども、個人的見解と断ったうえで、反対であることを表明している。しかも、国民戦線との決選投票では社会党候補者に投票すべきだと、投票行動については明確に語っている。

政権与党内にいる中道の議員たちも、同じように反対を表明している。ジャン=ルイ・ボルローの右腕であるローラン・エナール(Laurent Hénart)、新中道(Nouveau Centre)のジャン=クリストフ・ラガルド(Jean-Christophe Lagarde)、中道連盟(Alliance centriste)のジャン・アルチュイス(Jean Arthuis)などは、社会党と国民戦線の間にいかなる違いも認めようとしない方針に反対し、国民戦線に対して共和国戦線で臨むよう訴えかけている。

先の内閣改造まで副首相格であったジャン=ルイ・ボルローは、「選挙民を批判するものではないが、曖昧なままではいけない時がある。社会党は国民戦線と同じ路線にいるのではなく、党是も異なっている。これは1992年以降、私の、そして急進党の一貫した意見だ。国民戦線の躍進を妨げることが今、明らかに大切なことになっている」と述べている。

・・・ということで、サルコジ・ベルトラン・コペのトライアングルが先導する「社会党でもなく、国民戦線でもなく」という小郡選挙の第2回投票へ向けての方針は、与党内で大きな不協和音を響かせ始めました。

今まではサルコジ大統領を陰から支え、間もなく4年という長きにわたって首相の座にあるフィヨン首相も、ついに反対意見を表明したようです。自分の政治信念は曲げられない、といったところでしょうか。大統領の座にいることが最優先され、政策より政局絡み、そしてメディア受けで動くサルコジ大統領に対し、落ち着いた柔和な物腰で対応するフィヨン首相。国民の人気ではフィヨン首相がサルコジ大統領をここ数年つねに若干上回っています。

それでも大統領と同一歩調を取ってきたフィヨン首相が、珍しく意見を異にしました。言い方は違っても意見は同じだと、後でフォローしてはいたようですが、綸言汗のごとし。反対意見を述べたことは一斉にメディアによって報道されました。

もしかすると、フィヨン首相のサルコジ離れが始まったのかもしれません。先日の調査では、右翼支持者の中で、12年の大統領選挙の右翼候補者に最もふさわしい人物としてフィヨン首相が53%でトップ。サルコジ大統領の47%を6ポイントも上回りました。この結果をテレビのインタビュー中に示されたフィヨン首相は、にっこり。「しのぶれど色に出にけりわが歓喜」といった感じでした。単にうれしいだけではなく、ついに自分の出番だと、心中ひそかに思っているとしたら・・・

候補者の絞り込みに苦労しそうな社会党、人気急上昇中の極右・国民戦線、そして与党内にも候補者選びで波紋が広がれば、あと1年少々となったフランス大統領選挙、いっそう話題に事欠かなくなるようです。

違いがわかる男、サブレ。

2011-03-23 20:30:36 | 読書
コーヒーの違いがわかる男はCMの世界にいますが、今日のテーマは、違いのわかる男、サブレ。お菓子の「サブレ」、でしょうか。残念、サブレとは「サブレさん」のこと。ムッシュー・サブレ。フランス人のジャン=フランソワ・サブレ氏(Jean-François Sabouret)です。

1946年、フランス中央部ベリー地方(Berry)生まれ。国立科学研究所(Centre national de la recherche scientifique:CNRS)の研究員。北海道、そして東京・神楽坂の伝統的日本家屋に長年住む。日本に関する著書、多数。

なぜこの方をご紹介するかというと・・・文化や風習に違いはあっても優劣はない。他の国を鏡に自国を見ると、見えなかったことがよく見えてくる。このブログ、そしてフランス滞在中のブログ(50歳のフランス滞在記)で、たびたび記していることを、ものの見事にまとめてくれている文章に出会いました。その著者がムッシュー・サブレ。作品のタイトルは、『日本、ぼくが愛するその理由は』(“Besoin de Japon”)。2004年にフランスで出版され、その日本語版(訳:鎌田愛)が2007年に七つ森書館から出ています。

思わず膝を打った文章は、その「日本語版に寄せて」。下記に引用させてもらいます。


 ふたつの山があった。住人はそれぞれ「おらが山がいちばん」と思い暮らしている。いったい、誰が好き好んで自分の山を下りて他人の山を登るというのか。
 しかし、故郷を出た先人もいた。ぼくも、もうひとつの山がどんなところなのか知りたくなり、山を下りることにした。もうひとつの山を登る道は険しく曲がりくねっていた。しかしそこで暮らし始めると、意外や居心地はよく、そこで学んだ文化や言語は大きな収穫となった。
 その山からは故郷の山を見渡すことができた。ほかの山の頂に立つと、自分の山のことが――良い面も悪い面も――よく見えるようになる。これもまた大きな収穫。それから、いろいろな山に登るようになった。文化も違えばそれぞれ興味深く、優劣をつけることはできない。
 歳とともに日本、フランスという山を登り下りするぼくの足腰も弱ってきた。いつ道端で倒れてしまうかもしれない。しかし、これだけは言える。道中での発見こそが本物で、さらなる収穫となる。それは、「違う」ということについて考える行為そのもの。未知を探して彷徨い、さまざまな人と出会う旅路でこそ、自分自身の問いに答えを見出すことができるのではないだろうか。


まったく、同感です。何も付け足すことすらできません。その通り! またサブレ氏は、他国との違いを知り、自国に対する考察を深めるには、できれば観光よりも滞在を勧めています。下に、「プロローグ~文化の違いを超えて」から引用します。


 旅をすると誰もが悟るのだろうが、外国の人々もぼくと同じく喜びや悩みを抱えて生きている、とわかった。裏返せばどこでも人はそれぞれの人生を歩んでいる。それがやっとわかった。“普遍”という名の織布があるとしたら、それは名もなき民が紡ぐ日常の細い糸でできているに違いない。
 それだけのことがわかるために、こんなに遠くまで旅して来なければならなかったのかって? そうさ、「ウィ」と言おう。旅などしなくても、ただひたすら籠りつづけて同じ結論を導き出す修道士もいるだろう。しかし、ぼくはそこに辿り着くまでの道のりを、自分の足で歩いて納得したい。
 それでも、見知らぬ土地を観光で訪れたいとは思わない。観光ではわずかな時間に娯楽を求めるがため、じっくり考えることもなく、彩られた上辺だけを見て「この国は、こう」と決めつけがちではないか。次つぎと打ち上げられる花火を眺めるように、旅行者は楽しいお祭り気分に酔いしれる。ぼくにはひとつところでじっくりと時間をかける必要がある。日本はそんなぼくに、ぼくなりのリズムで暮らすことを許してくれた。毎晩、その日耳にした言葉や触れ合った人びとの顔を頭に浮かべる。覚えたての諺を反芻しては、いずれ示唆を与えてくれるだろう出会いを思い返す。ぼくは何かをするのに時間をかけすぎなのかもしれない。でもそれでいいのだ。
 知らぬ土地へ行ってみたい。地方出のぼくが見知らぬ土地に居を構え、糧を探し、その土地の人びとと苦楽を共にする。何の変哲もない日々の営み。それがいいのだ。


これまた同感です。急ぎ足の観光で出会った、例えば通訳や買い物の際に対応してくれた店員の印象からその国全体、あるいは国民性について断定的に語っているケースをよく目にしますが、どんな国にも歴史があり、懐は深い。自戒を込めて、そう思います。また、さまざまな理由で、どうしても外国に暮らすことが難しい方もいるでしょう。そうした場合、文章を読んだり、映像を見たりする際に、それぞれの国に「進んだ」、「遅れた」ではなく、「違い」があるということを念頭においてみてはいかがでしょうか。

また、自分をいちばん分かっていないのが自分であるように、祖国について知ることも容易ではありません。千里の道も一歩から。毎日少しずつ登って行くしかないようですね。自分の山も、他の山も。


*なお、ジャン=フランソワ・サブレ氏への『ル・モンド』のインタビュー記事を、弊ブログ1月17日にご紹介しています。

地方選挙で、極右・国民戦線、大躍進!

2011-03-22 21:12:26 | 政治
日本での地方行政区分といえば、まずは1都1道2府43県で、計47都道府県。では、市町村数はどれくらいあるのでしょうか。平成の大合併でかなり減ったような気がするのですが、2009年3月末時点で、23特別区(東京)・783市・802町・192村という資料があります。かなりの数ですね。

一方フランスの地方行政区分は、地方圏(la région)が22、県(le département)が101、郡(l’arrondissement)が342、小郡(le canton)が4,039、市町村(コミューン:la commune)が38,000ほどというデータがあります。海外領土の扱いが変わったりで、それぞれ増減があり、資料により若干のばらつきが見られますが、大体この程度だそうです。

それぞれに役割が異なるのですが、ここ数週間、メディアにしばしば取り上げられていたのが、“Cantonales”、つまり小郡選挙(l’Election cantonale)です。小郡は、1790年、フランス革命時に革命委員会によって創設された地方区分が始まりという、長い歴史を持っています。今日では県議会議員選挙の選挙区としての機能がメインで、他に第一審裁判所(Tribunal d’instance)の管轄エリアとしての役割も担っています。

その小郡選挙、つまり県議会議員を選ぶ選挙の第1回投票が20日(日曜日)に行われました。フランスの他の選挙と同じように、第1回投票で過半数を獲得した候補者がいない選挙区では、翌週、決選投票が行われます。それまでに、各党間の選挙協力などさまざまな駆け引きが行われます。

さて、今回の第1回投票の結果は・・・見出しにあるように極右・国民戦線が大躍進し、国会の与党・UMPに肩を並べるほどに。そして、第一党は社会党。詳しくは、20日の『ル・フィガロ』紙(電子版)が伝えています。

全国での得票率は、内務省発表の速報によると、社会党が25.11%を獲得してトップ、与党UMPは17.13%、そして驚くべきは国民戦線の得票率15.26%だ。国民戦線は全小郡の75%程度にしか立候補者を擁立していないにもかかわらず、全国平均でこの数字を叩き出した。しかも、今までの小郡選挙では、国民戦線は得票が伸びず苦戦しており、今回改選される現職議員は一人もいない。それでいながら、この数字だ。

第1回投票の結果を受けて、UMP幹事長のジャン=フランソワ・コペ(Jean-François Copé)は、決選投票へ向けて、与党には期待できる票田が豊富にあると、余裕を見せている。多くの右翼候補が右翼諸派として立候補しているが、実体は与党の一員であり、彼らの得票率が9.5%。同じく大統領与党として立候補した候補者が獲得した票も5.5%あり、これらを合計すると32%を超える。社会党を上回ることができる、という訳だ。こうした意見について、国民戦線党首のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)も社会党第一書記のマルティーヌ・オブリー(Martine Aubry)も数字合わせだと非難している。

一方、他の政党の得票は、フランス共産党が7.97%と地方ネットワークの良さを生かして良い得票率を獲得した。ヨーロッパ・エコロジー緑の党(Europe Ecologie Les Vrts)も8.30%を獲得。左翼諸派(les divers gauche)が4.84%、左翼急進党(les daricaux de gauche)が1.49%。中道のMoDem(民主運動)は候補者を立てた選挙区が多くなかったとは言うものの、昨年の地方選挙での敗退を引きずりわずか1.24%の得票にとどまった。

決選投票である第2回投票では、集計が終わった53の県に含まれる74の小郡で社会党と国民戦線が激突することになった。それらの選挙区では、与党UMPは選挙前からコペ幹事長が言っていたように、党員の自由投票に任せることにするという。極右と連携することはないが、左翼との連携もない、と改めて述べている。

一方、社会党前第一書記のフランソワ・オランド(François Hollande)は、UMPとはまったく異なり、UMPと国民戦線の決選投票となる選挙区では、国民戦線の議席獲得を妨げるべく、社会党員はUMPに投票すべきだ、と述べている。また、記者会見のためのセーヌに浮かぶ小舟に集まったマルティーヌ・オブリー(社会党第一書記)、セシル・デュフロ(Cécile Duflot:ヨーロッパ・エコロジー緑の党の全国書記)、ピエール・ロラン(Pierre Laurent:フランス共産党全国書記)は揃って、国民戦線の勝利を増幅しないようにすべての左翼は第2回投票において結束すべきだと呼び掛けた。

党員の自主投票というUMPの方針は、中道からも批判されている。MoDem報道官のヤン・ウェルラン(Yann Wehrling)は党として投票方針を表明しないのは無責任だと非難。新中道(Nouveau centre)の報道官、ジャン=マリ・カヴァダ(Jean-Marie Cavada)は、いかなる場合であろうと、国民戦線に1票たりとも、1議席たりとも与えてはいけない、と力説している。

第1回投票で過半数を獲得して当選を確定しているのは、社会党議員が148名、UMP議員が92名、右翼諸派が76議席、左翼諸派が52議席、中道が18議席、共産党(les communistes)が20名、左翼急進党(les radicaux de gauche)が17名、左翼党(Parti de gauche)が1名となっている。

有力議員も第1回投票で議席を獲得している。シラク前大統領夫人のベルナデット・シラク(Bernadette Chirac)をはじめ、司法相のミシェル・メルシエ(Michel Mercier)、新中道党首のエルヴェ・モラン(Hervé Morin)、UMP下院議員のエリック・シオッティ(Eric Ciotti)などが高得票で選出されている。

また、今回の投票の大きな特徴は、その投票率の低さだ。与党は過小評価していたようだが、リビアへの攻撃開始が予想以上に影響したようだし、好天に恵まれたことも投票率を低くした一因だ。しかも、県議会が2014年に領土議会(les conseillers territoriaux)の誕生とともに姿を消すことになっていることも、選挙民の関心を低めたようだ。

内務相によると投票率は45%程度で、小郡選挙としては最も低い投票率とたった。2008年の小郡選挙の際には、投票率は65%あった。すべての選挙において最も投票率の低かった2009年の欧州議会議員選挙の41%にほとんど肩を並べるほどの低い投票率だった。

・・・ということで、いくつか理由はあったようですが、低い投票率。とは言うものの、日本の地方選挙の投票率と比べると、かなり高い。フランス国民の政治意識の高さの表れでしょうね。フランス革命の伝統があります。政治を行うのは政治家だが、その政治家を選ぶのは、俺たち国民だ。俺たちの暮らしをしっかり守るためには、それにふさわしい政治家をしっかり選ばなくてはいけない。そうしないと、俺たちの暮らしがいい加減にされてしまう。そんな意識があるのではないでしょうか。

一方、われらが日本では、政治はお上のもの。お上が何とかしてくれるだろう。政治など難しいことは分からないから、お上にお任せ。少しは国民意識も変わってきたとはいえ、相変わらず低い投票率をみると、まだお上任せが強いような気がします。

彼我の差は大きいですが、それでも国が成り立っているのですから、日本は日本のやり方でいいのではないでしょうか。やみくもに外国の真似をすればいいというものでもないと思います。ただ、政治の世界にいる人たちも変わってきました。国民の意識も少しずつ変わって来ています。変化の時にこそ、国民の意思表示が大切なのではないでしょうか。投票で私たちの意思を表明すべきなのではないでしょうか、たとえ地方選挙であっても。遅きに失してしまうことのないように。後悔先に立たず・・・一部延期されるところもあるようですが、日本でももうすぐ統一地方選挙です。

帰国したフランス人学生たち、それでも日本を想い続けている。

2011-03-21 20:21:45 | 社会
トップニュースの座は、リビア危機に譲ったとは言うものの、東北関東大震災と福島原発の最新状況は、今でもフランス・メディアがかなりの時間やスペースを割いて報道しています。

フランス政府も、エールフランスの臨時便を出すなど、滞日フランス人の帰国へ向けて積極的に動きました。その結果、かなりのフランス人が帰国したようで、残っているフランス人も本国からの指導に従って関西以西、あるいは韓国など近隣諸国に移っているようです。

祖国の地を無事に踏めてほっとしているフランス人も多いのでしょうが、中には後ろ髪を引かれるような思いで日本を離れ、フランスから日本の友人たちを心配している人も同様に多いようです。そうした帰国したフランス人、特に学生の声を19日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

帰国した学生たちは一様にほっとしてはいるが、同時に日本の友人や恋人のことを思って何がしかの罪悪感を抱いている。「フランスに戻って以来、関心はひとつしかない。仙台と連絡を取り続けることだ。」こう語っているフロリアン・ブルドン(Florian Bourdon)は国立応用科学院(l’INSA:l’Institut national des sciences appliquées)リヨン校の学生で22歳、仙台にある東北大で1学期間学んでいた。仙台は海岸線から20kmほどにあり、その一部が地震による津波で甚大な被害を受けた街だ。

フロリアンはINSAから日本に派遣されていた13人の学生・研究者の一人で、自分の信じられないような幸運をかみしめている。「フランスへ戻る便が東京を飛び立ったのは、何と地震の発生する1時間前だった。機上にいた航空会社の社員も地震のことは知らなかったんじゃないか。僕も着陸後に初めてあの災害のことを知ったんだ。携帯にはメールが受け取れないほど届いていた。」

INSAリヨン校からの13人のうち、すでに12人が日本を離れている。同校の国際交流課長、マリ=ピエール・ファーヴル(Marie-Pierre Favre)によれば、「多くの学生が地震発生時には日本にいなかった。ちょうど春休みにあたっており、多くの学生が他のアジアの国を旅行していたからだ。派遣した側のわが校の務めは、学生や研究者の安全を確かなものにすることだ。それは13人にも適応される。13人の内5、6人が日本での2学期目継続を希望しているが、派遣は中止だ。たとえ原発の脅威がなくなったとしても、日本の大学が元通りになるには時間が必要だろう。」

日本に滞在している600人ほどのフランス人の学生や研究者にとって、帰国する決断をするのは容易なことではない。しかし半数ほどが帰国を決めている。「最終的には両親の願いを聞き入れて帰国することにした」と語るのは、ロリアンヌ・ミエ(Lauriane Millet)。パンテオン・ソルボンヌ(パリ第1大学)の学生で21歳。東京にある早稲田大で日本語の授業を受けていた。「日本は私の祖国みたいなもので、そこを離れるのは、誰かを見捨てるようなものだ。」ロリアンヌはこう語っている。

同じ感情をエマニュエル・オドラス(Emmanuel Audras)も抱いている。26歳の高等電気学校(l’Ecole supérieure d’électricité:グランゼコールのひとつで、通称Supélec)の学生で、仙台と東京で学んできた。「帰国を友人たちに伝えるのはとても辛いことだった。しかし、とても危険な状況だったので帰国することにしたのだが、心残りなことも多い。でも、日本に留まっても何の役にも立てないことは分かっていた。」また、フランス工学系大学学長会議(CDEFI:La Conférence des directeurs des écoles françaises d’ingénieurs)のアレクサンドル・リガル(Alexandre Rigal)議長は、「今後48時間以内に帰国者が増えるだろう。しかし、帰国する若者の多くは、一つのことしか期待していない。コースを逆にたどって日本に戻ることだ」と語っている。

グランゼコール評議会のピエール・アリファ(Pierre Aliphat)会長は、こうした意見を特別なことだとは見做していない。「学生たちは当然、すでに始めている交換留学や研修を続けたいと思っている。メキシコで鳥インフルエンザが発生した時や、つい最近ではアラブ諸国での政変に対してと同様、研究を中止し、友人たちと別れることに同意しようとしない。かなりの学生が計画途中での帰国を避けようとあらゆる手段を講じている。中には送り出したフランスの大学との契約を破棄しようとする学生さえいる」と語っている。

ルーアン・ビジネス・スクールでは日本の大学が春休み期間だったため、地震発生時に日本にいた学生はわずか7名だけだったが、国際交流課長のステファン・ミュルドック(Stephen Murdoch)は、「当学は一種の緊急連絡網をもっており、あっという間に日本にいる学生たちを安心させることができた。しかし、フランスにいる彼らの親はそうはいかなかった」と述べている。

フランスに帰国することを望まない学生たちには、西日本、南日本への退避、あるいは中国や韓国などの近隣諸国への避難という手段もある。パリ高等商業学院(l’Institut superieur de commerce (ISC) de Paris)のアタンツァ・アンドレス(Atenza Andres)学長は、「感じて当然の恐怖感と現実の脅威、フランスの家族や友人たちの心配と現状に対する日本での受け止め方など、さまざまなことを考慮に入れることができる。当学からは東京に2名、大阪に1名が滞在しているが、誰も浮足立っていない。誰も帰国したいと思っていないのだが、それでもそうせざるを得ない。従うべき危機管理の原則だ」と語っている。

『ル・モンド』がコンタクトを取ったすべてのフランス人留学生が、ヨーロッパと日本の間にあるきわめて大きな意識のずれに驚いている。「まったく相反する見解がある。日本のメディアや政府は、最悪の状況には多分ならないだろうとしており、日本人も日本に滞在する外国人も平静を保とうとしているが、一方、フランスではすでに日本が地図上から消滅してしまっているかのように思われている」こう語るのは、INSAリヨン校の19歳の学生、ダミアン・リベール(Damien Lieber)だ。彼はナノ・サテライト(超小型衛星)に関するシンポジウムに参加するために4日間だけ東京に滞在し、16日にフランスに戻ってきた。東京滞在時に、強い余震が70%以上の確率で起きるというニュースにもかかわらず、人々が平静を保ち慌てた素振りをまったく見せないことに感銘を受けたと言っている。

「情報の扱い方にフランスと日本では信じ難いほどの大きな違いがある。フランスでは、視聴率を上げようとまるでドラマのワン・シーンのように刺激的に伝えているが、日本ではすべての報道が前向きだ。パニックを避けようとしているのだろう。真実はフランの報道と日本の伝え方の中間にあるのではないか。」こう述べているのは、仙台から戻ってきたレンヌ大学の26歳になる学生、ダヴィッド・ビアン(David Bihan)だ。

日本での平静さ、西欧での大惨事としての受け止め方。その差はどこからきているのか。日本では検閲が行われているのか、フランス側の過剰反応なのか。前出のフロリアン・ブルドンはこのように自問するのは止めたそうだ。リヨンに戻って以降、テレビは一切見ていない。「テレビ報道を見れば、ストレスや心配だらけになってしまう。もはや何を信じていいのか分からない。安心させてくれるのは日本の友人たちからの情報だ。決してメディアの報道ではない。」こう語っている。

・・・ということで、すぐにでもまた日本に戻りたいというフランス人学生たちの熱い気持ちが伝わってきます。我らが日本がこのように愛されているのを知ることは、とても嬉しいことです。

ところで、被害の実態、原発事故の現状はいったいどうなっているのでしょうか。フランスでは日本の報道は検閲されているのではないかという問いかけもあるようですが、検閲はないのでしょうね。あるのは、メディアの自己規制なのだと思います。パニックを引き起こさないよう報道には注意してほしいという政府あたりからの依頼はあるのでしょうが、決して命令ではない。それでも、トーンを抑えた報道になっているのは、メディアと取材される側(今回の場合は政府および管轄官庁でしょうか)との馴れ合いがもたらしているのではないでしょうか。記者クラブの問題がよく指摘されていますね。

いずれにせよ、日本の報道はあまり刺激的なシーンは見せないようになっているのでしょう。一方、フランスをはじめ欧米メディアの報道は、悲惨な現場も伝えている。だから事実を知りたくて、私はCNNやフランス・メディアの報道を見ているのですが、フランス人からすると視聴率欲しさに悲惨なシーンを選んで報道している、となるわけですね。そう言えば、カナダに住んでいるフランス人が、欧米のメディアは悲惨さを強調し過ぎているので観ない、NHKの国際放送を観ていると、メールを送って来ていました。お互い、ない物ねだりなのかもしれないですが。

また昔のことを思い出すと、タイに駐在していた折、政治衝突から国軍が動き出す騒動がありました。日本のメディアが伝えているのは、衝突のひどい所だけ。騒乱は王宮に近い所だけで、ビジネス街や住宅街は至って平穏だったのですが、日本からは心配する電話やファックスが殺到しました(当時は、まだメールがありませんでした)。バンコクの街中で弾丸が飛び交っているような見え方になってしまうのでしょうね。同じように、今、日本中が地震と津波に襲われたように見ている外国の視聴者も多いことでしょう。

メディアの報道がどこまで真実を伝えているのか。また受け取る側がどう解釈するのか・・・報道をめぐる問題のひとつです。

リビアへの武力行使、各国の立場は・・・

2011-03-20 20:17:36 | 政治
ここ1週間ほど、フランス・メディアのトップニュースは、日本の地震・津波、そして福島原発の最新状況でした。しかし、19日からはリビアへの軍事介入に一変。場所は地中海の対岸とすぐ近く、しかもその先頭に立っているのがフランスですから、大きな関心を呼ぶのも当然といえば当然です。

チュニジアの「ジャスミン革命」に始まる「アラブの春」。しかし、フランス政府は明確なメッセージを出すことができず、しかも首相や外相がチュニジアやエジプトの旧政権と密接な関係にあったとか、プライヴェート面で便宜提供を受けていたといった問題が指摘され、アリオ=マリ外相が事実上更迭されました。これでは、北アフリカでの政変に的確な対応などできないのは当然です。

国民やマスコミから激しく非難されました。そこで名誉挽回とばかりに前面に立ったのが、サルコジ大統領。リビアの反体制派がつくる「革命評議会」を真っ先に承認し、大使の相互交換も表明。

ところが、チュニジアやエジプトと同じように反体制派が勝利するだろうと見られていたリビア状況は、一進一退からやがてカダフィ政権側の攻勢が目立つようになってきました。このままでは、さらなる外交上の失敗。恥の上塗り。サルコジ大統領のエンジンに拍車がかかりました。

国連安保理決議の採択に奔走。緊急国際会議をパリで開催。ついに、欧米主要国の協調武力介入に持っていくことができました。これでカダフィ政権が崩壊し、いわゆる民主的政権が誕生すれば、来年の大統領選挙に向けて、低迷するサルコジ大統領の支持率も一気に回復することでしょう。しかし、徹底抗戦を叫んでいるカダフィ政権が簡単に退陣するでしょうか・・・

とは言うものの、実際に軍事介入は始まりました。参加した各国の対応は、そして対応をためらっている国々の立場は・・・19日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています(現地時間18時50分の掲載です)。

リビアへの協調軍事介入の開始を承認した緊急国際会議だが、その後に発表されたコミュニケは、参加を表明した国々の対応が必ずしも一様でないことを示している。会議への参加者たちは、国連安保理決議1973を尊重し、この決定が効果あるものとなるよう協力し断固とした行動に移ることを表明している。しかし、カダフィ政権と反体制派の武力衝突を終わらせる必要性は同じく認めるものの、参加の程度にはばらつきが見られる。

軍事行動の先頭に立っているのはフランスだ。ベルギーのルテルム首相(Yves Leterme)も、リビアでの軍事行動でリーダーシップを取っているのはフランスだ、と認めている。実際、軍事介入へ向けた外交上の動きを最初に始めたのもフランスであり、土曜日の国際会議でも軍事作戦の開始を主張したのはサルコジ大統領だけだった。フランス国防省によれば、フランス空軍機20機ほどがリビア上空で偵察任務に当たっている。空母「シャルル・ドゴール」も20日(日曜日)には出航するだろう。またフリゲート艦2隻がすでにリビア沖で待機している。

イギリスとカナダも第一波攻撃に参加することになっている。イギリス軍は、リビアへの軍事行動に戦闘機「トーネード」と「ユーロファイター」を投入すると述べている。またカナダは、7機の戦闘機投入を表明。一方、イタリアは、当面は空軍基地の使用を認めることに留めるが、必要であれば空からの攻撃に加わる用意があると述べている(すでに参加しているという報道もあります)。

他の国々の対応は明確ではない。ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、ポルトガル、ギリシャ、スペイン、トルコ、ポーランド、リトアニアなどの国々は軍事行動への参加の意向を表明したが、軍隊派遣を意味しているのか、基地使用を認めるだけなのか、はっきりさせていない。カタールやアラブ首長国連邦、モロッコ、ヨルダンも土曜日の国際会議に参加していたが、今後の対応は明らかではない。

アメリカは慎重で、軍事行動には賛成しているものの、その立場は今一つ明確ではない。クリントン国務長官も、カダフィ政権は停戦協定をしっかり守らなければならないと念を押した上で、アメリカは軍事力をもって今回の作戦に参加すると語ったものの、具体的にどの程度の規模で軍事介入に加わるのか明確にしなかった。そして長官は、オバマ大統領と同じく、アメリカが地上部隊をリビアに展開することはないと繰り返し述べた。

ドイツは距離を置いている。安保理決議の際に棄権した主要3カ国のひとつであるドイツは、メルケル首相が軍事行動には加わらないことを表明。しかし、我々は全会一致でリビアの内戦を終結させる必要性に同意したわけで、その決意はしっかり守られねばならない、とは語っている。ドイツは一方、監視活動などアフガニスタンでの追加活動を引き受けざるを得ないであろう。

NATO(北大西洋条約機構:仏語ではOTAN)は会議に出席しなかった。フランス当局も、NATOの参加はアラブ諸国へ誤ったメッセージを送ることになり、リビアへの緊急攻撃にNATOが参加することはないと明確に述べている。実際、NATOのラスムセン事務総長(Anders Fogh Rasmussen)は会議の行われた土曜日、パリにいなかった。国連決議に基づく軍事行動への参加をNATOが要請されることはあり得るが、実施に移すまでには時間と多くの調整が必要だ。

・・・ということで、リビアへの軍事介入にしても、各国の思惑や国内事情が絡んで、意思の統一はできたものの、実際の行動には温度差が大きいようです。

いろいろと批判も多いサルコジ大統領。リビアへの軍事介入に関しても、イラク戦争にあれだけ反対したフランスはどこへ行ってしまったのだという反対意見もあるようです。しかし、それでもその政治的・外交的「馬力」は大したもの。ロシアや中国など拒否権を行使しそうな国々を単なる棄権に回らせ、安保理決議を成立させました。間髪を入れず、欧米主要国首脳とアラブ連盟などをパリに集め、緊急国際会議。そこで、軍事作戦開始を認めさせました。

サルコジ大統領の問題は、その時その時の話題の案件に飛び込むものの、食い散らかすだけで継続性がないことだとも言われています。しかし、それでも主要国をまとめ上げ、目的にたどり着くその力は、認めざるをえません。認めるというより、羨ましくさえあります。今は地震・津波の被害から一日も早く立ち上がることが最優先されますが、その先では、明確なメッセージの発信、迅速にして的確な判断、果断な行動力を日本の政治・外交に求めたいと思います。立ち上がれ、日本。そして、立ち上がれ、日本政治。