ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

陰謀説に、疑われるUMP、かくの如く反論す。

2011-11-30 21:21:57 | 政治
昨日ご紹介したように、大西洋の向こう側からの情報で、DSK事件陰謀説が息を吹き返してきました。

情報の発信源であるアメリカ人ジャーナリスト、エプスタイン氏も陰謀の中心がどこにあるのかは明言を差し控えています。しかし、読む側には、それなりの推測ができてしまう・・・

読みようによっては、あたかも陰謀の中心にいるのではないかとさえ思われてしまう与党・UMP。その反応や、いかに!!!

それが、昨日の話題を受けての今日のテーマです。無視しているのでしょうか。甘受しているのでしょうか。激しく言い返しているのでしょうか・・・コペ幹事長の発言を中心に、26日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

UMP幹事長のジャン=フランソワ・コペ(Jean-François Copé)は26日、ソフィテルを舞台とした事件はドミンク・ストロス=カン(Dominique Strauss-Kahn:DSK)を政治的に失墜させるためにUMPが意図的に仕組んだのではないかという噂は信じるに足らないと述べ、ごく些細な情報が拡大解釈されていると語っている。

UMP幹部の会議に出席した際、DSK事件の新たな陰の部分を指摘したアメリカ人ジャーナリストの調査結果についてメディアから質問されたコペ幹事長は、「現状は、噂や陰口が跋扈する世界にいるようなものだ。もし明白な事実、明らかな証拠があるのであれば、言うまでもなくお互いにそこから結論を引き出すべきだが、アメリカ人ジャーナリストによる記事はよく知らない匿名の証言に基づく主張に過ぎない。我々はより慎重に、騙されないようにしている」と述べている。

コペ幹事長はまた、「5月14日の事件の発端以降、UMPができうる限りのことを行うよう留意してきた。少なくとも言えることは、些細な情報があまりにも大きく取り上げられているということだ」と強調した。

党の会議の後、テレビ局・TF1の番組で、コペ幹事長は、「すべての情報は滑稽なものだ。もしあるなら証拠と事実をぜひ見たいものだ。今では多くの人が、何ら意味をなさない陰謀という考えを信じてもらおうと、情報の欠片を継ぎはぎしている」と、述べている。

幹事長はさらに、「つまらないことで騙されてはいけない。大統領選まで6カ月の時点で、陰謀に関するちょっとした情報を、すべてのテーマよりも優先させようとしているが、それは関心をそらせるためのまやかしに過ぎない。現状は、ケネディ大統領暗殺のかなりの責任もUMPにあると言い出されるのではないかと危惧されるほどだ。何しろ、そのアメリカ人ジャーナリストはケネディ暗殺に関する陰謀説のスペシャリストだそうだから」と皮肉った。

アメリカ人ジャーナリスト、エプスタインは自らの調査に基づき、DSKの携帯BlackBerryが盗聴されていた可能性があると語っている。DSKの周辺から複数の証言を得ているのだが、特にUMPで働いているDSKの女友達は5月14日の朝、つまり事件が起きる前に、DSKが妻のアン・サンクレール(Anne Sinclair)に送っていたメールの一通が与党のオフィスで読まれていた可能性をDSKに伝えていた。

エプスタインは、この問題の携帯が警察によっても、DSKの弁護士が雇った私立探偵によっても、未だ見つかっていないこと、そしてソフィテルで繋がらない状態になったことを確認している。

DSKのアメリカ人弁護士の一人は、クライアント(=DSK)が政治的失墜を狙った意図的な企みの犠牲者であるという可能性を排除しないと述べている。

・・・ということで、UMPのコペ幹事長は、エプスタインの記事を荒唐無稽なでっちあげだと批判を繰り返しています。一方、大西洋の向こう側では、DSKの弁護人が陰謀説を排除しないと述べています。大西洋をはさんでの戦い。どちらに軍配が上がるのでしょうか。結果はすぐには出ないでしょうし、最終的に出ないかもしれません。真相はやぶの中・・・

どうして真実が白日の下に明かされないのでしょうか。都合の悪い情報は、隠してしまう。自分の立場を守るために、嘘を言うこともいとわない。ある程度のところで、手打ち式が行われてしまう・・・事情はさまざまなのでしょうが、真実が明らかにされないことが多くあります。

一方、真実が明らかになったところで、誰も幸福にならない、というシチュエーションもあります。真実が明かされてしまっては、新たな諍いのもとになる。憎しみを増幅させることになる。

真実を明らかにすべきなのか、隠したままの方がよいのか・・・やはり、事実は事実、真実は明確に開示されるべきだと思います。そのことによって、新たな問題が生じたとしても、それを乗り越えるのが人間の知恵なのではないでしょうか。臭いものに蓋ではなく、真実の追求、解明を! と、思うのですが、容易な道のりではありません。まずは、身近なところから一歩ずつ、です。

DSK事件に新たな展開が・・・ぜひとも、映画化を!

2011-11-29 21:22:38 | 政治
先週末、“The New York Review of Books”という隔週刊の雑誌に、あるアメリカ人ジャーナリストの文章が掲載されました。そこで扱われているのは、DSK事件・・・IMF専務理事のポストも、そして有力視されていた大統領の椅子もふいにした、あの性的暴行事件です。DSK自身、モラルに反したことは認めているものの、陰謀説がなかなか消えません。

そこへ、新たな一石を投じたのが、このアメリカ人ジャーナリストによる記事です。事件の経過を追って、かなり詳細に紹介しています。フランスで伝えているのは、25日の『ル・モンド』(電子版)・・・

ニューヨーク・ソフィテルで起きた事件は、すべてが明らかになったと言うには程遠い状況だ。5月14日に客室係から性的暴行で訴えられたドミンク・ストロス=カン(Dominique Strauss-Kahn:DSK)は刑事訴追を免れた後、モラル上の過ちを認めている。しかし、事件はすべてが解明されたわけではない。新たな闇に隠された部分が、エドワード・エプスタイン(Edward Epstein)の長い記事によって明るみに出された。

DSKが失い、まだ見つかっていない携帯電話“BlackBerry”に何が起きたのだろうか。盗聴されていたのだろうか。DSKが宿泊した部屋と同じフロアにあり、訴え出た客室係、ナフィサト・ディアロ(Nafissatou Diallo)がDSKと会う前、そして後に数度出入りしていた2820号室では、何が起きていたのだろうか。アメリカ人ジャーナリスト、エプスタインはホテルの防犯カメラがとらえた映像を見た上で、5月14日に起きた出来事を分単位で再現している。

・朝早く
DSKは持っている携帯の一つBlackBerryに重大な問題があることを知らされた。個人的メールや仕事上のメールをやり取りしているこの携帯がどうも盗み見られていたようなのだ。与党・UMP(国民運動連合)のパリ本部で文書係として働いているDSKの女友達の一人が、「DSKがBlackBerryで妻のアン・サンクレール(Anne Sinclair)に送った個人的メールの少なくとも一通がUMP本部で読まれていた」とメールで知らせて来たのだ。

・10時07分
心配になったDSKは問題のBlackBerryでさっそく妻に電話をした。6分とかからなかった会話の中で、重大な問題に直面していることを知らせるとともに、ステファン・フック(Stéphane Fouks)と連絡を取るよう頼んだ。フックは広告会社ユーロRSCGの会長で、2012年の大統領選へ向けて、DSKのコミュニケーション戦略を4年前から担当していた。DSKは妻への電話で、自分がパリへ戻ったらすぐに専門家にBlackBerryとiPadを調べてもらえるように手はずを整えておくよう、フックに依頼してほしいと伝えた。

・12時06分~07分
ソフィテルで客室係として3年前から働いているナフィサト・ディアロが、DSKが宿泊しているスイート・ルームに入った。その時、DSKの証言によれば、個人的持ち物が部屋に入ってすぐのところに見える状態で置かれていた。「通常、客が部屋にいるのに客室係が入室するようなことはない」とエプスタインは語っている。

その直後の6~7分で、何が起こったのだろうか。エプスタインは、大急ぎの性的関係というニューヨーク検察の報告を思い出すにとどめる。12時13分、DSKは昼食を一緒に取ることにしていた娘のカミーユ(Camille)に電話をして、遅れるかもしれないと伝えた。

・12時26分
ナフィサト・ディアロはDSKの部屋と同じフロアにある2820号室に入った。エプスタインによれば、彼女はすでに午前中に数回、この部屋に入っていた。「ディアロがDSKと会う前や後に、彼女以外にこの部屋に誰かいたのだろうか。もしいたとすれば、それは誰で、そこで何をしていたのだろう。そして一体全体、彼女はこの2820号室に入ったことをなぜ否定したのだろう」と、エプスタインは自問する。この件についてDSKの弁護団に尋ねられたソフィテルを経営するアコー・グループ(Accor)は答えを拒んでいる。

・12時28分
DSKはホテルを後にして、タクシーで6番街にあるレストラン“McCormick & Schmick’s”へ向かった。レストランの監視カメラには、30分ほどしてDSKが到着した映像が映っている。

・12時51分
BlackBerryの運営会社の記録によれば、この時間にDSKのBlackBerryが繋がらない状態になり、GPS機能も作動しなくなった。「もし事故の可能性を排除すれば、携帯をこのように繋がらない状態にするには、BlackBerryの機能や技術に関するかなりの知識が必要だと専門家が言っている」とエプスタインは説明する。

・12時52分
ナフィサト・ディアロはホテルのセキュリティ担当者に会って状況を話している。

・13時03分
アコー・グループのセキュリティ部長であるというジョン・シーハン(John Sheehan)が、ソフィテルからの電話を受けた。ホテル従業員へのサポートを依頼され、彼はホテルへと向かったが、その途中、車の中から少なくとも一度、電話を掛けている。誰に、そしてなぜ・・・だが、それを知ることは不可能だ。エプスタインは次のように記すにとどめている。「アコー・グループのセキュリティ担当のトップ、つまりシーハンの上司にあたるのはルネ=ジョルジュ・ケリー(René-Georges Querry)であり、ケリーはかつて警察のギャング対策チームのメンバーであった。そこでアンジュ・マンシーニ(Ange Mancine)と一緒に働いていたのだが、そのマンシーニは、今、サルコジ大統領の情報コーディネーターの職にある。」

・13時33分
ソフィテルのエンジニア、ブライアン・イヤウッド(Brian Yearwood)と名前は分からないが、ナフィサト・ディアロをセキュリティの部署へ連れていったもう一人の男、この二人はディアロとその周囲にいる人たちからこっそり遠ざかった。そして人々の視界から外れると、二人はハイタッチをし、お祭りのような激しいダンスを3分ほど踊った。二人はなぜ、このような喜びを表す行動を取ったのだろうか。しかし、ホテルの監視カメラに録画された映像を見たエプスタインは、一切の仮定を慎んでいる。

・14時05分
二人の警官がソフィテルに到着した。

・14時15分
DSKは空港へと向かうタクシーの中で、パリで専門家に見てもらおうと思っていたBlackBerryが見当たらないことに気づいた。もう一台の別の携帯で、DSKは娘に連絡を取り、レストランに引き返し携帯が置き忘れられていないかチェックするよう頼んだ。娘のカミーユは14時28分、父のDSKにBlackBerryが見つからなかったことを伝えるメールを送った。15時01分、DSKはタクシーの中で手にしていた携帯からBlackBerryにコネクトしようとしたが、できなかった。その30分後、DSKはついにソフィテルに電話をして、宿泊した2806号室にどうも携帯を忘れてきたようだと伝えた。

・15時42分
ソフィテルのある従業員がDSKに電話をした。彼は警官の前で電話したのであり、DSKに携帯が見つかったと「誤って」伝えた。そして携帯を届けると告げた。DSKはエール・フランスのターミナル、4番搭乗口に駐機している23便にいると答えた。

・16時45分
警察はパリへ向かうことになっているエール・フランスの機内でDSKを逮捕した。件のBlackBerryは未だに見つかっておらず、メールが盗み見られたという疑いは専門家の分析による確認がなされていない。

・・・ということで、状況からは、いろいろな推測ができそうです。陰謀だったのか、もしそうだとすれば、陰にいるのは誰なのか。陰謀でないなら、DSKの携帯BlackBerryはどこへ消えたのか。客室係は、スイート・ルーム・フロアの別の部屋へ、なぜ出入りしていたのか。わずか6~7分で、性的暴行が可能なのか。

はたして、真相は解明されることになるのでしょうか。政界に良くある、真相はやぶの中、で終わってしまうのでしょうか。推測の域を出ない情報も多いのかもしれませんが、映画化したら、さぞや面白いだろうとういう、状況になってきつつあるようです。

オランドのご祝儀相場は終わった。その背景は・・・

2011-11-26 21:34:36 | 政治
日本で、新しい内閣ができると、その直後は支持率も上々。前内閣の支持率よりも、かなり良くなる場合が多いですね。ご祝儀相場などと言われますが、これは日本に限った話ではないようです。アメリカでも、当選直後の大統領への支持率は高くなります。

どこの国であれ、やはり選挙で当選した人への期待は大きくなる。従って、支持率もよくなって当然なのでしょう。問題は、いつまでその高い支持率を維持できるのか、言い換えれば、いつまでぼろを出さずに済むか・・・

しかし、ぼろを出さなくても、政界やメディアなどからの攻撃によっては、支持率が下がることもあります。内閣支持率ではないですが、来年の大統領選へ向けて社会党公認候補となったフランソワ・オランド(François Hollande)への支持率も、さっそく下がり始めたようです。

20日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

11月18日・19日に“Yahoo!”の依頼で調査会社“LH2”が行った世論調査によると、もし次の日曜日に大統領選が行われるとして、誰に投票するかという質問項目に対し、第1回投票でフランソワ・オランドへ投票すると答えた調査対象者は30%で、引き続きトップを維持したものの、先月よりも9ポイントも低下。一方、ニコラ・サルコジへの投票意向は5ポイント上昇し、29%と接戦になっている。しかし、第2回投票では、58%対42%で、オランドの圧勝となっている。前月と比べて、それぞれ2ポイント増減しただけだ。

他の候補は第1回投票において、極右・国民戦線のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)が15%(対前月+1ポイント)で3位。以下、中道・Modemのフランソワ・バイルー(François Bayrou)が7%(-1.5)、左翼戦線(Front de gauche)の統一候補、ジャン=リュック・メランション(Jean-Luc Mélenchon)も同じく7%(+0.5)、エコロジスト(EELV)のエヴァ・ジョリー(Eva Joly)が6%(+1.0)などとなっている。

調査は電話によるアンケートで行われ、調査対象者は830人。そのうち600人が投票意向を示している(投票に「必ず行く」あるいは「行く」)。

・・・ということで、フランソワ・オランドとニコラ・サルコジの差が第1回投票では、ほとんどなくなりました。サルコジ大統領の作戦が功を奏しているのでしょうか。自らはEUの危機への対応を中心に外交で八面六臂の活躍をしている印象を国民に与え、社会党批判は他の閣僚に任せています。自らの職務に精励している大統領、それだけ経験を積んでいる現職大統領としてのイメージを熟成させようとしています。

以前、週刊誌“Le Point”の9月1日号が伝えていたように、自らの選挙活動は投票直前の数カ月に集中する戦略のようです。その記事が伝えるには、長い選挙戦は、マラソンなどと同じ。はじめから先頭に立っていては、さまざまな風圧もかかる。他の候補者に先頭を走らせておいて、その候補者が疲れてきた頃、一気に抜き去るのだ・・・はたして、シナリオ通りいくのか、戦略倒れになるのかは、今後の情勢が証明することになります。

ところで、9ポイントも支持率を下げたフランソワ・オランド。自ら大きく墓穴を掘るような言動はなかったのですが、では一体、どのような事情によるのでしょうか。

他の陣営、それも右翼だけでなく、左翼からの攻撃にもさらされた結果のようです。その状況を、ラジオ局・rfi(Radio France ineternationale)の14日の記事が、簡略にまとめてくれています。

フランソワ・オランドは、最近、大目に見てもらえないようだ。右翼のみならず同じ左翼からの攻撃にもさらされ、社会党予備選のご祝儀相場は長くは続かなかった。

それは、フランソワ・オランドが社会党の正式な公認候補となったからであり、対立候補からのはっきりとした攻撃目標となったことを意味する。口火を切ったのは、左翼戦線のジャン=リュック・メランションで、オランドを「嵐に漕ぎだす足踏みボートの船長」(un capitaine de pédalo dans une saison des tempêtes)と揶揄した。

オランドの下に全左翼勢力を集結させるという計画は進展していないようだ。ヨーロッパ・エコロジー緑の党(EELV)との選挙協力へ向けた交渉の長期化も影を落としている。社会党もEELVも原子力、特にフラマンヴィル(Flamanville)で計画されている原発建設に関して、自らの立場を譲らなかった。EELVは建設中止を主張し、オランドは中止は無理だと述べていた(結局、選挙協力は成立しましたが、交渉が長引いたことで、オランドに毅然たる態度が見られないという攻撃材料を他の党に与えてしまいました。また、最終的に合意したことで、エコロジストと社会党は原子力問題と選挙協力を交換したという批判材料を右翼に与えることになってしまいました)。

オランドは、サルコジ大統領と正面切って戦うには、とりまとめ役であり、毅然とした態度で決断を下すタイプではないというイメージを払拭する必要がある。与党・UMP(国民運動連合)は今のところフランソワ・オランドの人柄よりもその政策を批判しているが、その批判により、前例のない経済危機に直面している現状において、オランドは国のトップに立つにふさわしくないという不信感を醸成しようとしていることは確かだ。

国民教育相のリュック・シャテル(Luc Chatel)も皮肉を忘れず、オランドを“Babar”(ババール)に譬えている(1931年に絵本作家・Jean de Brunhoffによって描かれた作品の主人公、ゾウのババールです)。「ババールは人柄も良いし、ゾウの王様だ。しかし、それは夜、子どもを寝かしつけるときに語るお話だ。」一方、サルコジ大統領を“Astérix”に擬えている(René GoscinnyとAlbert Uderzoによる大ヒットマンガの主人公)。「勇敢で、毅然としており、守護者だ・・・常に勝利をもたらしてくれる。」

UMP幹事長のジャン=フランソワ・コペ(Jean-François Copé)や農相のブリューノ・ルメール(Bruno Le Maire)はマンガではなく、さらに激しい批判を繰り出しているが、批判の矛先を向けているのは、やはり、オランドでは国家の利害を守れないという点だ。コペ幹事長は原子力についてエコロジストと交渉することはフランス人のためにも止めてほしいと述べている。

ルメール農相は、市場に影響を与えたオランドの「フランス国債はドイツ連邦債より利回りが高く、そのことはすでにフランスが格下げされたようなものだ」という発言を批判し、「オランドはまるで負け戦をしているようなものだ、フランスのトリプルAを守るためにあらゆる努力をすべき時に」と攻撃している。

・・・ということで、人柄は良いのに、決断力がない、つまりリーダーシップがないと批判されています。現在のパートナー、Valérie Trierweilerのアドバイスもあり、病気でもしたのではないかと思われるほどの減量をして、小太りでいつもニコニコしている、気の良いおじさんというイメージを何とか払拭しようとしたフランソワ・オランドですが、やはり長年かかって貼られてしまったレッテルは、なかなか剥がせないようです。

良い人なんだけどねえ・・・「タフでなければ生きてはいけない。優しくなくては生きる資格がない。」(レイモンド・チャンドラー)両立できるのは、ハードボイルドの世界だけなのでしょうか。政治の世界で、両立した人は・・・いやいや、まず問うべきは、自分は、どうか?

スペイン人を批判するヤニック・ノアを非難するマリーヌ・ルペン。

2011-11-23 21:04:44 | スポーツ
ヤニック・ノア。ご存知の方も多いかと思いますが、まずは、ご紹介から。

ヤニック・ノア(Yannick Noah)
 テニス・プレーヤー、歌手。1960年5月18日、ベルギーと国境を接するアルデンヌ(Ardennes)県のスダン(Sedan)市生まれ。父はカメルーン出身のプロ・サッカー選手で1961年にフランス杯で優勝したスダン・チームの一員。母はアルデンヌ出身の教師。
 テニス・プレーヤーとして、全仏オープン(Roland-Garros)を1983年にシングルスで、1984年に男子ダブルスで制覇。1986年にはATPランキングで男子シングルス3位にランクされ、今日でもフランス人プレーヤーの最高位。また、デビス・カップにフランス・チームのキャプテンとして出場し、1991年と1996年に優勝。2005年に、テニスの殿堂(International Tennis Hall of Fame)入りを果たす。
 1991年から歌手としての活動を始め、2002年からは歌手活動に専念。今までに8枚のアルバムを発表し、いずれも大ヒット。2010年9月25日にフランス競技場(Stade de France)で行ったコンサートには、8万人ものファンが押しかけた。
 最初の結婚相手は、1978年のミス・スウェーデンで、二人の間にできた息子はプロ・バスケットボールの選手で、シカゴ・ブルズ所属。二度目の相手はモデル。現在のパートナーは、シルビー・バルタンやバルバラなどのプロデュースを手掛けたジャン=クロード・カミュの娘、イザベル・カミュ。
 政治的には、反UMP(国民運動連合)で、2007年の大統領選挙では、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal)を支持。

このヤニック・ノアが『ル・モンド』に寄稿した文章がちょっとした物議を醸しています。そこでヤニック・ノアはスペインのスポーツ界を批判しています。

その批判紹介の前に、現在のスペイン・スポーツ界の状況を少々。

サッカー
 ナショナル・チームとしては、無敵艦隊などと言われながらも優勝に縁遠かったが、2010年のW杯南ア大会での初優勝が記憶に新しい。欧州選手権は、1964年と2008年の二度優勝。FIFAランキングでは、2011年11月時点で堂々の第1位。
 世界最高峰のリーグの一つと言われる「リーガ・エスパニョール」では、特にレアル・マドリードとFCバルセロナが強豪として知られ、UEFAチャンピオンリーグ(チャンピオンズカップを含む)でレアルは9回、バルサは4回の優勝を誇る。2010-2011年の大会を制したバルセロナは12月に開かれるトヨタカップ(FIFAクラブ・ワールドカップ)にヨーロッパ代表として出場する。

テニス
 国別対抗のデビス・カップでは、2000年、2004年、2008年、2009年と4度の優勝を誇る。
 個人プレーヤーとしては、まずは、ラファエル・ナダル。全豪1回、全仏6回、全英2回、全米1回と、2005年以降にグランド・スラムで10度の優勝。北京オリンピックでもシングルス優勝。ATPランキングでは2008年8月に1位。現在は2位。次いで、2003年に全仏を制したフアン・カルロス・フェレーロ。2003年9月にランキング1位。現在は5位。そして、同じく全仏を1998年に制したカルロス・モヤ。1999年3月にランキング1位。

自転車競技
 特筆すべきは、ツール・ド・フランス。ミゲル・インドゥラインが1991年から95年まで5連覇。2000年代になると、オスカル・ペレイロが2006年、アルベルト・コンタドールが2007年・09年・10年、カルロス・サストレが2008年とスペイン勢が5連覇。これまでのツール・ド・フランスの歴史で、スペイン人選手が13回優勝している。

これら以外の種目でも、スペイン人の活躍は増えています。1990年代から、特に2000年以降、スペイン選手が脚光を浴びることが多くなっています。どうしてなのでしょうか。

経済の発展によるスポーツ振興もあるのでしょうが、団体競技においては、郷土の代表から国の代表へと意識が変化したことが大きいのではないかと、これは個人的憶測ですが、そう思っています。昔は、例えばサッカーのように無敵艦隊などと呼ばれるほど下馬評は高いものの、いざ本番になると、あっという間に消えていました。それは、カタルーニャ、バスク、アンダルシア、マドリーなど、地域色が強いお国柄ゆえ、代表チーム内に対立が起き、チームとしてのまとまりが悪いから、とよく言われていました。それが、スペイン人選手が外国でプレーするようになると、カタルーニャでもバスクでもなく、みんなスペイン人。しかも、プレーは上手くても、どこか見下される感じがする。そうした経験から、地域対立を捨て、「スペイン」として好成績を上げようという意識になったのではないかと、独り善がりながら、考えています。

さて、そうした思い込みは置いておいて、脚光を浴びるスペイン・スポーツ界を、テニスの名プレーヤーだったヤニック・ノアが批判しています。スペイン人選手が強くなったのには、別の理由がある・・・19日の『ル・モンド』(電子版)です。

節税対策でスイスに居を移して以降、フランスの税務当局とのトラブルを抱えているヤニック・ノアだが、彼は『ル・モンド』へ寄せた文章の中で、スペイン人選手の成績に疑いの眼差しを投げかけている。「今日では、スポーツはオリンピックに出場するアステリックス(Astérix)のような状況にある。魔法の恩恵にあずかれないなら、勝つことは難しい。そうした状況において、オベリクス(Obélix)のように、スペイン人選手は鍋に落ちた、つまり幸運な奴らだという印象を持っている」と、書いているのだ。

*アステリックス:René Goscinny(作)とAlbert Uderzo(画)によるマンガ(bande dessinée:BD)シリーズ“Astérix”の主人公。1959年の第一作以降、大人気を博し、アニメ化されたり、テーマ・パークがパリ近郊に作られています。舞台は紀元前50年、古代ローマの攻撃に苦しむガリアのある村。アステリックスをはじめとする村人たちは、魔法の飲み物を飲むと超人的な力を発揮し、敵を撃退するというストーリーです。
*オベリクス:アステリックスの親友で、子どもの頃、魔法の液体の中に落ちたため、その超人的な力を常に発揮することができます。

ヤニック・ノアは、結論として次のように述べている。「偽善者ぶるのは止めよう。推定無罪は尊重されるべきではあるが、もはや誰も騙されてはいない。取るべき最上の態度は、ドーピングを認めることだ。そうすれば、誰もが魔法の液体を手にすることができるのだ。」

この意見に対し、スポーツ相のダヴィッド・ドゥイエ(David Douillet)は、ヤニック・ノアの意見は重大な過ちであり、無責任であると述べている。柔道で二度オリンピック・チャンピオンになっているダヴィッド・ドゥイエは、「私こそ、ドーピングなしで優勝できることを示す、生ける証人だ」とテレビ局・France 2の番組で語っている。

一方、スペインでは、ヤニック・ノアの意見に怒ったスペイン・オリンピック委員会委員長のアレハンドロ・ブランコ(Alejandro Blanco)が日刊スポーツ紙『マルカ』(“Marca”)の電子版で、「知らない人には、スペインにおけるスポーツ熱のすごさを理解することは難しいだろう。そのブームこそが成功のカギを握っていたのだ」と語っている。さらに、ドーピングについて、「スペインでは毎年11,200件のドーピング検査を実施している。スペインがドーピングを防いでいることを示す何よりの証拠だ」と述べている。

同じく日刊スポーツ紙“AS”は、スペインのスポーツ省にあたる“Conseil Supérieur du Sport”(CSD)の、「スペインの反ドーピング法が非常によく整備されていることは、国際的に広く知られている。スペインにおけるドーピング行為は、他の国々と大差ないものだ」という意見を紹介している。

“AS”はまた、スペイン・バスケットボール協会会長のホセ・ルイス・サエス(José Luis Saez)がヤニック・ノアを無責任で、嫉妬深い男だと見做していると、伝えている。サエスはまた、「ドーピングのような微妙な問題について語る場合、不要な疑いを撒きちらすのではなく、確かな証拠を提示することが大切だ」と述べている。

・・・ということで、かつての名プレーヤー、ヤニック・ノアは、どうも確たる証拠も提示しないまま、スペイン人選手の活躍をドーピングのお陰だと批判してしまったようです。自分のスポーツ、テニスで、そして、父親のスポーツ、サッカーで、スペイン人選手の活躍は凄まじい。しかも、スペイン人選手の独壇場のようなツール・ド・フランスでは最近、毎年のようにドーピングで失格になる選手が出ています。そこから、悔しさ紛れに、スペイン人選手をドーピングしていると揶揄してしまったのかもしれません。しかし、やはり、証拠が必要なのでしょうね。

スペイン人選手の活躍をドーピングのお陰と決めつけたヤニック・ノアへ批判の矛先を向けているのは、スペイン人だけではありません。同じフランス人からも。それも、スポーツ界からではなく、政界から。極右・国民戦線(FN)党首のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)です。実は、同じ記事の中で、それも、冒頭で紹介されています。順番が逆になってしまいましたが、彼女の非難とは・・・

マリーヌ・ルペンはヤニック・ノアが持ち出したドーピングに関する論争について、次のような見解を述べている。「ヤニック・ノアにドーピングなどについて言及する資格はない。何しろ、フランスに住んですらいないのだから。」

・・・ということで、つまり、節税対策でスイスに住んでいるような人間に、スポーツ界の不正について語る資格はない、ということですね。ドーピングについて批判したいなら、フランスできちんと納税してからにせよ、という非難です。確かに、スポーツ選手や芸能人には、節税対策でスイスに住所を移している人もかなりいます。しかし、活動の中心はフランス。それなら、きちんと納税しろ、フランス人なのだから。という批判ですね。ヤニック・ノアについては、税務当局ともめてさえいるわけですから、スペイン人選手のルール違反を批判するなど、傍ら痛い。隗より始めよ・・・率先して、襟を正すべき人は、多くの国々、さまざまな社会にいるようです。

アニェスは、なぜ殺されたのか?

2011-11-22 20:52:53 | 社会
今、フランスで、ある社会面の出来事(fait divers)が、政治家まで巻き込んで大きな関心事となっています。アニェス事件。その概略は・・・

11月16日(水)、オーヴェルニュ(Auvergne)地方、オート・ロワール(Haute-Loire)県にあるシャンボン・シュール・リニョン(Chambon-sur-Lignon)という人口2,800人ほどの村で、一人の女子学生が行方不明になりました。

その学生は、その村にある国際的にも有名な中高一貫校(collegè-lycée)、「コレージュ・セヴナル」(Collegè-Lycée Cévenal International)の寄宿生で、名前はアニェス(Agnès)。3年生(troisième:中高生は高校3年から下へ順番に、terminale、première、deuxième、troisième、quatrième、cinquième、sixièmeとなりますから、3年生は日本の学制では中学3年生)で、13歳。

この学校は、1938年にプロテスタントによって設立された私学ですが、非宗教的教育を行っています。地元の通学生(externat)と、フランス国内や外国からの寄宿生(internat)を受け入れています。生徒の出身国が30カ国にも及ぶ国際的な教育機関で、フランスで男女共学が一般的になる30~40年も前から男女共学を実施し、門も塀も設けない開放的な環境と、生徒一人一人の自主性を重んじる学風で知られています。また、平和と非暴力を教育の柱にしています。

行方不明になって3日目の18日(金)、家族はもちろんクラスメートや教員など多くの人たちの願いもむなしく、容疑者の明かした場所で、彼女の遺体が発見されました。13歳のアニェスは、殺され、犯され、そして、その遺体は焼かれていた・・・

その容疑者は、同じ学校の寄宿生で、17歳の1年生(日本風に言えば高校2年生)。どうして疑われたかと言えば、この学校に来る前に、性的暴行事件を起こしていたから・・・昨年8月、オーヴェルニュ地方の南、ラングドック・ルシヨン(Languedoc-Rousillon)地方、ガール(Gard)県で、やはり未成年の女性を暴行しています。その被害者は、幸運にも命は救われました。その事件により、当時16歳だったこの少年は、4カ月間、未決勾留され、精神科医による精神鑑定などを受けましたが、再犯の危険性は少ないとして、カウンセリングの継続を条件に、自由の身となりました。その後、コレージュ・セヴナルに寄宿生として入学。はじめは精神科医、その後は心理カウンセラーによる面談をきちんと受け続けていました。

フランスでは18歳から成人ですので、17歳ではまだ少年A。この少年は、父親が教師、母親が会計士というごく普通の家庭で、二人の姉妹とともに育ちました。今回の件については、犯行の一部を認めてはいますが、冷静で動揺のかけらもないようだと検察当局は述べています。

増え続け、しかも凶悪化している少年犯罪。その上、再犯が増えている・・・こうした事態に、政府は、そして他の政党は、どのように反応しているのでしょうか。

まず、取り締まる側のトップ、クロード・ゲアン(Claude Guéant)内相の対応を、21日、テレビ局・TF1の夜8時のニュース番組に出演した際の発言を中心に、21日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

クロード・ゲアン内相は、アニェス殺害を認めている少年が男女共学の学校に入る前に性的暴行の容疑で取り調べを受けていた事実を指摘しつつ、再犯防止対策が機能しなかったこと(dysfonctionnement)を問題視している。

「昨年8月、被疑者は一人の少女を森に連れ出し、ナイフで脅して木に縛り付け、乱暴に数度犯した。このときは、被害者は殺されずに済んだが、少年は4ヶ月間、未決勾留され、精神科医による観察の結果、危険性はないということで、男女共学の寄宿舎に入ったのだ」と、内相は時系列的に説明した。

「この少年がどのような事件を起こしていたのか、受け入れ先の学校が詳細に知っていたのかどうか、疑わしい。結局、村長も、警察も、彼と面談していた精神科医も、彼が犯したことを知らなかった」と、内相は述べている。

内相は、犯罪者に対しては複数の専門家による観察・診断が行われること、情報が十分に共有されること、凶悪事件の容疑者については、司法判断が出される前に釈放しないこと、こうしたことが大切だと述べた。

内相は、少年を“centre éducatif fermé”(再犯矯正施設:一般的なétablissement pénitentiaire pour mineurs・少年院とは異なり、犯行を繰り返す未成年犯罪者の矯正を目的とした施設)へ送ることになるだろう、と語っている。こうした施設は現在500人収容できる規模だが、未成年者による再犯の増加により、50%増やす必要に迫られている。同じ21日、内相の発言の前に、フィヨン(François Fillon)首相も、凶悪犯罪の容疑者である未成年者はすべて、司法の判断が下されるまで、こうした施設に収容しておくべきだと述べていた。

内相はまた、「何度か改正されたとはいえ、1945年の政令に基づいている未成年者に対する現行の司法制度を改革する必要がある。それも本質的な改革が求められている。来年の大統領選の後で、優先的に取り組むべき課題だ。17歳11カ月が裁かれる法律と、18歳が裁かれる法律とでは大きな違いがある」と指摘している。アニェスを殺した犯人の少年は、もうすぐ、今年末に18歳になる。

「未成年者に重罪を科すべきではないという感情に終止符を打つべき時だ。未成年の犯罪者は、18歳になっていないのだから大した罪にはならない、と思っている。司法の速やかな対応を期待したい。例えば、市民の価値観、モラル、社会の権利について考える研修などが考えられる。また未成年犯罪者に対する司法の決定はよりスピーディに行われるべきだ。未成年者重罪院は決定を下すのに、犯罪発生から5年も要している」と、内相は続けた。

・・・ということで、犯人の少年を引き受けた学校も、地域も、カウンセリングを担当している精神科医や心理カウンセラーも、少年が以前犯した犯罪を知らなかった、という内相の発言は「?」ですが、もし本当なら「!!!」です。確かに、プライバシーの問題もあるでしょうし、反省しており、犯罪を繰り返すとは限らない、と考えることもできるでしょう。それでも、村長など地域社会は別としても、カウンセリングの担当者や学校側は、転校して来てカウンセリングを受けている少年の背景は知っていてしかるべきだと思うのですが。人にすぐレッテルを貼るのが好きな日本人的感覚なのでしょうか。

ところで、今回の事件に関し、極右・国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)党首が、持論にひっかけてある提案をしています。20日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

マリーヌ・ルペンは死刑の復活に関する国民投票を提案した。我々の子どもたちを殺すような人間には死刑が必要だと述べている。テレビ局・Europe 1の番組で、アニェスが殺された件について語る際に、そのような提案をしたのだ。13歳で彼女は殺され、昨年強姦に関わった17歳の少年が、アニェス殺しに関しても一部を認めている。

「犯罪に対する寛容主義に別れを告げるべきだ。また、未成年者による犯罪に関して、その法的処分が出るまでの期間を短縮すべきだ」と、来年の大統領選候補者であるマリーヌ・ルペンは主張している。

また、国民戦線党首は、死刑の復活について国民に問うべきだと語っている。「死刑の復活は、フランス人がしっかり考えるべきテーマだと思う。もし自分が大統領に当選すれば、死刑か、本当の意味での終身刑か、どちらを選ぶべきかという国民投票を実施したい。我々の将来を担う子どもたちを殺すような人間は、命で償うべきだ」と、語っている。

・・・ということで、死刑の復活を、と提案しています。持論なのでしょうが、未成年者による犯罪、それも再犯が増加し、また性的犯罪から殺人におよぶ事件も多発している現状で、こうした発言が有権者に受け入れられやすいという計算もしていることでしょう。人権の国・フランスも、ついに犯罪社会という現状には勝てず、死刑を復活させるのでしょうか。それとも、極右政党の選挙戦術で終わるのでしょうか。

犯罪の低年齢化、凶悪化・・・荒んだ社会になって来ているようです。もちろん、フランスだけの問題ではありません。多くの国々が抱える共通の問題。私たち、先の世代は、どこをどう間違ってしまったのでしょうか。子は親の背中を見て育つ。子は親を映す鏡。若者を批判し、取り締まればそれで済む、というわけではなく、若者の親の世代、あるいはその上の世代として、問題はどこにあるのか、どう解決すべきなのか、真剣に考えるべきなのではないでしょうか。

フランス人の時間の使い方、この10年でどう変わったのか?

2011-11-21 20:35:03 | 社会
●到着時間
ある時、世界的な音楽コンクールが行われた。
開始1時間前にドイツ人と日本人が到着した。
30分前、ユダヤ人が到着した。
10分前、イギリス人が到着した。
開始時間ピッタリにアメリカ人が間に合った。
5分遅刻して、フランス人が到着した。
15分遅刻して、イタリア人が到着した。
30分以上経ってから、スペイン人がようやく現れた。
ポルトガル人がいつ来るのかは、誰も知らない。
(『世界の日本人ジョーク集』~早坂隆著)

時間に関しては上記のような評判をもつフランス人。どちらかと言えば、イタリア、スペイン、ポルトガルなどと一緒に「地中海圏」に属してしまっているようですが、良く言えば、しっかり者の多いフランス人。自分の時間の使い方、過ごし方には、それなりの見識を持って、上手に時間管理しているのではないかと思われます。

どのようなことに多くの時間を費やしているのでしょうか。そして、時代の変化とともに、その内容に何らかの変化は起きているのでしょうか。時間の使い方からも、フランス社会の変化の一端がうかがえるかもしれません。

その変化を、10日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

「誰にとっても一日は24時間であり、その半分を寝ること、食べること、身の回りのことに費やしている」・・・このように、“Insee”(Institut national de la statistique et des études économiques:国立統計経済研究所)が11月10日に発表した研究報告は、説明を始めている。そのタイトルは、「前回調査からの11年で、家事に費やす時間はより少なく、インターネットに接続する時間はより多く」(Depuis onze ans, moins de tâches ménagères, plus d’Internet)。

調査結果は、以下のようになっている。2010年、フランス人は毎日の自由に使える時間の半分、つまり4時間58分を画面の前で過ごしていた。この時間は1999年より若干増えている。画面の前といっても、最も長い時間を費やしているのはテレビの前で、平均2時間テレビを視聴している。詳しく見ると、主婦は1999年よりも19分長くテレビを観ているが、学生の場合は逆に30分短くなった。その減少分のほとんどがパソコンの前に座る時間となっている。年代に関わらず、パソコンを操作している時間は女性よりも男性の方が長くなっている。25歳以下に限れば、男性は女性よりも一日で30分も長くパソコンの前にいる、という結果になっている。

2010年にフランス人がネットサーフィンやネット上でのゲームに費やした時間は平均33分で、1999年より16分長く、ほぼ倍増したことになる。

一方、読書時間、そこには本や新聞だけでなくネットに公開されているニュースなどを読む時間も含めてだが、1986年と比較すると約三分の一、9分も減っている(27分から18分に減少したようです)。最も読書時間が長いのは退職者で、毎日30分以上読書時間を取っている。

“Insee”の調査は、余暇の増加と労働時間の減少の相関関係について直接は言及していないが、男性の労働時間は11年前と比べて平均11分短くなっている。女性の労働時間には変化は見られない。就労している男性は平均で週37時間15分働いており、一方、女性の場合はパート勤務も多いため、週29時間5分だった。

“Insee”が1,600人を対象に余暇の過ごし方に関して行った別の調査によれば、労働はフランス人にとって最も気が進まない時間の過ごし方となっている。その結果を、日刊紙『ル・フィガロ』は、「家事や通勤でさえ、仕事よりは快適な時間だと見做されている!」と紹介している。

家事に費やす時間については、男性では変化が見られないが、女性、特に働いていない女性では一日に30分も減少している。料理の時間は、女性では1999年と比べて10分短くなっている。男性が料理のために割く時間はほとんど変わらないか、若干減少している。しかし、男性が子どもの世話や料理以外の家事に費やす時間は5分増えている。

・・・ということで、天上の楽園を追放された人間に与えられた苦役、労働はフランス人にとって最も嫌な時間なんだそうです。昔から言われていましたが、現在でも変わらないことを“Insee”の調査結果が示しています。働くことが趣味・生きがいという我ら日本人とは、なんと隔たった生き方、価値観なのでしょう。地球の裏と表くらいの違いがあります。

しかし、はじめに紹介したジョークによれば、日本人とフランス人が地球の裏表くらいの差なら、スペイン人やポルトガル人とは宇宙の端っこ同士・・・そうした国々で暮らしていらっしゃる日本人の皆さんのご苦労や、いかばかりか。しかし、住めば都、人間は順応できる生き物ですから、ね。上手く適応されているのでしょう。もしできなければ、さっさと帰国なさっているでしょうから。

上記のジョーク集には欧米諸国しか出てきませんが、私が住んだ、例えばタイの時間に関する感覚は、スペインやポルトガルに近いものがあります。何しろ「微笑みの国」、笑って済ませないとやっていられません。その点、中国は、アメリカやイギリスに近いような気がします。時間に関しては、あまりショックを受けませんでした。他にいろいろ驚くことはありましたが・・・ただ、泰中両国で、共通して指摘されたことは、日本人はどうして一生、他人に指図される立場で、満足できるのか、ということでした。人に使われるより、使う方の立場になれば、達成感にしろ、満足感、精神的余裕、金銭的余裕も大きくなるのに、人に使われて、よくそれだけ働く気になれるね、独立する気はないの???

国や地域による違いは、調べるほどに、知るほどに多くなってきます。しかし、どんなに異なっていても、我らはみな、宇宙船「地球号」の乗組員同士。追い出したり、抹殺することはしてはいけないし、またできないことだと思います。しかも「違い」は、国同士だけでなく、国内の地域同士、そして個人同士でもありますが、否定するのではなく、受け入れ、認め合うことが大切なのではないでしょうか・・・行うは難し、ですが。

外国人留学生よ、卒業したら、さっさと帰れ!

2011-11-18 20:40:16 | 社会
 「国内の大手企業に、若手社員を積極的に海外に派遣する動きが広がっている。三菱商事や伊藤忠商事など大手商社が、入社2~8年目までの全社員に海外での語学や実務研修を義務づける制度をスタート。トヨタ自動車は今年度から、採用内定の段階から海外体験を促す留学支援制度を導入した。背景には、ビジネスの主戦場が先進国から新興国にシフトした市場の変化に人材育成が追いついていないことへの危機感があり、各社は入社後の早い段階から異文化や商習慣の違いを経験できる環境を提供し、グローバル人材の育成を急ぐ。」
(11月18日:フジサンケイ ビジネスアイ:電子版)

しかし、

 「だが海外駐在が当たり前の大手商社でさえ、最近の若者の内向き志向の影響は深刻な様子。『新興国にいきたがらない若手社員もいて、改めて鍛え直す必要がある』(大手商社幹部)のだという。」
(同上)

という状況は、すでにさまざまな場で語られています。しかし、ここで再び、しかし、なのですが、

 「あなたは将来、グローバルな人材になりたいですか? 2012年4月入社を希望する大学生(大学院生を含む)に聞いたところ『なりたい(どちらかというを含む)』と答えたのは77.7%であることが、レジェンダ・コーポレーションの調査で分かった。
 またグローバルな人材になるためには、どのような能力・資質が必要だと思いますかという質問には『語学力』『英語力』『コミュニケーション能力』を挙げる人が多かった。例えば『英語をはじめとした語学力はもちろん、自分の意志を伝えて理解してもらうためのコミュニケーション力』『文化、人種、考え方など、人のアイデンティティに対して、固定概念を持っていないこと。「何でもやってみよう」という前向きさやチャレンジ精神があること』といった意見があった。」
(11月16日;Business Media 誠)

先進国なら行ってもいいが、新興国には行きたくない、ということなのでしょうか。それとも、海外はどこであっても行きたくない、ということなのでしょうか。

社会へ出たばかりの人たち、あるいは、これから社会へ出ていこうとする人たちの本音はどこにあるのでしょうか。面倒な海外勤務など嫌なのか、グローバルな人間目指して、世界で飛躍したいのか・・・就職難の今、企業が求めるグローバルな人間になりたいと、マニュアルに従って就職試験では答えるものの、本心では海外へはできれば行きたくない? 

いや、そう決めつけては、見失ってしまうことがあるのではないでしょうか。今や、日本も格差社会。新興国や途上国でも、十分に生き抜くだけの強さと意欲にあふれた人たちと、住み慣れた日本でぬくぬくしていたい人たちに分かれている。そんなふうに思います。どちらに焦点を当てるかで、見え方も違ってくるのではないでしょうか。均質社会から、格差社会、いや、「違いのある社会」へ、そして「違いを認め合う社会」へ。

そう思いたいのですが、アメリカでの日本人留学生が減少しているのは、いかんともしがたい現実で、政治の場でも言及されるほど。アメリカへ留学しない、というくらいですから、いわんやフランスへをや。たぶんフランスへ向かう日本人留学生も減少しているのではないかと思われますが、その傾向にさらに拍車をかけるかもしれない政治的動きが、フランスで現れています。

どのような政策なのか、16日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

クロード・ゲアン(Claude Guéant:内相)は首尾一貫した、毅然たる男だ。4月に、ゲアン内相は毎年フランスが受け入れている正規移民を10%削減したい(現在の20万人ほどを、10%カットして18万人にしたい)と発言した。5月には、労働移民の削減に尽力し、2007年の大統領選でサルコジ大統領が打ち上げた「選択的移民」政策を葬り去ってしまった。内相曰く、「巷間言われていることとは異なり、我が国は移民の才能、能力を必要としてはいないのだ。」

そして5月31日には、グザヴィエ・ベルトラン(Xavier Bertrand)労相とともに、就労移民に関する2006年の法律をできる限り厳格に適用するようにという趣旨の通達に署名した。具体的には、大学、あるいはグラン・ゼコールを卒業した外国人留学生に就労を認める前に、その仕事がフランス人で行えないのかどうかをしっかり検証するよう県知事たちに命ずる内容だ。

この通達の効果はすぐに現れた。ここ3カ月の間に、数10人、いや、数100人の留学生、それもエコール・ポリテクニック(Ecole Polytechnique:理工科大学校)、HEC(Ecole des hautes études commerciales:パリ経営大学院)、Essec(Ecole supérieure des sciences économiques et commerciales:エセック経済商科大学院大学)、シアンス・ポ(Science Po:パリ政治学院)といった名だたるグラン・ゼコールを卒業し、企業の採用を勝ち取った留学生が、滞在許可を拒否されている。

何物も内相を屈服させることはできない。フランス、そしてその高等教育機関の魅力が大きく損なわれることを危惧するグラン・ゼコール協議会の警告も、外国の大学との間で締結している協定に違反することになると憂慮する大学学長協議会の問題提起も、内相を説得することはできない。

フランス自身が教育を施し、グローバル化する世界でのビジネスにとって大きな戦力となりうる留学生をフランスが締め出してしまうことは理解し難いという民間企業連盟(l’Association française des entreprises privées)の動揺も、お構いなしだ。滞在許可を却下された留学生たちの怒りや、社会党の上院議員たちが11月15日に提出した決議文において示した批判など、どこ吹く風だ。

それだけではない。9月には、予算相であるヴァレリー・ペクレス( Valérie Pécresse:前高等教育研究相)が、フランスの大学をより魅力あるものにするための戦略を提案した。ペクレスの後任であるロラン・ヴォキエ(Laurent Wauquiez)も、10月7日の『ル・モンド』でこの上なく明確に語っている。「フランスで教育を受けた、つまりフランスが投資した留学生たちは、フランスと母国とを結ぶ終生変わらぬ架け橋となるだろう」と述べ、さらに、エンジニアリングのような戦略的な分野へは、フランスの高等教育機関は毎年3万人の卒業生を送り出しているが、実際にはフランスは4万人を新たに必要としている、と指摘している。

クロード・ゲアンは、そのような提案や言及など、全く意に介さない。大統領選まで5カ月となり、極右の国民戦線(Front national:FN)からのプレッシャーも高まる中、フランスにおける移民の数を減らすことが重要だ。有名な台詞、“La France aux Français”を聞けば、留学生の排除が国や企業の利害に反するといったことは、さして重要でなくなる。ゲアン内相が推し進める政策は支離滅裂なだけではなく、恥ずべきものだということも、重要なことではないようだ。

・・・ということで、すべては、大統領選のため。政治は、戦いだ。勝つか、負けるか。勝つためには、手段も選ばず。負ければ、下野し、最悪の場合は、ただの人。何が何でも、勝ち抜かねばならぬ。右傾化する社会に合わせ、移民排斥を押し進める。さすがに、極端にはできないが、できるところから、推進する。留学生だって、例外ではない。フランス人自身の失業率が高止まりしているのだ。留学生に与えるポストがあるなら、フランス人に回せ。失業率が下がれば、与党にとって有利な材料になる。戦う武器は、多いほどいい・・・

フランスに留学し、無事卒業。企業から内定ももらえた。それなのに、労働ビザが出ず、帰国せざるを得ない・・・そうした状況が増えているようです。日本人留学生の場合、フランスに残ってフランス企業に就職しようという人は、それほど多くないでしょうから、それほど重大な影響を蒙ることもないのかもしれませんが、フランスの大学を卒業した留学生でもこうした困難に直面しているということは、語学留学などからビザを書き換えることは、今まで以上に難しくなっているのではないでしょうか。憧れのフランスが、ますます、遠くなる・・・

そして、日本にいる私たちが考えざるを得ないのは、留学生は終生変わらぬ架け橋ということです。日本に留学した外国の学生たちが、良い思い出を持って帰国してくれれば、しっかりした架け橋になってくれるでしょう。あるいは、卒業後も日本で働きたいという人の希望がかなえられれば、さらに堅固な架け橋になってくれるかもしれません。

ただし、その勤務経験が、アメリー・ノートン(Amérie Nothomb)の『畏れ慄いて』(“Stupeur et tremblements”)のような結実とならないことを願っています。

ボジョレ・ヌーヴォーを飲んだら、次は、どこへ・・・

2011-11-17 21:23:28 | 社会
今日、11月の第三木曜日は、“Beaujolais nouveau”の解禁日。毎年飲まずにはいられない、という方もいらっしゃることでしょう。今年は、50年に一度と言われた当たり年、2009年にも匹敵する出来だそうですから、飲む前から、垂涎。とは言うものの、50年に一度が一年おきというのも、「?」ですが、その年のブドウの出来を確かめる試飲酒、お天道さま次第では素晴らしい出来の年が続くこともあるのでしょう。

しかも、今年は、1951年の官報でワインの解禁日が決められてから、つまり、“Beaujolais nouveau”の誕生から60年。ただし、当初は日にちが明確には決まっておらず、年によって変わっていたそうですが、1967年に11月15日に決められました。しかし、それでは週末にあたる年も出てくる。日曜日にはスーパーや商店などが閉まってしまうフランスのこと、週末では商売に影響すると、1985年に11月の第三木曜日に決められたそうです。

という蘊蓄はともかく、今年のボジョレ・ヌーヴォーをお楽しみ下さい。その後は・・・飲んで、食べたら、その後は、出すものを出さないと。ということで、今日の話題は、強引ですが、トイレ。「うんちく」の後だけに、「うん」の話???

トイレといっても、そこは文化の香るフランスのこと、「トイレと読書」というテーマです。スカトロジーの好きな方には、残念です。

日本のトイレの個室にも、読み終えた新聞や雑誌がよく置き去られていますね。そんなのを読んでいるから時間がかかると言われながらも、なかなか止められないトイレでの読書。しかし、トイレでの読書が、健康に影響を及ぼすことはないのだろうか・・・こうしたテーマを追求している研究者もいらっしゃるそうです。

そうした研究結果を4日の『ル・モンド』(電子版)が紹介しています。健康に、どう影響しているのでしょうか・・・

宇宙の果てからセックス・クラブまで、科学の研究対象から逃れることのできる領域はない。トイレも例外ではない。国王も一人で行くと思われるトイレでさえ、研究者はその後を追う。排便のさまざまな習慣が、便秘や痔など健康にどう影響を及ぼすのか、追求されている。しかし、ひとつだけ、トイレに関する習慣で研究されてこなかったことがある。トイレでの読書だ。

1989年、有名な専門誌“The Lancet”で、このテーマに関するちょっとした論争があった。ある記事が、読書は通便を妨げると批判した。頭脳活動が基本的な肉体活動を邪魔すべきではない、というわけだ。読書は、食事をしながら、トイレで息張りながら、セックスをしながら、サッカーをやりながら、やるべきではない・・・しかし、反対の意見が2009年に発表された。

“Neurogastroenterology & Mobility”という雑誌に発表された、イスラエルの研究者たちによる文章だ。6人の医師が、500人ほどを対象に調査を行った。質問内容は、トイレで読書をする習慣があるか、トイレに座ってどのくらいの時間を過ごすか、トイレに何回くらい行くか、排便時にどのくらい力むか、肛門の状態はどうか、便の状態はどうか・・・最後の点に関しては、有名な「ブリストル便形状スケール」(l’ échelle de Bristol:1997年にイギリス・ブリストル大学のKen Heaton博士によって公表された等級で、本来の英語ではThe Bristol Stool ScaleあるいはMeyers Scaleと表記されています)によって、小さな砂利のような形・硬さの「スケール1」から水のような「スケール7」までに分類して調べた。

ちょっとユニークなこの調査の結果は・・・至って平凡なものだった。調査対象者の約半数がトイレで読書をする習慣をもっていた。その読書家のプロフィールは、若い男性で、学歴が高く、宗教に熱心ではない、というものだ。逆に、女性、高齢者、農業従事者、工員、信心深い人にはトイレで本を読む傾向はあまりなかった。しかし、この傾向は読書に対する一般的傾向が反映されているのではないか。

トイレでの読書が健康にとって良いのかどうかという質問に戻れば、ウイでもノンでもないという結論になった。トイレでの読書により、ごく僅かに便秘が減り、ごく僅かながら痔が増える、という影響だけだ。読書にはリラックス効果があり、プルーストやジョイスが描写するような便秘に悩む人には良い効果があるのではないかという仮説を立てていた医師たちには、がっかりする結果となった。

*プルースト(Marcel Proust)の『失われた時を求めて』(A la recherche du temps perdu)には、「十五年おきにやっと一つ、一幕ものかソネットをしぼり出す便秘作家」という一文があり、ジョイス(James Joyce)の『ユリシーズ』(Ulysses)では、「昨日の軽い便秘はどうやら解消した。頼むぜ、あまり大きいと痔になってしまう。いや、ちょうどいい。そう、ああ!便秘薬。カステラ・サグラダを一錠。」という文章に出会います。

医師たちは、トイレで本や新聞を読むことには治療効果はなく、単に時間を過ごすだけだと結論付けるしかなかった。この結論は、チェスターフィールド卿(Philip Chesterfield)を思い出させる。彼はその名著『父から息子への手紙』の中で、次のように書いている。

「時間の使い方の上手な人間は、トイレで過ごさざるを得ないわずかな時間さえも無駄にはしない。そのわずかな時間を、ラテン語の詩の復習に充てたものだ。例えば、ホラティウス(古代ローマ時代の詩人、BC65~BC8。『詩について』が有名。仏語表記は、Horace)の普及版を買い、数ページをちぎってはトイレに行き、それを読み始める。読み終えるとその紙をお尻の方へ持っていく・・・その時間を得したというものだ。息子よ、君にもこの例に倣うよう勧める。しないわけにはいかないことができて満足する、それ以上の行為となるのだから。」

文学的スカトロジーに最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。なお、水洗を流すことをお忘れになりませんように・・・ジャーナリスト、ピエール・バルテレミー(Pierre Bathélémy)

・・・ということで、トイレで何かを読むからといって、特に健康に影響があるわけではないようです。そうであれば、詩の復習でもしたらどうか・・・しかし、読むものが堅くては、出るものも硬くなってしまいそうで、やはり、新聞や雑誌になってしまうところが、凡人たるゆえんと、反省です。

ところで、チェスターフィールド卿は、読んだ本のページでお尻を拭くと言っていますが、紙が硬くては痔になってしまいそうと思うのですが、そうならないところを見ると、トイレット・ペーパーとして十分な柔らかさがあるのでしょうね。さすがは、イギリス。なにしろ、紙の質が文明の高さを物語る、という意見がありますから。

薄く、それでいて丈夫な紙が作れる国の文明は進化している。逆に厚くて、ごわごわ、それでいてすぐ切れてしまう紙しか作れない国は、近代文明の面で後れを取っている。そのような主張を聞いたことがあります。確かに、本や辞書の紙質を見ると、お国ぶりがはっきり出ています。日本の紙はと言えば、その薄さ、丈夫さ、特筆ものですね。文明の発展ぶりをよく物語っています。

しかし、その日本のトイレには「備え付けのペーパー以外は水に流さないでください」という表示がよくあります。もちろん、タバコの吸い殻やその他の固形物を流さないで、ということなのでしょうが、別の紙もダメとすると、日本では、チェスターフィールド卿の勧めるやり方は、やってはいけないのでしょうか。でも、読むのが新聞や雑誌では、紙質も本や辞書よりは硬そうですし、インクさえ付いてしまいそう。止めておいた方が、無難ですね。

最後のオチを探したのですが、トイレに流してしまったのか、見つからないので、今日のところは、これまで。

嵐に漕ぎだす足踏みボートの船長って、誰?

2011-11-15 21:10:44 | 政治
「高い議員報酬、省庁の無駄遣い、慣例化した汚職を改めるだけでなく、派手でうるさい弁士の集まりから実務をこなす議会へと少しでも改めない限り、政治家憎悪はさらに深まるだろう」という文章が、11月14日の毎日新聞(電子版)に出ていました。

どこの国の話でしょうか・・・永田町のことかと思えてしまいますが、実は、ギリシャとイタリアの現状を紹介する記事からの抜粋です。こう似ていると、PIGSの次は、やはり日本か、と恐ろしくなってしまいます。

アメリカ大統領選挙の予備選の進展を見ていても、まるでモグラ叩き。誰かの支持率が急上昇すると、その立候補者のスキャンダルが発覚する。あるいは、自ら墓穴を掘る。他にいないのか、といった状況を呈しています。政界に、人材がいない。では、どこにいる、と問われてしまうと、思わず答えに窮してしまいます。金融界でしょうか、学界でしょうか・・・日本では科学技術の研究者の中に多くの人材がいると言えるのですが、かといって国の舵取りはどうでしょうか・・・

多くの国々で、市民の政治不信は高まるばかり。政治家不要論まで聞こえるほどですが、その政界では相変わらずの内輪もめ。コップの中の嵐です。

そのコップの中の嵐、フランス政界でも、もちろん起きています。来年は大統領選の年。そう言えば、来年はフランス以外にも、アメリカ、韓国で大統領選挙があり、中国では国家主席&首相の交代が予定されています。流れに乗って、日本の首相も、また交代してしまうのでしょうか・・・内閣支持率が、今年もまた、年末へ向けて下降して来ています。二度あることは、三度ある??? いや、五度あることは、六度ある!!!

さて、肝心のフランス。大統領選へ向けて、各党の非難合戦が始まっていますが、さらに小さなコップ、左派陣営の中でも、合従連衡をにらんで、さまざまな駆け引き、足の引っ張り合いが行われています。

2008年に、社会主義者(socialiste)・エコロジスト(écologiste)・共和主義者(républicain)の統合を目指して社会党を離党し、左翼党(Parti de gauche)を設立したメンバーの一人、ジャン=リュック・メランション(Jaen-Luc Mélenchon:元上院議員、現欧州議会議員)が左翼陣営の一部を糾合して左翼戦線(Front de gauche)の統一候補として、大統領選に立候補しています。

そのメランションが批判しているのが、古巣・社会党の公認候補、フランソワ・オランド(François Hollande)。どのように非難しているのでしょうか。13日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

嵐の海に漕ぎだす足踏みボートの船長(un capitaine de pédalo dans la têmpete)。左翼戦線の候補者、ジャン=リュック・メランションは、13日の週刊紙“Journal du dimanche”に掲載されたインタビューで、このように社会党の候補、フランソワ・オランドを形容している。メランションは、特にオランドの中道寄りの路線(une ligne centriste)を批判している。

メランションから見れば、オランドはその社会自由主義(sociale-libérale)への固執をきれいな言葉やジョークで包んでいるだけだ。「しかし、左翼が選挙で勝ったのは、左翼本来の路線に立った時であり、中道寄りの立場で戦った時には、負けている。嵐の中に踏み出そうとしている今、左翼はどうして、オランドのような足踏みボートの船長を選ぶのだろうか。自分は、左翼が勝利できるよう、左翼の立場で立候補しているのだ」と、メランションは語っている。

現在、原子力を争点に社会党(PS)とヨーロッパ・エコロジー緑の党(EELV)が投票での協力を模索しているが、メランションはその原子力についての国民投票を提案している。そして、両党の原子力をめぐる立場の違いを嘆いている。

「片や、オランドは原子力を継続すると一人で決めてしまった。一方、頑固なエコロジストたちは原子力から脱却すべきだと譲らない。しかし、ついには、彼らが原発と選挙区(選挙協力)を交換することに気づくことになる。まったく、愚かなことだ(la carabistouille)」と、メランションは一刀両断に批判している。そして、国民投票を行う場合、事前に国民的論議が必要だと付け加えている。

オランドに近いピエール・モスコヴィシ(Pierre Moscovici:下院議員)は、足踏みボートの船長というメランションの評価を受け入れはしない。“Radio J”の番組で、モスコヴィシは「メランションの用いた表現には驚いた。大きな誤りだ。しかも、右翼がよく使う、穏やかな海の船乗り(le marin d’eau douce)というテーマの二番煎じであり、まったくの的外れだ。この表現は、“UMPS”(UMPとPSをつなげた表現で、どちらも立場的にはあまり違わない、と非難する時に用いられる表現で、特に極右の国民戦線や右派のフランス運動が使います)と同じだ。メランションのように、いみじくも左派の候補者であるなら、同じ左派の社会党候補についてこのような言及を行うべきではない。右派や極右を除いて、このような批判を聞いて誰が喜ぶだろうか」と述べている。

「フランソワ・オランドは、自分のペースを守り、どこへ向かうべきかを心得ている人間だ。経験も十分にあり、国家意識も持ち合わせている政治家だ。横暴なリーダーであるニコラ・サルコジとは大違いだ。オランドは、統合を目指している。しかし、多くの意見を集約するタイプだからといって、決断力に欠けているわけではない」と、モスコヴィシは続けている。

・・・ということで、同じ左派陣営から、足踏みボートの船長と揶揄されたフランソワ・オランド。しかし、側近は、多くの意見を集約していくタイプだが、経験も十分、決断力も申し分ない、と反論しています。さて、実際は・・・

ところで、ジャン=リュック・メランションが提案している、原子力に関する国民投票。イタリアでは今年6月に実施され、原発凍結賛成、つまり運転再開に反対する票が94.05%に達しました。日本でも、できないものでしょうか。

 「日本でも原発の是非を問う国民投票は実施可能なのだろうか。総務省などによると、現状のままではできない。通称「憲法改正国民投票法」が2010年5月に施行されているだけで、憲法改正についてのみ、国民投票が実施できることになっている。自治体単位で行われる住民投票は別物だ。」
(6月15日:J-castニュース)

ということで、現状では、憲法改正以外で国民投票を行うのは無理。そこで、次のような取り組みが行われているようです。

 「原子力発電の是非を問う住民投票の実現を――。12月1日から東京都と大阪市で署名集めを始める市民団体が呼びかけに力を入れている。著名な作家や俳優らも活動の先頭に立っている。
 「原発は暮らしや命を左右する重要なテーマ。是非を決めるのは国や電力会社でなく、住民の直接的な投票であるべきだ」
 東京都内で14日に記者会見したジャーナリスト今井一さんは、そう訴えた。東京電力福島第一原発事故を受けて6月に発足した市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」(事務局・東京)の事務局長。17日には、来月に市長選を控える大阪市でも会見を開き、「次の選挙で選ばれる大阪市長や関西電力だけが決めるのは間違っている」と語った。
 有権者の50分の1以上の署名が集まれば、首長に条例の制定・改廃などを直接請求できる。同団体は住民投票条例の制定を求めて署名活動に乗り出す。東京では21万4千人の署名が必要で、12月1日から請求代表人が渋谷、新宿、池袋などの街頭に立って署名を募る。東京・生活者ネットワークは生活協同組合の組合員らにも協力を求める。今井さんは「無効分を見込んで30万人分を目標とし、12月中に達成したい」と語る。
(10月17日:朝日新聞・電子版)

原子力は、フランスの左派陣営での選挙協力の可否を決める争点になっています。減原発や脱原発を決めた国もあります。さて、日本は? 明確な結論が出されないうちに、ストレステストは行われるものの、なし崩し的に運転再開が決まって行きます。そうです、なし崩し的に・・・今まで、幾度となく見せつけられてきた日本独特の解決方法。こうした政治手法が、今日では政治不信に拍車をかけているのではないかと思うのですが、それとも、これで今回もうまくいってしまうのでしょうか・・・

ピント合わせは苦手・・・フランスから見たオリンパス。

2011-11-14 21:00:51 | 経済・ビジネス
しばらく更新が飛んでしまいましたが、その間にも、『飛んでイスタンブール』ならぬ『飛んでイタリア・ローマ』、ベルルスコーニ首相の辞任など、さまざまな出来事が起きていました。

もちろん、日本国内でも。国内ニュースの双璧は、TPPとオリンパス。さらには清武発言などというものもありましたが・・・TPPはフランス語では“le Partenariat trans-Pacifique”でPTPとなりますが(カナダのフランス語系メディアの表記)、PTPでもTPPでも『ル・モンド』の検索には出てきませんでした。地球の裏側での動きなのでしょうね。因みに、APECは、“la coopération économique Asie-Pacifique”となります。

その点、“Olympus”で検索すると、いくつかの記事にヒットします。やはり、製品は、強い。プロダクトという手で触れることのできるもの、目で見ることができるものは、やはり知名度が高くなります。まして、コンパクトカメラでは、日本製品がフランスを含め、多くの国々で大きなシェアを占めているだけに、オリンパスの事件は十分ニュースになるのでしょうね。ただし、大見出しになるほどではなく、文字検索する必要がありますが。

さて、オリンパス関連のニュースの中から、8日の『ル・モンド』(電子版)が伝える内容をご紹介しましょう。フランスのメディアはこの件に関し、どのあたりまで関心を広げているのでしょうか・・・

ピント合わせに時間がかかっているが、ピンボケが緩和されるに従い、オリンパスが映し出す画像にめまいを起こしそうだ。日本のこのカメラメーカーを取り巻く財務スキャンダルの暴露は、もはや留まるところを知らない。事件発覚からわずか3週間、世界で最も知られた日本ブランドの一つであるオリンパスは、経営陣の一部が行ったでたらめな行動により、まさに危機に瀕してしまっている。

すべては、イギリス人社長、マイケル・ウッドフォード(Michael Woodford)を就任わずか6カ月で解任したことから始まった。「彼は会社経営をすべて独断で行い、しかも文化の違いを克服することができなかった」と、日本人経営陣は述べている。文化的差異とは良い口実だ。ウッドフォード氏は、オリンパスによる4社の不明朗な買収についての説明を求めたのだが、下手に口出しをしてしまったということになる。

問題となっている額や買収方法を見れば、ウッドフォード氏は当然のことをしたまでだ。投資助言会社(une société de conseils financiers)は、2007年に医療器具会社(un fabricant d’instruments chirurgicaux)の買収に絡み、巨額の報酬を得た、6億8,700万ドル(660億円)もだ! またオリンパスは、2006年から2008年の間に、健康食品会社(une entreprise de compléments alimentaires)、リサイクル会社(une société de recyclage)、調理容器製造会社(un fabricant de récipients adaptés aux micro-ondes)の買収も行った。3社の買収総額は734億円になったのだが、光学機器と内視鏡メーカーであるオリンパスにとっては、買収先はどんな会社でも良かったのだ。第三者委員会の最初の報告によれば、これらの判然としない買収の目的はただ一つ、無謀な投資により90年代に発生した含み損を解消することだった。

オリンパスがこの混乱から回復するのは容易ではない。問題が明らかになって以来、株価は70%も下落し、1995年と同じレベルになってしまった。経営陣数人の辞任では、問題の火消しには十分ではない。オリンパスには本当の意味での刷新が必要だ。しかも、そのことはオリンパスだけでなく、日本の金融関連のすべての機関に言えることだ。不正を適切に見出すことができなかったことにより、金融当局の評判は大きく傷付けられている。しかし物事が変化するには、ガイジン(un Gaijin)が日本社会にとって不具合な所に手を突っ込むのを待つことになるのだろう。ピントを合わせることは、オリンパスだけに求められているのではない。株取引を管轄する部門もその手続きの刷新を求められている。

・・・ということで、オリンパス問題は、オリンパス一社だけの問題でなく、日本の金融部門に広く見られるもので、しかも、その改革には外国からの手が必要だ、と見られているようです。臭いものには蓋で、自己浄化できない日本。変化を嫌い、恐れる日本社会。そんな指摘があるようです。

とんでもない、かたよった見方だ、偏見だ、というご意見もあるでしょう。しかし、外圧に弱い日本、外圧でないと動かない日本、ということは、以前から対米関係でよく言われてきました。自らの判断で動くことが好きではない、あるいは、できない。外圧を理由に、誰も責任を取らないで済むようにしてからでないと、一歩を踏み出せない。

誰だって、切腹などしたくはありません。一度レールを外れると、二度と戻れない、と言われる日本社会。敗者復活戦のない日本社会。だからこそ、誰も責任など取りたくないのですね。「ガイジン」の所為にすれば、誰も責任を取らないで済む。うまい知恵です。

「ガイジン」の所為にできない場合は、言いまわしを曖昧にし、どうとも取れるようにする・・・TPPに関する表明がその典型ですが、これもまた、日本人の知恵。これで日本社会はうまく治まります。しかし、問題は、「国際社会」に否応なく巻き込まれてしまっているということです。日本人同士であれば、阿吽の呼吸で分かり合えるものも、外国語に訳され、しかも文化的背景が異なる外国人が読めば、理解が異なってくることもあるでしょう。

島国に「引き籠る」のであれば何も変える必要はないのですが、国際化時代を世界の中で生きていこうとするなら、日本、そして私たちの生き方のどこにアジャストすべきところがあるのか、あるとすればどう変えていくべきなのか、また逆に、堅持すべきところ、突っ張るべきところはどこなのか、そうしたことを考えることも必要なのかもしれません。難問ですが・・・