ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

フランスでも広がる政治不信。これも、ひとつのグローバル化!

2011-02-07 20:20:27 | 政治
首長政党vs既成政党とも言われた名古屋市長と愛知県知事選挙。結果としては、首長政党が勝利したわけですが、中央の既成政党の中には、異質な名古屋での選挙結果であり、中央の政治には影響しないと、本音なのか負け惜しみなのか、そんなふうに言っている国会議員もいましたが、首長政党が大阪、名古屋だけでなく、多くの自治体で誕生しているのを聞くにつけ、国民の既成政党離れ、そしてその底にある政治不信、あるいは政治家不信は爆発寸前まで膨らんでいるのではないかと思えてしまいます。

そうした「政治」への不信感、この分野においてもグローバル化が見られるようで、フランスでも議員やその公約に期待を抱かない国民が増えているそうです。1月31日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

多くの問題を抱え、沈鬱な表情を見せているフランス国民は、問題解決を政治家に委ねることに次第に信を置かなくなってきている。こうした傾向は目新しいものではないが、その程度が年々ひどくなって来ている。「政治における信頼」をテーマに、パリ政治学院の政治研究センターとピエール・マンデス・フランス研究所(l’Institut Pierre-Mandès-France)の依頼で調査会社“Opinion Way”が昨年12月の7日から22日にかけて、18歳以上の1,501人を対象に行った調査結果がこうした傾向を裏書きしている。

その調査結果からは、大きく3つのポイントが指摘できる。まずは、政治不信がひどくなっているということ。制度疲労という意味では、特に既成政党への不信感が大きい。大統領選まで15カ月、既存の政党はこうした国民の不信感を真剣に受け止めるべきだ。フランス国民二人に一人以上が、右翼であろうと左翼であろうと、今の政治は国民が抱える問題を解決できないと思っている。

二つ目のポイントは、特に地方議会議員への不信感だ。現職の大統領や首相の支持率よりはまだましだとは言うものの、地方議員への信頼感は目立って下落している。

三つ目の指摘は、保護を求める国民が増えているということだ。格下げ、あるいは下の社会的階層へと落ちることを非常に恐れるフランス社会において、国民は政治家による保護を一層求めるようになっている。こうした保護主義は、経済面でも文化面でも見られる(国民の生活を守れ、フランス文化を守れ!)。フランスには移民が多すぎると考える国民は59%に達し、前年より10ポイントも増えている。この傾向は特に学位を持ち、宗教に興味を持たない若年層に顕著だ。こうした層は、伝統的に左翼支持層と重なるだけに、社会党にとって特に留意すべき調査結果となっている。

・・・ということなのですが、フランスでも、地方議会議員への不信が増大! 議員の活動が、一部の身近な支援者以外には見えにくい。それでいて、議員報酬が多い。フランスでも、こうした日本の現状と似ている状況なのかもしれません。

たとえば、名古屋市の場合。年間実働80日で、年収約1,630万円。本会議や委員会への出席の際に必要となる交通費などの費用弁償は廃止になったそうですが、長年適応されていました。また、政務調査費が一人月50万円。これは会派に支給され、支出されなかった場合は市へ返還される、ということですが、どれくらい返還されているのでしょうか。多いとは、思えません。それどころか、ないのかもしれないと勘ぐってしまいます。

実働80日・・・では他の日はどうしているのでしょうか。昨年、ある市議会議員がインタビューに答えて、立派に政治活動をしているんだと言っていましたが、そこで紹介された政治活動とは、取り巻きの支持者をバス旅行に連れて行く際の、バスの席順決めなどでした。要は、票固め。選挙対策だけであり、どれほど政策の勉強をしているのか、どれほど政策立案をしているのか・・・いちど議員になれば、あとはいかにして既得権益を守るか、そのことに汲々としている姿が窺い知れました。

こうした状況は、なにも名古屋市に限った話ではなく、私たちの身近な「政治」の世界でも行われているのではないでしょうか。そして地方議会が手本とする国政。国会議員が手にするのは、歳費に文書通信交通滞在費などを加えると、年間約4,400万円と言われています。これに三人の公設秘書の費用、約2,000万円が加わりますから、およそ6,400万円。政治とはまったくかけ離れた世界から突然政治家となった新人議員でもこれだけの額が支給されるそうです。一度なったら、止められない。

もちろん、国や国民、自治体とその住民のために自分の能力、時間のすべてを捧げたい、という立派な志を持った議員もいるのでしょう。しかし、活字や映像から伝わる姿は、どう見てもその歳費や報酬にふさわしくない議員が多いように思えてなりません。国会議員の積極的な自己変革が求められているのではないでしょうか。さもなければ、第二、第三の名古屋市が次々と起こってくるのではないでしょうか。

グローバル化する「政治への不信」から、日本がまず最初に抜け出すことを、強く願っています。