ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

若さは、武器か・・・フランス政界の場合。

2012-03-07 22:20:13 | 政治
今やアメリカでは共和党の予備選挙真っ只中ですが、オバマ大統領が当選した前回の大統領選挙で、バラク・オバマ(Barack Hussein Obama Jr.)の首席スピーチライターを務めたのは、当時27歳のジョン・ファヴローでした(Jon Favreau:1981年6月6日生まれ。私と同じふたご座、まったく関係ありませんが)。史上2番目に若い首席スピーチライター(最も若かったのは、カーター大統領の首席ライターだったジェームズ・ファローズ)であるということとともに、その原稿のほとんどをスターバックスの店内でパソコンに向かって書いたということで話題になりました。若さが力になる。

しかし、魑魅魍魎が跋扈する政治の世界。一寸先は闇と言われますから、若さだけでは不安だという声も、当然あるのではないでしょうか。若さ、あるいは若々しさが重視されるアメリカでは、若さが大きなパワーを持つことになるのでしょうが、はたして、歴史のある国々では、どうなのでしょうか。日本で、二十代が永田町で主要な役割を担うことを想像できますか?

では、フランスでは、どうなのでしょうか。再選を目指すサルコジ陣営が格好の例を提供してくれています。紹介しているのは、週刊誌“l’Express”(『エクスプレス』誌)の電子版(5日)の記事です。“De vives tensions apparaissent dans l’équipe de campagne de Sarkozy”(サルコジ陣営で大きな緊張関係が生じている)・・・

サルコジ大統領は、選挙戦序盤で苦しい展開を強いられてきた。与党・UMP(国民運動連合)内からも、大統領側近たちの責任を問う声が上がっている。

「大統領周辺にはちょっと経験の足りない人たちがいる」・・・このようにUMP所属で院内会派“Droite populaire”(人民右派:フランスのアイデンティティ、治安、移民を主要テーマに、2010年6月に旗揚げされたグループで、現在42人の議員が所属しています)に加わっているリオネル・リュカ(Lionnel Luca:Alpes-Maritimes県選出)は批判している。サルコジ大統領の側近たち、特に“spin doctors”(報道機関に対し、依頼者にとって好都合な解釈で情報を提供する担当者、といった意味で使われる英語です)と呼ばれる人たちの経験不足が、リュカ議員によれば、キャンペーンが始まって以来繰り返される失敗の原因になっている。

失敗のリストはすでに連綿と続いている。ジャン=ルイ・ボルロー(Jean-louis Borloo:中道の急進党・Parti radical党首、下院議員、サルコジ政権で環境相、経済・財務・雇用相などを歴任)をVéolia(ヴェオリア:水事業、公共交通、エネルギー、環境などの分野に展開するコングロマリット)のトップに据えようと大統領府が画策しているという噂、サルコジ大統領がバイヨンヌ(Bayonne)で野次られた事件、民族浄化を連想させる“épuration”という言葉を使ったサルコジ大統領、外国人参政権に対するゲアン内相(Claude Guéan)の罵詈雑言、ハラール(halale:イスラム法に則って加工・処理された肉食品)に関する論争・・・

リオネル・リュカは、「サルコジ大統領は自らの選対本部にちょっと籠り過ぎで、しかもその側近たちは必ずしも選挙に精通しているわけではない」と語っている。では、船長は船を進めるのに誤った副官を選んでしまったのだろうか。リュカが語るように、選対本部のトップたちは選挙の現実をよくは知らないのだろうか。

チーム・サルコジ(team Sarkozy)の表看板である、報道官のナタリー・コシュースコ・モリゼ(Nathalie Kosciusko-Morizet:1973年生まれ、今年2月22日にサルコジ陣営の報道官に就任するまで、環境・持続開発・交通・住宅相でした)はそのポストに就任以来、党内から手厳しい非難にさらされている。「NKM(ナタリー・コシュースコ・モリゼ、長いので略してNKMと言われているようです)、彼女が身を隠している間、他の人たちが与党の立場を守るために先頭に立っていた。しかし、最後においしい所を独り占めしたのは彼女だった」と、リュカは批判している。

その結果、プレ・キャンペーンで頑張ったにも拘らず、何ら見返りのなかった議員たちの間に、不満が高まっている。また、特にジャック・シラク(Jacques Chirac)に近い40代の閣僚、ヴァレリー・ペクレス(Valérie Pécresse:1967年生まれ、予算・公会計・国家改革相、政府報道官)、フランソワ・バロワン(François Baroin:1965年生まれ、経済・財務・産業相)、ブリューノ・ルメール(Bruno Le Maire:1969年生まれ、農業・食料・漁業・農村地域・国土整備相)が、NKMと同じように、与党にとって向かい風が吹くとメディアから消えてしまうと見做されている。

「大統領はひどくがっかりしている。メトロの切符に関する失言の後は怒り狂っていた」とリュカは付け加えている。その失言とは、交通大臣であったNKMがメトロの切符1枚を、実際の1.70ユーロではなく、4ユーロちょっとと述べてしまった件だ。

NKMは報道官というポストを独り占めすることができた。彼女の周囲には、国会議員や党の執行部など80人の雄弁を持って鳴らす人々(80 orateurs nationaux chargés de porter la bonne parole de leur candidat sur le terrain)がいるが、彼らはほぼお手上げ状態だ。「ナタリーは副報道官を置かないためにできる限りのことをした」とその80人の一人は言っている。別の一人は、「彼女は、一人の天使だけをお供に天国へ行く心地良さをサルコジ大統領に売りつけたのだ」と語っている。UMP幹部にとってのNKMに対する最新の不満は、“viande halale”(ハラールの肉)に関するクロード・ゲアンの発言に対し十分な支援を行わなかったことだ。

経験不足を別の言葉でいいかえれば、若さの暴走だ。こうした非難のターゲットになっているのは、サルコジ大統領の選挙公約ライター、ジャン=バティスト・ドゥ・フロマン(Jean-Baptiste de Froment)とセバスティアン・プロト(Sébastien Proto)だ。前回2007年の公約作成者だったエマニュエル・ミニョン(Emmanuelle Mignon、la magicienneと呼ばれている)への批判は、逆に動かないこと、背後に徹し過ぎることだった。

サルコジ陣営の選対本部長、ギヨーム・ランベール(Guillaume Lambert)もやはり、非難から逃れることはできない。バイヨンヌでの出来事の後、バイヨンヌのあるピレネー・アトランティック県(Pyrénées-Atlantiques)の知事を罷免したらどうかと述べた件について、2007年の本部長に比べ経験不足だと批判されている。前回の本部長は、クロード・ゲアン(現内相)だった。

ゲアン内相は最も意欲的にメディアに登場する一人だが、リオネル・リュカによれば、他の閣僚の支援が不足している。「今やたった一人の閣僚、つまりゲアン内相と、フィヨン首相しかいなくなってしまったと思えるほどだ。全く不十分だ。決して優れた戦略ではない」とリュカは語っている。

サルコジ大統領は、きっちりと組織立てずにさまざまな方面に兵隊たちが展開する軍隊を持とうとした。今確かに多くの部隊がいるが、それぞれが自分たちのことしか考えていない。リオネル・リュカは、「国会のUMP議員たちは今、無気力になっている。指示も方向付けもなされていない。組織として動かす必要がある。たぶん、動き始めるのは3月11日(この日、5万人を動員して、パリ郊外、セーヌ・サン・ドニ県のVillepinteで大集会を行い、そこで公式な選挙公約を公表することになっています)以降になるだろう」と述べている。

・・・ということで、選対の報道官になったナタリー・コシュースコ=モリゼが38歳、そして批判されている3閣僚が40歳代。やっかみだったり、シラク前大統領に近いとか、理由はそれぞれあるのでしょうが、若くして抜擢された政治家へのバッシングが激しいようです。そういえば、サルコジ大統領誕生後、フィヨン内閣で法相を務めたラシダ・ダティ(Rachida Dati)も1965年生まれですから、今で46歳。やはり、集中砲火を浴びていました。

大統領に家父長的イメージを求めると言われるフランス人。日本ほどではないにしろ、“seniority system”があるのでしょうか。若さは武器ではなく、一歩間違うと凶器になる、といったとらえ方をされているのでしょうか。それとも、やはり、若いものに先を越された僻みなのでしょうか。フランス人、嫉妬は強そうですものね。

若さが大きな武器になるアメリカ政界。片や、経験が重視され、若いだけでは・・・という考えの強いフランスと、我らが日本。対極にあるような日本とフランスが、この点については同じような状況にあるようです。違うようで、やはり、人間。似ているところもありますね。同じようで、違う。違うようで、似ている。だから、面白い、といったところでしょうか・・・

忘年会に呼ばない日本のイジメ。会うことを拒むEUのイジメ。

2012-03-05 20:11:18 | 政治
子どもは大人を映す鏡、と言われますから、学校でイジメがあるなら職場にイジメがあって当たり前、ということなのでしょうか。職場でのイジメ、特にパワハラと言われるイジメが、2010年には4万件も報告されていたとか。こうした実態に、厚生労働省が大人のイジメ対策に本腰を入れ始めた、というニュース映像を2月29日にテレビ朝日がネット上に公開していました。

毎日おごらせる、社員旅行や忘年会に呼ばない、罵声を浴びせる、寒い部屋で仕事をさせる、身体的暴力を伴う・・・日本社会にはイジメが蔓延しているのでしょうか。高貴な人々の品格や、今いずこ・・・いや、昔からあった???

しかし、学校でイジメがあるのは、日本に限った話ではなく、イギリスやアメリカでも報告されています。ということは、アングロ=サクソンの特徴? とも限らないのかもしれません。何しろ、EU首脳の間に、フランスの大統領選挙に出馬している社会党候補、フランソワ・オランド(François Hollande)には会わないことにしようという、暗黙の了解ができているというニュースが流れているのです。

誰が言いだしっぺで、そこにはどのような背景があるのでしょうか・・・3日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

EU首脳たちの間に反オランドの連携があるのだろうか。いずれにせよ、3月4日に発行されたドイツの週刊誌『デア・シュピーゲル』(“Der Spiegel”:約110万部というヨーロッパ最大の発行部数を誇る週刊誌)がそう伝えているのだ。その記事を信じるのなら、ドイツのメルケル首相(Angela Merkel)とイタリア、スペイン、イギリスの、いずれも右派の首脳たちは、社会党の候補者をボイコットすることで同意しているようだ。その社会党候補者、フランソワ・オランドは3日、ディジョンでの集会で、自らが考える大統領像を発表している(“présidence indépendante et impartiale”と述べています)。

メルケル首相とイタリアのモンティ首相(Mario Monti)、スペインのラホイ首相(Mariano Rajoy)は、各種世論調査で優勢を伝えられているフランソワ・オランドに会わないという口約束をどうもしたようだと、『デア・シュピーゲル』誌は述べている。この約束に、イギリスのキャメロン首相(David Cameron)も加わっているようだ。

『デア・シュピーゲル』誌によれば、保守派の首脳たちは社会党候補の「当選したら、財政協定について再交渉をする」という声明に衝撃を受けた。財政に関する協定(財政規律条約)はユーロ圏を救済する中心的役割を果たすと彼らは考えているからだ。条約に署名しなかったイギリスのキャメロン首相が加わっているのは、イデオロギーの違いによるものなのだろう(EU27カ国のうち、イギリスとチェコを除く25カ国の首脳が署名しました)。

次期大統領に誰がなってほしいかという件に関するメルケル首相の考えは、誰もが知るところとなっている。2月6日、サルコジ現大統領に全面的支援を行うと公表したからだ。パリで行われた仏独閣僚会議の後、メルケル首相は、「サルコジ大統領をすべての面で支持します。私たちはともに友好関係にある政党に所属しているのですから」と述べ、サルコジ大統領が2009年に行われたドイツの国会議員選挙で彼女を支援し、首相に再選されるのを助けたことにも言及した。

メルケル首相は、1回あるいは数回、サルコジ大統領の集会に出席することになっている。フランソワ・オランドは、ニコラ・サルコジがメルケル首相の支援を必要としているのは事実だとして、その支援を次のように皮肉った。「メルケル首相がサルコジ大統領の支援をしたいなら、当然その権利はある。しかし、それは骨の折れる仕事になるだろう。なぜなら、フランス人を説得するのは容易ではないからだ。」

フランソワ・オランドはメルケル首相に会見を申し込んだが、首相はサルコジ大統領のライバルにベルリンで会うのかどうか、明言を避けている。世論調査でサルコジ大統領をリードするフランソワ・オランドがメルケル首相とベルリンで5月に会うと伝えられたが、確認は取れていない。

日刊紙『ディ・ヴェルト』(Die Welt)のインタビューを3日に受けたドイツのヴェスターヴェレ外相(Guido Westerwelle:同性愛であることを公表した有力政治家。ベルリンのヴォーヴェライト市長もカミングアウトしています)は、フランス大統領選にあからさまな介入をしないようにとドイツの政治家たちにくぎを刺した。

「ドイツのすべての政党に慎重さを求めます。ドイツ国内の政治的対立をフランスに持ち込むべきではありません」と述べるとともに、外相はフランスの大統領選にドイツの政権が露骨な肩入れをすべきではないと、次のように語った。「ドイツはフランス国民によって選ばれたいかなる政権ともうまく協働するという事実にいかなる疑いの余地もありません。」

・・・ということで、左派の有力大統領候補、フランソワ・オランドを、右派の各国首脳たちがのけものにすることにより、フランス国内での彼のイメージに打撃を与えようとしているようです。しかし、テレビ番組でオランド候補が言っていたように、フランスの大統領はフランス国民が選ぶもの。メルケル首相らの動きがもし本当なら、フランスにとっては内政干渉。自尊心の強いフランス人が、受け入れるはずがありません。それどころか、逆効果。何しろ、そのへそ曲がりぶりは、ジョーク集でもお馴染みですから。

難局に直面しているヨーロッパ。今こそ団結が必要だ、ということなのかもしれませんが、その団結は政治的立場を超えてなされるべきなのではないでしょうか。それとも、サルコジ大統領支持は、個人的好き嫌いなのでしょうか。今まで一緒にやって来たんだから、これからも一緒にやりましょうよ。気心の知れたニコラの方が、良いわ・・・

統合を進めてきたEU。他国の政局に介入するほどまでに、その垣根が低くなっている、という見方もできるかもしれません。意識レベルではすでに、連邦制へと向かっているのでしょうか。統合という欧州の挑戦を、信用不安・財政危機が、意外と大きく進展させるかもしれません。

“Adieu”か“I’ll be back”か・・・EU首脳会議のサルコジ大統領。

2012-03-04 20:50:00 | 政治
再開を期待しない別離の時には“Adieu”で、“Au revoir”にない重みがありますね。3月1日・2日にブリュッセルのEU本部で行われた欧州理事会が、サルコジ大統領にとっては、任期最後のEU首脳会議でした。大統領に再選されれば、再びやってくることになりますが、世論調査では、第1回投票での投票意向こそ社会党のオランド候補に肉薄してきたようですが、決選投票ではまだ大きく引き離されています。

ブリュッセルでの記者会見は、“Adieu”という挨拶になったのか、それとも『ターミネーター』のシュワルツネッガーよろしく“I’ll be back”という決意表明だったのか・・・2日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

「私の声を今後も聞くために皆さんにできることは、私を再選させることです」・・・1日・2日に行われた任期最後の欧州理事会(le Conseil européen)を終えて、記者会見で、サルコジ大統領はこのように語った。大統領は、再選されない場合でも、欧州でのポスト、例えば欧州理事会議長とか欧州委員会(la Commission européenne)委員長といった職責を求めることはないと表明した。「心底から、そう思っています。いかなる場合にしろ、いかなる方法にせよ、現在も、将来においても、そうすることはありません」と述べた。

こうした声明には、背景がある。サルコジ大統領は、その前日、欧州理事会常任議長に再任されたヘルマン・ファン・ロンパウ(Herman Van Rompuy)のような控え目で妥協の術に長けた人物に取って代わることはできないと自ら述べている。「バローゾ(Jose Manuel Durao Barroso)委員長にしても、私は自分をなぞらえることはできません。国家元首という、まさに情熱を傾ける対象であり、困難も付きまとう責任ある地位で働くことの名誉や栄光に浴した後では、どんなポストも自分に相応しとは思えないものです」と大統領は続けて語っている。しかし、こうした発言は、まさに戦術的なものだ。すべてのメディアが世論調査で劣勢を伝えられているサルコジ大統領は新しいポストを探しているようだと伝えているが、そのことと全く逆の内容を述べたということだろう。

ブリュッセルで、サルコジ大統領は、あくまで大統領として振る舞った。候補者であるということを忘れさせることはなかったが。財務危機をせき止めた実績を持つ候補者、欧州の中心にいて、ヨーロッパを自分で思うように造り変えるには二期目がどうしても必要な候補者だ。彼が思い描くのは、財政・経済においていっそう統合されたユーロ圏、移民・通商・産業に関して再考を進める一種の連邦、ヨーロッパ連邦となるEUだ。

サルコジ大統領は、この記者会見で、欧州各国の財政を救済する基金の創設に関して意思表示をしない社会党を激しく非難した。30人ほどの記者を前に、形だけのオフレコで、「もし自分が左派だったら、恥ずかしくてたまらないでしょう。ミッテラン(François Mitterrand:元大統領)やドロール(Jacques Delors:元欧州委員会委員長)などといった偉大な欧州人のことを考えれば、左派と言えども彼らが判断を留保するとは思えません」と述べた。

ニコラ・サルコジが再選された場合、(イギリスとチェコを除く)EU25カ国が署名し、フランソワ・オランドがもし自分が当選したら再交渉すると言っている新しい欧州予算条約(財政規律条約)をどのように批准することになるのだろうか。サルコジ大統領は、「社会党はまた棄権することになるのではないか」と揶揄した。そして、「新しい条約は、欧州はそう簡単にはくたばらないと言う信念を呼び起こすに違いない」と述べた。

記者会見は反英国のとげのある言葉なくして終わることはなかった。キャメロン(David Cameron)首相は欧州経済を活性化することを目的とし、スペイン、イタリア、オランダ、ポーランドなど11カ国が共同署名した、自由主義的な新たな提案を携えてEU本部にやって来ていた。

12カ国の提案を自分の提案であるかのように語っているキャメロン首相に対して、サルコジ大統領は、「欧州各国が共通署名するほどに、イギリスが欧州を愛してくれていて満足しています。イギリスが条約に署名しないと決めた後に、キャメロン首相から書簡をもらいましたが、引っ込んでいるつもりはないという意思表示のようなものでした。欧州にイギリスは不可欠です、いつもはそう言いませんが」と述べ、イギリス人記者に(苦手な)英語で“We need you”と語りかけた。

・・・ということで、“Adieu”でも“I’ll be back”でもなく、いわばいつものようなサルコジ節と思えたのですが、『ル・モンド』の記者には、別れの言葉と聞こえたようです。何しろ、ご紹介した記事のタイトルが、“Les adieux de Sarkozy à Bruxelles”ですから。

ところで、何らかのポストなり、地位なりを辞する時、「立つ鳥跡を濁さず」と言いますね。『広辞苑』によれば、「立ち去る時は、跡を見苦しくないようによく始末すべきである。また、退き際はいさぎよくあるべきである」ということで、実践されてきた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 昭和18年(1943年)の秋、彼(ポール・クローデル)はパリのある夜会に招かれ、次のようにスピーチしました。
 「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格があるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。」
 そして、最後にこう付け加えた。「彼らは貧しい。しかし、高貴である」
(出典不明、ご容赦を)

そう、我らの先人たちは高貴であったのです。去り際も、潔かったのでしょう。そしてポール・クローデル(Paul Claudel:作家・外交官、1921年~27年に駐日大使)のスピーチから70年近く、今日、同じ日本社会をフランス人が次のように評しています。

 アンドレ・キャラビ(Andre Calabuig)氏は、1927年フランス生まれの84歳。同国ペンクラブの会員だ。日本では『目からウロコのヨーロッパ』などの著書がある。日本在住 40年以上の親日家だが、どうも最近、このニッポンで目に余る出来事が多い。マナー、お金、日本語、女性、子供……。そのキャラビ氏が、いまの日本人に向 けて、箴言集で発する痛烈な「キャラビズム」。さて、あなたはどう受け止めるか? 今回は、「政治」編である。
 * * *
●Les promesses des politiciens s’évaporent le lendemain des élections.
 政治家の約束は選挙の翌日には蒸発する!
(略)
●De nos jours les gens veulent avoir des droits,mais pas de responsabilités!
 最近、人間は権利だけを求めるが、責任は要らぬと思っている!
(3月3日:NEWSポストセブン)

ここで、ちょっと、思い出すのは、鴨長明の『方丈記』の一節。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。

時代とともに、人は変わっていきます。人が変われば、社会も変わる。仕方のないことです。ただし、どう変わるかが問題。よい所は残し、改めるべきは勇気を持って改める。そうしたいものですが、これが実践するとなると難しい。しかも、逆方向に進むのはたやすい、ときていますから、ますます世の中ままならないようです。

野次られるより、野次馬の方がましだ!?

2012-03-03 21:50:58 | 政治
「弥次馬 / 野次馬」・・・『広辞苑』によると、①馴らしにくい馬。強い悍馬。また、老馬。一説に、「おやじうま」の略で、老いた雄馬ともいう。②自分に関係のない事を人の後についてわけもなく騒ぎ回ること。また、そういう人。という意味なんだそうです。「おやじうま」が転化したもの・・・「おやじギャグ」などを連発していると、根っからの野次馬根性の持ち主と見做されかねないですね。ほどほどにしないと・・・

ところで、確かに野次馬は多いですね。特に有名人の周囲には、野次馬が殺到する場合もあります。スターにとっては、有名税と諦めるしかないのでしょうが、ありがた迷惑なこともあるのでしょうね。なったことがないので、想像するしかないのですが。

ただ、殺到される、取り囲まれると言っても、ふつうは温かいまなざし、あるいは好奇の目で見られるだけで済む場合が多いのでしょうが、スキャンダルの渦中にいたり、捜査対象にでもなろうものなら、罵声を浴びせられることもありますね。野次馬が、野次を飛ばすことになります。

パパラッチも含め、野次馬に囲まれることの多い著名な政治家たち。特に、大統領、あるいは大統領選候補者ともなれば、地方遊説など、どこに行ってもカメラのフラッシュと多くの国民に取り囲まれます。しかし、所属する党の地方支部などが準備万端、しっかりガードしますから、野次馬はいても、野次られることは少ないのでしょう。ところが、どうもサルコジ大統領には、野次や有権者とののしり合いが付いて回るようです。

有名なのは、就任の翌年2008年、農業見本市で大統領が会場にいた国民に握手をしようと手を差し出したところ、「触るな、汚らわしい」(Tu ne me touches pas, tu me salis.)と拒絶されてしまいました。怒ったサルコジ大統領は、「お前こそ、とっとと消え失せろ」(Alors casse-toi, pauv’con.)と叫び返しました。多くのメディアの前でしたから、国民に広く伝わってしまいました。

それから4年、今年の農業見本市では、終始、笑顔を振りまいていましたが、3月1日、南西部、スペイン国境に近い、バスク地方のバイヨンヌ(Bayonne)で、騒然とした状況に巻き込まれてしまいました。しかし、さすがに大統領を5年近く務めてきたせいか、言い返したり、怒鳴ったりすることはありませんでした。その状況は、フランスのニュース番組を見る限り、凄まじい野次、怒号の嵐でした。野次馬どころではない。クルマから降りるのもままならないほど。具体的には、どのような状況だったのでしょうか。そして、政界からはどのような反応が起きたのでしょうか・・・1日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

サルコジ大統領は3月1日、バイヨンヌで、多くの反サルコジ派の野次と怒号に出迎えられた。すると、その騒動の責任をフランソワ・オランド(François Hollande:社会党の大統領候補)に帰し、国家のトップを浄化すると言って下部組織を煽ったせいだと非難した。

この日の午後早く、バイヨンヌの歴史地区では、数十人の反サルコジ派の若者たちが大統領の到着を待っていた。大統領が到着すると、クルマから降りるより早く、彼らは一斉に野次を飛ばし始めた。「富裕者のための大統領、サルコ」、「サルコジ、さっさと失せろ」・・・こうした野次を覆うように、「サルコジを大統領に」という支持派の声も上がったが、反対派より少なかった。

「バイヨンヌの路上で、野次と小競り合い」(Bronca et incidents dans les rues de Bayonne)というタイトルの記事を早速、日刊紙“Sud Ouest”(本社はボルドー、南西部を中心に配布される新聞で、発行部数は約35万部)が自社のサイト上(Sudouest.fr)に発表した。また多くのジャーナリストが、ツイッターでこの出来事を広めた。例えば、日刊紙“Parisien”の政治記者、フレデリック・ジェルシェル(Frédéric Gerschel)は次のように伝えている。

「ニコラ!ニコラ!」と叫ぶ支持者に交じって、多くの反対派が「ニコラ、立ち去れ」(Nicolas kampora ! )とバスク語で叫んでいた。大統領はバイヨンヌの狭い道を辛うじてスペイン通りにあるバーへと逃げ込んだ。大統領へは、バスク語で“Batera”と呼ばれる、バスクとしての自治体設立を要求する団体から、多くの小さな投票用紙が投げつけられた。

サルコジ大統領は午後4時頃そのバーに駆け込んだが、窓には卵が投げつけられた。バーの前には多くの人だかりができ(野次馬ですね)、大統領が外に出られるようにCRS(Compagnies républicaines de sécurité:機動隊員)が急遽、増員されたほどだ。

大統領は午後5時頃CRSに守られてそのバーを後にしたが、メディアに対して、早速、社会党の対立候補を非難して、「オランドは国政のトップを浄化すると言ったが、そのことが下部組織の人々を熱くさせた」と述べた。というのも、2月19日、フランソワ・オランドは、ニコラ・サルコジをUMP国家(UMP=Union pour un mouvement populaire:与党の国民運動連合)とも言える組織を警察や司法に作ったと批判し、もし自分が大統領に選ばれた暁には、その組織に繋がっている高級官僚を総入れ替えすると述べていたからだ。UMPはこの発言をまるで魔女狩り(chasse aux sorcières)だと非難した。

サルコジ大統領は、さらに批判を展開し、「オランド氏の支持者である社会党員が、暴力を伴うデモで独立主義者たち(バスク独立派ですね)と協力するとは残念ことだ。もしこうした行為が社会党の言うデモクラシーなら、我々のデモクラシーとは異なっており、論戦を始めざるを得ない。今日の騒動は、政党の名にふさわしくない行為だ」と語った。

オランド候補の後塵を拝しているというサルコジ大統領にとってありがたくない世論調査の結果がいくつも公表された週の最後を激しい口調で締めくくったようなものだ。

オランド陣営は、1日の夜、大統領サイドからの攻撃に、素早く対応した。「フランソワ・オランドとその陣営は、いかなる暴力も批判する。つねに挑発者はいるものだ。だが、もめごとや暴力に社会党員は決して加わっていない」と、オランド陣営の報道官、マニュエル・ヴァルス(Manuel Valls)はテレビ局・BFM-TVの番組で語ったが、「浄化する」という言葉には触れなかった。

フランソワ・オランド自身も、木曜の夜、リヨンでの集会の後、「我々は選挙戦のレベルを維持すべきであり、決して不要な論争や言葉の暴力、ましてや身体的暴力に堕してはいけない。我々が有している唯一の権利は抗議する権利であり、同時に我々の義務は投票する義務だ」と述べた。

・・・ということで、バスク地方という独特な状況にある地域での騒動でしたが、第1回投票まで2カ月を切り、国民レベルでもかなりヒートアップしているようです。

第1回投票は4月22日。誰が5月6日の決選投票に進むのでしょうか。ますます、目が離せません・・・と言えば言うほど、野次馬ぶりが明らかになってしまいます。さすが、おやじうま!

「移民」は「国民」に含まれるのだろうか・・・ルペンとサルコジの違い。

2012-02-20 21:31:20 | 政治
ヒト・モノ・カネが国境を越えて移動するのが国際化・・・ひと昔、あるいはふた昔前に人口に膾炙した言い回しですが、人が動いて住みつけば、「移民」という問題が発生します。移民先進国は、この問題にどう対処しているのでしょうか。

昔、人種のるつぼとか、人種のサラダボールとか言われたアメリカでは、今、公用語をめぐる裁判が行われています。アメリカは英語、と思い込んでいましたが、連邦レベルでの公用語規定はないそうで、メキシコと国境を接する、ヒスパニックの多いある町では、英語能力が政争の具と化しているようで、それが大統領選にまで影響を与えています。

 米大統領選共和党候補の指名を争うロムニー氏やギングリッチ氏が訴えていることがある。「英語を公用語に」という主張だ。まるで日本の企業のようなスローガンだが、英語は米国の今日的な問題なのだ。
(2月19日:産経:電子版)

また、ソビエト連邦時代に、ロシア人が移民したバルト三国。その一つ、ラトビアでは、第二公用語をめぐる国民投票が行われました。

 旧ソ連のラトビアで18日、ロシア語をラトビア語に次ぐ「第2公用語」とする憲法改正の是非を問う国民投票が行われ、19日発表された暫定集計結果によると、賛成24.9%、反対74.8%で否決された。
(略)
 ラトビア語を「解放の象徴」ととらえ、ロシアの影響力拡大を懸念するラトビア系住民の大半が反対したとみられる。
(2月20日:時事:電子版)

また、移民の国でありながら、移民であるいわゆる白人たちが征服者のような状況を享受している旧白豪主義のオーストラリアでは、

 オーストラリアで先住民の存在を認めることを目的とした憲法改正の是非を問う国民投票が計画され、市民団体が19日にも提案を打ち出す。主要政党もおおむね賛同する姿勢だが、細部をめぐって意見の食い違いもあるようだ。
(略)
 シドニー大学のマーク・マッケナ准教授(歴史学)によると、同国の現在の憲法では、欧州の入植者が来る以前からオーストラリアに先住民がいた事実が否定され、アボリジニの存在は無視されているという。
(略)
 一方、先住民の権利を保証する条項については、象徴的な文言にとどめるか、法的拘束力を伴う文言を盛り込むかをめぐって温度差がある。
 ただ、超党派の支持がなければ国民投票は成功しないとの認識で関係者は一致しており、たとえ象徴的な文言にとどまったとしても、「オーストラリア先住民の存在を認めることは重要な一歩になる」と専門家は指摘している。
(1月19日:CNN:電子版)

と、先住民・アボリジニの存在自体が認められていないそうです。捕鯨に反対する前に、アボリジニの存在を認めたらどうだ、と言いたくもなってしまいます。

さて、では、今回のフランス大統領選挙では、移民はどのように扱われているのでしょうか。

右派は移民の増加に反対していますが、右派の中にも温度差はあるようです。一般的に、反移民と言えば極右の国民戦線(FN)の常套句のように思えてしまいますが、大統領選となると、極右票を取り込もうと現与党・UMP(国民運動連合)の候補者、サルコジ大統領が移民増加に明確なノンを表明しています。

一方、FN党首で大統領選候補者、マリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)は・・・19日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

マリーヌ・ルペンはポピュリスト的な言辞をエスカレートさせている。ニコラ・サルコジとの、2月19日のほぼ同時刻だが、お互い別の場所での論争で、FNの候補者であるルペンはポピュリズムと愛国心をまぜこぜにした演説を行った。

彼女は、民衆の蜂起と自由な国民の統合を幾度となく繰り返し、第一次大戦の際にフランス兵によって歌われた“Chant du départ”(出陣の歌)を二度引用した。

マリーヌ・ルペンは、会場に詰めかけた支持者たちに、新たな小道具、赤い紙を振りかざすよう呼びかけた。サッカーの審判が使うレッド・カードに倣ったもので、サルコジ大統領に今や退場すべき時だというメッセージを送るものだ。それに引き続き、二つの部屋に分かれた2,000人もの支持者たちは、退場、退場(dehors!)と、繰り返し叫んだ。

予想できたことだが、彼女はサルコジ大統領に対する最も辛辣な言葉をその後に残していた。サルコジ大統領が第1回投票の最大のライバルになると彼女は考えている(トップで決選投票へ進むのは社会党のオランド候補で、残りの一つの椅子をルペンとサルコジが争うと見ているようです)。「国民が与えた信頼をあざ笑うかのような人間に第1回投票で制裁を加えることは国民を喜ばせる行為とならないのであろうか。」熱狂する聴衆を前にこのように自問し、そして、「ニコラ・サルコジは死んだフランスの候補者だ(candidat de la France morte:サルコジ大統領の選挙スローガン、la France forteをもじったものです)」と評した。

マリーヌ・ルペンがサルコジ大統領の5年の任期を振り返る時、その辛辣さは決定的なものとなる。「サルコジは自らを国民の候補者だという。国民の知性に対するなんという侮辱だろうか。失政を行った大統領の国民への最大の侮蔑だ」と、彼女は言い放った。フランスがそこから脱け出さねばならないほどの失政を行った大統領の職責は、まさに略奪し、裏切り、しくじったようなものだと、ルペンは述べている。

彼女はサルコジ大統領の集会を放送する番組を観て、その後で自分の集会を終えるために演説を再開した。反サルコジの攻撃は1時間の演説の前半、30分に及んだ。

結局、マリーヌ・ルペンは孤軍奮闘を演じようとしたのだ。グローバルな銀行(banque mondialisée)の支持を得た2人の候補者(ニコラ・サルコジとフランソワ・オランド)に対するたった一人の抵抗者というわけだ。そして専門家やジャーナリストなどのエリートと対峙し、エリートの信用を失墜させ、フランス国民を守るただ一人の候補者だということになる。こうした言い回しは、父であり、国民戦線の前代表であるジャン=マリ・ルペンがよく使った犠牲者としての立場の強調(victimisation)であるが、マリーヌは最近まで使うのを嫌がっていた表現だ。

明快な筋立てのない演説で、大統領の椅子を目指すマリーヌ・ルペンは続いて奇妙なコンセプト、つまり「根付いた愛国心」(patriotisme enraciné)というものを提示した。グローバル化した金融資本主義に直面し、自らの肉体がある祖国に根ざした人々(hommes enracinés)という概念を持ち出したのだ。彼女にとって、自立した国民から一斉に起こる声は総力戦に対する唯一の防御壁となる。彼女の著書、“Pour que vive la France”で書いているように、“homo economicus”(ホモ・エコノミクス:経済活動 において自己利益のみに従って行動する完全に合理的な存在=ウィキペディア)や“consommateur compulsif”(コカコーラやマクドナルドをたらふく食べ、飲み、アディダスを履き、トレーナーを着、帽子を前後ろ反対に被るような脅迫的観念の消費者)の名を挙げ、彼らは多国籍企業を利するために、自らの歴史や伝統を忘れてしまっていると指摘した。

マリーヌ・ルペンはまた、共和国精神の擁護者たらんと欲している。しかし、あくまで彼女流の共和国だ。「共和国とはフランスそのものであり、本質的にフランス的であり、肉体的にもフランス的だからこそ普遍的であり得る」と語っている。新右翼の分析を呼び起こす信条とともに、ルペンは人々の相違に称賛を贈り、「違いが世界を素晴らしく、多様で、輝かしいものにしている」と述べ、「国民と人々の多様性が世界をこれほど素晴らしいものにしている」と語った。

マリーヌ・ルペンは続いて、驚くような余談を述べている。肉体的にもフランス的であるべきという彼女の「共和国」と矛盾を起こすような脱線だ。2006年にジャン=マリ・ルペンがヴァルミー(Valmy)で行った有名な演説を思い起こさせるような余談とも言える。耳の聞こえない人が聞くことができるように語られるべき厳粛な言葉だ。

「われらが母なるフランスは、そのすべての子たちを愛している。長子だろうと末っ子だろうと。先祖代々のフランス人も、最近フランス人に加わった人たちも。フランスのすべての子どもたちの間には、違いはない。移民の家系であろうと、大昔からのフランス人家系であろうと。フランス人がいるだけだ。生まれながらのフランス人にせよ、帰化したフランス人にせよだ」とマリーヌ・ルペンは語り、国民第一主義という彼女の主要政策の一つを繰り返し述べた(彼女の国民第一主義とは、社会保障にせよ住居にせよ、フランス国民に対してのみ提供するという政策)。

彼女の父、ジャン=マリが対独協力者でフランス解放時に銃殺刑に処された作家のロベール・ブラジヤック(Robert Brasillach)を紙上で引用した24時間後、彼女は逆説的な言い方を駆使して、新レジスタンス国民会議(nouveau Conseil National de la Résistance)の創設を訴えかけた。

・・・ということで、反移民の極右支持者の票を狙って、受け入れる移民の数をさらに減少させようというサルコジ大統領に対し、根っからのフランス人も、移民も、フランス国籍を持つ者は同じフランス人。一致団結して、グローバル化と闘おう。グローバル化の影響を受け、苦しんでいる人たちの唯一の理解者、ただ一人の支援者がマリーヌ・ルペンである、という極右・国民戦線の訴え。どちらがより多くのフランス人の心をとらえることができるのでしょうか。答えは、4月22日に出されます。2人のうち、どちらが第1回投票で2位となって、決選投票に進むのでしょうか。どうも、フランソワ・オランドの1位通過は動かし難いようです。しかし、政治の世界は、一寸先は闇にして、選挙は水もの。まさに、“On verra”ですね。

Chaque region a son gout・・・サルコジ大統領を支持するオート・サヴォワ県。

2012-02-19 21:39:51 | 政治
ずいぶんと更新の間隔が開いてしまい、アクセスしていただいた方々には、ご迷惑をおかけしました。

流行のインフルエンザ、というわけではなく、引っ越しをしておりました。24年前に郊外に建てた家、と言っても海外暮らしが長くなり、実際に住んでいた期間はそれほど長くはないのですが、それでも築24年。少しずつ傷んできましたし、あと数年で60歳。そろそろクルマなしでも生活できるようにしたいと、都心に近い、地下鉄の駅近くのマンションに引っ越しました。

♪♪雪が解けて川になって流れて行きます
  つくしの子がはずかしげに顔を出します
  もうすぐ春ですね

と、キャンディーズが『春一番』で歌っていましたが、今年の2月は厳冬。春はまだまだ先といった気候で、早咲きで知られる河津桜もまだつぼみのまま。引っ越しの日も寒い雨が降っていました。

♪♪春一番が掃除したてのサッシの窓に
  ほこりの渦を躍らせてます
  机本箱運び出された荷物のあとは
  畳の色がそこだけ若いわ
  お引っ越しのお祝い返しも済まないうちに
  またですね

と、これまたキャンディーズが『微笑がえし』で歌っています。昨春に契約した物件ですので、急な引っ越しというわけではないのですが、それにしても大学入学以降、海外も含めると18回目の引っ越しになります。引っ越しが趣味というわけではもちろんないのですが、結果としてこれだけの回数になってしまいました。しかも、今回は戸建てからマンションへの引っ越しなので、かなりの荷物を処分しました。キザに言えば、思い出に寄り添う品々にさよならを言いました。しかし、思い出はいつまでも心の中に・・・やはり、キザで似合いません。

さて、引っ越しをあたふたとしている間にも、さまざまな出来事が起こりました。サルコジ大統領がついに、再選を目指して、正式に立候補を表明。犬猿の仲と言われるキャメロン英首相にまで応援を頼んだようですが、世論調査では、相変わらず社会党のオランド候補の後塵を拝しています。しかも、与党内からも批判の声が上がるなど、厳しい状況のようですが、はたして、4月22日の第1回投票、そして5月6日の決選投票までに、形勢逆転はできるのでしょうか。

そのサルコジ大統領、地域によっては、大歓迎されているそうです。まるでスターのように迎えられているのは、例えば、南東部、スイスと国境を接するオート・サヴォワ(Haute-Savoie)県。どのように支持されているのでしょうか。17日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

ニコラ・サルコジは選挙キャンペーンの最初の集会を、2月16日、オート・サヴォワ県のアヌシー(Annecy)で行ったが、まさに征服地にいるようだった。伝統的に右派支持者が多く、実際2007年の大統領選でもニコラ・サルコジへ投票した人が多いこの地の有権者と再会するためにやって来たのだ。

76歳の退職者、アンベール(Hambert)に左派支持者かと問うと、すぐさま、「何だって。馬鹿にする気かね」という答えが返ってくる。この地方には地主が多く、人びとは敬虔なカトリックで、保守主義者であり、右派に投票することはつねに変わらぬ投票行動となっている。選挙キャンペーンのスタートを始めるのにここオート・サヴォワ県を選んだニコラ・サルコジを見に、多くの人々が集まった。2007年の選挙キャンペーンをこの地方で締めくくったニコラ・サルコジにとって、ここグリエール台地(le plateau Glières)は幸運を運んでくれたようなものだ。そこで、5年前に圧倒的多数で支持してくれた人々の中で活力を取り戻すためにやって来たのだ。

午前中、アヌシーの街で人びとの喝采を浴び、10ほどの店に立ち寄り、有権者と直接接した後、午後には30kmほど離れたヴァリエール村(Vallières:人口1,300人余)にあるチーズ製造所、シャベール(Chabert)へと向かった。

ヴァリエール・スポーツ・クラブのメンバーであるギー・ボキュース(Guy Beauqus)とその友人たちは、午後2時半からサルコジ候補を待っていたが、彼は1時間半遅れでやって来た。今は退職している元銀行員のギーはスポーツ・クラブで会計を担当しているが、ニコラ・サルコジを歓迎するには個人的な理由があると言っている。3年前、サルコジ大統領は自閉症の子どもたちへの支援を行っている施設に対し、そのサービスを向上させるための融資を受けることを容易にしたということだ。ギーの8歳半になる孫もその施設に通い、今では症状もずいぶん改善したという。「ハンデを抱えた人々を支援するのは国家の専権事項だ。サルコジ大統領には感謝している」とギーは語っている。

4人の子どもの母である学校の事務員、ベアトリス(Béatrice)は尊敬するサルコジ大統領への支持を表明するためにやって来た。「彼の率直な物言いが好きなんです。オート・サヴォワでは、直接的で、あるがままに話す人が好かれています。私たちもみんなそうなんです」と語り、左派のサルコジ大統領への攻撃はスキャンダラスのものであり、そのやり方は子供じみていると考えている。彼女にとって、「サルコジ大統領は経済危機の中でやれることはやった。決して失望はしていない」ということだ。アンヌ・マリー(Anne-Marie)も「こうした状況で、他に何がやれたというのでしょうか。サルコジ大統領のお陰で、フランスはうまく行っています。きちんと食べ、働くことができ、悲惨な生活を送っているわけではありません」と語っている。

ヴァリエール村では、サルコジ大統領の5年間の実績だけでなく、与党・UMPの候補者としてのその公約も支持されている。例えば、ニコラ・サルコジによって提案された国民投票がなぜ議論の的になっているのか、よく分からないという。「国民の意見、特に失業のような問題に関して国民の声を聞くことはむしろ良い施策だと思いますよ。大統領の改革案は適切なものだと思います。私の実家にもいるんですが、仕事を探そうともせずに失業手当の恩恵を受けている人たちを知っていますから」と、5歳の娘の手を引いてやって来た、33歳のイザベル(Isabelle)は語っている。

ヴァリエール村、アヌシー市やその周辺の町々から多くの人々がニコラ・サルコジとその公約への支持を表明しにやって来た。彼らは、今日、サルコジ大統領だけがフランスのために戦っているという深い信念を抱いている。

人々は候補者、ニコラ・サルコジをスターのように出迎えた。彼と挨拶をし、握手をし、運が良ければ言葉を交わすことができると、殺到したのだ。彼の勝利を確信している人も多く、25歳の青年は、フランソワ・オランド(François Hollande:社会党候補者)にはカリスマ性がなく、フランスを統治することはできないと語っている。47歳のセールスマン、エルヴェ(Hervé)も同じ意見で、「大統領に対する批判は知っているが、ニコラ・サルコジだけが大統領の地位にふさわしい候補者だ。左派の提案は、実現性のないものばかりだ」と述べている。

チーズ製造所の中では、人びとが熱狂していた。「大統領と握手したんだ。人生で記念すべき特別な日だ」と、ある従業員は夢中になって語っている。社長のリュック・シャベール(Luc Chabert)も、大統領の訪問は光栄なことであり、家族経営のチーズ工場にとって、特別なことだと述べ、ニコラ・サルコジに投票するかという問いに対しては、「そうすると思う。私は実務的な人間であり、同じような人を支持する」と答えている。

60歳で、書店で働いているカトリーヌ(Catherine)は、失業に関する国民投票は最良の解決策ではなく、用心深く扱うべき課題だと考えている。社会保障の将来に不安を抱いており、医療に関してはこの5年の間に状況はかなり悪化したと見做している。彼女の声が唯一のネガティブな意見だった。

・・・ということで、オート・サヴォワ県では、サルコジ大統領はヒーロー。もともと保守色の強い地域とはいえ、大統領と会えるだけで狂喜、お祭り騒ぎになったようです。こうした報道が、他の地域にプラスの影響を与えるのではないか、という期待があってこその選挙キャンペーンなのでしょうが、うまく行くでしょうか。

“Chacun a son goût.”・・・蓼食う虫も好き好き、という言葉があるように、“Chaque région a son goût”(表題は、アクサン記号を付けると文字化けしてしまうので、省略いたしました)、地域によって支持する政策や候補者も異なることでしょう。アメリカで行われている共和党の予備選挙でも、州ごとに強い候補者が異なっていたりしますね。日本でも保守王国とか、民主王国と言われる県があったりします。

さて、フランス国民の声や、いかに。国民の声にさらに耳を傾けるために、国民投票をより多くの機会に実施したい、というサルコジ大統領の提案ですが、人気取り、という意見も出ています。確かに、“Vox populi vox dei”・・・「民の声は、天の声」というラテン語もあり、朝日新聞のコラム、天声人語の由来になったとする説もあるほどですから、国民の声に真摯に耳を傾けることは大切ですが、さらに大切なことは、耳を傾けた後に、どのように政治に反映させるか、ですね。パフォーマンスや人気取りだけのポーズでは困ったもの。このことは、特に日本の政治に求められるのではないでしょうか。支援者を集めての集会やバス旅行が大切なのではなく、その声をいかに政策に反映させるか・・・その実績で、私たち有権者も政治家を評価したいものです。

メルコジの関係は、どこまで進むのだろうか。

2012-02-07 21:48:15 | 政治
「メルコジ」と言われるのは、ご存知、メルケル独首相とサルコジ仏大統領のカップル。その関係といっても、もちろん男女の関係ではなく、その盟友関係。そして、ドイツとフランスの関係です。普仏戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と刃を交えた両国。しかも、第二大戦では、ドイツに占領され、傀儡政権ができ、解放もレジスタンス運動があったとはいえ、アメリカを中心とした連合国軍によってなされた、という過去を持つフランス・・・

21世紀になったからといって、ドイツ、フランス両国がどこまで平和裏に共存できるのでしょうか。それも、中華思想の強い、つまり自尊心の強いフランスが、ドイツに助けられてのヨーロッパにおける大国という地位をどう受け入れるのでしょうか。

そうした想いを抱かざるを得ない会見・・・メルケル首相とサルコジ大統領の共同会見が、フランスのテレビ局とドイツのテレビ局による共同制作というカタチで、6日夜のニュースで放送されました。

まずは、その概略を伝える6日の『ル・モンド』(電子版)の記事、“Angela Merkel va soutenir Nicolas Sarkozy “quoi qu’il fasse””です。

メルケル首相とサルコジ大統領は、フランス大統領選へ向けたキャンペーン真っ盛りの6日、第14回仏独閣僚会議を主宰した。フィヨン(François Fillon)首相も交えた会談の後、仏独の両首脳は記者会見に臨んだ。

メルケル首相は、「サルコジ大統領がどのような対応をしようと支持する。私たちは盟友関係にある政党に所属しているのだから。友党を支援するのは至極当然のことだ」と語り、2009年に彼女が首相の2期目を目指していた際にサルコジ大統領が応援に来てくれたことに言及した。

昼食会の後、両首脳は同日夜にフランスのFrance 2とドイツのZDFで放送されるインタビューの録画を行った。

その中で両首脳は、ギリシャに対しメッセージを発した。「公約をきちんと守るべきであり、選択の余地はない。時間も差し迫っている。今や決断を下す時だ」とサルコジ大統領は語っている。ギリシャは今、二つの交渉に携わっている。一つは債権者である民間セクター、中心は銀行であるが、彼らに対しギリシャ政府が負っている債務のかなりの部分を帳消しにしてもらう交渉であり、もう一つは新たな融資をしてもらうために「トロイカ」(troïka:EU、ECB、IMF)と行う交渉だ。

メルケル首相は、もしギリシャがEU、IMFとの交渉をまとめることができなければ、どうしても必要な追加資金援助を得ることはできないだろうと予測しながらも、ギリシャがユーロ圏に残ってほしい旨、改めて語った。

欧州委員会(la Commission européenne)、ヨーロッパ中央銀行(la Banque centrale européenne)、国際通貨基金(le Fonds monétaire international)からなるギリシャへの公的債権者、「トロイカ」との交渉がまとまらなければ、新たな資金援助プログラムはあり得ないと、メルケル首相は明言した。

・・・ということで、記事の中心は最大の関心事、ギリシャ問題になっていますが、それでも冒頭の、サルコジ大統領が何をしようと支持をする、というメルケル首相の発言は、いくら党首を務めているキリスト教民主同盟(CDU)とサルコジ大統領が実質主導している国民運動連合(UMP)が盟友関係にあるとはいえ、ずいぶん思い切ったものだと思わずにはいられないのですが、果たしてこうしたドイツ首相による支援発言がドイツをラインの向こう側と呼ぶフランス国民にどう受け取られるのでしょうか。なぜ、メルケル首相は、ここまでサルコジ大統領に肩入れするのでしょうか・・・

同じ6日の『ル・モンド』(電子版)の記事、“Pourquoi Angela Merkel fait campagne pour Nikolas Sarkozy”です。

メルケル首相はサルコジ大統領を支持するために、選挙戦に身を投じた。仏独閣僚会議の後、両首脳はエリゼ宮において、同日夜のニュース番組でFrance 2とZDFが放送するインタビューに臨んだ。メルケル首相は、世論調査で劣勢を強いられている盟友を救いにやってきたのだ。今や、フランスは政治、経済両面でドイツに対して後塵を拝している。

仏独両国においては、確かに連帯がしばしば行われてきた。2003年1月、当時の仏外相、ドミニク・ドヴィルパン(Dominique de Villepin)が国連でイラク戦争反対の演説を行う1月前にあたるが、時のシラク(Jacques Chirac)大統領とシュローダー(Gerhard Schröder)首相がテレビでの会見を行っている。1992年9月には、東西ドイツの統一を達成したコール(Helmut Kohl)首相が、マーストリヒト条約(le traité de Maastricht)批准を目指すものの苦戦する盟友ミッテラン(François Mitterrand)大統領を支援すべく二元放送に同意した。

そして再び、フランスは自己防衛態勢にある。特に、格付け会社“Standard & Poor’s”がフランス国債をトリプルAから引き下げて以降、その傾向は顕著だ。欧州の首脳たちはベルリン詣でを行い、一方、サルコジ大統領は自身の大統領選挙に傾注している。しかし、両首脳は仏独両国の関係が以前と変わらず機能していることを示そうとしている。サルコジ大統領は自分が欧州をリードしていると示そうとし、メルケル首相はそれとは異なる立場を自らに望んでいる。「ドイツの支配的地位は一目瞭然だ。しかし、仏独両国が並び立っているという考えはドイツを守るのに役立っている。ドイツ人はフランスのサポートが必要なのであり、彼らだけでヨーロッパをリードする術を知らない。メルケル首相もドイツの主導する欧州ではなく、一貫した政策が各国によって共有されていることを示そうとしている」と、社会党政権時代の外相、ユベール・ヴェドリン(Hubert Védrine)は語っている。

ヨーロッパは決してドイツではなかった。「現在の信用不安がドイツを欧州の中心に据えたのだ」と、シンクタンク(le cercle de réflexion)“Bruegel”の主任研究員でエコノミストのジャン・ピザーニ=フェリー(Jean Pisani-Ferry)は述べている。欧州は、欧州通貨制度(le système monétaire européen:1979年から1999年まで欧州経済共同体加盟国の間で維持された地域的半固定為替相場、英語表記ではEMS)が優勢であった1980年代の状況、そしてユーロがなくなると思われるという状況に立ち至った。ドイツとドイツ国債が解決の鍵を握っており、ドイツ国債が各国の基準となっている。フランスも確かにまずまずの働きをしている。国債発行は年初から順調に推移している。しかし、民間資本は南ヨーロッパから逃げ出しており、その中にフランスも含まれている。

こうした支配的地位は、ドイツがパートナーたちとの差を広げた結果の帰結だ。「危機が進展すればするほど、その危機は北欧と南欧の競争力の危機的差として見えてくる」と大統領府は認めている。サルコジ大統領は、フランスは経済危機からさらに強大な国となって抜け出すことができると言い続けてきたのだが、反対のことが起きてしまっている。

投資銀行・ナティクシス(Natixis)のエコノミスト、パトリック・アルチュス(Patrick Artus)によれば、フランスが需要を喚起する政策を行ったのに対し、ドイツは供給を刺激する政策を行った。「フランスは、1998年以降、市場占有率喪失の世界記録を保持している」とアルチュスは分析している。ドイツにおける、押さえられた給与、厳格な社会ルール、生産能力の30%もの向上・・・原因は火を見るより明らかだ。フランス企業は、例えばルノー(Renault)がダシア(Dacia)の生産をルーマニアに移転させたように、付加価値の少ない製品の製造部門を海外移転させたが、ドイツは付加価値の高い製品の製造を東欧に移転させ、ポルシェがスロヴァキアに進出した例のように、レベルの高い熟練工を独り占めしている。「ドイツ企業は、製品の品質を下げることなく、ハイ・エンド製品のコストを下げている」とアルチュスは語っている。

サルコジ大統領とメルケル首相は両国における共通税制度(la convergence de l’impôt)を始めようとしている。その手法はドイツ・モデルの長所を示すことになる。サルコジ大統領は社会付加価値税(la TVA sociale)や週35時間労働のフレキシブルな運用(la flexibilisation des 35 heures)などと同じように、ドイツのシステムをコピーしようとしている。

フランソワ・オランド(François Hollande)が大統領選候補である社会党はフランスの競争力低下という主張に異議を唱えている。ある大統領府顧問は、「ドイツは牛乳をフランスに輸出しているが、それはドイツの技術力の優位性によるものではない」と憂鬱な表情で語っている。前出のエコノミスト、ピザーニ・フェリーは、「主題は一目瞭然だ。オランドに対するメルケルのメッセージは、かなり厳しいものとなるだろう」と見ている。メルケル首相は、財政規律強化をヨーロッパに根付かせる欧州協定(新財政協定)について、受け入れ難く再交渉したいというオランドの意向に、反対を表明した。社会党の元外相、ヴェドリンは、「メルケル首相はオランドを怖がっているようだ。オランドならおそらく精神的に優位を占める両国関係を再構築できるだろう」と述べている。

目下のところ、欧州はイタリアの二人の教授、つまり欧州中央銀行のドラギ(Mario Draghi)総裁とイタリア首相になったマリオ・モンティ(Mario Monti)が渦中に入ることで均衡を再び取り戻している。「モンティ首相は、仏独両国の間で漁夫の利を得よう(être le toisième larron)としているが、フランス大統領とドイツ首相の間では妥協が成立してしまっている」と大統領府顧問はこっそり指摘している。

仏独伊の三首脳はストラスブールで会談を行い、月末にはローマで会うことにした。ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)のいなくなったイタリアと比較することはフランスにとって一層容易ならざることになっている。「フランスは500億ユーロの貿易赤字を出しているが、イタリアは500億ユーロの黒字を計上している」とアルチュスは指摘し、フランスとイタリアの間にある格付けの差は信じ難いことだと述べている。フランス人にとって一縷の望みは、ドイツが疑いようもなく競争力の峠に達しているということだ。完全雇用に近いこの国で、給与が2012年には4%も上がることになっているのだ。

・・・ということで、なんだかんだと言いながら、ドイツ主導の現状は認めながらも、ドイツの天下は終わりが近い、次はやはりフランスだ、それもフランソワ・オランドならいっそう精神的にも優位に立てる、と言っているようです。中華思想、自尊心の強いフランスらしい主張ですね。

ただ一点、気になったのが、フランスとドイツの生産海外移転の手法の違い。安い単純労働力を求めて、あまり技術力を必要としない製品の海外生産を進めるフランスと、高い技術が求められるハイ・エンド製品の生産を海外移転させ、新興国の熟練工を抱え込むことで、技術力は維持しつつ、コストだけを低減させることに成功しているドイツ。その結果が両国の経済力に反映されている・・・

さて、我らが日本がとっているのは、どちらの手法でしょうか。言うまでもなく、フランス型。単純労働によるコモディティ生産は労働力の安い新興国などに移転し、国内生産は高い技術を要する高級品に特化する。その結果は、どうもフランスと同じ経過を辿っているのではないでしょうか。市場シェアの喪失。家電製品などに顕著ですね。

エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)の言う「直系家族」(la famille souche)社会に属するドイツと日本。サッカーだけでなく、日本が目指すべきはドイツ型「生産の海外移転」、あるいは「生産の海外・国内棲み分け」なのではないでしょうか。一考の価値ありと、思うのですが・・・

サルコジ大統領のご託宣・・・メディアをジャックする!

2012-01-30 21:43:46 | 政治
信用不安に端を発する経済危機に、どう対処すべきか。野党がさまざまな提案を行っている中で、EUなど国際機関の中で一定の主導的役割は果たしてはきましたが、国内の対策については明確に述べてこなかったサルコジ大統領。ついに、国民向けに、新たな経済対策を発表しました。

その発表の仕方が、これまた、サルコジ大統領らしい。いわば、「メディア・ジャック」・・・“Media Hijack”に由来するジャパングリッシュの“Media Jack”。車両、駅、雑誌などといったビークル(vehicle:媒体)をある広告で埋め尽くしてしまうことですが、サルコジ大統領は自らの経済対策の発表を、29日午後8時10分から、多くのテレビ局、ラジオ局で同時に中継しました。どこにチャンネルを合わせても、サルコジ大統領の顔が見え、声が聞こえる・・・

放送したメディアは、放送前に公開された『ル・モンド』(電子版)の記事“Le dispositive de l’entretien télévisé de Nicolas Sarkozy”によると、地上デジタル放送を受信できる家庭では、TF1、France 2、BFM TV、iTélé、国会チャンネルの5局、ADSLやサテライトで受信している家庭ではFrance 24、TV-5 Mondeなどが加わり9局で視聴可能となったそうです。

特に、24時間情報チャンネルがこうした会見を中継できるのは初めてだそうで、BFM TVの報道局長、エルヴェ・ベルー(Hervé Béroud)は、「叙任式」(une consécration)のようだと表現しています。

さて、メディア・ジャックしてまでサルコジ大統領が国民に提示した改革案とは・・・放送終了直後に『ル・モンド』(電子版)が早速伝えています。その概略を・・・

主要な対策は、付加価値税(TVA)の標準税率を1.6ポイント引き上げること、中小企業(PME)向けの融資制度を担う投資銀行の創設、金融取引税の新設の3点だ。

●付加価値税率のアップ
現行19.6%の標準税率を21.2%へ引き上げることにより、130億ユーロ(約1兆3,000億円)の増収を図り、増収分は企業の社会保障負担の軽減に充て、競争力強化につなげる。会計処理のコンピューター・プログラム変更などを考慮し、10月1日からの導入とする。食品などへの中間税率や医薬品などへの特別軽減税率は現状を維持する。

付加価値税増税によるインフレの可能性については、「物価上昇など、すべての問題に対処する準備ができている」とサルコジ大統領は述べている。また、フランスのTVA標準税率は21.2%に上昇するものの、EU圏内では平均的な税率だと、語っている。

サルコジ大統領はかつて、増税には反対の姿勢を示していた。昨年11月には、TVA全体の税率をアップさせようという増税案に反対した。その時の理由は、増税は消費に大きな影響を与えるから、というものだった。

●住宅問題
3年以内に住宅を戸数も土地占有係数(coefficient d’occupation des sols:COS)も30%増加させる。この政策は、建設業界に多くのビジネス・チャンスを与えることになり、ひいては経済成長を後押しすることにつながる。

●雇用と労働時間
企業ごとに、労働者と交渉し、半数以上の賛同を得られれば、労働時間に関する協定を結ぶことができる。つまり、週35時間労働の終焉を迎えることになる。「競争労働協約(accords compétitivité-emploi)のお陰で、ドイツは雇用を優先する政策を実施することができている。フィヨン首相があす以降、労使双方に企業ごとの協定を結ぶよう依頼することになる」と、サルコジ大統領は述べている。

競争労働協約ができれば、経営者にとってより容易に給与と労働時間について労働側と交渉することができるようになる。しかし、実施に移すには、多くの課題がある。企業業績のよくない時期に、こうした協定を結ぶことは、2007年の大統領選でのサルコジ大統領のスローガン、“travailler plus pour gagner plus”に反することになるだろう。しかし、この政策により、社会党政権が実現した週35時間労働を転換させ、企業経営にフレキシビリティをもたらすことになると、大統領は自画自賛している。

●金融取引税
8月から実施する予定の金融取引税は、フランスで上場している企業(entrprisee cotées en France)の金融取引に0.1%を課税するものだ。クレジット・デフォルト・スワップ(CDS:credit default swap)やインターネット株取引(achats spéculatifs par ordinateur)も課税対象となる。金融取引税の総額は、年間10億ユーロ(約1,000億円)と見積もられている。

この新税によって企業の海外移転が進みやしないかという疑念に対して、サルコジ大統領は、課税対象はフランスで上場している全企業であり、そうした企業がニューヨークで株の取引を行ったとしても課税されるので、この新税により海外移転が進展することはない、と説明している。

●産業投資銀行の創設
市中銀行の貸し渋り対策として、2月以降、10億ユーロの資本金で、産業銀行(une banque de l’industrie)を設立する。この銀行は、中小企業への融資を担当する国営金融機関“Oséo”の子会社として設立されるのだが、フランス経済の中核をなす中規模企業が十分な融資を受けられない現状を改善することが目的であり、「この銀行は、金融経済のためではなく、実体経済のために資金を提供するものだ」と、サルコジ大統領は述べている。

●研修生受け入れを増やすための制裁措置
サルコジ大統領は、従業員250人以上の企業が受け入れる若年研修生の割合を従業員数の5%に引き上げると発表した。25歳以下の生産年齢での失業率は20%を超えており、全世代平均の9.3%を大きく上回っている。こうした現状を改善すべく、若年研修生の受け入れ数を現行の4%から5%に引き上げるとともに、遵守しない場合の罰則を強化することにした。

現状では、社員数250名以上の企業が受け入れている研修生は1%未満で、平均1.7人に過ぎず、総数でも60万人ほどだ。それを政府は2015年までに80万人、あるいは100万人にしたいと述べている。

・・・ということで、サルコジ大統領の経済政策が発表になりました。

中に付加価値税の標準税率のアップが含まれていますが、これはあくまで標準税率であって、生きていく上に欠かせない食料品などは5.5%(今月から一部7%)、医薬品などは2.1%であり、税率が一つしかない日本の消費税とは仕組みが異なっています。標準税率だけを紹介して、だから日本の消費税は低い、欧米並みに上げるべきだという意見をときどき耳にしますが、実体はそう簡単に比較できるものではありません。すべての商品カテゴリーをどのように異なる税率に分類するのか、という面倒な作業を日本の政治・行政、あるいは企業は行いたくないようで、一律の消費税になっています。そうした違いを認識した上での議論が必要だと思います。知っていても都合の悪い情報を隠して論じる評論家も多いようですが、騙されないようにしないと・・・

また、サルコジ大統領の声明の中に、金融経済ではなく、実体経済の支援を、という言葉がありました。姜尚中氏は、「虚の経済」から「実の経済」へ、という表現をしています。そろそろマネーゲームから、モノづくりへ、という機運が高まって来ているのではないでしょうか。シティとウォール街に牛耳られる世界から、額に汗して人々の暮らしに役立つモノを作りだす、そうしたことが正しく評価される世の中に代わって行ってほしいものだと思います。

『曽根崎心中』などでお馴染みの浄瑠璃作者、近松門左衛門は、芸の面白さは虚と実との皮膜にあるという「虚実皮膜論」を唱えたと言われていますが、経済も虚と実の両輪が必要なのではないでしょうか。虚の経済だけが大手を振って、わがもの顔で歩き回るさまは、「ひとつの妖怪が世界を徘徊している―拝金主義の妖怪が」となるのではないかと思えてしまいます。

モノづくりの時代への回帰・・・日本の復興を後押ししてくれるかもしれません。そのためにも、まずは、「モノづくりの現場」を修復・再興することが急がれのではないでしょうか。

大統領職のあとさき・・・ニコラ・サルコジの場合。

2012-01-28 22:16:05 | 政治
♪♪一人歩きを始める 今日は君の卒業式
  僕の扉を開けて すこしだけ泪をちらして

と始まる、さだまさしの『つゆのあとさき』。どうして梅雨の時期に卒業式、と思ってしまうのですが、

♪♪めぐり逢う時は 花びらの中
  別れ行く時も 花びらの中

とありますから、卒業式は、やはり、春。ということは、梅雨は梅雨でも、菜種梅雨なのではないかと、感性の鈍ったおじさんは勝手に思ってしまうのですが、どうも、「卒業」は男女の別れを象徴しているという解釈もあり、涙の雨、心の梅雨なのでしょうか・・・

などと、さだまさしファンには言わずもがなのことをくだくだと書き連ねているのは、サルコジ大統領の今後についての記事を読んだからでありまして、もしかすると大統領選挙で敗れるのではないか、もしそうなった場合、ニコラ・サルコジはその先どのような人生を送るのか・・・「大統領職のあとさき」ということで、つい懐かしのフォーク・ソングが蘇ってしまったわけです。

あの強気で知られるニコラ・サルコジが、負けるかもしれないという仮定を受け入れ始めている。さあ、たいへんだ・・・24日の『ル・モンド』(電子版)です。

彼の心の中に、もはや疑う余地はなくなっている。「敗北した場合、政界から引退する、間違いなく。」 数日前から、大統領選で敗れた場合という仮定の話が出されると、このようにニコラ・サルコジは語っている。訪問客の前では情熱を誇示したり、自信のほどを語ったりしているが、敗北・引退という可能性も思い描いているようだ。

「いずれにせよ、崖っぷちにいる。人生で初めて、キャリアの終焉に直面している」とニコラ・サルコジは付け加えているが、キャリアの終点は数カ月後、あるいは5年後には必ずやってくる。

ニコラ・サルコジは、大統領の椅子に恋々としていないということを示そうとしている。彼を共和制君主に擬えているような人たちに対して、「自分は独裁者ではない」と好んで答えている。

もちろん、もし政界から去らねばならないとすれば、生活のリズムの変化や権力がもたらすアドレナリンの上昇を失うことを懸念してはいる。パスカル(Blaise Pascal:1623-1662)の言葉を引用して、「人間は死ぬということを忘れるように造られている」(l’homme est ainsi fait que tout est organisé pour qu’il oublie qu’il va mourir)と述べている(「人間は,死,悲惨,無知を癒すことができなかったので,自己を幸福にするために,それらを敢えて考えないように工夫した」、「人間は生まれながらの死刑囚である」といった言葉が『パンセ』に見られます)。

しかし、ニコラ・サルコジは変わった。別の人生の準備をすることになると自分を説得している。政治の世界では望むべきものをすべて得たことになる。市長、県議会議員、県議会議長、主要閣僚、そして大統領。そして、すべてを知ることになる。勝利がもたらす歓喜、敗北の傷、試練がもたらす知恵。心の穴を埋める情熱以上に何を期待できるだろうか。

2007年の大統領選で勝利する前に、ニコラ・サルコジはすでに、権力の消耗について考えを巡らせていた。2005年、大統領選の2年前、領土担当大臣となるブリース・オルトフー(Brice Hortefeux)を引き連れて、サルコジは内相のポストに再び就いた。ニコラ・サルコジとは子どもの頃からの友人であるブリース・オルトフーは、初めて閣内に入り、“Restignac”の役割を果たした(バルザックHonoré de Balzacの作品『ゴリオ爺さん』le Père Goriotの登場人物の名で、今日では、出世主義者arrivisteや野心家un jeune loup aux dents longuesといった意味で使われています)。サルコジはオルトフーに対して、「今の立場を楽しむがいい。最高の時かもしれない」といっていたが、彼らの夢、人生の野望を実現した時に、その最高の時はやってきた。

「ニコラ・サルコジは権力をもてあそぶという考えなど一切持っていなかった。代わりに、義務という言葉をしばしば口にした」とオルトフーは語っている。そのオルトフーにも、サルコジは、もし大統領選で負けたら政界を引退すると打ち明けている。他の側近たちとともに、オルトフーは、敗北した場合でも、UMPの領袖となってほしいと説得しているが、サルコジ大統領はそうは望んでいない。「UMPを率いてほしいって? それは自分には相応しくない。それくらいなら、カルメル山(カルメル修道会:le Carmel)の方を選ぶ。少なくともカルメル山では希望がある」と語っている。

大統領選挙(決選投票)の行われる5月に、サルコジ大統領は57歳になっているが、まだまだ何でもできる年齢だ。特に、昨年子どもが生まれたばかりのサルコジ大統領なら。(大統領をもう一期やった場合の)2017年には、62歳だ。今、彼は世界の首脳たちの政界引退後の歩みを観察している。国際会議で講演をする人が多いが、英語の場合が多く、彼の苦手な言語だ。一方、元ドイツ首相のゲルハルト・シュローダー(Gerhard Schröder)は、プーチン・ロシア首相と親しく、ロシアのエネルギー企業・ガスプロム(Gazprom)に職を得ている。

サルコジ大統領は、金銭欲を隠しはしない。昨年11月、G20のカンヌ・サミットで、金融界のモラルのなさを批判する前に、次のように語った。「私も将来、しっかり稼ぎたいと思っている。」

オルトフーによれば、マルタン・ブイグ(Martin Bouygues:建設・通信・テレビ局TF1・運輸Alstomなどの企業を傘下に置くコングロマリット、ブイグ・グループの会長)は、サルコジ大統領に幾度となく彼のグループに加わるよう勧めているようだ。サルコジ大統領は側近たちに対して、「自分は弁護士であり、自分の事務所を持っていた。やるべきことが多いほど情熱的になれるんだ。いずれにせよ、人生をすっかり変えようと思う。君たちも、もう私について聞くこともなくなるだろう」と語っている。

サルコジ大統領は、もっと快適で、疲れることの少ない人生を望んでいる。「旅行をし、火曜に始まり、木曜の夕方には終えるような仕事をこなす。そんな人生に懸念などない」と語っている。「彼は政界引退後、より快適な日々、それほど刺激的ではないが、より快適な人生を望んでいるようだ」とオルトフーは述べている。

行動派ではあるが、ニコラ・サルコジは、いつの日か自分の人生を生きる時間を取り戻すことを望んでいた。大統領に就任してすぐ、2007年9月14日に、父親の祖国、ハンガリー訪問から帰国した際、退任後の人生に思いを馳せるようになった。実際にはかけ足の滞在でしかなかったが、ブダペストに残り、二日ほど街をぶらぶらと歩くことができればと思うようになったのだ。二日あれば、馬に乗って森の中を散策し、温泉につかり、コンサートにも足を運ぶことができる。時間さえあれば。「ミッテラン元大統領は楽しみのために外遊をした。そのことを批判するつもりはないが、自分は仕事のために旅行をしている」と、サルコジ大統領は周囲に漏らしている。

元大統領たちと同じように、サルコジ大統領が気にかけていることは、歴史にどのようなカタチで残るかということだ。この点については、確信をもっている。「将来において愛される存在になるためには、止めるべきだ。」

・・・ということで、各種世論調査での劣勢を受け入れ、政界引退、そしてその後の人生設計に想いを馳せつつあるサルコジ大統領。しかし、本心なのでしょうか。それとも、乾坤一擲、反転攻勢へ出るための、言ってみれば嵐の前の静けさなのでしょうか。

1955年1月28日生まれですから、まさに今日、57歳の誕生日。Bon anniversaire ! まだまだ、若い。

しかし、権謀術数、陰謀渦巻く政界に長く身を置いてきただけに、静かな余生を送りたいと、思うようになったのでしょうか。人間は、誰でもいつかは死ぬ。どんな政治家でも、いつかは政界から引退する。そろそろ潮時かもしれない・・・本当にそう思っているのなら、さすがのomniprésentな大統領も、ついにエネルギーが切れてしまったのでしょうか。もしそうなら、政治家のエネルギーのもとは、国民からの支持、国民によって与えられる信任なのかもしれません。

あるいは、頂点を極めれば、あとは山を降りるしかないことに気づいてしまったのでしょうか。最良の時を十分に楽しんでしまったから、後悔はない、といったところなのでしょうか。

♪♪梅雨のあとさきのトパーズ色の風は
  遠ざかる 君のあとを かけぬける

ニコラ・サルコジの去った後には、どんな色の風が吹くのでしょうか・・・いずれにせよ、退任後の話題が出ること自体、フランス・メディアもサルコジ後に備え始めたということなのだと思います。

政治家の妻・・・フランスの場合は?

2012-01-24 22:30:10 | 政治
武士もいわば政治家だと考えれば、その妻で有名なのは、まずは山内一豊の妻、見性院(千代、まつ)。嫁入りの持参金で名馬を買ったり、その賢夫人ぶりは今に伝えられています。千代紙の由来になったという一説まであります。

そう少し歴史を遡れば、源頼朝の正室、北条政子。頼朝亡き後は、尼将軍として幕政を担いました。そして、今日では、民主党三首相の夫人が、それぞれのキャラクターを見せてくれています。

アメリカでは、ファースト・レディ。ケネディ大統領夫人、ジャクリーンやクリントン大統領夫人、ヒラリーが特に有名ですね。フランスでは、大統領夫人は“première dame”。サルコジ大統領夫人は元トップ・モデルにして歌手のカーラ・ブルーニ。その華やかさにスポットが当てられています。

大統領や首相ではなくとも、政治家の妻には、選挙区を守る役目や、さまざまな付き合いなど、やることが多く、責任も重いようです。しかし、それでも、政治家の妻はセレブだとその座を目指す人もかなりいるようです。

さて、最近、『ル・モンド』(電子版)が二人のフランス人政治家の妻について、報道していました。誰で、どのような報道だったのでしょうか。まずは、22日の記事から・・・

警察の発表によると、国民教育相(ministre de l’ éducation nationale)リュック・シャテル(Luc Chatel)の妻、アストゥリッド・エレンシュミット(Astrid Herrenschmidt)が22日朝、自殺した。リュック・シャテル自身も、その死を通信社・AFPに送った文書で認めている。

「リュック・シャテルは、今朝起きた個人的悲劇を確認するとともに、子どもたち、家族そして自分自身のためにも故人のプライバシーに対する配慮をお願いする次第です」と、その文書に記している。

南米の仏領ギアナに滞在中のサルコジ大統領は、個人的な出来事であり、リュック・シャテルとは電話で直接話をし、子どもたちの世話をするために時間を割くよう伝えたと、『ル・モンド』の取材に対し述べている。

・・・という短い記事ですが、自殺したのが政治家の妻。何か政治的背景があるのかと疑ってしまいますが、あくまで個人的出来事ということで、詳細は公にされていません。政治家といえども、プライヴェートには深入りしないのがフランス流。かつて隠し子について記者から質問を受けたミッテラン大統領は、“Et alors ?”(それが、何か?)と一言。それ以上、マスコミも世論も追及しませんでした。大統領として、あるいは政治家として、その職務を全うしていれば、プライヴェートについては問わない、というのがフランスの伝統で、今回の悲劇も詳細には報道されていません。

しかし、そういう伝統を持たないアメリカ、大統領はよき夫、よき父親でなければならないアメリカでは、もう少し詳しい報道がなされていました。しかも、リュック・シャテルはアメリカのメリーランド州生まれ。アメリカや英語に愛着があるようで、フランスでの英語教育を早めるような政策も推し進めていますから、アメリカのメディアも関心を寄せているようです。

アメリカでの報道によると、リュック・シャテル(47)とアストゥリッド・エレンシュミット(45)は1991年に結婚し、4人の子どもを儲けています。アストゥリッドは名前から分かるように、アルザス出身のドイツ系。アルザスで自らビジネスも立ち上げていたそうです。それが1月22日早朝、パリ郊外、ブーローニュの森に近いBoulogne-Billancourtの自宅で、首を吊った状態で実母に発見されました。その時、リュック・シャテルは不在だったと伝えられています。その死の背景にあるものは・・・それ以上の情報は、さすがにまだないようです。

こうした悲劇の前日、21日の『ル・モンド』がスポットを当てていたのは、社会党の大統領選候補、フランソワ・オランド(François Hollande)の現パートナー、ヴァレリー・トゥリエルヴェイエ(Valérie Trierweiler)です。どう紹介されていたのでしょうか・・・

オランド陣営のスタッフを不安がらせるには、パリ市セギュール街(avenue de Ségur)に置かれたフランソワ・オランドの選挙本部の3階にある部屋のドアに“Valérie Trierweiler”と書かれたプラカードを吊るすだけで十分だった。「2007年の大統領選の時、我々社会党はセシリア・サルコジ(Cécilia Sarkozy:当時のサルコジ夫人。後、離婚)が果たしている役割を批判したが、今や社会党も候補者夫人の役割について批判されかねない」とスタッフの一人は溜め息をついている。

2007年にセシリアは口出ししたり、アドバイザーを遠ざけたりするなど、あちこちに顔を出していたが、オランドのパートナーはそこまで表に出ているわけではない。しかし、それでも会議の席に加わったり、ネットで発信したりしている。ヴァレリーは、週刊誌“Paris Match”の政治記者だったので、今ではオランドの周りに集まっている社会党の有力議員たちが、かつてオランドについてどんな噂をし、どう蔑んでいたかをよく知っている。

周囲を不安がらせているオフィスの名札を彼女は取り外した。「私がくつろぐ場所が必要じゃないかということでフランソワが決めたことなのですが、そこにはたまにしか行きませんし、実際、そこは会議室として活用されていますから」と述べている。彼女は、第二のセシリアになるのではないかという周囲の心配に対しも、「ニコラ・サルコジは実際、その当選のかなりの部分をセシリアに負っていたのではないかと思われます」とうまくかわしている。

大統領選キャンペーンの序盤から、アドバイザーやジャーナリストたちは彼女の言動を目撃している。1月8日、フランソワ・オランドがジャルナック(Jarnac)にあるミッテラン元大統領の墓前に参った際、ヴァレリーが元大統領の娘、マザリヌ(Mazarine)と話しこんでいるのを目撃している。

社会党支持者を集めた大集会の際には、オランドとの間に4人の子どもを儲けた前パートナー、セゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal:2007年の社会党候補)の隣にヴァレリーが間違っても座ることのないように、広報担当者たちがせわしなく動き回っているさまが目を引いた。オランドが地方遊説から帰るクルマの中では、アドバイザーたちはオランドのスマートフォンの画面にヴァレリーからの電話であることを示す“Mon amour”という文字が現れるのをひそかに待ち構えていた。その文字が現れるや、彼らはオランドから離れなければならないからだ。

ヴァレリーの影響力は、実際どれほどなのだろうか。オランド陣営の広報担当でもある党の実力者、マニュエル・ヴァルス(manuel Valls)は彼女に何かと相談をし、オランドのより親しみのあるイメージをどう作るかに関して、彼女の意見に耳を傾けている。なにしろ、ヴァレリーは『パリ・マッチ』誌で政治家を厨房に立たせるなど親しみを演出するやらせのシーンを幾度となく作ってきたからだ。

1月15日の夜、『ル・モンド』は、フランス国債がAAAから引き下げられたことに関するオランドとのインタビューの返事を待っていたのだが、驚いたことにヴァレリーのメール・アドレスから返事が返ってきた。彼女はすぐさま、「フランソワはパソコン入力をせず直筆で書きました。それを私が秘書のようにパソコン入力したまでです」と、彼女が替わりに返事したのではないかという疑いを払拭した。

『パリ・マッチ』誌は、ヴァレリーが情報を社会党に漏らすことを恐れ、編集会議に加わらないよう彼女に求めた。「まるで罰せられ、自宅謹慎になっているような気分です」と彼女は残念がっている。しかし、彼女の気に入らない記事が出たあと、彼女から怒りの電話をもらった編集長は一人や二人ではない。「ジャーナリスト何人かに電話したのは事実ですが、私に関する記事についてで、フランソワに関するものではありません」と彼女は語っている。

ヴァレリーは長年務めてきた政治コメンテーターとしての役割から離れようと懸命に努めている。彼女の友達は、ナディーヌ・モラノ(Nadine Morano:与党・UMP所属、職業訓練・職業教育担当大臣:フランソワ・オランドがサルコジ大統領を批判した一部の言葉、失敗した大統領(président en echec)と汚い奴(sal mec)がメディアに流れた際、モラノ担当大臣が「許し難い暴言であり、謝罪すべきだ」と非難。それに対して、ヴァレリーが反論しています)やメディアに対してツイートするのを止めるよう勧めたが、彼女はそれを拒んだ。

1月13日、左翼戦線(Front de gauche)の大統領選候補、ジャン=リュック・メランション(Jean-Luc Mélenchon)は、テレビ局・France 2に出演した際、彼が極右・国民戦線(FN)の候補、マリーヌ・ルペンに微笑んで挨拶したと彼を罠にかけるような報道をヴァレリーがテレビ局・Direct 8の番組でしたと批判。それに対し、ヴァレリーはツイッターで、「カメラの前でメランションさん、あなたがルペン女史に対して愛想の良い顔をしているのを見れば、罠にかけるなどと言うことはできない筈」と反論している。

数週間前から、コミュニケーション会社“EuroRSCG”の元社員、ナタリー・メルシエ(Nathalie Mercier)がヴァレリーのアドバイザーに就いている。1月25日、Direct 8で彼女がキャスターを務める新しい文化番組についての宣伝のため、同系列のテレビ局・Canal+のトークショー“Grand Journal”に出演した際、彼女は番組の後半にしか出演しないで済むよう交渉した。政治担当の編集者たちは前半で席を立つからだ。

・・・ということで、政治ジャーナリストとしての経歴ゆえ、その言動がいっそう注目されてしまうヴァレリー・トゥリエルヴェイエ。彼女なりに、目立たないように気を使ってはいるようなのですが、長年の習慣か、つい意見を公表したり、反論してしまったりしているようです。なかなか習性は抜けないのでしょうね。

一口に「政治家の妻」と言っても、その人の経歴や、夫(パートナー)の立場によって、一概にどうあるべきかを決めることはできないようです。それぞれが、それぞれの立場でベストな行動を取る必要がある。それだけに、その人の人間性なり、能力が現れてしまう。批判されることも多い・・・政治家の妻、決して楽なセレブ稼業でないのは、洋の東西を問わないようです。