外人部隊・・・この言葉には、哀愁、そして、そこはかとないロマンを感じてしまいます。懐かしの名画に登場してくるからでしょうか。1930年製作のアメリカ映画『モロッコ』が外人部隊をかなり詳細に描いています。主演は、ゲイリー・クーパーとマレーネ・ディートリヒ。ご覧になった方も多いことでしょう。はじめて日本語字幕が付けられたトーキー映画でもあるそうです。
また、“Le Grand Jeu”(日本語ではそのものずばりの『外人部隊』)というタイトルの作品も二つあります。まずは、1934年のフランス映画で、ジャック・フェデー(Jacques Feyder)監督の作品。デュヴィヴィエ(Julien Duvivier)監督の『舞踏会の手帳』(Un Carnet de bal)などに出ていたマリー・ベルが出演しています。もう一つは、1954年の仏伊合作映画で、ロベール・シオドマク(Robert Siodmak)監督、出演はジャン=クロード・パスカル、イタリアの美人女優、ジーナ・ロロブリジーダ、『天井桟敷の人々』(Les enfants du Paradis)でお馴染みのアルレッティなど。ジャック・フェデーはこの作品ではシナリオを担当しています。
訳ありの男たちが、明日をも知れぬ戦いの場に身を投じる。偽名で、過去に封印をして。そして、女に出会う。出会う場所は、酒場。紫煙の向こうで、激しい恋が始まる・・・と、勝手な想像が膨らんでしまうのですが、実際は、兵隊。そんなロマンチックなものではないのでしょう。
昔は傭兵が中心だった戦い。スイス人傭兵が名高く、今でもスイス衛兵隊としてバチカンにいます。しかし、これはもはや観光名物。戦争のためではありません。傭兵は今日ではジュネーブ条約で禁止されているそうです。傭兵が徴兵制に変わったのは、ナポレオン配下の国民軍が圧倒的に強く、各国がその制度に倣ったためとか。しかし、その後、成年男子が減ったフランスは、外人部隊を1831年に創設。100カ国以上から集まっていたそうで、1930年代には日本人60名ほどが在籍していたとか。最近でも35名の日本人が加わっているというレポートもあります。
外人部隊、フランス語では“Légion étrangère”ですが、名前が傭兵ではなくなっても、戦場へ派遣されるのは同じ。21世紀になっても、コートジボワールなど旧植民地を中心に、紛争地域へ派遣されています。
外人部隊の兵隊は、“légionnaire”、レジオンドヌール勲章佩綬者と同じ呼び名ですが、兵隊は兵隊、危険と隣り合わせで、死亡することがあるのは言うまでもありません。昨日、29日にも、二人の外人部隊兵士が、死亡しました。戦闘で、銃弾によって命を奪われた。場所は、アフガニスタン。しかも、その死に方には、アフガニスタンの現状が映し出されている・・・どのように亡くなったのでしょうか、29日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
二人のフランス外人部隊兵士、一人はモハメド・エル=ガラフィ准尉、39歳。もう一人は名前が明らかになっていないが、伍長。ヴォクリューズ県(南仏、アヴィニョンが県庁所在地)のサン・クリストル(Saint-Christol)に基地を置く第2外人工兵連隊(2e régiment étranger de génie:REG:第27山岳歩兵旅団に属する連隊)所属の兵士だ。この二人の兵士は、エリゼ宮(大統領府)の発表によれば、29日、アフガニスタンで、アフガニスタン正規軍(l’Armée nationale afghane:ANA)のある兵士によって、誤射ではなく、狙い撃ちで殺された。
そのアフガン兵士はすぐさまフランス軍により射殺されたと、参謀部の報道官、ティエリー・ビュルカール(Thierry Burkhard)は公表している。彼はまた、二人の兵士を殺したアフガン兵士は首都カブールの北東、カピサ(Kapisa)地方の山岳部に配置されているANAの常備別働隊の一員だとも語っている。この別働隊は、共同作戦の場合、フランス軍と行動を共にすることになっている。参謀部によれば、ANAの兵士がフランス兵に対し銃口を向けたのは今回が初めてとのことだ。
エリゼ宮や参謀部が二人の死亡を公表する少し前、アフガニスタン駐留NATO軍もコミュニケを発表し、タリバン勢力が浸透しているカピサ地方で、アフガニスタン正規軍の制服を着た一人の男により、NATO軍指揮下の二人の兵士が殺されたと伝えていた。
大統領府はツイッタ―で、二人の外人部隊の兵士はタガブ渓谷でアフガニスタン正規軍支援の任務に就いていたが、あるアフガン兵に狙われ、射殺されたと発表している。サルコジ大統領は、沈痛な想いと遺族への衷心からのお悔やみを表明した。
ここ2年ほど、同じような事件が起きている。その動機は必ずしも明らかにはなっていないが、こうしたケースはアフガニスタン現政権に対する反抗勢力が正規軍にかなり浸透していることを物語っており、2014年末にはNATO駐留軍に代わりアフガニスタン正規軍が治安維持を担うことになっているだけに、より一層大きな脅威となっている。
10月末にも、アフガニスタン南部で正規軍の制服を着た兵士により、NATO軍の兵士3人が殺されている。アフガニスタン国内の反抗勢力による攻撃のいくつかは、今回のケースのように、アフガニスタン警察か正規軍の制服を着た人間によって、あるいは正規軍内部の手引きによって、行われている。
今までで最悪のケースは、今年4月27日、カブールの空軍基地内で、7人の士官、そして職業訓練に当たっていた民間人1人、合計8人のアメリカ人が1人のアフガニスタン兵によって殺害されたことだ。動機は不明なまま。2001年以降、アフガニスタンで死亡したフランス兵は78人に上る。
・・・ということで、NATO軍の一翼を担うカタチでアフガニスタンへ派兵しているフランス。しかし、ここ10年で78人の兵士が死亡しています。来年に大統領選挙を控え、社会党は2012年末までにアフガニスタンからの撤退を行うと述べていますが、一般国民からすぐにでも撤兵すべしという声が上がっているとは、聞いていません。やはり、世界の大国、主要国としての責務と思っているのでしょうか。国連安全保障理事会の常任理事国。EUのキープレーヤー。フランスは今でもフランス、大国としての重責を自覚している・・・のでしょうか。
“noblesse oblige”・・・「直訳すると『高貴さは(義務を)強制する』を意味し、日本語では、しばしば『位高ければ徳高きを要す』などと訳される。一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。(中略)最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。」(『ウィキペディア』)・・・大国には大国なりのモラル上の責任があるということなのでしょう。ということは、フランス国民は、このことを認識しているということなのでしょうか。路上を埋め尽くすようなデモも起きていないようです。外人部隊の兵士だけでなく、フランス国籍の兵士も犠牲になっています。それでも、派兵反対の声がうねりとならない。遺族への連帯を示す行動は多いのですが。
一方、中国に抜かれたとはいえ、世界第3位の経済大国、日本。その経済力に見合うだけの責任をどう果たしているのでしょうか。責任の担い方は、いくつもあるはずです。なにも軍事に限るわけではなりません。環境への貢献、弱者への支援、新たな価値の創造、新技術の開発・・・「大国」という名に酔っているだけでは、淋しい。「大国」としての利益追求だけでは、哀しい。ノブレス・オブリージュ、日本は十分に果たしていると、胸を張って言えますか? 果たしていると言えるにせよ、日本の貢献できる余地はまだまだあるのではないでしょうか。
また、“Le Grand Jeu”(日本語ではそのものずばりの『外人部隊』)というタイトルの作品も二つあります。まずは、1934年のフランス映画で、ジャック・フェデー(Jacques Feyder)監督の作品。デュヴィヴィエ(Julien Duvivier)監督の『舞踏会の手帳』(Un Carnet de bal)などに出ていたマリー・ベルが出演しています。もう一つは、1954年の仏伊合作映画で、ロベール・シオドマク(Robert Siodmak)監督、出演はジャン=クロード・パスカル、イタリアの美人女優、ジーナ・ロロブリジーダ、『天井桟敷の人々』(Les enfants du Paradis)でお馴染みのアルレッティなど。ジャック・フェデーはこの作品ではシナリオを担当しています。
訳ありの男たちが、明日をも知れぬ戦いの場に身を投じる。偽名で、過去に封印をして。そして、女に出会う。出会う場所は、酒場。紫煙の向こうで、激しい恋が始まる・・・と、勝手な想像が膨らんでしまうのですが、実際は、兵隊。そんなロマンチックなものではないのでしょう。
昔は傭兵が中心だった戦い。スイス人傭兵が名高く、今でもスイス衛兵隊としてバチカンにいます。しかし、これはもはや観光名物。戦争のためではありません。傭兵は今日ではジュネーブ条約で禁止されているそうです。傭兵が徴兵制に変わったのは、ナポレオン配下の国民軍が圧倒的に強く、各国がその制度に倣ったためとか。しかし、その後、成年男子が減ったフランスは、外人部隊を1831年に創設。100カ国以上から集まっていたそうで、1930年代には日本人60名ほどが在籍していたとか。最近でも35名の日本人が加わっているというレポートもあります。
外人部隊、フランス語では“Légion étrangère”ですが、名前が傭兵ではなくなっても、戦場へ派遣されるのは同じ。21世紀になっても、コートジボワールなど旧植民地を中心に、紛争地域へ派遣されています。
外人部隊の兵隊は、“légionnaire”、レジオンドヌール勲章佩綬者と同じ呼び名ですが、兵隊は兵隊、危険と隣り合わせで、死亡することがあるのは言うまでもありません。昨日、29日にも、二人の外人部隊兵士が、死亡しました。戦闘で、銃弾によって命を奪われた。場所は、アフガニスタン。しかも、その死に方には、アフガニスタンの現状が映し出されている・・・どのように亡くなったのでしょうか、29日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。
二人のフランス外人部隊兵士、一人はモハメド・エル=ガラフィ准尉、39歳。もう一人は名前が明らかになっていないが、伍長。ヴォクリューズ県(南仏、アヴィニョンが県庁所在地)のサン・クリストル(Saint-Christol)に基地を置く第2外人工兵連隊(2e régiment étranger de génie:REG:第27山岳歩兵旅団に属する連隊)所属の兵士だ。この二人の兵士は、エリゼ宮(大統領府)の発表によれば、29日、アフガニスタンで、アフガニスタン正規軍(l’Armée nationale afghane:ANA)のある兵士によって、誤射ではなく、狙い撃ちで殺された。
そのアフガン兵士はすぐさまフランス軍により射殺されたと、参謀部の報道官、ティエリー・ビュルカール(Thierry Burkhard)は公表している。彼はまた、二人の兵士を殺したアフガン兵士は首都カブールの北東、カピサ(Kapisa)地方の山岳部に配置されているANAの常備別働隊の一員だとも語っている。この別働隊は、共同作戦の場合、フランス軍と行動を共にすることになっている。参謀部によれば、ANAの兵士がフランス兵に対し銃口を向けたのは今回が初めてとのことだ。
エリゼ宮や参謀部が二人の死亡を公表する少し前、アフガニスタン駐留NATO軍もコミュニケを発表し、タリバン勢力が浸透しているカピサ地方で、アフガニスタン正規軍の制服を着た一人の男により、NATO軍指揮下の二人の兵士が殺されたと伝えていた。
大統領府はツイッタ―で、二人の外人部隊の兵士はタガブ渓谷でアフガニスタン正規軍支援の任務に就いていたが、あるアフガン兵に狙われ、射殺されたと発表している。サルコジ大統領は、沈痛な想いと遺族への衷心からのお悔やみを表明した。
ここ2年ほど、同じような事件が起きている。その動機は必ずしも明らかにはなっていないが、こうしたケースはアフガニスタン現政権に対する反抗勢力が正規軍にかなり浸透していることを物語っており、2014年末にはNATO駐留軍に代わりアフガニスタン正規軍が治安維持を担うことになっているだけに、より一層大きな脅威となっている。
10月末にも、アフガニスタン南部で正規軍の制服を着た兵士により、NATO軍の兵士3人が殺されている。アフガニスタン国内の反抗勢力による攻撃のいくつかは、今回のケースのように、アフガニスタン警察か正規軍の制服を着た人間によって、あるいは正規軍内部の手引きによって、行われている。
今までで最悪のケースは、今年4月27日、カブールの空軍基地内で、7人の士官、そして職業訓練に当たっていた民間人1人、合計8人のアメリカ人が1人のアフガニスタン兵によって殺害されたことだ。動機は不明なまま。2001年以降、アフガニスタンで死亡したフランス兵は78人に上る。
・・・ということで、NATO軍の一翼を担うカタチでアフガニスタンへ派兵しているフランス。しかし、ここ10年で78人の兵士が死亡しています。来年に大統領選挙を控え、社会党は2012年末までにアフガニスタンからの撤退を行うと述べていますが、一般国民からすぐにでも撤兵すべしという声が上がっているとは、聞いていません。やはり、世界の大国、主要国としての責務と思っているのでしょうか。国連安全保障理事会の常任理事国。EUのキープレーヤー。フランスは今でもフランス、大国としての重責を自覚している・・・のでしょうか。
“noblesse oblige”・・・「直訳すると『高貴さは(義務を)強制する』を意味し、日本語では、しばしば『位高ければ徳高きを要す』などと訳される。一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。(中略)最近では主に富裕者、有名人、権力者が社会の模範となるように振る舞うべきだという社会的責任に関して用いられる。」(『ウィキペディア』)・・・大国には大国なりのモラル上の責任があるということなのでしょう。ということは、フランス国民は、このことを認識しているということなのでしょうか。路上を埋め尽くすようなデモも起きていないようです。外人部隊の兵士だけでなく、フランス国籍の兵士も犠牲になっています。それでも、派兵反対の声がうねりとならない。遺族への連帯を示す行動は多いのですが。
一方、中国に抜かれたとはいえ、世界第3位の経済大国、日本。その経済力に見合うだけの責任をどう果たしているのでしょうか。責任の担い方は、いくつもあるはずです。なにも軍事に限るわけではなりません。環境への貢献、弱者への支援、新たな価値の創造、新技術の開発・・・「大国」という名に酔っているだけでは、淋しい。「大国」としての利益追求だけでは、哀しい。ノブレス・オブリージュ、日本は十分に果たしていると、胸を張って言えますか? 果たしていると言えるにせよ、日本の貢献できる余地はまだまだあるのではないでしょうか。