ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

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『ル・モンド』が選んだ2010年、今年の顔は・・・

2010-12-30 20:34:30 | 社会
年末ともなれば、さまざまなメディアが今年の顔を選定して、公表していますね。有名なところでは、『タイム』誌が選ぶ“Person of The Year”。2010年の顔は、ソーシャル・ネットワーキング・サービス・サイト“Facebook”の創設者にしてCEOのザッカーバーグ氏。弱冠26歳ですが、『フォーブス』誌の選定する「世界で最も若い10人の億万長者」の一人に選ばれるほどのビリオネアー(billionaire)。ここ数年、“Facebook”の文字がメディアに踊らない日はないくらいですから、まあ順当なところなのでしょうが・・・

目を日本に転じると、オリコン(oricon style)が芸能人・スポーツ選手を対象に選ぶ今年の顔があり、2010年は福山雅治。やはり『龍馬伝』の好演もありましたし、その影響か、特に秋以降、多くのCMで見かけますね。顔ではないですが、今年の漢字は、「暑」。(財)日本漢字能力検定協会の選定ですね。確かに、猛暑でした。心を熱くしたものも、サッカー・ワールドカップや冬季オリンピックなどのスポーツを中心に、日本人のノーベル賞受賞など色々ありましたからね。でも、経済・景気はなかなか熱くならないですね。困ったものです。

さて、フランスのメディアは今年の顔に誰を選ぶのか・・・『ル・モンド』が公表しました。クリスマス・プレゼントじゃないでしょうが、24日の発表。

“Le Monde”の選ぶ2010年、今年の顔は・・・Julian Assange ! 『タイム』誌がたぶん敢えて選ばなかった内部告発サイト“WikiLeaks”の共同創設者、ジュリアン・アサンジ氏です。『タイム』誌でも読者投票部門ではパーソン・オブ・ザ・イヤーの1位に選ばれています。それだけ、世界的に大きな衝撃を与えたということなのでしょうね。アメリカにとっては、大きな悪影響だったのでしょうが。

24日の『ル・モンド』(電子版)は今年の顔(homme de l’année)に選んだアサンジ氏の横顔を簡略に紹介しています。広く知られていることも多いのですが、フランス・メディアがどのように記しているか、ちょっとご紹介しましょう。

背は大きく、痩せ形、そしてエレガントな雰囲気をまとう「ウィキリークス」の創設者であり代表であるジュリアン・アサンジは、相手にすこぶる話術のうまい人物であるという印象を与える。低くよく通る声で、正確さ、ユーモア、情緒、皮肉、こうしたニュアンスを見事に操ることができる。彼の仕事ぶりを見れば、彼が知能指数が高く、素晴らしいパフォーマンスを行うことができることが分かる。ひとたびプロジェクトに着手するや、全身全霊で取り組み、昼夜を分かたず、疲労困憊するまで突き進む。

仕事は何かと問われれば、その答えは長いが至って正確だ。活動家でジャーナリスト、そして、人権擁護に携わる人々を保護するための情報の暗号化を専門とするプログラマーである、という答えが返ってくる。内部告発サイトである「ウィキリークス」は、自己紹介にあるようにいくつかの分野での才能が絶妙に混じり合ったユニークな人物によって始められたわけだが、この人物の人生もまた常識の埒外にある。

1971年にオーストラリアの小さな町で生まれたが、子ども時代は国中を絶えず移動する母親に連れられ、移動に次ぐ移動の非定住生活を送った。成長するに従い、情報ネットワークに興味を持ち、やがてハッカーとなる。そしてネット上での表現の自由を守る活動家となる。活動に熱中するあまり、あまりにも危険を冒し、ついには逮捕され取り調べを受けることになるが、罰金を支払い窮地を切り抜ける。

プライベート面も、波乱に富んでいる。18歳にして所帯を持ち、一人の子どもをもうけるが、すぐに別れてしまう。その後、長期にわたる親権闘争を繰り広げたが、その戦いはやがて国の社会サービスに対する「十字軍」となった。

プライベートの波乱にもかかわらず、数学と物理を学び始めるが、やはり情報工学へと戻っていく。その後はプログラマーとなり、オーストラリアで最初のネット・プロバイダーのひとつを立ち上げる。また、この当時、世界中を旅してまわり、言論の自由のない国が多いことにショックを受ける。そうした体験から、情報の完全な透明化こそ圧政と戦う最も効率的な手段だと確信するようになる。

2006年に「ウィキリークス」を創設。これは、暗号化によって内部情報を提供する人たちがあくまで匿名のままでいられる、内部告発者にとって安全なサイトだ。創設後すぐに、彼の周りにはちょっと世間の規範からずれた人たちやボランティアのジャーナリストたちが集って来た。

2007年初頭、「ウィキリークス」が情報を公表し始めた。するとすぐに、思ってもいなかったほどの世界的な話題となり、彼の人生も大きく変化することになる。つねに世界を飛び回る生活となり、メディアの寵児となった。そして2010年、アメリカの軍事外交機密を暴露するに及んで、彼の戦いはさらに大規模なものになった。世界の覇権国家を攻撃することにより、彼の人生はより波瀾に富んだものへと変わってきた・・・

ということで、『ル・モンド』によれば、言論の自由を実現し守ることが、「ウィキリークス」の機密情報の暴露という活動の背景にある哲学だということですね。特定の個人に被害が及ばないよう、事前のチェックで固有名詞などは削除しているようですが、国家にとっては大きな問題となる情報も多い。国益か、普遍的な知る権利か。国家とは、個人の権利とは、自由とは・・・考えさせられることがたくさんあります。単なるキワモノ、変人の起こした突拍子もない事件で済ませられない大きな問題提起になっているのではないでしょうか。
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国政と地方政治の兼職。報酬もたまるフランス政治。

2010-12-29 20:58:07 | 政治
国会議員と知事や市長などの兼務、日本ではどうなっているのでしょうか。最近、何かと話題になっている名古屋市の河村市長が、首長と国会議員の兼職を認めるべきだ、と主張しているそうなので、今のところ兼ねることはできないのでしょうね。

それがフランスでは、認められています。国会議員が地方圏や県、主要都市などのトップを兼ねる場合が多くある・・・例えば、サルコジ大統領も、1983年から2002年までパリ西郊、富裕層の多く住むヌイイ市(Neuilly-sur-Seine)の市長を務めていましたが、そのうち1988年からは国会議員あるいは大臣との兼務でした。フランスでは、国会議員であっても、大臣に任命されると、議員を辞職しなくてはいけない、つまり議員と大臣の兼務は認められておらず、兼務と言えば、首長と国会議員、あるいは首長と大臣の兼務になります。

さて、フランスにおける国会議員や大臣と首長の兼務、どのような利点があり、またどのような問題があるのでしょうか。20日の『ル・モンド』(電子版)が伝えていますが、記事は、社会党系の国会議員で、下院法律委員会の委員でもあるドジエール(René Dosière)氏がインタビューに答えたものです。

国会議員、特に大臣が地方政治の主要ポストを兼務するというのは、フランス独特のスタイルで、他の民主主義国家であまり例を見ない。実際、多くの大臣がすべての時間やエネルギーをその職務に傾注しているのではなく、地方政治での活動にもその一部を割り当てている。このことが、フランス政治が必ずしもうまく機能していないことの一因になっている。

大臣たちが兼務しているのは、地方圏、県、主要都市のトップだが、これらのポストだって、片手間にできるものではない。全精力を傾けて行うべき仕事だ。しかるに、兼務によってどういう事態になっているかというと・・・ある大臣がその職務を全うしている間、その兼務先である地方政治は協力者によって遂行されている。一方、地方に戻り、その地での職務を行っている期間は、大臣としての職務は官房たち、つまり官僚によって行われている。従って、フランスは必ずしも政治家によって運営されているのではなく、官僚、テクノクラートが舵を取っている場合も多いということだ。

こうした兼職の背景にあるのは、地域の声に耳を傾け、その声をより効率的に国政に反映させていくために兼職を認めるべきだ、という意見だ。しかし、地方と国政の利害が衝突する場合はどうすればいいのだろうか。どちらかを優先させるべきなのか、あくまで中立を貫き通すべきなのか。

典型的な例が、リシェルト(Philippe Richert)担当大臣のケースだ。11月の内閣改造で、地方自治体担当大臣に就任したが、以前からアルザス地方圏議会の議長を務めている。アルザス地方圏議長としては、アルザス地方の利害を守ることを優先すべきだが。一方地方自治担当大臣としては、全国の地方自治の利害を守り、均衡のとれた決定を下すことが求められる。それを一人の人間が担うと、ふたつの職務の間でどうバランスを取ることができるのだろうか。このようなケースは、フランス以外では見られない。

兼職に関して指摘されるもう一点は、給与だ。現在、大臣は地方での兼務と合わせて、大臣報酬の1.5倍までの給与を手にすることが認められている。つまり、毎月21,000ユーロ(約230万円)まで貰えることになっている(ということは、大臣報酬は毎月14,000ユーロですから、約150万円ということになります)。兼職部分の給与を削減すべきだと提案したことがあるが、賛同は得られなかった。

しかし、政治活動にかかわるカネを透明化しようという提案が与党・UMPの議員から出されており、その一部に兼職の場合の給与低減が盛り込まれている。大臣の場合、議員報酬の半分に相当する額、つまり2,700ユーロ(約30万円)しか大臣報酬にオンできないとする提案だ(ということは、議員報酬は毎月5,400ユーロ、つまり60万円弱ということになりますね。少ない)・・・

ということなのですが、上記の提案が可決されると、地方政治と兼務している大臣の給与は、現在の14,000+7,000=21,000ユーロから、14,000+2,700=16,700ユーロへ約20%の給与削減になります。はたして受け入れられるでしょうか。

最初にご紹介したように、フランスでは大臣就任とともに国会議員の職を辞さねばならない。立法権と行政権の分立という意味からは正しいと思うのですが、大臣ポストは、いつ首を切られるか分からない。ただの人になっては、収入源が無くなる。その保険の意味もあって、地方政治でのポストを得ているのではないかと思うのですが、確かに、週末だけ地方へ戻って仕事をするという訳にはいかないですから、両立は難しそうですね。ただし、閣議が毎日のようにあるのではなく、毎週火曜だけですので、国会の合間を縫って、頻繁に地方へ戻ることは可能なのでしょうが、その分大臣の職務が疎かにならないか・・・国会議員と首長の兼務なら、まだ何とか両立できそうですけれど。

ところで、議員報酬、フランスでは毎月60万円弱ですが、日本では、歳費として130万1,000円。これだけでもフランスの倍以上になりますが、さらにプラスして、文書通信交通滞在費が100万円。もちろんボーナスもあって、その額、635万4,480円。年収では3,429万480円になるそうです。議員報酬が多いとされるアメリカですら1,700万円、ヨーロッパ諸国では1,000万円程度が多いそうですから、日本の国会議員報酬は突出しているのですね。その報酬に見合うだけのだけの仕事をしてくれていれば何も文句はないのですが・・・出でよ、平成の坂本龍馬、と叫びたくもなります。
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人権の国でも、囚人に人権はない。

2010-12-28 20:37:12 | 社会
日本でも、革手錠を使っての受刑者に対する暴行などが問題になりましたね。刑務官に非があることが明確になれば、特別公務員暴行陵虐罪が成立します。世間一般から隔離された塀の中での待遇、塀の外からはなかなか窺い知ることのできないことも多いのではないでしょうか。こうした問題、なにも日本に限った話ではなく、「人権の国」フランスでも指摘されているそうです。21日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

21日、フランスは欧州人権裁判所からの非難を受けた。具体的には、病気を抱えた48歳になる受刑者に適切な医療を受けさせず、痛みを軽減させようとしないことに対する非難だ。受刑者はラフライ(Virginie Raffray Taddei)という名の女性で、現在はリヨンに近いロアンヌ(Roanne)の町にある刑務所で服役している。彼女は、数年来いく度となく治療による苦痛の軽減と、さらには治療目的による条件付き釈放を願い出ているのだが、ことごとく却下されている。

医療専門家は、彼女の訴える症状を疑っていたが、結局、重い喘息、慢性的呼吸不全、食欲不振症、自分が思い描く症状がそのまま発症してしまう一種の心気症に罹っていることを認めた。彼女が食欲不振症になったのは、2008年7月のハンガーストライキ以降で、2009年5月の健康診断の際には、身長1m65cmで体重は34kgしかなかった!

この結果を見た医療専門家は、しかるべき医療施設での治療を強く勧めたのだが、法務当局はこれまた却下。その理由をリヨン控訴院(la cour d’appel de Lyon)は次のように説明している。受刑者に条件付き釈放を認めるには、治療の必要性といったことだけでは不十分である。条件付き釈放を認めるには、受刑者に社会復帰へ向けた真摯な努力の跡が見られなくてはならない。しかるに、ラフライ受刑者には彼女の起こした事件の被害者への賠償など、贖罪と社会復帰へ向けた努力が十分とはみなせない。そして法務当局は、アフライ受刑者は自由の身になるために病気を活用しようとしていると、言い募っている(つまり仮病だ、という判断なのでしょうね)。

こうした状況に、欧州人権裁判所は、「しかるべき施設で専門的な治療を受けさせることを、国家当局が考慮に入れず、それどころか彼女は二度も拘置所を異動させられ、しかも長きにわたって同じ状態に留め置かれている。こうしたことは、苦痛を与えることや非人道的な扱いを固く禁じるという人権保護協定の第3条に違反している」と判断した・・・

ということなのですが、1789年に『人間と市民の権利の宣言』(Déclaration des Droits de l’homme et du Citoyen)を採択・公布するなど、人権には長い伝統を有し、他国の人権問題にも積極的に介入・発言するフランスですが、自国の受刑者への待遇で、しかもあろうことかストラスブールに設置されている欧州人権裁判所から非難され、改善勧告を受けた。

これは、大問題だ! と思うのですが、自国愛の強いフランスでは、こうした話題は大きなニュースにはならないようです。新聞記事もそれほど大きなものではなく、テレビでの扱いもそれほどウェートを置いたものではありませんでした。ただ、テレビのニュース番組によると、フランスの刑務所には多くの問題があるそうです。例えば、定員オーバー。狭い施設に多くの受刑者を収容しているため、プライバシーが保てない。また施設が老朽化しているため、故障している設備も多い。

「人権国家」というイメージの強いフランスですら、社会の盲点になっている問題はある。それだけ「人権」を守ることは難しいということなのでしょうが、それだからこそ人権団体をはじめ、庶民の目と声が大切になっているのだと思います。日本では、貧困や孤独感による高齢者の犯罪が増え、結果として高齢の受刑者が増えていると報道されています。誰だって塀の中より、娑婆の方が良いに決まっています。生活苦や孤独感から犯罪を起こすことのないような社会の仕組みを作ることが大切なのでしょうし、もし何らかの罪で服役する人たちにも更生と社会復帰につながる人権の保護が大切にされるべきなのでしょうね。
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閣僚たちの冬休み・・・フランスの場合。

2010-12-27 21:32:23 | 政治
日本では、国会が閉会になっても、政治とカネだ、連立組み換えだ、大連立だ、といろいろな動きがありますが、まあ、日本はクリスマス休暇というより、正月休暇ですから、今の時期はまださまざまな動きが起こりえるのでしょうね。さすがに、年末年始は静かになるのでしょうが。

一方フランスはクリスマス休暇ですから、先週から今週は政界もお休み。では、その休暇期間、政治家たちはどこへ行くのでしょうか。もちろん選挙区へ戻って、有権者の声を聞くというか、親睦を深めるという議員も多いのでしょうが、大臣に任命されると議員を辞すことになるフランスですから、選挙区を直接は持たない大臣たちはどこでクリスマス休暇を過ごすのでしょうか。

大臣たちの冬休み・・・フランスのメディアも興味を持つようで、23日の『ル・フィガロ』(電子版)が伝えていました。

うちの大臣は、太陽を求めて外国へ行くことになっている。でもそれは公にしたくないようだ。こう打ち明けてくれた関係者がいるが、その人物が仕える大臣は、ヴァカンスで遠方へ出かけることをいちいち吹聴しない方が良いことをよくわきまえているようだ。ある閣僚経験者も同意見で、ヴァカンスで遠い外国まで出かけるということは、金持ちというイメージを与えるし、クリスマスを路上で過ごさなければならない人たちのことなど眼中にない政治家だと見做されてしまう危険性がある。2年前、ヴァカンスでヨルダンへ行くと記者たちに語ったところ、同僚たちからそのようなことは公言すべきでなかったと忠告されたものだ。

しかし、実際には、幾人かの閣僚たちがこのクリスマス休暇に、太陽を求めて外国に行くようだ。フィヨン首相は、クリスマスは地元のサルト県(la Sarthe:県庁所在地はル・マン)で過ごすが、その後はミッテラン元大統領がよく行っていたエジプトへ行くことになっている。しかし、個人的に大好きで、以前その滞在が話題になったイタリア・トスカーナ地方でない限り、首相は行き先を公言しないだろうと言われている。

エリック・ベソン(Eric Besson)産業担当大臣の周辺も、担当大臣は多くの書類と仕事を携えてすでにヴァカンスに出発したが、来週の水曜日(29日)にはもうパリに戻ってくることになっていると述べている。ただし、行き先は不明。関係者によると、ベソン担当大臣は、プライヴェートを侵害されたくない、特に若い妻と一緒のところを隠し撮りされるのは願い下げだというわけで、行き先は一切公にしていない。

幾人かの閣僚たちは遠く外国まで出かけるようだが、多数派は大統領の言いつけを守って、フランス国内に残る。サルコジ大統領は、休暇を前にした最後の閣議でいつも必ず次のように述べているからだ・・・ヴァカンスだと言っても、あまり遠くに行かないように。何か緊急事態が発生した場合、速やかにパリに戻れるようにしておくことが大切だ。くれぐれも遅れないように。

サルコジ大統領自身は、この冬、モロッコで数日のクリスマス休暇を過ごすそうだが、大晦日恒例のテレビ演説の録画に間に合うように戻ってくるそうだ(毎年12月31日、夜8時からテレビを通して大統領のメッセージ“les voeux de fin d’année”が放送されます)。

他の閣僚で、行き先が分かっているのは・・・バロワン予算相は数日を南フランスで過ごすことになっており、同じく南フランスで過ごすラガルド経済相とどこかですれ違うことになるかもしれない。ル・メール農相はバスク地方、ベルトラン労相は地元である北部・ピカルディ地方、ヴォキエ欧州問題担当大臣は中央部、オート・ロワール県で過ごした後、家族でスキーへ出かけることになっている。ルルーシュ貿易担当大臣は、数日ノルマンディ地方で過ごすが、今後5年間は休暇なしで良い。大臣を退任した後に、休暇はいくらでも取れるのだから、と述べている(サルコジ大統領再選後も大臣の椅子にとどまりたいた言うことなのでしょう。そしてサルコジ大統領に合わせて、猛烈に働く大臣像を示したいようです)。

一方、クリスマス休暇が全く取れないかもしれない大臣たちもいる・・・オルトフー内相は、24・25日の2日だけパリでクリスマスを楽しんだ後、26日(日曜日!)にはもうオフィスで執務を行うことになっている(付き合う官僚たちが気の毒ではあります)。27日からの週には、地方とパリでいくつかのスケジュールがすでに入っている。大晦日の夜も、治安の維持に当たる警官たちと共に過ごすそうだ。アリオ=マリ外相は、二人の大統領がお互いに引き下がらず、国際問題化しているコートジボワールの状況次第では、休暇なしになる可能性も。ジュペ国防相もコートジボワールの状況に左右されかねない可能性があるうえ、25日前後にアフガニスタンを訪問することが決まっており、さらにはジルマ・ルセフ新ブラジル大統領の就任式に出席することになっている。ただし、スケジュールが許せば、数日バスク地方で過ごすことになる。その際には、マンガ“Quai d’Orsay”(フランス外務省)を小脇に抱えて行くことになるだろう・・・

ということなのですが、最後に登場したマンガは、ブラン(Christophe Blain:絵とシナリオ)とランザック(Abel Lanzac:シナリオ)による作品で、今までの通念をひっくり返すようなフランス外交年代記。今年発行が始まったシリーズもので、ジュペ国防相も最近贈られたそうです。何しろ1993年から95年まで外相を務めていたジュペ氏ですから、このマンガに登場しているのでしょう。読まずにはいられないわけですね。

日本ではもうすぐ御用納め。政治家たちは、年末年始をどう過ごすのでしょうか。もしかすると、閣僚たちの冬休み、その過ごし方にもお国ぶりが出ているのかもしれないですね。他の国々では、どうなっているのでしょう・・・
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国旗に手をかけるとは、なんと不届きな!

2010-12-26 21:28:30 | 社会
国旗と言えば、すぐ思い浮かぶのが、オリンピック。会場にも掲げられていますが、何と言っても、表彰式。スルスルっと上がっていく国旗の映像にオーバーラップして、メダルを胸に笑顔いっぱいの選手、あるいはうれし涙にくれる選手の顔が映し出される・・・感動的なシーンですね。

国を表すから国旗なわけですが、日章旗(日の丸)が法律上、正式に国旗に制定されたのは、ご存知のように1999年の国旗国歌法によって。ずいぶん遅い制定ですが、一方、フランスの三色旗(トリコロール)はずっと早く、フランス革命の最中、第一共和政の下、1794年に制定されています。

青が自由、白が平等、赤が友愛を現すという説は、実は俗説。実際には、白がフランス王家(ブルボン朝の象徴である白百合)、赤と青がパリ市(フランス革命の際に革命軍がつけていた帽章)で、その三色を並べることで王家とパリ市の和解を表しているそうです。

この三色旗に手荒な態度を取ったとして罰金刑に処せられた男がいる・・・22日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

男の名は、サイディ(Abderramane Saïdi)。フランス南東部、イタリアと国境を接するアルプ・マルティーム県(Alpes-Maritimes:県庁所在地はニース)に住む26歳のアルジェリア人。県庁のホールにあるフランス国旗をつかみ取り、旗竿をまっ二つにへし折った。その折れた旗竿を窓口で業務に当たっていた職員に投げつけた!(これだけでも事件ですが)さらに駆けつけた警官二人に殴りかかったが、ついに取り押さえられた。

どうして暴れたかというと、サイディの弁護士曰くは、県庁職員のぐずぐずした仕事ぶり、遅々として進まぬ事務処理に数か月来悩まされていたが、ついに堪忍袋の緒が切れて、思わず暴れてしまった。県庁は、ストレス、遅滞、衝突に満ち満ちている・・・(TF1のニュース番組によると、滞在許可証の件で何度も県庁に来ていたそうですが、きっと、なかなか埒が明かず、うんざりしていたのでしょうね。お役所に限らず、フランスの窓口という窓口のいい加減さ・・・実感した人も多いことでしょう。悪夢です。)

怒りを国旗にぶつけてしまった・・・県庁サイドは、公共財の破壊、国家シンボルの破損、国旗への侮辱だ! と、サイディを告訴。その結果、怒りにまかせて暴れたつけが、執行猶予付きの750ユーロ(約82,000円)の罰金刑!(しかし、この程度の事件が新聞やテレビで取り上げられるとは、クリスマス休暇前で、フランスはよほどニュース枯れだったのかと思いきや、実は・・)

国旗に対する侮蔑的な行いに対しては、最高1,500ユーロまでの罰金刑に処すことができる、という法律に基づいてサイディは処罰されたわけだが、この法律は今年の7月に制定されたばかりで、今回の事件が適用された初めてのケースだった。(なるほど、そのせいでこの程度の事件が全国ニュースになったわけですね。)

サイディを訴えたのは県庁だけではなく、取り押さえようとしてもみ合った警官、当たらなかったものの折れた旗竿を投げつけられた職員も告訴。ニースの軽罪裁判所は、750ユーロとは別に、反抗罪で執行猶予付きの禁固4カ月と市民研修を受けることを命じた・・・

というのが事の顛末。イタリア、ルーマニア、メキシコなどの国旗にも影響を与えたというほど国旗の制定は早かったフランス。しかし、その国旗を守る法律はやっと成立したばかりなのですね。愛国心の強いフランス人のこと、三色旗に怒りをぶつけるような人はいなかったのかもしれません。それが最近制定されたのは、移民や外国人住民が増えたせいでしょうか、あるいは右翼票を狙って現政権が昨年来喚起していたアイデンティティ論争の影響なのでしょうか。

国旗をめぐる問題、いろいろな国に、いろいろな形であるようです。
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そこ退け、そこ退け、中国資本が通る・・・「セルッティ」に「ノーベル賞」受賞者。

2010-12-23 19:53:20 | 社会
日本では、「そこ退け、そこ退け、お馬が通る」ですが、今、世界では、「そこ退け、そこ退け、中国資本が通る」になっているようです。買収した企業・ブランドは、クルマの「ボルボ」と「ハマー」、「IBM」のパソコン部門、そしてもちろん日本企業も。「レナウン」に「ラオックス」。さらには北海道の水源も。中国の勢い、留まるところを知らず、ですが、1980年代には「そこ退け、そこ退け、日本円が通る」だったわけですから、他人のことは言えません。

ただ、彼我の差は、アメリカの第一の子分で満足した日本と、アメリカに対抗しうるもう一つの極に、あわよくば世界の中心に、という中国。その志の高さだけなのかもしれません。それが大きいのですが・・・

さて、世界を跋扈する中国資本、言うまでもなくフランスにも進出しています。2例をご紹介しましょう。

まずは、「セルッティ」(Cerruti)。22日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。プレタポルテの高級メンズ・ファッションや香水でお馴染みのブランドですね。もともとはイタリアで起業された会社ですが、1967年に「セルッティ」ブランドを立ち上げた際に、はじめての店をパリにオープンするとともに、経営の拠点もパリに。ただし、生産拠点はイタリアに残しましたので、イタリア・ブランドなのか、フランス・ブランドなのか分かりにくいですが、フランスのメディアは当然この「有名なフランスのブランド」という紹介になります。この「セルッティ」が中国資本に買収された!

セルッティは経営難に陥った2006年に、投資ファンドのマトリン・パターソン(Matlin Patterson)に買収されていたが、この度、その株100%と全てのライセンスを中国企業が買い取った。買収額、5,300万ユーロ(約58億円)。買収したのは、香港証券取引所に上場している“Trinity Limited”(利邦控股有限公司)。香港に本社を置くアパレルのメーカー・小売で、中国の53都市に381の店舗を展開している。すでに「ケント&カーウェン」(Kent&Curwen)、「ギーブス&ホークス」(Gieves&Hawkes)、そして「セルッティ1881」(Cerruti 1881)を買収済みの企業だ。親会社は、2009年に160億ドル(約1兆3,400万円)の売り上げを記録した流通大手“Li&Fung Group”(利豊グループ)。

利邦の会長は、今回の買収目的を、有名ブランドに投資し、プレタポルテの高級メンズ・ファッションのライセンスを長期にわたって保持することだと述べている。ただし、買収後も、経営のノウハウを提供し支援を行う拠点は、引き続きパリに置かれる・・・

ということで、セルッティの本拠はパリに留め置かれるわけで、フランスでは自国のブランドと言い続けるのでしょうね。

さて、もう一つの話題は、ノーベル賞生理学医学賞を受賞したフランス人科学者が中国の大学にヘッド・ハンティングされてしまった、という話題。6日の『ル・モンド』(電子版)からです。

その科学者の名は、リュック・モンタニエ(Luc Montagnier)教授。フランソワーズ・バレ=シヌシ(Françoise Barré-Sinoussi)教授とともに、ヒト免疫不全ウィルス(エイズ・ウィルス)を1983年に発見。その功績により2008年にノーベル生理学医学賞を受賞している。そのモンタニエ教授がスカウトされた先は、上海の名門・交通大学(l’université Jiaotong)。世界の大学ランキングを発表している大学だ(交通大学と言っても、「交通」は中国ではコミュニケーションの意味です)。

交通大学ではモンタニエ教授の名を冠した研究所を設立し、そのトップにモンタニエ教授自身を据えることにした。交通大学の共産党書記(職場単位で書記がいます)曰くは、ノーベル賞受賞者であるモンタニエ教授の招聘は、中国の経済・科学技術・高等教育の急速な発展を証明するものだ。

フランスでは研究者も65歳が定年であり、どんな功績を上げたにせよ、公的な機関からは身を引かざるを得ない。現在78歳のモンタニエ教授は、こうしたとんでもない制度を改めない限り、今後も頭脳流出が続くと警告している・・・

教授の言うことも正しいのでしょうが、フランスにとってより深刻なのは、若手研究者の頭脳流出。アメリカへ、アメリカへとより良い研究環境を求めて流れていっています。

という、中国資本の買収・招聘に関する話題二つでしたが、こうしたニュースに接するにつけ思わざるを得ないのは、日本はもう一度、「志」を明確にすることからやり直す必要があるのではないかということです。坂の上に輝く一朶の雲を、今は探しだす時期。見つけた雲をめざして、もう一度歩き始めましょう。下ばかり見て坂を下るよりも、顔を上げて坂を登っていく方が、同じ汗をかくにしても気持ちいいですものね。
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人が財産、されど教育の現場は混乱の中にあり。

2010-12-22 20:58:51 | 社会
日本での教育改革。その一つが、教員免許を基礎免許と一般免許に分けるという教員資格改革です。クラス担任になるには一般免許が必要で、そのためには教職大学院など修士課程を修了する必要がある。学部卒業で取得できる基礎免許だけでは、担任を持てず、補助的役割や校務を担うことになる・・・私が小学生や中学生の頃は、短大生が小学校や中学校に教育実習に来ていました。確か、小学校の一種免許、中学校の二種免許が取れたと記憶しています。短大2年生ですから、20歳。しかし小学生の眼には大人の女性として映ったものです。同級生の中には、初恋の女性が実習生だった人も。もちろん一方的な思い入れにすぎないのですが、今振り返れば、やはりレモンの味でしょうか。

さて、さて、フランスでも同じような教員制度改革が日本に先行して実施されています。小学校や中学校の教員に採用されるには、今までは学士(licence)で十分だったものが、2011年採用からは修士(master)が必要になる。こうした制度の変更が、教員採用試験にどう影響しているのか・・・21日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

教育改革の一環として、教員数が削減されることは広く知られている(教員や学生の大規模なデモが繰り広げられました)。2010年に採用となった小学校教員は6,500人だったが、2011年は3,000人に。中学校教員の場合は、1万人強だったのが8,500人に削減される。

しかし、さらに驚くべきことは、採用試験への応募者数も大きく減少したことだ。文部省が資格検査を行った後で発表した最終応募者は、中学校教員では2010年の38,249人から21,000人へ。小学校教員の場合は、34,952人が18,000人に減少。

その結果、中学校では、教科によっては、志願者があまりに少なく選抜に影響を与えかねない状況になっている。最も深刻なのは数学で、950人採用予定に対し、1,303人しか応募がない。倍率わずか1.4倍。今年は3.3倍あったのだが。国語は、800人の採用枠に1,491人で、3.7倍から1.9倍へ。英語は、3.3倍から2倍へ。一方影響が少ないのは、哲学で2011年も14倍という高い倍率になっている(さすが哲学の国、哲学専攻者が多いのか、あるいはやはり哲学はつぶしがきかず、教員への道に殺到するのか、はたまたその両方が原因しているのか・・・)。こうした状況に、文部省は、教員採用のレベルを下げるつもりはなく、結果として採用枠が埋まらない教科が出てくる可能性もある、と述べている(さすが、「知の国」、決して妥協はしないようです、エライ! それとの教員数削減のための良い理由が見つかったと思っているのでしょうか)。

文部省は、こうした応募者減少の背景を、学部修了者から修士2年修了者へという応募資格変更が影響していると述べている。2010年は経過措置として修士1年修了者もOKとした。従って、2011年採用に向けて、修士2年を終了予定で応募してきた学生の中には、2010年の採用試験で振り落とされた人も多く含まれている可能性が高い(応募者の質を心配しているのでしょうね)。

しかし、教員改革に反対している教職員組合は、応募者の減少は今年に限ったことではなく、以前から続いていることだと指摘。しかも、改革の問題点は、採用試験への応募条件を修士に引き上げたこと以外にもいくつかあると述べている。例えば、教員教育大学センター(IUFM:l’institut universitaire de formation des maîtres)の年限を逆に縮小したことだ。学士取得後2年間、IUFMでの研修や試用教員としての実習を積み、晴れて正式な教員として教壇に立っていたのに、修士取得後、わずかな研修だけでいきなり教育の現場に放り出されることになった。しかも、その現場はさまざまな問題を抱え、つらくやりきれない環境になっているというのに・・・

確かに、フランスでも学校での暴力事件が大きなニュースになっています。それも、生徒から教師への暴力・・・暴言を吐く、殴る、蹴る、はてはナイフで刺す。麻薬も生徒の間でどこまで浸透しているやら。修士まで出てこうした職場で働くのは、気が進まないという人も増えるのでしょうね。しかも、それに見合っただけの待遇であればまだしもなのでしょうが・・・応募者の減少を伝えるテレビのニュース番組で、子どもを持つ親などにインタビューしていましたが、教員の給与が低すぎる(新任で1,500ユーロ(約16万円)、ベテランでも3,200ユーロ(約35万円)が平均的月給だったかと思います)、あるいは教師に与えられる権限が少なくなっている、などといった理由が指摘されていました。一般の人から見ても、なりたい職業ではなくなってきているのかもしれません。

一方、日本では以前、小学生や中学生が将来なりたい職業の上位に学校の先生が出てきていたと思うのですが、今はどうなのでしょうか。2009年にベネッセ教育研究開発センターが行った調査によると、トップ3は・・・

・小学生・男子:野球選手、サッカー選手、医師
・中学生・男子:野球選手、サッカー選手、芸能人
・高校生・男子:学校の先生、公務員、研究者・大学の教員

・小学生・女子:パティシエ、保育園・幼稚園の先生、芸能人
・中学生・女子:保育園・幼稚園の先生、芸能人、パティシエ
・高校生・女子:保育園・幼稚園の先生、学校の先生、看護師

小学生や中学生では、スポットライトを浴びるスポーツ選手や芸能人、そしてパティシエの人気が高いようです。芸能人人気が「今」を表しているのかもしれませんね。やはり憧れの職業。それが高校生になると、現実的な選択となり、教員や公務員の人気が高まる。教師をめざす人はまだ多い。今後10年ほどをかけて教員資格を修士に変えていくという教育改革が、子どもたちの職業観や教育現場にマイナスの影響を与えないことを願っています。
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大統領の「尾」を踏まないことが肝心だ!

2010-12-21 20:47:06 | 政治
「虎の尾を踏む」・・・きわめて危険なことをするたとえ(広辞苑)。例えば、上司の機嫌を損ねること。タイや中国に駐在していた折、日本から役員や社長などが来るとなると、どこの駐在員も粗相のないように、準備には細心の注意を払っていました。食事の場所では味見も含めたチェック、ホテルには部屋に花やフルーツを整えておく依頼、店頭を回訪する場合には店側との十分な事前打ち合わせ、そして状況を説明するための資料作り・・・気疲れから胃を痛める人も。サラリーマンは忙しく、哀しい。哀しいもんですね~。

そんな状況を生き抜いているのは、なにも日本のサラリーマンだけではありません。フランスの官僚も・・・まして大統領が、ウィキリークスに暴露されたように、怒りっぽくて権威主義的なサルコジ大統領だけに、いっそう細心の注意が必要になっているようです。しかし、時によっては、過剰反応になることも・・・8日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

今年春の統一地方選での敗北以降、サルコジ大統領は、地方訪問の回数を増やしている。11月25日には、中央部、オーヴェルニュ地方のアリエ県(l’Allier)を訪問した。イセルパン町(Isserpent)での農業開発の現状を視察した後、マイエ・ド・モンターニュ町(Mayet-de-Montagne)で農民たちとの懇談会に出席した。大統領は何人かと握手をし、地方の特性を守っていくように努めると約束して、当地を後にした。

(と、問題も起きず、めでたしめでたしなのですが、実は舞台裏でちょっと異常なことが・・・ある労働組合員が、大統領滞在中、憲兵隊に拘留されていたのです。)

2009年1月12日、サルコジ大統領が北西部、コタンタン半島のつけにあるマンシュ県(la Manche)のサン・ロ市(Saint-Lô)を訪問した際、大統領の政策に反対するデモ隊と警官隊が衝突した。その事態に激怒した大統領によって、県知事と公安部門の責任者が配置換えになった。つまり飛ばされてしまった。特にそれ以降、受け入れ側は細心の注意で準備にあたっている。

人口2,000人にも満たないマイエ・ド・モンターニュ町での警備に300~400人の警官が動員された。年金改革に反対する15人ほど町民がデモを行うと分かっていたための配備だが、対策はこれだけにとどまらず、デモ参加予定者の一人がサルコジ大統領が滞在する5時間にわたって憲兵隊に取り調べを受けることになった。その人物は、フレデリック・ルマレック(Frédéric Le Marrec)という青少年保護センターで教育を担当する42歳の男性で、SUD(Solidaires Unitaires Démocratiques)所属の組合活動家。

フレデリック・ルマレックは11月25日の朝、6時半には職場に着き、9時半にデモに参加するため同僚の一人とセンターを後にした。しかし、職場の前では二人の憲兵が彼を待っていた。憲兵隊の建物内では、県庁所在地のムラン(Moulins)から来た二人の役人が、反資本主義新党(NPA:Nouveau Parti anticapitaliste:2002年・07年の大統領選に立候補したオリヴィエ・ブザンスノがメイン・スポークスマンを務める極左トロツキスト政党)のためにポスターを貼った件について、ルマレックを問いただした。警察関係者によれば、悪くても罰金刑で済むようなこうした事件は、30分もかからず処理できるということだが、結局5時間も拘束された。

ルマレックがその状況を語るには、ポスター貼りに関してはすぐ取り調べも終わり、憲兵もあとはもう何も言うべきことがなかった。自分は正式に拘留されたわけではなく、もうそこを出ようと思ったのだが、自分の持ち物をまとめ始めると、問題を避けるためにも、留まるようにと言われた。県知事はおまえのことを嫌っているんだ、とこっそり耳打ちもされた。そして午後2時、ルマレックはついに自由の身になったが、それはサルコジ大統領を乗せたヘリコプターが飛び立って数分後のことだった。

取材を受けた憲兵関係者によると、大統領訪問の前日、公安関係の打ち合わせを行った際、県知事(Pierre Monzani:オルトフー内相に近い人物)がフレデリック・ルマレックの名を出して警戒するよう指示を出した。それを憲兵隊が忠実に実行した訳だ。

ルマレックはその町ではよく知られた人物で、背が大きく、その地方特有の縁なし帽(un bonnet)をいつも被っている。年金改革には大反対であり、ガソリン貯蔵庫封鎖などの抗議活動にも参加はしたが、決して過激な人物ではなく、控え目な組合活動家として知られている。5時間にも及ぶ拘留を正当化するものは何もなく、ルマレックを当局が人々を扇動して何か問題を起こす人物と決め込み、混乱を未然に防ぐために拘束したに違いないと言われている。

県知事は、フレデリック・ルマレックなどという人物は知らないとこの件を否定。さらに、治安を担当する部署に対する非生産的な対応であり、組合活動の中での自己宣伝だったのではないかと非難。憲兵隊の施設に長時間いたことについては、出されたコーヒーがとてもおしかったので、つい長居してしまったのだろう、と述べている・・・

というのが事の顛末なのですが、自己保身のためには、石橋を叩いて渡る。どんな危険の芽も摘んでおく。これぞ、出世の道。な~んだ、フランス人も同じか~と、ため息が出てしまいます。同じ人間なんだから、とは言うものの、個人はもちろん、国民性によっても違いがあるのが人間。しかし、全く違うのではなく、同じところもある。どこが違い、どこが同じなのか、そうしたことを見極めるのも、外国人と付き合う際の楽しみの一つかもしれません。そんな能天気なことを言うな、実際に「違い」に直面してみろ、楽しみだなんて言っていられないぞ、という声も聞こえてきそうですが・・・外国暮らし16年に免じて、ご容赦を。
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“ZUS”がこれからのキーワード。フランス、都市と移民の問題。

2010-12-20 21:06:31 | 社会
フランスの大都市郊外、そこの住民には移民や外国人が多く、ここは、どこ?という風景に出合うことがよくあります。“les minorités visibles”(外見上でわかる少数民族)のアフリカ系、中近東系。パリの北から北東にかけての郊外でも、こうした移民、外国人が多く、「花の都」とは程遠い街並みになっています。

私がパリで最初に住んだのは、パリの東郊、メトロ1号線の“St. Mandé Tourelle”(サン・マンデ・トゥレル)という駅から徒歩4分のところ。駅の周辺にはスーパーが2軒あり、銀行もカフェもある。水曜と日曜の週2回マルシェも立つ。そんな便利なところでしたが、住所が、Vincennes St-Mandé(ヴァンセンヌ・サン・マンデ)市ではなく、道路1本の差で北隣のMontreuil(モントルーイユ)市。この道路1本の差が大きい。ヴァンセンヌ・サン・マンデ市は、ヴァンセンヌの森に隣接した“banlieue chic”と呼ばれる、白人の中産階級を中心とした落ち着いた住宅街。それが、モントルーイユ市に入ると・・・

モントルーイユ市から北が有名なSeine Saint-Deni(セーヌ・サン・ドニ)県。その郵便番号から、“93”(quatre-vingt-treizeとか最近ではneuf-trois)と言われる移民の多い地域。滞在許可証の取得をするにも、まず申請の予約を取り、次に申請し、そして受理と3度も県庁のあるBobigny(ボビニー)に行かなければならないのですが、滞在許可証を必要とする人、つまり外国人が管轄地域に非常に多く、朝5時以前に並ばないと、その日の受け付け人数オーバーになってしまう。冬でも朝5時前に着くようにして行き、窓口の開く9時頃まで寒さの中をひたすら待つしかない。しかも、窓口が開けば、それまでの列はどこへやら、一気に押しくらまんじゅう状態に・・・しかし、滞在許可証を取得する外国人はまだいい方で、不法滞在者も多い。従って、さまざまな問題が起きやすい。2005年に起きたパリ郊外の騒動では舞台の一つになりました。今でも毎晩のように路上のクルマに火がつけられているようです。

こうした都市近郊の外国人が多く住む地域を、一般的には“les quartiers sensibles”(微妙な問題を抱えるエリア)と呼んでいますが、そうした地域の現状を“l’Observatoire national des zones urbaines sensibles”(Onzus:国立微妙な問題を抱える都市部研究所といった意味)という機関が2009年に調査し、その速報を15日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。なお、この施設の名前に冠されているように、“les zones urbaines sensibles”、略して“ZUS”が公式な呼び名なのか、『ル・モンド』も記事の本文ではこの呼び方を採用しています。メディアでの使用を通して、この単語が今後、一般的になってくるかもしれないですね。

Onzusの調査結果で、まず瞠目すべきは、失業率の高さだ。微妙な問題を抱える都市近郊地域においては、若年男性の43%、若年女性の37%が失業中である。その率は、生産年齢人口全体でも18.6%に達している。フランス全体の失業率の約2倍になる。社会最低手当(les minimas sociaux)の受給者の割合も全国平均の2倍、貧困層(les personnes vivant en dessous du seuil de pauvreté)が同じく2倍、普遍的疾病給付(la couverture maladie universelle:CMU)加入者は3倍・・・失業、教育、健康、治安、さまざまな分野で事態は悪化しており、解決が急がれる。

もう一つの大きな問題が、犯罪。ZUSにおいて警察への届け出があった犯罪は2005年と比べ11%減少している。しかし、この減少傾向は窃盗などの頻発するものの被害が甚大でない軽罪が減少したことによるもので、人間の身体に危害を与える犯罪は逆に7%も増えている。

・・・というレポートなのですが、失業と犯罪は特に大きな問題です。就職を例にとっても、以前は名前でその出自が判断され、アフリカ系・中近東系などの人たちが面接にまでたどり着けないと問題になっていましたが、最近ではヨーロッパ系の苗字でも住所がZUSにあると、やはり就職でマイナスの影響を受けているそうです。

民族、宗教、文化・・・微妙な問題を抱えるフランスの大都市郊外。ほとんどのケースでこうしたエリアは都市の北から北東の郊外に位置しています。どうしてでしょう? パリを例にとると、産業革命以降、多くの工場が建設されました。その立地ですが、パリ市内は建物がびっしりですから、当然郊外。それも北から東の郊外が選ばれました。その立地のカギになったのは、実は、風向き。パリをはじめフランスの多くの地方では、南風や南西の風が強い。工場のばい煙を住宅地区に流入させないようにするには、風下の北、あるいは北東に工場を建設すればよい、となりますね。しかも、パリの場合、北の郊外ではセーヌの水運が利用しやすい。土地は平坦、地下水にも恵まれている。という訳で、パリの北から北東の郊外に多くの工場が立地したわけです。そこでの労働力として、まずはブルターニュ、アルザス、オーヴェルニュなど国内の他地域から人々が移住してきました。やがて、スペイン人、ポルトガル人、イタリア人などに変わり、そして、アフリカ系、中近東系に。フランス人やヨーロッパからの移民は、それなりに資産を貯めてこの工場エリアを抜け出ましたが、その後の移民たちが相変わらずそこにいわば隔離された状況でいます。

肌の色が違う、宗教が違う、文化が違う・・・違う人たちを隔離するだけでは、問題は解決しないどころか、いっそうこじれさせてしまうのではないでしょうか。イギリスがフランスよりも移民をめぐる問題が少ない一因は、同じエリア内でのイギリス人と移民との共存だとも言われています。

移民をどう受け入れ、どう共存していくのか・・・我らが日本でも、労働人口の減少分を補い、社会を活性化するためにも多くの若い外国人移民を受け入れるべきだという声が、次第に大きくなってきています。中には、1,000万人という案も民間から出されています。とりあえず受け入れて、問題が発生したら考えよう、という私たちの伝統的やり方では手遅れになってしまうのではないでしょうか。さまざまなケースを考慮に入れて、少しでも問題が軽減されるような方法をきちんと考えてから受け入れを始めるべきなのではないでしょうか。フランスが、反面教師になってくれるのかもしれません。
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変節か、融通無碍か・・・UMPの候補者選び。

2010-12-19 21:17:08 | 政治
立場が変わると、言うこと、なすことが異なることって、よくありますね。平社員のとき、上司をいろいろ批判していた人が、管理職になった途端、非難していた上司と同じようなことをやったりする。野党のとき、与党批判をし、自分たちならこんなことができるとマニフェストにまで謳っていながら、いざ政権の座に着くや、公約などすっかり忘れてしまう・・・何も、日本に限った話ではないようです。

フランスでも・・・2012年の大統領選挙へ向けて、社会党ではすでにセゴレーヌ・ロワイヤル女史をはじめ数名が、候補者を選ぶ予備選への立候補を表明していますし、党第一書記マルチーヌ・オブリーやIMF専務理事のドミニク・ストロス=カンがいつ立候補を表明するかが話題になっています。一方、与党・UMPではサルコジ大統領が二期目をめざすのが既定事実のようになっていますが、さて、候補者をどうやって決めるのか。その決め方をめぐって、「それじゃ以前言っていたことと違うじゃないか!」という状況になっているそうです。16日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

前回、2007年の大統領選を前にした05年12月5日、「フランスは、民主主義の手本にならなければならない。間違いのない、最高の指導者を選ぶためと言って内輪で大統領候補を決めてはいけない。党員こそが党を支えてくれているのだから、彼らが誰を選ぼうと、党員の選挙結果を尊重すべきだ。党を一つに束ねられない人間が、どうしてフランス人全体を一つにまとめることができるであろうか」 こう力説して、予備選挙実施の方向へと党を誘導したのが、時の内務大臣、サルコジ現大統領だった。

議員たちの間以上に、党員や国民での人気が高かったことを受けて、このような主張を展開し、シラク大統領派の反対にもかかわらず、望み通りの結果を得たのだった。そして党則に、本来なら党公認候補者とすべきところだが、シラク派の反対で、党の支持を受ける候補者というステイタスになったものの、大統領選に立候補する候補者は党大会において党員によって選ばれる、と明記することができた。

社会党は、UMPとは異なり、党公認候補を選ぶと決めている。しかし、いずれにせよ、それぞれの党が予備選によって候補者を決めるという方法に、有権者の多くは賛同している。2006年11月のIFOP(調査会社)の調査によると、対象者の72%、UMP支持者の63%が党内の予備選を支持していた。

候補者を予備選で選ぶという方法は、UMP内では統一地方選においても実施されたが、(UMPは2002年11月にシラク大統領によって作られた党で、結党以来8年経っていますが、党内には保守派、リベラル派、ド・ゴール主義派、共和派などのグループがあり)党内での選挙が各グループ間にしこりを残すことにもなった。

2010年春の統一地方選でUMPが敗北したあとでも、当時のベルトラン(Xavier Bertrand)幹事長(現労相)は、それでも予備選を行うべしと強調していた。「2012年の大統領選へ向けては、現大統領が選ばれようが、別の人物になろうが、UMPの候補者は党員選挙によって選ばれるべきだ。党をまとめられない人物にフランスを任せることはできないのだから。」

また、フィヨン(François Fillon)首相も、「サルコジ大統領は常々、来るべき時が来れば、党員選挙によって大統領選の候補者を決めるべきだと言っている」と明言していた。

しかし、サルコジ大統領の支持率が30%前後と低迷し、2012年が近づくにつれ、その側近からは予備選見直しの声が上がり始めた。口火を切ったのは、当時の下院幹事長・コペ(Jean-François Copé)現党幹事長だ。「予備選をめぐる党内議論は、あまり現実的ではない。しかも、二期目をめざすという現職大統領がいる政権与党が大統領選の予備選を行うと言うのは、自然ではない」 こうした意見に、賛同する議員も増えてきた。

コペ幹事長は、最近も、「予備選はコストもかかることであるし、結果も見えているではないか。1988年のミッテラン再選の時も、2002年のシラク再選時も、それぞれの党では予備選を行わなかった」と予備選回避へと党の舵を切ろうとしている。

そしてフィヨン首相までも、「我が党には現職大統領がいて、その正式立候補を待つ間に、予備選を急いで決めるべきではない」と発言。コペ幹事長は、さらに、「現職大統領という自然な候補者がいる与党内で予備選を行うのは理にかなっていない」と述べている。

・・・という訳で、党所属の国会議員の間よりも党員や国民の人気が高いと見るや、党員選挙を導入し、逆に、党員の支持よりも議員の中に支持者が多いと見るや、党員選挙を回避しようとする。あくまで自分が当選するため。ルールも党紀・党則もあったものではありません。選ばれるためには、手段を選ばず! しかし、これが、「政治」なのかもしれません。決して、きれいごとでは済まされない。決して、机上の空論ではない。

そうなのでしょうが、ここまで露骨にやって、たとえ党の支持を得た候補者になったところで、大統領は最終的には国民の投票によって選ばれるわけですから、再選は却って難しくなってしまうのではないでしょうか。だからこそ、もし今、大統領選が行われれば、ドミニク・ストロス=カン(IMF専務理事)、マルチーヌ・オブリー(第一書記)、フランソワ・オランド(前第一書記)、セゴレーヌ・ロワイヤル(2007年の社会党候補)の誰が社会党の候補者になってもサルコジ大統領に勝てる、という世論調査になっているのだと思います。

あまりに露骨な変節は、国民の信を失うことになる! 国を問わないのだと思います。
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