時差の関係か、日本勢があまり振るわないせいか、はたまた「なでしこフィーバー」の割を食ってしまったのか、今年の柔道世界選手権に日本ではあまりスポットが当たっていないような気がします。
開催地は、パリ。会場は、スポーツ大会の会場としてお馴染みのベルシー(Palais omnisports de Paris-Bercy)。12区、セーヌに面しています。
日本勢の戦績は、団体戦を除いて、男子は金2個、銀2個、銅1個。女子は、金3個、銀4個、銅3個でした。メダル数では1位の座を守りましたが、男子の中重量級では金がゼロ。66kg以下級と、73kg以下級での2個だけでした。しかも、100kg以下級と100kg超級では、メダルゼロ。来年のロンドン・オリンピックに向けて、抜本的対策が必要になっているようです。
メダル獲得数2位の座は、フランスが占めています。男子が金1個、銅1個。女子が金3個。地元開催ということもあり、メダルの獲得は、夜8時のニュースでも大きく報じられていました。女子の63kg以下級、70kg以下級、78kg以下級と続けて金メダルを取ったのは、まさにゴールドラッシュといった感がありました。そして、女子選手の活躍以上にフランスの柔道ファンを熱狂させたのが、男子100kg超級で優勝したテディ・リネール(Teddy Riner)選手。2007年、リオデジャネイロの世界選手権で優勝して以来、多くの優勝を果たしてきている、フランス柔道界のヒーローです。
テディ・リネール・・・1989年4月7日生まれ。まだ22歳。カリブ海にあるグアドループ(Guadeloupe)出身。パリで柔道の修業を積む。204cm、138kg。2007年のリオデジャネイロ、2008年のルヴァロワ・ペレ(Levallois-Perret:パリのすぐ北西の郊外)、2009年のロッテルダム、2010年の東京、そして2011年のパリと世界選手権重量級で5度の優勝(08年のみ無差別級、他の大会は100kg超級での優勝)。今まで世界大会で負けたのは2度だけ。2008年の北京オリンピックでは銅メダルに終わり、昨年の世界選手権東京大会では、100kg超級では優勝したものの、無差別級では上川大樹選手に決勝で敗れ、銀メダル。今までのキャリアで世界の大会では2敗だけと、圧倒的強さを誇っている。
この、テディ・リネール選手が地元開催の世界選手権100kg超級で優勝した時の喜びの声と関係者の興奮ぶりを27日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。誰がどのようなことを語っているのでしょうか・・・
表彰式の壇上で、テディ・リネールに金メダルをかけてあげながら、ダヴィッド・ドゥイエ(David Douillet:柔道家、後、政治家。オリンピックで金2個、銅1個、世界選手権で金4個。2009年から今年7月まで与党・UMP所属の国会議員。今年6月からは、在外フランス人担当特命大臣)は、テディ・リネールに「オリンピック、あと3回頑張れよ」とささやいた。歴史上、最強の柔道家と優勝記録保持者との間でのシンボリックなバトンの受け渡しだ。柔道界において、この二人くらいしか並び立つ者はいない。
27日、テディ・リネールは優勝回数を積み重ねる上で、大きな一歩を踏みしめた。2007年のリオ、2008年のルヴァロワ、2009年のロッテルダム、そして2010年の東京と同じように、グアドループ出身の柔道家は今本拠としているパリでの世界選手権で5度目の優勝を勝ち取った。メダルの色はいつも同じだが、彼にとって今年の大会は今までとは大きく異なっていた。2007年と今年の彼の柔道を比べれば、この柔道の巨人がいかに長足の進歩を成し遂げたかは一般観客にも一目瞭然だった。
今年の大会で、決勝まで勝ち進むのにわずか7分しか要さなかった。まったく危なげなく、テディ・リネールは観客に、そして対戦相手にさえ柔道とはなにかを見せつけたのだった。「もし自分が子どもたちに柔道を教えるなら、今日のテディの試合を見せればそれで済む」と、ダヴィッド・ドゥイエは語っている。それというのも、防御、移動、時宜を得た攻撃と、テディは完璧だった。「それは、猛烈な練習の成果だ。2010年の東京大会では、無差別級決勝で敗れたが、その敗戦以降、以前にも増して厳しい練習を自らに課すようになった。二度と繰り返したくないことは、勝負を審判の判定に委ねることだ。そのためには、文句の付けようのない一本で勝つことが必要なのだ」と、テディ・リネールは述べている。
すでに今年の2月、パリ国際でテディは技の上での成長を見せていた。ロンドン・オリンピックが近づくにつれ、新しい技を見せてくれたのだが、今日のレベルまで上手く、強くなるとは誰も思っていなかった。以前の得意技と言えば、大外刈りと払い腰だけだったが、これに内股、絞技、大内刈りを加えた。今大会の決勝でドイツのAndres Toelzerを破ったのも、この大内刈りだ。ダヴィッド・ドゥイエでさえ口をぽかんとあけたままで、「このようなレベルにまで達していたかった」とため息をついたほどだ。
テディの見事な柔道に感動して、73kg以下級で銅メダルを取ったウーゴ・ルグラン(Ugo Legrand)も、INSEP(l’Institut national du sport, de l’expertise et de l’éducation physique:国立スポーツ体育研究所)の同僚の優勝を祝福せずには居られなかった。「彼は生ける伝説だ。けた外れに強いチャンピオンがいることは、われわれの誇りであり、別次元にいる彼の存在が、我々を一歩でも上のレベルへと導いてくれる」と語っている。
・・・ということで、ダヴィッド・ドゥイエといい、テディ・リネールといい、すごい実績ですね。今や、柔道の競技人口では、日本をしのぐフランス。名選手が出てくるはずです。
日本柔道は、「本家の威信にかけて」というプレッシャーも背負いながらの戦い。勝って当たり前、という空気の中での試合ですから、たいへんなプレッシャーなのでしょうね。その中で優勝してきた選手たちは、すごいと思います。
オリンピックの時は、当然金メダル、という気持ちで勝手に応援してしまいますが、「柔道」から“Judo”になって久しく、さまざまな国から強豪が生まれています。そう簡単に勝てるわけではないのでしょうね。それでも、日本語で行われる競技だけに、どうしても期待してしまいます。
期待するなら、応援も4年に1度ではなく、毎年の世界選手権でもしっかり応援したいものですね。頑張れ、ニッポン柔道!
開催地は、パリ。会場は、スポーツ大会の会場としてお馴染みのベルシー(Palais omnisports de Paris-Bercy)。12区、セーヌに面しています。
日本勢の戦績は、団体戦を除いて、男子は金2個、銀2個、銅1個。女子は、金3個、銀4個、銅3個でした。メダル数では1位の座を守りましたが、男子の中重量級では金がゼロ。66kg以下級と、73kg以下級での2個だけでした。しかも、100kg以下級と100kg超級では、メダルゼロ。来年のロンドン・オリンピックに向けて、抜本的対策が必要になっているようです。
メダル獲得数2位の座は、フランスが占めています。男子が金1個、銅1個。女子が金3個。地元開催ということもあり、メダルの獲得は、夜8時のニュースでも大きく報じられていました。女子の63kg以下級、70kg以下級、78kg以下級と続けて金メダルを取ったのは、まさにゴールドラッシュといった感がありました。そして、女子選手の活躍以上にフランスの柔道ファンを熱狂させたのが、男子100kg超級で優勝したテディ・リネール(Teddy Riner)選手。2007年、リオデジャネイロの世界選手権で優勝して以来、多くの優勝を果たしてきている、フランス柔道界のヒーローです。
テディ・リネール・・・1989年4月7日生まれ。まだ22歳。カリブ海にあるグアドループ(Guadeloupe)出身。パリで柔道の修業を積む。204cm、138kg。2007年のリオデジャネイロ、2008年のルヴァロワ・ペレ(Levallois-Perret:パリのすぐ北西の郊外)、2009年のロッテルダム、2010年の東京、そして2011年のパリと世界選手権重量級で5度の優勝(08年のみ無差別級、他の大会は100kg超級での優勝)。今まで世界大会で負けたのは2度だけ。2008年の北京オリンピックでは銅メダルに終わり、昨年の世界選手権東京大会では、100kg超級では優勝したものの、無差別級では上川大樹選手に決勝で敗れ、銀メダル。今までのキャリアで世界の大会では2敗だけと、圧倒的強さを誇っている。
この、テディ・リネール選手が地元開催の世界選手権100kg超級で優勝した時の喜びの声と関係者の興奮ぶりを27日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。誰がどのようなことを語っているのでしょうか・・・
表彰式の壇上で、テディ・リネールに金メダルをかけてあげながら、ダヴィッド・ドゥイエ(David Douillet:柔道家、後、政治家。オリンピックで金2個、銅1個、世界選手権で金4個。2009年から今年7月まで与党・UMP所属の国会議員。今年6月からは、在外フランス人担当特命大臣)は、テディ・リネールに「オリンピック、あと3回頑張れよ」とささやいた。歴史上、最強の柔道家と優勝記録保持者との間でのシンボリックなバトンの受け渡しだ。柔道界において、この二人くらいしか並び立つ者はいない。
27日、テディ・リネールは優勝回数を積み重ねる上で、大きな一歩を踏みしめた。2007年のリオ、2008年のルヴァロワ、2009年のロッテルダム、そして2010年の東京と同じように、グアドループ出身の柔道家は今本拠としているパリでの世界選手権で5度目の優勝を勝ち取った。メダルの色はいつも同じだが、彼にとって今年の大会は今までとは大きく異なっていた。2007年と今年の彼の柔道を比べれば、この柔道の巨人がいかに長足の進歩を成し遂げたかは一般観客にも一目瞭然だった。
今年の大会で、決勝まで勝ち進むのにわずか7分しか要さなかった。まったく危なげなく、テディ・リネールは観客に、そして対戦相手にさえ柔道とはなにかを見せつけたのだった。「もし自分が子どもたちに柔道を教えるなら、今日のテディの試合を見せればそれで済む」と、ダヴィッド・ドゥイエは語っている。それというのも、防御、移動、時宜を得た攻撃と、テディは完璧だった。「それは、猛烈な練習の成果だ。2010年の東京大会では、無差別級決勝で敗れたが、その敗戦以降、以前にも増して厳しい練習を自らに課すようになった。二度と繰り返したくないことは、勝負を審判の判定に委ねることだ。そのためには、文句の付けようのない一本で勝つことが必要なのだ」と、テディ・リネールは述べている。
すでに今年の2月、パリ国際でテディは技の上での成長を見せていた。ロンドン・オリンピックが近づくにつれ、新しい技を見せてくれたのだが、今日のレベルまで上手く、強くなるとは誰も思っていなかった。以前の得意技と言えば、大外刈りと払い腰だけだったが、これに内股、絞技、大内刈りを加えた。今大会の決勝でドイツのAndres Toelzerを破ったのも、この大内刈りだ。ダヴィッド・ドゥイエでさえ口をぽかんとあけたままで、「このようなレベルにまで達していたかった」とため息をついたほどだ。
テディの見事な柔道に感動して、73kg以下級で銅メダルを取ったウーゴ・ルグラン(Ugo Legrand)も、INSEP(l’Institut national du sport, de l’expertise et de l’éducation physique:国立スポーツ体育研究所)の同僚の優勝を祝福せずには居られなかった。「彼は生ける伝説だ。けた外れに強いチャンピオンがいることは、われわれの誇りであり、別次元にいる彼の存在が、我々を一歩でも上のレベルへと導いてくれる」と語っている。
・・・ということで、ダヴィッド・ドゥイエといい、テディ・リネールといい、すごい実績ですね。今や、柔道の競技人口では、日本をしのぐフランス。名選手が出てくるはずです。
日本柔道は、「本家の威信にかけて」というプレッシャーも背負いながらの戦い。勝って当たり前、という空気の中での試合ですから、たいへんなプレッシャーなのでしょうね。その中で優勝してきた選手たちは、すごいと思います。
オリンピックの時は、当然金メダル、という気持ちで勝手に応援してしまいますが、「柔道」から“Judo”になって久しく、さまざまな国から強豪が生まれています。そう簡単に勝てるわけではないのでしょうね。それでも、日本語で行われる競技だけに、どうしても期待してしまいます。
期待するなら、応援も4年に1度ではなく、毎年の世界選手権でもしっかり応援したいものですね。頑張れ、ニッポン柔道!