元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

ラーメン職人③麺屋武蔵店主

2006年03月13日 | ラーメン総合研究所
日本一の行列店と名高い「麺屋武蔵」の店主
山田雄さんは、時代の先読みのセンスに優れている。

1953年生まれで、19歳で洋品店に就職した。
27歳で独立し一気にセンスを活かし、年商27億円
の実業家になった。自社ブランドや多角経営に失敗し
多額の負債をかかえ倒産した。財務処理に2年を要し
返済が凍結され、一文なしながらも自由の身になれた。

山田さんの元に連日アパレル業界から誘いがあったが、
全て断り小さい料理屋をやりたい夢が芽生えてきた。

その料理屋の夢にアパレル時代の仲間が乗ってくれた。
その仲間が秋刀魚の煮干の話をしたのをキッカケに、
有りもしない秋刀魚の煮干を求めて山田は日本中を
巡った。ようやく宮城県の水産業者が特注で作って
くれる事になった。ダシをとり味見をしてみて、
ピンとラーメンになると閃き、ラーメン屋開業を
目指す。

スープ作りには1苦労も2苦労もあり、失敗の連続
だった。当時はもうメジャーだったダブル・スープ
の製法を山田さんは知らず、試作の繰り返しで
独自にダブル・スープ製法を発見した。

麺は山田さんの兄が経営しているラーメン屋から
紹介してもらった大栄食品に決めた。

そして1996年に、今の麺屋武蔵の原型になる店を
オープンした。

店は考え抜かれたコンセプトとデザインで、社員教育
も徹底し、美味しさ以外の部分にも気を配った。
開店当初は、営業時間帯により味が変わるというネック
もありお客さんは少なかった。そこで、常に加熱しつづ
ける製法を止め、冷やしたスープを注文時に再加熱する
製法にし、常に最良の味を提供できるようになった。

秋刀魚煮干、無化調、海老油がマスコミに受け、連日
取材を受けてどんどん知名度を高めていった。

1998年に新宿の一等地に移転し、大行列店へと
進化した。この1998年組には「くじら軒」「青葉」
もオープンし、ラーメンブームを一層加熱させる要因に
なった。

2000年からは、挑戦しつづける店をコンセプトに
期間限定メニューを常に出す店になった。

当店の「様式美麺」のコンセプトは「麺屋武蔵」の
挑戦に共感し、開店以来数多くの限定ラーメンを
作ってきました。

先日テレビであった「中村屋VS麺屋武蔵」の
「ラーメン巌流島」を見たかたは知っていると思い
ますが、従来のラーメンの枠にとらわれない全く
新しい次世代創作ラーメン対決でした。

あんな対決を見せ付けられると、創作意欲がフツフツ
と湧き上がってきます。

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