日記

日記

親鸞聖人坐像を前に、昨今の異安心、無帰命安心の横行を憂う

2024年08月16日 | ブログ
証空上人は、全分他力を説かれながら、一方では当麻曼荼羅、来迎会など観想のあり方を相当に重視されたのは、河内往生院、河内浄土院におけることからも明らかなところである。

全分他力ではあるが、そこへ向けてのあり方については、慎重にあるべきを示されていた。

また、証空上人は、布教活動において九條家の支援を全面的に得られており、九條家により金堂が建立された中興往生院では、西山義を奉じられていた可能性が極めて高いものの、九條道家の代には東福寺の末寺となり、臨済宗に改宗。

そして早い段階で来迎会も修されなくなったと考えられるのである。

臨済宗改宗直前に、往生院では親鸞聖人の最初の妻、玉日姫の供養として来迎会が行われた可能性があることが最近に分かってきた。

もちろん、当麻寺における来迎会の始まり、藤原家の姫、中将姫に倣ってである。

その後に親鸞聖人が参詣、奉納した坐像は、まさに玉日姫の供養のためでもあった。

そして、この坐像の下、江戸時代には毎年報恩講が、近隣真宗寺院を集めて明治まで営まれていた。

浄土真宗の教義を学び深めるのも往生院の歴史を鑑みれば大切な役割でもある。

とにかく、親鸞聖人坐像を前に、昨今の異安心、無帰命安心の横行を憂うのである。


最新の画像もっと見る