日記

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六字真言が、日本では、あまり馴染みのない真言であるのは、どうしてなのか

2024年01月04日 | ブログ
では、六字真言(六字大明呪)・オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)が、日本では、あまり馴染みのない真言であるのは、どうしてなのか、ということですが、

確かにチベット圏であれば、マニ石に刻まれていたるところに見られ、日常挨拶ほどのものとなっていますが、日本ではあまり一般的に広がっていない、ほとんど誰も知らないと思われるでしょう。

しかし、実のところ、意外にも平安時代中期の真言宗小野流の淳祐(菅原道真の孫)によって「六字経法」が調えられ、以来、醍醐寺(派)において六字明王を曼荼羅本尊(六字経曼荼羅)としての修法が確立され、やがてすぐに天台宗でも取り入れられていくことになるのであります。

その六字明王の真言が、「オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)」であります。

ところが、日本でその真言咒として取り上げられたのが「佉智佉住佉毘智緘壽緘壽多智婆智」(キャチキャチュウキャビチカンジュカンジュタチバチ)であり、修法における呪もこちらが主となってしまったのであります。

もちろん、正確には、「オンマニペメフン(唵嘛呢叭咪吽)」であり、それが完全に無くされたわけではなく、裏真言的なものとされていたと、解すことができます。

何故か、実際に呪されることになったのが、「佉智佉住~」の方になってしまったわけです。「佉智佉住~」の方は、更に一般的には覚えにくいものであり、民間へ浸透しなかったのではないかとも想定できるのであります。(正直、私も覚えられない・・)

また、この六字経法の六字が、やがて六観音と合わさるなどして、六字明王の真言の役割が、ますます薄められていくことになったのも大きな要因と考えられるのではないかと思われます。

もう一つは、呪詛として、禍々しいもの、秘匿されるべき秘呪的なものとしての認識も、世間から遠ざかる要因となってしまったのではないかと思われるのであります。

特に、南北朝時代に後醍醐天皇の護持僧として活躍し、空海の再誕とまで言われた天才僧、文観が、この修法を用いていたことから、その後、立川流との誤解から評価が著しく貶められることになったことも、この修法が世間から遠ざかる一因になったとも考えられるのであります。

まあ、一番の要因は、やはり、日本において六字明王の主真言となった「佉智佉住~」が覚えづらいということからであると思われるのであります。これが、「オンマニペメフン」であれば、きっと日本でも「南無阿弥陀佛」並みに唱えられている真言になっていたと思うのであります。


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