今日はとなり、誠に過ごしやすい一日でありました。
終日寺院勤務
寺務・墓回向・落ち葉掃除・枯れた花抜き・ゴミ収集などして過ごす。
週末雨の予報が出ておりますので、今日はお参りが多くなりました。
いよいよ新年準備も佳境であります。
・・
施本「佛の道」。年内に全文を公開致します。
施本「佛の道」・第八章 因縁生起
因縁生起《いんねんしょうき》は、主に省略して縁起《えんぎ》と言われることが多いですが、この世における一切の現象・存在は、全て因(直接原因)と縁(間接原因・条件)の二つの原因が、それぞれ関わり合って構成されているということで、もちろん生滅変化を繰り返す無常の中にあります。
私たちの存在も五蘊(色・受・想・行・識)の因縁生起で仮に成り立っていると先に述べてありますように、無常なる中においては、絶えず変化していく五蘊のいずれも「これが自分だ」とすることは不可能であり、固定した実体としての「我」は成り立たず、「無我」となるのであります。もちろん、全ての現象・存在も無常なる因縁生起のものであり、固定した実体としての「我」はどこにも何もありません。
そして、お釈迦様は、苦しみを無くすために、因縁生起によってその苦しみの原因を明らかにされました。
「これがあれば、かれがある。これが生ずれば、かれが生ずる。これがなければ、かれがない。これが滅すれば、かれが滅する。」という手法においてであります。
苦しみの生じる原因をまとめたものに十二縁起があります。十二縁起には諸説あるため、解釈には非常に注意が必要となります。また古来より理解は難解とされているため、八正道の確かな実践によってこそ明らかにされるものであります。浅学非才、修行未熟なる私なりで頑張っての解釈は一応書き記しますが、読者の皆様方におかれましては、八正道の実践によって真なる理解を明らかにされることを切に願う次第でございます。
十二縁起、「無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死」。
・無明
煩悩の根元のこと。特に全ての煩悩を代表し、この「無明」として挙げられる。真理という明るさ、智慧という明るさから遠ざかってしまっていて、暗い闇の中をさ迷い続けているということ。無知とも言われる。煩悩の三毒としてよく挙げられる貪瞋痴《とんじんち》の痴、つまり愚かさを言う場合もあります。
・行
五蘊の説明で先に述べてあります行と同意で、意志・行為のこと。行は業とも言われることがあり、その場合は、無明・煩悩で 真理を知らないことによって積み上げてしまう行為、特に悪業のことを示します。無明によって行が起こる。
・識
五蘊の説明で先に述べてあります識(意識・認識)のこと。行によって識が起こる。
・名色
色は五蘊の説明で先に述べてあります物質のことで、人間における場合は肉体のこと。名は、心のこと。心と身体が結合すること。識によって名色が起こる。
・六処
心と身体の一致によって眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官、六処が起こること。名色によって六処が起こる。
・触
触は、接触のこと。六処によって、この世における様々な対象と接触していくこと。接触によって主体と客体、主観と客観も生じます。六処によって、触が起こる。
・受
五蘊の説明で先に述べてあります受(感覚・感受)のこと。受け入れるもの(快楽)、受け入れないもの(不快・苦)、どちらでもないもの(非苦非楽)が生じる。触によって受が起こる。
・愛
渇愛のこと。受によって、受け入れたくないもの・認めたくないもの(不快・苦)は疎い嫌い、ほしくない、受け入れるもの(特に快楽)には好き、ほしいという渇愛が生じる。受によって愛が起こる。
・取
執着のこと。愛によって、受け入れたくないもの・認めたくないもの(不快・苦)には疎い嫌い、ほしくないという執着、受け入れるもの(快楽)には、ほしいという渇愛から更にもっとほしいという執着が生じる。愛によって取が起こる。
・有
苦しみの生存のこと。様々なことに執着することによって、苦しみの生存がある。または所有という妄執を抱えた苦しみとも考えられます。取によって有が起こる。
・生
生きること。苦しみの生存の中を生きること。有によって生が起こる。
・老死
生きることは、老いて死ぬこと。様々な苦しみを代表して、特に老死がここでは挙げられています。生によって老死が起こる。
お釈迦様は、悟りを開かれた時、この十二縁起を順観と逆観によって理解されたと言われています。
無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死 A→B
順観
Aがあれば、Bがある。Aが生ずれば、Bが生ずる。
逆観
Aがなければ、Bがない。Aが滅すれば、Bが滅する。
十二縁起は、なぜ苦しみが生じるのかということについて徹底して知見していくために順を追って、その因縁を記したもので、目指すところは、苦しみの原因は無明にあることを明らかにし、無明を打ち破って、智慧を開発して、苦しみから解脱することにあります。
しかし、十二縁起は、あくまでも八正道の実践を補完するためのもので、真なる悟りを得るためには、やはり八正道の実践は欠かすことはできないものと解しております。
施本「佛の道」・各章
http://www.hide.vc/hotokenomichi.html
〔本文、不許複製・禁無断転載〕
著作権は川口英俊に帰属しています。
Copyright (C) 2007 Hidetoshi Kawaguchi, All Rights Reserved.
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とにかく一つ一つであります。。
終日寺院勤務
寺務・墓回向・落ち葉掃除・枯れた花抜き・ゴミ収集などして過ごす。
週末雨の予報が出ておりますので、今日はお参りが多くなりました。
いよいよ新年準備も佳境であります。
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施本「佛の道」。年内に全文を公開致します。
施本「佛の道」・第八章 因縁生起
因縁生起《いんねんしょうき》は、主に省略して縁起《えんぎ》と言われることが多いですが、この世における一切の現象・存在は、全て因(直接原因)と縁(間接原因・条件)の二つの原因が、それぞれ関わり合って構成されているということで、もちろん生滅変化を繰り返す無常の中にあります。
私たちの存在も五蘊(色・受・想・行・識)の因縁生起で仮に成り立っていると先に述べてありますように、無常なる中においては、絶えず変化していく五蘊のいずれも「これが自分だ」とすることは不可能であり、固定した実体としての「我」は成り立たず、「無我」となるのであります。もちろん、全ての現象・存在も無常なる因縁生起のものであり、固定した実体としての「我」はどこにも何もありません。
そして、お釈迦様は、苦しみを無くすために、因縁生起によってその苦しみの原因を明らかにされました。
「これがあれば、かれがある。これが生ずれば、かれが生ずる。これがなければ、かれがない。これが滅すれば、かれが滅する。」という手法においてであります。
苦しみの生じる原因をまとめたものに十二縁起があります。十二縁起には諸説あるため、解釈には非常に注意が必要となります。また古来より理解は難解とされているため、八正道の確かな実践によってこそ明らかにされるものであります。浅学非才、修行未熟なる私なりで頑張っての解釈は一応書き記しますが、読者の皆様方におかれましては、八正道の実践によって真なる理解を明らかにされることを切に願う次第でございます。
十二縁起、「無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死」。
・無明
煩悩の根元のこと。特に全ての煩悩を代表し、この「無明」として挙げられる。真理という明るさ、智慧という明るさから遠ざかってしまっていて、暗い闇の中をさ迷い続けているということ。無知とも言われる。煩悩の三毒としてよく挙げられる貪瞋痴《とんじんち》の痴、つまり愚かさを言う場合もあります。
・行
五蘊の説明で先に述べてあります行と同意で、意志・行為のこと。行は業とも言われることがあり、その場合は、無明・煩悩で 真理を知らないことによって積み上げてしまう行為、特に悪業のことを示します。無明によって行が起こる。
・識
五蘊の説明で先に述べてあります識(意識・認識)のこと。行によって識が起こる。
・名色
色は五蘊の説明で先に述べてあります物質のことで、人間における場合は肉体のこと。名は、心のこと。心と身体が結合すること。識によって名色が起こる。
・六処
心と身体の一致によって眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官、六処が起こること。名色によって六処が起こる。
・触
触は、接触のこと。六処によって、この世における様々な対象と接触していくこと。接触によって主体と客体、主観と客観も生じます。六処によって、触が起こる。
・受
五蘊の説明で先に述べてあります受(感覚・感受)のこと。受け入れるもの(快楽)、受け入れないもの(不快・苦)、どちらでもないもの(非苦非楽)が生じる。触によって受が起こる。
・愛
渇愛のこと。受によって、受け入れたくないもの・認めたくないもの(不快・苦)は疎い嫌い、ほしくない、受け入れるもの(特に快楽)には好き、ほしいという渇愛が生じる。受によって愛が起こる。
・取
執着のこと。愛によって、受け入れたくないもの・認めたくないもの(不快・苦)には疎い嫌い、ほしくないという執着、受け入れるもの(快楽)には、ほしいという渇愛から更にもっとほしいという執着が生じる。愛によって取が起こる。
・有
苦しみの生存のこと。様々なことに執着することによって、苦しみの生存がある。または所有という妄執を抱えた苦しみとも考えられます。取によって有が起こる。
・生
生きること。苦しみの生存の中を生きること。有によって生が起こる。
・老死
生きることは、老いて死ぬこと。様々な苦しみを代表して、特に老死がここでは挙げられています。生によって老死が起こる。
お釈迦様は、悟りを開かれた時、この十二縁起を順観と逆観によって理解されたと言われています。
無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死 A→B
順観
Aがあれば、Bがある。Aが生ずれば、Bが生ずる。
逆観
Aがなければ、Bがない。Aが滅すれば、Bが滅する。
十二縁起は、なぜ苦しみが生じるのかということについて徹底して知見していくために順を追って、その因縁を記したもので、目指すところは、苦しみの原因は無明にあることを明らかにし、無明を打ち破って、智慧を開発して、苦しみから解脱することにあります。
しかし、十二縁起は、あくまでも八正道の実践を補完するためのもので、真なる悟りを得るためには、やはり八正道の実践は欠かすことはできないものと解しております。
施本「佛の道」・各章
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〔本文、不許複製・禁無断転載〕
著作権は川口英俊に帰属しています。
Copyright (C) 2007 Hidetoshi Kawaguchi, All Rights Reserved.
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とにかく一つ一つであります。。