日記

日記

晴れ

2011年01月29日 | 徒然日記・日々の記録
今日は晴れとなりました。まだまだ寒い日が続きますね。

終日寺院勤務

寺務・水道管修繕・清掃などして過ごす。

水道管修繕

凍てでやられないようにタオルを巻きました。

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「非有・非無」の中道に関しての補足・3

「ツォンカパにおける無自性論証と正理 四津谷孝道氏・論著 国際仏教学大学院大学研究紀要第1号 平成10年3月」p103より参照・・

「正理の役割について」

正理による考察に耐えないもの
(=正理によっては得られないもの、正理〔知〕によって成立しないもの) 

1)正理による考察の範囲の内にあり、正理によって損なわれる(=否定される)もの
2)正理による考察の範囲の外にあり、正理による考察が加えられず、従って正理によって損なわれることがないもの

2)

a)《言説有》-「通常の言説知」あるいは「言説の量」即ち迷乱を生じさせる一時的な原因によって汚されていない明晰な感官知によって措定されるもの
b)《言説無》-「一時的な原因によって汚された感官知によって措定されるもの

・・参照ここまで。

次に、「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」・「第3章 正理のはたらき」p57-p98より参照・・

〔正理の理解1〕
正理による考察に耐えるもの・正理によって得られるもの・正理によって成立するもの=勝義的な存在すなわち実体有

〔正理の理解2〕
正理による考察に耐えるとされるものすなわち実体的な存在は、正理によって得られるべきものであり、またそれによって成立すべきものではあるが、中観論者にとってはそうした実体的な存在は正理によって得られることはなく、正理によって成立するものではない。

〔正理の理解3〕
正理によって得られないもの
(1)正理による考察に耐えるもの(=正理によって無いと認定されるもの/正理によって排撃・否定されるもの)例)実体有
(2)正理による考察に耐えないもの(=正理によって無いと認定されないもの/正理によって排撃・否定されないもの)例)言説有/通常の言説知によって虚偽とされる言説無

〔無自性と正理〕
無自性(正確には、言説有としての無自性)
1)正理による考察に耐えない。
2)正理によって得られる(成立する)。

《二諦説の二重構造》

〔広義の二諦説〕
・ことばを超えた世界(真の勝義の世界)
・ことばの世界(世俗の世界)

〔狭義の二諦説:ことばの世界の中の二諦説〕
・正理〔知〕 勝義(暫定的な勝義:世俗的勝義)としてはXは無いことを示す。
・言説〔知〕 言説(世俗)としてはXは有ることを示す。

・・参照ここまで。

以上において、ツォンカパ論師の捉えている「正理」に関しまして、参照としてまとめさせて頂きました。

とにかく、「非有・非無」の中道を理解するためには、「二諦説の二重構造」の理論をしっかりと理解していくことが大切であると考えております。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・2

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p64より抜粋・・

・・ツォンカパの離辺中観解釈の特徴は以下の三点に纏められよう。

1)「諦」(=自性)が否定され、「諦無」(=空性、無自性)に執着する(=「諦無」と理解する)知が否定されることは不適当である。

2)「非有・非無」は、「勝義としては有ではなく、世俗としては無ではない」と理解すべきである。

3)分別によって捉えられた対象はすべて、真実を考察する正理によって否定されるべきではない。

・・ここまで。

「勝義としては有ではなく、世俗としては無ではない」・・

「世俗としては無ではない」ということに関しては、通常の世俗(=言説)というところにおいての『「効果的作用の能力」としての「事物」』というものは、もちろん、実在・実体・自性としてある「モノ・コト」というものではなく、属性(一般にあるものに共通して備わっているとされる性質や特徴)として、「言説」によって明確に限定づけられた観念によるものとして認められうるものであると考えられます。

一方で、世俗は世俗でも、「勝義的世俗」・「随順勝義」においては、「無自性」ということをめぐって、実体としての「無自性」は当然に否定されるが、非実体的な「無自性」は有るとして考えていくことが重要であると理解しています。

とにかく、ツォンカパ論師の「正理」に関する理解の整理も必要であります。

・・

「非有・非無」の中道に関しての補足・1

「帰謬派の離辺中観解釈 四津谷孝道氏・論著 駒澤大學佛學部論集第33號 平成14年10月」 p67-68より抜粋・・

・・事物には、勝義と世俗(=通常の言説)のいずれにおいても否定される「実体的な事物」と世俗において認められる「効果的作用の能力」としての「事物」が想定される。つまり、事物に関しては勝義としては「実体的な事物」は無いけれども(→勝義として「非有」)、世俗においては「効果的作用の能力」としての「事物」が有る(世俗として「非無」)。一方、「無自性」に関しても実体的な「無自性」(→「諦執」即ち「悪取空見」の対象としての「無自性」)と「勝義的世俗」と理解されるところの「随順勝義」として認められる「無自性」がある。つまり、世俗(=言説)レベルでは、前者は否定されるものであり、後者は否定されないものである。換言すれば、勝義としては「無自性」は成立しないが(→勝義としては非有)、世俗としては成立するのである(世俗としては非無)。
 ここで重要なのは、「事物」が認められる所の世俗は、「通常の世俗(=言説)」(rang dga' ba'i tha snyad)であると考えられ、「無自性」が認められる所の世俗は「勝義的世俗」即ち「随順勝義」であるということである。・・抜粋ここまで。

「無自性」についての実体視の扱い、「効果的作用の能力」としての「事物」の扱いをどのように理解していくかというところが一つの要点であると考えております。

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「ツォンカパの中観思想 - ことばによることばの否定- 四津谷孝道著 大蔵出版」の再々再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51960156.html

「禅思想の批判的研究 松本史朗著 大蔵出版」の再々読を終えて
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51957524.html

「基体説」論考3-4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html

「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html

「場所の哲学」と仏教
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51784548.html

"dha(_)tu-va(_)da"「ダートゥ・ヴァーダ」・基体説について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51783852.html

チベット仏教・「シュクデン」崇拝問題から考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

ダライ・ラマ14世師と毛沢東・中国初代国家主席との会談について考える
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51776609.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・6-7
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51774538.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51773161.html

余談「批判的思考の必要性について・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51772472.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51771197.html

「道元思想論・松本史朗著・大蔵出版」を一読して・1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51770905.html

「禅思想の批判的研究・松本史朗著・大蔵出版 」を一読して
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51769465.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義4-5
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51768858.html

ツォンカパ論師の中観思想を学ぶ意義1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51766505.html

「非有・非無の中道」について
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51764526.html

「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/m/197611

「蟻の瓶と象の瓶」齋藤保高氏
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%9F%BB%E3%81%AE%E7%93%B6%E3%81%A8%E8%B1%A1%E3%81%AE%E7%93%B6

教理の考察「蟻の瓶と象の瓶」(齋藤保高氏)・感想1-3
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51749171.html

チベット仏教ゲルク派 宗学研究所
http://rdor-sems.jp/
ポタラ・カレッジ 齋藤保高氏の個人サイト

「苦楽中道説について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51739221.html

「苦楽中道説について」補足
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51746333.html

中観帰謬論証派の学びのススメ
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51597159.html

mixiコミュニティ「仏教・中観思想・空思想を学ぶ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4629752

・・

仏教・学びの進捗状況全般参照
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第四弾
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51777157.html

「中論―縁起・空・中の思想(上・中・下)」三枝充悳著 レグルス文庫
「大乗仏典14 龍樹論集」 中央公論新社
「講座 大乗仏教7 中観思想」春秋社
「講座 大乗仏教9 認識論と論理学」春秋社
「講座 仏教思想1 存在論・時間論」理想社
「講座 仏教思想2 認識論・論理学」理想社
「チャンドラキールティの中観思想」岸根敏幸著・大東出版社
「ツォンカパの中観思想―ことばによることばの否定」四津谷孝道著・大蔵出版
「ツォンカパ 中観哲学の研究1」
「ツォンカパ 中観哲学の研究2」
「ツォンカパ 中観哲学の研究3」
「ツォンカパ 中観哲学の研究4」
「ツォンカパ 中観哲学の研究5」
「般若経釈 現観荘厳論の研究」兵藤一夫著 文栄堂
「ダライ・ラマ 般若心経入門」ダライ・ラマ14世著、宮坂宥洪翻訳・春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義―苦しみから菩提へ」
 テンジンギャツォ著・TenzinGyatso原著・福田洋一翻訳・大東出版社
「チベット仏教成就者たちの聖典『道次第・解脱荘厳』解脱の宝飾」
 ガムポパ著・ツルティム・ケサン、藤仲 孝司共訳 UNIO
「心の迷妄を断つ智慧―チベット密教の真髄」
 チュギャム トゥルンパ著・宮坂宥洪訳
「チベット密教 修行の設計図」
 斎藤保高著・春秋社
「チベット密教 心の修行」
 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ著、藤田省吾著 法蔵館
「チベット仏教 文殊菩薩(マンジュシュリ)の秘訣」
 ソナム・ギャルツェン・ゴンタ著 法蔵館
『ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 』
 ダライラマ14世テンジンギャツォ著・マリアリンチェン翻訳 大蔵出版
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」
 ツォンカパ著・ツルティムケサン翻訳・藤仲孝司翻訳 UNIO
「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」
 Sonam Gyaltsen Gonta (原著)・ソナム・ギャルツェン ゴンタ (翻訳)・西村 香 (翻訳) 大法輪閣
『「空」の構造 -「中論」の論理』立川武蔵著・第三文明社
「縁起と空 如来蔵思想批判」松本史朗著・大蔵出版
「チベット仏教哲学」松本史朗著・大蔵出版
「禅思想の批判的研究」松本史朗著・大蔵出版
「道元思想論」松本史朗著・大蔵出版
「法然親鸞思想論」松本史朗著・大蔵出版
「仏教思想論 上」松本史朗著・大蔵出版
「法華経思想論」松本史朗著・大蔵出版
「中国仏教の批判的研究」伊藤隆寿著・大蔵出版

施本シリーズ

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/enginorikai.html
施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
http://oujyouin.com/topengi.htm
施本「仏教・空の理解」
http://oujyouin.com/sunyatop.htm
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」
http://oujyouin.com/buddhism1p.html
施本「佛の道」
http://oujyouin.com/hotokenomichi.html

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第三弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第二弾

これから更に仏教の学びを進めるための文献・第一弾