平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

田島義博先生の逝去

2006年05月12日 | 最近読んだ本や雑誌から
月刊『致知』2006年6月号に、アサヒビール名誉顧問の中条高徳さんが、学習院長・田島義博先生の逝去について書いています。

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 三月二十四日、桜花咲きそめていた学習院で評議員会が開かれていた。
 筆者は、院長入院中との情報を得ていたので、院長推薦の評議員だけに、彼が欠席の時こそ万難を排して出席せねばなるまいと、いささか軍人的律儀さというべきか責任感でその席に出ていた。
 なんと議事の合間に院長が病院から抜け出し、奥様に付き添われて姿を見せたのだ。
「院長の職責を全うする体力の限界を自認したので任半ばで申し訳ないが、評議員会に辞任の意を伝えたい」
 と何時もの音吐朗々ではなかったが、言語明瞭に院長辞任の決意を表明されたのだ。
 青天の霹靂とはこの状態を指す。評議員たちは驚きのあまり声なし。このご挨拶が終わるやまた、静かに車椅子で退場された。その場に居合わせた評議員たちは呆然と立礼でお見送りした。
 拍手していいものやら判断つきかね、一日も早い回復を祈って粛然と見送るのみであった。
 その四日後に帰らぬ人になろうとは、評議員の一人たりとも夢想だにしなかった。
 院長自身はご自身の余命幾ばくかは気づかれていたに違いない。誰よりも院長の職責の重さを自覚されていただけに、この時仰るべき事柄がよくお見えになったのだ。つまり決死の訣別だったのだ。これを「生きざま」という。

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 仏教の大家松原泰道師は、「人間はなぜ死ぬ」と問われ、即座に「それは人間は生まれたから死ぬのじゃ」とさりげなく答えた。
 その通り人間は生まれた限り必ず死がやってくる。だからお釈迦さまは「人間は死に方ではなく、その生き方(生きざま)を最後の最後まで追究していかねばならない」と諭しておられる。
 昨今、政治、経済、官界を問わず、退任の出処進退を誤り、晩年を穢すリーダーがあまりに多すぎる。また、「生」に対峙して単に存在するに過ぎない「死」に当たって延命工作のトラブルが頻発している。医学の進歩というが「死」に当たり徒らに手を加えることは人類の驕りではなかろうか。
 人類も、すべての生きとし生けるものがそうであるように、自然死こそが最も尊く、かつ望ましいと筆者は思う。
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私も何度か身近で田島先生のお話をうかがったことがありますが、車椅子で入室し、辞任の挨拶を一言述べて退室なさった田島先生の様子が、目の前に彷彿します。

田島先生は温かい人柄の、博識とユーモアのあふれる方で、その座談はまさに間然するところがなく、いつまでも聞いていたい、と思わせる方でした。そして何よりも、人間の生き方、国の政治や経済のあり方について、立派な見識の持ち主でした。このような院長を持った学習院は本当に幸せであったと思います。

ある日の会合で、ホリエモンのことが話題になりました。ホリエモンがテレビで、経済界の英雄、改革の旗手として大いにもてはやされていた頃です。その場にいた人々は、みなホリエモンに対してある種のいかがわしさを感じていたのですが、それをどう表現していいのかわかりませんでした。そのとき、田島先生は、「あの人はグリーンメーラーですな」と言い、グリーンメーラーについて説明してくれました。それで、私たちはホリエモンの本質がよくわかりました。

このブログでは、2005年8月1日に田島先生の『「人間力」の育て方』(産経新聞社)について紹介している。

また、2006年2月27日には「天皇陛下の作文」について書いていますが、この話題も田島先生に関係しています。ある人が田島学習院長に、「天皇陛下の作文を〇千万円で学習院が買わないか、という提案をしたとき、田島先生は即座に、「それは学習院に返還すべきものです」とお答えになったということです。

本当に立派な方でした。