【「最後の晩餐」はフレスコ画?】
『ダ・ヴィンチ・コード』については、すでにいくつかの批判がなされています。日本では『新潮45』2005年4月号に竹下節子氏が「世界的ベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』の嘘」という論評を書いています。最近は、皆神龍太郎氏の『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』(文芸社)がさらに詳しい批判を行なっています。ここでは主として皆神氏の批判を紹介します。
「最後の晩餐」については、以下にコンピュータ・グラフィックスによる復元と、詳しい解説があります。ぜひご覧下さい。
http://www.pcs.ne.jp/~yu/ticket/supper/supper.html
このサイトの説明にもありますように、「最後の晩餐」はフレスコ画ではなく、テンペラ画なのです。そのため、かなり損傷が激しかったのです。
ところが、ダン・ブラウンは、『ダ・ヴィンチ・コード』の中で、「最後の晩餐」を最初から最後までフレスコ画と書いています。つまり、ダン・ブラウンは、フレスコとテンペラの違いもわからないような、西欧美術に無知な人間であることを暴露しています。皆神氏も書いていますが、ダン・ブラウンは何冊かのネタ本をもとに『ダ・ヴィンチ・コード』を書いたのですが、それらのネタ本――それらがトンデモ本だったので、当然ダン・ブラウンの本もトンデモ本になるわけです――が「最後の晩餐」をフレスコ画と書いているので、その間違いをそのまま引き継いでしまったわけです。
【「最後の晩餐」の絵にマグダラのマリアが描かれている?】
これが真実でなければ、そもそも「ダ・ヴィンチの暗号」が成り立ちません。
「最後の晩餐」で中央のイエスの向かって左側にいる人物は、伝統的にはヨハネだとされていました。これがマグダラのマリアだというのが、『ダ・ヴィンチ・コード』の一番のミソです。
ちなみに、このアイデアはダン・ブラウンのオリジナルではなく、リン・ピクネットとクライブ・プリンスの『マグダラとヨハネのミステリー』(三交社)からのパクリだそうです。
たしかに、この人物は女性っぽい顔立ちをしています。しかし、本当に女性かどうかは、わかりません。
女性っぽいといえば、イエスの向かって右側3番目のピリポも少し女性っぽい感じがしますし、何よりも、中央のイエス自身が女性っぽい感じです。その印象はいずれも、3人に鬚がないところから生じています。
上記サイトによれば、「最後の晩餐」は未完成で、とくにイエスの顔には気品がありません。イエスとマリアが夫婦というのであれば、少なくともこの両者を仕上げなければならないはずですが、ダ・ヴィンチはイエスさえ完成させていないのです。
あと、構図にマリアのMが描き込まれているというのは、こじつけとしか言いようがありません。
皆神氏は
「別にMの字を隠して描きたかったからではなく、聖書にあるとおりに描いたら、自然に体が傾いて、「M」っぽい空間ができたということに過ぎなかったのである」
と述べています。
『ダ・ヴィンチ・コード』については、すでにいくつかの批判がなされています。日本では『新潮45』2005年4月号に竹下節子氏が「世界的ベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』の嘘」という論評を書いています。最近は、皆神龍太郎氏の『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』(文芸社)がさらに詳しい批判を行なっています。ここでは主として皆神氏の批判を紹介します。
「最後の晩餐」については、以下にコンピュータ・グラフィックスによる復元と、詳しい解説があります。ぜひご覧下さい。
http://www.pcs.ne.jp/~yu/ticket/supper/supper.html
このサイトの説明にもありますように、「最後の晩餐」はフレスコ画ではなく、テンペラ画なのです。そのため、かなり損傷が激しかったのです。
ところが、ダン・ブラウンは、『ダ・ヴィンチ・コード』の中で、「最後の晩餐」を最初から最後までフレスコ画と書いています。つまり、ダン・ブラウンは、フレスコとテンペラの違いもわからないような、西欧美術に無知な人間であることを暴露しています。皆神氏も書いていますが、ダン・ブラウンは何冊かのネタ本をもとに『ダ・ヴィンチ・コード』を書いたのですが、それらのネタ本――それらがトンデモ本だったので、当然ダン・ブラウンの本もトンデモ本になるわけです――が「最後の晩餐」をフレスコ画と書いているので、その間違いをそのまま引き継いでしまったわけです。
【「最後の晩餐」の絵にマグダラのマリアが描かれている?】
これが真実でなければ、そもそも「ダ・ヴィンチの暗号」が成り立ちません。
「最後の晩餐」で中央のイエスの向かって左側にいる人物は、伝統的にはヨハネだとされていました。これがマグダラのマリアだというのが、『ダ・ヴィンチ・コード』の一番のミソです。
ちなみに、このアイデアはダン・ブラウンのオリジナルではなく、リン・ピクネットとクライブ・プリンスの『マグダラとヨハネのミステリー』(三交社)からのパクリだそうです。
たしかに、この人物は女性っぽい顔立ちをしています。しかし、本当に女性かどうかは、わかりません。
女性っぽいといえば、イエスの向かって右側3番目のピリポも少し女性っぽい感じがしますし、何よりも、中央のイエス自身が女性っぽい感じです。その印象はいずれも、3人に鬚がないところから生じています。
上記サイトによれば、「最後の晩餐」は未完成で、とくにイエスの顔には気品がありません。イエスとマリアが夫婦というのであれば、少なくともこの両者を仕上げなければならないはずですが、ダ・ヴィンチはイエスさえ完成させていないのです。
あと、構図にマリアのMが描き込まれているというのは、こじつけとしか言いようがありません。
皆神氏は
「別にMの字を隠して描きたかったからではなく、聖書にあるとおりに描いたら、自然に体が傾いて、「M」っぽい空間ができたということに過ぎなかったのである」
と述べています。