平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

第2回「世界平和交響曲」

2006年05月16日 | Weblog
5月14日に白光真宏会の富士聖地で第2回目の「世界平和交響曲」(Symphony of Peace Prayers)が開かれました。

これは、各宗教の代表者が集まり、その宗教の平和の祈りを祈り、参加者も同時に祈る、という行事です。

現在では色々な宗教が集い、ともに世界平和のために祈りを捧げることは珍しくなくなりました。しかし、他の宗教の祈りは難しく、結局、代表だけが祈り、あとの参加者はただ傍観している、というのが実際のところです。しかし、「世界平和交響曲」では、参加者全員がテキストを持ち、ともに祈るというのがすごいところです。

今年は、天台宗、カトリック・イエズス会、聖公会(アングリカン・チャーチ)、イスラーム、ユダヤ教、神道(浅間神社)が参加しました。

天台宗の山家学生式(さんげがくしょうしき)の祈りは、「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり」「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という伝教大師・最澄の有名な言葉を含んでいました。

イスラームの方の音声(おんじょう)は朗々として見事なものでした。

ユダヤ教のラビの方の歌は素晴らしかったですね。

今回は参加しませんでしたが、「ブラーマ・クマリス」のダディ・ジャンキー師のメッセージがかなり長く朗読されました。ダディ・ジャンキー師は来年2007年は参加する予定だと聞いています。

私はメッセージ代読の女性とたまたまお会いしたのですが、富士聖地を「Good vibration!」と言っていました。

昨年、ヒンズー教の代表の女性と会ったとき、うっかり握手の手を差しだし、相手の方がそれに応じなかったので、「そうだ、インドでは男女が握手するという習慣はないのだ」と思い出しました。今回は、昨年のことが記憶にあったので、最初から合掌して挨拶しました。

プログラムも昨年よりもよかったと思います。ただし、いかんせん、朝霧高原の名にふさわしい霧の中で行なわれたので、国旗などがよく見えませんでした。霧がなければ、非常に美しいセレモニーであったと思います。私は、オープニングの地球図入場を担当したのですが、私の家内は、そこに私がいたことさえ見えなかったということです。

来年は、ぜひ好天にも恵まれてほしいものです。


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