婦人は、なおも語り続けた。
「季節は冬でして、スーツケースを一つもったまま逃げ出さなければなりませんでした。汽車は避難民で溢れ、貨車も家畜運搬車もトロッコまで人であふれ。
乗ることはできましたが、途中からは負傷兵や救護隊の方が乗り入れてきますと、ひとまず降ろされ、やっと乗り込むことが許されても、屋根の上にも数多くいる有様。思い出すのも心が重くなるばかりと云うや、婦人の表情はまた、曇ってくる。
娘はそれから赤ん坊を手渡してよこしますと、何を思ったか列車からとびおりスーツケースを取りに線路上に降りた瞬間、列車は動き出し、ばかりか何ということでしょう。逆の方向から列車が走ってきまして轢かれていたのでした。
残された孫と私はどうすることもできず、途方に暮れ進んでいくばかり、やがてベルリンについたのですがバラックの避難所もロシア軍に占領され。それでも、食料は罐詰だのジャガイモだの、なんとかあり、と申しても、すぐに貯蔵されたムロが底をつき、足を引きずり移動していったのです。
ここまで云うと、大粒の涙を拭い云うのだった。:
なんという不幸、なんという不幸なことでしょう・・
叫びは真に迫って響き渡った。傍らにいた太った看護師はすると、彼女をサナトリウムへ連れていき、残された私は待ち合わせているチック症の男性が来る間、心がずっしりと重かったのでした。
このことがあって気も休まると、そこに一か月も滞在していた。部屋が空いていて、天候もよく静かな雰囲気も、気持ちよく過ごせたからで、あの太った看護師もよくみると根は親切で、親しく交わりを続けることができたのでした。
E. Langgasser: Gluck haben. Der Torso .
Gesammelte Werke Claassen Verlag. 1964. S. 360ff...
ランゲッサーはカトリック閨秀、戦後ドイツ作家。
「或る精神異常な婦人の告白」 より
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