滋賀県に入り琵琶湖の東を下り県境を越えていよいよ岐阜県に入る。ここから関ヶ原に立ち寄り400年前をイメージしたくても、現代ではそれも叶わず、家康と三成の陣跡に立つに止めた。そのまま歩き続け15時大垣に入り、16時半『奥の細道むすびの地』である住吉灯台船町港跡に到着。画像は水門川に立つ芭蕉像そして奥の細道を締めくくりの句を残した。
蛤の ふたみに別 行秋そ
はまぐりの ふたみにわかれ ゆくあきそ
画像は滋賀県との県境の手前にある『民芸茶屋孫兵衞』、ここには現存する奥の細道原本(国の重要文化財)が収蔵されている。もちろん実物は見れなかったがレプリカが展示されていた。母屋の前に次の芭蕉句碑がある。
松風の 落葉か水の 音涼し
まつかぜの おちばかみずの おとすずし
さあ、いよいよ最終回。前回スタート地点の敦賀に戻りました。ここから最終目的地の大垣まで4日の旅、まずは敦賀市内を巡ります。7月未だ半ばとはいえこの日の敦賀の最高気温は35℃、明日以降のことを考え、ここはレンタカーを借りて移動することとし、氣比神宮、金崎宮、金ヶ崎城跡、色ヶ浜、西福寺を巡った。画像はその中の色ヶ浜で、ここの本隆寺には次の芭蕉句碑がある。そしてこれまで旅を楽しませてくれた日本海の素晴らしい海と浜の眺めもここが見納めとなった。
衣着て 小貝拾わん いろの月
ころもきて こがいひろわん いろのつき
今回は高岡から敦賀まで297㎞そして出発点の深川採茶庵からは2,009.1㎞と全コースの95.4%を踏破しました。ここまで総日数79日、ゴールの大垣までは残り96.6㎞、4日の行程です。先が見えてきました。完歩も目の前です。今回の区間は源平古戦場の倶梨伽羅峠、曹洞宗総本山の永平寺、北陸の歴史街道と京を繋ぐ木の芽峠等々長い歴史を彷彿とさせる旅でした。
いよいよゴールに近づいてきました。今回は福井県を南下し木の芽峠を経て敦賀を目指す。画像は芭蕉が訪れた汐越の松で枯れた一部が、現在はゴルフ場の中に残されている。
夜もすがら 嵐に波をはこばせて
月をたれたる 汐越の松
汐越の松は西行の歌に詠まれた歌枕。
画像は小松市の多太神社に奉納されている国指定重要文化財の斎藤実盛が着用していた兜の像です。倶梨伽羅峠の合戦で敗れた平家は、加賀の篠原で再び陣を取り戦ったが、木曽義仲軍の前に総崩れとなり斎藤実盛も奮戦空しく討死した。義仲は幼少のころ命を救ってくれた実盛の首に落涙し、供養のために実盛の兜を多太神社に奉納したという。ここには次の芭蕉句碑があります。
むざんやな 兜の下の きりぎりす
むざんやな かぶとのしたの きりぎりす
※倶梨伽羅峠を含め、詳しくは拙著「芭蕉と辿る平成奥の細道」を参照ください。