若葉マークのお遍路さん

旅行けば♪ 遍路道は汗の道。お大師様に会えるかな!

最終日

2012年07月31日 10時23分31秒 | Weblog

 7時27分宿出発。7時46分多太神社を訪れる。ここには国指定重要文化財の斎藤実盛の兜が奉納されている。倶利伽羅峠の合戦で敗れ、加賀の篠原で再び陣を取り戦ったが、木曾義仲軍の前に総崩れとなった。そんな中、実盛は老体であったが踏みとどまって奮戦し討ち死にした。その後、義仲がその首を池で洗わせると、墨で塗った黒い髪がみるみる白くなり、幼い頃に命を救ってくれた実盛の首だとわかった。義仲は人目もはばからず涙したという。実盛は出陣前からここを最期の地と覚悟を決めており、73歳の老いを侮られないようにと白髪を黒く染めて出陣した。後に、義仲が戦勝祈願のお礼と実盛の供養のために、多太神社に兜を奉納した。 元禄2年(1689年)、松尾芭蕉が「奥の細道」の途中にこの地を訪れ、兜を見た芭蕉は実盛を偲び「むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす」と句を詠んだ。境内には句碑が建っている。以上、小松市観光協会HPに紹介されている。9時57分加賀市に入る。動橋(いぶりはし)、作見町を経て11時49分加賀温泉駅に到着。今日の距離は17.32km。画像は多太神社の実盛兜像。次回は敦賀まで7日間166㎞の旅。


4日目

2012年07月31日 10時20分34秒 | Weblog

 7時28分宿を出発。初めて晴でのスタートなった。橋場バス停からバス移動。昨日の打ち止め地点に立ち出発。途中、白山を眺めがら歩きそして手取川を渡る。小松市内に入り、京町北で今も現役で残る町屋を見学。16時55分小松駅前到着。今日の距離は29.26km。画像は町屋。創業約360年の茶舗:長保屋とその左手に本村邸。氷で首を冷やして歩き、ペットボトルの水を4本消費。猛暑というよりも炎暑だった。


3日目

2012年07月31日 10時12分35秒 | Weblog

 7時21分出発。一旦浅野川を渡り今夜の宿に寄りリュックを預け、身軽になってから出発。まず近江町市場に向かい、ここの近江町市場海鮮丼魚鮨で朝食にミニ海鮮丼をとる。ここから尾山神社前、犀川大橋、横川南、押野町南、横宮、野々市、若松を経て野々一小学校前に。本日ここまで。10時43分野々市文化会館前でバスに乗車し市内に戻る。ここからは今日の主目的の市内見学に入り、香林坊、21世紀美術館、金沢城公園、兼六園を見学して回る。兼六園には芭蕉が源意庵で作った「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風の句碑がある。金沢を堪能した後、浅野川大橋を渡り東山重要伝統的建造物群保存地区に選定されたひがし茶屋街を通って今日の宿に到着。今日の距離は20.28㎞。画像は兼六園。


2日目 

2012年07月31日 10時06分20秒 | Weblog

 宿を7時半に出発、高岡発7時41分の電車で昨日打ち止めした石動に移動し、同57分歩き始める。昨日と同じ北陸道を進み 8時13分脇道から埴生に入る。ここには木曽義仲が軍勢を進めたとする碑が立っていた。8時49分ふるさと歩道長坂登り口より、いよいよ829年前の歴史の舞台に足を踏み入れる。峠茶屋跡を経て、 9時30分寿永2年(1183年)5月11日夜半平家軍10万が滞陣している地に義仲軍は400から500頭の火牛を先頭に4万余騎で一斉に攻撃しこれを殲滅したといわれるその地に立つ。次いで9時47分猿ガ馬場の平家の本陣跡に立ち寄る。その横には実物大の火牛像が2体前方を睨みつけて並んでいた。10時17分倶梨伽羅不動寺に到着。この後峠を下り、14時26分金沢市に入る。更に利屋町から森本、法光寺町を経て浅野川を渡り橋場町に入り、17時30分今日の宿に到着。今日の距離は峠越えの30.19㎞。画像は平家の陣に向かって突進していく火牛の実物大像。


奥の細道歩き回顧編 初日

2012年07月31日 09時59分55秒 | Weblog

   今回は富山県高岡市から石川県加賀市までの5日間。梅雨後半での実施となり、雨の影響を最も心配しての出発となった。結果的にはそんな懸念はさらさらなく、最終日には関東まで梅雨明け宣言が出された。むしろ前段2日は蒸し風呂そして1日置いての後段2日は猛暑というより炎暑のイメージでの歩きとなった。初日は小雨の中北陸道を辿りながら立野八軒町、荒屋敷を経て16時54分今日の目的地JR石動(いするぎ)駅に到着。途中小矢部川を渡る手前で土地のご婦人と立ち話になり別れ際に飴玉のご接待を受けた。ここからはJRで高岡に戻り17時47分宿に到着。初日の距離は20.11㎞。画像はJR石動駅。