若葉マークのお遍路さん

旅行けば♪ 遍路道は汗の道。お大師様に会えるかな!

奥の細道ルート振り返り④

2015年02月23日 16時00分44秒 | Weblog

  前回は日本海ルートを秋田県の象潟から新潟駅まで248㎞を南下した。そして今回は新潟駅から引き続き南下し、親不知の難所を越えて富山県に入り、高岡駅まで12日間かけて327㎞歩きました。ここまでで総行程67日間1,712㎞となり、全行程の81%に届きました。

 ※ブログのMAPはクリックすれば大きくして見れます。そうすればストーリとMAPが連動してイメージできると思います。ただ自費出版書の『芭蕉と辿る 平成奥の細道』は各話ごとの行程表とMAPを対比させて編集してありますので、より見やすいと思います。


第11話② 能生~高岡

2015年02月23日 15時57分40秒 | Weblog

  親不知を越えると長かった新潟県から富山県に入る。富山県の魚津は蜃気楼が見られることで知られており、たまたまこちらの歩きとタイミングが重なった。ただ残念ながらこちらは内陸部と離れており見ることは叶わなかった。画像は工事中の富山新港新湊大橋。画像の右奥に見える帆船はここを係留地としている引退後の初代海王丸です。


第11話① 能生~高岡

2015年02月23日 15時55分20秒 | Weblog

  前回の1ヶ月後4月24日 能生駅を出発。まずヒスイ海岸を経て(富山県側にもあります)、現代でも難所の親不知子知らずを越える。交通量の多い崖っぷちの自動車道脇を約13㎞歩いて越えるのは結構疲れました。画像はその親不知を新潟県側から遠望したものです。

 親不知を越えた市振の関所跡には次の芭蕉の句がある。

一つ家に 遊女も寝たり 萩と月

ひとつやに ゆうじょもねたり はぎのつき


第10話① 新潟~能生

2015年02月23日 15時28分03秒 | Weblog

  3月も末に近い24日新潟駅前を出発。二日目岩室温泉弥彦神社を経て西生寺に向かう。画像は西生寺、わが国最古の即身仏霊場といわれ、弘智法印即身仏が安置されている。このまま南下し三日目良寛(1758年11月2日~1831年2月18日)坐像に立ち寄る。辞世の句「散る桜 残る桜も 散る桜」が有名です。

弥彦村の宝光院にはよく知られている次の芭蕉句碑があった。

荒波や 佐渡によこたふ 天川

あらうみや さどによことう あまのがわ


奥の細道ルート振り返り③

2015年02月13日 17時06分59秒 | Weblog

  奥の細道もいよいよ日本海ルートに出ました。酒田を起点に北へ上り秋田県の象潟に至り、一転して酒田に戻って、日本海側を下る長い旅の始まりです。今回は象潟から新潟まで11日間248㎞の歩き旅です。そして東京深川の採茶庵を出発してここまで総距離1,385㎞、歩いた日数は55日となり、全行程2,100㎞(実距離)の3分の2を歩いたことになります。

※この全記録は紀行文、画像、行程表、MAP他で構成され、163頁の自費出版書にまとめられています。


第9話① あつみ温泉~新潟

2015年02月13日 16時58分28秒 | Weblog

 あつみ温泉から県境を越えていよいよ新潟県に入ります。2日目は日本海側の景勝地である笹川流れに立ち寄り、海からの景色を堪能。3日目いよいよ出羽街道を越えて新潟を目指します。画像は出羽街道の登り口です。この峠道は今は大変よく整備されていますが、山道表示は今ひとつの部分があり、下りの大沢峠出口で迷いかける場面に遭遇した。こんなときに役に立つのが方位磁石です。


第8話② 鶴岡~象潟~あつみ温泉

2015年02月13日 16時45分40秒 | Weblog

  三日目の午後象潟に到着。北緯39.22度、奥の細道最北の地です。画像は目的地の蚶満寺から眺めた象潟の景色です。芭蕉が訪ねた頃は99の島々が浮かぶ潟で、芭蕉も船を浮かべて遊んだという。芭蕉はここで次の句を残している。

象潟や 雨に西施が ねぶの花 

きさがたや あめにせいしが ねぶのはな 

  西施は中国の古事に出てくる傾城(けいせい)のこと(芭蕉は中国の思想家荘子にはまっていたようです)。象潟から酒田に戻り、あつみ温泉に向かう。


第8話① 鶴岡~象潟~あつみ温泉

2015年02月13日 16時40分52秒 | Weblog

  画像は明治26年に建てられた酒田米穀取引所の付属倉庫で貯蔵能力13,400俵あり現在も農業倉庫として使われている山居倉庫に立ち寄る。ここから一気に北上し、秋田県の象潟を目指す。途中吹浦に泊まり、引き続き国道7号線を北上する。秋田県に入ると右手に鳥海山が大きく迫ってくる。秋田と山形の県境にあり、またの名を「出羽富士」と呼ばれる東北第2の高山です。