若葉マークのお遍路さん

旅行けば♪ 遍路道は汗の道。お大師様に会えるかな!

5月1日その3

2012年05月14日 22時18分25秒 | Weblog

  13時34分、時間に余裕があるため高岡古城公園に立ち寄ることにした。高岡古城公園は、加賀藩二代目藩主、前田利長が築いた高岡城の城址を公園として開放したもので、総面積21万㎡の約1/3が水濠という野趣あふれる公園。「日本さくら名所100選」にも選ばれたお花見の名所で、見頃には約2,700本の桜で園全体が覆われるとのこと。様変わりに好天に恵まれた5日間130㎞の歩き旅が終わった。

次回第10回は高岡~加賀温泉まで5日間の歩き旅。


5月1日その2

2012年05月14日 22時16分16秒 | Weblog

  この渡し船は富山県営渡船(とやまけんえいとせん)といい、富山県射水市の伏木富山港新湊地区(富山新港)を渡る県営の渡し船。富山新港内の航路は、越の潟~堀岡間770m、所要時間約5分で料金無料。通称「越ノ潟フェリー」と呼ばれているが、自家用車は乗船できない。


最終日 5月1日その1

2012年05月14日 22時13分21秒 | Weblog

  7時15分出発。快晴、微風。つばめ野の新興住宅地を通って海岸へ。8時15分浜通りで小休止。引き続き西に向かう。そのうち前方彼方に塔らしきものが見えてくる。近づくにつれ現在建設中の新湊大橋の主塔と分かった。正しくは富山新港・新湊大橋ということで、この新湊大橋は富山新港の港口部をまたぐ、全長600mの日本海側最大級の斜張橋。東西主塔の高さは127m、海面から橋桁までの高さは47mあり、大型船も支障なく航行することができるとのこと。この新港には現在渡し船が運行されている。


4月30日

2012年05月14日 22時03分03秒 | Weblog

  「ほたるいかミュージアム」に立ち寄るが館内には入らず小休止した後出発。蜃気楼に出会えぬまま、引き続きR1を通り10時11分荒町に入る。13時59分富山ライトレールの岩瀬浜駅に到着。富山ライトレールは2車体連節低床式路面電車でドイツの車両製造メーカー・アドトランツ、外装は立山の新雪をイメージした白を基調とし、フロントウインドシードの下縁部と乗降口の周囲には、虹にちなんだ7色の異なるアクセントカラーが編成ごとに施されているとのこと。今までの路面電車のイメージを覆す斬新なデザインでした。

 


4月29日

2012年05月14日 21時59分36秒 | Weblog

  7時20分出発。入善町でR117に入り、11時31分黒部川の土手に至る。ここには奥の細道記念碑と芭蕉の銅像が立っていた。記念碑には奥の細道に記された入善町通過に関する1節が復刻されていた。11時56分黒部川を渡って黒部市に入る。


4月28日その3

2012年05月14日 21時43分39秒 | Weblog

  15時6分境川を渡りやっと富山県に入った。そのまま西進し16時11分今日の宿、「民宿岬」に到着。ここは富山県側のヒスイ海岸(東西約4kmの砂利浜)。宮崎の浜山玉つくり遺跡は古墳時代のもので、ここからはヒスイの工房跡が二錬とヒスイの勾玉(まがたま)など、多数の未完成品が発見されている。この発見により、日本でもはじめて古墳時代のヒスイ勾玉の制作方法が明らかにされると同時に、それまで中国から輸入していたと考えられていたヒスイは国内で生産・加工していたことが証明された歴史的発見となった。以上朝日町観光協会ホームページより。


4月28日その1

2012年05月14日 21時37分32秒 | Weblog

  10時16分まずは子不知に入る。11時11分親不知駅に到着。親不知ピアパークで昼食をとる。再び歩き出し、12時21分親不知に入る。13時19分天険トンネル手前で右に外れ、親不知観光ホテル前で小休止。展望台でこれまで通ってきたルートを外から眺める。13時32分トンネルの三段滝出口横に抜ける。親不知子不知の地名の由来にはいくつかあるが、親不知ジオサイトでは次のように紹介している。

1.北陸道最大の難所で、断崖絶壁と荒波が旅人の行く手を阻み、波打ち際を駆け抜ける際に親は子を忘れ、子は親を顧みる暇がなかっ  ことから親知らず・子知らずと呼ばれるようになった。

2.平清盛の弟、頼盛の夫人が夫の後を慕って親不知を通りかかった折、2才の愛児をふところから取り落とし、波にさらわれてしまった際に悲しみのあまり詠んだ「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく」という歌が由来になった。

の2説あると伝えられている。