若葉マークのお遍路さん

旅行けば♪ 遍路道は汗の道。お大師様に会えるかな!

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2010年11月22日 17時38分53秒 | Weblog
いよいよ最終日。この日は塩釜漁港を経て松島を巡り、最終目的地瑞巌寺に至る15.9㎞。瑞巌寺は国宝の本堂ほか7棟建造物保存修理事業が行われており、何かと制約が多く不便な面があったがこれも止む無し。この後、松島15:34発の電車に乗り家路に着いた。ところで仙台といえば牛タン、塩竈はちょうどカキの漁期に入ったばかりで殻つきの生ガキを堪能した。さすが塩竈、他にもメタカレイにドンコにサンマもとにかく新鮮な魚が旨かった。歩き旅にはこんな楽しみがある。
これで本年打ち止め。5回に分けて合計782㎞歩いた。それでも総行程の1/3弱、まだまだ道は長い。

5日目

2010年11月22日 17時16分19秒 | Weblog
5日目は仙台から東光寺・多賀城碑・宝国寺を経て塩竈神社に至る29.7㎞。製塩事業が始まった地と伝えられ、塩竈の地名ともなったといわれる塩竈神社に寄る。画像は塩竈神社の文治の灯篭で、藤原秀衝の三男で義経を守って討ち死にした和泉三郎が寄進したもの。

4日目

2010年11月22日 16時57分14秒 | Weblog
4日目は船岡から岩沼を経て仙台に至る32.5㎞、前日の白石から北東に進み次いで岩沼より北上して仙台を目指す。岩沼では日本三大稲荷のひとつである竹駒神社に寄り、次いでここから近い、画像の武隈の松を訪ねる。幹が根の生え際から二つに分かれており、今の松は7代目といわれる。芭蕉はここで「桜より松は二木を三月越し」と詠んでいる。

3日目

2010年11月22日 16時19分13秒 | Weblog
3日目は越河から船岡までの29.3km、途中田村神社と白石城に立ち寄る。画像の田村神社には佐藤継信・忠信の妻が、息子の討死を嘆き悲しむ老母を慰めるために甲冑をつけて二人が帰ってきた様子を見せたという像が甲冑堂に納められているという。子に代わり親に尽くした孝心を今に伝えているとのこと。残念ながら外からではよく確認できなかったが。

2日目

2010年11月22日 15時52分52秒 | Weblog
2日目は飯坂温泉から大鳥城を経て医王寺に寄り、ここから東に転じ途中でR4に沿って北上、国見峠を越えて宮城県に入り越河に至る29.8km。大鳥城跡は佐藤元治の居城そして画像の医王寺は佐藤家の菩提寺。ここには佐藤元治の息子で義経に従い平家討伐に参戦し、義経の身代わりとなって討ち死にした継信・忠信兄弟の墓がある。ここまで来ると芭蕉というよりも義経に係る遺跡がとたんに増え、東北に入ったのだという実感が高まってくる。

「奥の細道歩き旅」第5回宮城編

2010年11月22日 14時26分54秒 | Weblog
芭蕉の足跡を訪ねて「奥の細道歩き旅」も第5回を迎えた。今回は福島市から宮城県松島まで6日間(実質5日)159kmを歩いた。初日は福島駅から北東に向かい、信夫文知摺石を経てここから西に向かい飯坂温泉までの21.9km半日強の旅。画像は今回最初の目的地信夫文知摺石のある文知摺観音。9世紀半ば陸奥国按察使源融が「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに、みだれそめにし我ならぬくに」と都から土地の娘に寄せた歌が残り、正岡子規をはじめ多くの文人も訪れているとのこと。芭蕉もここで「早苗とる手もとや昔しのぶ摺り」と詠んでいる。

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2010年11月05日 20時36分39秒 | Weblog
台風が去り、前線が抜け穏やかさを取り戻し、朝陽にきらめく静かな波間の逆光の中に浮かぶ船は一幅の静止画の世界。陽炎が燃える皐月の海とは一味違った秋深しの味わい、そんな感じといったところでしょうか。