若葉マークのお遍路さん

旅行けば♪ 遍路道は汗の道。お大師様に会えるかな!

3月30日

2012年04月25日 21時58分38秒 | Weblog

14時24分今回の打ち止め能生駅に到着。今回は、3月も末だというのに日本海側は荒れた天気が続き、特に前半3日間と5日目の午前は雲の流れが速く強風、雨、雹(あられでなく)が歩きにくくさせた。5日目の午後からは天気も回復に向かうが、風は冷たいままだった。この冬は寒気が強く各地とも内陸部はかってない豪雪に見舞われ、沿岸部は寒さひとしおのようだった。民宿、旅館での泊まりでは電気毛布あるいは重ね布団そして靴下をはいて就寝した。そんなこんなで、7日間195キロ、1日平均28キロの歩き旅が終わった。


3月29日

2012年04月25日 21時55分58秒 | Weblog

15時19分親鸞が滞在し芭蕉が訪れた五智国分寺に到着。流罪となった親鸞が住んでいた竹之内草庵が寺内にある。ここには芭蕉句碑「薬欄にいづれの花をくさ枕」(元禄2年(1689)7月8日(旧暦)、高田の医師細川春庵を訪れた時の作句)がある。「薬園の草が秋で美しいが、どれを枕としてここに旅寝しょうかと、主人への挨拶をこめて詠んだもの。」と解されている。中越は良寛が生まれ、上越は親鸞が流されてきたところ。芭蕉もこの地では影が薄く銅像は見かけなかった。


3月27日

2012年04月25日 21時31分48秒 | Weblog

8時、観音崎の長い椎谷岬トンネルを抜けると前方に青空の下、雪を頂いた標高993mの米山とその左に東電柏崎刈羽原発の排気塔が見えた。東京電力は前日の26日未明、目の前の柏崎刈羽原発6号機(135万6千キロワット)の発電を停止、定期検査に入った。原子炉も完全に止め、これで東電は保有する17原発全ての運転を停止した。その翌日に刈羽村に入り、原発の横を通過することになった。村は道路が立派になり、新しい住宅が増え、村のイメージとはかけ離れた姿がそこにはあった。膨大な原発がらみの収入が村を様変わりさせ、村の財政を肥大化していく。これを維持していくために、まるで麻薬のように増設を受け入れていく。いずれの原発立地自治体も同じ環境なのでしょう。村の古老に聞いてみた。曰く「若い人は出ていく、残るのは老人だけ、空き家が増えていく。新しい住宅が多いのは外からの移住者・・・。」これをどう考えるか、今更後には引けなくなった自治体の首長の苦悩が感じられる。


3月26日

2012年04月25日 21時28分35秒 | Weblog

10時51分出雲崎町に入る。12時07分おけさ源流の地石碑前を通過、12時13分良寛坐像に立ち寄る。良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕~ 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。辞世の句「散る桜 残る桜も 散る桜」。


3月25日

2012年04月25日 21時24分33秒 | Weblog

途中でかなり強い雹に降られながらわが国最古の即身仏霊場といわれている西生寺に向かう。15時到着。ここには弘智法印即身仏が当寺の弘智堂に安置されており、今から650年前の1363年(貞治2年)10月2日、座禅を組んだまま入定されたとのこと。昭和34年の学術調査で身長約170センチ、病歴なし、死亡年齢60歳前後、死亡年代鎌倉時代、血液型はAB型だったそうです。


3月24日その2

2012年04月25日 21時22分07秒 | Weblog

11時半新潟駅を出発。7日間の歩き旅がスタート。まずは萬代橋を渡り市内の中心部を抜け、12時08分白山神社に到着。 昼過ぎから空模様が怪しくなり小雨が降り出す。R402からR116に入り砂地の畑作地帯を歩く。16時風強くなり雨も降りだす。R2に入りしばらく行くと雹が降りだしてきた。すぐに止んだが大粒だった。初日からこれでは先が思いやられる。そんな1日だった。