若葉マークのお遍路さん

旅行けば♪ 遍路道は汗の道。お大師様に会えるかな!

最終日2

2012年10月27日 14時08分17秒 | Weblog

 帰りは山形経由とした。12時59分発で山寺を出発。山形では時間を取って霞城公園の山形市郷土館(国指定重要文化財の旧済生館本館)を見学した。ここに展示してあるものは、地元に止まらず全国の子供たちに実際に目に触れさせたいものばかり。すくなくとも歴史教科書に取り上げ、先人たちの素晴らしさを教え、日本人としての誇りと自信を植え付けさせたい。そんな気がした。それにしても山形市はいい街ですね。是非住んでみたくなる街です。山形を14時11分発の新幹線「つばさ」に乗車して帰路についた。


最終日1

2012年10月27日 14時05分10秒 | Weblog

 10時49分山寺 (立石寺)に到着。この日は地元山寺中学の生徒たちが課外授業でボランティアガイドをしていた。山寺は2度目だがさっそくお願いし寺内を案内してもらった。一人ひとりが一生懸命に話してくれた。最後にもちろん褒めてやりました。

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声   芭蕉


四日目

2012年10月27日 14時00分58秒 | Weblog

 8時14分尾花沢待合所出発。ここからは山寺に向かいひたすら羽州街道を南下する。一昨年の8月暑い最中に出羽三山を目指して歩いた道を今度は山寺まで逆行することになる。10時29分ドライブイン尾上の松で小休止。ここで懐かしい一本松「尾上のマツ」に再会。次いで11時26分愛宕神社に立ち寄る。ここも前回立ち寄ったところ。県指定天然記念物の「ケヤキ」があり、ご神木は幹回り3.1m、樹高20m、樹齢推定220年といわれている。今日の泊まりは昨晩と同じ東根。


三日目

2012年10月27日 13時56分46秒 | Weblog

 未明に雨が降っていたが、朝には止む。7時半に出発。今日の目的地尾花沢に向かう。8時14分山刀伐(なたぎり)峠(とうげ)入口「おくのほそ道芭蕉の道」に到着。芭蕉が歩いた頃ほどではないが、旧道を横切りながら蛇行して登る往時の山道は現代人にはそれなりにきつい峠道だった。9時40分尾花沢側出口到着。芭蕉と曾良の二人は同日昼過ぎに尾花沢に住む友人、鈴木清風宅に到着。ここでは新築されたばかりの養泉寺に宿泊。芭蕉と曾良は大いにくつろぎ、10日間にわたって滞在し、近在の俳人たちと交遊するなどして過ごした。この間に清風、素英を交えて五吟歌仙ほか、四吟歌仙が詠まれている。今日の泊まりは東根。

涼しさを我が宿にしてねまる也     芭蕉


二日目

2012年10月27日 13時50分40秒 | Weblog

 7時33分宿を出発。途中鳴子峡に立ち寄り、13時10分「封人(ほうじん)の家」に到着。鳴子峡は遊歩道が工事中で残念ながら展望台からの観照となった。封人の家では軒先を借りて昼食。コンビニで買ったパンとジュースに管理人さんから思いがけない美味しいコーヒーの差し入れを受けて遅い昼食を済ませ、屋敷内を見学する。ここは仙台領と境を接する新庄領堺田村の庄屋有路家(ありじけ)の住宅で昭和44年国の重要文化財に指定されている。芭蕉と曾良はここに2晩滞在し芭蕉は次の句を残している。

蚤虱 馬の尿する 枕もと       芭蕉

 

ここでは管理人の中鉢さんに囲炉裏を囲みお茶の接待を受けながらいろいろと話を聞かせていただいた。今日の泊まりは赤倉温泉。


奥の細道歩き回顧編 岩出山~山寺 初日

2012年10月27日 13時41分30秒 | Weblog

 前回で福井県の敦賀まで到達した。最終目的地の岐阜県大垣はもう目の前。そこで今回は昨年の3.11と重なり歩くこと叶わず穴の開いたままになっていた宮城県松島から石巻を経て岩手県平泉、中尊寺そして宮城県岩出山経由山形県の山寺こと立石寺までを埋めることにした。行程の順序が逆になるが、今回は日程の都合から岩出山―山寺間を先に歩くこととし、10月5日、出発点の岩出山に着いた。11時32分駅前を出発。一旦北上し、羽後街道(R47)を西に向かい、15時04分美(み)豆(ず)の小島に到着。ここは古今和歌集、続古今和歌集に出てくる歌枕の名所でありそしてこの場所を特定したのが芭蕉に同行している曾良の日記が初めてのものといわれている。初日の泊まりは鳴子御殿湯。


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2012年10月15日 11時42分11秒 | Weblog

 画像は日の出直前の月です。大部分が雲に隠れていますが、日の出と共に山の向こうに沈んでいきます。日々のトレーニングはいつも早朝です。月が沈み陽が昇る、天気が良ければそんな交代劇を見ながらのウォーキングです。


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2012年10月15日 11時25分46秒 | Weblog

 回顧編最後は木の芽峠越え。この木の芽峠は福井県の嶺北(越前国)と嶺南(若狭国)を分ける分水嶺が木の芽山地。木の芽山地の峠を越えて行く北陸道の内、最も険しい敦賀新保(しんぽ)宿から今庄二ツ屋宿の間を「木の芽古道」と呼ぶ。天長7年(830)頃木の芽峠が開発され、明治まで主要官道であった。(それ以前は山中越えの鹿(か)蒜(ひる)道(みち)が使われていた。)往時、源義経主従、新田義貞、道元禅師、本願寺蓮如上人、松尾芭蕉、数知れない人々がこの峠を越えて行った。

草の葉に かどでせる身の 木部山 雲に路ある ここちこそあれ 道元禅師

(HP:木の芽古道より)


回顧編 永平寺

2012年10月15日 11時13分11秒 | Weblog

 永平寺は約750年前の寛元(かんげん)2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」出家参禅の道場。境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいる。末寺現在全国に1万5千とのことです。(HP:曹洞宗大本山永平寺より)

 


回顧編 那谷寺

2012年10月15日 10時39分11秒 | Weblog

 二日目11時03分那谷寺(なたでら)に到着。那谷寺は白山信仰の寺で、717年 越(こし)の大徳泰(たい)澄(ちょう)神(じん)融(ゆう)禅師によって開創。次いで986年西国三十三番札所を開いた花山法王が第1番札所那智山と第三十三番札所谷汲山の各一字をとって那谷寺と改めたとのこと。壮大なお寺で、芭蕉も訪れ句碑が残されている。

石山の 石より白し 秋の風             芭蕉