おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

政府と地方連合 3

2009年09月24日 03時41分27秒 | Weblog
次に地方連合に参加する条件について。
都道府県はその主体にならないと思う。なったとしても、それは県内市町村が団結している場合だろう。

また千代田区や横浜市などが参加しても話にならない。最低条件は市町村のレベルで食料・エネルギー自給率が百%を超えていることであり、これは自立を指す。百%超は、都市部で自給できていない地域を食わす資格があるため、さらに上のランクに位置付けられるだろう。

その自給自足自治体を作るためには、自然主義経済が有効に働く。

このように、土地に根ざした政権こそが各地に点在し、中央政府に取って代わろうとするが、それはあくまで土地に根ざした政権の連合体であって、霞ヶ関のルールに乗っ取った法を踏襲しないということである。

例えば年金問題がある。失われた五千万人の記録などと騒がれているが、今までやってきた年金という資本主義のルール、すなわち貯蓄しておいて利子を増やし、それが老後の生活を助けるという、不自然なルールが破綻するわけで、それは当たり前の話だ。民主党政権が何をしようとも年金は必ず破綻するのである。

これら年金問題を解決するため、厚生労働省、社会保険庁が情報を開示しないので、政権を奪い、官僚を支配下に治めることに躍起だが、そもそもその土台に乗っていることが、中心力を霞ヶ関に持って行かれている。

ゆえに我が党は、全く違うルールで年金制度に代替する、フローによる社会保障制度を作るのである。これを作るのには、いちいち厚生労働省の隠し持つ情報など不要である。


これは土地に根ざした政権こそが可能ならしめる。

貨幣の力を基盤においた政権は、実態を見ない上から発想である。


よって今後、都市部から多くの難民が農村部に流入するだろう。その発端は、近々迫る食糧輸入難からであろう。インド、中国が資本主義として発展し続け、石油が残り少なくなり高騰を始めると貨幣力が衰え、貧困層から暴動が起きる。現在の警察力は全国的に低下傾向にあり、政府の暴力装置は機能麻痺を起こすだろう。


この時点で永田町政府は単なるお飾りにすぎなくなり、何もできなくなる。上から発想、形式統治、架空の富たる貨幣による財政支配は完全に無力となる。

室町幕府の終わりと全く同じであり、これに外圧が加われば江戸幕府の終わりと全く同じになる。


そこでは地方連合が主体になり、危機管理に優れた政治家群によって切り抜けるしかない。今、政治家をやっている人間のほとんどは知識人上がりか経済人上がりであるため、これに対応できなくなるだろう。


危機管理に優れた政治家は武の政治家であり、有事において平常心を保つ腹が試される。この腹は幾度も有事を経験すれば鍛えられるものだが、そういう鍛錬について今の政治家はしてきていない。今まではそんな鍛錬は不必要だったからである。

今までは米英に留学し、金儲けが上手いこと、弁舌が立つことが政治家の条件であった。こういう素養は治世には必要だが、乱世ではその前例踏襲思想が邪魔になるだけだ。その時その時の直感力と無心こそが試されるわけで、ああだのこうだのという余計な知識は危機回避においては弊害になるばかりだ。

もっとも、乱世を終えれば再び治世となり、政策シンクタンクたる官僚機構を整備しなければならず、再び知識人が必要になるのだが、その土台は乱世時に武人政権が作るんであって、武人に協力した知識人は後になって成就するが、武人の下にあらず自力で事をなそうとする知識人や、経済人の手下となった知識人はことごとく消滅しているという歴史のサイクルがある。


よって平和党は、都市部に窓口を設け、農村部に開拓地を求め連携していきたい。当初は農村部の産物を自然通貨を通じて流す。しかしそれ自体はあくまでも、都市部からの流入を目的とし、主体は自治体の完全自治を作り上げるところにある。

政府と地方連合 2

2009年09月24日 03時40分46秒 | Weblog
しかしながら、武の時代を構築すると、侵略戦争をなす火種となりかねない。

戦争の発生は、貯めておける富にこそ原因がある。

狩猟時代は野蛮な時代と言われるが、人間同士では殺し合っていない。彼らの武力は食料確保に向けられていたために、そこにエネルギーが注がれている。

もう一つは、常に食料がフローの状態にあるため、貯蔵がない。得た食料はその日に消費してしまうため、盗むこともできないし、徴税もできない。したがって不労所得者かいないので、政府が存在しない。

村の長老が調停に治めることはあろうが、その長老は家族社会によって成り立ち、貯蓄されない年金制度が機能しているのである。

ところがこれが農耕社会になってくると貯蓄がきくため、土地の所有と支配が生まれる。貯蓄しておくと泥棒が生まれるので武力は動物の獲物から人間同士へと向けられる。

防衛のためには、先手必勝で相手の領土に踏み込み、次々に侵略戦争がなされ、ある程度治まると知識人や宗教家などが法で治める。

知識人時代は農業から工業という人智で効率を求めた結果、経済人時代の政権を作る。

経済人は自らのストックの富を守るために戦争を起こす。

つまりは現代経済の問題はストックがより利益になってしまうために戦争を引き起こす要因となっている。フローこそ利益をもたらすとすれば、生産物を生み出す地方は有利である。したがって我が党は、減価する通貨としての自然主義経済を提唱しているのである。

これにより戦争が完全消滅することはない。まだまだ宗教的要因や歴史上の怨恨などが残されてはいるが、領土問題や資源の問題、自治権の闘争などは一定規模は解決される。


そこでこのマイナス通貨を流していくわけだが、結党以来、誤解が多いのは、プラス利子については禁止する必要がないということである。我が党を吊し上げたい人間からすると、自然主義経済をまるでマルクス経済かのように仕立て上げるのが大好きなようであるが、マルクス経済のように市場経済を禁止するわけではない。

なにしろ自然主義経済というのは、究極の市場経済だからである。

プラス利子とマイナス通貨が並立した場合、先見性のない、直感力の弱い人はみな、プラス利子がマイナス通貨を滅ぼすと考える。悪貨は良貨を駆逐するということわざを出される。しかしマイナス通貨こそが悪貨である。今までの常識から考えればこれは悪貨以外の何者でもない。

そもそもお金とは何のためにあるのかという根本原理を考えれば自明なのだが、ほとんどの人は幼いときよりお金の常識に縛られすぎていて、考えたこともないのだ。

すでに前例を見る限り、マイナス通貨はプラス利子を駆逐している。しかし、ときの政治権力によってつぶされているのである。

地方連合の政治力によって、これらに対抗する幕府を作ることが大事になってくるのだ。

この際、プラス利子を否定してはならず、プラス利子を信じるものは東京か京都御所を中心に今まで通りやっていけばよい。

プラス利子は上から発想であり、マイナス通貨は内から発想である。

したがって、幕府と政府が両立していても国内的には何の問題もない。外交としては、他国がどちらを正当な政治権力と認めているかということに委ねれば良い。

別に朝廷内閣を今まで通り認めてもらっていても、実質権限を治めていれば何の支障もない。

政府と地方連合 1

2009年09月24日 03時39分58秒 | Weblog
武の政治は、必然的に重農主義になり、富の政治は必然的に重商主義になる。知の政治はその中間たる巧・匠・工という、たくみの政治になる。


現代は、金融が発展し、それを市場で競争させるか、政府が財政出動で治めるかという予算主義になっていることから、これは重商主義だ。

また、この時代は、上を入れ換えれば変革がなされると信じこんでしまう時代である。そして、上を変えてはみたものの、下には行き届かず失敗する時代である。上からやればなんでも物事が解決するのだという、これは現場知らずの知識人・経済人の特性である。


知識人は、世のバカどもに学問・教養・思想を教えてやれば世の中は良くなると思っている。軍事面では統合・陸海空の幕僚長に命令を下せば、末端まで彼ら文民なり文官の指令が行き渡ると思っている。

だがそれは行き渡らない。

彼らが考える指揮命令系統は机上だからである。ことごとく変革の時代は常に上からではなく、内から生じる。


経済人もまた、世の中は金で動くことを知っているため、札束で物事を運ぼうとする。これは今の時代、学問・教養よりも絶大な力を持つ。思想など、金の力でいくらでも変えられるし、金を多く稼ぐことが正義であるとされているから、教育なんてものは屁でもない。


金融が流通を支配し、流通が産業を支配し、産業が雇用を支配する。

このため守銭奴が本拠地を置くのは東京である。かつては京都であり、金融、流通の拠点となって、中央集権の支配を維持している。


このような拠点での武の自立した政治は成り立たない。貨幣経済に組み込まれ、守銭奴の忠実なしもべとして、国防は石油利権のための使い走りのためにインド洋での給油やイラクへの出兵、海賊退治など、武を商に売る形を取って生き延びるが世間からは評価されない身分に貶められる。国内治安を預かる警察官も同じで、実際に肉体労働をする警察官は下に扱われ、ペーパーテストで昇進して行った警察官のみが優遇される。そして彼らは空威張りをして、国民に弱いものイジメをして嫌われていく。これは、権力が長く続き、腐敗してしまい、権力にアグラをかき、そうこうしているうちに、市民の安全を守るよりは、権力を守ること自体に重きが置かれてしまうからである。当初は民を守る官としての護民官だったがそのうち官僚を守るための官僚、護官官と化す。したがって、そのうちに、市民の中から市民を守る護民民が登場してくる。平和党国民公安委員会の活動はこれを想定してある。

つまり護官官は、守銭奴のしもべであるから、武人と言っても武官であるため、貨幣経済に左右されてしまう。彼らが守っているのは流通の基盤である完成された都市部である。

これに代わって武民は、地元に居住し、生活環境を底辺庶民と同じくする人々である。それ以前は、上からの態度で天皇や貴族が支配していた。この場合の貴族とは各時代の幕府の武家も含む。武家は長期政権の末期に公家化・官僚化が進むためもはや武人とは言えなくなるからだ。


こうした中央に集う支配者に対して、地方に散らばる武民たちは、開墾の先頭に立ち、勧農し、権力という外敵を退け、内部にあっては治安を維持し、コミュニティーを深くすることをしてきた。

こうしたことが、中央集権・金融・上から発想・形骸化政府・財政予算型政治に対抗し、やがて必勝し、次の新たなる時代を作り上げたのである。それは武民の原動力がメシと地元性だったからである。

私の記事に殊更、渋谷区や中野区周辺そして今の千葉県上総地方について書くのはこのためである。昔から番長等不良の輩からヤクザに至るまで地元性にこだわるのは、彼らがいくら悪かろうとも地元を愛しているからであり、そのためにはある程度の威嚇行為を見せて、秩序を守るためである。ときには全国制覇を考えるが、制覇後には新秩序が生まれる。

これに対して、お金の力というのは地元性を鑑みない。どこで稼いでも金は金であるので、より効率のいい大資本や大都市を狙う。

こういうペンペン草も生えないような地域は、経済優先社会が頂点に達し、没落していったあたりで権力は崩壊する。その権力の地盤たる場所はもう使えなくなる。江戸はそのまま東京に代わってはいるが幕府機構は取り壊され、新たな官僚制度が出来ている。

したがって今、民主党がしきりに官僚をコントロールしてやるんだと頑張っているが、官僚のやることを基準に政治をやろうとしていること自体が自民党政治の延長線上なのである。おそらく民主党政権は、官僚を支配できるかできないかに関わらず、さほどの期待はできないだろう。なぜならば、自民党政治と同じように、今までの経済ルールという土台の上での微調整改革しかできないからであり、霞ヶ関という既存の道具を用いている限りは、官僚及び金の力に劣る。


我が国は二元性が望ましいのであって、天皇を中心とする内閣は京都御所に移転させ、東京は経済の中心とし、地方自治体から生まれた実際的な政治力を持つ勢力が一体となって、霞ヶ関とは無関係な幕府を構築し、政府は政府を統治する選挙を行い、地方は地方連合としての議会を設けて選挙を行い、政府と幕府において競争させるのが望ましいと考える。

アルゴリズム行進!

2009年09月24日 03時38分50秒 | Weblog
アルゴリズムこうしーん!

アルゴリズムこうしーん!

政権をひきずり出される麻生内閣のみなさんと一緒!



一歩進んで右ならえ

国民に向いては偉い人

アメリカに向かってペコリンコ

世論が心配キョロキョロ

ちょっとここらで党泳ぎ

ちょっとしゃがんで票拾い

献金入れます シュウシュウ

お金が入って ピュウピュウ

そろそろ終わりかな

そろそろ終わりかな

鳩山が来たぞ
終わり

銭の武人→土地の武人 への転換

2009年09月24日 03時37分11秒 | Weblog
鷹派で知られる石原慎太郎、これになびき警察力の強化を促進してきた松沢成文、上田清司、森田健作らが隣接自治体にいる。また大阪には橋下徹がいる。彼らはいずれも元知事が利権にまみれた政治家であり、前知事は市民の反乱によって登場してきた奴隷側の味方であり、青島幸男や堂本暁子がいた都府県である。

宮城県でも浅野史郎という奴隷側の味方から、陸上自衛隊出身の村井よしひろに変わり、長野県でもまた奴隷側の味方、田中康夫に変わったのは防災対策担当大臣と国家公安委員長を務めた村井仁。

宮崎県は一歩遅れ、利権知事から東国原英夫へ。名古屋市も河村たかしに。

このように考えると、宮崎県と名古屋市を除き、武人政治家への交代はすでに終わったように見える。

しかしながら、これら知事はいずれも守銭奴時代を引き継いでしまい、迷走している。

新銀行東京は破綻寸前、大阪府は行政の効率化を求めた公務員切りと民営化は格差社会を助長している。宮崎県の産物は他県に買ってもらうことにより銭を儲けようというわけだ。


逆に利権政治に戻る自治体もあり、中央政府からの配分を待つという昔ながらの発想しかない政治家も多くあり、結局全てはカネが支配する世の中を延長させている。


彼らはタイプは武なのだがやってることがカネカネだ。


これは、完全武人政治に入る前に、守銭奴援助型の武人政治家が現れるからである。守銭奴援助型武人政治をしばらく続けないと次に進まないという歴史がある。

大東亜共栄圏の名目は、アジア民族自身による欧米植民地からの解放と、アジア民族の共存共栄を図るものであった。

しかし、それならばもっと早くからやっていれば良かったのであり、実態は日本に石油、ゴム、ボーキサイトが回らなくなり、領土の拡大を必要とした。軍政による労働力調達が優先であるとし、軍票による軍事資材の調達、土木作業や鉱山労働への強制動員など経済の拡大を目的としたものであった。

結果、敗戦しGHQが支配し、財閥は解体され、以来米軍が居座っている。彼らは今と違って経済を目的とせず武力により支配するため基地を置いていった。つまり価値観は経済よりも軍事にあった。そして日本軍を解体した。当時の彼らの基準は経済になく、軍事力をそぐことだった。


その前サイクルである明治維新の過程では、幕末における各藩がどのように藩政改革をしたかで勝敗が決まっている。

幕府打倒に成功した各藩は、金融ルールを無視し、土地力を増強させ、生産物を専売にし、得た利益を軍事へ注いでいる。

負けた側、幕府維持に動いて沈んだ各藩は、土地力よりも貨幣・貿易・金融を重視している。また、教育や文化が基礎だという考えを持ち、観念論に走り、得た利益を財政や学問に注いでいる。

まず勝った側から。薩摩は五百万両の負債を無利息250年というムチャクチャな長期返済で棚上げにし、一方黒砂糖の専売を強化し、琉球には土地及び海洋産物の増強に努めた。

長州の負債も銀八万五千貫を37年返済で棚上げ。紙と蝋の専売をし、下関では越荷方という方法を用い、商業都市たる大坂への商品流通を減少させた。


肥前は、均田制を実施し百姓体制を再建。陶磁器を専売にし、大砲製造所を設け軍備強化を図った。

土佐は改革派が支出緊縮による財政再建を図るが失敗。その後、紙と木材の専売で成功している。

宇和島は、紙、蝋、こうぞを専売。やはり兵隊の強化を図る。

一方、水戸は藩校の弘道館を設立したり、百姓改革をすることなく、ただ検地して終わり。行動よりも論理が重視された結果である。

同じく負け組の越前は財政再建には成功したものの、松前貿易や長崎貿易によるものである。つまり生産物がない。土地生産よりも流通での貨幣獲得に頼っている。




では、その前サイクルはどうか。これはまず織田信長がなした統一事業であるが、楽市楽座が有名。市場における自由取引を保証し、数々の商業税を免除。


続く豊臣秀吉は、天正大判などの貨幣を鋳造。経済都市である京都、大阪、堺、伏見、長崎などは貨幣獲得の場としては最高であるから直轄に置いた。さらには堺の千利休・小西隆左、博多の島井宗室ら豪商の経済力を掌握した。

しかし最後に勝ったのは徳川家康だった。徳川幕府は、財政では三分の二を年貢にし、新田開発を行った。村の自治にも力を入れ、領主→代官→村方三役→本百姓という制度や五人組を作った。

農民の地位を上にし、商人を最下位に置いた。織田・豊臣とは正反対である。



次にその前サイクル、鎌倉幕府の衰退と室町幕府の勃興は、鎌倉時代末期に貨幣経済が浸透したことにある。もともと関東は武士の基盤であり農の基盤であった。しかし貨幣が発達するにつれ、流通の基盤である京都に力を持って行かれることになる。

京の朝廷が経済力をつけてくると、幕府からの政権奪回を狙う。後醍醐天皇は足利尊氏を使って、幕府が朝廷を監視する六波羅探題を襲撃。

建武の新政を行われ、後醍醐天皇は大内裏の造営を計画。費用を捻出するために貨幣の発行を計画。地頭に費用負担を命じた。また、土地訴訟が多く、この時代は武人でなければ対応できなかった。

これにより建武の政権に反対する武士らが集まり、足利尊氏が支持を受け室町幕府が誕生する。室町幕府もまた、守護領国制など土地を重視し、戦国大名の制度が出来上がった。


その前サイクル、平氏政権も武人であるが日宋貿易を開始し、大量に輸入された宋銭は日本経済に大きな影響を与えた。

その後の源平争乱で源氏が勝つ。源氏のやったことは、守護・地頭の設置、幕府の経済基盤はことごとく土地である。


このように考えると、金融の儲けで東京都を運営しようとしたり、財政切り捨てで再建しようと考えている武人知事は、もう少しのさばらせておけば勝手に自滅するようだ。

幕政復古の大号令

2009年09月24日 03時36分24秒 | Weblog
ネット右翼の語る国家観というのは、ことごとく、近代西洋に乗せられた国家論である。

まず、日本を一国と見立てている。これは日本を統治しやすいようにするためだ。例えば、インドネシア、ミャンマー、カンボジアもラオスもそれぞれ国内で一国という感覚はない。言語もバラバラだったが、首都の言葉や植民地支配した西洋の言語で統一させた。

それから比べれば、日本ははるかに国内での言語は近似だが、明治初期の軍人たちは方言があまりにもきついために日本人同士でありながら英語で話し合っていたという事実からすると、現代人の我々が考えているよりももっと言語差があり、食文化も違っていたような感じもする。

ましてや、国という言葉は、日本国内の地方、武蔵とか相模とか摂津とか筑前とかを指しており、これを国という単語を無理やり当てはめ、一つの国家観を人造したと思われる。

東南アジア各国のように、日本を植民地にするとき、一国であるほうが管理しやすいというのがあるだろう。

十九世紀から、西洋による勝手な国境線引きによって、日本ばかりでなく、アジア、中東、アフリカに至るまで西洋論理の国家論を無理やり象られたのである。

西洋では一国一王が当たり前であるから、日本は明治維新のさい、それまでに並存していた幕府と朝廷を一極化し、明治天皇でまとめた。これでどうだ。西洋と肩を並べられるフツーの国だろうと主張できたわけだ。

さらに幕藩体制というのもやめ、中央集権にした。これも西洋の真似。

で、それ以来、輝ける古代、暗黒の中世、開花した近代を語るわけだ。

輝ける古代はいいとして、暗黒の中世は、天皇様に武家なるヤクザもんが封建社会という前時代的で専制的で野蛮な時代を断ち切った、素晴らしい明治維新であるというわけだ。


しかしその近代によって、一国一極化が進められ、環境が破壊され、家族社会や地域社会が崩壊されている。

これは国の概念を一つにしてしまい、責任と郷土愛を曖昧にした結果である。

したがって、陸奥・出羽から薩摩・大隅にいたるまで、そして蝦夷と琉球という、日本多国籍制度に戻し、多神教の概念に戻るべきではなかろうか。

日本の民族主義者は、最も日本的なところから遠くにいる。明治維新から一神教のごとく天皇一色にし、国家は一つだと言い張る。


西洋の土台に乗ってしまったため、当初はアジア防衛だったのが、西洋論理に引き吊られて、植民地侵略に手を出し、軍隊の方式は全て舶来。日本人としての身体操作術を忘れ、ハンバーガーを食いながら愛国を語る始末である。


明治維新は王政復古だというが、古代の王政とは大きく異なっており、単にヨーロッパの王政真似っこに過ぎない。


今、必要なのは幕政復古である。江戸時代の循環型経済社会を取り戻し、山を川を草を木を取り戻し、バラバラに崩壊した地域社会を取り戻すことではなかろうか。


政府は一つではないというのが東洋の考え方だった。今、永田町や霞ヶ関なんぞを相手にしても全く無意味だ。


他国の脅威があるのなら日本多国籍軍が防衛すれば良い。国家が一つであっても、地域社会がバラバラでは何の意味もないではないか。蝦夷から琉球まで、それぞれがガッチリした小国があり、その小国がガッチリと組めばいいのであって、それが地方主権となり、世界のグローバル金融と対等できる方法ではなかろうか。

内からの発想 3

2009年09月24日 03時35分05秒 | Weblog
実質・実情の支配から最も近い場所にいるのは市町村である。しかも、東京や横浜、大阪、名古屋なんかじゃ話にならない。土地に生産力を持ったところであり、それは現代の資本主義経済では財政破綻の危機にさらされたような自治体だ。

これら自治体は、国も含めてだが、国債・地方債の返還は確実に不可能である。プラス利子の経済社会は、永遠なる右肩上がりの成長を求めているのだが、自然万物の生成は、そのようなグラフを描いていない。よって世の中が借金だらけになるのは自明である。それが事実として存在するのに、どの人も近代経済学の器でしか物事を考えることができず、やれ環境税で環境問題は解決できるだとか、貧しい国にお金を送れだとかやっている。

その結果、弱肉強食の経済論理を展開せねばならず、それが労働者の反乱を呼び、その反動が大きな政府への膨張を呼ぶことを知らないのだ。


今までのこうした常識を非常識とし、土地に依拠した政治経済を作らなければ、人類永続の道はない。土地の政治は、地方の自治にある。

1つの自治体で自給自足が完結せねば、日本は滅びる。現に中国、インドは食糧輸入国となるや、世界各国の農地を買いあさっている。

日本の国土を貨幣欲しさに外資に売り渡し始めている。

土地に根付く政治、土地を基本とする経済、貨幣に依存しない経済を作るのは早急の課題であるのに、いつまでも55年体制と同じようなイデオロギー論争に遊ぶ馬鹿者がなんと多いことか。くだらぬ机上の哲学をグダグダ抜かす前に足元の現状を見よ。


このままでは、食糧は枯渇し、石油は高騰するため手に入らなくなる。

食糧とエネルギーを生産するには、現代の資本主義経済では、貨幣獲得効率が低いため熱心にならない。だから、我が党が提唱する自然主義経済を一刻も早く実施する必要があるのだ。

通貨が減価するということは、金融ゲームには最も適さない。商業は可能だが、工業においてはより効率がよく、農林水産業においては最も効率がよい。


貨幣が次々と回るので、さらに回さなければならなくなり、それは日用品に向けられ、中でも食糧などの消耗品が購入される。


エネルギーにおいては、プラス利子制度である以上、原子力発電こそが最も効率がよいが、マイナス通貨の場合は、自然エネルギーという小規模発電がいくつもあるほうが効率は高くなる。

貨幣が時間とともに減価する場合、遠方から引っ張ることに意味をなさなくなるからである。

食糧においても、運搬のコストを考えたならば、その土地で採れたものをその土地で消費するしかない。

貨幣の価値が国内外で落差があると、安い輸入品に依存する。日本国内には大量に森林が放置されており、イノシシ、サル、クマの被害が耐えない。

人が里山に入らなくなり、食糧生産をしなくなったため、人里に降りてくるようになった。

間伐をしないため、洪水被害が増えた。そして間伐しないせいで新たな樹木が育たなくなった。

片や、途上国では安価であることを理由に次々伐採され、これはこれで洪水をうみ、食糧を貨幣に変えようと躍起になって同時に水も売り渡しているため干魃にも悩まされている。

こういうバランスの崩れた社会は、地球の自動回復機能によって、人類を洗い流し、海の底へと沈めるだろう。

したがって、貨幣がどうの、財政がどうの、年金がどうのという政策議論は無意味だ。

年金などなくても、貯蓄を生まない流通オンリーの自然主義経済が解決してくれる。

そもそも地球という土台がなくなって、年金制度だけが生き残って、何の意味があるのか。


これがため、架空の富たる貨幣の議論を止め、実態のある土地に向かって政治を構築していかなければならない。


そのためには、自治体が力を持つことだ。しかしながら、勘違いしているのは、大阪府知事であり、宮崎県知事であり、前横浜市長だ。


彼らは中央権力を自分たちの言いなりにする事によって日本を変えていくという発想を持っているのだが、これは中央権力を大きな力だと認めたがゆえの行動であり、つまりは中央の貨幣力に依存したものであるから、我が党とはまるで逆の立場である。

大阪には大量の労働力があり、宮崎には豊かな大地と海の恵みがあるにも関わらず、彼らはそれを貨幣に変換するか、貨幣をいかに浮かすかということしか考えられないのだ。これは彼らが自然主義経済を知らないからであり、武の政治家ではなく、守銭奴配下の奴隷代表だからである。


もっと目の前にある資源に目を向けるべきなのだが、我が国は敗戦以来、日本は資源のない国だという発想を植え付けられている。この場合の資源とは、近代西洋の資本主義という価値観からみたものであり、我が国は水から米から魚から森林から溢れているではないか。みなが手をつけないのは、輸入が安いからだなどという、人間が勝手に決めた貨幣のルールに自ら縛られているだけにすぎない。

いい加減目覚めて欲しいものだが、今日もまた人間勝手の貨幣ルールを土台にした政策論争が選挙で繰り広げられている。

最早、中央には何も期待することはできない。地方に立ち返り、投票などという間接的な行動もいいが、直接的行動に走るべきだろう。それは食糧エネルギーの生産であり、地域コミュニティーの復興とそれを支えるボランティアである。そこから地域通貨を生み出すしか方法はない。

内からの発想 2

2009年09月24日 03時34分14秒 | Weblog
アフリカの途上国など自給自足が成り立っている地域に、貨幣というものを教えると、一年のうちに、工場ができて、都市ができて、博打ができて、売春ができて、家族が崩壊するという。

これは極端に貨幣が未発達な地域へ、極端に貨幣が発達しすぎた円やドルなどを流しこむからこうなるんであろうが、中世日本ではゆっくりと貨幣が発達したため、そこまでひどくはないが、朝廷支配の末期は貨幣と貿易が発達し、それが崩壊したために、世の中は乱れた。


この場合、関東・鎌倉のような自給自足地域に武家は成長する。貨幣時代から土地時代への変換は武を媒体とするのである。


しかし、現代をみると自給自足地域は未だ数少ないながらあるものの、日本国内に貨幣は出回りまくっている。さらに、プラス利子制度は、利子が利子を生み出し、海を越えている。

海外の貧しい子供たちを救うためと言っては、円を外に出し、減らないお金が次々に途上国で周り出すためにますますの貧困を作り、戦争の要因を作り、それが環境破壊を作っていることに、ほとんどの指導者が気付いていない。


これに気付くのにあと何年を要するのだろう。


そのためには、我々は鎌倉と同じ場所を必要とするわけだが、プラス利子の害が大きすぎるため、また貨幣力が国内の隅々にまで至っているがゆえに、マイナス通貨を必要とするのである。

しかしこれはあくまでも道具であって、主力は土地力である。この土地という概念は近代資本主義で言う地価とは違い、自然としての土地である。

現代では土地を地価としてみなす。つまり宅地の価値であって土質はあまり関係してない。宅地というのは、そこに建物を建築し、賃貸して金を取ったり、建売りして金を取ったりしての価値であるが、古代以来、こんな考え方をしているのは近代・現代だけである。


そもそも土地は、土壌が良いか悪いか、作物がとれるか、とれないかで判断されるのが自然の在り方である。

したがって作物を採取し続ければ土壌はやせる。つまりは地価が下がるのが当然である。

土地もまた、時間とともに減価するのが当然であるのだが、シルビオ・ゲゼルの自然的経済秩序ではそのようになっていない。

貨幣の減価方式によって、土地投資へ逃げないように、土地税を課しているわけだが、これは自然に反していると言えよう。

したがって、自然主義経済では土地税を取らない。土地もまた自然と同じく減価しているからである。


つまり土地を主として、貨幣を従たる物とみなす。




源頼朝は、新天地を求め東を開拓した。
土地力を持つ武家が、貨幣・貿易を中心とした京を飲み込む。

源氏三代のあとは、北条氏による知識人時代。それも末期にはやはり京都からの貨幣流入を招く。流通により発展するが、またもや破綻する。徳政令を出すが、御家人の不満が高まり、悪党が生まれ、鎌倉幕府は倒れる。

その後の室町も江戸も明治も昭和も、全てこのサイクルが当てはまっているのだ。

そこで、土地時代・武の時代のときに、自然主義経済を導入したならばいったいどうなるのか。

貨幣時代・富の時代最期の破綻というのが切り抜けられそうである。

全く別の要因が出てきて、このサイクルには忠実に執行されそうな気もするが、今考えられる範囲では、これが最適であると考える。


では具体的に何をなすか。

それは地方主権での各地の自発的な自治権獲得である。

自民党が言うのは道州制で、中央を分権したものである。

民主党が言うのは、地方主権であるが、中身をみると、結局自民党と同じく、中央権力を分散するだけだ。

なにしろ、今の既成政党は全て貨幣から物事を考えているから枝葉末節にしかならない。いずれにしても、国税の徴収割合を地方にするというのは、真の地方主権とは呼べない。

平和党の地方主権は土地から考え、貨幣からは考えない。もともと東京には生産力がないわけだから、なぜゆえにペコペコしながら、霞ヶ関の意向なんかを気にしなきゃいけないのか。

これは我々が勝手に、貨幣とは力があるものだとか、官僚は権力者だなどと思いこんでいるのが原因である。

お上の決めた形式がどうだろうと、実質・実情が支配するのである。

内からの発想 1

2009年09月24日 03時33分33秒 | Weblog
源頼朝は1180年10月に鎌倉入りし、西には上がらず東国の安定確保に務め、1192年7月に征夷大将軍に就任している。征夷大将軍は後追いで、つまり事実が先で、名は後。

源頼朝は1190年に、法皇に征夷大将軍のポストを要求しているが拒否されている。この年、いいくれとはならなかった。
法皇死去により征夷大将軍となっているが、何のポストだろうと実質上支配していることなので形はどうでもいい。


武士たちからすると、土地権利の由来やら伝統を重視する律令政治とは常に対立してきた。そこで現状を優先させる源頼朝の元へ集ったわけだ。

ではここで言うところの実質とは何か。

歴史研究者などは、政治を見るとき、ほとんど上から考えている。しかし実際には、近代以前は、ほとんどの民は上から支配されていない。年貢を取られるのは農民だけであるし、商人から徴税するにしても、集落の隅々まで戸籍を把握しているわけでもなく、現代よりも自由がそこには存在した。ただし教育や福祉などの行政サービスは受けられない。であるからこそ近隣のコミュニティーが発達し、政府介入なしで成り立っていた。

そのような中、天皇がこの国の支配者だなどと言ったところで、ほとんどの人は、おら関係ねぇと思うだろう。天皇をありがたがるのは、権力を欲しがる一部の特権階級だけだ。無学文盲の民にとっては自分たちの生活が最も大事なことであり、そういう能書きだらけの権威はありがたくない。


民衆が土地の境界線を巡って争われた場合は、武力を背景にした武士によって調停され、外敵が現れたならば民を守り、治安を維持し、コミュニティーに溶け込み、地域内での信頼を得ることを目的とした。そのためには、公権力を証明するための法的根拠など必要ない。頭でっかちは法的根拠を常に言うが、そんなものを云々語るよりも、今目の前に起きている問題をいかに片付けるかが優先されることだった。


これは中央権力が形式ばかりで内実には崩壊しているからだ。


つまりは現実が先行するということであり、こうした環境は、流通が発達し、中央権力が発達し、モノ・カネ中心の社会が出来上がって、それが徐々に崩壊してくるとこうなる。


流通・貨幣は、朝廷のある京都から西側に巻き起こり、大陸とは貿易で結ばれ、学問と経済が発達してくる。

逆に関東は閉鎖されている陸の孤島だった。

京都でのエリートコースから外れた公家がわずかにいて、彼らは京都を飛び出し、地方に住み、地元に密着し、地方力を養っていきそれが武士となった。その土地が当時は関東であった。


京都の貨幣力に対して、鎌倉初め関東は土地力を持った。土地力は生産力であり、自然万物と直結した経済システムがそこにはある。

そこで源頼朝は東国の王となった。京都のお上がどうだろうとそんなものは届かない。地方には地方の明るい暮らしがあり、架空の富たる貨幣に支配されない社会があった。机上の指揮命令など全く無力であり、実力がものを言った。

こうした幕府の存在に危機意識を持った朝廷は幕府打倒に立ち上がる。しかし朝廷が指令したのは上級武士であり、彼らが動いても下は動かなかった。

これはなぜか。公家・知識人の発想は、上が動けば下も動くと考えるからだ。

経済人の発想は、カネを払えば人が動くと考える。ここが彼らのウィークポイントであり、いつもこれで彼らは武人に敗北するのだ。


武家は政権奪取後、否が応でも、知識人の政策シンクタンクを作ることを余儀なくされ、統治機構を作り上げ完成する。

しかし知識人グループが政権をとろうとすると武人を支配できない。知識人グループが我を張り、武人グループに対抗すると間違いなく負ける。従って、知識人は、武人が政権をとるまで武人グループ傘下に収まっておくことである。それか若しくは竹中平蔵のように、守銭奴グループ傘下の知識人として生きるかである。

なにしろ、守銭奴グループは奴隷グループに滅ぼされ、次に武人グループが台頭してくる。


武人グループは、土地に根ざし、地元民と生活に密着し、開墾し、農業を発達させ、農民を増やし、外敵の脅威を退け、自然災害からの防御をなす。


これが内からの改革である。

つまりは、中央の能書き政治ではなく、地方の汗からの天下取りである。

そのためには現代では地方主権が発端となり、自民党や民主党という上から政党、そして霞ヶ関の官僚組織が解体していく。

これらを解体するには、民主党のように大臣を変えて上からの改革をするのではない。内から改革するというのは、全く新たな中心力を設け、すでに衰退しつつある中央政府の自然消滅をまつのである。

上からの発想

2009年09月24日 03時32分17秒 | Weblog
歴史の変わり目のとき、上から政権奪取をする者と、内から政権奪取する者とに別れ、上からの奪取者は必ず滅びる。


上から物事を考えるものは、内閣総理大臣を取れば、それで政権奪取が済んだと考える。

この日本は政府が支配しているわけだから、国会で法律を制定し、内閣以下行政府が執行すればうまくいくとか、教育においてはお題目を普及させればみんながそれに従ってくれるとか、そういうふうに考える。これは公家発想である。

この人たちは、どうあるべきかを常に論じており、どうであるかを考えてない。

近年、鎌倉幕府の成立は1192年にあらずという見解が認められたそうな。

しかし源頼朝の1192年征夷大将軍就任は間違いなさそうで、征夷大将軍就任と鎌倉幕府成立は無関係ということだ。

なぜならば、源頼朝以前にも征夷大将軍は存在したが、その人たちは幕府を開いていない。

源頼朝は征夷大将軍だから幕府成立をさせたのではなく、実質において日本国内を支配したのでトップに立ったのである。日本のトップに立つには、天皇・上皇になることが必要だが、これは上からの発想であって、内からという実質の発想ではない。


天皇が125代続こうが、天皇継承者について幕府が命令したり、天皇が出過ぎた真似をしないよう御家人が皇族を拘束したりする時代もあったわけで、天皇傀儡時代も長くある。これは時代の変革期に、上からが終わり、内からが結果を招くからである。

逆に、武家であっても長期政権がダラダラ続けば、室町幕府のように、征夷大将軍でありながら、地方の大名をのさばらせる結果を作り、幕府が傀儡化する。こんな時代に足利家の後継者を奪ったところで何の意味もない。

今で言うと民主党が内閣総理大臣の椅子を奪おうとするようなもので、上からを考えた発想である。

源頼朝の場合、征夷大将軍になったから天下を取ったのではなく、天下を取ったから軍事以外の官僚組織を整えただけであり、鎌倉幕府自身には幕府を作ったという意識がない。その証拠に、鎌倉幕府とか室町幕府とかいう言葉は中世には存在していない。


徳川が江戸幕府を開き、そのとき初めて幕府という言葉が使われ、後世の歴史家が鎌倉と室町を幕府と認識させたのである。

では、内からとはいかなるものかについて考えてみたい。

自民党敗因は中心力を民主党に渡したこと

2009年09月24日 03時31分30秒 | Weblog
民主党政権誕生の原因について考えてみると、別に人々は民主党政権を望んでいるのではなく、消極的選択として選んでいるにすぎない。

その要因は自民党が中心力を失っているからである。とくにネットなどを見てみると、自民党支持者たちが、しつこいくらいに、民主党について売国だの反日だのと痛烈に批判している。

政権にある者とそれを支持する者は、ただ坦々と明るい未来に向かって政策が実行できるようにみんなで応援していけばいいのに、民主党に政権をとられまいとして、民主党に対して意識が行き過ぎで、ことあるごとに、民主党は保守にあらず革命政党だとか、中国に日本を売り渡すだとか、そういうところばかりを並べたて、ネガティブな部分に関心を持つことにより、中心力を民主党に持っていってしまっているのである。

人間の意識というものは、嫌いなものを気にすれば気にするほど、その嫌いなものが力を持つようになる。嫌いなものを意識するということは、その嫌いなものに逆の波動で同調しているからである。

今、自民党を支持し、民主党を痛烈に批判している人は、あまりにもその批判が感情的で、民族主義に固執し、醜い姿を表しているため、人々は民主党を消極的にではあるが選択するようになってしまった。

これというのも、民主党を売国奴だとする発言者の人間性があまりにも低く感じられた結果である。

自民党支持者は反省が必要なんであって、今更民主党をグチグチ言ったところでどうになるものでもない。明らかに中心力を民主党に明け渡した結果が今である。


今の民主党政権は、必ず四年以内に崩壊すると思われるが、その際、中心力を民主党に持たせないことが重要である。

今後は、地方において中心力を持ち、中央政府が何をしようとも、地方の中心力で中央を振り回していくことになろう。

土を作り続けて38年

2009年09月24日 03時28分51秒 | Weblog
先月末、お茶とコーヒーのかす、バナナの皮、あさりの貝殻、ピスタチオの殻、成長に失敗したトマトの茎、東北遠征中に妻がダメにした大豆の遺体、残飯、米ぬか、魚の骨を入れて土作り。

これが後々になって枝豆の有機栽培・無農薬栽培を可能にさせ、大いなる収穫をもたらした。

鏡を知れ

2009年09月24日 03時26分21秒 | Weblog
今までリアル政治闘争をしてきて、そのうちインターネット内での政治闘争を見るようになって、私が思ったことは、ネットであるとリアル社会よりも引き付けが早いということがある。

現実社会には、政治運動をやっている人には、さほど極端な右翼とか左翼というのは少ないのだが、ことインターネットの世界では、一般世論とは極端にかけ離れた考えをしている人たちが、道の真ん中を堂々と歩いている。

しかも、リアル政治闘争に比べると桁違いの数で頻繁に右翼は左翼を気にし、左翼は右翼を気にしすぎであり、お互いに余裕が全くない。

お互いの悪いところをお互いによく目をつけ、その洞察力たるや天下一品である。自分のことはよく見えないが他人のことはよく見えるもので、実際問題、彼らは彼らの対局に対し批判・非難を加えるが、それはそのまま自分の姿なのである。

政治というのは、ともすると自己満野郎にもなるし、世のためにもなるが、己に余裕のない人間は、他者の欠点ばかりを気にし、結局その欠点は実は鏡映しであることを気づかない。

鏡を知らないと、どんどん小さな自分を作っていく。対極にあるものと波動が合い、実は調和しているからこそ彼らは対極同士で争う。そこには生成がない。


鏡を知っていると、己に余裕があるので、己の対局について飲み込んでしまう。仮に対極にあるものが自分に危険をもたらすものだとしても、鏡を知っていると相手にそのまま返って自滅してしまう。私は経験上、そういうことについて知るに至った。これは私が政治闘争の中で、相手を徹底的につぶしてやろうということを幾度もしてきたからである。

相手を潰す場合、自民党という器があったら、己にさほど力がなくてもつぶせる。民主党ならその次。みどりの会議や自由連合では話にならない。弱小政党、弱小組織が勝つパターンというのは合気を知ることであり、鏡を知ることである。

だから近年の私の政治人生は、鏡をよく見て、気にくわない考えがあったとしても、それは鏡であるから騒ぐ必要を感じなくなってきた。

危害が加わっても、その力は受け流し、相手に返せばよい。それを近年、実践してきたが、また新たなことがわかった。

先の魂合気の稽古で、杖を通じて大野さんが、こちらからの攻撃を流して返してくるのだが、私はさらにまたその気を返してみた。そうすると自分の体は後ろに反れるに留まり、倒れない。そういうことを二回ほど繰り返したが、三回目には大野さんは右に流して返した。

それで私はその方向へ倒れてしまった。

なるほど、力を一次元だけでなく、二次元で返すという方法について知ったわけで、よく考えてみると、日常的に私がしていることであった。要するに戦う人は、盲目になり、こういう方向が当たり前だと勝手に信じる癖がある。その癖を知れば、さらに力をつけることができるのである。

しかしこれはまず鏡を知ることである。現代はあまりにも鏡を知らず、対極思想を知力や筋力で倒そうという、余裕のない時代である。