おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

教育は国の根幹にあらず 2

2009年09月24日 03時24分54秒 | Weblog
大人は自分が好き勝手なことをしておきながら、今の教育はなってない!などと嘆いている。

だから子どもたちには真っ当になってもらいたいとして、いろいろと型にはめた教育を打ち出していくのだが、実は子どもというのは、大人の背中を見ているのであって、大人が子どもに教育している内容については、ほぼ理解しないと言っていい。

自分ではできていないことを子どもに押し付けようなんざ、人間として低レベルなことをしている。
つまり、教育機関や教育行政がどうなっていようと、大人たちが、土地を忘れ、地域を忘れ、空虚な学問思想にふけ入り、いかにして効率的に貨幣を獲得するかなんてことをしている社会である以上、どうにもならない。それを安倍内閣やらは、教員の制度設計という機械的なことでしか考えられないので、この社会は行き詰まっている。

子どもたちに何か新しいものでも押し付ければ教育改革ができると思っている政治家や官僚が多すぎる。

教育機関が教育をするのではなく、大人社会が教育の役割を果たしているのである。

教育は国の根幹にあらず 1

2009年09月24日 03時24分13秒 | Weblog
魂合気を体験し、今までの考えにますますの確信を深めた。

警備業務中、迷惑客の対応に当たって、無理やり強制的にやらなくても自分の思い通りに相手が動いてくれることがよくわかった。

これは、くりこま高原自然学校校長の佐々木豊志マスターの指導方法を見て、感じ取ったことであり、魂合気の大野朝行師範の指導を見ても感じ取ることができた。

さらに加えて、我が党幹部には、大学準教授・塾講師・児童指導員と三人の教育者がいるが、いずれも、教育とはこういうものだ!という強制をせず、学生・児童を意のままに動かすところにもある。

よく、国の根源は教育にある!などと抜かしている人がいるが、このてのタイプは必ずイデオロギーバカである。必ず右翼か左翼に属しており、日本の政治が悪いのは教育であるとし、有権者は愚かであるから有権者をもっと教育しなければならないとアホみたいに嘆いている。その教育方針というのは、その人にとって都合のいい思想であり、世の中が自分の考えに合わせてくれればそれがいい世の中になると信じている。しかし実態はてめー都合なだけだ。こういう人は傲慢なる教育論を展開する。日の丸を敬わない者を罵倒し、あるいは日の丸を押し付ける政府を罵倒し、そうすることが世の中のためになるとし、己の思想を次世代に押し付けようとするため、かえって次世代から反発を招き、むしろ逆の教育がなされてしまうのだ。こういうのは知識人に多い。

しかし、体を使う武人は、くりこま自然学校を見ればわかる通り、自然界の抵抗を自ら経験することにより、無理やり啓蒙することなく、自分から克服していくのである。ここには論理などというものはない。

また、魂合気では、相手をやっつけて自分を押し付けることなく、ただただ、つながったという意識だけにして、相手を思い通りに操る。これは頭で理解できるものではない。


しかしながら、政治の世界では、いらぬ知識と富の力がはびこっている。これをなんとかしなければならない。それにしてもぼーっと無心でやることが必要なんだろう。

つながったと思うだけで迷惑客が退散するなり、規則通り動いてくれることを経験した警備を実現できた1日だった。

猫の分配

2009年09月24日 02時56分49秒 | Weblog
千葉市にある警備対象施設において、野良猫が六匹いる。親1、まだ生まれたての小さい子猫が5。

いつもひもじく暮らしているようだ。周りは工場だらけなのでエサなんかないのだが、なぜか住み着いている。

ホタテの貝殻一枚を兄弟でなめあっていたので、弁当のおかずを差し出した。

そうすると、まず親猫が奪っていき、陰に持っていき、隠れてコソコソ食べている。

けしからん親だと思い、五匹の子猫に行き渡るよう、まずは一つ二つと投げてみると、一匹の子猫が奪い、他の兄弟が横からおこぼれに預かろうとすると左手をふがーっと出して怒る。

他の兄弟もみな奪いとり、さらに他の兄弟がとろうとすると手で相手を牽制するのだ。

コイツらには分配の精神というものはないのだなと思った。
初め兄弟は四匹かと思いきや、実は五匹おり、その五匹目は他の四匹よりもさらに体が小さい。

おそらく末っ子かと思われる。

その末っ子に何度もおかずを投げてやるんだが、末っ子は手も出さず、他の兄弟がみんな持っていってしまう。

そうこうしてるので、私の食べるおかずが全くなくなり、最後のレバーと卵になったところ、兄弟の一匹が末っ子にエサを差し出していた。

なるほどと思ってしばらく見ていたが、親猫をみかけない。親猫は最初に威勢よくエサを独り占めしたが、最初の一切れのみであり、以降は子猫たちの奪い合いには参加せず、周辺でウロウロ歩いているだけだった。結局食べた量では子猫一匹の量よりも少ない。

しばらくすると、親猫は、あちこちから死んだ虫を加えてきて、末っ子に上げていた。

なるほど、やはり分配はしているようだ。

と、学んだが、自分の弁当がなくなったので俺が腹減った。