東京新宿の歌舞伎町町商店街の組合が、ヤクザに対して支払う「みかじめ料」について、不払い運動をすることを決めたという。などについて、不払い運動を始めることを決めた。
新宿は長らく、ヤクザによる秩序と無秩序が相互にかみ合う複雑な地域。古くからつきあいのある商店なども多い。相場は、小さな店で毎月3~5万円だという。
備品購入代やレンタル料金であるが、すでにダスキンなどの業者がやっているようなことだといえばわかりやすい。
備品購入代やレンタル料金であるが、すでにダスキンなどの業者がやっているようなことだといえばわかりやすい。
来月7日に、「不払い宣言」を行った後、不払い宣言のシールを各店にはってもらうなど運動を始める。新宿署など警視庁も、宣言をした店からの通報や相談に、積極的に対応するという。
私は暴力団不当請求防止責任者としての活動から、幾度か警視庁での講義で、これらの運動に協力する一方、こうした不払い宣言による新たな弊害を指摘しています。
石原慎太郎知事の「風俗店取り締まり強化」もそうなのですが、強制的に撤退させると、別のところで、すなわち地下に潜って、ますますわからないところでやり出すのが特徴だからです。
まず暴力団対策法によって、各組織はその看板を出せなくなり、ほとんどが株式会社や宗教団体、NPO法人を名乗っています。
以前では千束のソープ街でも「田甫一家」とか筆字で看板があり、その前に怖そうな人が立っていたので秩序が保たれていた面もありました。しかし、今ではどこにどのヤクザ事務所があるのかは、その筋の人でないと判別がつきにくくなっています。
今まで私も数多くのNPO法人のパーティに呼ばれ、行ってみたら、「あらら、この人たちって・・・」ってな経験がよくありました。そのあるときは、みんなビビッて帰ってしまったのですが、私は最後までいたのですが、いずれも何会の何組なんて、誰一人名乗りませんでした。でもその壇上に立っている人は、よく週刊誌でみる、明らかに山口組の若頭補佐の方です。
そのNPO法人は東南アジアで亡くなった戦没者のために慰霊碑を建てようとの運動です。たとえ法律で暴力団と呼ばれるヤクザの方々も、本当にそれが世のためになるとするのなら、やっていけないことではありません。しかしながらNPO法人法では、暴力団が参加することを禁じているため、国家の規制によればやってはいけないことなわけです。
この「みかじめ料」の問題も、ヤクザの本業たる賭博を国家が排除した事から始まっていると思います。賭博産業は公営ギャンブルとして、政府・自治体がなすべきとなっているのが、国家の理屈です。ヤクザはやってはいけないが、国家ならいいと。ヤクザがやっていた用心棒は、国家警察にとってかわり、民間では警備業というものが発展してきました。明治以降は賭場開帳法が制定され、戦後はいっそう厳しくなりました。ヤクザの利権を国家が奪うのをその常としているようです。だから、基本的に国家とヤクザは同質なのです。
●武力によって権力を得る。(軍事力)
●みかじめ料をとる(住民税)
●飯場で働かせその給与で博打をさせて回収する(公営ギャンブル)
●テキヤにおけるショバ代(固定資産税)
●みかじめ料をとる(住民税)
●飯場で働かせその給与で博打をさせて回収する(公営ギャンブル)
●テキヤにおけるショバ代(固定資産税)
自分たちの認めたことは、お金を払えばしてもいいが、しなかった場合は制裁を加えます。
しかし、元はといえばヤクザは博徒であり、賭博産業を奪ったからこそ様々な業種に手を出さざるを得なくなったのだと思います。ヤクザの発生は、江戸時代に浪人となった者が住むところがなくなり、寺で雨露をしのぎ、そこで賭場を開いたところから寺銭と呼ばれるようになりました。その持ち前の武力でもって、終戦直後は弱体化していた警察に代わって貢献した事もあります。政府の認めた暴力は正義で、政府の認めない暴力は悪なのですから、まさに日本最大の広域指定暴力団は山口組ではなくて、勝てば官軍により誕生した日本国政府とも言えましょう。
ヤクザの寺銭は通常一割ですが、政府の寺銭は競馬・競輪・競艇・オートのいずれも25パーセントもとっています。つまりヤクザ以上に暴利なわけです。
ヤクザから博打を奪って、みかじめ料を奪えば、覚せい剤・麻薬などの販売、殺し屋などなど、「任侠」という思想によってある程度制約されていたものが、マフィア化し、さらなる犯罪の増加につながることにもなりかねません。
またヤクザとは直接関係ありませんが、パチンコがなぜ合法なのかという問題があります。かなり苦しい言い訳があってなんとか合法なわけですが、これも国家の都合によります。
石原知事は、風俗店を取り締まる一方でカジノを合法化させようとしましたが、どうやらこれは難しいらしく断念したようでもあります。これも国家の壁があったと聞いています。
なぜヤクザがギャンブルを仕切れる資格があったかというと、その暴力性からみなが恐れるからでした。しかし、今ではどこの場外馬券売り場にいっても、競輪場にいっても、安岡力也みたいな警備員はいません。もはやヤクザは必要ないわけです。
そして彼らが非合法なる経済活動を行うのもその資金源を必要とするからであり、ヤクザもまた資本主義の奴隷となっているわけです。江戸時代までのヤクザをみると、資本主義がないため賭場さえ開いていればなんとかやっていけていたようです。
自然主義経済になればヤクザはどうなるでしょうか。まずギャンブルは全て民営化されます。しかしながら、お金を賭けてたくさん儲けてもあまり意味がないので、自然主義経済下で、商取引がお金よりも商品の質が追及されるのと同じように、ギャンブルもまたお金よりもその予想の楽しみに視点が注がれるようになります。
ここでは、賭けたお金が増える楽しみはありますが、その儲けたお金は減価するので、ギャンブルが好きな場合はまたギャンブルにつぎこんだ方がよいわけです。今まではこれは身の破滅を意味していましたが、自然主義経済では身を破滅することなく博打を楽しめるわけです。(それじゃ物足りないというM的な人もいるかもしれませんが)
ギャンブルが民営化されたら、ヤクザは真っ先にとびつくでしょう。彼らは本来博徒なわけですから、従来のポリシーと言いますか、そういうものを取り戻せるのではないでしょうか。民営ギャンブル企業になっていれば、自分たちが極道だと言いながら、実際には単なるまじめに働く会社になっているかもしれません。
みかじめ料不払い宣言は一時的には効果を発揮するかもしれませんが、やはり犯罪の増加につながりますので、一刻も早く自然主義経済にすることが求められます。
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