おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

少年犯罪、援助交際、学級崩壊の根本原因

2005年06月11日 22時23分48秒 | Weblog

平和党http://www.heiwatou.jp

国の基本は教育であると主張する政治家は多い。「そういう問題はやっぱり教育がなってないからだ」といとも簡単に教育問題になすりつける。社会は人によってなりたっているのだから当然といえば当然だが、これまでの腐りきった国家運営をなしてきた政治家や官僚や、あるいは一般社会にいる人間が、なぜゆえに偉そうにそんなことを言えるのだろう。教育結果とは、教育政策や教育方法の結果ではなくて、大人たちが行ってきた社会活動の結果生まれるものであることを忘れてはならない。

兎角、教育界にいる人々の議論や教育分野を得意としている政治家の話を聞いていると彼らは盲目であるといつも感じてしまう。彼らインテリ連中は教育がなってないと嘆くが、社会がなってないのである。

子どもたちが間違った方向に進んでいるというのが事実だとするならば、大人が示している社会の方向性が間違っているから、子どもたちは間違うのではないか。

現代社会は経済が支配している。生命を尊重することよりもお金を得ることが人生の目的となっているから、気に入らない人間がいれば殺しても構わない。自分が死んでも構わない。援交をして楽に多くのお金を稼ぐことの何が悪いのか。と、こういう論理は成り立つ。

アダム=スミスから始まった経済学を究極で言えば、このような自己利益追求を全人類が行えば、世界の幸福ということになる。(私は、スミスは悪気をもってこのような提案をしたのではなく、世界の幸福のための思いやりからであると思う)また、デカルトに始まる自然に対するものの見方は、科学技術の発達を生み出したが、人間を機械化し、血の通う人間としてのあり方を次々に棄てていった。

自然融合型の民族である東洋、先住インディオ、などの考え方は排除され、西洋近代科学主義が世界を支配し、物質文明万能社会となっている。この価値観が安定しているとき、人々は物質的に豊かになっていったため繁栄を極めた。

このような、社会の価値観が安定期のとき、一般的に、子どもは親を尊敬する。何がこの時代にとって正しいことなのかを教えることができるからだ。しかし、変革期にさしかかり、社会が何を正しいとしたらよいかが、わからなくなってしまう時代になると、子どもは親を尊敬しない。すると自分の判断で価値をみいだす。これは、日本においては、バブル崩壊以降に出現した新たな時代に課せられた使命である。

近年に見られる、自治体の行う成人式典での若者の横暴は、これを表している。大人たちのものに尊敬できるものがないからである。以前の世代であれば、このように暴れて儀式を台無しにするような若者は、そもそも成人式になど出席しない。二十歳くらいまでは、ツッパリ連中は地元でつるんでいるので、地域コミュニティができていたが、そういうコミュニティの場は今なくなってきている。

彼ら若者の行動を大人が批判する資格はないだろう。教育問題だとガタガタ抜かすような大人もろくなものではない。経済優先社会は物質的に栄華を極めた後、精神的な面において社会に無秩序を作り出す。これは、古代において、経済発展が頂点に達すると、自然環境は砂漠化し、人心が荒廃して社会が混乱するという歴史の中ですでに教えられている。これを阻止することができるとしたら、現行の世界観・価値観を変えていくことしかない。

平和党http://www.heiwatou.jp





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