(ここからネタバレになります)
例によって、最終巻はケツから読むクセが抜けませんでした…。
去年、ナルサスとアルフリードの2人が夫婦として志半ばにして退場してしまったことで、
最終巻16巻に関しては、結末を見届けるという大儀の中に、
私の中でどこにオチが付いたのかだけでいいや…。みたいな気持ちが出来上がってしまってまして。
ナルフリの未来がなくなり、終わってしまった今、
最終巻は最終巻自体が、一巻丸々使った盛大なエピローグになってしまうんだろうなぁなどと思っていたら、
読後の感想としては、あながち間違っていないという感じでした…。
例えて言うなら、毎週放送している連続ドラマがありましたとします。
ラスト二話のクライマックスで最大の悲劇と展開があります。
続きが気になって一週間待ちました。
待った最終話は10分拡大スペシャルだったけど、
最終話の冒頭から前回までのクライマックスから始まることなく、突然普通に後日談と回想が始まる。
前回と最終回がぶった切られてて繋がっていない。
そして、残った人達で話を進めている。
…そんな感じの時々目にするドラマ構成に通じるものがありました。
最終回はダイジェストです。みたいな。
正直な話、
私は田中芳樹作品を読み込んでいる作家ファンというよりは好きな田中芳樹作品がいくつかあるだけの作品ファンのカテゴリです。
なので、「皆殺しの田中」という異名が作品のコンセプトなのか、個人の美学なのかは正直わからない部分があるんですが、
最終巻はどうしても、「皆殺しの田中」という異名に引きずられたその名に相応しい過剰なサービスだったのかなぁと。
16巻で終わらせます。と公言した意識を守るのは大事だけど、やっぱり収まりませんでした無理でしたと訂正して前後編二冊出して頂けても、
私個人は約束を違えたとかプロ意識がないとは、思いません。
皆殺しの田中内容は、あらかじめ公言していた展開だとしても、
そこまでして消さなくてもいいんで…と思う気持ちと、
でも人が死ぬ時って割と理不尽だし、納得いく死のないものが大体現実だったりするし、
全てが上手くいく訳じゃないけど、物語としては読み終えるだけの何かが欲しいじゃないですか。
その辺りの整理がなー。
しかし、生き残ってしまうと、
未来をちゃんと考えてあげないといけない。と、
いう点では退場なさって頂いた方が頁数的にもいいんだろうなぁというゲスい事が簡単に思いつく大人になってしまったので、
まぁ歳月流れ過ぎですよねっていうこの。
最終巻なので、あらすじでいうと今まで登場した主なキャラクター総出演でスポットが当たり大体は総決算スポットと同時にもれなく「死」
今の今まで応援してきた、共に生きてきた登場人物たちの結末が、余りにも事務的に淡々と続く「死」の羅列。
盛り上がりも感動も特になく、ああいなくなったハイ消えたお前もかお前もか…と無表情で読み流す私と、
思い入れのあるそれぞれが、短い文章で死を迎える中に、ウワァ痛そうウワァ残酷ウワァウワァ…と目を背ける私と、
淡々といなくなったいなくなった死んだ死んだと読み続けながら、この人の人生や、この人生の終え方は一体何だったんだろう…とやりきれなくなる私。
淡々と死を見送りながら、死を受けるまでの凄惨さから目を背けたり、愛する登場人物を失った喪失感でモヤモヤしたり。
淡々と読んだのに淡々と処理できない。
未だにやりきれない。
あ、戦場での退場シーンの数々なんかは「真田丸」の残り数話の自軍がどんどん崩壊していく様を、
よりエグく表現した感じかなとふと大河を思い出しました。
最も真田丸は史実に存在した主人公の題材からしてラストが最初から想像付く範囲の崩壊と敗北じゃないですか。
アルスラーンってそうじゃないじゃないですかって思ったら、
早い段階で叙事詩とか大体死にますとか栄枯盛衰って話って言われてたって聞きましたわ…愕然とする…。
●アルスラーン
アルスラーンは、この少年を支えたいと心酔し、支えてくれる人がいるから、
その自分を支えになってくれる人を支えるに足りる、支えられるに値するに相応しいであろうと心底努力するのが美点でした。
ただ、アルスラーンを支えるチートな大人の中で格段にチート無双だったナルサスという高い壁があったからこそ、
アルスラーンの伸びしろが無限だったように思えてくるぐらい、ナルサスの喪失が大きかった気がします。
ナルサスに頼りっぱなしだった訳でなく、自分でちゃんと考えて出した答えも沢山あって、
それが採用される事でちゃんと独立して成熟していくのかと思ったら、
頼りにしているナルサスが傍で見ているからこそ一生懸命考えた。というのが少なからずあったんだろう。というのが最終巻で出てきます。
ナルサスならこう考えるであろう、そしてそれが一番最善だろうという答えのすり合わせがなくなった時に、
アルスラーン自身の判断が、毅然とした王たる者の判断ではなく、優しさと甘さによる凡庸な少年の判断に変わる。
それはナルサスの教えに背く。という判断に繋がる訳で、当然の事ながらナルサスの判断が全ての正解ではない。
けれど、それは公人と個人の境目をなくす。
長所から来る優しさ甘さが、それ判断としてどうなのよ。という部分に繋がり、
ここに来てアルスラーンの成長を促していたアルスラーンの性格が、アルスラーン自身の性格で彼自身の成長を止めてしまい、
補助輪のはずされた自転車のようになってしまった。
自立が間に合わなかったという印象。
結果、「ナルサスがいたら」「ナルサスが生きていれば」と最終巻ですら読者は思ってしまうし、
「ナルサスが後三年生きていたら」
と信頼し、信頼されている臣下にまで思われてしまう。
これは悲しいし、しんどかった。
最終巻にして、主人公自身が完全に不安因子じゃないですか…。
この最終巻の冒頭辺りから頻繁に顔を出すようになる、ブレーンのいない統率者アルスラーンの優しさから来るポンコツ判断。
アルスラーンの要所要所の漠然としたポンコツ化の積み重ねが物語の終焉を助長するなんて前巻からは思ってなかった…。
最終巻は独り立ちするはずではなかったのか…いや…前巻辺りまでに、優しさや甘さが命取りかも…って結構思われてたね…。
何だ…地味なフラグだったのか…。
死ぬ死ぬと予想されていた彼ですが、最終的には王よりも個人として望んだ最期。
今までキャラの濃いチートな大人家臣の中で、
極めて無個性であったアルスラーン個人の意思を最後の最後に優先していたと思います。
故人の意思を確認してないのに、生き残った人に遺言めいた事を残して人生を縛ったり、いいのか悪いのかはもうわからない。
アルスラーンは主人公だったけども、登場人物同士を繋げて物語を動かす役目が多く、
「アルスラーン」は王の名前ではなくて、王にたる者に必要な「概念」のようなものになってしまった感があるので、
一部メインだった時代の、この王が歴史に名を残す偉業をした「開放王」のような誰もが知るビッグネームではなく、
歴史の中でこんな王様の時代もありましたよ「開放王」って言われてたみたいです。という、
現実では本当は史実の中のうっすらとした時代と時代の繋ぎ程度のマイナーな何かだったのかも知れないんだよなー。
この少年の成長と独立が物語のメインで流れで帰結だと思っていた子供のころの私は、
この少年の成長の山あり谷ありの試練が、その後の退化の谷で終わる衰退だとは思ってなかったけど、
大河ドラマって主人公が決まった時点で、何処で失敗して何処で終わるかっていう栄枯盛衰がついてくるので、
そういう着眼点だと、アルスラーンも長年続いた大河ドラマだったと思えば…。
先が見えなかった…先を知らなかっただけで…。
●ダリューン
ダリューンは一番最初にアルスラーンの味方になってくれた人で、戦場で亡くなった仲間の中で最期まで最も長くいてくれた人。
という立場では、アルスラーンにとってはかけがえのない仲間達の中で頭一つは特別な人だったのだと思います。(性別関係なく)
正直、アルスラーンはお亡くなりになるとしてダリューンは生き残ると勝手に思ってて、
それはまぁ絹の国の美姫エピソードを盛大に支持しているが故の欲目以外の何者でもなくてのう…。
アルスラーン個人に忠誠を誓っているのなら、アルスラーンいなくなったら国捨てても仕方ないとか思ってたり…。
ナルサスという親友とは両翼と言われるだけあって、知能頭脳と武勇体力で役割分担のチート同士で二人で一つみたいなところも多かったから、
ナルサス喪失の状態で一人でアルスラーンを守り立てられるかったら、とうしてもイエスマン寄り待ったなしで最期の最期に武勇頼みの脳筋化…。
人相手には最強だったけど人外においてはお察し…というところでクライマックスで退場にしても簡素な流れでした…。
実に惜しい…。別れの言葉もシーンも呆気なくて頁が押ししている感…。
絹の国に遺児とかいないかな…と妄想するのが残された唯一の楽しみです…。
●ナルサス
去年の退場時に残した謎の書面が、
開けてみれば死せる孔明なんちゃらかんちゃらの如く大逆転劇に繋がる重要な何かかと思ったらそんな事はなかった。
ナルサスの退場が遺したことと言えば、アルスラーンのところでも書いたけど、
いかにナルサスが凄かったのかと、何故ナルサスがいないのか。というところなので、
ナルサスの死が味方陣営の起爆剤になるかと思えば、
普通にナルサスがいないとどうにもならないっていう現実を、わかってたよ!という形で目の当たりにするだけだったという…。
いや、でもナルサスも対人以外の魔道は専門外なので、そんなに上手く対処出来てなかった部分すらも死後の美化かも知れないけど。
ナルサスはああいう望んで挑んだ戦いではなく、
不本意な形でアクシデント扱いの死で、そこ思うと油断や慢心や家族が出来た守りの姿勢が出たとかあるとして。
でも、ナルサスはたまたま出会ったアルスラーンに心動かされて、その後にアルスラーンという王を通して自分のやりたかったこと次々やって、
引っ掻き回して、まだこれからもいろいろやりたかっただろうから、
志半ばで無念っちゃあ無念だけど、最期の阿鼻叫喚に巻き込まれなかっただけ良かったのかなぁ。
彼が生きてたら、彼の禁止事項をアルスラーンは守ったかも知れないけど、もしナルサスでもどうしようもない滅びが来た時を考えると、
その期に立ち会わなくて良かったのかなぁどうなのかなぁとは思います。
アルスラーン戦記は、アルスラーンの物語だけど、
歴史としては、パルス周辺諸外国が思っていたように、
実際は、その通り本当に背後でナルサスという策士が王を扇動して盛大に動いていたという時代のパルスだった。ということなのかも知れない。
うーむ。
続く。
例によって、最終巻はケツから読むクセが抜けませんでした…。
去年、ナルサスとアルフリードの2人が夫婦として志半ばにして退場してしまったことで、
最終巻16巻に関しては、結末を見届けるという大儀の中に、
私の中でどこにオチが付いたのかだけでいいや…。みたいな気持ちが出来上がってしまってまして。
ナルフリの未来がなくなり、終わってしまった今、
最終巻は最終巻自体が、一巻丸々使った盛大なエピローグになってしまうんだろうなぁなどと思っていたら、
読後の感想としては、あながち間違っていないという感じでした…。
例えて言うなら、毎週放送している連続ドラマがありましたとします。
ラスト二話のクライマックスで最大の悲劇と展開があります。
続きが気になって一週間待ちました。
待った最終話は10分拡大スペシャルだったけど、
最終話の冒頭から前回までのクライマックスから始まることなく、突然普通に後日談と回想が始まる。
前回と最終回がぶった切られてて繋がっていない。
そして、残った人達で話を進めている。
…そんな感じの時々目にするドラマ構成に通じるものがありました。
最終回はダイジェストです。みたいな。
正直な話、
私は田中芳樹作品を読み込んでいる作家ファンというよりは好きな田中芳樹作品がいくつかあるだけの作品ファンのカテゴリです。
なので、「皆殺しの田中」という異名が作品のコンセプトなのか、個人の美学なのかは正直わからない部分があるんですが、
最終巻はどうしても、「皆殺しの田中」という異名に引きずられたその名に相応しい過剰なサービスだったのかなぁと。
16巻で終わらせます。と公言した意識を守るのは大事だけど、やっぱり収まりませんでした無理でしたと訂正して前後編二冊出して頂けても、
私個人は約束を違えたとかプロ意識がないとは、思いません。
皆殺しの田中内容は、あらかじめ公言していた展開だとしても、
そこまでして消さなくてもいいんで…と思う気持ちと、
でも人が死ぬ時って割と理不尽だし、納得いく死のないものが大体現実だったりするし、
全てが上手くいく訳じゃないけど、物語としては読み終えるだけの何かが欲しいじゃないですか。
その辺りの整理がなー。
しかし、生き残ってしまうと、
未来をちゃんと考えてあげないといけない。と、
いう点では退場なさって頂いた方が頁数的にもいいんだろうなぁというゲスい事が簡単に思いつく大人になってしまったので、
まぁ歳月流れ過ぎですよねっていうこの。
最終巻なので、あらすじでいうと今まで登場した主なキャラクター総出演でスポットが当たり大体は総決算スポットと同時にもれなく「死」
今の今まで応援してきた、共に生きてきた登場人物たちの結末が、余りにも事務的に淡々と続く「死」の羅列。
盛り上がりも感動も特になく、ああいなくなったハイ消えたお前もかお前もか…と無表情で読み流す私と、
思い入れのあるそれぞれが、短い文章で死を迎える中に、ウワァ痛そうウワァ残酷ウワァウワァ…と目を背ける私と、
淡々といなくなったいなくなった死んだ死んだと読み続けながら、この人の人生や、この人生の終え方は一体何だったんだろう…とやりきれなくなる私。
淡々と死を見送りながら、死を受けるまでの凄惨さから目を背けたり、愛する登場人物を失った喪失感でモヤモヤしたり。
淡々と読んだのに淡々と処理できない。
未だにやりきれない。
あ、戦場での退場シーンの数々なんかは「真田丸」の残り数話の自軍がどんどん崩壊していく様を、
よりエグく表現した感じかなとふと大河を思い出しました。
最も真田丸は史実に存在した主人公の題材からしてラストが最初から想像付く範囲の崩壊と敗北じゃないですか。
アルスラーンってそうじゃないじゃないですかって思ったら、
早い段階で叙事詩とか大体死にますとか栄枯盛衰って話って言われてたって聞きましたわ…愕然とする…。
●アルスラーン
アルスラーンは、この少年を支えたいと心酔し、支えてくれる人がいるから、
その自分を支えになってくれる人を支えるに足りる、支えられるに値するに相応しいであろうと心底努力するのが美点でした。
ただ、アルスラーンを支えるチートな大人の中で格段にチート無双だったナルサスという高い壁があったからこそ、
アルスラーンの伸びしろが無限だったように思えてくるぐらい、ナルサスの喪失が大きかった気がします。
ナルサスに頼りっぱなしだった訳でなく、自分でちゃんと考えて出した答えも沢山あって、
それが採用される事でちゃんと独立して成熟していくのかと思ったら、
頼りにしているナルサスが傍で見ているからこそ一生懸命考えた。というのが少なからずあったんだろう。というのが最終巻で出てきます。
ナルサスならこう考えるであろう、そしてそれが一番最善だろうという答えのすり合わせがなくなった時に、
アルスラーン自身の判断が、毅然とした王たる者の判断ではなく、優しさと甘さによる凡庸な少年の判断に変わる。
それはナルサスの教えに背く。という判断に繋がる訳で、当然の事ながらナルサスの判断が全ての正解ではない。
けれど、それは公人と個人の境目をなくす。
長所から来る優しさ甘さが、それ判断としてどうなのよ。という部分に繋がり、
ここに来てアルスラーンの成長を促していたアルスラーンの性格が、アルスラーン自身の性格で彼自身の成長を止めてしまい、
補助輪のはずされた自転車のようになってしまった。
自立が間に合わなかったという印象。
結果、「ナルサスがいたら」「ナルサスが生きていれば」と最終巻ですら読者は思ってしまうし、
「ナルサスが後三年生きていたら」
と信頼し、信頼されている臣下にまで思われてしまう。
これは悲しいし、しんどかった。
最終巻にして、主人公自身が完全に不安因子じゃないですか…。
この最終巻の冒頭辺りから頻繁に顔を出すようになる、ブレーンのいない統率者アルスラーンの優しさから来るポンコツ判断。
アルスラーンの要所要所の漠然としたポンコツ化の積み重ねが物語の終焉を助長するなんて前巻からは思ってなかった…。
最終巻は独り立ちするはずではなかったのか…いや…前巻辺りまでに、優しさや甘さが命取りかも…って結構思われてたね…。
何だ…地味なフラグだったのか…。
死ぬ死ぬと予想されていた彼ですが、最終的には王よりも個人として望んだ最期。
今までキャラの濃いチートな大人家臣の中で、
極めて無個性であったアルスラーン個人の意思を最後の最後に優先していたと思います。
故人の意思を確認してないのに、生き残った人に遺言めいた事を残して人生を縛ったり、いいのか悪いのかはもうわからない。
アルスラーンは主人公だったけども、登場人物同士を繋げて物語を動かす役目が多く、
「アルスラーン」は王の名前ではなくて、王にたる者に必要な「概念」のようなものになってしまった感があるので、
一部メインだった時代の、この王が歴史に名を残す偉業をした「開放王」のような誰もが知るビッグネームではなく、
歴史の中でこんな王様の時代もありましたよ「開放王」って言われてたみたいです。という、
現実では本当は史実の中のうっすらとした時代と時代の繋ぎ程度のマイナーな何かだったのかも知れないんだよなー。
この少年の成長と独立が物語のメインで流れで帰結だと思っていた子供のころの私は、
この少年の成長の山あり谷ありの試練が、その後の退化の谷で終わる衰退だとは思ってなかったけど、
大河ドラマって主人公が決まった時点で、何処で失敗して何処で終わるかっていう栄枯盛衰がついてくるので、
そういう着眼点だと、アルスラーンも長年続いた大河ドラマだったと思えば…。
先が見えなかった…先を知らなかっただけで…。
●ダリューン
ダリューンは一番最初にアルスラーンの味方になってくれた人で、戦場で亡くなった仲間の中で最期まで最も長くいてくれた人。
という立場では、アルスラーンにとってはかけがえのない仲間達の中で頭一つは特別な人だったのだと思います。(性別関係なく)
正直、アルスラーンはお亡くなりになるとしてダリューンは生き残ると勝手に思ってて、
それはまぁ絹の国の美姫エピソードを盛大に支持しているが故の欲目以外の何者でもなくてのう…。
アルスラーン個人に忠誠を誓っているのなら、アルスラーンいなくなったら国捨てても仕方ないとか思ってたり…。
ナルサスという親友とは両翼と言われるだけあって、知能頭脳と武勇体力で役割分担のチート同士で二人で一つみたいなところも多かったから、
ナルサス喪失の状態で一人でアルスラーンを守り立てられるかったら、とうしてもイエスマン寄り待ったなしで最期の最期に武勇頼みの脳筋化…。
人相手には最強だったけど人外においてはお察し…というところでクライマックスで退場にしても簡素な流れでした…。
実に惜しい…。別れの言葉もシーンも呆気なくて頁が押ししている感…。
絹の国に遺児とかいないかな…と妄想するのが残された唯一の楽しみです…。
●ナルサス
去年の退場時に残した謎の書面が、
開けてみれば死せる孔明なんちゃらかんちゃらの如く大逆転劇に繋がる重要な何かかと思ったらそんな事はなかった。
ナルサスの退場が遺したことと言えば、アルスラーンのところでも書いたけど、
いかにナルサスが凄かったのかと、何故ナルサスがいないのか。というところなので、
ナルサスの死が味方陣営の起爆剤になるかと思えば、
普通にナルサスがいないとどうにもならないっていう現実を、わかってたよ!という形で目の当たりにするだけだったという…。
いや、でもナルサスも対人以外の魔道は専門外なので、そんなに上手く対処出来てなかった部分すらも死後の美化かも知れないけど。
ナルサスはああいう望んで挑んだ戦いではなく、
不本意な形でアクシデント扱いの死で、そこ思うと油断や慢心や家族が出来た守りの姿勢が出たとかあるとして。
でも、ナルサスはたまたま出会ったアルスラーンに心動かされて、その後にアルスラーンという王を通して自分のやりたかったこと次々やって、
引っ掻き回して、まだこれからもいろいろやりたかっただろうから、
志半ばで無念っちゃあ無念だけど、最期の阿鼻叫喚に巻き込まれなかっただけ良かったのかなぁ。
彼が生きてたら、彼の禁止事項をアルスラーンは守ったかも知れないけど、もしナルサスでもどうしようもない滅びが来た時を考えると、
その期に立ち会わなくて良かったのかなぁどうなのかなぁとは思います。
アルスラーン戦記は、アルスラーンの物語だけど、
歴史としては、パルス周辺諸外国が思っていたように、
実際は、その通り本当に背後でナルサスという策士が王を扇動して盛大に動いていたという時代のパルスだった。ということなのかも知れない。
うーむ。
続く。