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【微塵我報】

思い込みと勘違いと妄想と思い出補正の懐古厨による、最早ヲタクの余生です。はてなブログさんにお引っ越し予定です。

10年ひと昔。

2015年11月27日 12時18分04秒 | 語り。
日記書いてない時期もあったので、書き続けていたかと言えば、とても書いてた時期がある。というくらい波があるのですが、
そういえば、このブログお借りして10年も経ってしまったので10年間のあれやこれやがここに蓄積されています。コワイ…。
サイトの方も更新もせずに場所を借りているのですが、
10年の間に萌え的な反射速度とかパッションとかかなり衰えて来てるなみたいなのは凄い感じてますね。
反射速度がないから一旦寝かせてしまうと沈静化したりするので、これを起き上がらせるとかに時間食ったりで。
後は、凝り固まってしまった割に柔軟になったとか、自分の意見を言う前に周りを気にするようになって何も言わなくなってしまったとか。
矛盾だらけですトホホ。

漫画家さんや小説家さんはプロなので私などは遙かに足元に及ばないのを承知で言うと、
書き手さんも絵柄が変わってしまって元に戻らなかったり、
作品を連載している途中に考え方が変わって来て、当初思い描いていた展開と全く違う事になってしまって、
読者的には全く望んでいない終わりになってしまったり。
それもそれで仕方ないかなーって思うようにはなりました。

比較するのもおこがましいんですが、ジルで創作していた時にウチの女主ちゃんってあんな感じで、凄く脳ミソの若いお嬢さんでした。
すーごく若くて恥とか関係なくとにかく青いな一生懸命だな可愛いなってところを大人の皆さんが生暖かく見守っているスタンスで。
で、その子が背伸びして頭いっぱい使って何とかして、そこにいる一見、世間をよく知っていて凄く頼りになる大人の男なんだけど、
深入りする程に難しくてどうしようもない男に振り向いて欲しい認めて欲しいって頑張ってたはずでした。
(あー何かこれ形と展開こそ違うけど説明だけならラマンに聞こえる)
それで精神的に成長していくような過程で、彼女の現時点のスキルにおいて受け止めきれない状態で、男がこちらを頼る状態に出くわして
頭パンパンになってしまったのが叔母コン全開からのR18展開で結構重かったとこで話止めてまして。

あれを結局どういう風に持って行きたかったかというと、
女主ちゃんが成長して、割り切れる・放置する・許容する。ゆとりを持つようになることで、
気持ちが落ちついて、それをもって大人とする。みたいなところに何とか折り合いをつけて収めようとしてました。
要は、かっこよくて憧れていた人を、可愛いなしょうがないな。で、済ませられるようになる感じで。
結局、そこって男にとっては、子供だと思ってた娘を大人の女として扱えるようになった安心感の反面、
自分に都合の良いように女が成長して、男はそこに依存して甘えるだけなところもあるので、
それが必ずしも良い形とは思わないんだけど、お互いがお互いの望む形で寄り合って収まっていく、そんな終わりにしたかったのです。
彼好みにはなったけれど、彼の都合の良い事になったけど、彼女は自立して離れていくことも出来ますよ。な。
離れないのわかってるけど。
ただ、あのままだと女主ちゃんは男と一緒に生きても別に彼の物ではないので、誰とあの後くっつこうが、誰と何しようか、
男の方は干渉できないので、その辺りどうしますか。
っていう謎の課題も用意してたんだけどどう収まりつけようとしてたんですかねこの辺り。

って寝る前にふと思い出してずっと考えていたので書き残しておきます。
ただ、歳月が経ってしまったので、割り切れないことスレスレで乗り越えてやっと大人になりましたよ。ってラインが、
今だと、男に対してもっと上から目線というか、もっと悟ってしまってるんでないか。
ってとこまで達観した女主ちゃんが出来そうで怖いなぁというのはあります。
歳月で変わるもの、変わらないものってあるんだなぁ。

エドリルに対しても、こうですこうですこうしたいですこうなりたいですこうさせたいです!って声高に叫んでた内容に関して、
もっと柔軟にいろんな可能性を考えていけるようになったと思います。
これも後年、いろんな方の呟きを拝見して、自分とは違う展開の構想に、
そうですねそうですよね、そうなりますよね、それもありですよね、わかります!って共感できるくらい柔軟になりました。
それも栄養だしとても楽しいです。

そんなこんなです。

あら。

2011年07月05日 23時09分16秒 | 語り。
あれ、何か書こうと思ったけど思い出せないや。どうしようん。
という訳で思い出したら、熱く書きにきます!

いや、最近暑い。割と最近まで寒かったので、急激な温度変化に耐えられなくて、
汗かきながら鳥肌が止まらないという変な身体になって参りました。

扇風機と地デジチューナーが売れてます!
チューナーに関してはこの土壇場に品切れ手配不能に近くてドタバタしてます!


ナルシズム回想7。

2011年05月31日 23時39分38秒 | 語り。
昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。




まさか大人になって訪れて日帰りで帰って来るという強行突破をするとは思っていませんでしたが、
一日の間で見事に往復しまして。
自宅で朝起きても自宅で眠るという当たり前の日常の中に、
人生の中の2年間の濃い思い出の世界に駆け込むという非現実感を挟んだお陰で興奮して寝れませんでしたね。
疲れているのに寝れないという。足に力入り過ぎてちょっとした筋肉痛になったっぽいのにのぅ。


やっぱり行って良かったです。
ふっきれたという気持ちとは違うのですが。
納得した。凄い納得した。
廃業・閉店・廃屋・取り壊し・空地。
そういう物が昔より明らかに増えていて、思い出の景色より過疎して、
とても物悲しく寂しい気持ちになったのと同時に、
退化や衰退していると感じさせた物の中に普遍さとか恒久さが見えました。
変わってない。
その印象を再確認したら、やっぱり「ない」って思ってしまいました。
確かに、大きな都市の大きな店がなくて不便だけど、
今は、宅急便があれば、通販で欲しい物が家まで届くので便利にはなっていると思います。
けど、ネットが通じても、パソコンは誰が詳しくて何処で直せばいいの?というところで詰まりました。
同伴者が「家電量販店は何処にあるの?」と聞いてきました。答えられず。
やっぱり不便に勝てません。

町の感じや町の人を見て、
もし、例えば万が一、たまたま偶然この町で、
当時ちょっとカッコイイなと思っていたメンズとかにバッタリ運命的に出会ったとしても、
この町でお嫁かも知れないという背景がある限り、それはない。と絶てるくらい、ない。事なのだと納得しました。

ない。
本気でない。
そう確認できた時、随分楽になったというか、終わった。という気持ちになれました。
今、住んでいる町が良い町かといえば、
不定期に強盗騒ぎがあり、小学生が職場の裏で火遊びをしてボヤ騒ぎ、警察に保護されるも職場に親が謝罪なし、
バス停は殆どがコゲている。というスラムっぷり。
そして、あの町から逃げた後は
「いじめられて戻ってきた」という噂の肩書きを背負って地元に戻り、転校し直しで転入した新学期、
招かれた校長室の前で、元クラスメートが、中に本人がいると知らずに吐いた私の話、
「戻ってきたけど、あんまり関わりたくないんだよね」
と言われた中で暮らし直す事になり、逃げた後も別な意味で逃げ続ける事になりました。
それはそれで、私の素行が悪いのだから当然なのでしょう。
どっちがマシか。ってだけの事です。

帰路で旭川を越えた時に、空気と環境がガラリと変わると同時に、
帰ってきた!という気持ちになりました。
帰路の夜にようやく再会した全国展開のファミレスの店舗共通の安定した安心の味わいが、こんなに美味しく感じた事がなかったです。

とにかくスッキリしました。
あそこはあそこのままで、私は私のままで良い。
私はこれでいい。
少し、そんな違う風に納得しました。
行って良かったです。




ただ、それだけの結論を書くまでに長い前振りと日数をかけてしまいました。
鬱内容でスミマセンでしたが、私は今、晴れやかですと言ったら迷惑ですね。
長々とお付き合い有難うございました!

また普通の日記に戻りまするるる!

ナルシズム回想6。

2011年05月30日 00時15分54秒 | 語り。
昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。




町に入って懐かしいメインストリートを辿ると隣接しあう小学校と中学校がありました。
どちらも改築や改装された形跡はなく余りにも記憶通りでした。
小学校などは、風邪を引いた等という見え透いた事情で欠席した所で、
思わず、口に出した言葉が
「ここの地下室に閉じ込められたさー!」
とかどうなんでしょう。

通学路を通りながら気がついたのが、記憶の中と微妙に町並みが変わっているのですが、
その内容は、取り壊して更地になったままの土地が空いている所が随所にあるので、
町並みが立ち並ばずにところどころ欠けていました。
信号の角地が欠けたままというのもあり、勿体無い話です。
遠足のおやつを買った駄菓子屋的な店が完全に廃業していたり。


仲良くしてくれた友達の家や、お世話になった母の友達の家はそのままの形で残ってました。
御挨拶をしたいという気持ちもありましたが、手土産ナシのアポなしや、
今日の経緯の説明などでかえってややこしくなるのでまた次の機会にしました。
私を置いて登校した、両親に甘やかされていた一人っ子の子の家は跡形もなくなっていました。
聞いた話では、彼女は随分早くにお嫁に行ったらしいので、
実家だけになった彼女の両親が古い自宅を引き払ったか、単に家を建替えて引き払ったかどちらかでしょうと妄想。
最も、自宅の向かいにあった、彼女の両親が営んでいた軽食喫茶が「売り店舗」になっていたので、
心の底からほくそ笑んだ腹黒いスケールの小さな私がおりました。
勿論「売れねーよ!」と大いに突っ込ませて頂きました。
完全にささやかな仕返しです。

その出来事に無駄に高揚してしまって、通学路をなぞりながらも、自分が住んでいた家に向かう道を通り越してしまい、
もう少し進んだ所から折り返す事にしました。
そして、衝撃です。
昔、通っていたスーパーは閉店してしまい、この町では食料品の買い物をするのが困難になったと聞いていたのです。
確かに、その懐かしい商店は閉店していました。
私が通っているのは商店街のメイン通りです。
メイン通りにスーパーの廃屋が放置されているのです。
正面以外の所が、朽ち果てかけてて、完全に動揺しました。
この崩れかけた中で買い物をしていた日があったのです…。

でも商店街と行っても、殆ど廃業閉店で殆ど廃屋に近い状態の建物ばかりがメイン通りに立ち並んでいたので、
ちゃんと機能している店が、時折地方ローカル番組で紹介される、町の人に人気の飲食店(特に車なし)や、
学校関係で安定した仕事のある制服取り扱いの呉服屋や、町の電器屋さんぐらいでした。
スーパーの機能を持った食品の店が壊滅しているお陰で、小さな町に関わらず、
道民に御馴染の独自の流通で頑張っているコンビニが2件ありました。

そんな感じで商店街の見る影もにいクタビレ加減の中で、一際新しい写真館。
同級生男子の父親が、学校御用達の写真屋さんとして働いている御店が移転リニューアル兼自宅になった店だとすぐわかりました。
専門学校時代、ここの息子が写真学科に在籍していた事を校内でバッタリ出くわして知っていたので、
彼か彼の兄弟が町の写真館を継いだのだと思います。
学校で出くわしたけど、向こうは気づいていないし、私は、失脚して疎遠になった側の人なので、
自分から話しかける程の真柄でもなかったので、学校時代の接触はなかったのですけども。
ただ、この店舗兼自宅、しかも複数世帯用の自宅が、
このすたれて見える町の中や、それを省いて考えても結構な坪数のひときわ豪邸で、
このパソコンだプリンターだデジカメだで、写真屋が儲からないと嘆かれる昨今、
学校お抱えと言え、この写真屋1本でこの大豪邸は何だと突っ込まずにはいられず、
この話題でしばらく盛り上がれました。

一方で私の家があった場所です。
前情報で、私が住んでいた住宅の一角は、取り壊されて整地されて、町の何とか施設が建てられている。
というベタ中のベタな展開を聞いていました。
実際にその通りでした。
私の家のあった住宅地がまんまなくなってて、
私の近所が近所の面影を残したまま、家の辺りだけが平地に整地された駐車場になってて。
家に上がる時にちょっとだけ登った坂ガッツリ削られてて、昔ここ、ちょっとした坂でしたという面影全くなし。
余りの様変わりに、家のあった場所も、
ここが跡地!という説明じゃなくて、全体的にこの辺り?という大雑把な事しか言えませんでした。
家がなくなっている。というのは住んでいた痕跡が消える事なので、この辺りの感情もまた複雑ではありました。
でも、どっちかというと、家がなくなっている。という事が、いる場所ではなかったんだ。
という気持ちに繋がってしまったようで、それはそれで納得が出来ました。
パッと見の印象ですが、
何とか施設は、御金を持っている町がガッツリ箱物を建てたが使いう人口がいない。という典型的な図式に見えました。

会社がこの地域を商圏に入れた地域に出店したので、是非見てみたい。という事もありました。
その話を聞いた時に、これは当たるな。と思っていたのですが、実際さすがスーパーが廃屋になる町。
毎日予算達成という優秀店舗具合で、これは是非見てみたいと思っていました。
行ってみたら、新店なのに店内がグダグダ過ぎて、複雑な気分でした。
列に行列が出来ているのに、レジの応援がいないwwwww
勤務先だったら、お客さんが店内にいる従業員誰でも捕まえてレジ開けろ!って怒るところなんですが、
接客の比較対象がそんなにない地域で、独占的に営業出来ている強みなんだろうなぁとぼんやりと。
従業員が少ないというデフォと新店で店員がまだ新人というデフォは当然の事なのですが、
売れる店だから在庫が足りなくて実際に欠品している商品は沢山あるんだろうけど売場がガラガラで、
既に業務連絡済みで作業終了しているはずの事も出来てなくて、
品出しをせずに足元に荷物が放置されている中、
従業員が先に発注作業をしているとか店長何やってるんだ!と思いつつ、ウチの残念店長も人の事言えないからなぁ…。
そんな感じで店の中で興奮してテンション高く店の中を物色していたので浮いていたと言えば浮いてるのでしょう。
でも、これが自意識過剰でないとすれば、どのお客さんとも凄く目が合うのです。
普段、御客さんどうしで目が合うなんて、よっぽどない事で。
こちらが見ているから目が合うのではなく、そちらを見た時に目が合うので、多分見られているのです。
従業員の近くで、バイヤーの話とか商品の話をしていたので、従業員に不審がられるのは仕方ないけど。
視線を受けるこの違和感は同行者も感じた違和感のようで、凄く視線を感じて戸惑ったとの事です。
転校初日に廊下の人混みが割れた時とか、上級生にシメられたとか、スーパーで噂話されたとか、
そんな事を思い出して、これは、やっぱり余所者に対する違和感を察知されたんだなと深読みに走りました。
当たらずとも遠からずかな。
しかし、このエリアは、
ラマン問題で私の中で常にストレスの対象であった前店長エリート君がエリアマネージャーで君臨している地域なのに、
彼の嫌味で口うるさいクオリティ要求の管轄が一切及んでいない、或いは彼の美意識目標が反映されていない、
上司の意向が届かない屈強な地域であるというのも凄いなぁと思いました。
ウチの店だったら許されない事が出来ているのが羨ましくもあり。悔しくもあり。
まぁ、店長もエリアマネージャーも余所者と言われればそれまでですが…。
何と言うオチ。




シメに続く。

ナルシズム回想5。

2011年05月27日 22時57分05秒 | 語り。
昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。




私は助手席で、あそこへ行ってとかそこで曲がってというだけの簡単なお仕事です。
それだけの事なのに、座っているだけの足に物凄く力が入るのがわかりました。
その町へ行く前に立ち寄った町が、
あの町では買い物の用事が足りなかったので、
その近郊では大きいと思われた都市のデパート的な要素のあるスーパー、
しかも改装したてだったという店があった町なのですが、
そのスーパーに入ってみたら記憶の中の大きな店でも何でもなく只の古めかしいスーパーになっており、
果たしてこの店で本とか文具とか服とか買っていたのかが疑わしいほど、劣化していました。
しかも凄く狭いし、天井が低い…。

そしてその市は一応市なので全国展開のチェーン店舗は何種類かあるんですが、
それはドラッグストアやしまむらやゲオやツタヤであり、ファストフードやファミレス等の飲食系がパッタリなくなっていました。
これは何処で飯を食えと…。コンビニも探さないとない感じ。
これがまさに北海道、それはそれでそういう地域なのだという事を確認しながら、あの町に向かいます。
酪農と漁業のあの町へ。
何もない直線の道路をサイロや牧草や、放牧の酪農農家のエリアを延々と進みます。
随分前の記憶なので、この道路が本当に前に通った道路なのか怪しく思う事もありつつ、
でも何かこの景色知ってる!わかる!みたいな漠然とした感覚が甦ってきて。

そして、懐かしい町の雑然とした感じが懐かしいです。
やはり建替え改装移転などで建物の位地や印象が思い出の物と異なる物も多く、懐かしさと違和感と新鮮味が混在しています。
何、この感情!
昔に二年しか住んでいないわ、しかもヒキコモリ的に潜伏生活をしていたので、町の細かい地理を覚えておりません。
っていうか、ある意味知らないままで逃げ出したという感じです。
さすがに友達の家が何処にあったかというのはメイン道路沿いの子の家しか覚えておりませんがメイン探索の開始です。



続く。




ナルシズム回想4。

2011年05月25日 23時43分55秒 | 語り。
まだ、最近行った感想に辿り着けてないのですが、もう少しで何とかなります…!





昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。


結局、その町を離れてから知った事。

私が登校拒否気味だった事に加えて、母親が自律神経を病んでしまっていた事。
結局、私が子供同士のコミュニティに入れなかったように、
子供時代から確立された普遍的な環境で出来上がった大人達の方がもっと悲惨だったようです。
スーパーで買い物する時に
「あの人誰?」「何処何処から来た誰々さんで何処何処に住んでで何々してる…」っていう話が聞こえてきたり、
学校行事の父母懇親会及び、父母参観では、余所者というだけで、母親の両脇が不自然に空くなど、
おおよそ大人の行動とは思えない対応を露骨に多々されてさすがに参ったそうです。
それだけが全てではないと思いますが、
住めそうにない町で、子供の前で泣き言が言えず、
子供の為に出かけた学校行事で鬱な気分になり、その子供まで潰れてしまって、母親的にも随分大変だったと思います。
引越しの準備をするのも母親ですしね…。
子供が御世話になっている〇×ちゃんのお母さんに挨拶してみたけど…う…ん…。って事もきっとあったでしょう、今思えば。
聞けないけど。
妻と娘が潰れたとなったらお父さんも動くよね。

学校の先生達は、評判が悪い先生ばかりだったように思ったですが、実際はそうではなかった事。
実際、本当によくしてくれました。
多分、転勤で出入りする先生達も余所者なので、生徒の父母達が、そういう目で見ていたのだろうと思います。
今になって思う妄想ですが。
とにかく、子供が言った事だけを真に受けた親が、先生の言う事は聞かなくて良い。と子供に教えたりする環境だったので、
余所者こんな事言ってた、余所者のいう事は聞くな。という事だったようにも取れます。
そういえば、後から入ってきた私の言葉や話は、自分一人で言っているだけであって、
実際の事なのか証人がいないので、嘘つき扱いはよくありましたね。
いや、誇張癖はありましたけど…。

何処もそうかも知れませんが、
何処何処の誰々さんが誰々さんと付き合って、別れて、他の誰々さんと結婚して、誰々が生まれて、
誰々さんの子供と同級生で、誰々さんの親同士が仲が悪いから、子供達に遊んで欲しくない。とか、
自分及び家族、友達、交際相手、結婚相手、その子供同士の人生の経歴やプライバシーが
後世に渡ってダダ漏れになる小さな町って私には向かないなぁと思いました。
別に大きな町が正しいとかそういう意味でなくて、
最初からそこに住んでいたらとても楽な事で有難い事で守られている住み易い環境な事もあるでしょう。
孤独死とか、地域の関わりがない事が問われている都会の住宅の問題もあるので大きな町が良いという事もないでしょう。
でも、最初からいた人間が有利なのが露骨に出るとキツイというか、向かない…。

合う人と合わない人がいて、私は合わなかったし、合わせれなかったんだと思います。
大学で都市に出て地元に戻らない人も居れば、就職先を地元に合わせる人もいる訳で。
私も母もそうですが、馴染めなかった環境でも、ちゃんと相手になってくれる人に恵まれて。
これは有難い事でした。
母親の友達は今も友達で、時折家に招いたり会ったりしています。
私の方の友達は、成長や環境が変わる中で共通の話題とか近況報告とかとっかかりを失ってしまって
フェードアウトしてしまいました。
心の何処かで、あの町の出来事自体を忘れたかったのかも知れません。
親御さんとウチの親の付き合いが今も続いています。
これも御縁なのだと思います。

とりあえず、
人目を異常に気にするとか人の事ばっかり気にして顔色ばっかり伺う事に過敏になったのは、
この間の生活が根底にあると思われるんですが、
だからといってその癖に人を気にしないという矛盾した性格だったりしてもう。
後は、いつも最悪の事態ばかり想定しているという根暗な判断を身に付けたのもこの頃かも。
結果的に、それは自分の経験になって悪い事ではなかったけど、随分磨り減ったなぁと思います。


まだそんなに生きてない人生の中で、たった2年の出来事を心の何処かでずっと引きずりながら、
自力では行けない距離だし、家族で行く理由もないので、再び行くとかはずっとなかったんですが、
大人になって随分他人事のように接せれる感じになってきたので、逆にずっと興味津々でした。

機会があれば見てみたいと漠然と思ってて。


そして遂に、ドМ心極まって、いろんな意味で思い出の地に足を踏み入れるという悲願を達成したのでした。




ナルシズム回想3。

2011年05月22日 23時20分38秒 | 語り。
回想にお付き合い下さり、ありがとうございます!
形は違えど同じような経緯の経験をした方も割といらっしゃるので、
私だけがどう。という事もないのですが、お付き合いして頂ければ幸いです。




昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。


住んで半年もしないで、その慣習で浮いてしまった私は、
親友になりえた子の怒りを買い、ひたすら憎悪を受けながら、
クラスメートに距離を置かれる事となりました。
これは、高校生活においても同じだったので、
地元のコミュニティ云々とのしがらみは別なのかも知れないけど、
結局、当事者同士のいざこざは「あの人が嫌っているからこの人は嫌ってもいい」みたいに伝染するんですよね。
噂とか評判はあれど、
阻害されている人は阻害される理由があるので自分に直接被害はなくても、嫌悪の対象になるのと一緒という。
一緒に登校してた友達が、遅刻寸前まで迎えに来ないと思ったら、家出てるって言うし、単に置いてかれただけとか。
気がついた頃には、何言ってもやっても嘲笑の対称だし、失敗はある意味絶対許されない事で、
もうダメ学校つらい!みたいなよくある展開ですね。
うっへー、私、女子にも男子にも嫌われてるwっていう。
物品を破壊されたとか隠蔽されたとか暴力を受けたとか現代ほど犯罪的な被害の過激な事はされた訳ないので、
気持ちの持ちようでは無視と悪口と睨まれて何とかの程度なので、軽いと言えば軽いとは思うのですが、嫌な物は嫌ですよね。
本来、ない環境に出くわしている訳ですから。
大人になってしまえば、一人でいる事なんて当たり前だし苦ではないんですが、
この時代の一人って本当に心細いし、一人でいる事が許されない時期というか…。
いろんな意味で大人ほど自由で強くないというか、大人になって縛られる事じゃない事に縛られているというか。
人の心が自分から離れていく様をリアルタイムで傍観するしかない時の、あの異常な気持ちは今でも忘れられませんね。
離れてるのに気づいてないのに気づくっていうのとかも、心臓がギューーーーってなります。
とにかく毎日毎日サバイバルで、憂鬱で、具合が悪かったなぁ。
助けてくれたのは、修学旅行の班で居候させて貰った部屋の子達で、
その中の子の一人が札幌に精通してる環境の子で凄く親しみ持てたし、過去にやっぱり友達の機嫌を損ねて失脚した子で、
その御相手から今でも憎悪を食らっているという仲直りを許されてない環境の子で。
その子達の中に加わる事で、随分保護されていたように思います。
沢山遊ばせて貰いました。お家に通ったり。
後、担任の先生。
結構な御老人というか当時でも年配の先生で、至極まともな事を言い、生徒の機嫌を取らない先生だったので、生徒受けは非常に悪く、
子供達のいう事を真に受けている父母には評判が悪かったらしいのですが、随分御世話になりました。

最終的には、大抵の子供がそうであるように、
親に迷惑をかけたくない一心で自分の学校での出来事は親に言わないのがマイナスのデフォなので、
私も結構黙ってたんですが、転校の経験があるにも関わらず、結局この町で暮らす事に早くも限界と拒否感がつんのめって
母親にリタイア宣言しちゃったんですよね。
これは父親の仕事の転勤なので、嫌だと言った所で簡単に辞令が出る訳じゃないし、元の住まいに戻れる訳じゃないんですよね。
それに、引越しってとても御金がかかるという事は大人になってから実感する事なので、全てが上手く行ける訳じゃないですし。
でも、うちの父親は男として夫として頼りないと思う事が今は沢山あるけど、
お父さんとしては本当にいいお父さんで、1年待ってくれ。絶対元に戻す。って言って、
自ら辞令を志願して、技術屋から苦手な事務屋の方に一時移って、
家は前住んでいた町に戻して、自分は単身赴任で子供に転校をさせない。っていう選択をしてくれたんです。
これは心からお父さん有難うと感謝しています。

もう駄目だと思った1年。これから乗り切って終わらせる1年。
折り返し地点の始まりでした。
最終的には、担任の年配の先生に母親が相談を持ちかけて協力を依頼する真柄になっていたので、
内緒の話、小学校卒業からから中学校の入学の際に出すクラス分けデータは、
私に被害を与えた目立った一派とは離して、仲の良い子達や害のない子達で組んで頂くなど本当にお世話になり、
2年目は地味で質素だけど、1年目に比べれば雲泥の差で自由な環境を作る事が出来ました。


そうやって、申し訳ないけれど、仲良くしてくれた友達と別れる寂しさより、この町とオサラパ出来る喜びに打ち震えながら、
元居た町に戻ってきたのでした。



続く。

ナルシズム回想2。

2011年05月20日 00時31分24秒 | 語り。
回想にお付き合い下さり、ありがとうございます!
最近の感想に辿り着くまで長くなりますが、お付き合いして頂ければ幸いです。




昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。


クラスメートは、親が農家・漁師・公務員・商店街などの、
純粋に集落を形成する要素の人ばかりで、町の建設業社が親の人を除けば、
俗に言う会社員の親。というカテゴリが殆どいなかったように思います。

何だかよくわからないけど、生徒の親が割とモンペだらけで驚愕しました。
おかげで、その子供であるクラスメート達もそういう方向で随分個性的な子が多かったです。
テスト中はカンニングが横行しているし、先生の話は聞かないなど、
軽い学級崩壊でしたが、別に荒れている意識がないというのも唖然としました。
また、北海道での都市札幌から随分と離れた地域の為に、札幌に行った事のない子供達は沢山いたし、
札幌に行くという事は、そんなに気軽な物でなく、
年単位に一度あるかないかの夏冬休みをかけた一大ステータスであったらしいのです。
同じ道内でありながら、カルチャーショックでした。
「札幌って北見市より大きい?」と聞かれた時は、言葉が出てこなかったです。
しかし、その一方で豪農とか豪漁の家が多く、物流や物資の少ない田舎とか別の次元ではぶりの良い家が多く、
子供達がカードを持たされ、お祭りでは大金を使うとかは割とザラで驚愕しました。
そんな、そこで生まれそこしか知らず、そこのコミュニティを正義だと思っている環境の子達の中でも、
普通に友達が出来て、毎日を楽しくやれ始めたので、そんなに悪くはないのかも知れないと思い始めた夏休み前。
修学旅行のお泊り班を決める時。
全てがおかしくなりました。

どうも、その時、一番仲良くしていた子の機嫌を損ねてしまったようなのです。
原因は今でもわからないけど、回りがどうしても引かないのなら、誰かが折れなければならないのなら、
あえてそれをした方が円満に解決する場合があるではないですか。
私はあの時、自分が取った行動を今でも悪い選択だったとは思っていません。
そうしなければ、結論は出ないし、先送りにした所で話が思うとおりに進む事もありません。
そして、何故機嫌を損ねてしまったのか今もわかりません。
その憎悪がいつまでも自分に向かう意味もわかりません。
だけど、私の立場は喧嘩した方の悪い人の方。という事になっていました。
地元のコミュニティは友達だった子の側につき、
それを機に、余所者の私の周りにはほころびが出始め、私の足元は徐々に崩れていったのです。
当事者同士ではなく、いつの間にか全体の敵になっていたのです。

その子とは口も聞いても貰う事もなければ、私の方を見る時や見た時は必ず睨みつけられていたので、
その余りにも露骨な憎悪には正直と惑いましたし、その状況をスルー出来る程の大人では当然なかった訳です。
修学旅行は、結局仲の良かった友達らとは同行出来る環境ではなく、
転校当初から「あの子達は嫌われているから関わらない方がいい」と念を押された、大人しい子達の所に身を寄せさせて貰いました。
その子達は、本当に良い子達で私はこれから随分と助けて貰ったというか、これ以降同じ苦境を耐え抜く間柄に発展しました。



学校では秋から春のかけての長い逃亡と忍耐の生活が始まります。
そして、戦っていたのは子供の私だけではなく、大人だった母親も戦っていたのです。
この町で起きる事と。



続く。

ナルシズム回想1。

2011年05月19日 22時35分18秒 | 語り。
ここ1週間の興奮の原因の話をします…!




昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。


2年間だけ住んで住めなくて、逃げ出した町とも言えます。
私の人生の中のたった2年間の話で、私に一番影響を与えたかも知れない2年間の話です。


元々、今住んでる町の隣町に住んでいて、この辺りの管内は農業地帯で決して都会ではないのだけど、
札幌近郊という肩書きが付くお陰で、
田舎ながらも、交通や買い物の面において苦労はなく、人が出入りする事に慣れている地域でした。
父の転勤で、住んでいたこの管内の生活を引き払い、転校する事になりました。
引っ越した先は、海なし管内のこことは違い、オホーツク海に面した酪農と漁業の小さな町でした。
北海道を1つの県と同じ大きさだと思ったら大きな間違いだ。と、テレビで誰かが言っていましたが、本当にその通りでした。
遠い。本当に遠い。
その町に住む事になって、初めてその町へ行く途中、都市らしい都市、町らしい町がどんどん減り、
集落と言えるのかわからない家の並びすらなくなり、
ケータイのなかった時代、ここで車が事故ってしまったのなら、山奥の自然の中で朽ちるしかないような峠を越えて向かいました。
何もない。
というのがこんなに不安だった事がなかったです。
都会に住んでいた訳ではないけども、都会に融通の利く地域で、それなりの生活を送ってきた身としては、
物凄く、寂しくて切ない気持ちでした。

慣れた環境と離れて、新しく生活をやり直すという事は物凄くエネルギーのいる事です。
いろんな所に行けて良いとか、人生をやり直せて良いと、経験のない人は簡単に言ってしまうけれど、
実際はそんなに簡単で単純なものではありませんでした。
辿り着いた、新しい生活の始まる町は、町と言うほど町ではなくて、町も酪農地帯と漁業の海沿いの果てで。
海は、とても寒々しく見えて悲しかったのを覚えています。
新しく住むはずの家は、まだ人が引き払う前で引越しが出来ず、仮住まいの家は荷物だらけで寝泊りが出来ず、
町の施設の宿泊施設で一晩明かしました。
その日の夜、まだ住んでもいない町で、
母親と私は「こんなところに住めない」と父親の前で大泣きしていました。
これは、きっと本能的な思いだったんだと今でも思います。

転校初日は新学期の最初の日でもありました。
さすが人の出入りのない町です。
転校生が来る。という事前情報の元、
転校生が来た。というだけで異常な程珍しがられ、校長室に行く私達兄弟と母親のが通った廊下の両脇には、生徒達の人だかりで、
私達が通る所だけが十戒のように割れていました。
転校生という異人に、新しいクラスメートは終始興味津々で、
初日は土曜日だったので、誘われるままに午後から近所の体育館で遊ぼうという話になりました。
出かけた町の体育館で、転校生の話を聞きつけた上級生、しかもちょっと悪い連中にクラスメート共々横一列に並ばされて、
飽きるまでシメられるという得体の知れない初日を全うしたのでした。
言いたい事は沢山あったけど、クラスメートが絶対何も言わないでと言ったので従ってました。
別に殴られとか恐喝はされなかったけど、物凄い品定めはされてました。


続く。


何となくおさらい。

2011年01月14日 22時32分59秒 | 語り。
今更、気づくには遅過ぎると思うんだけど、気づくというか、上手く説明してみようとなると
私はきっと、
好きなキャラの一挙一動言動の一つ一つの言葉の端はしを、分解していって
この人は、この時どうしてこうしたとか、あの人がこの人の事をこう思ってこう接したから、
この人はきっとこうなんだと思うとかいうパーツパーツを上手く組み合わせて、
この人ってこういう人なんだろうなぁ♪という妄想をブツブツ繰り広げていくのが、私の萌え発散なんだろうなぁ。
で、その要素を見つけて自分なりに噛み砕いて分解して消化していくのに凄く時間がかかるという…。
で、消化して出てきたものが合っているかというと全く違う訳で(笑)

まぁ、でも何、その、この人って実はこういう人なんじゃないかなぁというのも、
この人がこうだといいなぁ、というのでキュンキュン出来るのって一種の恋というか片思いというか擬似?な感じでいいよね(笑)
去年から、高校生男子にハマっているお陰で、若い男好きになった♪って御言葉を頂戴して思ったのが、
彼らの事を愛しんでいる時(変な言い方w)は、
自分の中に新しい若い人格が生まれている(!)から別に気にしなくなった(開き直った)のもそうだし、
何より、女はいくつになっても乙女だというような言葉の真意にやっと辿り着こうとしてる(笑)


ところで、いつもお世話になっていて私の中でいつでも旬なルカサイト様がおられる訳ですが、
その方がですね、
「バンビの女子力の高さを思い知る」という内容のバンビ考のような御日記の記事を書いておられて盛大に同意いたしました。
というか常日頃、そのような思いを抱いておりましたので激しく感銘を受けつつ、
その御題の端っこをお借りしまして、ちょっとした他愛もないバンビの話を妄想してみたいです。
前にもちょっと書いた気もするのだけど形跡が見当たらなかった。
多分、バンビの周りに超人が集まるので、バンビも超人。みたいな事だった気がする。
その前にも友達と、バンビはデフォで「可愛い子設定」があるという話で盛り上がった。
バンビ像を紐解いてくる。

今年はお世話になりました。

2010年12月31日 21時34分08秒 | 語り。
今日は、大晦日セールを熱汗かきながら、イガイガする喉から出る鼻声でレジに立ってました。
そして、鼻づまり極まって、晩御飯の味が全くわからない。

と、まぁさておき、
ホント、御陰様で楽しい濃いい1年を送らさせて頂きました。
今年は、思い込みとか自己暗示とかホント多くなってきてて、物忘れも随分増えて、
脂肪の燃焼量は一段と減った一年でしたが、
シブとかツイッタとかいうツールに対する食わず嫌いも大分解消されたかなぁと思います。
挑戦って大事ね。
御陰様でいろんな出会いがありました。感謝。
捨てる神あれば拾う神という事で、捨てないでくれていた神には熱く御礼申し上げます。


お年頃なのでそれなりにいろいろある一年でしたが、それ含めても実りのある楽しい一年でした。
うん、良かった。


では、一日は休みなのでそれなりにつぶやきに上がるかも知れませんが、
来年もどうぞ宜しくお願いしますっ。

良いお年を!
…多分、夜中は初詣帰宅した後に、さだまさしか、フットンダ見てるかも知れない。

思った。

2010年01月12日 22時16分43秒 | 語り。
最近どうも、自分が読み専系の萌えに移ってる気がするんだけど、
でもやっぱり、読んだ接した後の萌え燃え感とか、
その時思った事とか、
最早1人では抱え切れない程爆発した行き場のない感想とかが
鬱積しては日記なりに吐き出しに現れるという…!
それが二次創作的な物かったら違うよね。
っていうジレンマで悶々としている間に1日が終わります(笑)
あっちゃー。


通信講座も今月で終わりですが、
自分の字がコミック要素のない場所で使うには
基本的な日本語の形状を逸脱してて汚くてホント嫌なので、
次は字を習った方が良いと思うこの頃。


あけヲタことエロ!

2010年01月01日 21時33分53秒 | 語り。
毎年、この御挨拶ですね。
クリスマス~大晦日間は一年で最も店が混雑する時期なので、
割と灰になってまして、御挨拶が遅れてしまいました。
もー、大晦日の閉店後に初売りの準備している時間帯が一番切ないですね(笑)
元旦から初売りされる店の従業員さんは大変だと思います。ホント。
という訳で、去年は皆さん大変御世話になりました。
御蔭様で、自我が崩壊するような大きな事件もなく平穏無事に過ごせまして
暖かく見守って下さって本当に感謝です。

もう去年は
忙しい(気がする)とめんどくさい>(越えられない壁)
やりたいと思ってる好きな筈の事…っていうのが出来上がってて
ダメでしたね。
今年はこれを改善したい所。
サイトも放置し過ぎですね…(汗)
やりたい事やしたい事を、
一番感じた時にそれを持ってくれるモチベーションの継続と環境作りって
永遠のテーマかも。

後、ヘルス&ビューティどころか、延々とホスピタル展開だったので
健康はホント大事だと思いました、改めて。
大雑把にカテゴライズすると完全な五体満足ですし、
生命や一生を左右する病気もハンディらしいハンディも一切ない
有り難い身体ですが、小さなほころびがゾロゾロ出て来て驚愕したのが去年。
そして、コアリズムとトレーシーメゾットの偏ったやり方で、
偏った体つきになったのも良い思い出。

家族で、人生の先輩で、身近な同性で…みたいな感覚で接している母親は、
その、ほころび方を加齢だと呼び、私もそれを感じる一年でしたっつー。

がっ、頑張る!!健康大事!!


普段の飲まない御酒ですが、年末年始を良い事に、
たまに飲んでみようかと思い至った結果、
酎ハイ二缶にして朦朧会見出来るに至りました。弱すぎる。

ヘロヘロポッポが治ったら改めて御話に上がります。


明日は早出出勤で初売りです。
正月気分から急に現実に戻されますが、行かないと
正月飲食のデトックスが出来ないというジレンマ。


日記書いてない病。

2009年12月17日 00時03分57秒 | 語り。
いろいろとささいな話題がある!
どれを書くべきか迷った挙句放置されるという結果。

★歯科矯正始めました。
「YOUこのままだと口開ける度に顎に激痛が走るよ!」~
「YOU顎の骨削って普通の女子の骨格になっちゃう?」編。
★イケメン気取りのメンズ達のいる美容室は苦手だ逝けメン編。
★婚活っぽい事をしたら、自分よりスペックの高いヲタクと遭遇編。
(場合によっては記事を削除して隠蔽される未来が来るのか来ないのか)
★婦人科クイーン全身麻酔降臨編。(そんなん引かれるがな)
★シリーズ往年(グループサウンズに酔いしれるオヤジの如く)

濃過ぎる、濃過ぎやしないか?(大笑)
御蔭で先月今月来月は予定がパンパンっつーか、休みの日に休んでない!(汗)
そして年末になればなるほど忙しい職場…っ!

拍手御返事等は改めて致しまする~。
ハッピーマニア今月も購入。来月で終わり。
半年早かった…!

時々起こる奇跡。

2009年11月08日 21時53分30秒 | 語り。
紆余曲折を沢山経ましたが、私は中学1年生の冬辺りから
ずっと、ヒョウヤラズリを名乗らせて頂いております。
途中、何度か自分の名前に飽きまして、何度か考えた挙句に、
結局、漢字を止めたり苗字を外したりして、
最終的にはカタカナで収まってますが、こうなってくると
自分の名前を変えるのも変えた事を説明するのも面倒臭いので、
結局放置です。
私という固体を指す言葉は、このままで良いんじゃないかと。

そう思いながら、中学生以降から溜めっぱなしだった絵とか原稿とかを
整理してました。
何が悲惨かと言うと絵の未熟さとの痛さよりも、
随所随所に織り込まれたフリートークが本当に痛い。
「この子嫌いだ」と思ってしまう痛さ。
もう本当にスミマセン。

原稿を整理していると、歴代相方とか歴代ゲスト、歴代身内。
本当にいろいろな人と出会って通り過ぎていく世界であり、
趣味だと思いました。
こんなに人の群れ、人の流れと遭遇して、
それを引き止める事など適わない訳ですが、時折こう振り返っていると、
いたいたいたいた、やってたやってた!事も沢山出てきます。
思想とか感性、もっと固く言うと信念?でのプライド離別や、
生活近況による音信普通とか自然消滅とか引退とかで、今は各々の道ですが、
いろんな人と出会って、いろんな事をしてきたので、
その方の原稿とか出てくると、何してるかな。とかふと思ってしまいます。
時々、凄い御無沙汰で久し振りの方が、やっぱりこうネットを介して
私を見つけてくれて「お久し振りです!覚えてますか?」
と御声とかかけて貰える時があって、
そういう時は本当に懐かしくて嬉しいし、私もその人の事をちゃんと覚えています。
もう、ずっと長い間、この名前なもんで、
名前だけで過去の負の遺産や黒歴史をずっと引きずってるものから、
見つけてしまった時にムカツキの思い出を甦らせてしまう事の方が遙かに
多いんじゃないかとも思ってますが(自意識過剰)
やっぱり、ずっとこの名前だから見つけて貰えるのかなとも思います。
それに、やっぱり何だかんだネット様の御力って偉大ですね。
懐かしい人の名前を検索すると出て来る事もあるし。
昔だったら、もう絶対に見つけられない想い出だもの。




って、書こうと思ってたら、また1つ嬉しい奇跡がありました。