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【微塵我報】

思い込みと勘違いと妄想と思い出補正の懐古厨による、最早ヲタクの余生です。はてなブログさんにお引っ越し予定です。

ナルシズム回想7。

2011年05月31日 23時39分38秒 | 語り。
昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。




まさか大人になって訪れて日帰りで帰って来るという強行突破をするとは思っていませんでしたが、
一日の間で見事に往復しまして。
自宅で朝起きても自宅で眠るという当たり前の日常の中に、
人生の中の2年間の濃い思い出の世界に駆け込むという非現実感を挟んだお陰で興奮して寝れませんでしたね。
疲れているのに寝れないという。足に力入り過ぎてちょっとした筋肉痛になったっぽいのにのぅ。


やっぱり行って良かったです。
ふっきれたという気持ちとは違うのですが。
納得した。凄い納得した。
廃業・閉店・廃屋・取り壊し・空地。
そういう物が昔より明らかに増えていて、思い出の景色より過疎して、
とても物悲しく寂しい気持ちになったのと同時に、
退化や衰退していると感じさせた物の中に普遍さとか恒久さが見えました。
変わってない。
その印象を再確認したら、やっぱり「ない」って思ってしまいました。
確かに、大きな都市の大きな店がなくて不便だけど、
今は、宅急便があれば、通販で欲しい物が家まで届くので便利にはなっていると思います。
けど、ネットが通じても、パソコンは誰が詳しくて何処で直せばいいの?というところで詰まりました。
同伴者が「家電量販店は何処にあるの?」と聞いてきました。答えられず。
やっぱり不便に勝てません。

町の感じや町の人を見て、
もし、例えば万が一、たまたま偶然この町で、
当時ちょっとカッコイイなと思っていたメンズとかにバッタリ運命的に出会ったとしても、
この町でお嫁かも知れないという背景がある限り、それはない。と絶てるくらい、ない。事なのだと納得しました。

ない。
本気でない。
そう確認できた時、随分楽になったというか、終わった。という気持ちになれました。
今、住んでいる町が良い町かといえば、
不定期に強盗騒ぎがあり、小学生が職場の裏で火遊びをしてボヤ騒ぎ、警察に保護されるも職場に親が謝罪なし、
バス停は殆どがコゲている。というスラムっぷり。
そして、あの町から逃げた後は
「いじめられて戻ってきた」という噂の肩書きを背負って地元に戻り、転校し直しで転入した新学期、
招かれた校長室の前で、元クラスメートが、中に本人がいると知らずに吐いた私の話、
「戻ってきたけど、あんまり関わりたくないんだよね」
と言われた中で暮らし直す事になり、逃げた後も別な意味で逃げ続ける事になりました。
それはそれで、私の素行が悪いのだから当然なのでしょう。
どっちがマシか。ってだけの事です。

帰路で旭川を越えた時に、空気と環境がガラリと変わると同時に、
帰ってきた!という気持ちになりました。
帰路の夜にようやく再会した全国展開のファミレスの店舗共通の安定した安心の味わいが、こんなに美味しく感じた事がなかったです。

とにかくスッキリしました。
あそこはあそこのままで、私は私のままで良い。
私はこれでいい。
少し、そんな違う風に納得しました。
行って良かったです。




ただ、それだけの結論を書くまでに長い前振りと日数をかけてしまいました。
鬱内容でスミマセンでしたが、私は今、晴れやかですと言ったら迷惑ですね。
長々とお付き合い有難うございました!

また普通の日記に戻りまするるる!

ナルシズム回想6。

2011年05月30日 00時15分54秒 | 語り。
昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。




町に入って懐かしいメインストリートを辿ると隣接しあう小学校と中学校がありました。
どちらも改築や改装された形跡はなく余りにも記憶通りでした。
小学校などは、風邪を引いた等という見え透いた事情で欠席した所で、
思わず、口に出した言葉が
「ここの地下室に閉じ込められたさー!」
とかどうなんでしょう。

通学路を通りながら気がついたのが、記憶の中と微妙に町並みが変わっているのですが、
その内容は、取り壊して更地になったままの土地が空いている所が随所にあるので、
町並みが立ち並ばずにところどころ欠けていました。
信号の角地が欠けたままというのもあり、勿体無い話です。
遠足のおやつを買った駄菓子屋的な店が完全に廃業していたり。


仲良くしてくれた友達の家や、お世話になった母の友達の家はそのままの形で残ってました。
御挨拶をしたいという気持ちもありましたが、手土産ナシのアポなしや、
今日の経緯の説明などでかえってややこしくなるのでまた次の機会にしました。
私を置いて登校した、両親に甘やかされていた一人っ子の子の家は跡形もなくなっていました。
聞いた話では、彼女は随分早くにお嫁に行ったらしいので、
実家だけになった彼女の両親が古い自宅を引き払ったか、単に家を建替えて引き払ったかどちらかでしょうと妄想。
最も、自宅の向かいにあった、彼女の両親が営んでいた軽食喫茶が「売り店舗」になっていたので、
心の底からほくそ笑んだ腹黒いスケールの小さな私がおりました。
勿論「売れねーよ!」と大いに突っ込ませて頂きました。
完全にささやかな仕返しです。

その出来事に無駄に高揚してしまって、通学路をなぞりながらも、自分が住んでいた家に向かう道を通り越してしまい、
もう少し進んだ所から折り返す事にしました。
そして、衝撃です。
昔、通っていたスーパーは閉店してしまい、この町では食料品の買い物をするのが困難になったと聞いていたのです。
確かに、その懐かしい商店は閉店していました。
私が通っているのは商店街のメイン通りです。
メイン通りにスーパーの廃屋が放置されているのです。
正面以外の所が、朽ち果てかけてて、完全に動揺しました。
この崩れかけた中で買い物をしていた日があったのです…。

でも商店街と行っても、殆ど廃業閉店で殆ど廃屋に近い状態の建物ばかりがメイン通りに立ち並んでいたので、
ちゃんと機能している店が、時折地方ローカル番組で紹介される、町の人に人気の飲食店(特に車なし)や、
学校関係で安定した仕事のある制服取り扱いの呉服屋や、町の電器屋さんぐらいでした。
スーパーの機能を持った食品の店が壊滅しているお陰で、小さな町に関わらず、
道民に御馴染の独自の流通で頑張っているコンビニが2件ありました。

そんな感じで商店街の見る影もにいクタビレ加減の中で、一際新しい写真館。
同級生男子の父親が、学校御用達の写真屋さんとして働いている御店が移転リニューアル兼自宅になった店だとすぐわかりました。
専門学校時代、ここの息子が写真学科に在籍していた事を校内でバッタリ出くわして知っていたので、
彼か彼の兄弟が町の写真館を継いだのだと思います。
学校で出くわしたけど、向こうは気づいていないし、私は、失脚して疎遠になった側の人なので、
自分から話しかける程の真柄でもなかったので、学校時代の接触はなかったのですけども。
ただ、この店舗兼自宅、しかも複数世帯用の自宅が、
このすたれて見える町の中や、それを省いて考えても結構な坪数のひときわ豪邸で、
このパソコンだプリンターだデジカメだで、写真屋が儲からないと嘆かれる昨今、
学校お抱えと言え、この写真屋1本でこの大豪邸は何だと突っ込まずにはいられず、
この話題でしばらく盛り上がれました。

一方で私の家があった場所です。
前情報で、私が住んでいた住宅の一角は、取り壊されて整地されて、町の何とか施設が建てられている。
というベタ中のベタな展開を聞いていました。
実際にその通りでした。
私の家のあった住宅地がまんまなくなってて、
私の近所が近所の面影を残したまま、家の辺りだけが平地に整地された駐車場になってて。
家に上がる時にちょっとだけ登った坂ガッツリ削られてて、昔ここ、ちょっとした坂でしたという面影全くなし。
余りの様変わりに、家のあった場所も、
ここが跡地!という説明じゃなくて、全体的にこの辺り?という大雑把な事しか言えませんでした。
家がなくなっている。というのは住んでいた痕跡が消える事なので、この辺りの感情もまた複雑ではありました。
でも、どっちかというと、家がなくなっている。という事が、いる場所ではなかったんだ。
という気持ちに繋がってしまったようで、それはそれで納得が出来ました。
パッと見の印象ですが、
何とか施設は、御金を持っている町がガッツリ箱物を建てたが使いう人口がいない。という典型的な図式に見えました。

会社がこの地域を商圏に入れた地域に出店したので、是非見てみたい。という事もありました。
その話を聞いた時に、これは当たるな。と思っていたのですが、実際さすがスーパーが廃屋になる町。
毎日予算達成という優秀店舗具合で、これは是非見てみたいと思っていました。
行ってみたら、新店なのに店内がグダグダ過ぎて、複雑な気分でした。
列に行列が出来ているのに、レジの応援がいないwwwww
勤務先だったら、お客さんが店内にいる従業員誰でも捕まえてレジ開けろ!って怒るところなんですが、
接客の比較対象がそんなにない地域で、独占的に営業出来ている強みなんだろうなぁとぼんやりと。
従業員が少ないというデフォと新店で店員がまだ新人というデフォは当然の事なのですが、
売れる店だから在庫が足りなくて実際に欠品している商品は沢山あるんだろうけど売場がガラガラで、
既に業務連絡済みで作業終了しているはずの事も出来てなくて、
品出しをせずに足元に荷物が放置されている中、
従業員が先に発注作業をしているとか店長何やってるんだ!と思いつつ、ウチの残念店長も人の事言えないからなぁ…。
そんな感じで店の中で興奮してテンション高く店の中を物色していたので浮いていたと言えば浮いてるのでしょう。
でも、これが自意識過剰でないとすれば、どのお客さんとも凄く目が合うのです。
普段、御客さんどうしで目が合うなんて、よっぽどない事で。
こちらが見ているから目が合うのではなく、そちらを見た時に目が合うので、多分見られているのです。
従業員の近くで、バイヤーの話とか商品の話をしていたので、従業員に不審がられるのは仕方ないけど。
視線を受けるこの違和感は同行者も感じた違和感のようで、凄く視線を感じて戸惑ったとの事です。
転校初日に廊下の人混みが割れた時とか、上級生にシメられたとか、スーパーで噂話されたとか、
そんな事を思い出して、これは、やっぱり余所者に対する違和感を察知されたんだなと深読みに走りました。
当たらずとも遠からずかな。
しかし、このエリアは、
ラマン問題で私の中で常にストレスの対象であった前店長エリート君がエリアマネージャーで君臨している地域なのに、
彼の嫌味で口うるさいクオリティ要求の管轄が一切及んでいない、或いは彼の美意識目標が反映されていない、
上司の意向が届かない屈強な地域であるというのも凄いなぁと思いました。
ウチの店だったら許されない事が出来ているのが羨ましくもあり。悔しくもあり。
まぁ、店長もエリアマネージャーも余所者と言われればそれまでですが…。
何と言うオチ。




シメに続く。

ナルシズム回想5。

2011年05月27日 22時57分05秒 | 語り。
昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。




私は助手席で、あそこへ行ってとかそこで曲がってというだけの簡単なお仕事です。
それだけの事なのに、座っているだけの足に物凄く力が入るのがわかりました。
その町へ行く前に立ち寄った町が、
あの町では買い物の用事が足りなかったので、
その近郊では大きいと思われた都市のデパート的な要素のあるスーパー、
しかも改装したてだったという店があった町なのですが、
そのスーパーに入ってみたら記憶の中の大きな店でも何でもなく只の古めかしいスーパーになっており、
果たしてこの店で本とか文具とか服とか買っていたのかが疑わしいほど、劣化していました。
しかも凄く狭いし、天井が低い…。

そしてその市は一応市なので全国展開のチェーン店舗は何種類かあるんですが、
それはドラッグストアやしまむらやゲオやツタヤであり、ファストフードやファミレス等の飲食系がパッタリなくなっていました。
これは何処で飯を食えと…。コンビニも探さないとない感じ。
これがまさに北海道、それはそれでそういう地域なのだという事を確認しながら、あの町に向かいます。
酪農と漁業のあの町へ。
何もない直線の道路をサイロや牧草や、放牧の酪農農家のエリアを延々と進みます。
随分前の記憶なので、この道路が本当に前に通った道路なのか怪しく思う事もありつつ、
でも何かこの景色知ってる!わかる!みたいな漠然とした感覚が甦ってきて。

そして、懐かしい町の雑然とした感じが懐かしいです。
やはり建替え改装移転などで建物の位地や印象が思い出の物と異なる物も多く、懐かしさと違和感と新鮮味が混在しています。
何、この感情!
昔に二年しか住んでいないわ、しかもヒキコモリ的に潜伏生活をしていたので、町の細かい地理を覚えておりません。
っていうか、ある意味知らないままで逃げ出したという感じです。
さすがに友達の家が何処にあったかというのはメイン道路沿いの子の家しか覚えておりませんがメイン探索の開始です。



続く。




ナルシズム回想4。

2011年05月25日 23時43分55秒 | 語り。
まだ、最近行った感想に辿り着けてないのですが、もう少しで何とかなります…!





昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。


結局、その町を離れてから知った事。

私が登校拒否気味だった事に加えて、母親が自律神経を病んでしまっていた事。
結局、私が子供同士のコミュニティに入れなかったように、
子供時代から確立された普遍的な環境で出来上がった大人達の方がもっと悲惨だったようです。
スーパーで買い物する時に
「あの人誰?」「何処何処から来た誰々さんで何処何処に住んでで何々してる…」っていう話が聞こえてきたり、
学校行事の父母懇親会及び、父母参観では、余所者というだけで、母親の両脇が不自然に空くなど、
おおよそ大人の行動とは思えない対応を露骨に多々されてさすがに参ったそうです。
それだけが全てではないと思いますが、
住めそうにない町で、子供の前で泣き言が言えず、
子供の為に出かけた学校行事で鬱な気分になり、その子供まで潰れてしまって、母親的にも随分大変だったと思います。
引越しの準備をするのも母親ですしね…。
子供が御世話になっている〇×ちゃんのお母さんに挨拶してみたけど…う…ん…。って事もきっとあったでしょう、今思えば。
聞けないけど。
妻と娘が潰れたとなったらお父さんも動くよね。

学校の先生達は、評判が悪い先生ばかりだったように思ったですが、実際はそうではなかった事。
実際、本当によくしてくれました。
多分、転勤で出入りする先生達も余所者なので、生徒の父母達が、そういう目で見ていたのだろうと思います。
今になって思う妄想ですが。
とにかく、子供が言った事だけを真に受けた親が、先生の言う事は聞かなくて良い。と子供に教えたりする環境だったので、
余所者こんな事言ってた、余所者のいう事は聞くな。という事だったようにも取れます。
そういえば、後から入ってきた私の言葉や話は、自分一人で言っているだけであって、
実際の事なのか証人がいないので、嘘つき扱いはよくありましたね。
いや、誇張癖はありましたけど…。

何処もそうかも知れませんが、
何処何処の誰々さんが誰々さんと付き合って、別れて、他の誰々さんと結婚して、誰々が生まれて、
誰々さんの子供と同級生で、誰々さんの親同士が仲が悪いから、子供達に遊んで欲しくない。とか、
自分及び家族、友達、交際相手、結婚相手、その子供同士の人生の経歴やプライバシーが
後世に渡ってダダ漏れになる小さな町って私には向かないなぁと思いました。
別に大きな町が正しいとかそういう意味でなくて、
最初からそこに住んでいたらとても楽な事で有難い事で守られている住み易い環境な事もあるでしょう。
孤独死とか、地域の関わりがない事が問われている都会の住宅の問題もあるので大きな町が良いという事もないでしょう。
でも、最初からいた人間が有利なのが露骨に出るとキツイというか、向かない…。

合う人と合わない人がいて、私は合わなかったし、合わせれなかったんだと思います。
大学で都市に出て地元に戻らない人も居れば、就職先を地元に合わせる人もいる訳で。
私も母もそうですが、馴染めなかった環境でも、ちゃんと相手になってくれる人に恵まれて。
これは有難い事でした。
母親の友達は今も友達で、時折家に招いたり会ったりしています。
私の方の友達は、成長や環境が変わる中で共通の話題とか近況報告とかとっかかりを失ってしまって
フェードアウトしてしまいました。
心の何処かで、あの町の出来事自体を忘れたかったのかも知れません。
親御さんとウチの親の付き合いが今も続いています。
これも御縁なのだと思います。

とりあえず、
人目を異常に気にするとか人の事ばっかり気にして顔色ばっかり伺う事に過敏になったのは、
この間の生活が根底にあると思われるんですが、
だからといってその癖に人を気にしないという矛盾した性格だったりしてもう。
後は、いつも最悪の事態ばかり想定しているという根暗な判断を身に付けたのもこの頃かも。
結果的に、それは自分の経験になって悪い事ではなかったけど、随分磨り減ったなぁと思います。


まだそんなに生きてない人生の中で、たった2年の出来事を心の何処かでずっと引きずりながら、
自力では行けない距離だし、家族で行く理由もないので、再び行くとかはずっとなかったんですが、
大人になって随分他人事のように接せれる感じになってきたので、逆にずっと興味津々でした。

機会があれば見てみたいと漠然と思ってて。


そして遂に、ドМ心極まって、いろんな意味で思い出の地に足を踏み入れるという悲願を達成したのでした。




ナルシズム回想3。

2011年05月22日 23時20分38秒 | 語り。
回想にお付き合い下さり、ありがとうございます!
形は違えど同じような経緯の経験をした方も割といらっしゃるので、
私だけがどう。という事もないのですが、お付き合いして頂ければ幸いです。




昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。


住んで半年もしないで、その慣習で浮いてしまった私は、
親友になりえた子の怒りを買い、ひたすら憎悪を受けながら、
クラスメートに距離を置かれる事となりました。
これは、高校生活においても同じだったので、
地元のコミュニティ云々とのしがらみは別なのかも知れないけど、
結局、当事者同士のいざこざは「あの人が嫌っているからこの人は嫌ってもいい」みたいに伝染するんですよね。
噂とか評判はあれど、
阻害されている人は阻害される理由があるので自分に直接被害はなくても、嫌悪の対象になるのと一緒という。
一緒に登校してた友達が、遅刻寸前まで迎えに来ないと思ったら、家出てるって言うし、単に置いてかれただけとか。
気がついた頃には、何言ってもやっても嘲笑の対称だし、失敗はある意味絶対許されない事で、
もうダメ学校つらい!みたいなよくある展開ですね。
うっへー、私、女子にも男子にも嫌われてるwっていう。
物品を破壊されたとか隠蔽されたとか暴力を受けたとか現代ほど犯罪的な被害の過激な事はされた訳ないので、
気持ちの持ちようでは無視と悪口と睨まれて何とかの程度なので、軽いと言えば軽いとは思うのですが、嫌な物は嫌ですよね。
本来、ない環境に出くわしている訳ですから。
大人になってしまえば、一人でいる事なんて当たり前だし苦ではないんですが、
この時代の一人って本当に心細いし、一人でいる事が許されない時期というか…。
いろんな意味で大人ほど自由で強くないというか、大人になって縛られる事じゃない事に縛られているというか。
人の心が自分から離れていく様をリアルタイムで傍観するしかない時の、あの異常な気持ちは今でも忘れられませんね。
離れてるのに気づいてないのに気づくっていうのとかも、心臓がギューーーーってなります。
とにかく毎日毎日サバイバルで、憂鬱で、具合が悪かったなぁ。
助けてくれたのは、修学旅行の班で居候させて貰った部屋の子達で、
その中の子の一人が札幌に精通してる環境の子で凄く親しみ持てたし、過去にやっぱり友達の機嫌を損ねて失脚した子で、
その御相手から今でも憎悪を食らっているという仲直りを許されてない環境の子で。
その子達の中に加わる事で、随分保護されていたように思います。
沢山遊ばせて貰いました。お家に通ったり。
後、担任の先生。
結構な御老人というか当時でも年配の先生で、至極まともな事を言い、生徒の機嫌を取らない先生だったので、生徒受けは非常に悪く、
子供達のいう事を真に受けている父母には評判が悪かったらしいのですが、随分御世話になりました。

最終的には、大抵の子供がそうであるように、
親に迷惑をかけたくない一心で自分の学校での出来事は親に言わないのがマイナスのデフォなので、
私も結構黙ってたんですが、転校の経験があるにも関わらず、結局この町で暮らす事に早くも限界と拒否感がつんのめって
母親にリタイア宣言しちゃったんですよね。
これは父親の仕事の転勤なので、嫌だと言った所で簡単に辞令が出る訳じゃないし、元の住まいに戻れる訳じゃないんですよね。
それに、引越しってとても御金がかかるという事は大人になってから実感する事なので、全てが上手く行ける訳じゃないですし。
でも、うちの父親は男として夫として頼りないと思う事が今は沢山あるけど、
お父さんとしては本当にいいお父さんで、1年待ってくれ。絶対元に戻す。って言って、
自ら辞令を志願して、技術屋から苦手な事務屋の方に一時移って、
家は前住んでいた町に戻して、自分は単身赴任で子供に転校をさせない。っていう選択をしてくれたんです。
これは心からお父さん有難うと感謝しています。

もう駄目だと思った1年。これから乗り切って終わらせる1年。
折り返し地点の始まりでした。
最終的には、担任の年配の先生に母親が相談を持ちかけて協力を依頼する真柄になっていたので、
内緒の話、小学校卒業からから中学校の入学の際に出すクラス分けデータは、
私に被害を与えた目立った一派とは離して、仲の良い子達や害のない子達で組んで頂くなど本当にお世話になり、
2年目は地味で質素だけど、1年目に比べれば雲泥の差で自由な環境を作る事が出来ました。


そうやって、申し訳ないけれど、仲良くしてくれた友達と別れる寂しさより、この町とオサラパ出来る喜びに打ち震えながら、
元居た町に戻ってきたのでした。



続く。

ナルシズム回想2。

2011年05月20日 00時31分24秒 | 語り。
回想にお付き合い下さり、ありがとうございます!
最近の感想に辿り着くまで長くなりますが、お付き合いして頂ければ幸いです。




昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。


クラスメートは、親が農家・漁師・公務員・商店街などの、
純粋に集落を形成する要素の人ばかりで、町の建設業社が親の人を除けば、
俗に言う会社員の親。というカテゴリが殆どいなかったように思います。

何だかよくわからないけど、生徒の親が割とモンペだらけで驚愕しました。
おかげで、その子供であるクラスメート達もそういう方向で随分個性的な子が多かったです。
テスト中はカンニングが横行しているし、先生の話は聞かないなど、
軽い学級崩壊でしたが、別に荒れている意識がないというのも唖然としました。
また、北海道での都市札幌から随分と離れた地域の為に、札幌に行った事のない子供達は沢山いたし、
札幌に行くという事は、そんなに気軽な物でなく、
年単位に一度あるかないかの夏冬休みをかけた一大ステータスであったらしいのです。
同じ道内でありながら、カルチャーショックでした。
「札幌って北見市より大きい?」と聞かれた時は、言葉が出てこなかったです。
しかし、その一方で豪農とか豪漁の家が多く、物流や物資の少ない田舎とか別の次元ではぶりの良い家が多く、
子供達がカードを持たされ、お祭りでは大金を使うとかは割とザラで驚愕しました。
そんな、そこで生まれそこしか知らず、そこのコミュニティを正義だと思っている環境の子達の中でも、
普通に友達が出来て、毎日を楽しくやれ始めたので、そんなに悪くはないのかも知れないと思い始めた夏休み前。
修学旅行のお泊り班を決める時。
全てがおかしくなりました。

どうも、その時、一番仲良くしていた子の機嫌を損ねてしまったようなのです。
原因は今でもわからないけど、回りがどうしても引かないのなら、誰かが折れなければならないのなら、
あえてそれをした方が円満に解決する場合があるではないですか。
私はあの時、自分が取った行動を今でも悪い選択だったとは思っていません。
そうしなければ、結論は出ないし、先送りにした所で話が思うとおりに進む事もありません。
そして、何故機嫌を損ねてしまったのか今もわかりません。
その憎悪がいつまでも自分に向かう意味もわかりません。
だけど、私の立場は喧嘩した方の悪い人の方。という事になっていました。
地元のコミュニティは友達だった子の側につき、
それを機に、余所者の私の周りにはほころびが出始め、私の足元は徐々に崩れていったのです。
当事者同士ではなく、いつの間にか全体の敵になっていたのです。

その子とは口も聞いても貰う事もなければ、私の方を見る時や見た時は必ず睨みつけられていたので、
その余りにも露骨な憎悪には正直と惑いましたし、その状況をスルー出来る程の大人では当然なかった訳です。
修学旅行は、結局仲の良かった友達らとは同行出来る環境ではなく、
転校当初から「あの子達は嫌われているから関わらない方がいい」と念を押された、大人しい子達の所に身を寄せさせて貰いました。
その子達は、本当に良い子達で私はこれから随分と助けて貰ったというか、これ以降同じ苦境を耐え抜く間柄に発展しました。



学校では秋から春のかけての長い逃亡と忍耐の生活が始まります。
そして、戦っていたのは子供の私だけではなく、大人だった母親も戦っていたのです。
この町で起きる事と。



続く。

ナルシズム回想1。

2011年05月19日 22時35分18秒 | 語り。
ここ1週間の興奮の原因の話をします…!




昔、ずっと前に住んでいた町に久し振りに行きました。


2年間だけ住んで住めなくて、逃げ出した町とも言えます。
私の人生の中のたった2年間の話で、私に一番影響を与えたかも知れない2年間の話です。


元々、今住んでる町の隣町に住んでいて、この辺りの管内は農業地帯で決して都会ではないのだけど、
札幌近郊という肩書きが付くお陰で、
田舎ながらも、交通や買い物の面において苦労はなく、人が出入りする事に慣れている地域でした。
父の転勤で、住んでいたこの管内の生活を引き払い、転校する事になりました。
引っ越した先は、海なし管内のこことは違い、オホーツク海に面した酪農と漁業の小さな町でした。
北海道を1つの県と同じ大きさだと思ったら大きな間違いだ。と、テレビで誰かが言っていましたが、本当にその通りでした。
遠い。本当に遠い。
その町に住む事になって、初めてその町へ行く途中、都市らしい都市、町らしい町がどんどん減り、
集落と言えるのかわからない家の並びすらなくなり、
ケータイのなかった時代、ここで車が事故ってしまったのなら、山奥の自然の中で朽ちるしかないような峠を越えて向かいました。
何もない。
というのがこんなに不安だった事がなかったです。
都会に住んでいた訳ではないけども、都会に融通の利く地域で、それなりの生活を送ってきた身としては、
物凄く、寂しくて切ない気持ちでした。

慣れた環境と離れて、新しく生活をやり直すという事は物凄くエネルギーのいる事です。
いろんな所に行けて良いとか、人生をやり直せて良いと、経験のない人は簡単に言ってしまうけれど、
実際はそんなに簡単で単純なものではありませんでした。
辿り着いた、新しい生活の始まる町は、町と言うほど町ではなくて、町も酪農地帯と漁業の海沿いの果てで。
海は、とても寒々しく見えて悲しかったのを覚えています。
新しく住むはずの家は、まだ人が引き払う前で引越しが出来ず、仮住まいの家は荷物だらけで寝泊りが出来ず、
町の施設の宿泊施設で一晩明かしました。
その日の夜、まだ住んでもいない町で、
母親と私は「こんなところに住めない」と父親の前で大泣きしていました。
これは、きっと本能的な思いだったんだと今でも思います。

転校初日は新学期の最初の日でもありました。
さすが人の出入りのない町です。
転校生が来る。という事前情報の元、
転校生が来た。というだけで異常な程珍しがられ、校長室に行く私達兄弟と母親のが通った廊下の両脇には、生徒達の人だかりで、
私達が通る所だけが十戒のように割れていました。
転校生という異人に、新しいクラスメートは終始興味津々で、
初日は土曜日だったので、誘われるままに午後から近所の体育館で遊ぼうという話になりました。
出かけた町の体育館で、転校生の話を聞きつけた上級生、しかもちょっと悪い連中にクラスメート共々横一列に並ばされて、
飽きるまでシメられるという得体の知れない初日を全うしたのでした。
言いたい事は沢山あったけど、クラスメートが絶対何も言わないでと言ったので従ってました。
別に殴られとか恐喝はされなかったけど、物凄い品定めはされてました。


続く。


17/36

2011年05月18日 21時31分11秒 | 歯科矯正
ここ丸一週間程、萌えと関係ない興奮状態が続いてまして、
ようやく落ち着いたのでその理由を熱く語ろうと思っていたら、
歯科矯正の調整効果により、もう少し先延ばしして書く事になりました。

ようやく歯並びと歯の位置がセンターから左右対称になったのですが、
今度は治りかけた噛み合わせが一時的に元に戻ってしまったので、
改めて上の歯、上顎を手前に、下の歯、下顎を奥の方に移動する事になりました。

顎の位置を変えるのって、歯の位置を移動させる痛みとは違って、
肩こりとか首こりとそれに伴う頭痛のつらさがあるので、
調整直後から首がもげそうな位、首から上が酷いです。
顎の位置が変わったり歯の位置が変わると使う筋肉の場所が変わるので、
慣れるまでが大変なのはわかっているのですが、
肩こりが酷いと手足まで痛くなるらしいので、イタタタタタです。
首を安定させるのも含めてずっと寝てました。
早く落ち着かないかなぁ。

バンビ考2。

2011年05月12日 23時37分49秒 | ときメモGS系。
バンビって、プレイヤーの育て方の頑張りでパラが変わるけれど、
元々可愛い子設定がデフォとして備わってると思う。割と周知の通りで。
やっぱり、桜井兄弟の幼少の美しい記憶を、今も全く損なわずに存在出来ているのも凄い。
それに、カレンさん程の目の肥えた人に出会って、そこからカレンさんの一目惚れ的に、友達状態が開始出来たのも凄い。
キレイというよりは本当に素材として可愛い子なんだと思う、バンビ。
キョロンとしてるとか黒目がちだという所とか。足、脚細そうだし。
藍沢先生みたいな大人に天使とか言わせちゃうし、
年下のニーナにも、可愛いなぁを連呼されてる。
まぁ実際の所、スチルにチョロっと出るバンピ像とか本当に女の子としてクオリティ高いですよね。
物凄い小顔で肩幅狭くて。

例えば、遙か3を引き合いに出すのもどうかと思いますが、引き出しがここしかないので引用すると、
どっちかっていうと、主人公=プレイヤー→神子。という設定よりは、
主人公=春日望美→操作。に近かった印象のある望美ちゃんのように、
主人公=プレイヤーではなくて、主人公=バンビ→操作(育成♪)に近い気もします。

外見印象はこんな感じ。
続く。

バンビ考。

2011年05月10日 22時15分46秒 | ときメモGS系。
随分、放置していましたが、ずっと考えていたバンビ考やってみます。
記憶で書いてますので間違いとかあったら随時直しますー。

まずバンビについて思った事をつらづらと。
★コウのうちにルカが来たのが小2の時だったから、
少なくとも教会でかくれんぼしてたのはもっと後の学年ではなかろうかと思う。
★ルカに家はバレてたけど学校は別だったんだろうか。
★女の子を交えて、わざわざかくれんぼをして遊んでくれた桜井兄弟っていう図式が結構レア。
★この時点で桜井兄弟のハートわし掴み。
★そもそもバンビが引っ越した理由って何?
★しかも自宅を置いて行ってる引越しって何だろう。
★そして高校入学と共に戻ってきてるのに(たまに来なかったのだろうか)
当時の小学生半ばの思い出が割と欠落している。
(私は小2で転校したけど、高校になってもその時の事は覚えてた)
★一緒に遊んでた子の名前忘れないで~。
★それに反して桜井兄弟のテンションたるや、自宅前まで迎えに来てしまう程の本気具合。

この時点で、バンビが謎過ぎる。
これ、まだ印象の序盤なので続く!

近況と歯と。

2011年05月09日 22時35分24秒 | 微容健康。
最近、日記ホント書いてないなぁ。
悪い癖になってるのが、思ったりした時点で、やった気になってしまっている。っていう変な状況になってます。
形にしろよぉ~!(涙)

ツイッターのせいもあるんだけど、やっぱり御世話になっているいろんな人が
同じ時間帯で全く同じ状況(同じ物を見たり聴いたり)だと、
凄く同調とかテンション上がる半面で、自分が知らないジャンルの話だと、
完全に世間に置いて行かれた気持ちになるような疎外感を食らうので、その辺りで自分を持てないとダメというか。
あんまり張り付いているのも無益な気がするので、その辺りのつかず離れずとの上手い付き合い方を模索しています。
でも、サイトやブログやメール介さずにお互いに生存確認が出来るって便利ですね。

さて、歯列矯正ですが、ここ5、6年のぼんやりした悩み「顔の中心から顎が右側に寄っている」がありまして、
勿論これは、己の顔面や歯並びを毎日毎日見続けて気づいたも周りには、言われてみないとわからない程度の、
そうそえばそうだよね。という程度の違和感なんですが、ここの1ヵ月で劇的に改善致しました。
上の歯のセンターと下の歯のセンターがほぼ同位置で、概ねシンメトリー!
素晴らしい!(柊声で)

その劇的な改善の反動というか副作用というか、物凄い肩こりで、それによる頭痛に始まり腕や手まで痛くなったりで。
歯並びが悪いと身体がゆがんで頭痛肩こり腰痛等の身体がおかしくなるという事で、
歯を直しているのに、歯を強制移動させる事でまた、身体に無理がかかってるとかそんな所だと思います。
首までガッチガチで横が見れません。


歯の違和感が常に付きまとうので、いつも歯の事ばかり考えていて絶えず意識散漫で気が散ってたり、
イライラにも似たイガイガ感が凄くて相変わらず拷問生活です。
が、頑張ってるさ…。

歯の調整は調整したてから大体3日位は激痛鈍痛で物がかじられない。
調整一週間前位からは、早く調整し直して貰わないと、歯が次のステップに行けとわめくように歯が落ち着かなくなります。
相変わらず、いつの間にか口内粘膜がに歯で挟まれて血豆だらけ。
およよよよ。
後、カレーを食べると透明ゴムが黄ばむのでカレー食えない…(涙)

後、一週間程でようやく調整日です。
早くこの動いた歯を新しい位地に誘導して、この歯が落ち着かない感じとおさらばしたいのと、
また激痛で物が食えない日々が始まるのかと思うと複雑な気持ちです。
あぁれぇ~!

GW第二弾。

2011年05月07日 22時04分33秒 | 旅行観光遠征。
ようやく一日だけ晴れた連休最後の日に、物凄いドライブを強行しました。
通ったメジャー市町村は、支笏湖→大滝村→ルスツ→真狩村→洞爺湖→昭和新山→伊達→室蘭→登別→苫小牧→千歳です。

とりあえず、前半は後回しにして何故か後半の画像からです。
前半は普通に楽しんで写真スポットをスルー気味でした…!
きのこ王国とか…!きのこ王国は何故かルカバン妄想が出来ました(笑)

そして、洞爺湖周りの温泉街を散歩した後に、やってきました。昭和新山。煙吹いてるよー!
上の方はレンガっぽいったらそうなんだけど、岩肌赤剥けって感じでちょっと怖い。

クマ牧場です。ここでも産まれたてのクマの赤子達がおねむです。小型わんこ位の大きさです。うわぁ小さい!
しかも身の入ってないクタクタぬいぐるみのようでした。真ん中の子とか♪

今年産まれた幼稚園くまです。飼育員さんから離れたがらなくて、置き去りにされては探して鳴いて呼び続けてました。
かんしゃく起こした子供みたいな絶叫で、何かいたたまれないぜ…。
しかも、幼児くまなのに、泣き声が完全に猛獣でした。怖い怖い。
私、クマというものにリアルに見た事が今回、デビューな訳ですが、まず本当にコワ!という感想が正直。
鳴き声は、ライオンとか虎とかああいう感じじゃなくて、もっとつんざくようなうめくような音です。
怪獣に近いかも知れません…!

この足w
本当はエサを投げて、クマのパフォーマンスを楽しめるんですが、昼下がりで満腹で陽だまりで寝ているクマばかりで、
エサを投げても無反応かスルーか、とりあえず食っておくか的なまったりスタンスでした。

昭和新山には、ガラス館がありまして、正直このガラスバンビのパネェクオリティに度肝抜かれました。
頭にお花です。ピンクだし脚長いし、小樽より安いとか…!

で、北海道の伊達という事で。伊達兜。Let's Party!!

微妙に後光差してる感じ。本場の観光じゃないけど、奥州筆頭的な物ここにもって感じで。

作りが北海道っぽくないので、これはテンション上がった。
びっくりドンキーも時代劇的な建物に入っていた。

うお、すごーい、何この景色!Cool!!

どさくさに紛れて伊達市万歳。
そんな私はにわか伊達いつです。



拍手の御返事は後程致します~。楽しいです!

出来ました。

2011年05月02日 00時30分47秒 | ときメモGS系。
久し振りの更新っぽいものです。
どうしてもやってみたかったコラボ物ですが、
譲のテンションに玉緒を合わせると玉緒の人格が別物になってしまいました…。
バンビを配置する場所がなかったんですが、両方とも三人デートしてると思います。

後、どうしても将臣君が大好きです。
ちょっと還内府スイッチ入れちゃいました。
カラーをこなすのがとても遅いのでもうカラーで漫画とか無理と思って簡単に投げ出しました(笑)
時系列的には、きっと将臣君達が高校終わってる年上設定ですよね。
何故知り合いなのかは謎として、神奈川県の鎌倉市とはばたき市という架空設定で統一しました。


今度は、コウバン系ルカコウバンな漫画描きたいです。
相変わらず描く描く詐欺なので、宣言する度にホラ吹き度が増していくだけという…。
改めてサイトの方にも載せます。これは遙かとGS両方にダブって載せていい事にしよう。

GW一弾。

2011年05月01日 22時11分22秒 | 旅行観光遠征。
道内を観光して道内に貢献しようっぽい企画。
お金落とす程、使えるお金がないのがアレだけど。
 
メロン熊!コウちゃんとはもう何の関係もない熊出没。

 
結構クオリティが高くて精巧です。大量に売ってた♪
 
 
お尻から出ちゃってます。凄い思い切りだ!

私の行った御土産店は物凄い活気があって楽しかったです♪
いろいろ美味しい物もありました!