去年のうちにこのタイトルを終わらせる予定のまま春になってしまい、平成が終わる間際でGS4の話が舞い込んできていろんな驚きで困惑しているけども、嬉しいし楽しみな困惑です。
そして、開発画面が物凄いGSを生きる絵柄だった。
今回はオレンジなんですね。
去年の夏の終わりにときレスが終わり、14時と日付変わりの時間にログインする習慣を失い、気持ち的に空虚というか手持ち無沙汰ではありました。
ありましたが、そのうちにしないことに慣れ、ないことに慣れました。
あれだけやっていて、なくなることに騒いだのに結局慣れてしまった。
前段、二回に分けて長々書きながら、一番書きたかったことは多分この記事に書く予定だったにも関わらず、一番書いて残したかったことへの熱が時間の経過で失われているんですけど、このブログってここ数年ずっと尻切れトンボ放置だった…。
ときレスというゲームの形式は、いつかなくなる形のないゲームで、手元に残らないからこそ、お金を払ったのに、自分では二度と出来ない前提のゲームだということを常々念頭に置いていました。
だから、ゲームをプレイすることで、使っても使わなくても固体に囲まれていたい収集タイプのオタクの私には、配信終了の号令で雲散霧消するタイプのこのゲームは、私向きではないとある種の確信をしてました。
実際、このゲームはいつか終わってなくなるんだろうなと毎日にしろ月イチにしろ、漠然と思い続けながらゲームやってた訳だし、私はどちらかというと飽きもせずに最後まで残ったタイプだしで。本当は飽きてたのかも知れないし、惰性でやってたところ含めて、ライフワークに消化してたって感じなのかも知れない。
その中で、遅かれ早かれ終わる時のいつかが、5年後に来たというだけの話で。
私のゲームスタイルは形のない物、いつか消える物に完全にお金を渋るタイプだったので(というか、ネットの世界だと趣味は同じでも収入が違い過ぎる皆さんで溢れているのでそこに合わせて行くと、どちらかというと確実に低所得ヲタクなのでナチュラルに破産する恐れに溢れて)出来る限リ無課金、勿論、無課金だすら進行上不利益でも文句言わないし、お金で時間を買わないのでひたすらコツコツやり続ける貧乏暇なしスタイル。
私のようなスタイルの者が多いほど運営が立ち行かなくなるのもわかるし、【運営頑張って下さい、遊ばせてくれて有り難う】その精神で課金するというスタンスのいう方の話を聞いた時に、目から鱗が落ちた。
いつかなくなる物に対してお金が出せないという、極論、破局したから交際費返せみたいなタイプの私には本当に新鮮でした。
そうか、応援する。そういう課金のあり方もあるのかと。
だから私は、本当に困った時はちゃんと課金しました。
気付かせてくれて有り難う。
プレイ人口の頭数が減って競争力がなくなって、ポツポツとまったりゲームするには、課金もせず、時間にも追われず、増えていくアイテムの範囲でゲームが出来るというのは、楽しむのは今!という感じで楽しかったけれど、前回の終わりにも書いたけど、収入が枯渇すると立ち行かなくなるタイプのゲームとしてはかなりずっと雲行きの怪しい綱渡りだったのかな。
終わって欲しくないと声高に言った層にも、随分前に離れてしまっていたり、終わって欲しくないと思った私も、実質無課金に寄り過ぎていた。
長いこと見ていなかったご長寿番組が終わる時に、見てなかったけど勿体無い。
って残念がるあの感想の気持ちみたいなことになってる。
離れたプレイヤーを呼び戻したいキャンペーン、今いるプレイヤーからの捻出を期待するテコ入れ新イベントもテコ入れだなとわかる感じで登場して、これも、ライフサイクルの一環としてやったけど、面白かったかなと言えば結構謎で。
そういうテコ入れと共に訪れる迷走、それもまた味、として。
今までクリスマスのイベントは辻褄とスケジュール一切無視して、イヴの夜は何回やって来るんだ、アイドルにイヴの仕事はないんかというツッコミをしながらだったのに、ある年からイヴの夜は一人です。
厳密に言うと一人ってこともないけど、当初に比べて股がけのハードルが格段に上がったので、よほどの根気を駆使する意欲がなければ一人でいいかと流してしまったり。
そんな感じで、恒例チョロイ股がけが困難になり、困難を可能にする意欲が最早出なかった、というのが私だけじゃなかったんだろうな…と思います。
正直、進みようのない恋愛が進まない対策で、「もしも」の世界を用意して、シチュエーションと設定をコロコロ替えたアナザーを複数用意してくる流れが現実での夢オチになった時、いや、そうじゃなくて。って、さすがに思いました。
ライフワークだったけど、ライフワークに消化しすぎてて、ゲームと自分がもうそんなに噛み合ってないことに改めて気付いた訳です。
ゲームはもうやってないけど、公式のイベントには参じる人も多く、二次の乙女ゲーオンリーとかでも、サークルがまた沢山あって創作する人も多かったということは、ゲームとしては終わってたのかも知れないけど、現実としてはバリバリ稼動してた訳で、ゲームとしての役割を終えたというか、
それを発信し続けた媒体を手放すには勇気と諦めが要りました。
使わなかったアイテム、取っておいたアイテムは消化しきれず、コレクションしたレイアウト素材も無駄と言えば酷ですが、あってもなくても一緒。
やっぱり勿体無い。
最終日の終了間際には別れを惜しむプレイヤーでログインすら出来ない。
最初と最後はドタバタだった。
そんな感じだったなと、半年以上経った今、振り返りました。
スマホデビューしてから、検査入院した時も、仕事辞めた時も、ノロになった時も、おじいちゃんの葬儀の時も、日帰り手術した時も、家を出た時も、再就職した時も、弟が結婚した時も、弟が離婚した時も、一緒だったときレスでした。
そういう意味で偏った思い出と思い入れへの脱線に巻き込まれたソシャゲでしたが、長い間、孤独回避に沢山遊ばせてくれて有り難うと思っています。
今は…グラブルやってます…。
そして、開発画面が物凄いGSを生きる絵柄だった。
今回はオレンジなんですね。
去年の夏の終わりにときレスが終わり、14時と日付変わりの時間にログインする習慣を失い、気持ち的に空虚というか手持ち無沙汰ではありました。
ありましたが、そのうちにしないことに慣れ、ないことに慣れました。
あれだけやっていて、なくなることに騒いだのに結局慣れてしまった。
前段、二回に分けて長々書きながら、一番書きたかったことは多分この記事に書く予定だったにも関わらず、一番書いて残したかったことへの熱が時間の経過で失われているんですけど、このブログってここ数年ずっと尻切れトンボ放置だった…。
ときレスというゲームの形式は、いつかなくなる形のないゲームで、手元に残らないからこそ、お金を払ったのに、自分では二度と出来ない前提のゲームだということを常々念頭に置いていました。
だから、ゲームをプレイすることで、使っても使わなくても固体に囲まれていたい収集タイプのオタクの私には、配信終了の号令で雲散霧消するタイプのこのゲームは、私向きではないとある種の確信をしてました。
実際、このゲームはいつか終わってなくなるんだろうなと毎日にしろ月イチにしろ、漠然と思い続けながらゲームやってた訳だし、私はどちらかというと飽きもせずに最後まで残ったタイプだしで。本当は飽きてたのかも知れないし、惰性でやってたところ含めて、ライフワークに消化してたって感じなのかも知れない。
その中で、遅かれ早かれ終わる時のいつかが、5年後に来たというだけの話で。
私のゲームスタイルは形のない物、いつか消える物に完全にお金を渋るタイプだったので(というか、ネットの世界だと趣味は同じでも収入が違い過ぎる皆さんで溢れているのでそこに合わせて行くと、どちらかというと確実に低所得ヲタクなのでナチュラルに破産する恐れに溢れて)出来る限リ無課金、勿論、無課金だすら進行上不利益でも文句言わないし、お金で時間を買わないのでひたすらコツコツやり続ける貧乏暇なしスタイル。
私のようなスタイルの者が多いほど運営が立ち行かなくなるのもわかるし、【運営頑張って下さい、遊ばせてくれて有り難う】その精神で課金するというスタンスのいう方の話を聞いた時に、目から鱗が落ちた。
いつかなくなる物に対してお金が出せないという、極論、破局したから交際費返せみたいなタイプの私には本当に新鮮でした。
そうか、応援する。そういう課金のあり方もあるのかと。
だから私は、本当に困った時はちゃんと課金しました。
気付かせてくれて有り難う。
プレイ人口の頭数が減って競争力がなくなって、ポツポツとまったりゲームするには、課金もせず、時間にも追われず、増えていくアイテムの範囲でゲームが出来るというのは、楽しむのは今!という感じで楽しかったけれど、前回の終わりにも書いたけど、収入が枯渇すると立ち行かなくなるタイプのゲームとしてはかなりずっと雲行きの怪しい綱渡りだったのかな。
終わって欲しくないと声高に言った層にも、随分前に離れてしまっていたり、終わって欲しくないと思った私も、実質無課金に寄り過ぎていた。
長いこと見ていなかったご長寿番組が終わる時に、見てなかったけど勿体無い。
って残念がるあの感想の気持ちみたいなことになってる。
離れたプレイヤーを呼び戻したいキャンペーン、今いるプレイヤーからの捻出を期待するテコ入れ新イベントもテコ入れだなとわかる感じで登場して、これも、ライフサイクルの一環としてやったけど、面白かったかなと言えば結構謎で。
そういうテコ入れと共に訪れる迷走、それもまた味、として。
今までクリスマスのイベントは辻褄とスケジュール一切無視して、イヴの夜は何回やって来るんだ、アイドルにイヴの仕事はないんかというツッコミをしながらだったのに、ある年からイヴの夜は一人です。
厳密に言うと一人ってこともないけど、当初に比べて股がけのハードルが格段に上がったので、よほどの根気を駆使する意欲がなければ一人でいいかと流してしまったり。
そんな感じで、恒例チョロイ股がけが困難になり、困難を可能にする意欲が最早出なかった、というのが私だけじゃなかったんだろうな…と思います。
正直、進みようのない恋愛が進まない対策で、「もしも」の世界を用意して、シチュエーションと設定をコロコロ替えたアナザーを複数用意してくる流れが現実での夢オチになった時、いや、そうじゃなくて。って、さすがに思いました。
ライフワークだったけど、ライフワークに消化しすぎてて、ゲームと自分がもうそんなに噛み合ってないことに改めて気付いた訳です。
ゲームはもうやってないけど、公式のイベントには参じる人も多く、二次の乙女ゲーオンリーとかでも、サークルがまた沢山あって創作する人も多かったということは、ゲームとしては終わってたのかも知れないけど、現実としてはバリバリ稼動してた訳で、ゲームとしての役割を終えたというか、
それを発信し続けた媒体を手放すには勇気と諦めが要りました。
使わなかったアイテム、取っておいたアイテムは消化しきれず、コレクションしたレイアウト素材も無駄と言えば酷ですが、あってもなくても一緒。
やっぱり勿体無い。
最終日の終了間際には別れを惜しむプレイヤーでログインすら出来ない。
最初と最後はドタバタだった。
そんな感じだったなと、半年以上経った今、振り返りました。
スマホデビューしてから、検査入院した時も、仕事辞めた時も、ノロになった時も、おじいちゃんの葬儀の時も、日帰り手術した時も、家を出た時も、再就職した時も、弟が結婚した時も、弟が離婚した時も、一緒だったときレスでした。
そういう意味で偏った思い出と思い入れへの脱線に巻き込まれたソシャゲでしたが、長い間、孤独回避に沢山遊ばせてくれて有り難うと思っています。
今は…グラブルやってます…。