刀と言えば刀ですね。
その話です。
会社の姿勢とか絵師がどうとか界隈がどうとかで、流行故かそれ以前の問題?で多角的にいろんな問題内包してますが一旦そこ以外の話で。
好きなメンズ、いいな!と思うメンズはいる!
でも、同人誌を買うでもなくシブを見るでもなく、リツィで流れてきた流れて目に入るぐらい拡散力のある日本レベルで高層のイラストや漫画を眺めては、
上手いなぁ面白いなぁと満足する感じでいるくらいのスタンスなので、
そういうレベルではプレイヤーの域を出ない二次的にはライト層。というところにいるんでしょうか。
でも、ゲーセンでひたすらぬいぐるみを取るのにチャリンチャリンしまくったという意味では、必死にハマっているのかも知れない。
だってアレ可愛いすぎやしませんか?別の生き物というか生命体感凄いと思います。
こっち見つめられると照れてしまって直視出来ないレベルで可愛いですよあれ…。
未だに毎日画像検索するレベルですもん…。
若干脱線しましたが、
凄い盛り上がってて、例に漏れず入りそびれて、
しばらく後から始めるに当たって空いたサーバーの隙間ぬってやっと取れたくらいの時からやってるんですが、
その時には当時の現時点でする事がもうなくて全員カンストしてるぜープレイヤーも多かった気がします。
ゲーム自体は無料の範囲を出ないところでプレイしているので、こちらの進みが遅いとかレベルが足りないとかはもう仕方ない。
やって思ったのは、ネット上で盛り上がってるキャラ内容に対して、ゲーム自体がとてもシンプルでひたすらコツコツ系という印象。
流行ってる割にはゲーム地味じゃね…?みたいな感想。
キャラもそんなに喋らないし、イベントは若干あるけどキャラ同士の兼ね合いもそんなに無い気がする。
でも、この人はこんな感じ!みたいな性格設定がネット上では大体固定されてて、
(これは、発信力のある方に周りが感化されていくうちに、一定の線でキャラづけが構築されていったとか何とか)
近年、割とキャラが喋る、仲間と交流してる感凄いある!みたいな公式が容量や物語の中で発信する設定付けみたいな作品をずっとやっていた気がするせいか、
主だった設定以外のところでそれ以外の展開をあまり発表してない謎だらけというか特に何もない作品に出くわしたの最近なかったなって。
悪い意味でなく。
(この作品の事ではないけれど、設定を細かく用意するとプレイヤーにとっての地雷になってしまって敬遠の対象になるから、
要素を盛り込まない事で間口開けてるとか何とか)
勿論、いろんなところでキャラならではの会話や口調や個性は出てますけど。
若干論点の挿げ替えになりますが、BBA的に申すと。
その昔DQはプレイヤー=主人公で一切喋らないけども何を言って何をせんとするかは、
主人公である自分が感じた印象をもって自分の物語とするみたいなところで。
仲間もいるし、その仲間は加入前のイベントでは話すし、加入時にも話すけど、基本的にはほとんど喋らず、
仲間になるキャラを主人公として操作している時は話さない。
主にリメイク前の作品ですが。
一方、FFは主人公=プレイヤーではあるけども、主人公=自分でありながら主人公に設定された人物の物語を進める傍観者か、
主人公の人生を手助けする神目線でプレイするようなところがあって、プレイヤー=主人公ではあるけども、主人公は自分かというとあくまで登場人物。
というところで、人様の物語をドラマティックに押し進めるせいか、登場人物の情報量が凄く多かった。
その、ゲームが進化した過程においての物語量についての容量の爆発的な進化の過程でFF辺りは凄くウケてた気がします。
実際にあの時代でDQからFFを始めた人は、自分で作る妄想の物語より、人様の人生を傍観する物語の良さを楽しみ、
逆に、FFから始めた人はDQの最初から与えられる情報量の少なさに戸惑い、与えてくれる妄想のなさで馴染めなかった。
って記憶が残ってます。
作る妄想から、与えてもらう妄想にシフトしたというか。
(最も、それだけではなく、進化するグラフィックに魅せられて移行したというのもありきで)
で、結局、何が言いたいかというと、刀の世界観の情報の提示の少なさは形は違うけど、DQを思い出した訳です。
凄い変な例えになるけど、ヘンリーにどれくらい萌えられるかとかそういう。
いや、ここであえてヘンリー出すのもちがうかも知れませんが。
今でもヘンリー好きですよ!ヘンリーの言葉や態度からヘンリーと主人公の関係やヘンリーとマリアの人生をどれだけ妄想できるかですよ。
人生時代は巡るもので、今こんなに技術が上がって作品を選べるだけの絶対数の多さや容量や物語性が濃密になる中、プレイヤーの目が肥えている中で、
設定や背景ガチガチでなくても簡単で簡潔な要素だけでこんなに深入りする事が出来るんですよ。
今でも。
設定や背景ガチガチなのも資料が沢山でるのも、それはそれで大好物だし私は元々ガッチガチ寄りなだけで。
特に、私のように?簡潔な人物像と好みのヴィジュアルと若干の仕草や台詞程度の要素だけで萌えられるところに、すんなり回帰した人もいるだろうし、
それよりずっと若い人達が、もっと流れ込んでるところで、
昨今余りやり応えのある、やたら考える必要のある難しい物をそんなに必要としていないことなんかは別のゲームで出てきてました。
努力する時間と頑張れる時間がちょっとあれば良いぐらいの、これぐらいがちょうど良いというラインがあるみたいで。
進化したところと、進化することで抑えた部分で、今水平なラインに戻ったのかなって。
何が言いたいのかよくわからなくて、オチの落としどころがわからなくなったのでこの辺で。
あっ、情報は欲しい層は沢山いるので皆設定資料集めちゃくちゃ買ってるのたのは把握しておりますです。
その話です。
会社の姿勢とか絵師がどうとか界隈がどうとかで、流行故かそれ以前の問題?で多角的にいろんな問題内包してますが一旦そこ以外の話で。
好きなメンズ、いいな!と思うメンズはいる!
でも、同人誌を買うでもなくシブを見るでもなく、リツィで流れてきた流れて目に入るぐらい拡散力のある日本レベルで高層のイラストや漫画を眺めては、
上手いなぁ面白いなぁと満足する感じでいるくらいのスタンスなので、
そういうレベルではプレイヤーの域を出ない二次的にはライト層。というところにいるんでしょうか。
でも、ゲーセンでひたすらぬいぐるみを取るのにチャリンチャリンしまくったという意味では、必死にハマっているのかも知れない。
だってアレ可愛いすぎやしませんか?別の生き物というか生命体感凄いと思います。
こっち見つめられると照れてしまって直視出来ないレベルで可愛いですよあれ…。
未だに毎日画像検索するレベルですもん…。
若干脱線しましたが、
凄い盛り上がってて、例に漏れず入りそびれて、
しばらく後から始めるに当たって空いたサーバーの隙間ぬってやっと取れたくらいの時からやってるんですが、
その時には当時の現時点でする事がもうなくて全員カンストしてるぜープレイヤーも多かった気がします。
ゲーム自体は無料の範囲を出ないところでプレイしているので、こちらの進みが遅いとかレベルが足りないとかはもう仕方ない。
やって思ったのは、ネット上で盛り上がってるキャラ内容に対して、ゲーム自体がとてもシンプルでひたすらコツコツ系という印象。
流行ってる割にはゲーム地味じゃね…?みたいな感想。
キャラもそんなに喋らないし、イベントは若干あるけどキャラ同士の兼ね合いもそんなに無い気がする。
でも、この人はこんな感じ!みたいな性格設定がネット上では大体固定されてて、
(これは、発信力のある方に周りが感化されていくうちに、一定の線でキャラづけが構築されていったとか何とか)
近年、割とキャラが喋る、仲間と交流してる感凄いある!みたいな公式が容量や物語の中で発信する設定付けみたいな作品をずっとやっていた気がするせいか、
主だった設定以外のところでそれ以外の展開をあまり発表してない謎だらけというか特に何もない作品に出くわしたの最近なかったなって。
悪い意味でなく。
(この作品の事ではないけれど、設定を細かく用意するとプレイヤーにとっての地雷になってしまって敬遠の対象になるから、
要素を盛り込まない事で間口開けてるとか何とか)
勿論、いろんなところでキャラならではの会話や口調や個性は出てますけど。
若干論点の挿げ替えになりますが、BBA的に申すと。
その昔DQはプレイヤー=主人公で一切喋らないけども何を言って何をせんとするかは、
主人公である自分が感じた印象をもって自分の物語とするみたいなところで。
仲間もいるし、その仲間は加入前のイベントでは話すし、加入時にも話すけど、基本的にはほとんど喋らず、
仲間になるキャラを主人公として操作している時は話さない。
主にリメイク前の作品ですが。
一方、FFは主人公=プレイヤーではあるけども、主人公=自分でありながら主人公に設定された人物の物語を進める傍観者か、
主人公の人生を手助けする神目線でプレイするようなところがあって、プレイヤー=主人公ではあるけども、主人公は自分かというとあくまで登場人物。
というところで、人様の物語をドラマティックに押し進めるせいか、登場人物の情報量が凄く多かった。
その、ゲームが進化した過程においての物語量についての容量の爆発的な進化の過程でFF辺りは凄くウケてた気がします。
実際にあの時代でDQからFFを始めた人は、自分で作る妄想の物語より、人様の人生を傍観する物語の良さを楽しみ、
逆に、FFから始めた人はDQの最初から与えられる情報量の少なさに戸惑い、与えてくれる妄想のなさで馴染めなかった。
って記憶が残ってます。
作る妄想から、与えてもらう妄想にシフトしたというか。
(最も、それだけではなく、進化するグラフィックに魅せられて移行したというのもありきで)
で、結局、何が言いたいかというと、刀の世界観の情報の提示の少なさは形は違うけど、DQを思い出した訳です。
凄い変な例えになるけど、ヘンリーにどれくらい萌えられるかとかそういう。
いや、ここであえてヘンリー出すのもちがうかも知れませんが。
今でもヘンリー好きですよ!ヘンリーの言葉や態度からヘンリーと主人公の関係やヘンリーとマリアの人生をどれだけ妄想できるかですよ。
人生時代は巡るもので、今こんなに技術が上がって作品を選べるだけの絶対数の多さや容量や物語性が濃密になる中、プレイヤーの目が肥えている中で、
設定や背景ガチガチでなくても簡単で簡潔な要素だけでこんなに深入りする事が出来るんですよ。
今でも。
設定や背景ガチガチなのも資料が沢山でるのも、それはそれで大好物だし私は元々ガッチガチ寄りなだけで。
特に、私のように?簡潔な人物像と好みのヴィジュアルと若干の仕草や台詞程度の要素だけで萌えられるところに、すんなり回帰した人もいるだろうし、
それよりずっと若い人達が、もっと流れ込んでるところで、
昨今余りやり応えのある、やたら考える必要のある難しい物をそんなに必要としていないことなんかは別のゲームで出てきてました。
努力する時間と頑張れる時間がちょっとあれば良いぐらいの、これぐらいがちょうど良いというラインがあるみたいで。
進化したところと、進化することで抑えた部分で、今水平なラインに戻ったのかなって。
何が言いたいのかよくわからなくて、オチの落としどころがわからなくなったのでこの辺で。
あっ、情報は欲しい層は沢山いるので皆設定資料集めちゃくちゃ買ってるのたのは把握しておりますです。