続いて、藁科川上流の大川地区・日向に残る地名の由来です。中学校の体育館になっているところにも昔の地名が残っているのは当然と云えば当然ですが、近代的な建物の下に残る昔の由来は、不思議な感じがします。
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「矢下(矢平)」
現在、大川中学校体育館の所で、萩多和城より射た矢が落ちたところと伝えられる。また、湯ノ島へ行く途中の水田を矢平と呼ぶが、此処も同じように萩多和城より射た矢が落ちたところと伝えられている。
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「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)
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「矢下(矢平)」
現在、大川中学校体育館の所で、萩多和城より射た矢が落ちたところと伝えられる。また、湯ノ島へ行く途中の水田を矢平と呼ぶが、此処も同じように萩多和城より射た矢が落ちたところと伝えられている。
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「ふる里わら科八社~第二集~」
(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)
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