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日向の歴史

2010年09月06日 | 集落の地誌
藁科川上流・大川地区の中心集落で、寛永21年(1644)に記された詞章本にも記録が残され、県の指定無形民俗文化財にも指定された、田遊び系の郷土芸能「七草祭」が今に伝承される、山あいの里・日向の概況をご紹介します。

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『日向へのいざない』

藁科川の上流に位置する、静岡市葵区日向は、旧安倍郡大川村(現・大川地区)の中心をなしてきた集落です。現在、お茶とシイタケ栽培を主な生業として、静かなたたずまいを見せる戸数76戸・人口207名の山里です。

日向の歴史は古く、地内の野田ノ段遺跡から縄文土器が発掘されている他、数々の古蹟と伝説に彩られています。日向の地名のおこりは、名馬を訪ねてきた源頼朝(1147~1199年)の家来、日向太郎の泊まった跡地を日向といったことに因むと言います。また「芳の沢」の地名説明にも、頼朝が休憩のため②水を求めたので、冷たい水を差し上げたところから名づけられたと伝えられています。諸子沢には、平治の乱(1159年)に敗れ、捕らわれの身となった頼朝が、伊豆に流される途中に運試しに切りつけたとされる「頼朝石」があり、日向を中心とした大川地区には、頼朝伝説が育まれてきたことを示しています。

さらに、木の精の通婚を示す「木魂伝説」が伝承され、かつては川原の中に大きな木の株が見られました。こお伝説は大杉の精が美しい男に化けて娘のところに通ってくるというもので、ついに正体がばれて大杉は切り倒され、娘は「から舟」に乗せられて下流に流されたという伝説です。七草祭を伝承する日向は、このように中世的な伝承世界を小字地名の由来に重ねて色濃く留めてきた村です。

御堂と呼ばれた福田寺観音堂は、小高い丘の上にあり、この稜線を辿っていくと、中世の山城・萩多和城に達します。また、樫木峠を越える秋葉道が、観音堂の前を通っていました。山中を東西に結ぶ道が、中世の時代に盛んに利用され、日向はそうした山の道の要衝に発達し、様々な文化を受け入れてきたと言えます。

~『静岡県指定無形民族文化財 七草祭』(静岡市教育委員会.平成5年)から一部修正し引用~
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2 コメント

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Unknown (たまご)
2010-11-13 00:56:25
日向を知ったのは最近ですが、一目で好きになってしまいました。。
いつか日向のようなところで暮らしたいです。

藁科の 清き流れに 住む木霊
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一目惚れ (葉茶)
2010-11-24 19:50:06
>たまご様

亀レスで、失礼しました。
日向に一目惚れということで、同じく藁科川ファンクラブの一員として、とても嬉しいです。
“いつか”などと言わず、ぜひアクションを

川の音に 語り継がるる 木霊の里
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